さあ、3月、ここから本当に再スタートだ。2024年03月01日 21時21分52秒

★キリギリスはキリギリスのまま、どうやってこれからも生きて行くか。

 今日からあっという間に3月。冬の間、年明けからだらだら自分事を書いてきたが、これで終わり、オシマイとしたい。

 結論だけ書けば、要するに、怠け者、若い時から享楽的に生きてきた我、寓話の中のキリギリスに喩えられる者が、人生の冬の時期、晩年を前にしてどうやってその季節を乗り越えられるか、ということに尽きる。
 そう、キリギリスは一日でも長く、冬が来た今、どうやったら生きて行けるか、だ。

 げんじつの話、もう行き詰ってきて、今日は、市役所に行って様々な税金の支払いに、延期を願い分割の誓約書を書いてきた。
 今のまま、ほんとうの無収入状況が続けば、もはや親たちの遺してくれた蓄えも完全に尽きてくるので、早晩、生活は破綻してしまうだろう。
 幸い、ホームレスの方々とは違い、今住んでる持ち家はあるので、路頭に迷うことはないが、日々、その家にもかかる諸税金は溜まり督促され、差し押さえへと流れは進むので、事態はさらに悪化していく。

 我自身は、衣食など何もこだわりはしないが、案ずるのは、共に暮らす動物たちの生活費の工面できないことで、ほんとうにそろそろ1円でも稼ぐ方法を真剣に求めないとならない。
 いま、模索しているのは、ネットで古本を売る稼業以外に、ネットを利用して、少しでも収益を得る方法は何かということだ。
 ブログも、ブロガーとして金を稼いでいる人も多々いるようだ。それはカンタンなことではないと思うが、自ら書くことが、少しでもお金に繋がるのなら、まずはチャレンジしてみるべきではないだろうか。

 たとえば、本であれ、何かについて我がブログなどで書いて、その画像なりを宣材として貼り付ければ、アフェリエイトって言うのか、それを読んでくれた方が、またそれを購入してくれれば、我のほうにいくらかはキックバックがあると訊く。
 良くないもの、内心、価値がないと思うものを取り上げて、褒め上げる気はないが、我自身が良いと思い、もっと売れて世に知られることを望むものを載せて、もしそれで金が入るのなら、それは正しいことではないかと考えるようになった。
 幸い、我は書くことだけは、質はともかくまったく苦にならない。いろいろ誤認識や、勘違いはあるかもしれないが、書きたいことは本や音楽についていくらでもある。
 まずは、そうした様々なネット上での金を稼ぐ手段を模索していこうと思っている。
 その場合、当ブログではない、別のブログで活動となろう。また、そのときは、この場所でそちらへのアクセス方法はお知らせしたいと考えている。
 ともかく、今年、2024年度中に、キリギリスがこれからも生きて行く処方を何としても見つけ出さないとならない。
 もう季節は今年も春が来た。が、我が人生の冬の時期を、一日でも長く、いかにして生き延びるか、まさにそこに、最大の課題、目的がある。

 これからもおいおい、そうした状況は、まずはここで、できるだけ正直に、包み隠さず書いていく。何であれトラブルにまた繋がらぬようなことは書き記していきたい。
 まだまだ、もう少しだけ人生は続く。そう信じてやっていく。

表現の自由と「差別用語」考~「買い物ブギ」をテレビで再演することについて2024年03月03日 14時07分04秒

★つんぼ、は、その歌の中で使うべきではない、と。

 個人的に気になっていることを書く。
 いま、NHKで放送している、笠置シヅ子をモデルにした、朝の連続ドラマについてだ。
 正直、このドラマに対しては多々違和感というか、書きたいこともあるのだけれど、それはまた置いとくとして、いま、いちばん気になるのは、劇中で主人公が唄う、服部良一作詞作曲の『買い物ブギ』である。

