もういっぱいいっぱいなんですから2011年05月31日 21時52分38秒

★やるぺきことを少しづつでも

 いろいろ後手後手で遅れて本当に申し訳ない。

 自分が敬愛するソウルブラザーさこ大介兄貴が率いる大介バンドのメンバーでトランペット担当のさいとうさんという方がいる。本業は役者さんで、自由劇場の出身で、近年は「踊る走査線」とかいうドラマや映画でも幅広く活躍されているので、お顔をご存知の方もいるかと思う。なかなか味のあるユニークな個性の俳優である。素顔の本人はとても真面目できさくな良い人だ。
 そのさいとうさんの口癖で、よく事あるごとにステージでも口にされるのが、「もう、ほんといっぱいいっぱいなんですから」というのがあるが、今は自分もまったくその通り、ほんま俺もいっぱいいっぱいだとつい言わざるえない。

 連絡すべきことも遅れて溜まる一方だし、書きかけの報告すべきブログも遅れに遅れている。季節と時間だけは確実に過ぎ、今月も今日で終わってしまう。
 昨日書いたことと矛盾するようだが、怠けているわけでものんぺんだらりりとしているわけではないが、日々なぜか慌しく忙しく、もう疲労困憊で、自分でも限界、常に無理していると思う。さいとうさんではないが、「もういっぱいいっぱい」なのだと言うしかない。

 あれもこれも自分ひとりでやれるともやっていけるともやっているとも思わないが、家のことがあり、親達の世話があり、そしてその後に自分のことがあり、自分の「芸術」もある。岡本太郎はあれほど破天荒な人だから、おそらく個人としては芸術以外の実人生、つまり生活においては無能の人ではなかったかと想像するが、彼には養女となった生涯のパートナーとなった女性がいた。彼女がじっさいのマネジメント等いっさいの雑事を担当してくれたから彼はあれだけ自分の芸術に専念できた。
 このところ、様々なミュージシャン他、芸術に関わる方々とお付き合いする機会を持って思うことは、皆、それぞれマネージャー的スタッフがいるか、その人を支える身内をちゃんと持っているということだ。
 当たり前のことだが、男なら奥さんがいて、その人が彼の生活、つまり日常生きていく基本的なことは賄ってくれている。つまり炊事も洗濯も掃除も任せきりでないとしても奥さんもしてくれるのである。だからその人は自分の仕事、芸術に専念できる。いや、その時間は割り勘できよう。

 自分の場合、生涯一人きりだから、まず自分の生活雑事があり、そこに親達の介護というか、世話、面倒がさらに加わる。今は親達も末期の時期で、体調良いときでも病院通いは欠かせないし、彼らの娘、つまり実の妹はいなくはないが、妹は九州にいるので、なかなか東京に来ることはできない。だからいっさい自分がやらねばならない。

 じぶんの仕事と、趣味的なこと、それと親たちのこと、家のことも含め多くそれが辛いとか大変だと思わなくとも、正直あれこれ抱えていっぱいっぱいだと告白する。妻なり、旦那なりがいれば楽できるかどうかはわからない。ただ、家事の幾分かは分担できるのではないか、結果、自分の時間が増えるのではないかと推測する。

 しかし、それはないものねだりのようなものだし、これはこれ仕方ない。きちんと結婚できず、今に至った自分が悪いわけで、その責を負うのもまた自分なのである。生きていくのが大変だというのはどこの誰だって同じことだ。夫婦の利点とは利便性以前に、おそらく相談や愚痴をこぼす相手が身近にいるということなのだろう。

 今日はまた倉庫の片づけで、青梅まで行き、けっきょく近くに借りている倉庫は今月中にカラにはできなかった。努力はしたが、時間的にタイムアップとなり、5月は終わりとなってしまった。あと一回青梅まで運べば何とかなるという目安は見えたのだけれど。時間と体力的にもはや限界であった。
  今は足腰立たず、手も疲労でかじかんで、曲げることすらできない。でもこれもまた生きることなのだと。へとへとになって、まさに擦り切れたジーンズのような気持ち。ボビーといっしょに旅していなくとも。そしてこの情けなさも含めてブルーズだなあと思ってしまった。

 いっぱいいっぱいでもともかく生きていく。一人なんだからあれこれうまくスムーズにできないと開き直って。言い訳にもならないが。