無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティのお知らせとお誘い2019年12月01日 23時30分34秒

★今年もやります。12/22日。丸鶏焼きます!!

 12月に入りました。拙宅無頼庵毎年恒例の、クリスマス謝恩ライブパーティを今年も開催します。

 お世話になったミュージシャン・音楽家他、私マスダと関わりがあった方々をお招きして、年末のこの時期、忘年会、謝恩を兼ねてクリスマスを祝うパーティを毎年開催してきました。
 例年ならば、23日の天皇誕生日の開催でしたが、今年は、代替わりしたため、23日は休日でなくなってしまたので、22日の日曜となりました。
 ただ、総理の桜を観る会に倣って、土曜日の21日夜にも「前夜祭」として、今年は特別に、後援会(誰の!?)の皆さんと準備しつつ吞んだり食べたりしてると思うので、お忙しい22日に予定が入ってる方は、21日土曜のお越しでもかまいません。※事前に連絡ください。泊まりも可能にしたいと思ってます。

 そんなで22日は終日、開催予定ですが、こちらも体力の関係上、夕刻から正式開催として、どなたでもお気軽に連絡なしでもお好きな時間にお越しください。電車がある間は、だらだらのんびりやってます。
 会費は、例年通り、プロアマ問わず、何か1曲でも演奏されたり歌ったり、踊ったり、詩朗読された方は、無料で、アルコールも含めて一切何でも食べ放題吞み放題とします。階下の薪ストーブで今年も鶏の丸焼きつくります。
 一般参加の方は、千円程度の食材費のカンパ頂けると助かりますが、懐具合でかまいません。

 もちろん拙ブログの読者の方も「謝恩」の集いですので、お気軽に初見であろうともご参加来場ください。誰も拒みません。
 まだ、来られたことのない方、初めて参加の方は当方、マスダまで電話か、当ブログのコメント欄に、メルアドなど添付ファイル等で地図送れるよう連絡ください。※非公開ですので他には表示されませんのでご安心を。

 正直なところ、果たしてあと三週間で、今年も人を招くスペースが作れるか、またもやこの一年で積み上がった本の山を眺めて不安に思うが、ともかく今年もこれを終えないことには、本の片付け、家の内外の大掃除にもならないし、次へと、来年へと進めない。
 何としてもまた広い空間を作って、来年に向けてスタートできる「余地」を拵えていくしかない。そのためにも万難を排して準備を進めていきます。

 状況はまた報告いたしますが、マス坊の年内の私的用事は、このクリスマス謝恩パーティだけですので、今年一年の思いを皆で楽しく振り返りたいと思ってます。どなたでもお気軽に、「古本音楽家」にお越しください。℡ 090-8175-8479

酒とラーメンの日々にオサラバだ2019年12月08日 07時56分17秒

★自分の「物語」を紡いでいく、続けていく

 12月に入ってこのところさすがに寒くなった。数日前からウチの前の畑は朝方は霜で真っ白である。
 今年もあと一か月を切った。自分の課題、必須のやるべきことは、21~22日の拙宅での恒例謝恩ライブパーティの場所づくりと準備だけだが、当日まであと二週間、日々片付けは進めているが、まだ先行きが見えず、果たして間に合うのかとやや焦り気味である。
 
 先行きが見えないのは、自分の人生も同様で12月に入ってずっとブログの更新できなかったのは、体調も悪く気持ちももう一つ乗らなかったからだ。心身ともに苦しかった。もし、ご心配された方がいたとしたら申し訳ありません。
 近況を記す。

 俗に人生とは、自分が主人公の一つの小説、物語だとも言えよう。
 そのストーリーを考え決めるのは、当人、主人公なのだが、良い学校を出て安定した会社に入って、結婚し家庭を築き、子や孫に囲まれての潤沢な年金生活で何の心配もない悠々自適、順風満帆の人生もあれば、我のように、先のことは全く見えない、常にその場しのぎで無計画の羅針盤すら持たない漂流船のような人生もある。
 で、このところ、我のその「物語」の筆先が鈍ってきて、さてこの先どう自らのストーリーを進めていくか、しばし迷っていた。

 先月20日の、東中野じみへんでの太田三造さんの「前座」でのライブ以降、我の「失態」は、それはそれでやれたのは「良かったこと」なのだと受け容れて、心の中ではきちんと「処理」できたはずなのだ。が、やはりどこかにトラウマのような「しこり」になってしまい、何よりまず自分の中の「うた」が無くなってしまったことがこのところ苦しかった。
 「うた」、それに付随した「音楽」に関する情熱と関心があれから失せたというか、心中どこを探しても見つからなくなってしまい、どうしたものかと困惑するぱかりであった。我が「うた」の価値と意味を自問するしかなかった。

 そのことは、人生への「やる気」の喪失にも繋がり、このところは父が居ようと不在であろうと自堕落に、正直に告白すると毎晩吞んだくれていた。
 我の慢性的咳の発作については前にも書いたが、季節の変わり目、寒暖差アレルギーからか、ふとした気温の変化で咳が激しく出て、出るとなかなか止まらない。
 仕方なく、咳止めとして、焼酎やウイスキーなどをお湯割りにして喉に流し込む。すると身体が暖まるせいか、咳は収まる。このところそんな風にして寒さもあって、暖かくしたアルコール類をひたすら吞み続けていた。そして陶然となって夜も早く寝てしまう。だからブログ更新する暇はない。

