風雨強かるべし2024年03月29日 08時54分49秒

★ともかく生き続けていく

 また外は、台風のような強い風を伴った雨が降り続いている。犬との散歩にも出られぬ。
 ただ、予報では午後からは雨もやみ、晴れてくるとのことだから、もう数時間の辛抱だと思える。この後はしばらく晴れの日が続くらしい。
 相変わらず混沌、混迷のままに何もできない人生だが、ようやく気持ちは立ち直ってきた。本当にがんばりたいと思う。ご心配おかけしたとしたら申し訳ありません。

 日々、自らに向かって、いったいどこまで(オレは)とことんバカなのか!!!と叫び、叱責するような失態が相変わらず続いている。が、それはそれこそ、我の本質、生来の資質なのだから呆れ果てつつも受け容れていくしかない。
 他者なら、愛想つかして見捨てて、関係を絶ち縁を切るということもできるが、当人・当事者としては、それは自死しかないわけで、それは意味がない。
 自ら命を絶ち死んだとしても、まさに死後裁きにあうと信ずるし、輪廻の観点からすると、また再度人生をやり直す羽目になるだけのことだから、それでは単なる逃避、先延ばしでしかない。
 ならば、万死に値するような酷い行いばかりの人生だとしても、自然にその寿命が尽きるまで、とことん悔い改めつつ生きて行くしかない。
 苦難と困難ばかりの我が人生となったが、それもまた自らの失態、失敗、考えなしの判断ミスの積み重ねの結果なのだから、ほんとうに仕方ない。自業自得なのだから、良くも悪くも受け容れ承認していくしかない。
 ただ、もうこれからは、これまでの生き方は繰り返さずに、なんであれ全てそのままにして放擲などせず、後回しや先送りの、その場しのぎの罪は犯さないことだ。

 我はほんとうにだらしなく、考えは甘くウカツであった。それでも無難に身勝手かつ好きなように生きてこられたのは、親の庇護があったからで、今思うと面倒なことはすべて、経済的にも親に頼り依存して生きて来ていたのだ。
 その両親が亡くなれば、とうぜん人生は破綻する。自分一人では何一つできない、それこそ靴の紐さえ結べない人間なのだから当たり前の帰結であった。
 我に今在る、遺されたものは大きな家と、世間的には無価値に思われる本や雑誌、レコードや衣類など家中飽和状態の「ガラクタ」とかなりガタの来た我が身体だけだった。※そこにたくさんの動物たちもいる。
 親の残してくれた家の貯金は間もなく尽きる。さあ、これからどうしてどうやって生きて行くか。
 しかし絶望はしていない。朝ドラ・『ブギウギ』の羽鳥先生ではないが、これからのことを思うとき、ワクワク、ズキズキしている。
 まずは、「とりあえず」として、「そのまま」にしてきた悪しき状態のモノを無くしていくことからだ。

 『風雨強かるべし』の「べし」は、「夜は寝るべし」の「べし」と同じく、それは当然だ、という意味での「べし」であろう。
 ならばそれもまた良しとするしかないではないか。その風雨は当たり前、必然ならば晴れの日もまたあるに違いない。
 どうしようもない劣等人生を、すこしでもどうかしようとしていく。どれほど愚かでも人生は自分だけのものだ。誰にも奪われないし損なわれない。

 外はまだ風の吹きつける音はしているが、雨は小やみになり明るくなってきた。
 嗤われるだろうが、全てはこれから、ここからだと。まだもう少し人生は続くと、時間はまだあると信じて生きて行く。