反対デモやシュプレヒコールも「テロ」として取り締まるのか。 ― 2013年12月01日 09時23分46秒
★秘密保護法のある時代の「本音」が出た。
現在のアクセスランキング: 255位
またも自民・石破幹事長が恐ろしい暴言を吐いた。この男、形相が怖いからか意識して?できるだけやんわりと丁寧にゆっくりと語るのを身上としている。が、慇懃無礼とはこのことで、その丁寧な語り口の内容はまさに背向けが寒くなるようなぞっとする非常識極まるものばかりだ。
先だってはテレビ番組で、国防軍の兵士が「出動命令に従わなければ軍法会議で、死刑、もしくは無期懲役、場合によっては懲役300年」という超絶的暴言があったことも記憶に新しい。今回は、国会をとりまく「秘密保護法」反対の抗議デモのシュプレヒコールの大きさに頭に来たからか、そうした行為は「テロ行為」と変わらないと自らのブログでのたまわった。
《今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。》
.
彼の言うことに一理はある。が、政治が暴走したときに、民主主義に従って新たな選挙でその政権を倒すまで国民はただじっと無言で静かに見守っていれば良いわけではないだろう。その法案や政策に異論や異議があるならば民衆は抗議デモという形をとって反対だ!と「声を上げること」は世界中どこの国でもやっている。それは権利である。それを許さず鎮圧に軍隊が出てきて死者が出るような国もあるが、そこは非民主的な軍政、もしくはまだ発展途上国のような遅れた国であり、西欧諸国だって年中抗議のデモはどこでも行われている。それを「テロ行為」だなどと批判する指導者などきいたことがない。
また、彼の発言には大きな欺瞞がある。この抗議デモは、彼ら政権担当者たちに向けて発信されているものであり、「多くの人々の静穏を妨げ」ているわけではない。これが右翼の街宣車のように街中を大音量で走るものならば彼の発言も肯けなくもないが、国会に向けての抗議活動なのだ。自分たちがうるさいからそれを「その本質においてテロ行為とあまり変わらない」と言い切る心根が異常であろう。
しかも彼はこの件が報道されても撤回も謝罪もせず相変わらずあの陰気な顔でたんたんとひたすらまだ持論を繰り返している。ということは麻生太郎的「失言」ではなく、まさに彼の心からの本音、持論なのであろう。ならば、こうした「絶叫戦術」も「テロ行為」だと考えるならば彼の頭の中では取り締まることも当然考えているはずだ。「テロと変わらない」、のならば解釈上これもまた「テロ」なのである。取り締まらないと大変だ。
秘密保護法には、何が秘密かはともかくも、「秘密」を取得すること、つまり探知、収集と、その秘密を知ろうと共謀、教唆、扇動もまた犯罪とされている。たとえば、政権の大きなスキャンダルが出たとする。が、事件は海外メディアから漏れたものだから真相は不明、政府は「秘密」だとする。怒った国民は、その秘密を白日の下にさらせ、と国会や首相官邸を取り巻く抗議デモを行う。が、石破氏的に考えれば、そのデモ集団は秘密保護法にふれるとして逮捕となる。何故なら、秘密を知ろうとしてデモに行こうと話し合いが共謀、デモ自体が扇動に相当する。これは解釈だが、石破氏ら政権、権力側がこうした抗議デモや集会を「テロ行為」と考えるならばどのようにでも犯罪として国民を逮捕できるのである。
そんなとてつもなく怖ろしい法律が、とてつもなく怖ろしいこの石破たちによって、今、今国会で拙速に、ろくに審議されることなく成立間近なのである。ならば、彼らの鼓膜が破れるほどに声を上げて国民の大多数はこの法案に反対していることを彼らに知らしめようではないか。
現在のアクセスランキング: 255位
またも自民・石破幹事長が恐ろしい暴言を吐いた。この男、形相が怖いからか意識して?できるだけやんわりと丁寧にゆっくりと語るのを身上としている。が、慇懃無礼とはこのことで、その丁寧な語り口の内容はまさに背向けが寒くなるようなぞっとする非常識極まるものばかりだ。
先だってはテレビ番組で、国防軍の兵士が「出動命令に従わなければ軍法会議で、死刑、もしくは無期懲役、場合によっては懲役300年」という超絶的暴言があったことも記憶に新しい。今回は、国会をとりまく「秘密保護法」反対の抗議デモのシュプレヒコールの大きさに頭に来たからか、そうした行為は「テロ行為」と変わらないと自らのブログでのたまわった。
《今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。》
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彼の言うことに一理はある。が、政治が暴走したときに、民主主義に従って新たな選挙でその政権を倒すまで国民はただじっと無言で静かに見守っていれば良いわけではないだろう。その法案や政策に異論や異議があるならば民衆は抗議デモという形をとって反対だ!と「声を上げること」は世界中どこの国でもやっている。それは権利である。それを許さず鎮圧に軍隊が出てきて死者が出るような国もあるが、そこは非民主的な軍政、もしくはまだ発展途上国のような遅れた国であり、西欧諸国だって年中抗議のデモはどこでも行われている。それを「テロ行為」だなどと批判する指導者などきいたことがない。
また、彼の発言には大きな欺瞞がある。この抗議デモは、彼ら政権担当者たちに向けて発信されているものであり、「多くの人々の静穏を妨げ」ているわけではない。これが右翼の街宣車のように街中を大音量で走るものならば彼の発言も肯けなくもないが、国会に向けての抗議活動なのだ。自分たちがうるさいからそれを「その本質においてテロ行為とあまり変わらない」と言い切る心根が異常であろう。
しかも彼はこの件が報道されても撤回も謝罪もせず相変わらずあの陰気な顔でたんたんとひたすらまだ持論を繰り返している。ということは麻生太郎的「失言」ではなく、まさに彼の心からの本音、持論なのであろう。ならば、こうした「絶叫戦術」も「テロ行為」だと考えるならば彼の頭の中では取り締まることも当然考えているはずだ。「テロと変わらない」、のならば解釈上これもまた「テロ」なのである。取り締まらないと大変だ。
秘密保護法には、何が秘密かはともかくも、「秘密」を取得すること、つまり探知、収集と、その秘密を知ろうと共謀、教唆、扇動もまた犯罪とされている。たとえば、政権の大きなスキャンダルが出たとする。が、事件は海外メディアから漏れたものだから真相は不明、政府は「秘密」だとする。怒った国民は、その秘密を白日の下にさらせ、と国会や首相官邸を取り巻く抗議デモを行う。が、石破氏的に考えれば、そのデモ集団は秘密保護法にふれるとして逮捕となる。何故なら、秘密を知ろうとしてデモに行こうと話し合いが共謀、デモ自体が扇動に相当する。これは解釈だが、石破氏ら政権、権力側がこうした抗議デモや集会を「テロ行為」と考えるならばどのようにでも犯罪として国民を逮捕できるのである。
そんなとてつもなく怖ろしい法律が、とてつもなく怖ろしいこの石破たちによって、今、今国会で拙速に、ろくに審議されることなく成立間近なのである。ならば、彼らの鼓膜が破れるほどに声を上げて国民の大多数はこの法案に反対していることを彼らに知らしめようではないか。
秘密保護法廃案へ思いを一つに ― 2013年12月01日 23時16分34秒
近況とこれからのこと等、23日のお知らせも。 ― 2013年12月02日 16時42分22秒
★年内残すは、無頼庵恒例クリスマス忘年ライブ12/23. アクセスランキング:285位
映画塾は無事今回も大盛況のうちに終わった。三留まゆみ当人も入れると20人もの人員を収容し応対することに慣れては来たが、相変わらず会場設営にもたついてスペース確保、つまり「片づけ」に追われて前の晩はほとんど眠れなかった。提供する料理も人数の予定が立たないこともあってもたつき、慌てて皿を割ったり失態続きであった。オレは本当にダメだ。
件のパソコン修理後の再設定のためのリカバリーキットがみつからないのである。で、そのために紙ゴミ類を移動させて探し回っていたらみつからないまま当日が来てしまったというわけだ。もたもたしていたら来客が来てしまい、散乱した「会場」を皆に知らしめた。大慌てで皆さんに手伝ってもらい「移動」させたものの、もうオレにはイベントする資格はないと深く苦い思いを噛みしめた。
毎度の映画塾に関してはもはや何も言うことも問題もない。自分はただ裏方に徹して、場所と料理や飲み物だけを提供すれば良いのである意味楽なのである。が、今回もだが、イベントの間が空くとすぐにモノは溜まりそれの処理に追われる羽目になる。実は何度でもそれを繰り返している。以前も友人から篤く忠告されたが、そこ(無頼庵)に私物を置かなければ良いだけの話なのだ。が、古本稼業という商売柄、つい雑本や紙ゴミなどが溜まりその整理と処分、分別のためにも場所が必要となる。で、気がつくと毎度ただ移動を繰り返している。じっさいの当日のイベントよりも実はその前段階でいつもくたびれ果てている。バカというか愚かだなあとつくづく思う。