 いや、この年末、本格的な冬を前にしてともかく庭木がある家は冬支度に忙しく、このところは連日、早朝から我家のイチョウやケヤキの落葉掃きに、両隣の家の前の道まで清掃に追いまくられている。その来客があるクリスマスの謝恩イベントがないとしても年内はあれこれともかく忙しい。
 朝方、どんなに冷え込もうと30分も道の落葉を掃いていると汗かくほどの労働だ。父がいる日は、朝起こしてから晩に寝かしつけるまで食事から下の世話までともかく慌ただしく気が休まらず、そこに我の「咳」も加わり、「これが吞まずにやってられるか!」という気分でアルコールを吞み続けてフラフラになって一日が終わる。

 おまけに、父不在の時は、我一人だと何か食事つくるのも面倒で、近くの家系ラーメンの感謝デーの日とか、寒いこともあってこのところひたすらこってり系ラーメンを食べる機会が多かった。何かの用事で出かけると必ずラーメンを食べる。
 それも昼時などは、ライス無料のところが多かったから、ラーメンおかずにしっかりご飯もたらふく食べてしまう。そしてスープも底まで残さずに飲み干す。
 元々麺類好きで、特にラーメンは大好物だったが、寒いこの季節、熱い汁物が恋しくて、かなりの頻度で家でも自ら作って食べていた。

 我はこの数年、親たちの介護をするようになってから、その食事の世話に追われて朝食は食べない。ともかく何だかわからないほど常にあれこれ忙しいものだから、気がつくと朝からコーヒーだけで、お菓子を齧った程度で夕方まで何も食べていないと気づくこともままある。
 結局、一日一食、それも食べる時はドカ食いしてしまうということもままあって、特に、外でラーメン&ライスをたらふく食べた日は、それだけで一日分としてしまうことは常のことだった。
 しかし、炭水化物に炭水化物を足してしかも塩分が高い。これは身体に絶対悪い。気がついたら食事の回数は少ないはずなのに、先日、山梨の温泉で体重を測ったところ、この夏頃より5Kも増えていた。ラーメンライス効果であろう。こりゃちょっとマズイと思った。何より靴下穿くときなど足が重くて上がらない。

 そして先日のことだ。やはり父を送り出して、その晩は一人でのんびり酒をたらふく吞んで寝た晩のこと。その夜はかなりしっかり食事も摂ったかと記憶する。
 真夜中、寝返りうったのがきっかけなのか、突然足がつってその強い痛みで目が覚めた。以前も酒飲んでそのまま酔ったまま眠ると脱水症状から足がつることは何度かあったが、今回は両足である。両足が激しくつった。
 その激痛で身体は動かせないし、喉もカラカラで、ともかく早く水分摂るしかないと思いつつも激しい痛みで身体はベッドから抜け出せない。
 おまけに急に尿意も催してきて、痛みと小便がしたくて何とか身体起こして立ち上がろうと必死でまさに汗まみれとなった。誰かに助けを求めようとしても一人暮らしだから誰もいない。後は、救急車を呼ぶことだが、ともかくまず自ら何とかしないとならない。急を要す。まさに悶絶した。

 けっきょく、恥ずかしく情けない話だが、小便を垂らしながら二階のトイレ、洗面所へと必死に何とか歩いて行き、水をガブガブ飲んでやっと痛みは遠のいた。正直なところ、死ぬとは思わなかったが、孤独死する人の「最期」はこうしたものなんだろうと強い「実感」があった。
 まさに苦悶としか言葉はない。痛みと苦しさで呻きあがいても誰も傍らにいないから救いを求めても誰も助けてはくれない。人は一人でこうして苦悶のまま死んでいくのか。
 永井荷風や江利チエミや多くの孤独死して死後に発見された人たちのことが頭をよぎった。これはやはり辛い。何より苦しい。この死に方は嫌だ。

 そう、まさにアルコール多量摂取とこのところのラーメン過食が招いた不調なのだと思える。塩分とアルコールで体内の水分が抜けだして足がつる。下手すれば脳梗塞とかになるかもしれない。こんな風にして我も死ぬか半身不随になるのか。

 こうしたとき、自ら警察や救急車、医療関係に助けを求める以前に、もっと簡便な「救援・見守り・相談」的関係が持てる誰がいてほしいと思ったし、一人暮らしの孤独者が街に溢れている時代だからこそ、死後孤独死発見となる前に、行政などに頼るのではなく友人間・仲間内での互助ネットワークなど作れないものかと今は考えている。
 さておき、そんなで、10分もなかったかもしれないが、激痛に襲われて「死ぬかも」と思う目に遭ってから、さすがに我も考え反省した。
 一人暮らしだからこそ、このまま自堕落に自制なく破綻した生活を送っていたら早晩早逝してしまうことは間違いない。まだ今はここで死ぬに死ねない。