 ご存じの方には説明不要だろが、様々な買い物に街に出て、いろいろ買った挙句、ラストにおっさん、これなんぼ?と何度も訊いても、訊かれた主人は何も応えずに、オッサン、オッサン、オッサンという繰り返しのフレーズの挙句、帰ってきた返事は、「わしゃ、聞こえまへん」で、その歌は終わりとなっていく。
 が、元々の原曲、つまり唄われた当時は、何で返答がないかというと、「わしゃ、つんぼで聞こえまへん」であった。
 ただ、現代では、その「つんぼ」という言葉が、差別用語というのだろうか、聴覚障碍者に対して問題があるとの認識からか削除されていて、我の持っている彼女の当時オリジナル音源の復刻CDでも、その部分は、ピーと伏字ならぬ、伏音がかかってたように記憶する。
 で、今回のドラマの中でも、「つんぼ」という言葉が削られて、ただ「聞こえまへん」とされて唄われた次第だ。
 これでは、元々のうたの意味がよく伝わらず、これは無意味な言葉狩り、過剰な自粛だという意見もあちこちで見かける。
 確かにそうも思える。が、我としては、やはりいまこのうたを唄うならば、まして広く誰もが見聞きする公共放送の場ならばなおさら、「つんぼ」は使うべきではないと思う。

 むろん、つんぼ、めっかち、我の母たちがよく口にしていた、おっちんぼ、ちんば、びっこ、などという言葉自体は、使うことの是非如何ではなく、言葉として残すべきものだと考える。
 その言葉を無くしたからといって、その障害自体がこの世からなくなるわけではないし、文化的伝承としても、昔の書物中の言い換えなどはすべきではない。
 今日でも例えば、手塚治虫の漫画本などでは、巻末に、「今日では差別にあたる表現が見られるが、オリジナルを大切にしてそのままにしました」というような「お断り」が付けたしされているが、それは正しいと断言する。
 あくまでも当時は、差別意識云々とは別に、表現としてそれは確かに広くに世間にあったわけで、差別している意識は検証すべき必要は多々あれど、それはそのままにして伝え残すべき事例であろう。
 よって、CD復刻などでは、できるだけ当時のままで、出すべきだと我は考えている。じっさい、近年では、一時期よりそうした意識の元に、ヘンなピー音など被せずに出されている昔の音源も多いと思われる。
 それは本にしろ、なんであれオリジナル尊重として大いに喜ばしい。

 が、では、今のテレビの劇中で、『買い物ブギ』を昔のまま、当時のオリジナル歌詞そのままで唄うのはいかがなものか。
 我は、以前もちょこっと書いたかとも思うが、色覚障害があり、色の一部が健常者のように正確に判断できない。昔で言う「色盲」なのだ。
 そうした障碍ある者としてこのうたの「つんぼ」を考えたとき、やはりこれは非常に複雑な気持ちにならざる得ない。
 昨今ではどうかわからないが、都心の地下鉄の路線図など、我にはほとんど見ても判別できないし、数年前、拙宅のプリンターが壊れたとき、修理相談にメーカーのオペレーターとの電話対応にも苦労したことを思い出す。
 電話口の女性は、プリンターの上部に点滅しているごく小さなランプの色が、いま何色か、緑なのか赤なのかと我に聞く。
 が、その単独のランプの色が、我には、何色なのか色盲である我には全く判別ができない。だから、正直にそのことを伝えるしかなかった。
 街中の信号だって、昨今では、ほとんどLEDのものに替わり、昔のランプ式のモノは少なくなったので助かるが、以前はほんとうに判別に常に苦労していた。特に背から夕陽を浴びたりしていると、昔の信号は我にはほとんど何色が点いたのか判別できなかった。仕方なくランプの位置で判断していた。

 一部の色がうまく判別できないということは、多々生活の中で不便なことはかなりある。が、かの乙武氏の名言ではないが、障害は、不便だが不幸ではない、とはまさにその通りで、それはそれで我の個性であり、不便なことが多い社会だが自らを不幸だなんて考えたことはない。
 と、自分では思う。そうしてそのことを自ら書いたり公言はできる。が、では、それを他人に、しかも障害のない人間に、それを「うた」にされて、さらにうたの中の「オチ」に使われたらどうだろう?
 「オッサン、オッサン、これ何色?」と繰り返し問われて、「わし、色盲でわかりまへん」と歌われたら、当時でもそれを笑って受け流すことができるだろうか。

