当たり前に動けたことの有難さよ2014年07月23日 16時03分43秒

★今回は多くの皆さんに多大なご迷惑をおかけして。     アクセスランキング: 91位

 一夜明けた。早くも拙ブログをご覧になった方から何人もお見舞いと腰痛についてのアドバイスを頂いた。有難いことである。この場でお心遣いに感謝いたしたい。そして今回のような不祥事に至った自分のヘタレ度について深く恥じている。全く情けない。しかし、それだけ疲労が溜まっていたことも事実だとも思う。

 いつも無理を無理やりに通して、かなりギリギリセーフのことをやって来た。幸いそれで事故などの大事に至ることはなかったが、今回は結果として予定していたイベントが我が身の都合で流れてしまった。「商売」でないとしてもこれはあってはならないことで無頼庵初めての失態となった。
 どのような店であろうと、お客が来てみたら勝手にそこが休みだったらお客は失望する。まして事前に宣伝告知してきたイベントが直前に中止延期となっては、野外イベントが天候で中止になるとき以外は噴飯ものであろう。お詫びの気持ちと言っては何だが、26日に来場予定の方は次回のとき言って頂ければ参加代金は不要としたい。

 いずれにせよ体調管理にこれからとことん注意して我と我が身の都合で企画が突然中止となるような事態は二度としでかさないことを誓い宣言する。

 それにしても今、半身不随というべきか寝たきりの状況になってみてつくづく思うのは、当たり前のことが当たり前にできていたことは素晴らしいことだということに尽きる。
 何でも自分で好き勝手に動けるということは、健常なときはまったく意識していない。それが当たり前だからで、そこに感謝も何もない。しかし腰痛を持ち、それも激痛を伴うギックリ腰に何年かごとになると、そのときは普通に自由に動けることの有難さにつくづく気がつく。
 まあ、この半病人状態は一過性で、おそらく数日のうちに動けるようになっていくだろうが、これが脳梗塞とかだったら一生そうした不如意のままであろう。

 じっさいの話、今老親が通っているデイサービス施設には、戦後生まれの、それこそ老親たちの息子世代の、つまり自分といくつも違わない男性が何人も車椅子で来ているのだと言う。皆、脳梗塞とかで倒れて一命はとりとめたものの半身不随となり片マヒ状態となっているらしい。頭のほうは全く呆けてはいないのに、60代でそうした施設に通わざるえないのはさぞや辛いことだと推測する。まして他に来ているのはウチの親のような八十代、九十代なのである。

 このところ、フォークのライブでの仲間内の会話では、誰それが心筋梗塞で倒れたとか、憂鬱な話題ばかりがでてくる。今50代の自分の周囲ではさすがにそこまで危険は迫っていないようだが、まさに明日は我が身であろう。
 いつまでも若い時と同じ気持ちで、何でもできる、体は動くと安心と油断しているとすぐに突然足をすくわれる。倒れて再起がかなうならまだしも、今のようなイテテイテテの状態でほぼ寝たきりとなってしまっては長生きしても何も楽しくもない。

 まして親たちが去れば自分はやがて天涯孤独となってしまう。ならば今さらだが、同様の環境にある女性と出会って、老後の相互扶助的結婚も考えることもありかと思った。今回も老いたりとはいえ家族、つまり親たちがいて大いに助かった。じっさいのところ、一人では背中側の腰に冷シップだってうまく貼れやしない。その都度友達を招いて頼むわけにもいくまい。
 今流行りの「婚活」っていうの?オレもやってみようかと考えた。こんなことを書くとはそれこそ体が弱ると心も弱っているのであろう。情けなや。