そんな人生を変えたい、新たにやり直したいと切に願う。
その映画塾も昨日が10回目で、残すはあと2回となった。当初から一年間という予定で始めて、今年の2月からだったから、本当は来年1月が最終回のはずだが、11月は諸般の事情で休止の月だったので、ひと月延びて2月までとなった。
さすがにもう一年近く続けたので、参加者はほぼレギュラー化し、その中で主宰の三留まゆみを中心にコミュニティのようなものが生まれている。それはフェイスブック内で、参加者自身が活発にやりとりもあるし、これをきっかけに友人、知人へと輪が広がった。また、参加者がまた新たに別な場所で、映画に関するイベントを企画したりとこの場所から、ここを離れて動きが広がってきている。
ならば一定の役割はもう終えたという満足感も今はある。個人的思惑や感想はまた別にあるが、そのこととこの企画の盛況、成功とはまた次元が違うことだからどうでも良い。まあ、ともかく場があれば、人は集いそしてそこで出会いが生まれまた新たな活動や運動へと続いていく。その一助となれたならたとえこちら側にどんな苦労があったとしてもそれはすべき価値があろう。
こうしたことをやって得たものも学んだことも多々ある。一番のそれは自分という人間についての認識であり、また学生時代から長く付き合い何でも知った気でいた三留という人間について新たな発見でもあった。それと自宅でこうしたことを続けることの様々な問題点も見えてきた。それについてはまたきちんと稿を改め書きたいが、いわば商売と商売でないことをどう気持ちを割り切り折り合えるかであった。気持ちも現実的対応も含めてそこに大きな課題があり、今もまだ思案と対応について苦慮している。
で、年内最後のイベント企画は、今年もまたクリスマス前、12月23日に催す「無頼庵年末恒例・クリスマス謝恩ライブパーティ」だ。今年は毎度の「音楽」のみならず、詩朗読、そしてこの「映画塾」のほうからも出演も含めて参加者があると期待している。ミュージシャンも既に多数参加が確定している。
今年は実に大変な、この国の歴史にとって大きな節目となるような年となった!?かもしれないが、23日は嫌なことは全部忘れて新しい年に期待を高めて皆で慰労しあい来年への鋭気を養い奮起の場としたい。また個人的に拙ブログ読者の方々へも含めて今年一年お世話になったことへの「多大な感謝」を表す場である。
何はともあれ、今年も一年、無事に乗り切れたことを心から感謝したい。いや、まだ一か月残りはあるが、この我が身も死なずにまた一年が終えられるのならばそれだけで有難いことではないか。ですので、当日は、「出演者」は無料として、一般参加者は千円のみでいつもより沢山の料理と飲み物を用意してお待ちしている。また今年も鶏を丸ごと薪ストーブで焼く。ぜひどなたでも年末のお忙しい時節ではあるけれど、お気軽にご参加ください。ぱあっといきましょう、ぱあっと。
※三留まゆみ映画塾、来年1月は19日日曜の予定です。
映画塾は無事今回も大盛況のうちに終わった。三留まゆみ当人も入れると20人もの人員を収容し応対することに慣れては来たが、相変わらず会場設営にもたついてスペース確保、つまり「片づけ」に追われて前の晩はほとんど眠れなかった。提供する料理も人数の予定が立たないこともあってもたつき、慌てて皿を割ったり失態続きであった。オレは本当にダメだ。
件のパソコン修理後の再設定のためのリカバリーキットがみつからないのである。で、そのために紙ゴミ類を移動させて探し回っていたらみつからないまま当日が来てしまったというわけだ。もたもたしていたら来客が来てしまい、散乱した「会場」を皆に知らしめた。大慌てで皆さんに手伝ってもらい「移動」させたものの、もうオレにはイベントする資格はないと深く苦い思いを噛みしめた。
毎度の映画塾に関してはもはや何も言うことも問題もない。自分はただ裏方に徹して、場所と料理や飲み物だけを提供すれば良いのである意味楽なのである。が、今回もだが、イベントの間が空くとすぐにモノは溜まりそれの処理に追われる羽目になる。実は何度でもそれを繰り返している。以前も友人から篤く忠告されたが、そこ(無頼庵)に私物を置かなければ良いだけの話なのだ。が、古本稼業という商売柄、つい雑本や紙ゴミなどが溜まりその整理と処分、分別のためにも場所が必要となる。で、気がつくと毎度ただ移動を繰り返している。じっさいの当日のイベントよりも実はその前段階でいつもくたびれ果てている。バカというか愚かだなあとつくづく思う。
そんな人生を変えたい、新たにやり直したいと切に願う。
その映画塾も昨日が10回目で、残すはあと2回となった。当初から一年間という予定で始めて、今年の2月からだったから、本当は来年1月が最終回のはずだが、11月は諸般の事情で休止の月だったので、ひと月延びて2月までとなった。
さすがにもう一年近く続けたので、参加者はほぼレギュラー化し、その中で主宰の三留まゆみを中心にコミュニティのようなものが生まれている。それはフェイスブック内で、参加者自身が活発にやりとりもあるし、これをきっかけに友人、知人へと輪が広がった。また、参加者がまた新たに別な場所で、映画に関するイベントを企画したりとこの場所から、ここを離れて動きが広がってきている。
ならば一定の役割はもう終えたという満足感も今はある。個人的思惑や感想はまた別にあるが、そのこととこの企画の盛況、成功とはまた次元が違うことだからどうでも良い。まあ、ともかく場があれば、人は集いそしてそこで出会いが生まれまた新たな活動や運動へと続いていく。その一助となれたならたとえこちら側にどんな苦労があったとしてもそれはすべき価値があろう。
こうしたことをやって得たものも学んだことも多々ある。一番のそれは自分という人間についての認識であり、また学生時代から長く付き合い何でも知った気でいた三留という人間について新たな発見でもあった。それと自宅でこうしたことを続けることの様々な問題点も見えてきた。それについてはまたきちんと稿を改め書きたいが、いわば商売と商売でないことをどう気持ちを割り切り折り合えるかであった。気持ちも現実的対応も含めてそこに大きな課題があり、今もまだ思案と対応について苦慮している。
で、年内最後のイベント企画は、今年もまたクリスマス前、12月23日に催す「無頼庵年末恒例・クリスマス謝恩ライブパーティ」だ。今年は毎度の「音楽」のみならず、詩朗読、そしてこの「映画塾」のほうからも出演も含めて参加者があると期待している。ミュージシャンも既に多数参加が確定している。
今年は実に大変な、この国の歴史にとって大きな節目となるような年となった!?かもしれないが、23日は嫌なことは全部忘れて新しい年に期待を高めて皆で慰労しあい来年への鋭気を養い奮起の場としたい。また個人的に拙ブログ読者の方々へも含めて今年一年お世話になったことへの「多大な感謝」を表す場である。
何はともあれ、今年も一年、無事に乗り切れたことを心から感謝したい。いや、まだ一か月残りはあるが、この我が身も死なずにまた一年が終えられるのならばそれだけで有難いことではないか。ですので、当日は、「出演者」は無料として、一般参加者は千円のみでいつもより沢山の料理と飲み物を用意してお待ちしている。また今年も鶏を丸ごと薪ストーブで焼く。ぜひどなたでも年末のお忙しい時節ではあるけれど、お気軽にご参加ください。ぱあっといきましょう、ぱあっと。
※三留まゆみ映画塾、来年1月は19日日曜の予定です。
この秘密法案こそがテロ、民主主義に対するクーデター ― 2013年12月03日 22時46分49秒
★戦後民主主義最大の危機 アクセスランキング: 236位
政府与党がしゃにむに、何が何でも今国会で成立をはかる特定秘密保護法に対して日毎に反対、廃案を求める声が各界から高まっている。坂本龍一ら芸術、音楽家たちだけでなく、ノーベル賞受賞者も含めた学者たちもが一斉に立ち上がった。また国内だけでなく国連の人権高等弁務官さえも「『秘密』の定義が十分明確ではなく、政府が不都合な情報を秘密扱いとする可能性がある」と懸念を表明している。
何もこの法律は大慌てで今日明日中に成立せねばならない緊急性は全くどこにもない。今や国民の大多数がこの法案に疑念と不安を抱いている。法案の必要性を説く人でさえもあまりに拙速だと指摘している。
日増しに反対の声は大きくなっているのだから、常識的に考えればまずはいったん廃案、もしくはせめて継続審議として、もっと時間をかけて丁寧に、多くの人たちが納得、同意でき安心するよう細部をつめていけば良いと考えるのが民主主義のイロハだと思えるが自公の政治家には通用しないようだ。
