宵闇せまれば 悩みは涯てなし2021年01月31日 22時35分55秒

★2021年1月の終わりに

 ご無沙汰してしまった。ご心配おかけした。申し訳ありません。
 まず、何から書けば良いのだろうか。ともかくまだ何とか生きている。

 父は何とか持ち直し正気をかろうじて保ち、今晩はまた介護施設にショートステイで行ってくれている。明日の夕刻帰って来るが、果たしてどこまで無事であろうか。
 実はこの数日また父のこともだが、いろいろ家のトラブルが続いていてまさに夜も眠れず、頭や胃が痛く苦しい日々が続いていた。
 今日は、新しい年、2021年一月の最終日、31日。状況は少しだが小康状態となったので、やっとブログに向き合える。

 皆さん、このコロナ禍(下)お変わりありませんか。このところようやく収束の兆しも見えて来てややほっとしてきたが、たぶんまた愚かにも菅政権は、GoToキャンペーンを再開するだろうから、まさにコロナとの闘いはいたちごっことなると思える。またもウイルスを全国的に拡散させますか。
 じっさい先のこともあれこれ欲出さず、オリンピックのことなど考えず、じっくり何カ月か腰据えて日本人全体が行動を控えてじっと我慢していればコロナなど収まるはずだ。むろん外からも入ってもくる。だからこそオリンピックをはじめ外国人観光客など海外からの集客での経済効果など考えてはならない。
 それよりも内需修復、まずは元に戻すこと、今いっそうの国民間での消費喚起に注力すべきであり、そのための様々な支援をすべきではないのか。まずはコロナで収入減少した人たち全てに正しくきちんとした金銭の補償であろう。消費税の税率を引き下げるとかも。
 さすれば景気も回復するし、国民全体に体力が戻る。オリンピックなどでの経済効果とか、国威発揚や民心鼓舞など実に愚かなことだ。弱った病人に必要なのは、精神的な励まし以前に実質的栄養、つまり日々のお金、経済支援のはずだろうが。

 さておき、コロナ騒動以前に、老いた父のことや家のこと諸々、我が人生がとことん行き詰ったままで、コロナで教会に行けなくなったこともあって新年が来ても相変わらずどんずまりの悶々とした状況であった。
 おまけにこの数日、50万円猫が脱走してしまい、何日も帰宅せず夜もろくに眠れずにいた。
 むろん病院への支払いは終えたのだから、もう猫の好き勝手でどうしようとかまわないはずなのだが、やはりこの一年、天塩にかけて昼夜世話して来た猫だからこのま行方不明になったり縁が切れてしまうのはやはり哀しい。
 何より三本脚の「障害者」猫だから、外で野良猫的に一人で無事に生きていけるか心配で胃が痛む思いをした。
 幸い、昨日夜、何とか無事に帰って来たので今はほっと安堵しているが、動物は動物の思いや都合だろうが、それに振り回されてまさに心身疲弊した。実に愚かなことだと自分でも思う。

 我は今、六十代半ばとなってきて、そろそろ人生の終わりも見えてきた。好き勝手にとことん生きてきたので今さら人生に悔いも未練も特にないけれど、思うは、まさに「日暮れて道遠し」の感である。
 もし今ここで死が告げられたらば、まさに多々思いだけあれども何ひとつ成し終えず果たせず、モノだけ膨大に集め残して死んで行くことになろう。
 そう、日が暮れる頃になってきて、我は未だ何一つきちんとカタチに残せてない。世の人ならば、ともかく子や孫たちという「子孫」はたいがい誰もが残している。そこにどれほど意味や意義があるかは関係なく、それは生物学的にマチガイなく意味と価値ある正しいことだと我は考える。そう、生き物はそうして代々子孫を残すために生まれてきたのだから。
 どんなに世間的にはハチャメチャ、自堕落に我から見える人でも意外と皆さんきちんと子や孫を、結婚してなくても子はつくり残しているのに感心してしまう。
 そう思う時、我は彼らよりさらに「下」だったのかという思い=認識に至る。それこそが我のどうしようもない立ち位置であり、マルクス的に無産者という言葉があるならば、まさにその通りで、だからこそ子孫ではない「何か」を残さねばならない。その思いにかられる。
 が、まだこの歳になってもなかなか果たせず、いまも忸怩たる思いに囚われる。せめて自ら満足できる1曲、一つの小説とか何らかの作品でもともかく世に残せたら、たとえそれが誰からも認められなくても死にゆくとき満足できるはずだ。
 その意味でもここまで生きて来て、そろそろ日暮れて道遠し、なのである。
 で、表題の「宵闇せまれば 悩みは涯なし」となる。

