月曜は親たちデイケアの日2011年05月16日 21時52分52秒

★自分のことと家のこと

 今日月曜は、親たちが近くのデイケアに午後から行き不在となるので数時間だが自分のことに専念できた。親たちのことを全く考えず、自らのことに集中できるのは週のうち今日の午後だけなのだがそれでも有り難い。ほっと一息つける。気分が違う。

 早めに昼飯食べさせれば施設から迎えの車が来て夕方6時頃まで向こうで預かってもらえる。母はまだ要支援の段階なので、介護保険が利用できるはこの週に一日だけなのだが、親父は要介護2なのでもっともっと預けられる。が、今のところ、母と一緒じゃなきゃ嫌だと騒ぐので、たった一日月曜の午後だけの利用に留まっている。
 自分の気持ちとしては、せめてもう一日施設に行ってくれればもっと楽できるのにと思うが、彼の気持ちもあることだしまた再認定の時にでも申請をと考えている。週のうち何日か朝から夕方まで預かってくれるデイサービスがより理想なのだが、自分の楽ばかり考えるのは如何なものかという気もしている。

 大して疲れるような労働も気を使う作業もしていないのだが、歳のせいか夜になると疲れでボーとしてきて10時過ぎると起きているのが辛い。足腰が痛く体が重くなるのは旅の疲れではなくもはや慢性的なものだ。午後から夕方30分でもどこかで仮眠できればだいぶ違うのだが、夕時はたいがい本の発送とかに追われるので当日分の受注がない日はともかく昼寝もままならない。
 それでも今日は午後、先の福島いわき旅行のコンサート報告の二日目半分だけ画像をアップした。今日だけで終えてしまおうと考えていたが、やはり全部終わらなかった。何しろ17組も出たのである。撮った写真から選び、短いコメントを加えブログにアップしていくだけで何時間もかかってしまう。

 春一での顛末を知る親しい友人からなんでお前はそんなことをするのかという問いかけがメールであったが、正直自分でもその動機がよくわからない。ただ、だらしないくせに記録、保存マニア的傾向が自分にはあり、誰のためとか以前にまず自らのためにも自分が関わったこと、いや、見聞きしたことはきちんと記録していきたいという気持ちは変わらない。

 音楽は風太の言うようにその場そのときを楽しみ心に焼き付けていけば良いという考えも深く共感するし理解できる。が、誰かが記録し書き記していくこともまた必要ではないかという思いもある。ましてこれはサブカル、公的な記録は誰も残してくれるものではない。いつ、どこで、何があり、誰が出てどんな様子であったか、それは参加した一人ひとりが書き残していかない限り、やがてはなかったことになってしまう。それは企画したり出た当事者がすべきことだというのは当てにはならない。何故なら主催者の視点と観客のそれはまた別なものであるし、まして春一のサイトの過去史を見ればわかるように主催者によって出演者すら恣意的に事実は改変されていることはままあるのだから。

 まあ、何はともあれ、何事にもだらしのない自分だが、今はともかく一つ一つ自分が関わったことはできるだけ全てきちんとさせていきたいと強く願っている。何より誠実でありたいということは他者に向けてでなく自らにとってのことだ。