要するに数の力でごり押しして、ともかく今のうち、安倍政権がやるべきこと、懸案としていたことは支持率と好景気間のある今まさに、やるなら「今でしょ」と暴走に加速が増しているのである。
ともかく法律だけ作ってしまえば後からどうにも解釈も修正もできる。第三者機関の設置も含めて曖昧にしておいたほうがかえって都合が良い。まずは成立ありき、で、アリバイ工作的に公聴会やら日程を勝手に組んでこのまま会期末までつっ走るつもりのようだ。
しかしこうした稀代の悪法を政権与党だけで数の力で大急ぎで成立させたとしてもそれこそがテロ行為のようなもので、国民の民意とはかけ離れているのだからこんな戦後民主主義を否定する「クーデター」のような法律を押し付けても国民は従わない。安倍自公政権にとってこの法律を成立強行したことこそが、彼らの「終わりの始まり」であり、国民の支持をここから失っていく。21世紀の今、インターネットの時代、情報公開は世界の流れであり、戦前のような国家主義と秘密警察による弾圧ではその流れは抑えつけることはできない。旧い日本をもう一度、と夢見るやつらはこれで次は改憲、教科書検定、そして徴兵と海外での戦闘、戦争へと青写真を描いているがそれは不可能だ。こうした盲動を企む自公政権にはもう誰も騙されやしない。
それにしても・・・この悪法について、口を噤んだ人、見て見ぬふり、知らぬふりをした人、報道しなかったマスコミよ、自分とは関係のないと今も思っている人たちよ、表現の自由と報道の自由について、そして何よりも「正義」ということについて今一度考えもらいたい。少なくても数の力で異論、反対論、不安や懸念がこれだけある法案を何がなんでも強行しようとしている奴らに「正義」はあるのか。彼らが秘密として守ろうとしているのはこの日本、国家ではなく、彼らが再び手にした「権力と権益」だけなのである。
政府与党がしゃにむに、何が何でも今国会で成立をはかる特定秘密保護法に対して日毎に反対、廃案を求める声が各界から高まっている。坂本龍一ら芸術、音楽家たちだけでなく、ノーベル賞受賞者も含めた学者たちもが一斉に立ち上がった。また国内だけでなく国連の人権高等弁務官さえも「『秘密』の定義が十分明確ではなく、政府が不都合な情報を秘密扱いとする可能性がある」と懸念を表明している。
何もこの法律は大慌てで今日明日中に成立せねばならない緊急性は全くどこにもない。今や国民の大多数がこの法案に疑念と不安を抱いている。法案の必要性を説く人でさえもあまりに拙速だと指摘している。
日増しに反対の声は大きくなっているのだから、常識的に考えればまずはいったん廃案、もしくはせめて継続審議として、もっと時間をかけて丁寧に、多くの人たちが納得、同意でき安心するよう細部をつめていけば良いと考えるのが民主主義のイロハだと思えるが自公の政治家には通用しないようだ。
要するに数の力でごり押しして、ともかく今のうち、安倍政権がやるべきこと、懸案としていたことは支持率と好景気間のある今まさに、やるなら「今でしょ」と暴走に加速が増しているのである。
ともかく法律だけ作ってしまえば後からどうにも解釈も修正もできる。第三者機関の設置も含めて曖昧にしておいたほうがかえって都合が良い。まずは成立ありき、で、アリバイ工作的に公聴会やら日程を勝手に組んでこのまま会期末までつっ走るつもりのようだ。
しかしこうした稀代の悪法を政権与党だけで数の力で大急ぎで成立させたとしてもそれこそがテロ行為のようなもので、国民の民意とはかけ離れているのだからこんな戦後民主主義を否定する「クーデター」のような法律を押し付けても国民は従わない。安倍自公政権にとってこの法律を成立強行したことこそが、彼らの「終わりの始まり」であり、国民の支持をここから失っていく。21世紀の今、インターネットの時代、情報公開は世界の流れであり、戦前のような国家主義と秘密警察による弾圧ではその流れは抑えつけることはできない。旧い日本をもう一度、と夢見るやつらはこれで次は改憲、教科書検定、そして徴兵と海外での戦闘、戦争へと青写真を描いているがそれは不可能だ。こうした盲動を企む自公政権にはもう誰も騙されやしない。
それにしても・・・この悪法について、口を噤んだ人、見て見ぬふり、知らぬふりをした人、報道しなかったマスコミよ、自分とは関係のないと今も思っている人たちよ、表現の自由と報道の自由について、そして何よりも「正義」ということについて今一度考えもらいたい。少なくても数の力で異論、反対論、不安や懸念がこれだけある法案を何がなんでも強行しようとしている奴らに「正義」はあるのか。彼らが秘密として守ろうとしているのはこの日本、国家ではなく、彼らが再び手にした「権力と権益」だけなのである。
無関心と無関係こそが・・・ ― 2013年12月04日 22時21分28秒
★いつか貴方も当事者に 現在のアクセスランキング: 200位
このブログも含めてブログなるものを書き始めてかなりの歳月がたつ。基本的に日々の日課のごとくほぼ毎日思い考えたことなどを書き綴っている。そしてたぶん多少の読者もいてくれると信ずる。ごくたまに覗いてくれている方もいれば毎日リアルタイムで読んで下さる方もいるそうだ。有難いことだと思う。こんな無名の一個人のブログである。
以前の別会社のブログでは読み手の数、つまり各記事ごとどれだけアクセスがあったかは表示されなかった。だから反応というか、「人気」は皆目不明であった。今のこの朝日ネットが提供しているブログサービス・アサブロでは、その記事ごとに?あるいは一日ごとの?アクセス数がカウントされているようで、記事を書こうとこちらがシステムにアクセスすると「現在のアクセスランキング:○○位↓↑」と上がったか下がったか矢印と共に順位が知らされる。その順位さえも載せるようにしたのはわりと最近のことだ。
自分としては人気ランキングに加盟しているわけでもないし、別に順位が上がることを目的に書いているわけでもないので、基本どーでも良いことだと思っている。が、正直に告白すれば、ある程度真剣に力入れて書いて自らも満足のいくものが書けた回にコメントなどの反響はなくても、順位が高いと当然嬉しい。つまりそれだけ多くの人に読まれたと思われるわけで、書きがいがあった気持ちになれる。逆に、反対に順位が下がっていたらやはりやや失望もする。しかしだからといって一喜一憂はしないし、そんなことに囚われず常に自分がまず一番目の読者だと考えてそれなりにマジメに書いている。
前置きが長くなったが、このところその順位が下がってきている。一時は常に100位内、一番高かったときは50位内まで上がったときもあったが、基本的には100~150位内が自分の定位置だと認していた。が、最近は常に200位台で100位台にだって久しく入っていない。つまり読まれていない、アクセスする方が減ったのであろう。
理由はいくつもあるかと思う。まずどうでもいい「私ごと」ばかり書けば人は関心を失っていく。それもあったかと自問する。しかしそれとは別に思いあたるのはこのところ政治のこと、特に今国会で審議中の「特定秘密保護法」についてほぼ連日書き続けているからで、このブログの少ない読み手の方はそれにうんざりしてアクセスしなくなったのかもと推測している。
以前から、原発の問題なども含めて政治ネタを書くとランキングは下がったり、友人からは批判や異論が寄せられた。つまりそうした「意見広告」的記事内容は思想的に相容れない方には不満があろうしそもそも読もうとされない傾向があった。そして今、自分もしゃかりきになってこの稀代の悪法について廃案を求めつつ日々批判的に書き続けている。
自分としては読み手が減ってきていくら書いても読まれないなら無駄ではないかという気持ちにもなるときもあるが、今ここで書かないと、口をつぐみ、目を、耳を塞いでいると将来、いや、生涯悔やむこととなると思いあえてランキングなど無視して書き続けている。まあ、その記事を読むのは同朋、つまりこちら側の、わかっている方ばかりだとも思う。それでも一切何も報じず、なかったかのようにふるまうことは絶対にすべきでないと信ずる。だからオレは反対したんだぞ、あれだけ言ったのに誰も耳を貸さなかった、と後でほざくためのアリバイ工作かもしれないけれど。まあ、そのときはオレは逮捕理由も「秘密」のうちに逮捕されていることだろうが。
今、先の石破幹事長の「デモもテロと同じ」発言以降、この法案に反対する国民世論は急速に高まり、関心も大きくはなっているが、結局のところ、おそらく多くの一般国民にとってはこんな法律は自分とはカンケイのない、関心外のことなのであろう。特に若い人にとっては。
秘密保護の対象とされる国家公務員でも自衛隊関係でもない者は、この法律ができたとして罰則もカンケイないし、もし秘密をもらしたとしても逮捕されることなどないと考えているのだろう。いや、そもそも「関心外」というのが正しいか。
