忘れ難き高坂一潮さんを忍ぶ・後2011年05月26日 23時49分11秒

★いつかまた北の空から降りて唄いに来てください。

 たった一度の出会いなのに鮮烈な印象を残す人もいる。高坂一潮(こうさかいっちょう、以下一潮さんと略す)と言うお名前を聞いて、すぐご存知の方はかなりのフォークソング通ではないか。

 初めて彼を知りそのうたと演奏を聴いたのは、高田渡が死んだ年、2005年の初夏の頃であったかと思う。増坊も今はともかくその頃は、フォークミュージックの世界に長いブランクが明け復帰したばかりだったので、1970年代から活躍し昔から見聞きしていた中川五郎、シバらは存じ上げていてもその後に出てきた人は皆目知らなかった。
 ウチの近くの谷保かけこみ亭で、そのシバ、斉藤哲夫、三上寛らが集まって渡さんの追悼コンサートがあると、友人からチラシを渡され行ってみた。そこで彼らと共に出てきたのが一潮さんで、宮武希さんも確か一緒だったかと記憶している。サポートにはあの浪速の哲もいたはずだから、五郎さんも含めてなかなか凄いメンバーだったと今にして思う。

 一潮さんはそこで、独特のやや訛りある語り口で、彼が住む青森には昔、だびよん劇場というライブハウスがあり、自分はそこで演奏に来た渡さんやたくさんのシンガーたちを観て音楽に目覚め自らも歌うようになったことを話したように記憶している。そして「だびよんの鳥」をうたった。
 覚えやすく流麗なメロディーにマッチした巧みな歌詞、それにましてよく伸びる歌声、さらにユーモラスな語り口を持つこのシンガーにいっぺんに魅了された。また、特に記憶に残っているのは彼の場の仕切りであった。

 高田渡死後、今に至るまで、全国でフォークシンガーが一堂に多く集うコンサートが多く開催されるようになり、最後はたいがい渡氏のうた、「生活の柄」などを出演者全員ステージに揃って歌い終わるのが通例となった。しかしこの頃はまだ死後間もないこともあり、そうしたスタイルは確立されていなく、シンガーたちに戸惑いが見られた。大概の場合、佐久間順平氏のようなバンマス的素養がある人が指揮をとるというか、うまく音頭をとって、♪せーの、と進行役を務めるのだが、今思えばその日、出られた方々は誰もかれもワン&オンリーな独自の音楽世界の持ち主であり、最後に皆で何か1曲やろうということになったのものの、「オレ、うたったことないよ」「コードわかんない」「歌詞よく知らない」とステージ上で言い出し慌てる人もいて、観客もどうなることかと一時やや心配した。
 が、幸いその時は場をうまく仕切り音頭をとってくれた人がいた。それが一潮さんで、彼がリードをとり、中心になりうまく回してくれたのでコンサートは無事大盛況に終わった。今でもそのときの姿をありありと思い出す。彼がいなかったらその場はどうなっただろうか。暖かく誠実な人柄は彼の音楽そのものでもあった。

 青森には伝説的なライブハウス、だびよん劇場という店があったとその後フォークロアセンターの国崎さんからも詳しく聞き、一潮さんはその店から出てきた人だと知ったわけだが、その年のことなのか翌年なのかわからないが、間もなく、一潮さんは、東京に来ていたとき友人の家とかで、脳溢血で倒れて意識不明となってしまう。そのことは中川五郎さんだったか一潮さんと親しかったシバから聞いたのか思い出せない。以後、青森で彼は一度も意識戻ることなく何年間も病床で眠り続けていたと聞く。
 しかし、五郎さんはそれからは、時間あるコンサートでは必ずまず彼のことを語り一潮さんの名曲「だびよんの鳥」を彼を思い、再起を願って切々と歌い上げてきた。多くの観客はその不遇の青森のシンガーのことを五郎さんを通して知ったかと思われる。今にしてそれこそが病で倒れたシンガーにとって最大の励ましであり今は供養ともなった。
 
 生涯でたった一度だけ会い、初めて会いうたを聴いた。彼の歳とか家庭はどうだかまったく知らないが、遅れてきた世代だと思われるからおそらく自分とはさほど歳も違わないかと思う。酒好きな面白い人だと彼をよく知る名古屋の知人からも聞いた。たった一度だけでも一潮さんと出会い、お話し生のライブを聴いたことは自分にとって生涯の喜びであり誇りに思う。自分も五郎さんを倣い、彼のうたを拙くとも唄い、青森にだびよん劇場というライブハウスがあり、高坂一潮という世に知られることは少なかったが素晴らしいシンガーがいたことをこれからも語り継いでいこう。

 一潮さん、東北の悲惨な大地震も知らず眠り続け亡くなわれたけれど、世界はこれからどうなっていくか北の空から見守っていてください。
 人は消え去っても後には確かな歌が残っていく。僕らが歌い続けていく限り。

