風薫る五月に誓う2017年05月01日 20時29分34秒

★一つ一つ成果を出していく。

 昨日の無頼庵「レコードコンサート」、無事に終わった。参加者は、残念ながら友人一人のみで、彼と二人、缶ビール飲みながら何十枚レコードをかけたことだろうか。久々に音楽三昧、アナログレコードを堪能した。

 予想では参加予定者はもう少しいて、その他にいつもたいがい飛び入り的に、ふらっと来る人もいるから、最低でも三人、もしくは5名程度は来られるかもと予想していた。
 しかし風邪ひいたので無理、という連絡もあったり、先に参加をほのめかすコメントをくれた人が来なかったりと、結局待てど他には誰も来ず、前回中止したときから楽しみにされていたその友人と二人、いちおう9時までやっていた。

 が、参加者が少なかったからといって全く失望していない。何しろこのところこのブログでも参加呼びかけは強くしていないし、他にメールなり、お誘いや告知は何もしていないのだから、そもそもこのイベント、ほぼ誰も知らないわけで、これは当然の結果なのである。
 何しろ父のことや我が体調もあって、前回もその前も直前になって中止、延期したりとこちらも果たしてほんとうにその日、開催できるのか何とも自信が持てないでいた。
 だから「呼びかけ」ももう一つ気が乗らないというか、どうか絶対来てくださいとは強く言えず、こちらが消極的ならば当然参加者も消極的結果に至るわけで、これではまず人は来ない。ごくしごく当たり前のことであった。

 ただ、我にとっては昨日は友とじっくりと話せて良かった。音楽のこともだが、それぞれ家庭のことや今後についてもあれこれ語らうことがたっぷりできて、実に有意義だった。
 彼も今、介護している老母を抱えて、我と同様苦闘中であり、ほぼ同世代ということもあって音楽の話も人生についても話が弾んだ。他に邪魔されずに親しい友来たりて、向き合い話すということこそ、古来より楽しいことだと記されているではないか。

 拙宅でこうしたイベントをこれまでも何回も続けている。中には何十人も来て頂き、ものすごく盛り上がった企画もあるけれど、そうした「盛況」と、我自身の満足度とは必ずしも一致しない。
 もちろん興行的成功は有難いことだが、我はひたすら裏方として、ただコマ鼠のように、料理提供したり仕えるだけだと、正直あまり楽しくはない。参加者が喜び堪能してくれたという「喜び」はあっても、何かもやもやとしたものが必ず残る。
 しかし、それが少人数であり、気心知れた人たちばかりであれば、当日イベント最中も個人的関係が結べるし、仕えるだけでなく我もまた「参加」できる。
 そして何よりも我が家でこうした企画を何故立てるかといえば、やはりそうして人を招くことにより、掃除や片付けを嫌でもしないとならず、結果としてそのスペースは片付いて綺麗になるわけで、そうした「イベント効果」こそ我にとって有難いことなのだ。
 世の中には、〆切がない限り、原稿を書かない人が多くいる。我は書くのはともかく、整理整頓能力は欠如した無能の人なので、そのかたづけられない症候群は、こうした他者を招くことでしか処置できない。
 むろんそれだって根本治療にはならず、とりあえずの「応急処置」に過ぎないわけだが、それでも前回もしたからだが、じょじょに少しづつでもこれでもモノは減ってきている。
 毎回イベントごとに大慌てで片づけせねばならないのだが、それにかける時間は少なくなってきている。ならばやはりこれからも無頼庵での企画は続けていくことが我にとって、我家にとって大切なことであると、今回、参加者は少なかったが、大いに満足、得心できた。
 