 この一件以後、さすがに我自らに対するネグレクト、自暴自棄な生活は改めようと決意した。酒とバラ、つまり女ならばまだしも、酒とラーメンの日々で死ぬのは嗤い者でしかない。
 そして、昨日からずっと大音量で、我が若き日から心底敬愛するエルヴィス・コステロとヴァン・モリスンのCDを大音量で鳴らし続けてやっと音楽が我に戻って来た。
 ここだけの話だが、自分にとっての音楽、それも洋楽とは、ディランでもピート・シーガーたちでもなく実のところ、若き日に出会ったコステロとその後に知ったヴァン・モリスンがマストなのである。
 彼らの老いても自在な歌声と精力的活動を鑑みて、これで良いのだ、と自分も元気づけられた。これこそが自分の求める、理想とする音楽なのだから。音楽の充電はなった。もう大丈夫だ。

 ようやくまずは年内の「道筋」が見えてきた。物語が動き出した。まずは、22日の「無頼庵謝恩ライブパーティ」を、人が招けるよう大掃除も兼ねて場所づくりを進めていくことからだ。
 あと二週間。でも何とかなる。何とかしていく。もう、酒とラーメンとはしばらくオサラバだ。そう、酔っぱらってる暇はない。

キジ子、二か月で完治いたしました。2019年12月10日 20時48分37秒

★ご支援とご心配おかけした皆様に心から感謝いたします!!

 まだ今月は病院に連れて行っていないけれど、10月10日に片足切断という大手術をした拙宅の雌の子猫、キジ子は、今日でちょうど二か月で傷口も完全にふさがり、これで「完治」したと思える。

 先にも記したけれど、当ブログをお読みになったり、話しを聞きつけた方から多くのご支援の寄付金を頂いた。その額、何と10万以上となって、動物病院への支払い返済に大いなる援助となった。今は、何とか来年の今ごろ、2020年末には、完済終えられるよう:計画を練り直している。
 実際のところ、後ろ足1本が、骨盤付け根から完全に切除されてしまったので、三本脚で、これからこの猫は果たしてどう無事に生きていけるか、先のことを考えると胸が締めつけられる思いがするが、何はともあれ命だけは奇跡的に永らえたわけで、それだけで今は良しとしたい。

 実際のところ、担当医師からは、あまりに大きなケガで、しかも事故からやや時間が経過していたこともあり、手術は済んでも敗血症の可能性も高く、果たして生き永らえるか、回復以前にその目安すら口にできなかった状態であった。
 我も手術の後は毎日「見舞い」に行ったけれど、撫でれば反応は返してくれたけれど、口からは何も食べられず、ひたすら点滴とその中に入れた投薬で命を繋いでいたので、正直諦めるしかないかと心は揺れ動いた。そんな状況が二週間は続いていた。

 経緯を改めて記せば、この春、ウチの雌猫に子どもが何匹も生まれた。迂闊にも避妊手術を怠っていたから当然のことであるが、貰い手も探してもみつからないまま、キジ子の四兄弟は、すくすくと育ってきた。
オスの黒猫2とメスのキジ猫2の兄妹である。
 そのうちの黒い毛の長い猫は、女友達のところに行って、残ったオスの黒は行方不明に、キジ模様の姉妹は仲良く二人で庭先~ご近所で遊んでいた。
 が、ウチの前は、道路を挟んでJRの八高線が走っている。道からフェンスがあるので、人間は線路には降りられないのだが、子猫たちはそのフェンスの下、隙間から線路に入り、トカゲとか捕まえたりして遊んでいたらしい。
 そして線路上で遊びに夢中になっているとき、猛スピードで電車が来て、二匹のうち一匹が跳ねられ、事故に巻き込まれた。
 
 というのは、見たわけではないが、道でトラックなどに轢かれたのならば、どこか近所に血の跡とか残ってるのに気づくはずだが、その痕跡はないのと、線路ではこれまでも同様に事故に遭い、時に死んでしまった犬猫も多数いたので、今回も間違いなくそうだろうと思えたからだ。※鉄のフェンスが設置される前は、古い枕木を立てたところに鉄条網が数本張ってあっただけだから、人間でさえも簡単に線路に降りられた。

 ウチは、子猫のときはともかくある程度成長して、自ら外に出るようになれば、基本的に家の内外出入り自由の飼い方をしている。
 子猫たちもいつしか親たちに倣い、自分たちで猫ドアから外に出始め、ときには数晩も帰らないこともあった。心配はしたけれど、こちらも忙しく、いちいち探しには行けないし、猫というのは外では呼んでもなかなか捕まらない。
 そんなでキジ姉妹も二晩、いや数日戻らず、こちらもやや心配し始めたところ、10月10日のこと。
 
 父を前日に介護施設に送り出してその日は終日一人でのんびりできる日であった。ブログ書いていたのか、二階でパソコンに向かっていたら、玄関に誰かが来て呼んでる女性の声がした。
 下に降りたら、左となりの家のおばさんが立っていて「ウチの車の下でケガしてる猫がいる。お宅の猫かどうか知らないが、車出せないので何とかしてくれ」と言う。
 慌てて隣に行って車の下を覗きこんだら、この春生まれた雌のキジ猫が鳴きながらそこにいて、捕まえようとすると興奮して怒っている。が、よく動けないようで逃げることなく確保できた。
 抱き上げて驚いた。仰向けにしたときの左側の脚が、大腿の付け根から切断されてなくなっている。断面からは骨も見えている。
 しかもその無くなった脚の側はほぼ半身皮が剥がれて皮膚が見えている。血は出ていないがこれは大怪我だとわかった。ともかく病院に連れていくしかない。

