改めて生活再建、人生再建に向けて2011年05月30日 07時51分19秒

★日々人生締め切りの気持ちで

 台風がもたらした連日の雨はようやく週明けと共に終わったようだ。
 今月5月ももう明日で終わる。

 生き様ということばは嫌いだし、それほど大袈裟ではないが、自分にも自分なりの生き方、ライフスタイルのようなものはある。先日、上京された有馬敲氏と数時間共に過ごして、いろいろお話を伺ったついでに、何事もいつまでにその仕事を片づけるか決めてそれを自らに課して進めないとならないと戒められた。有り難いお言葉であった。

 増坊は基本的に怠け者で、その上あれこれ沢山のことを抱えているが、どうしても優先順位とその時々の気分で、モノゴトを進めてしまう。だから当然やるべきこと、その義務があることでも後回しに、結果的に放棄され、懸案の事項が次々溜まっていくばかりとなる。だらだらでぐずぐずの全てにユルいだらしのない生き方だと自分でも思う。

 それでも50年以上何とか生きてきて、まあ何とか今まではそれでもやってこれた。それが良いとか悪いとかとかの次元ではなく、犬には犬の、猫には猫の生き方があるように、それが自分の生き方なんだと思うしかない。
 もちろんのこと、きちんとしたい気持ちはそれなりにある。しかし忙しさや様々な諸状況にかまけて、ともかくこれが落ち着いてから、終わってからと言い訳にしてきた。
 だが、今年御年八十になられながらも日々精力的に活動され膨大な仕事を公私にわたって続けてこられた詩人有馬氏に接し彼の生き方をお聴きし、何事も締め切りつくってやっていけとの叱責にさすがの怠け者もこの身も奮い立つものがあった。

 後で、もう少し落ちついたらば、時間出来たらと考えているとモノゴトは片付くどころかさらに増えてやるべきことは溜まっていくばかりとなる。何故なら生きていればまたさらに新たなモノゴトがそこに加わるからだ。ならばすべきは、どんなに忙しい最中でもそれを言いわけにせず、決めたことは何が何でもその日までに仕上げ、終わらせることだ。自ら締切日を作って、課して進めていかないと永久に、つまり生涯日々のことだけに終われて何一つきちんとした仕事は残せない。

 有馬氏は銀行員という会社勤めの傍ら詩作と思索に励み、執筆を続けまた家庭人としてもしっかり生きてきた。それは堅苦しいまさに頭に重石を乗せて背に大きな荷物を背負った人生であったに違いない。他の詩人や縁あるフォークシンガーは、彼よりはるかに自由気ままに時間も沢山あった生き方をしてきたはずだ。しかし今2011年の時点で、彼だけが一人健在で、精力的に活動しているのは何故なのか。
 限られた時間の枠内で、自らを甘やかすことなく、仲間と群れることなく一人己と向き合い、自らの芸術を掘り下げる作業を休まず続けてきたからに他ならない。どんな多忙のときでも自らの〆切りを守り自分を甘やかさなかったことであろう。それこそが芸術に限らず、何かを成す、夢を形にしていく手段なのだ。

 増坊も今、家の改築は成ったものの、工事期間中近くの倉庫に預けてあったガラクタ類、衣類、レコード、カセット、CD、そしてボーダイな本、雑誌類の処理に頭を痛めている。工事開始にあたって、それらは整理分別もろくにせず、ともかく大慌てで箱などに詰めて移動させてしまい、工事が長期間にわたったこともあり、モノはさらに増えてどう見積もってもそれをそのまま新居に持ち帰れば、生活のスペースがなくなってしまうことは間違いないからだ。今少しづつ家に運んでは分別処理に励んではいるが。

 やるべきことは山ほどある。しかし、そうした「ガレキ」の処理だけで時間を潰していると自分のことは何一つできやしない。忙しいとか疲れているとか親のこととかは言い訳にはならないしすべきではない。
 自分にとってちょうど親世代にあたる年代ながらも些かのボケもなく、頭のキレも足も速く、全てに精力的に動かれている有馬敲という畏敬の現代詩人からまず生き方を深く学んでいる。

 自分を甘やかさないこと。自己管理をしっかりすること。そして計画立てて自らに締め切りを課しワークを進めていくことだ。
 ようやく覚悟が定まった。