 さあこれで、今日から月も替わり、風薫る五月となった。
 今日も午前中は晴れて陽射しの下では汗ばむほどの陽気となったが、午後からは一転曇って雨もぱらつき、冷たい風も吹きうすら寒くなった。都心の方では雷、豪雨となったらしい。
 まあ、それでも冬は終わり、春が来てこれから初夏へと季節は移ろっていく。現国会、共謀罪という稀代の悪法をめぐって政治状況は何とも憂鬱であり、我も何かできることをせねばと気持ちは焦る。
 しかし、父とのこの生活をまず維持し軌道に乗せて、そこにこうした拙宅でのイベントや、ライブ企画や我が音楽活動もまた再開させて、音楽など「芸術活動」を通して、我ができることを再開していきたいと考えている。
 今月も月末に、拙宅でのイベントをとりあえず企画している。時間もないことで、次回は「音楽に関連する映画」を流すイベントを考えている。様々なミュージックビデオ、珍しいライブ映像など、我が録りためたものも含めて、それをサカナに飲食いできたらと考えている。
 詳しいことはまたこのブログでまずおしらせします。また、その先の予定などもできるだけ先まで決めて早めに宣伝告知していきたいと思っている。
 幸い、今は父の容態が安定している。先のことは何とも定かではないが、ようやく今ならまた腰据えて、我が事、マスダワークスに取り組めるのではないかと思えてきました。
 乞うご期待! と言っておきたい。

3/26日の無頼庵レコードコンサートは延期とします。2017年03月24日 19時16分24秒

★すみませんが、来月4月半ばに順延とさせてください。

 喫緊のお知らせとなって申し訳ありません。先にお知らせした拙宅無頼庵での「レコードコンサート」は、諸般の事情から開催は難しく、来月の半ば以降、おそらく16日頃に、延期にいたしたいと思います。

 詳しいことは、後ほど記しますが、どうか何卒ご理解ご容赦願います。楽しみにされていた方、本当にごめんなさい。

無頼庵三月は、レコードコンサートの夕べを2017年03月01日 22時31分25秒

★真空管アンプで、レコード芸術の神髄を

 拙宅無頼庵の三月の予定は、26日の日曜に、「レコードコンサート」を予定している。
 ジャンルを問わずに、懐かしの歌謡曲から、ロックミュージックまで、主に今回はシングル盤を次々とかけて行きたいと思う。

 参加費は飲食代を含めて五百円。開始時間は、午後4時ごろから、アルコール含めて飲食しながら、だらだらと夜9時頃までやれたらと。
 もちろんレコードも含めて持ち込み可能。たぶん今の人は、アナログレコードというもの自体、針を落とした経験がないかもしれないし、その面白さと難しさはしらないかと思う。
 拙宅の最良のオーディオシステムで、レコードとはいったい何であるのか、当時発売のシングル盤を中心に、聴き比べて、その神髄を再体験してもらえたらと思う。

 詳細は後日また告知する予定だが、まずは日時だけお知らせいたしました。ぜひ多くの方々、それも若いレコード未体験者のご参加を願う。
※参加費は、飲食代と諸経費としてです。お間違いなく!

味噌づくりライブ2月19日午後1時から2017年02月15日 20時22分31秒

★どなたでもお気軽にお越しください。

 先にもお知らせしましたが、今度の日曜19日に、拙宅無頼庵で、手作り味噌の集いを開催します。
 時間は、午後1時開始、終えるのは夕刻の予定です。その後、簡単な食事会、飲み会など予定しております。
 久々の味噌造り、麹は、米と麦を予定し、材料および下準備はこちらが用意しておきますので、各自、エプロンやタオルなど、自分用の作業品だけお持ちください。
 参加費は、500円。食事会費、お土産も含みます。また、今回仕込んだ味噌を持ち帰りたい方は、タッパーのような何らかの容器もご持参ください。
 詳しいことは、拙ブログに連絡先を書き込み下さるか、マス坊の携帯まで。090-8175-8479
 ※自家製高菜漬けと野沢菜漬けたのもぜひお召し上がりください。

 なお、無頼庵3月は、『素晴らしきアナログ芸術の世界~レコードコンサート』を企画しております。三留まゆみの映画塾再開は検討中とのことです。

新年会無事終了す2017年01月29日 22時43分20秒

★ほんの少しでも人生が動いた。

 本日の無頼庵新年会、盛況のうちに先ほど無事に終わった。6人という来客は、今の我が対応できるに適切であり、もっと少ないのも淋しかったかもしれず、ああ、良くしたものだなあと有難く思った。
 じっさい、一応場所も作り準備もするからには、2~3名ではその甲斐もない。かといって、10名以上だったり、よく知らない人も多いとすれば我の処理能力を超えていただろう。
 今日は旧知の、気を遣わずとも許される方ばかりだったので、楽であった。しかも活動の場はバラバラで初対面同士の方もいたはずだが、幸いうまく話も弾み、場は和らぎ盛り上がった。
 今、ほっとして安堵の溜息をついている。
 