 鳴き叫ぶ子猫を小さな段ボールに入れて大慌てで車に乗せて東中神の動物病院に連れて行った。
 いつもならばウチのかかりつけは、拝島の個人でやってる動物病院なのだが、その日は定休日で連絡つかず、設備も医師も整っているそこしか思いつかなかった。しかし、今から思うとその病院に行かなければまず助からなかったと思う。キジ子にとってそれもまた僥倖であった。

キジ子、二か月で完治いたしました・続き2019年12月11日 08時19分25秒

★そこに神の愛が現れた

 そもそもの発端は、その10月10日であった。急患扱いで、そのケガした猫を診察してもらった。

 その日はいったん家に戻り、夕方もう一度出向いて医師とどうするか相談した。
 医師曰く、ケガは、今日のことではなく何日か前に起きたらしく少し傷口から腐敗も始まっている。手術して切断された脚を除去して縫合するしかない。が、かなり薄汚れて雑菌にも感染しているようだし、治ったとしても排尿障害が残るかもしれないしそもそも手術しても助かるかさえわからないと言われた。
 どうしますか?と。

 このままにすれば、自然治癒の前に失血と感染症、腐敗が進んで苦しんで死んでいく。安楽死させますか、今も貧血と低体温ですごく危険な状態だと。

 迷いはなかった。ともかくできるだけのことをしてくれと頼んだ。
 で、手術することとなり、明日見積もりが出るとのことで、翌日11日の午後、もう一度説明を受けて手術の承諾をした。見積額はその時点で20万円近くが提示された。明日土曜日午前に、手術します、ということになった。
 
 その晩から颱風19号が関東地方に襲来中で雨が降り続いていた。
 強く降り続く雨風の音を聴きながら、我は何を思ったのか、今は思い出せない。颱風よりもともかくキジ子のことで頭がいっぱいだった。

 翌朝土曜日、外はちょうど颱風通過中で、この日は夜までかなりの雨が降り続いた。
 病院からは担当医から手術の前に、輸血して臨むとの電話があったが、終わった連絡がなかなか来ない。やきもきして待つが午後になっても電話はなく、こちらも留守電にかけたりもしたが、やっと午後2時頃医師から電話があり、今、手術は無事に終わって縫合も済んだ、と知らせがあり一気に気が緩んだ。ほっと安堵した。

 翌日からほぼ毎日病院には面会に行った。下半身を包帯でぐるぐる巻きにされ点滴のチューブをつけられた子猫の姿は、亡き母のがん手術直後の姿を思い起こさせた。
 しかしそんな大手術の直後でも意識はあり、我が行けば名前に返事て鳴き返してくれて、これなら何とか助かるかと思えた。しかし日々の血液検査の結果は数値が悪くて、輸血したことで黄疸にもなって白血球に異常もあり、敗血症になるかもしれないとのことでまったく予断はゆるされない状態がそれから一週間は続いたかと記憶する。
 見舞いに行っても元気がなく、口からはほとんど何も食べられずこのまま食べられなければ鼻から栄養入れるしかないと言われて、かろうじて点滴と薬で命を繋いでいる小さな猫の姿は胸を締めつけられる思いがした。
 しかし、17日の日から、悪化していた数値も下げ止まって来て翌18日には、点滴のチューブもとれて状態は日々改善回復していった。傷も日々少しづつどんどん小さくなっていった。
 その間、10/19日は、かけこみ亭で、中川五郎御大をメインに迎えてコンサートもあって慌ただしかったわけだが、幸い猫は入院中で完全看護されていたので心配はなかった。
 
 そして、11月の5日、もう傷口もかなり縮小して元気になって来たので、入院から一か月待たずに退院となった。
 が、家に戻ってからがまた大変で、塗り薬とガーゼと包帯を持たされ、巻き方も説明を受けたのだが、一人では嫌がって暴れるキジ子を制止するのも一苦労であった。
 巻けたと思ってもすぐに包帯は外れて傷口剥き出しとなっていたりで、その都度消毒したりかなり気疲れさせられた。

 ウチは他の猫たちもたくさんいるし、猫ドア出入り自由だから帰って来たキジ子の居場所は、いろいろ考えたが、父の今使ってる寝室にした。
 そこなら鍵もかかるし父は施設に行って不在の時も多いので、猫砂入れたトイレも置いて、今もそこでキジ子は暮らしている。
 一人では淋しいので、犬のベルコが夜などは一緒に寝て障害者猫の傍らで世話してくれている。