 自分が、地下鉄の職員で、○○駅へここから一番てっとり早く行くには何線と何線を乗り換えて行けばいいか聞かれる「地下鉄ブギ」といううたがあったとする。
 「オッサン、オッサン、オッサン、このカラー路線図のどの線に乗ればよろしいんか?」と何度も訊かれて、挙句に「わし、色盲でわかりまへん」というオチはやはり考えただけでもツライ。
 そして気がつく。ツライのは、つんぼとか色盲という「言葉」自体が原因なのではなく、その不自由かつ不便な状態、=障害を、笑いの対象、うたのオチにされたということだと。言葉は言葉でしかない。
 むろん、オリジナルの音源は、そのままでもちっともかまわない。いくら訊いても返事がないのは、つんぼだったというオチは、コミックソングとしてあまり上質なギャグとは思えないが、それもまた仕方なく過去の「時代」なのだと理解できる。

 ただ、一部に、オリジナルを重視しろ、は、ともかくも、言葉狩りだとか、今のテレビ放送でも、それを昔のまま唄うべきだという意見にはあえて異を唱える。むろん、ただ「きこえまへん」だけでは意味がよくわからない。ならばこそ、当時はその歌の中に「つんぼ」という言葉があり、それらが使われていた時代にも思いをはせるべく、世に伝えていきたい。それこそが当時を知る者の義務ではなかろうか。
 ※このドラマ中に、「パンパン」とか「パンパンガール」という言葉が平然と出てきたが、パンパンは差別用語ではないのだと、今回思い知った。むろん、パンパンこそ、当時は差別、蔑み用語の筆頭であり『銀座カンカン娘』という映画も「パンパン娘」では、あんまりだということで、全く無意味な「カンカン娘」に替えたという逸話を思い出したことを記し終わりにする。映画そのものは、パンパンそのものの映画ではなく、たわいもない楽しく明るいものだが。

太田三造コンサートat国分寺ギー3月9日(土)2024年03月04日 00時26分24秒

★我の盟友・太田三造+オープンマイクコンサートのお知らせ

 我が近年ずっと音楽活動を共にしてきたフォークシンガー太田三造さんのワンマンライブが、今度の土曜日、3月9日、国分寺のライブ喫茶「giee・ギー」で開催される。
 時間は、午後7時からとのことで、我も都合つけば顔出せるかと思う。※投げ銭だそうです。
 先に記した、去年からの我の出来事の経緯にも深く関わり、このところ大変お世話になっている方であるし、今年、これからの抱負としても何としても今年中には、彼のCDアルバムを録音・作成して、世に出したいと考えている。
 お時間とご都合つく方は、ぜひご来場願いたい。
 詳しいことは、ギーのホームページを。https://giee.jp/calendar

昨日のライブは、体調悪くて行けませんでした。2024年03月10日 22時13分12秒

★ほんとうに申し訳ありません。

近況を記す と2024年03月26日 11時31分01秒

★今すぐ死ねない、まだ死なないならば

 毎年のことだが、春は雨もよいの日が多く、降らずとも曇天が続く。
 このところ数日おきに雨の日が続くが、降っても春の雨だから傘が要らない程度の弱く短い時間のことも多い。
 が、今日は、昨夜から久々に本格的に音立てるほどの強い雨が降っている。予報では、このまま終日、夜半過ぎまで降り続くとのことだ。暖房もないから当然寒い。冷え込んでいる。
 外仕事は雨では何もできないので、溜まりに溜まった紙類の片づけ・整理分別処分など、足の踏み場のない室内の掃除・片づけを少しでも進めていくしかないのだが、今日は久々に腰据えてパソコンに向き合い当ブログを書き進めていくことにする。
 またまた更新がずっと滞っていた。ご心配おかけして申し訳ない。

 理由はともかく体調が悪く、心身ともに不調で、書けたとしても毎度の愚痴のような訴えにしかならないからだ。
 そんなものは誰も読みたくないし、心ある人には嗤う以前にご心配かけるだけだろう。ならば、書きたい気持ちはあっても書くべきではないではないか。

 自分でもいったいどうなってしまったのか、どうしたら良いのかと思うけれど、ウツウツとした気持ちと右腕全体の痛みと痺れがまた再発して酷く何一つきちんとできずに時間あれば横になってばかりいる。
 世の人から見れば、たんなる怠け者、頭がおかしくなってると思われるだろう。もうどこにも行かないし誰とも会わないし誰からも連絡はない。

