ただただ有難く、情けなく申し訳ない2024年04月20日 23時51分19秒

★現金書留が昨日届いた。

 拙ブログで、このところ我の窮状というか、困窮状態にあることを韜晦気味に何回か書いてきた。
 そしたらば、それらを読まれた方からコメントの書き込みが久しぶりに届き、我を暖かく励ましてくれたと同時に、猫の餌代にカンパするとのことであった。※4月11日付け。
 我としては、助けを求めたり誰かが援助してくれることを期待してこの「実情」を書いてる気は毛頭なく、正直な気持ち、まずそのお申し出には驚いたし、またそれが実現したとしても額など期待していなかった。
 この世の中は、話半分に考えておいたほうが良いことはたくさんある。届かなかったにせよ、その気持ちだけで十分だと思っていた。

 それが届いた。現金書留で。サインして配達員から受け取り、その封筒をその場で開けてさらに驚いた。額はここに記せないが、かなりの金額がピン札で入っていた。
 まずは直接、その方に届いたことの御礼を申す連絡をすべきである。が、現金書留の封筒には、住所氏名とご自宅の電話番号は書かれていたが、直に電話すべきかずっと迷っていた。何をどう話せばよいのか言葉がみつからない。口下手な我はただしどろもどろするだけだろう。また当人がうまくすぐ電話口に出られるとも限らない。

 メルアドなりショートメールが送れるならば、簡潔に感謝の意を記してまずは一区切りとできるのだが、メルアドも携帯番号もわからない。
 昨日からずっとその封筒を大事に抱えながら、どのようにその方と連絡を取り、こちらのキモチを伝えるべきか考え迷い頭悩ませていた。
 彼のコメントは、先に公開して誰でも読めるのだから、迷うところも多々あるが、やはりこの場で、つまりブログを通して今思うことと、感謝の気持ちを伝えるしかないと考えた。

 実は、その方は、拙ブログの読者とはいえ、まったく面識のない未知の人ではない。
 個人情報に関して今の時代やたらウルサイので、お名前など出せないが、我の学生時代のサークルでの後輩にあたる人で、ある意味、友人と呼べるかもしれない。
 が、学年が離れてたこともあり、個人的に親しく付き合ったり一緒に何かした記憶は思い出せない。
 ただ学生時代から非常に才気あふれる人で、常に皆に高く評価されていたと覚えるし、我もまた同様に彼には大いに注目していた。
 彼は、大学を出た後は、映画や漫画の原作、脚本家として活躍しだし、マンガ雑誌の表紙や映画のチラシなどで彼の名前を目にすることが多くなった。
 頑張ってるなあと感心し活躍を願うだけでなく、彼が手掛けたコミックスなどはできるだけ買い集め1ファンとして読んできた。

 彼との関係は、本来は先輩、後輩という括りになるのかもしれない。常識的には、先輩ならば、年下の後輩の面倒を見、世話したり何らかの影響を及ぼす立場にあるべきだと思うが、我と彼はまったく逆で、彼の方が、我を導き影響を大きく与えてきたという経緯がある。
 うんと昔、どこかで書いたかもしれないが、我がネット上で、いまの古本稼業を始めたきっかけは、彼から届いた古本が詰まった箱の中にあった、北尾トロ氏が書かれたネット古本屋開設指南本を読んだからだし、当初は、その稼業の原資となった本の多くは、彼からの寄贈によるところが大だった。
 そう思うと、友人というのはおこがましく、まさに奇特な博愛の人という気がする。何ゆえにこんな我に、これほどよくしてくれるのであろうか。

 そんな彼とはもう十年以上疎遠になってしまっていて、先にも書いたが、一方的に彼の為した仕事でのお名前を目にするだけであった。
 しかし、彼もまたこのブログは読んでくれていたわけで、今回のコメント共に現金書留によるご支援が届き、今はただただ有難く、かつ情けないような、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 もちろんすごく嬉しい。が、ほんとうに情けない気持ちと、申し訳なさ、といううまく説明できない複雑な感情はどうしたものか。

 この恩義は必ずいつか、生きている間に返したいと思うし、彼のご厚情にどのような形でも報いたいと願う。
 あえて書くが、我は、このブログはもう誰も読んでないと思っていた。昔からの旧友たちの多くは我に離反していったこともある。いや、読むのは、我を社会の敵として目し、要観察対象として監視している敵意と悪意の輩だと警戒していた。
 が、今回の件で、その考えを改めた。このブログを好意的に、少しでも楽しみにして読む人が、一人でもいるのならば、きちんと応えたいと思うし、それこそが書くことの義務、責務だと思い至った。
 彼のような善い人になりたいと願う。そして我もまたこの恩愛を、また別の誰かに届けたいと思う。
 がんばりたい。Kちゃんほんとうに有難う。

コメント

_ ケンイチ ― 2024/04/21 11時56分05秒

お金を上げることは上からの行為だと自覚しています。でもどこかで金なんてどうでもいいよという気持ちもあります。(もちろん多少余裕があるから言えるんですが)またあくまで猫のごはんという、「ネコ」対象だからという気持ちもあります。またこの私の行為が「がんばれ」の力になってほしいとも思っていません。そういうのはしんどいでしょう。単に自分が年を取り、弱者を知り、健康を失い、介護をやり、友達が亡くなってきたことが今回の気持ちになっていると思います。お金を稼ぐのは大変ですが(いや決めつけは良くない、大変じゃないかも?)、その稼ぐ様子を増田節で書かれると非常に面白く読めるのではないでしょうか?文章を書くために、バイト?(仕事、労働)をするという順序で構わないと思います。私は日記文学が大好きですが、増田節のファンとしては、そういうものを読みたいと思います。

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