 当初は下半身のはんぶんまで大きく広がっていた生身剥き出しの傷口は、この二か月で日々どんどん縮小してついに最後に残っていた詰め先ほどのカサブタも消えて完全に消えた。
 振り返ってその動物の自然治癒力と動物病院のその場その時毎の適切な対応のおかげだと感嘆するしかない。
 お金は、当初の想定額よりはるかに高くかかった。11月の終わりでそれまでの支払額を計算してもらった時点で50万円に近かったのだから、その後も診察ごとに支払いがあったから、おそらく総額では50万を越えていると思える。
 しかし、お金では買えないものを我は得たと今は思う。大ケガから奇跡的にも三本脚となった障害者猫の命は永らえたわけだが、この一件から大きな恵みと我自身救いを得た。多くの方々から暖かいご支援の声と資金も頂いた。

 猫に限らず、障碍をもって生きていくということについて、大きな示唆を得た。そのことについて後ほど一度きちん考えをまとめて記しておきたい。

死んだ方がマシ、殺した方が得策という欺瞞と誤り2019年12月14日 07時06分49秒

★生死を決めるのは神のみで、人はとことん生きる、生かすしかない。

 犬猫、動物のことに限らず、この世には、大きな障碍を持って生まれると、あるいは偶然的に障碍を持つ身になってしまうと、こんなんなら死んだ方がマシ、死なせた方が良いという意見、考えが昔からよく囁かれ当事者にまで届く。
 いや、誰の心にもそうした「声」は内心では流れている。ある意味、それは非常に説得力をもって迷い苦しみ悩む心に呼びかけてくる。
 「そんな身体では、生きていくのは大変だ。どれだけ苦労するかわからないし、周りにも大きな迷惑をかける。ならば(自らならば)死んだ方がマシだし(それが他者ならば)死なせた(殺した)方がその者のためになろう」と。
 しかしそれは決定的に間違っている。それは絶対的悪だと断言する。

 今回、まだ幼い子猫が事故に遭い、手術によって片足を付け根から切断するという「障害者」になって生還して今様々な思いに囚われている。
 先々のことを考えると不安や心配はいくらでもあるけれど、ともかく生きて元気になって今ここにいる、ということだけで、ああ良かった、殺さないで良かったとただつくづく思う。
 お金は正直、ウチの中古車なら3台買えるほどかかったけれど、今もいささかも悔いはない。自分の判断、選択に過ちがなかったことこそが我の誇りとしてこれからの人生を支えてくれると信じている。
 つまるところ我は 我の拙く乏しい「愛」を金で補充したのである。愛とは、自己愛などは別にして、愛する対象があってのことで、いかに愛せるか、相手に「愛」を示せるかだけが問われている。むろんまず自らにも。

 昨今、妊婦の出生前診断で、生まれてくる子に障害があると告げられ産むか堕胎するか悩み迷う両親もいよう。また、不慮の事故や病気などで大きな障害を受けて運命を呪い、絶望して自死を考えている人もいるかもしれない。
 その人たちにどうこうしろなんておこがましく何も言葉はないけれど、この世には死んだ方がマシ、死なせた方、つまり(自らも含めて)殺した方がマシという考えは絶対的に間違ってる我は確信している。

 大怪我した子猫を動物病院に運び込んだとき、医師から問われた。手術しても成功するかわからないし治っても障害が残るかもしれない。また、何より動物は保険がないからかなりの金額になる、と。
 お金のことでは日々支払いに頭を痛めているこの我だが、その予想金額を示されても迷いは一切なかった。ともかくできるこだけのことをしてやってくださいと頼んだ。そう、猫は他にもウチにはまだいっぱいいたけれど。

 新約聖書にはイエスが説く羊飼いの話がしばしば出て来る。百匹の羊を飼っている羊飼いでもそのうちの一匹がいなくなったら、他の99匹はさておいてまず、その行方不明になった一匹をけんめいに捜すだろう、と。それこそが善き羊飼いであると。
 また古来、窮鳥(きゅうちょう)懐(ふところ)に入(い)れば猟師(りょうし)も殺(ころ)さず、という諺も頭をよぎった。
 そう、どれほどお金がかかろうとも、ウチで産まれた我の子猫が、大ケガをして助けを求めて戻って来たのだ。それを何もせずに、助かったとしても障害者となって苦労するだろうから、お金がモッタイナイからと殺処分を医師にお願いしたらば、我はその遺骸を抱いたときどんな心持になっただろうか。
 たかが猫だけれど、この先一生その我が「殺した」という思いに苛まれまた鬱病に陥ったかと思う。

 何であれ、この世には不可抗力というものがある。いや、人生も含めてこの世に起こることはほとんどすべて不可抗力と偶然なのである。ある意味抗いがたい運命なのだ。
 ならばその「ときどき」、損得や生産性、利便性、先々の不便や苦労、様々な不安などに心は迷い苦しみ頭は悩まされるけれどもともかくまずは生きていく、(周囲は)活かしていくべきだと考える。

 折しも相模原の知的障害施設を襲撃して多くの知的障碍者の命を奪った事件の裁判が始まった。
 被告の彼は、そこで働くうちに障害者など生きている意味も資格もないと思うようになり、彼にとっては殺すのが「正義」だと、殺した方が彼らのためになると考えての犯行だと報じられている。
 もしそう考えているとしたら、それこそ大きな驕りであり絶対的誤りである。何故ならすべての者には存在する意味と意義があり、人が勝手にそれを変えてはならないと信ずるからだ。