人は、特に今の人は、何かと関わることを極端に恐れる。人間関係もそうだし、特に政治的問題こそ真剣に関わることはかっこ悪いしメンドーだという傾向が強い。ボランティアのような、自らの一方的な善意ならば関われても、責任さえ問われてしまうようなこと、発言や行動には常に一歩引いて、願わくば関わろうとはしないし、ならばこそ関心を持とうとしない。
しかしこの法律ができてしまえば、偶然知りえた国家的「秘密」だとしても「未必の故意」として、処罰の対象に民間人でさえもなるとされている。それは何故担当にされているか当人もよく理解できていない森少子化担当大臣がしかと審議の中で述べている。しかもこの法律は、いったい何を「秘密」とするのか、それをチェックする機関も未だ何一つ決まっていないのである。安倍首相は施行までにそうした第三者「的」機関を作ると今日答弁していたが、どうして中身がいっさい決まっていないのに入れ物(法律)だけ作ろうとするのだろうか。まずそのことがおかしいし理解に苦しむ。細部を全部詰めてから「法案」を出すのが政道の常識なのに、細部はあいまい、何一つはっきりさせず法律ができてから何とかする、というのだから呆れ果てる。今や国民の半数以上が反対し自民支持層からも疑念や危惧を持たれ、早期成立には慎重意見が多いのにともかく何が何でも明後日には強行採決、成立させると意気込む自公与党には心底怒りが止まらない。
しかしそれと同様に、自分とは関係のないことと、無関心を決め込む人たちにも怒りを覚える。マス坊とは思想的に正反対で相容れない保守派の論客・ゴーマニズムの小林よしのり氏さえもこう語っている。※朝日新聞デジタル版(異議あり 特定秘密保護法案)秘密に触れれば、わしも逮捕? より抜粋↓
「保守だから賛成」なんて言ってる場合じゃない。
社会問題を発言するわしにとって情報は命綱だ。イラク戦争では、大量破壊兵器がないと確信し、反対した。情報を得るために官僚に接触することもある。その時、特定秘密に触れれば、わしも逮捕されるんですか。言論人やジャーナリストが萎縮して、権力のウソを暴けなくなれば民主主義は成り立ちませんよ。
わしは国民も信じられない。国家の行く末を自分で判断するつもりなら、正しい情報が必要だ。なのに「一市民には関係ない」という政府の言い分を多くが信じている。
戦前の治安維持法は共産主義運動の規制が目的だったのに、無関係の人間が捕まって拷問を受けた。「戦前みたいにはならない」。みんな、タカをくくっていないか。
このブログも含めてブログなるものを書き始めてかなりの歳月がたつ。基本的に日々の日課のごとくほぼ毎日思い考えたことなどを書き綴っている。そしてたぶん多少の読者もいてくれると信ずる。ごくたまに覗いてくれている方もいれば毎日リアルタイムで読んで下さる方もいるそうだ。有難いことだと思う。こんな無名の一個人のブログである。
以前の別会社のブログでは読み手の数、つまり各記事ごとどれだけアクセスがあったかは表示されなかった。だから反応というか、「人気」は皆目不明であった。今のこの朝日ネットが提供しているブログサービス・アサブロでは、その記事ごとに?あるいは一日ごとの?アクセス数がカウントされているようで、記事を書こうとこちらがシステムにアクセスすると「現在のアクセスランキング:○○位↓↑」と上がったか下がったか矢印と共に順位が知らされる。その順位さえも載せるようにしたのはわりと最近のことだ。
自分としては人気ランキングに加盟しているわけでもないし、別に順位が上がることを目的に書いているわけでもないので、基本どーでも良いことだと思っている。が、正直に告白すれば、ある程度真剣に力入れて書いて自らも満足のいくものが書けた回にコメントなどの反響はなくても、順位が高いと当然嬉しい。つまりそれだけ多くの人に読まれたと思われるわけで、書きがいがあった気持ちになれる。逆に、反対に順位が下がっていたらやはりやや失望もする。しかしだからといって一喜一憂はしないし、そんなことに囚われず常に自分がまず一番目の読者だと考えてそれなりにマジメに書いている。
前置きが長くなったが、このところその順位が下がってきている。一時は常に100位内、一番高かったときは50位内まで上がったときもあったが、基本的には100~150位内が自分の定位置だと認していた。が、最近は常に200位台で100位台にだって久しく入っていない。つまり読まれていない、アクセスする方が減ったのであろう。
理由はいくつもあるかと思う。まずどうでもいい「私ごと」ばかり書けば人は関心を失っていく。それもあったかと自問する。しかしそれとは別に思いあたるのはこのところ政治のこと、特に今国会で審議中の「特定秘密保護法」についてほぼ連日書き続けているからで、このブログの少ない読み手の方はそれにうんざりしてアクセスしなくなったのかもと推測している。
以前から、原発の問題なども含めて政治ネタを書くとランキングは下がったり、友人からは批判や異論が寄せられた。つまりそうした「意見広告」的記事内容は思想的に相容れない方には不満があろうしそもそも読もうとされない傾向があった。そして今、自分もしゃかりきになってこの稀代の悪法について廃案を求めつつ日々批判的に書き続けている。
自分としては読み手が減ってきていくら書いても読まれないなら無駄ではないかという気持ちにもなるときもあるが、今ここで書かないと、口をつぐみ、目を、耳を塞いでいると将来、いや、生涯悔やむこととなると思いあえてランキングなど無視して書き続けている。まあ、その記事を読むのは同朋、つまりこちら側の、わかっている方ばかりだとも思う。それでも一切何も報じず、なかったかのようにふるまうことは絶対にすべきでないと信ずる。だからオレは反対したんだぞ、あれだけ言ったのに誰も耳を貸さなかった、と後でほざくためのアリバイ工作かもしれないけれど。まあ、そのときはオレは逮捕理由も「秘密」のうちに逮捕されていることだろうが。
今、先の石破幹事長の「デモもテロと同じ」発言以降、この法案に反対する国民世論は急速に高まり、関心も大きくはなっているが、結局のところ、おそらく多くの一般国民にとってはこんな法律は自分とはカンケイのない、関心外のことなのであろう。特に若い人にとっては。
秘密保護の対象とされる国家公務員でも自衛隊関係でもない者は、この法律ができたとして罰則もカンケイないし、もし秘密をもらしたとしても逮捕されることなどないと考えているのだろう。いや、そもそも「関心外」というのが正しいか。
人は、特に今の人は、何かと関わることを極端に恐れる。人間関係もそうだし、特に政治的問題こそ真剣に関わることはかっこ悪いしメンドーだという傾向が強い。ボランティアのような、自らの一方的な善意ならば関われても、責任さえ問われてしまうようなこと、発言や行動には常に一歩引いて、願わくば関わろうとはしないし、ならばこそ関心を持とうとしない。
しかしこの法律ができてしまえば、偶然知りえた国家的「秘密」だとしても「未必の故意」として、処罰の対象に民間人でさえもなるとされている。それは何故担当にされているか当人もよく理解できていない森少子化担当大臣がしかと審議の中で述べている。しかもこの法律は、いったい何を「秘密」とするのか、それをチェックする機関も未だ何一つ決まっていないのである。安倍首相は施行までにそうした第三者「的」機関を作ると今日答弁していたが、どうして中身がいっさい決まっていないのに入れ物(法律)だけ作ろうとするのだろうか。まずそのことがおかしいし理解に苦しむ。細部を全部詰めてから「法案」を出すのが政道の常識なのに、細部はあいまい、何一つはっきりさせず法律ができてから何とかする、というのだから呆れ果てる。今や国民の半数以上が反対し自民支持層からも疑念や危惧を持たれ、早期成立には慎重意見が多いのにともかく何が何でも明後日には強行採決、成立させると意気込む自公与党には心底怒りが止まらない。
しかしそれと同様に、自分とは関係のないことと、無関心を決め込む人たちにも怒りを覚える。マス坊とは思想的に正反対で相容れない保守派の論客・ゴーマニズムの小林よしのり氏さえもこう語っている。※朝日新聞デジタル版(異議あり 特定秘密保護法案)秘密に触れれば、わしも逮捕? より抜粋↓
「保守だから賛成」なんて言ってる場合じゃない。
社会問題を発言するわしにとって情報は命綱だ。イラク戦争では、大量破壊兵器がないと確信し、反対した。情報を得るために官僚に接触することもある。その時、特定秘密に触れれば、わしも逮捕されるんですか。言論人やジャーナリストが萎縮して、権力のウソを暴けなくなれば民主主義は成り立ちませんよ。
わしは国民も信じられない。国家の行く末を自分で判断するつもりなら、正しい情報が必要だ。なのに「一市民には関係ない」という政府の言い分を多くが信じている。
戦前の治安維持法は共産主義運動の規制が目的だったのに、無関係の人間が捕まって拷問を受けた。「戦前みたいにはならない」。みんな、タカをくくっていないか。