 先にも書いたが、この数日、破綻してしまった我が人生を再構築、再起動すべく、まずはこの新年会からと自ら企画したわけだが、ともかく場所づくりだって大変で、まさに苦心惨憺であった。
 この一年、溜まりに溜まった紙ゴミ類を分別処理していく作業は、精神的にも苦痛でもあって、母との日々を思い返しては感慨にふけり遅々として進まず、日にちが迫ってきてどうしたものか頭痛めた。
 さらに、また一昨日から前回のときと同じくメマイや吐き気など体調不良も起きて自分でもどうしてしまったのかと不安にもなった。
 どうやら、久方ぶりの拙宅でのイベントという企画自体が、今の我にはプレッシャーや重荷、強い不安に感じて、それがアレルギー症状のように体調に影響及ぶのだと思えてきた。

 ウチに人が来ること、人と会うのが嫌なのではない。かつては毎月でもやっていたことだ。が、一年も間が空いてしまい、人を受け入れる空間をまず作る事や、一度に多くの人と会うこと自体が苦痛に思えて、臆してそれが可能か、怖れと不安に襲われてしまい、体調を崩したようだ。
 不登校の頃、休み明けに学校に行かねばと思い、行こうとする段階になると、熱が出たり、吐いたりするように。

 しかしともかく今日は無事終えられた。それは来られた方々が皆真摯で真面目なやさしい方たちだったからで、おかげでこちらも気を使わずに助かったし、まずは今年第1回のイベントを終えられたことで我も自信もついた。じっさい今日は、場所づくりだけで精いっぱいで、出す料理など何も考えることもできず計画も準備すらしていなかったのだ。そう、まだ心ここにあらずであったのだ。

 結局、片付けのほうは根本解決、つまり分別処理作業は一つ一つやっていたら本日29日には間に合わないのは確実となって、仕方なくまた箱に詰め直して別な部屋へ移動させて急場をしのいだ。ちっとも解決も何もしていないが、今日の予定を終えられたことで、やっと我が人生は再び動き出した気がしている。
 そう、まだほんの少しだが、今日を終えたことで少しは自信もついた。そしてテーブルを囲んで人が集える空間も何とか作れた。
 この場所を維持しつつ、無理せずに無頼庵で人が集うことをやっていこう。
 やっと今晩こそ枕高くして眠れるかと思う。その夢に母が現れるなら今こそ会うのが楽しみだ。もう何も怖れないし迷い惑わない。

明後日29日、無頼庵新年会へどなたでも2017年01月27日 13時50分48秒

★もう一度人生を再構築していくために

 このところ家にこもって必死に、二階の広間を片づけている。というのも30日の日曜に、久々に拙宅で「新年会」のイベントを企画したので、スペースをつくっておかねばならないのだ。

 しかし、昨年暮れ、23日に予定していたそれを一か月先に延ばしてもまだちっとも片付けは進んでいない。この半年間の、いや、ほぼ昨年一年間の溜まった広告チラシ等の紙ゴミや雑誌、新聞雑古紙、届いた手紙・郵便類、レシートなどを要不要を基準に分別整理しているわけだが、つい母関連のものが出てくると感慨にふけって手は止まってしまう。何回か泣いたりもした。

 母の治療費などの書類は、確定申告などに必要なので残すのは当然として、そのときどきの診療計画書の類だってなかなか捨てるのがしのび難い。
 また、何よりも母が書き残した、母の筆跡の拙いメモ類だって、今は母がいたことを残すよすが、遺品なわけで、我は大事にとっておきたいと思う。
 ああ、この頃はまだ母は生きてこの世にいたのだと、つい昨日のように「その頃」が思い出されいたたまれなくなってしまう。

 そんなでこの片付け作業は、正直辛いものがあるが、ともかく場所を作らないことには人も招けないだけでなく、我も身動き取れず、不自由でならず次の事、新たなことが始められないのだ。がんばらねば。

