季節の変わり目に思う。2011年05月22日 23時06分30秒

★ようやく疲れがどっと出たような。

 昨日まで真夏日となるほど暑かったり、今日からは雨で急に肌寒くなったりと五月は春から夏へと季節の変わり目で気温の変化が大きく健康な若い人でも体調維持が難しい。

 実はこの数日来、どうしたことか足腰が痛くだるく、起きていることすら辛くて、家にいるときは断続的に昼寝ばかりしている。朝起きて家の用事、炊事や洗濯とか一つ終えるとだるくてベッドで1時間ぐらいまた寝てしまう。少し横になれば体力はやや戻るが起きて数時間するとまた辛くなって倒れこむように寝てしまう。その繰り返し。
 今頃になって連休の頃の旅の疲れが出たのかとも思うが、この疲れようは自分でも異常な感じで、大した作業はしていないはずなのに腰部を中心に節々筋肉はあちこち痛いし、疲労感は全くとれない。ベリーダイアードである。
 足も上がらないし立っていることすらつらい。これが老化ということなのか。つまり日頃ちっとも体を使っていなかったから、無理な旅をしてその疲れがどっと噴出したのかもしれない。もはや無理はできないぞということなのか。
 考えてみれば、一昨年の夏は若い友人たちと共に山小屋泊で、二日間に渡る富士登山もできた。そのときは50になってもまだ自分には思いのほか体力があると自信持てたが、今同じことを試みたらと考えただけでぞっとしてくる。体力よりもその気力がまったくわかない。やはりそのときはまだ少しだけ若かったのだ。

 このままこんな状態が何日も続くようならば、どこか悪いのかもしれないので病院へ行くしかないだろうし、もし回復してきたとしても、これからは体調管理、体力維持に注意しなくてはならない。今のままでは被災地に出向いて何かお手伝いするとかボランティアに参加する以前に、向こうでこちらが要支援、要介護となってしまう。昔からギャグで、「ボランティア、する側よりもされる側」なと゛という不謹慎な川柳を詠っていた自分だが、マジに不安になってきた。

 もうかなり長く好き勝手なことをして生きてきたから、いつ死んでもおかしくないという気持ちもこのところ時々ふと心よぎるが、老親を抱えてすぐには死ねないし、何よりまだやり残したことも沢山ある。こんな自分にできること、すべきこと、まして自分にしかできないことも必ずあると自負している。このところあれこれ否定されることも多いが、自らだけは自分のしたことを肯定したいし後悔なく満足して死にたいと願う。

 ならばもっと体力つけて、せめて60歳ぐらいまでは不調をこぼしたり寝込むことないよう健康維持に努めたい。実は今年初頭に自分も今年こそは、という誓いをいくつか立てた。
 一つは健康のために、近くにある市営スポーツジムにまた通うこと、そしてもう一つは今年は何か新しい楽器をとりあえずマスターすることだった。マスターすると言っても縦横に自由勝手に弾けるようにならなくてもかまわない。とりあえず、その基本がわかるようになればと考えていたのだが、そちらは今時間的にも金銭的にも難しくなってしまった。予定ではクラリネットなど管楽器を漠然と考えていたのだが・・・。

 スポーツジムの方は、今は週に一度程度なら通うのも決して難しくはない。最初はよりただ疲れるだけだろうが、楽器にせよ何にせよ少しづつでも続けていくこと、維持していくことが肝要なのだから6月から行こうと予定している。ともかく今のままではどうにもならない。早晩老化が進み、動けなくなってやがて体力気力共に衰えて病院通いとなってしまうだろう。今ならまだ時計の針を戻せるかもしれない。

 そう、目標は敬愛する中川五郎さんである。還暦を過ぎても彼ぐらいフットワーク軽く動けて歌え書ける人に自分はなりたい。