民主主義の「終わり」ではなく、「始まり」なのだと。 ― 2013年12月05日 20時29分43秒
★この悪法を国民は受け入れないし認めない。 現在のアクセスランキング: 149位
今、5日木曜日の夜8時半。けっきょく、稀代の悪法「特定秘密保護法」は、本日夕方参院特別委員会で野党の反対を押し切り与党自公の賛成多数で強行採決された。
そしてマスコミ報道によると、これから参院本会議に緊急上程され今晩中、もしくは明日未明にも可決、成立される見通しだとのことである。当初は明日国会最終日に採決の方針だったのが、このままだと野党側の抵抗で明日の採決が延びた場合、成立できなくなる怖れもあるとして大慌てで本日委員会採決、さらにその勢いでこのまま本会議にもかけて可決・成立へと目論んだのだ。
当初、この法案に賛成し修正合意していたみんなの党、維新の会までもあまりに強行、採決は早すぎ認められないとして委員会に続いて本会議も抗議の退席するとみられる。つまるところ、自公与党だけで国会内外各界さまざまな国民的反対世論をいっさい無視してこの悪法は成立していく。なぜ、そんなに急いで強引に成立をはかるのか、国民誰もが不安に思っている。まさに数の力、傲慢強引驕り高ぶりの極みである。
おそらく自分だけではないと思うが、この法案が審議されるようになってからまさに「心中穏やかざる」日々がずっと続いていた。夜も眠れなくなるとか心配で飯も喉を通らないと言うことはないが、国会情勢が気にかかってイライラと落ち着かない不安な日を過ごしていたことを告白する。
まあ、自公が衆院で大勝し政権奪還し、さらに参院でも与党が圧倒的に議席を占め「ねじれ」が解消してからは、絶対多数を得た「巨大与党」の前にいかに国会で野党が彼らの暴走を阻止しようと抗ってもしょせん焼け石に水であった。数の論理の前には、まさになす術もない。どれほど身をはってマイクを奪い合い採決を引き延ばそうとしても最終的には成立は必至のことであった。
つまり、国民が自民・公明政権与党に衆参共に圧倒的多数の議席を与えたときからこうしたことが起こるのは見えてはいた。しかし、彼らとしてはここまで各界各層挙げての国民総力的「反対運動」は予想もしていなかっただろう。彼らの焦りと慌てふためいた様子がこの拙速な、大慌てでの自公のみでの強行採決=駆け込み成立へという状況に表れている。
確かにこの悪法は成立はしていく。しかし、国民はこれを受け入れはしないし認めたわけではない。あくまでも自公だけで強行成立させ無理やり押し付けてくるものでしかない。彼らは我らの耳と目を塞ぎ、口を押えペンを奪おうとする。しかし、このままおとなしく彼らの言うがまま、するがままにさせておくものか。
今回の秘密保護法に対してのジャーナリスト・放送界、弁護士など司法、作家などペンクラブ、俳優、アーチスト、芸術家たち、学者たち、そして名もなき市民たちまで総出での国民的反対運動は、この法案が成立したとしても鎮められはしない。一度心に付いた火は決して消えはしない。
確かに大変な時代がこよう。これは戦後民主主義の「敗北」「終焉」だと嘆き哀しむ人もいよう。が、自分はそうは考えない。逆に、この抗議活動、大きな反対闘争が生まれたことこそが「成果」であり、ここから真の意味での「民主主義」が始まるのだと考えている。
思うに、戦後民主主義なるものは、米国、占領軍から与えられたものであった。我々日本人が自ら求めて闘って勝ち取ったものでは元々なかった。そして今、それが奪われ、自公旧弊強権政治でないがしろにされていく。が、逆に、民主主義というシステムを蹂躙する彼らの非道、横暴、暴走が白日の下にさらされ多くの国民はこれは危険だ、と目が開かされたと信ずる。政治とは、国会議員にただ任せておいてはならないのだと、自らが声を上げて行動していくしかないんだとようやく気がついたと信ずる。そう、自由も含めてすべては上から「与えられる」ものではなく「自らが望み、求め、かちとる」ものであったのだ。
そういう自分もまたこれを機に意識が大きく変わった。政治とは選挙のときだけではなく、常日頃から自らの行動結果が問われていることに気づかされた。当たり前のことではあるが、世界を変えたいと望むならばまず自らが変わらないとならなかったのだ。
特定秘密保護法はできたとしても、今度はそれを廃案へと、さらに暴走にアクセルがかかった安倍政権の退陣を求めて新たな国民的闘いはここから始まる。一粒の麦は倒れてもやがて大きくたくさんの実を結ぶ。
すべては今ここから、ここから始まる。これは終わりではなく始まりなのだ。
絶望も諦めてもしない。そして口は噤まない、見て見ぬふりはしない。ペンを持つ手をゆるめない。闘いは今ここから。この場所からだ。
今、5日木曜日の夜8時半。けっきょく、稀代の悪法「特定秘密保護法」は、本日夕方参院特別委員会で野党の反対を押し切り与党自公の賛成多数で強行採決された。
そしてマスコミ報道によると、これから参院本会議に緊急上程され今晩中、もしくは明日未明にも可決、成立される見通しだとのことである。当初は明日国会最終日に採決の方針だったのが、このままだと野党側の抵抗で明日の採決が延びた場合、成立できなくなる怖れもあるとして大慌てで本日委員会採決、さらにその勢いでこのまま本会議にもかけて可決・成立へと目論んだのだ。
当初、この法案に賛成し修正合意していたみんなの党、維新の会までもあまりに強行、採決は早すぎ認められないとして委員会に続いて本会議も抗議の退席するとみられる。つまるところ、自公与党だけで国会内外各界さまざまな国民的反対世論をいっさい無視してこの悪法は成立していく。なぜ、そんなに急いで強引に成立をはかるのか、国民誰もが不安に思っている。まさに数の力、傲慢強引驕り高ぶりの極みである。
おそらく自分だけではないと思うが、この法案が審議されるようになってからまさに「心中穏やかざる」日々がずっと続いていた。夜も眠れなくなるとか心配で飯も喉を通らないと言うことはないが、国会情勢が気にかかってイライラと落ち着かない不安な日を過ごしていたことを告白する。
まあ、自公が衆院で大勝し政権奪還し、さらに参院でも与党が圧倒的に議席を占め「ねじれ」が解消してからは、絶対多数を得た「巨大与党」の前にいかに国会で野党が彼らの暴走を阻止しようと抗ってもしょせん焼け石に水であった。数の論理の前には、まさになす術もない。どれほど身をはってマイクを奪い合い採決を引き延ばそうとしても最終的には成立は必至のことであった。
つまり、国民が自民・公明政権与党に衆参共に圧倒的多数の議席を与えたときからこうしたことが起こるのは見えてはいた。しかし、彼らとしてはここまで各界各層挙げての国民総力的「反対運動」は予想もしていなかっただろう。彼らの焦りと慌てふためいた様子がこの拙速な、大慌てでの自公のみでの強行採決=駆け込み成立へという状況に表れている。
確かにこの悪法は成立はしていく。しかし、国民はこれを受け入れはしないし認めたわけではない。あくまでも自公だけで強行成立させ無理やり押し付けてくるものでしかない。彼らは我らの耳と目を塞ぎ、口を押えペンを奪おうとする。しかし、このままおとなしく彼らの言うがまま、するがままにさせておくものか。
今回の秘密保護法に対してのジャーナリスト・放送界、弁護士など司法、作家などペンクラブ、俳優、アーチスト、芸術家たち、学者たち、そして名もなき市民たちまで総出での国民的反対運動は、この法案が成立したとしても鎮められはしない。一度心に付いた火は決して消えはしない。
確かに大変な時代がこよう。これは戦後民主主義の「敗北」「終焉」だと嘆き哀しむ人もいよう。が、自分はそうは考えない。逆に、この抗議活動、大きな反対闘争が生まれたことこそが「成果」であり、ここから真の意味での「民主主義」が始まるのだと考えている。
思うに、戦後民主主義なるものは、米国、占領軍から与えられたものであった。我々日本人が自ら求めて闘って勝ち取ったものでは元々なかった。そして今、それが奪われ、自公旧弊強権政治でないがしろにされていく。が、逆に、民主主義というシステムを蹂躙する彼らの非道、横暴、暴走が白日の下にさらされ多くの国民はこれは危険だ、と目が開かされたと信ずる。政治とは、国会議員にただ任せておいてはならないのだと、自らが声を上げて行動していくしかないんだとようやく気がついたと信ずる。そう、自由も含めてすべては上から「与えられる」ものではなく「自らが望み、求め、かちとる」ものであったのだ。
そういう自分もまたこれを機に意識が大きく変わった。政治とは選挙のときだけではなく、常日頃から自らの行動結果が問われていることに気づかされた。当たり前のことではあるが、世界を変えたいと望むならばまず自らが変わらないとならなかったのだ。
特定秘密保護法はできたとしても、今度はそれを廃案へと、さらに暴走にアクセルがかかった安倍政権の退陣を求めて新たな国民的闘いはここから始まる。一粒の麦は倒れてもやがて大きくたくさんの実を結ぶ。