 ただ、もう今回はたぶん気心知れた旧知の人ばかりかとも思うので、綺麗すっきり場所を整えることがかなわずともお許し頂こうと思っている。
 開き直るわけではないが、もう今は、すべて無理せずにあるがまま、に生きていきたいと思っている。取り繕って、本当の自分でない姿を見せてもうまくいくはずもない。
 こうしただらしのない、自らでは律することができない人間だと知ってもらったうえで、お付き合い願いたいと思う。むろん、キレイ好きで、そんなだらしのない人と付き合うのも関わるのも御免だと思う方もいるだろうから、それはそれでかまわないし、逆に有難い。そう、俺はこんな人間なのだ。自分でもうんざりするが仕方ない。

 長く生きて来て、ようやくのところわかったのは、この世にはどうしてもウマが合わない人もいるということだ。原因も理由もないのに、何故かトラブルになり、どちらか一方、もしくは双方が相手を赦せない。むろん何か要因は必ずある。しかし、オオゴトに発展するほどのことではないはずなのに、その人と、あるいはその人にとって我は、赦しがたい関係になってしまうのだ。
 我と父もまた同様で、おそらく前世では不倶戴天の敵の関係であったのだと想像したくなる。そして、この世で親子として生まれて、その憎しみのカルマを互いに努力して解消すべく仕組まれたと考えるしかない。

 さておき、新しい年も一か月が過ぎようとしている。我としては、母の死という不慮の事件によって「破綻」してしまった人間関係をもう一度再編せねばと思うし、もっと外の世界を広げて新たに外の世界を再構築したいと考えている。
 そのためにもまず人に会い、語らい、話をお聞きしてこれからのこと、我が出来る、すべきことの計画をきちんと立てて行きたい。

 そう、今年の課題は、人生を再編、再構築である。それは元に戻すのではなく、母はもういないのだから、我一人で老い手のかかる父を抱えてどう生きていくかという新たなライフスタイルの構築と言っても良い。
 今も未だ手探り状態で、ちっとも方向も定まらないが、まずその答えは人と語らい、我が考え、覚悟をまず定めることからだと思う。

 どなたでもお気軽にお越しください。30日午後3時、4時頃からお待ちしております。会費無料です。拙宅の場所など不明の方は、コメント欄に連絡先記しておいてください。夜は9時~10時頃までだらだらやってます。
 あるいはマスダの携帯 090-8175-8479 まで。

無頼庵新年会は1月29日に。どなたでもお気軽にご参加を!2017年01月06日 15時10分59秒

★さあ、今年もスタートさせよう!

 父とのこと、あれこれ書き連ねたが、もうあと少しの辛抱、我慢だと心した。どれほど頑健であろうと、あと10年も生きるはずがない。そしたら百を超してしまう。
 もう今、92歳なのだから、もったとしてもあと数年であろう。ならば、さらに地獄が待ち構えていようとも、その時はその時として、今はただ一日一日うまくやり過ごしていくだけの話だ。
 母の時もだが、人が逝くときは意外にあっけなく早いものなのだから、先のことなど考えずに、日々送れれば、やがてその日、そのときが来る。それがいつかは神のみぞ知ることだ。
 まあ、この一年、まずは無事に生きながらえさせられるかだけ考えて、今年を越せたらまたその先の事はそのときに考えれば良いのだ。
 デイケア、ショートステイをうまく使って、我の負担をできるだけ軽減させて父も我も共にうまく過ごせるよう工夫してやっていくつもりでいる。いろいろご心配おかけしました。

 というわけで、去年は、母の介護とそして死、死後の始末に追われて一年の後半はまったく何一つできなくなってしまったわけだが、気をとりなおして、いや、心機一転、また少しづつ「活動」を始めたいと思う。
 まずは、昨年は企画したものの我自身が体調崩して中止としてしまったクリスマスパーティの代替として、新年会をやることにしました。

 ★1月29日(日)の午後から、拙宅無頼庵で、食べたり呑んだり歌ったり、レコードを聴いたりだらだらやっているはずなので、どなたでもご参加ください。
 参加費は今回は一切なし。持ち込み歓迎、唄いたい人、何かパフォーマンスしたい方もご自由に。
 開始時間は、たぶん午後3時頃から夜は皆さん帰れる時間まで。