コメント

_ 伊藤 一郎 ― 2011/06/29 23時17分04秒

現在(2011年6月)、青森ケーブルテレビで一潮さんの追悼番組を企画しています。01年11月~02年10月まで、一潮さんと一緒に青森市内およびその近郊を歌で旅する「一潮のぶらり一人旅」というコーナーを制作・同行しました。その映像を中心に何とかできないかと考慮中です。一潮さんとは知り合いですが、当方はミュージシャンの世界には疎く、本人にも歌について深くたずねたことがありません。ぜひ、みなさんが知っている一潮さんの人となり、エピソードがあれば教えていただけませんでしょうか。番組の完成は今年中にはと考えています。(欲を言えば2時間番組にしたい)よろしくお願いいたします。申し遅れました。私こと、青森ケーブルテレビの嘱託として勤務する者です。だびよん劇場が閉店する際に縁あって、「さよなら会」の司会を担当しました。(青森にて)

_ ひら ― 2011/07/04 10時01分35秒

高坂さん。まことに残念でなりません。高坂さんとは、20年前に同じ団地に住んでいたこともあり大変お世話になりました。よくごちそうになったり、歌ってもらったりしてました。交流が途絶えて15年あまり、今でも仕事中など高坂さんの歌を口遊んでいる自分がいます。3枚のCDを大切にしていきます。高坂さんありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

_ 伊藤一郎 ― 2011/07/10 19時42分38秒

前略  ひらさん、高坂一潮さんの情報をありがとうございます。ひらさんがお持ちの3枚のCDのひとつ、その収録の様子の映像が手に入りそうです。交渉は進行中です。
 今私が企画している番組は、青森市内の一部でしか流れない(青森ケーブルテレビ)ものですが、いずれ、全国のみなさんにもぜひ見てもらいたいという気持ちで進めています。もちろん、商売抜きです。なにしろ、私が持っている資料映像も、かつて「(私)昼飯おごるから、やらない?」「(一潮)いいよ。」で始めたものでした。彼も楽しんでいたようでした。また、情報を聞かせてください。青森は、ねぶた祭りにさきがけて、地域の子供ねぶたが、にぎやかに各町内を歩き始めています。草々 伊藤一郎

_ 伊藤一郎 ― 2011/07/19 22時43分08秒

 7月17日(日)深夜、高坂一潮さんの行きつけのお店だったbody(青森)に行きました。その昔、一度か二度、一潮さんに誘われて伺ったお店です。私は常連ではないのでこれまで躊躇していました。店主のリエちゃんとふたりで明け方近くまで「一潮さん話し」をしました。彼女は「きょう日曜だけど、店をやっていて良かった」と言ってくれました。「いつも一潮さんはどこに座っていたんですか」、と尋ねたら「今、あなたが座っているところ」という答え。場所はカウンターの、足の高い椅子。そして、BGMとして一潮さんを流してくれました。おそらく、プライベートな話しも含めて8割くらいは聞いてしまったかも知れません。わかりませんが。
 又、こちらのお店で、私は、どなたか知らずにシバさんと会ったこともあるようでした。私も若かったので、何も知らずに生意気なことを言ったかも知れません。冷や汗ものです。
 今、企画している一潮さんの追悼番組ですが、ひとり彼だけでなく、彼を通じてミュージシャンの世界・歴史のようなものを描けたらなぁと思っています。ミュージシャンを志す若者たちの兄貴分だった一潮さんの立場のような方が、きっと、全国にたくさんいらっしゃると思います。だからです。草々 伊藤一郎

_ ひ ― 2011/08/22 02時27分09秒

 しばらくぶりに、自宅でパソコンを開きコメントをいただいていることに驚きました。伊藤様すみませんでした。高坂さんにはテレビで放映された映像を録画したビデオテープをを送っていただいたことがありました。探して観てみようとおもいます。

_ 有天 ― 2012/01/21 12時30分59秒

2011年の年末に中川五郎さんのライブで聴いた曲名がわからず、なんとかいっちょうさんの曲ということしか覚えていなくて、ずっと探していたのですがやっと巡り逢えました!
ありがとうございます!
高坂一潮さん-だびおんの鳥
五郎さんは一潮さんに敬意を表して「北」の風を連れてきた♪と
歌われました。
ニコ動で大塚まさじ moonlight magic第十六回0527の1曲目にこの曲がかかるのが聴けます。

_ セイジ ― 2012/02/23 13時11分05秒

この一週間は一潮さんの音楽で、なんとか気持ちを
奮い立たせて、よろよろと職場までたどり着いています。

私も中川五郎さんがうたう「だびよんの鳥」を聴いて
一潮さんのファンになりました。すでに病床に臥されていて
生で歌やお話が聞けないままに旅立っていかれましたが、
一潮さんのうたからは、たくさんの元気とメッセージをいただいています。

偶然たどり着いた、このブログでも、マスターさんの綴られた
文章にいろいろな部分で共感することができ、
コメントを書かせていただきました。

_ 横田 陽一 ― 2024/06/07 06時35分39秒

ブログ拝見して興味を持ちました。
森田童子のファンです。学生時代、童子さんが活動停止する頃新宿ロフトのライブに通っていました。

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