すべては今ここから、ここから始まる。これは終わりではなく始まりなのだ。
絶望も諦めてもしない。そして口は噤まない、見て見ぬふりはしない。ペンを持つ手をゆるめない。闘いは今ここから。この場所からだ。
国民的規模の反対運動の成果がここに ― 2013年12月06日 08時56分31秒
★後ほど書き足します。
現在のアクセスランキング: 178位
6日金曜日の朝だ。起きて憂鬱な気持ちでパソコンのニュースサイトにアクセスした。おそらく夜半のうちに彼ら巨大与党は、参院本会議を開き強引に「秘密保護法」を強行採決し、その「可決・成立」という記事が載っていることを覚悟のうえで。
しかし、どうやら5日以降に採決はずれ込んでいるようで今朝もまだ秘密保護法は参院本会議での採決、法案成立には至っていない。これはごくごく当然のことであり、昨日夕の特別委員会での横暴極まる強行採決に引き続き、その日のうちに本会議上程、自公だけでの「成立」はさすがにマスコミ、世間の批判をいっそう強く浴びるのでひとまず引いて間合いを見ているのであろう。
昨晩は、このまま自公与党は暴走のアクセルをさらに踏み込み加速していっさいの反対世論を無視して法案成立へと突っ走るものと予想して諦観の気持ちを込めてブログを書いた。結果、今嬉しい誤算となっている。
やはりこの悪法の廃案を求める、これだけ広範囲に各界各層を挙げての国民的反対運動が起きてしまえば、いくら数の力を驕る自公もたじろぎ、その暴走のスピードを落とさざる得ないのだ。そんな「民主主義」の当たり前のことが当たり前でなくなっていた、国民の声にいっさい耳を貸さない非常識なことがごく普通に、日常化してしまったことが「異常」極まりないのである。公聴会を開いても反対意見が多いのだ。ならば公聴会の意見に真摯に耳を貸し法案は再考すべきではないのか。数の力さえあれば無理やり何でもできる、何をやっても許されると思い込んでいる与党は今こそ深く反省が求められる。このままだと彼らが目論む長期政権も早晩すぐに国民の支持を失い瓦解していく。
実はこれからウチの犬が体調悪いので動物病院に行ってくる。そのうえでもし出かけられるようならば国会周辺にも出たいと考えている。後で落ち着いたらまた書き足す。
--------------------------------------------------------------------------------
《事後報告》
犬の手術が長引き、引き取りに行ったのが夕方の6時過ぎで、それからどう急いでも日比谷の大集会には間に合わず、犬の容体も心配で出かけることはできなかった。自分としてはかねてより今日の集会に参加するつもりで準備もして、夕方までその気でいたのだが、そのようなわけで急用ができてかなわなかった。詳しくは後ほど別稿で詳しく報告したい。
そして今、夜の10時過ぎ、参院ではいよいよ秘密保護法の採決が始まろうとしている。おそらく本日中、遅くとも明日7日未明にはこの稀代の悪法は巨大与党の数の力で可決、成立となるだろう。しかし、たった一日でも成立を先延ばしにさせたのは国民世論の力であるし、今朝のトップニュースが、南アフリカの自由の闘士・ネルソン・マンデラ氏死去の報であったことも実に意味深い気がする。
彼の人生は、いかに権力側が自由と人権を抑圧しようとしても人間の使命、本性としてそれと敢然と闘い、最後には人は勝利を勝ち取ることができるという「人類普遍の真理」を示している。ならばこの自公政権の無法、非道は必ず審判され謀略的に大急ぎで成立させた「秘密保護法」もまたかつての治安維持法のように消え去る日が必ず来る。その日がいつかは我々の今後の闘いにかかっている。
歴史の歯車は元に戻せない。マンデラ氏の生涯はそのことを我々に教えこれからも勇気づけてくれている。
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6日金曜日の朝だ。起きて憂鬱な気持ちでパソコンのニュースサイトにアクセスした。おそらく夜半のうちに彼ら巨大与党は、参院本会議を開き強引に「秘密保護法」を強行採決し、その「可決・成立」という記事が載っていることを覚悟のうえで。
しかし、どうやら5日以降に採決はずれ込んでいるようで今朝もまだ秘密保護法は参院本会議での採決、法案成立には至っていない。これはごくごく当然のことであり、昨日夕の特別委員会での横暴極まる強行採決に引き続き、その日のうちに本会議上程、自公だけでの「成立」はさすがにマスコミ、世間の批判をいっそう強く浴びるのでひとまず引いて間合いを見ているのであろう。
昨晩は、このまま自公与党は暴走のアクセルをさらに踏み込み加速していっさいの反対世論を無視して法案成立へと突っ走るものと予想して諦観の気持ちを込めてブログを書いた。結果、今嬉しい誤算となっている。
やはりこの悪法の廃案を求める、これだけ広範囲に各界各層を挙げての国民的反対運動が起きてしまえば、いくら数の力を驕る自公もたじろぎ、その暴走のスピードを落とさざる得ないのだ。そんな「民主主義」の当たり前のことが当たり前でなくなっていた、国民の声にいっさい耳を貸さない非常識なことがごく普通に、日常化してしまったことが「異常」極まりないのである。公聴会を開いても反対意見が多いのだ。ならば公聴会の意見に真摯に耳を貸し法案は再考すべきではないのか。数の力さえあれば無理やり何でもできる、何をやっても許されると思い込んでいる与党は今こそ深く反省が求められる。このままだと彼らが目論む長期政権も早晩すぐに国民の支持を失い瓦解していく。
実はこれからウチの犬が体調悪いので動物病院に行ってくる。そのうえでもし出かけられるようならば国会周辺にも出たいと考えている。後で落ち着いたらまた書き足す。
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《事後報告》
犬の手術が長引き、引き取りに行ったのが夕方の6時過ぎで、それからどう急いでも日比谷の大集会には間に合わず、犬の容体も心配で出かけることはできなかった。自分としてはかねてより今日の集会に参加するつもりで準備もして、夕方までその気でいたのだが、そのようなわけで急用ができてかなわなかった。詳しくは後ほど別稿で詳しく報告したい。
そして今、夜の10時過ぎ、参院ではいよいよ秘密保護法の採決が始まろうとしている。おそらく本日中、遅くとも明日7日未明にはこの稀代の悪法は巨大与党の数の力で可決、成立となるだろう。しかし、たった一日でも成立を先延ばしにさせたのは国民世論の力であるし、今朝のトップニュースが、南アフリカの自由の闘士・ネルソン・マンデラ氏死去の報であったことも実に意味深い気がする。
彼の人生は、いかに権力側が自由と人権を抑圧しようとしても人間の使命、本性としてそれと敢然と闘い、最後には人は勝利を勝ち取ることができるという「人類普遍の真理」を示している。ならばこの自公政権の無法、非道は必ず審判され謀略的に大急ぎで成立させた「秘密保護法」もまたかつての治安維持法のように消え去る日が必ず来る。その日がいつかは我々の今後の闘いにかかっている。
歴史の歯車は元に戻せない。マンデラ氏の生涯はそのことを我々に教えこれからも勇気づけてくれている。
臆せず、沈黙せず、これからも声を上げていく ― 2013年12月07日 11時05分33秒
★この悪法を認めない、受け入れない、従わない。 アクセスランキング: 169位
朝方かなり冷え込んだが、陽が上れば穏やかな暖かい朝である。幸いにして東京地方はこのところ穏やかなポカポカ陽気が続いている。雨は降らないが北風も吹かず12月に入っても暖かくて大いに助かる。
世界が終わったわけではないし・・・今日もいつもと同じ何も変わらぬ日常、一日が始まったわけだが、何か地軸が動いたような、朝起きた時からメマイのようなふらつく気分がした。頭の芯が痺れたような感じでもある。
秘密保護法が昨日遅く、参院でも採決が強行され与党の賛成多数で可決、成立してしまった。この悪法の危険性、問題性は、自分が拙いブログで説くよりも多くの学者、政治家、ジャーナリスト、文化人たちが指摘し声を上げ反対する行動に立ち上がったので今さら繰り返さない。
さらにそこに多くの一般市民も全国各地で廃案を求めて連日激しい反対運動を繰り広げた。昨日の日比谷周辺での大集会と国会を取り巻く抗議活動は1万5千人を超えたと報じられている。自分もその中の一人としてありたいと考えていたが、家庭の事情で参加できなかったことが悔やまれる。
結果として自公与党の絶対多数という数の力で可決成立へとなってしまったが、こうした各界各層全てが集った国民的規模での反対運動はこれからも大きな力を持つと信ずるし、自公政権の横暴、非道、強権政治を暴いたことで、彼ら与党にとって終わりの始まりとなったことは間違いない。この法案に対して関心を持たなかった中立的立場の人たちも自公の法案成立までのあまりの拙速さとなりふり構わぬ無理無法の手法に呆れ果て支持は離れていくことだろう。安倍政権を良さそうだからと支持してきたけれどこんなやり方にはちょっと・・・