 その意味でも素人による裁判員制度での裁判には絶対的に反対する。人が人を裁いてはならないし(死刑にして)殺してはならないのである。※その判決を下して、死刑が執行されたのを知り悩み苦しむ人も多くいるかと思う。裁判はきちんと研修を受け自ら志望した裁判官という法律のプロ、専門職に任せるべきことであろう。裁かれたくなければ裁くな!と聖書にははっきり記してある。

 確かにこの世、今の社会では生産性と利便性、つまりいかにその人が、そのこと、が「収益」を上げれるかだけが問題視されている。
 だからこそ先年、某自民党女性国会議員が、同性愛者は生産性がないから悪だと断じて大きな批判を受け社会問題化した。

 大事なことは「金」ではないのである。いかにそこに「愛」があるか、愛が働くかだけが問題であって、全てを優劣とか勝ち負け、生産性、収益の多寡で考えてしまえば、人は人でいられなくなる。
 みんな違ってみんないいとは言ったもので、我は、みんな違ってみんなダメだと考える人間だからこそ、そのダメさの中に「愛」をみつけて労り助け合い、共生していくことこそが真の人間社会の在り方ではないだろうか。
 経済成長や勝ち負けの先には真の幸福はない。何故ならそこに敗者が生まれて、勝者は彼のパンを奪うのだから。

 繰り返す。死んだ方がマシとか、殺した方がその者のためになるなんて考えは欺瞞に満ちた、その場と自らをごまかす浅く卑劣な考え方だと。
 いかに愛が示せるか、やさしくなれるか。愛と慈しみ、人は常にことにおいて問われているのである。

無頼クリスマス謝恩パーティ12/22日。どなたもお気軽に2019年12月19日 19時59分06秒

★慌ただしく年も過ぎ去っていく~多くの人に励まされ支えられて

 晩秋から年末は一年のうちで一番忙しい季節であるのは言うまでもないが、冬支度と新年を迎える準備に加えて、拙宅では恒例の『クリスマス謝恩ライブパーティ』を開催するので、今必死でその準備に追われている。
 毎年毎度のことながら、約20畳ほどの広いはずの拙宅二階の「無頼庵」のスペースも、一年間経つと本や雑誌、紙ゴミ類、レコード、CDでいっぱいとなり、またもや客人を呼べる場所がなくなってしまっている。
 毎年恒例の「行事」が予定されているのだから、そこに何も置かずに広いまま空けておけばよいわけだが、生きていくということは、ともかくモノが溜まっていくということであり、溜めないよう日々その場その時こまめに片づけて処分していけたらと思うものの、今は手のかかる老いた父や犬猫たちを抱え我一人で孤軍奮闘していると、とてもそんな時間的余裕はない。毎日その日を無事やりすごすだけで精いっぱいだ。

 気づけば商売柄、古本は日々溜まり増え続け、売れない本はその都度少しは処分したり山梨の倉庫へと運び出してはいるのだが、けっきょく片付けられない症候群でもある我は、どこもかしこもゴミ屋敷にしてしまう。
 だからといって、スペースがないから中止とすれば、またさらに二年越しでモノは増え続けてしまうわけで、とにもかくにもこの「クリスマスイベント」を開催して、人が来るからということで必死に大掃除も兼ねて片づけを進めないと事態はさらに「悪化」していくだけだ。

 というわけで開催日が迫って来て、今週からいよいよ本気で、当日を見据えてカウントダウンで必死で片づけを進めている。
 が、先の土曜夜は下北沢で、恭蔵&クロちゃんの追悼コンサートに誘われて出かけたり何かと忙しく、やっと今週月曜から笠間からまた友人であるウチの「社員」氏を招いて、二人で必死に溜まった本を階下に手渡しで下ろして何とか動線が作れたし、どこをどう片づけていけば良いか「道筋」も見えてきた。
 もう山梨へ車に乗せて持っていく時間はないので、1階裏側奥の、元父母たちが寝室として使っていた部屋に運び入れることにした。まだ父の電動ベッドが残っているが、そこしかスペースはなく、二人で二階から何度も階段を往復して古本、雑誌類をほぼ降ろして何とかスペースが見えてきた。

 が、まだ未整理の紙ゴミ類が大量に残っていて、それをそのまま箱詰めしてまた移動させてしまうと去年の二の舞で、使うものも含めて何がどこにあるかわからなくなる。それで今必死に、捨てる紙ゴミと、父や我の医療費の領収書とか分別している。
 今日は木曜、果たして明日一日でどこまで片づけられるか不安で胸もドキドキして来るが、「前夜祭」の土曜日は、盟友太田三造さんもお手伝いに来てくれるとのことだし、今現在、その土曜夜の来訪予定者は連絡皆無なので、本番当日は日曜、22日だと考えれば、若干時間的余裕もある。