 まだ来たことなく無頼庵の場所がわからないと言う方は、このブログにメルアドなど連絡先を書き込んでくれたら返答いたします。非表示で応じますのでご安心ください。
 詳しい問い合わせも含めて、マスダまで。携帯090-8175-8479

本年これからの無頼庵の予定2017年01月04日 23時56分04秒

★あらためて地獄はそこかしこに

 老いて「狂人」と化した父と暮らすというのは、筆舌に尽くしがたい苦痛であり、これもまた地獄なのだと思う。ただ、キリスト教的に言えば、これもまた、神が与えた試練なのかと思えなくもない。試されている。
 ならば受け入れて何とか頑張って持ちこたえていくしかない。

 そうした最中、年も明けて、2017年となった。とにもかくにも生きていかねばならないのだから、日々鬱々と悩み苦しむ煉獄の中ですごすわけにもいかない。何よりもそれでは、我も発狂して自死するしか道はない。
 父はもう直らないのだから、外とのこと、他者との関わりでしか、その「出口」は存在しない。ならば、あえて負荷かけるように、これからの予定を無理やりでも決めたうえで、楽しいこと、やるべきことを設けそれに向けてやってくしかない、
 
 まずは無頼庵の新年会」だ。

 まだ日程は出ていないが、新年会と位置づけるなら今月、1月中に開催せねばなるまい。もう告知の時間もあまりないがゆえ、今月末の土日、28か29日のいずれかにと考えている。
 まず、先だって中止にしてしまったクリスマス会に、参加希望された方々に連絡してご都合を訊いて決めていこうと思う。確定次第お知らせしたい。

 なお、今年は、基本的に毎月一回は何か拙宅無頼庵で、人が集まれるようイベントを開催していこうかと考えている。
 1月は新年会ならば、2月は、味噌造りの集いはどうだろうか。そうして少し先の予定を出して我も動いていきたい。

 ともかくどんな状況でも生きて、とことん生きながらえていく。その中でときに喜びも慰安のときも来るだろう。そう信じてやっていこう。

「ぶらいあんず」新メンバー募集中2016年12月27日 22時21分54秒

★音楽を愛する方ならばどなたでも

 我マス坊が、本年友人知人たちと始めた音楽活動ユニット、『さみだれ楽団ぶらいあんず』であるが、谷保かけこみ亭での「反戦歌コンサート」などに、前座として登場したものの、その後、諸般の事情で休止状態となっている。
 その原因は、何といってもマス坊の母の容態が悪化して、同時期に父も病院内で骨折したりと老親二人の介護に追われてまったく時間がとれなくなってしまったからだ。
 やむを得ない家庭の事情ではあるけれど、メンバーの皆にはただ申し訳なく思う。

 そして既知のごとく母は亡くなり、三か月が過ぎ、死後の煩瑣な雑務処理もほぼ終え、我としては音楽の活動を再開すべきときが来たと思えてきた。
 ただ、メンバーの一人が、確認したわけではないが、練習も含めて今後の参加は難しいようなので、改めてこれからどういう編成でどんな活動をやっていくか再考している。
 むろん、いわゆる通常のバンド編成のように、ギター、ベース、ドラムとか、それぞれ担当が決まっていて、そうしたメンバーを求めているわけではない。