 これは今の人たちは、フランク永井の、と言っても知らないだろうし、まして原曲が二村定一による、昭和の初めに流行ったものだと、もう誰一人まず知らないだろう。
 日本で最初の流行歌手とされる、二村定一(ふたむらていいち)、彼は、♩「砂漠に陽は落ちて、夜となる頃~」の「アラビアのうた」と共に、この「君恋し」の吹きこみで後世に名を残す。
 そんな昭和の始めにヒットした曲を戦後に、フランク永井がスローテンポで彼の甘く低い歌声でリバイバルヒットさせて「君恋し」は、今も知る人ぞ知る名曲なのだが、まさにこのところ我はその詞の巧みさに深く慰撫されている。
 日暮れて、宵闇せまる今、悩み苦しむ「乱れる心」にいるのだから。

 俗に「悩み」とは、若者の特権、青春期特有のものとも昔から目されている。
「若きウェイテルの悩み」とか、敬愛する斉藤哲夫の「悩み多き者よ」など若者はあれこれ悩みが多いのである。そうした題材の作品でいっぱいだ。
 が、今、我は老人になって思うは、若気の至りならぬ、「若気の悩み」など実のところとるに足らぬもので、真の悩み、苦しみとは老いてこそなお、のものなのだと断言する。

 むろん若い時は我もあこれ悩んだ。何度も自殺を考えた。それは将来のことや男女のことであり、人はどう生きていくか、そこに意味はあるか、生きる意義を求めてあれこれ悩み苦しんだ。
 が、まさに今思うと、それは「青い」悩みであり、真の悩みや苦しみとはかけ離れた実に実態のまだない、ごく軽い形而上学的なものでしかなかったと気づく。
 じっさいそんな悩みは、実生活においては頭でっかちの、考える価値もないほどの些末なことだった。そう、暇だからそんなことに頭悩ますのであったと今思う。

 生きていくと、実に次々現実的な難題難問がふりかかる。自らの思い通りになることは、10のうち8あればよいほうだ。日々ともかく生き抜いていくだけで必死で、大変なところにまた次々新たな面倒な出来事がふりかかる。一つ終えてもまた新たな苦難の波が押し寄せる。

 若いときは、年とれば悠々自適の楽隠居的、のんびりゆったりした人生が送れるのかなあと思ったりしたが、たぶん誰に訊いても今そんな気分の老人はいないと思う。どれほど高い年金貰えたら?
 年をとろうと、いや、歳をとったからこそシビアに人生はタイヘンかつ面倒になっていく。絶対に楽にはならないし、身体はあちこちガタが来て、病気自慢するような状態に誰もがなっていく。
 悩み事はまたさらに増えて、それを処理する身体が追い付かない。それでも生きなくてはならないし、死んだ後のことすらまた心配となる。
 そう、若いときは、「死」の悩みなどなかった。死は憧れであり、救いでもあった。死ねば「出口」だと思えていた。
 が、身近に死が近づく世代となると、死の恐怖以前に、これまで生きてきた結果としての「死」のことがまた難題となってくる。「出口」以前に、死ぬための準備もしなくてはならない。

 思うに、人生とは実に多々やるべきことが死ぬまでいっぱいなのである。しかもそこに人間関係があるから自分勝手に、思い通りなんてまずなりやしない。
 人や世間のことを無視して生きれば人非人だと非難されるし、それでもかまわず生きていけるほど我は強くもエラクもない。
 いきおい世間や他人の顔色を窺いつつ息をほそめて叱られぬよう波風立てぬようやっていくしかない。そして悩みやストレスがどんどん溜まっていく。
 何一つ自由に思い通りにはなりやしない。それは誰よりも好き勝手、身勝手に生きてきたこの我が思うのだから、世間の人はおそらく皆そうであろう。
 それでも人は何とか日々生きて行かねばならぬ。そう難行苦行、苦難いっぱいの人生なのである。
 鶴田浩二の唄った「街のサンドイッチマン」の一節に、♩「この世は悲哀の海だから」、という一節がある。
 彼の哀し気な歌声を聞くと、いつもそこで胸に来て涙が出て来る。だからこそ空を見る、つまり「上を向いて歩こう」となる。

 宵闇迫って来たが悩みは涯なし、である。だからこそ、少しでも灯を求めて上を向いてしっかり歩いていくしかない。
 つまるところそれこそが「人生」であり、死の谷を歩むところに意義と意味があるのだと今は思える。ならば悩むのはバカらしい。が、悩む故まだしっかり生きていると言えるのである。