 じっさい、去年までの23日の先の天皇誕生日が無くなってしまい、この年末は祝日が減ったことでクリスマス前はやたら慌ただしくなってしまった。
 これまで参加してくれた旧知の友人知人のミュージシャンに声かけても、今年は、21、22日は、クリスマスライブのイベントが重なって忙しくて顔出すのは 無理そうだという「返答」が返って来た。
 けっきょく現時点で、来られるとの返信メール頂いたのは、数名だけであり(一人+未定)、後は当日になってふらっと誰が来るかまったく未知数で何とも心もとない。
 といって、今さら中止したりもできないし、とりあえず例年通りのクリスマス料理はつくるつもりで、今日は丸鶏を買ってきた。これから塩水というか調味液に漬けて、味をつけて中に詰め物をいっぱい入れて薪ストーブで当日焼くのである。

 ともかく、我としては今年も多くのミュージシャン及び友人知人にお世話になり、何とか無事生き永らえ今年を無事に終えられそうであるわけで、その感謝の気持ちを何とか示したいと思う。
 当ブログの読者の方々も含めて、ぜひ未知の方でもお気軽にお越し頂けたら幸甚である。果たしてどこまで片づいてスペースが出来ているか正直、まだ何とも言えないが、精いっぱいの手作りのクリスマスディナーはお出ししたいと思っている。
 何か今年は、童話『泣いた赤鬼』のような気分でいるが、我にとってこのイベントを終えないことには今年は終わらないし新年も来ないわけで、一人でも多くの人に拙宅をあるがままお見せした上でできるだけの歓待いたしたいと思っている。

 まあ、誰が来ようと、あるいは誰も来なくても、太田さんとお手伝いの三留嬢を加えて、ディランの昔のビデオを見たりニューポートフォークフェスなど古いレコードをかけたり、三人でしみじみ歌ったり食べたりしてだらだら過ごしているだろう。

本日の「前夜祭」は、中止。明日22日は午後3時ごろから2019年12月21日 15時03分01秒

★連絡なしでも明日は、お気軽にお越しください。

 というわけで、拙宅無頼庵でのクリスマス謝恩ライブパーティ本番が明日となった。いま、お客を迎い入れる場所づくりしつつ、明日薪ストーブで焼く鶏の下味つけたり、提供する飲食用品の買い出しに行ったり、マス坊は、朝からまさに渾身の準備に専念している。じっさいあまりに疲れてめまいがしてきた。

 今回は、明日参加できない方のために、前日である今晩、「前夜祭」を安倍シンゾーに倣って「おもてなし」として企画していたのだが、正直言うと、まだ会場設営ができていないことと、今日来られるという連絡された方は一人もいなかったので、今3時の時点で、勝手ながら今晩の集いは「中止」とさせて頂きたい。
 むろん来られれば、何かお出ししたりそれなりの歓待いたすつもりでいたのだが、このところ準備のため働きづくめで睡眠不足も続いていて、体力気力とも限界気味である。咳も続いている。やはり二日続けてのイベントは無理だと今さらながら気がついた。
 お手伝いもお願いして盟友太田さんも今晩から来て頂く予定でいたが、そんなで明日早めに来てもらうことに連絡したので、今日は、頃合い見て早めに寝て明日に向けての体力回復に努めたい。

 というわけで、明日は午後3時頃には、万全の態勢でお待ちしているようにする(つもり)なので、どなたでもお気軽にお越しください。
 拙宅の場所がわからない方は、マスダの携帯に連絡を。090-8175-8479

鶏の丸焼き20192019年12月22日 22時45分36秒

★今年は失敗しました。

 というのは、あまりに慌ただしく時間がなくて、薪ストーブに火をつけることが出来なかったからだ。
 オーブンタイプの薪ストーブなので、薪をくべてからかなり何時間も燃焼させてストーブ本体が猛烈に熱くならないと焼けない。
 今年は、二階の場所づくりだけで大わらわで、階下の台所の片付けとストーブのほうまで気も手も回らなかった。もっと傍ら早くから薪をくべてストーブを稼働させなくてはならなかったのだ。

 薪ストーブが使えるように、調理お手伝いの三留さんは台所を片付けてくれたけれど、鶏が焼けるほどの時間がなくて、ストーブで焼くのは断念して電気オーブンレンジで初めて焼いてみた。
 いちおう、ざっと火は通り、鶏自体は焼けたことは焼けた。が、やはり芯のところの詰め物まで完全に熱も通らず、だいいちストーブで焼くようにじっくり鶏のエキスが中身に浸み込まなかった。ご覧のとおり焦げ目もつかないし。
 これは失敗である。

 若い時から失敗続きの我が人生だが、これまでできていたこと、やっともう失敗なく一定の出来で、できると思っていたことまでもこのところ様々なプレッシャーに潰されて失敗ばかりしている。まったく自分でも情けなく呆れてしまう。「うた」もそうだが、出来ると思っていたことが肝心な時に必ずできない。失敗ばかりしてしまう。
 が、これもまた歳をとるということなのか。我が父を見ていると、若い頃はあれほど何でも器用に修理からモノ作りまで、創意工夫の達人だった人が、今では自らスエットや靴の紐すら結べなくなるほど「衰え」てしまった。
 我もまた人の末路の道筋に早くも入って来たのであろうか。ここで踏ん張らないとさらに悪化していく。そう、来年こそ我が失態、失敗を少しでも減らしていきたい。
 あるいは「失敗」にもくよくよしない強い心の養成、平常心であろうか。

さらなる悔恨で終わった今年の謝恩ライブパーティ2019年12月23日 18時20分54秒

★何で毎年同じ愚を繰り返すのか!!!