 届くメールは、我は持ってもいないカードや口座などに不正利用があったので、確認の返信をしろという詐欺メールばかりだし、かかってくる電話は、給湯器の点検にこの地域を回っているから伺いたいというこれまた詐欺商法のアクセスだ。
 まっとうな電話は、先日、不動産会社からの、お宅の持ってる空家を借りたい、売ってほしいという方がいると言うので、訊けば、我がいま住むこの家のことであった。
 世間ではこの荒れ果てたゴミ屋敷の庭先を見て、この家はヒトが住んでいないと判断するのだろう。
 そう思われても仕方ないが、売れば多額の金は入ってきたとしても行先もないし、だいいち全てあるものを処分することなんか我が生きている限りできそうにない。右から左にそれが出来ていたらこんな悲惨かつ最悪の状況にならなかったのだ。

 我が今乗っている車もまた同じことで、庭先で作業していたらば先日は浅黒いアジア系外国人が来て、このクルマ、使ってないなら売ってクダサイと言われた。
 確かに、雨のたびに濡れてはならない庭先に出ているものなどを車内に満載しているから、荷物でいっぱいのボロ車を見ればフツーは、もう廃車状態だと判断するのであろう。何度もそうした買取のチラシがワイパーなどによく挟まっている。
 が、こんな車でもないことには山梨の倉庫には行けないし、猫たちを動物病院に連れて行くことも難しくなる。何より荷物運ぶのに自転車だけでは限界がある。移動の手段として、クルマはガソリン代も含めて今はやたら金がかかるけれど、ないと本当に困るので売るわけにはいかないのだ。

 先日は、そこに市役所から介護保険の担当の男が来て、ずっと未納になっている介護保険代を支払えと言ってきた。このままだと利用するときに制限が出るとも。
 しかし、払いたくても今は、一円も収入がないのだから払えないと正直に伝えたら、ともかく少しづつでも払ってください、と言い残して帰って行った。
 「外」の世界からのこと、世間とは今の自分にとってそれだけのもので、届く郵便は諸税金類の督促状だけだし、友人知人からの楽しい便りなど全く途絶えた。
 ご近所付き合いもないから、都会に住んでても世捨て人のようなもので、今は唯一ごく親しい知人がウチの片づけなどに来てくれたときに会うだけで、あとは猫や犬など動物相手だから誰とも話すこともない。

 以前はそうした中でも心の内を日々拙ブログに書き記し鬱気分を散らすこともできたが、それも近隣からの悪意ある嫌がらせにより控えるしかなく、ますます鬱は悪化傾向にある。
 日中も昼寝しているからか、夜も早く眠くなっても真夜中に尿意などで起きてしまうとそれからしばらく眠れずにそれがまたツライ。
 うんと昔の学生時代の仲間とのことや、もう死んでしまった人たちのことがあれこれ次々思い出されて何時間も眠れず、そのうち外も明るくなってくる。
 夏だったら早暁でも散歩に出たり、外で何かできるのだけれど、まだ今はとても寒くて起き出せずに、布団の中で枕元の文庫やスマホを繰ったりしてもうひと眠りするまで苦労する。
 そして思うのは、こうしてこんな風にしか生きられないまま、なし崩し的に死んでいくのかな、と。
 何一つきちんと為し終えずに。時間だけは無常に過ぎて浦島太郎のように気がつけば齢だけとって老いさらばえた。
 最愛の親たちも逝き、我には妻も子孫もないのだから、何故にこの地獄のような状況を一人生きて行かねばならない?
 自らが蒔いた種だとしても刈り取らねばならない義務はあるのだろうか。

 だが、それでも目覚めてまた一日が始まり、腹をすかせ騒ぐ猫たちにご飯あげて思うのは、彼らがいる限りまだ死ぬわけにはいかないし、動物の世話という義務があるからこそまだ我は生きているのだと。
 そしてまたこんな人間にも支援してくれ時に助けてくれた奇特な友人知人が少なからずいることを思うとき、彼らの愛、恩義に報いることなくして死んではならないと気づく。
 そう、まだ今すぐに死ねない、まだ我に時間が少しでも残されているのならば、死ぬまでの間に、今在るものすべてにきちんと向き合いこれまでに我が受けた「愛」を感謝と共に少しでも少しづつでも返していくことだけだろう。
 嫌でも終わりの時は来る。それまでもう少しだけ頑張らねばと思う。