彼らとしては、憲法「改正」に向けて、旧い戦前のような強い覇権帝国日本を「取り戻す」ためにもまずは、日本版NSC設置法を成立させ、次いでそれと対をなす「特定秘密保護法」を何が何でもどう国民から批判され抗議の嵐が吹き荒れようとも大急ぎで成立させなければならなかった。今なら景気も上り調子であるし、支持率もまだ高い。もたもたしていると安倍政権とイカサマ経済政策アベノミクスの化けの皮が剥がれ、政権の賞味期限も切れて失速してしまう。まさに、やるなら「いつやるの、今でしょ」と様々なリスクも覚悟で暴走したのである。
しかし、蒔いた種は自ら刈らなくてはならないのが世の道理であるのだから、彼らもまたそのツケを支払わなくてはならない。安倍政権にとってこの法案成立こそ終わりの始まりであり、逆にこれだけ多くの国民が声を上げ、反対行動に動き出したことこそようやく真の直接「民主主義」の始まりだと思える。安倍政権は反原発の高まりの後、再び眠っていた国民の心にも火をつけてしまったのである。
大事なことはこの法律ができてもそれを受け入れないこと、認めないこと、その社会情勢に従わないことだ。まして彼らのやり方に加担してはならない。支持しない。そうすればこの悪法が施行されようとも彼ら権力側が目論むようには日本は動いていくことはない。これ以上、時計の針を逆戻りにさせないためにも国民一人一人の意識の在り方が問われている。
これからも声を上げていく。知る権利を求めていく。そして彼ら自公の無法と非道を決して忘れてはならない。
朝方かなり冷え込んだが、陽が上れば穏やかな暖かい朝である。幸いにして東京地方はこのところ穏やかなポカポカ陽気が続いている。雨は降らないが北風も吹かず12月に入っても暖かくて大いに助かる。
世界が終わったわけではないし・・・今日もいつもと同じ何も変わらぬ日常、一日が始まったわけだが、何か地軸が動いたような、朝起きた時からメマイのようなふらつく気分がした。頭の芯が痺れたような感じでもある。
秘密保護法が昨日遅く、参院でも採決が強行され与党の賛成多数で可決、成立してしまった。この悪法の危険性、問題性は、自分が拙いブログで説くよりも多くの学者、政治家、ジャーナリスト、文化人たちが指摘し声を上げ反対する行動に立ち上がったので今さら繰り返さない。
さらにそこに多くの一般市民も全国各地で廃案を求めて連日激しい反対運動を繰り広げた。昨日の日比谷周辺での大集会と国会を取り巻く抗議活動は1万5千人を超えたと報じられている。自分もその中の一人としてありたいと考えていたが、家庭の事情で参加できなかったことが悔やまれる。
結果として自公与党の絶対多数という数の力で可決成立へとなってしまったが、こうした各界各層全てが集った国民的規模での反対運動はこれからも大きな力を持つと信ずるし、自公政権の横暴、非道、強権政治を暴いたことで、彼ら与党にとって終わりの始まりとなったことは間違いない。この法案に対して関心を持たなかった中立的立場の人たちも自公の法案成立までのあまりの拙速さとなりふり構わぬ無理無法の手法に呆れ果て支持は離れていくことだろう。安倍政権を良さそうだからと支持してきたけれどこんなやり方にはちょっと・・・
彼らとしては、憲法「改正」に向けて、旧い戦前のような強い覇権帝国日本を「取り戻す」ためにもまずは、日本版NSC設置法を成立させ、次いでそれと対をなす「特定秘密保護法」を何が何でもどう国民から批判され抗議の嵐が吹き荒れようとも大急ぎで成立させなければならなかった。今なら景気も上り調子であるし、支持率もまだ高い。もたもたしていると安倍政権とイカサマ経済政策アベノミクスの化けの皮が剥がれ、政権の賞味期限も切れて失速してしまう。まさに、やるなら「いつやるの、今でしょ」と様々なリスクも覚悟で暴走したのである。
しかし、蒔いた種は自ら刈らなくてはならないのが世の道理であるのだから、彼らもまたそのツケを支払わなくてはならない。安倍政権にとってこの法案成立こそ終わりの始まりであり、逆にこれだけ多くの国民が声を上げ、反対行動に動き出したことこそようやく真の直接「民主主義」の始まりだと思える。安倍政権は反原発の高まりの後、再び眠っていた国民の心にも火をつけてしまったのである。
大事なことはこの法律ができてもそれを受け入れないこと、認めないこと、その社会情勢に従わないことだ。まして彼らのやり方に加担してはならない。支持しない。そうすればこの悪法が施行されようとも彼ら権力側が目論むようには日本は動いていくことはない。これ以上、時計の針を逆戻りにさせないためにも国民一人一人の意識の在り方が問われている。
これからも声を上げていく。知る権利を求めていく。そして彼ら自公の無法と非道を決して忘れてはならない。
権力の妄動、暴走をゆるさない、忘れない。闘いは続く。 ― 2013年12月08日 06時25分39秒
★いったんこの話は小休止 現在のアクセスランキング: 162位
秘密保護法、強行成立から一夜明けて、日刊紙はともかくもネットやテレビなど即時性のあるマスコミはもはや一切この法律について報じることはなくなった。昨日7日の話題はもっぱらワールドカップの日本の対戦相手国発表の件であり、NHKの夜7時のニュースでもその話題に大きく時間を割いていた。秘密保護法については皆無である。呆れかつ失望したのは自分だけか。
あたかも秘密保護法成立の「事件」は、終わってしまったクリスマスのような1イベントのような扱いである。つまり法案が国会でとおって成立した、それでオシマイ、というスタンスで、局としてはもはや報道する必要はないという姿勢なのであろう。それよりも大事なことはワールドカップだと、関心はそちらに向いていると。ならばそれを報じるのが「報道機関」だと。
しかし、そんな目先のどうでもいい1スポーツの勝ち負けの話題なんかよりもこの悪法は施行されれば未来永劫この国の国民に重く圧し掛かってくる。国の在り方を変え、国家の進む道さえも決めてしまうほどの重要な法律が強行成立したのである。ならば心あるマスコミ、報道陣ならば成立した今こそ、この法律の問題点とそれとどう当時者でもあるマスコミは向き合うか自らの立場を示すべきではなかったか。知る権利と報道とは何であるか、今のマスコミは自らの使命を放棄しているように思えてならない。まずこの法律の「危険性」と「問題性」をも国民に知らせることが彼らの使命ではなかったか。
ネット上の「マスコミ」などはじっさい自らは何も取材はせず、論陣もなく寄せ集めの既成の情報や記事を恣意的に選んでアップするだけだから、それは報道機関に当たらないと考える。しかし、ここもまた「情報の窓口」としても「秘密保護法」に関するニュースは早くも遮断してしまい、芸能とスポーツの話題に明け暮れている。これでは多くのネットユーザーはそんな法律ができたことも、できたことは知った人もすぐに忘れてしまうだろう。
ネットやテレビの即時性とは、両刃の剣だとつくづく思う。つまり情報はすぐにリアルタイムで上がり極めて即自的に「知る」ことはできるが、終わってしまったこと、決まってしまったことなどの「後追い」「深入り」はしない。その場そのとき、常に話題のこと、ニュースバリューのある新しい記事を追い求めていく。そしてそのニュースは、まさに「ニュース」として次々とアップされては消え忘れ去られていく。
それに対して、新聞はまだ記事執筆、印刷、発行、配達という時間的手順があるからどうしても時間的に遅れをとる。ゆえに深く思考、推察、推敲し解説される記事が載せられる。そのことが実に重要である。また、ネットの記事、テレビ放送ではそのニュースは基本的にその場限りで消えてしまう。今は知りたい、見たい番組などはオンデマンドでアクセスし再見できることもできるようだが、基本的にニュース番組などは一回放送されればそれきりである。つまり再検証も再確認もできない。ネット上のそれもたどれば元のソースには行きつくだろうが、ニュース「情報」としては極めて即物的、刹那的であることは説明不要だろう。
比して新聞、週刊、月刊誌など紙の媒体、印刷メディアはそれがカタチあるものとしていつまでも存在する。だから読み直すことも簡単であるし、発行順に時間の流れを辿ることもたやすくできる。それに対してネット上の情報やニュースは時間軸さえも入り乱れて出てくるから混乱するし自らで記事をファイル、もしくはお気に入りに登録して整理でもしない限り読み直すことすら簡単ではない。