 そもそも我の考えている「音楽」のカタチは、ある楽曲を演るとして、その曲に参加できる人は、コーラスにしろ楽器にしろ、自由に誰でも参加してもらえたらと、いうものだ。
 例えば、誰でもよく知っている曲、フォークソングのスタンダードがあるとする。レッド・ベリーのグッドナイト・アイリーンでもいい。
 それをステージでやるとしたら、ボーカル、ギター、フィドロ(バイオリン)、マンドリンなど、できるだけ多彩な楽器で、楽しく唄い演奏したい。他にバンジョーやアコーディオンなども入ればもっと楽しく面白くできる。
 フォークソングというのは、元々は村祭りの余興、演芸のようなもので、日本のお神楽がそうであるように、その時々集まれる人たちが集って、各自できる楽器を持ちより、スタンダードの楽曲を自由に唄い演奏するものだったのである。
 ヒルビリーというルーツミュージックがそもそもそうであって、農民たちが村の寄り合い所的食堂などに仕事休みのときなどに集まっては、一杯やりながらだらだらと知ってる楽曲を演奏していたものだ。
 農民や職人、アマチュアでも、子供ときから家には様々な楽器があり、カーターファミリーのように代々家族で音楽に親しんできているから、皆かなりの芸達者なのだ。
 うたが上手い人は、立ち上がって唄うだろうし、楽器はボロくても腕は確かで、それぞれが得意な楽器でフリーセッション的に音楽にいそしむ。誰でも参加自由である。
 そうしたフォークソングの原初のかたちを、示すことはできないものか。そのスタイルは我にとって憧れであった。

 じっさい、様々なフォークシンガーのライブを企画してみると、フィナーレのときにやる、出演者全員での〆の曲などは、キーだけ確認しておけば、あとは自由闊達に、交互に歌ったり、楽器のソロを聴かせたりと「回す」ことができる。それは皆、経験豊富なベテラン、プロだからだが、たとえアマチュアであろうともしっかり練習を積めば、やがてはそうしたことは可能だと考えた。
 ぶらいあんずはそうしたスタイルで活動していく楽団だから、メンバーは固定でなくても良い。しかし、いきなり素人が集まって何かできるはずはなく、まずは課題曲、楽団のレパートリーを決めて、練習を積み重ねて行かねばならない。

 新メンバー募集と書いた。だからメンバーとして常に活動を共にしないとならないということもない。しかし、ステージに出るならば、事前に腕は確認しておかねばならないはずだし、そのためには事前に集まって練習はしないと恥かくだけだろう。
 音楽経験の有無はまったく問わない。が、練習にできるだけ参加できることだけが条件で、たとえばの話、事前に課題曲の譜面やカラオケ的なものはこちらでCDなどに焼いてお渡しするので、各自まず聴いて私的に練習したうえで、月一でもどこかで集まって「音合わせ」をする。
 そうして少しづつでも楽団としての腕を上げて、ステージなど、人前で活動していく。音楽が好きで、練習にできるだけ参加してもらえるのなら性別年齢、経験はまったく問わない。楽器は何もできなくてもうただけでの参加だってちっともかまわない。あるいは裏方的お手伝いでも。
 我らが多少でも手ほどきできる楽器ならば、またギター教室のようなこともやるので、音楽の経験が全くない素人でもご安心を。

 大事なことは、うたや音楽が好きだということ。それらを通して何かを伝えたい、表現したいという思いがあること。巧拙はいっさい問いません。こちらも下手くそですから。
 ただ、うたの場、音楽の場をできるだけ広く、誰でも参加できるような場を作っていきたいと願う。
 うたとは、音楽とは、ただ椅子に座って聴くだけのもの、あるいはYouTubeなどで、ぼんやり眺めるものではなく、自らがまず唄い奏でるものだと信じて。

 ちなみに「さみだれ楽団」という名称は、昔デモ行進でよく使った言葉、集会後参加者各自勝手に解散する「さみだれ解散」からとってつけた。誰でもバラバラで各自自由参加、自由解散でやっていきたい故に。

我が人生にもっと手間暇かけていく2016年01月27日 22時14分03秒

★庭木の手入れに三日かけた話    アクセスランキング:126位

 ようやく記録的寒波は関東では過ぎ去ったようで、今日は一日ぽかぽか陽気の春の一日となった。
 月曜から続いていた拙宅の庭木の伐採、職人を招いての作業はようやく今日水曜の午後3時にやっと終わった。この三日間その作業の立ち合い的対応に追われて我がことは何もできなかった。
 落ちた木っ端クズを集めたり道を履いたり、下から樹上の職人に切る枝の支持を出したり、じっさいの力仕事や高所での伐採作業は何一つしていないのにただ寒い野外で立ち尽くしているだけでかなり疲れ夜も起きてられず早く寝てしまった。