 どうしようもない人生だからこそ、どうにかしないとならない。それは、この社会、世界だって同じことで、どうしようもないからといって「そのまま」にしていては、その悪しきこと、状態は永遠に続いていく。
 どうにかできる、できないかではなく、やっていくしかない。誰の人生でも生きて行くとは、そうしたものではないのか。
 どうにかしていく。誰よりもどうしようもない人生だからこそ。

風雨強かるべし2024年03月29日 08時54分49秒

★ともかく生き続けていく

 また外は、台風のような強い風を伴った雨が降り続いている。犬との散歩にも出られぬ。
 ただ、予報では午後からは雨もやみ、晴れてくるとのことだから、もう数時間の辛抱だと思える。この後はしばらく晴れの日が続くらしい。
 相変わらず混沌、混迷のままに何もできない人生だが、ようやく気持ちは立ち直ってきた。本当にがんばりたいと思う。ご心配おかけしたとしたら申し訳ありません。

 日々、自らに向かって、いったいどこまで(オレは)とことんバカなのか!!!と叫び、叱責するような失態が相変わらず続いている。が、それはそれこそ、我の本質、生来の資質なのだから呆れ果てつつも受け容れていくしかない。
 他者なら、愛想つかして見捨てて、関係を絶ち縁を切るということもできるが、当人・当事者としては、それは自死しかないわけで、それは意味がない。
 自ら命を絶ち死んだとしても、まさに死後裁きにあうと信ずるし、輪廻の観点からすると、また再度人生をやり直す羽目になるだけのことだから、それでは単なる逃避、先延ばしでしかない。
 ならば、万死に値するような酷い行いばかりの人生だとしても、自然にその寿命が尽きるまで、とことん悔い改めつつ生きて行くしかない。
 苦難と困難ばかりの我が人生となったが、それもまた自らの失態、失敗、考えなしの判断ミスの積み重ねの結果なのだから、ほんとうに仕方ない。自業自得なのだから、良くも悪くも受け容れ承認していくしかない。
 ただ、もうこれからは、これまでの生き方は繰り返さずに、なんであれ全てそのままにして放擲などせず、後回しや先送りの、その場しのぎの罪は犯さないことだ。

 我はほんとうにだらしなく、考えは甘くウカツであった。それでも無難に身勝手かつ好きなように生きてこられたのは、親の庇護があったからで、今思うと面倒なことはすべて、経済的にも親に頼り依存して生きて来ていたのだ。
 その両親が亡くなれば、とうぜん人生は破綻する。自分一人では何一つできない、それこそ靴の紐さえ結べない人間なのだから当たり前の帰結であった。
 我に今在る、遺されたものは大きな家と、世間的には無価値に思われる本や雑誌、レコードや衣類など家中飽和状態の「ガラクタ」とかなりガタの来た我が身体だけだった。※そこにたくさんの動物たちもいる。
 親の残してくれた家の貯金は間もなく尽きる。さあ、これからどうしてどうやって生きて行くか。
 しかし絶望はしていない。朝ドラ・『ブギウギ』の羽鳥先生ではないが、これからのことを思うとき、ワクワク、ズキズキしている。
 まずは、「とりあえず」として、「そのまま」にしてきた悪しき状態のモノを無くしていくことからだ。

 『風雨強かるべし』の「べし」は、「夜は寝るべし」の「べし」と同じく、それは当然だ、という意味での「べし」であろう。
 ならばそれもまた良しとするしかないではないか。その風雨は当たり前、必然ならば晴れの日もまたあるに違いない。
 どうしようもない劣等人生を、すこしでもどうかしようとしていく。どれほど愚かでも人生は自分だけのものだ。誰にも奪われないし損なわれない。

 外はまだ風の吹きつける音はしているが、雨は小やみになり明るくなってきた。
 嗤われるだろうが、全てはこれから、ここからだと。まだもう少し人生は続くと、時間はまだあると信じて生きて行く。