ニュースはまさに文字通り、新しい「情報」なのだが、その次々と入ってくる新しいニュースだけを追い、報じているとその上っつらの部分しか報じなくなる。つまりスポーツの勝ち負け、これこれという「法律」が可決成立し来年から施行される、という「情報」である。しかし、これは報道の名に値しないのではないか。つまり「お知らせ」でしかない。もしマスメディアが報道機関を名乗るならば、きちんとニュースの裏側、底のほうの部分をも調べて解説もし詳しく正確に「報道」する義務があるはずだ。
テレビやネットからの情報は速報として価値はあるが、ただそれだけのもので底が浅いどころか底も裏もない。やはり紙のメディア、新聞媒体は今回の秘密保護法に成立までずいぶん役割を果たしたと評価している。特に「東京新聞」は大手マスコミの中ではマイナーな、準地方紙のような存在であったが、大手全国紙以上に精力的な取材と読み応えある気迫ある内容に満ちていた。この新聞こそ新聞業界の「良心」だと高く評価できる。はるかに「朝日」よりこちらが求める欲する記事が載っている。
気になるのは、もはや週刊誌というようなスパンで発行する紙のメディアにいったい何の役割と価値があるかということだ。即時性は新聞ほどにもないし、今回の法案についてはほとんど切り込むような記事を載せなかった。いや、それ以前にほとんどの週刊誌はこの悪法について報じもしなかった。基本的に無視したのである。繰り返すがそのことが全く解せない。これもまた秘密保護法を先取りした自主規制であったのか。せいぜい芸能人や要人の下品なスキャンダルとか、袋綴じグラビアで好奇心を煽るしか生き残る術はないのであろうか。
忘れっぽく飽きやすい日本人は、この「特定秘密保護法」が与党の暴走により強行的に成立したこともすぐに忘れていくのであろう。今はもう一般人の頭の中はサッカー、ワールドカップでいっぱいのようだ。下手すれば今回の顛末は失念して次の国政選挙でうっかりまたも自公に投票してしまう。しかしこの「悪法」は成立して「終り」ではない。施行されてこそ我々国民に大きく関係して危害を及ぼしてくる。だからこそ、後になって突然逮捕され「そんな法律いつできたの?誰がつくったの?」と慌てふためくことのないようしっかりと一連の経過を記憶して、これからも効力を持つことないようしっかり権力を監視して行かねばならない。
これは自分の問題であると同時に国民全員にとって切実かつ重要な法律の「問題」なのである。これからも自らも忘れないよう折あるごとに書いてく。が、他にも書きたいことと書くべきだと信ずることもある。とりあえずこの法案関係はいったんここで「戦略的撤退」し、小休止としたい。
お付き合い頂きありがとうございました。ようやくアクセス順位も戻ってきました。
秘密保護法、強行成立から一夜明けて、日刊紙はともかくもネットやテレビなど即時性のあるマスコミはもはや一切この法律について報じることはなくなった。昨日7日の話題はもっぱらワールドカップの日本の対戦相手国発表の件であり、NHKの夜7時のニュースでもその話題に大きく時間を割いていた。秘密保護法については皆無である。呆れかつ失望したのは自分だけか。
あたかも秘密保護法成立の「事件」は、終わってしまったクリスマスのような1イベントのような扱いである。つまり法案が国会でとおって成立した、それでオシマイ、というスタンスで、局としてはもはや報道する必要はないという姿勢なのであろう。それよりも大事なことはワールドカップだと、関心はそちらに向いていると。ならばそれを報じるのが「報道機関」だと。
しかし、そんな目先のどうでもいい1スポーツの勝ち負けの話題なんかよりもこの悪法は施行されれば未来永劫この国の国民に重く圧し掛かってくる。国の在り方を変え、国家の進む道さえも決めてしまうほどの重要な法律が強行成立したのである。ならば心あるマスコミ、報道陣ならば成立した今こそ、この法律の問題点とそれとどう当時者でもあるマスコミは向き合うか自らの立場を示すべきではなかったか。知る権利と報道とは何であるか、今のマスコミは自らの使命を放棄しているように思えてならない。まずこの法律の「危険性」と「問題性」をも国民に知らせることが彼らの使命ではなかったか。
ネット上の「マスコミ」などはじっさい自らは何も取材はせず、論陣もなく寄せ集めの既成の情報や記事を恣意的に選んでアップするだけだから、それは報道機関に当たらないと考える。しかし、ここもまた「情報の窓口」としても「秘密保護法」に関するニュースは早くも遮断してしまい、芸能とスポーツの話題に明け暮れている。これでは多くのネットユーザーはそんな法律ができたことも、できたことは知った人もすぐに忘れてしまうだろう。
ネットやテレビの即時性とは、両刃の剣だとつくづく思う。つまり情報はすぐにリアルタイムで上がり極めて即自的に「知る」ことはできるが、終わってしまったこと、決まってしまったことなどの「後追い」「深入り」はしない。その場そのとき、常に話題のこと、ニュースバリューのある新しい記事を追い求めていく。そしてそのニュースは、まさに「ニュース」として次々とアップされては消え忘れ去られていく。
それに対して、新聞はまだ記事執筆、印刷、発行、配達という時間的手順があるからどうしても時間的に遅れをとる。ゆえに深く思考、推察、推敲し解説される記事が載せられる。そのことが実に重要である。また、ネットの記事、テレビ放送ではそのニュースは基本的にその場限りで消えてしまう。今は知りたい、見たい番組などはオンデマンドでアクセスし再見できることもできるようだが、基本的にニュース番組などは一回放送されればそれきりである。つまり再検証も再確認もできない。ネット上のそれもたどれば元のソースには行きつくだろうが、ニュース「情報」としては極めて即物的、刹那的であることは説明不要だろう。
比して新聞、週刊、月刊誌など紙の媒体、印刷メディアはそれがカタチあるものとしていつまでも存在する。だから読み直すことも簡単であるし、発行順に時間の流れを辿ることもたやすくできる。それに対してネット上の情報やニュースは時間軸さえも入り乱れて出てくるから混乱するし自らで記事をファイル、もしくはお気に入りに登録して整理でもしない限り読み直すことすら簡単ではない。
ニュースはまさに文字通り、新しい「情報」なのだが、その次々と入ってくる新しいニュースだけを追い、報じているとその上っつらの部分しか報じなくなる。つまりスポーツの勝ち負け、これこれという「法律」が可決成立し来年から施行される、という「情報」である。しかし、これは報道の名に値しないのではないか。つまり「お知らせ」でしかない。もしマスメディアが報道機関を名乗るならば、きちんとニュースの裏側、底のほうの部分をも調べて解説もし詳しく正確に「報道」する義務があるはずだ。
テレビやネットからの情報は速報として価値はあるが、ただそれだけのもので底が浅いどころか底も裏もない。やはり紙のメディア、新聞媒体は今回の秘密保護法に成立までずいぶん役割を果たしたと評価している。特に「東京新聞」は大手マスコミの中ではマイナーな、準地方紙のような存在であったが、大手全国紙以上に精力的な取材と読み応えある気迫ある内容に満ちていた。この新聞こそ新聞業界の「良心」だと高く評価できる。はるかに「朝日」よりこちらが求める欲する記事が載っている。
気になるのは、もはや週刊誌というようなスパンで発行する紙のメディアにいったい何の役割と価値があるかということだ。即時性は新聞ほどにもないし、今回の法案についてはほとんど切り込むような記事を載せなかった。いや、それ以前にほとんどの週刊誌はこの悪法について報じもしなかった。基本的に無視したのである。繰り返すがそのことが全く解せない。これもまた秘密保護法を先取りした自主規制であったのか。せいぜい芸能人や要人の下品なスキャンダルとか、袋綴じグラビアで好奇心を煽るしか生き残る術はないのであろうか。
忘れっぽく飽きやすい日本人は、この「特定秘密保護法」が与党の暴走により強行的に成立したこともすぐに忘れていくのであろう。今はもう一般人の頭の中はサッカー、ワールドカップでいっぱいのようだ。下手すれば今回の顛末は失念して次の国政選挙でうっかりまたも自公に投票してしまう。しかしこの「悪法」は成立して「終り」ではない。施行されてこそ我々国民に大きく関係して危害を及ぼしてくる。だからこそ、後になって突然逮捕され「そんな法律いつできたの?誰がつくったの?」と慌てふためくことのないようしっかりと一連の経過を記憶して、これからも効力を持つことないようしっかり権力を監視して行かねばならない。
これは自分の問題であると同時に国民全員にとって切実かつ重要な法律の「問題」なのである。これからも自らも忘れないよう折あるごとに書いてく。が、他にも書きたいことと書くべきだと信ずることもある。とりあえずこの法案関係はいったんここで「戦略的撤退」し、小休止としたい。
お付き合い頂きありがとうございました。ようやくアクセス順位も戻ってきました。



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