 庭木は、イチョウだけでなく、ついでにケヤキから月桂樹、山茶花などの低木までほぼ全て丈詰めて、ちんちくりんに刈り込まれてしまった。
 今の我が家は、頭髪でいえば五分刈りどころかもうつるつるの出家した坊さん状態である。心なしか庭さえも広くなった気がしている。

 実はそれほどもう何年もほとんど手入れせずにほったらかしにしてきていたのである。庭木の手入れは母がやっていたのだが、老いたのと癌などで体調すぐれず体力も落ちて四季折々刈り込んだりせねばならないのが常に後手後手となり草木は伸び放題となっていたのだ。頭髪でいえば、ニューミュージック的ロングヘア―ではなく、ホームレス的見苦しい長髪であった。それがこの三日間、職人三人の奮闘で、まさに床屋に行って全部剃り上げて来たような庭となってしまった。
 母はこれですっきりしたと大満足であるが、我としてはまたすぐに生え伸びるとは思うものの、妙にうすら寒いような淋しい気持ちにややなっている。何もここまで切らなくても良いだろうにと。そして鬱蒼としていた庭が綺麗さっぱりしてしまうと妙に落ち着かない。床屋から出て来たときみたいに恥ずかしい。

 が、今回ここまで切り詰めて刈り込めば、イチョウもケヤキも今年の秋の落葉はずいぶん少なくなるだろうし、枝もずいぶん短く詰めたので我一人でも剪定はかなり楽になったと思える。だからこの数年母を悩ましていたご近所との落葉をめぐるトラブル、軋轢はしばらくは解消されるのではないか。じっさいやいのやいのと口うるさく口さない罵詈雑言が飛び交い、それもあってストレスで母の癌は悪化したのだと思えるほどだ。それほどご近所の人たちは容赦なくあからさまに文句を並べ立てていた。
 今回、母は癌再発したこともあって、思うところあってもう息子に任せて息子が恣意的に、そのうち時間のあるときに切る、なんて言うのをアテにしていては根本解決はしないと考え、金払って業者に頼んだのは英断であったかと今は思える。

 そして今自分もこう思った。今までは庭先のことは親任せにしてきたこともいけなかったし、庭と言えども、いや、室内よりも外から丸見えになる、道を通る人誰でも目にする場所だからこそもっと気を使いきちんと綺麗にしていかなくてはならなかったのだと。 
 今までは何にせよ、忙しいことを言い訳に、庭先にしろ室内にしろ基本ほったらかしにしてきていた。今抱えているこの問題が終わったら、一段落して落ち着いたらと、常に後回しにしてきていた。
 まさにある意味、無頼であったと思う。結果としてそれで良いことなんか一つもなく、ただだらしなく収拾がつかず混乱の極みに達しすべてがゴミ屋敷化していくばかりであった。
 そしてようやく、今回まずは伸びるに任せて来た庭木から職人を使って手を入れることができた。室内は家政婦とかヘルパーを雇うことはできないが、今年これからは、意を決して溜まったゴミ化したものは捨ててすっきり快適な家にしていかねばならない。

 今改めて思う。目先のことや、自らやりたいことに囚われて、もっと肝心なこと、日々の生活の維持管理を我は常に後回しにしてきたのではないのかと。本来はまずそのことをきちんとやれて、つまりサラリーマンなら糊のきいたワイシャツとプレスのしっかりしたスーツ、磨き上げた靴でビジネスに向かうように、まずは自分の生活環境をきちんと整えてから何事も始めるべきであったのだ。

 我は「食」にはかなり時間と手間暇かけ、たぶん普通の人よりコダワリを持って対処している。できるだけ手作りを旨として。が、衣食住のうちの残り二つは、衣類も住居もまったくほったらかし、放擲してきてしまっていた。見かけや着るものに構わないのはともかく、特に住まいにはもっと時間かけて真剣に向き合わねばならなかったのだとやっと今わかった。
 生きるとは人生とは、まずきちんとした誰からも後ろ指さされない快適な住環境を人任せでなく自ら築いて、それからじっくり向き合っていくものなのだと今にして気づく。
 そう、何をやるにせよ全てのことはまずそのためのきちんとした環境とシステムを作ってから始める、始まっていくのであった。自分のダメさは、その手順を考えなかったことに由来していたのである。