 拙宅無頼庵での今年のクリスマス謝恩ライブパーティは昨日、お手伝いの方も含めて7名の来訪者で無事終了した。ともかく終えてやれやれである。
 個人的には、拙宅けんあんの恒例イベントが終わったのだから、ほっと一息つけるはずなのだが、毎度のことながら今回も来客が来られる寸前まで場所づくりの「片付け」に追われていて、それが押したためかんじんの調理にゆっくり時間割くことも、買物にも行けず、去年に増して後悔の念に今も囚われている。
 少なかったが旧知の、気心知れた人たちが来てくれて、ウチの「現状」、マスダの「性格破綻度」は、皆さんご存じかと思うが、それにしてもさらなる失態をお見せしてしまい何とも心苦しくただ恥じ入るばかりで今もいる。

 イベント自体は、慌ただしい年末の雨降る中、しみじみとしたうたと労りにあふれたとても良い集いとなった。来られた方々、また所用で今年の欠席をお知らせ頂いた方々に今ただただ感謝の気持ちでいる。ほんとに時間なくて予定したものもお出しできず今年は何一つできず心苦しい。

 いったい毎年どうしてこうなのか!!だ。何でなんだろうか。
 突然のことではないし、日時も決めて皆さんにお誘いの連絡もして当日本番が来る。なのに、その日、来客が来る時間になっても大慌てで汗かきながら必死に場所づくりに追われている。

 頭がおかしいのか。いったい何度こうしたことを繰り返すのか。せっかく、ともかく人が集える場所だけは年末に拵える。が、一年経つとまた元の木阿弥、古本やレコード、オーデイォ機材などモノで場所は埋まり、その移動のために人様の手を借りてまた一から場所づくりに追われる。とても我一人ではできないし間に合わないから毎度「義勇軍」が助けに来てくれる。そして何とか「空間」ができて当日、本番となる。

 クリスマスイベントに限らない。何であれ、我がウチで企画してお客を招くイベントの都度、当日が近づくにつれ大騒動の片付けが始まる。
 そうして人の手を借りて、せっかく何とか綺麗に片づけても一年経つと、いや、少し時間が経過するとまた必ずモノでいっぱいにウチの中はどこもかしこもなってしまう。今も家の内外共にゴミ屋敷状態だ。

 こうした愚は、ギリシア神話にもあった豚小屋だか牛舎の掃除のようなもので、動物は排泄し続けるから永久に終わらない。同様にまた何度も繰り返すのならばもう最初からそれを企画するべきではないのではないか。我が企画することで、お客様は喜ばれたとしても会場設営や調理手伝いなどで何人もの方の手を煩わせ疲れさせ困らせる。

 どうして毎年こうなんだ、と自らに怒り呆れ果て、しかし、今のままではまたたぶんまた同じ愚を繰り返す。真に性格破綻しているか、生活無能力なのである。
 そう、何であれきちんとしたことは唄でもギターでも、まして実生活、仕事であろうと我は何一つできないのだ。暗澹たる気分には今さらならないが、そんな人間がエラソーに他人様にあれこれ何か意見したり、イベントの企画したりして、ホント身の程知らずだと今にして赤面している。

 むろん改めるべく努力は続けていく。人は変わると、変えられると信じたいし、いつかは学習もするはずだと思う。
 が、今の気分は、ただただ強い自己嫌悪と自己否定に囚われて自らの生きている価値と意味すら疑うところだ。他人様に迷惑しかかけられないのならば、本来何もすべきではないし、まして存在意義すら怪しいではないか。

 ならば、来年は中止にしようと「桜の会」に倣って告知発表しようと考えもしたが、ともかくその一か月前までにお客を迎い入れる体制だけはつくっておくことにして、その時点でまた片付けの愚を繰り返しそうならば「中止」にすれば良いと考えた。
 お誘いの告知などはその時点、つまり11月末で良いのではないか。つまりまたどこもかしこもモノが一杯で片づけできていない「ゴミ屋敷」状態で12月を迎えることになれば、もう人をお招きするイベントは企画しない。いや、企画すべきでないのが、人としての道理であろう。これ以上誰かの助力を仰ぐのは我の愚かさとしても人の道に反する。

 そのためにも日々何事もきちんと毅然と対処していく。これ以上モノは増やさないし、そのままにしない、忘れず後回しにせず必ず即処理していく。
 そう、これ以上ネグレクトせず、何よりもまず自ら生活と人生を愛して慈しんでいこう。自らを愛すことのできない人間は、他者を愛することができるはずかない。
 欲望だけが肥大してモノで自らを愛すのではなく、まず行いで自らを愛していく。できることはそれだけ。まず今できることからやっていこう。

拙ブログ、しばらくお休みします2019年12月26日 04時45分03秒

★年末の多忙と体調不良のため拙ブログ、しばらくお休みします。

 皆さま、良いお年を!お元気で。誰にも神のご加護がありますように。