ようやく人生がほんの少しづつだけど動き出した感2025年04月23日 23時22分10秒

★ともかくまずは、27日のイベントを終えてから

 なかなか拙ブログ更新できず申し訳ない。
 27日の昭島でのフォークソングとフリマ&猫カフェの準備に追われていることと体調ももう一つで、休み休みすぐに横になってしまうので、気は焦れども何事も思うように進まず、なかなかこの場で状況説明に至る時間さえとれないでいる。
 誠に申し訳ないが、ようやく、ほんの少しだけどモノゴトが動き出した感がこのところしている。
 というのは、そのイベントについて問い合わせも少しだが届き、今の感触では前回よりはお客も含めて参加者は増えそうな気がしてきたからだ。

 前回のときは、それなりに自分としては、宣伝告知に努めた気でいたのだが、結果としてお客もうたの場の出演者も誰も来ず、実に惨憺たる有様であった。
 それはつまるところ、自分のしていること、存在自体が不要、無用ということに他ならず、そのことを眼前に突き付けられると、さすがに生きるのが辛くなる。
 というのは、我は、昔から自らが常々自分の存在、やっていることに対して懐疑的であり、無能・不要の存在ではないかと疑って生きてきたわけで、それが現実の事態として「証明」されてしまうと、それでも平然とこの先生きていけるか自信が揺らぐ。
 願わくば、前回より一人でも参加者が増えて、盛況に近づければとただ祈り願うが、そのための努力はまだまだ足りないしできていない。

 相変わらず、両手の指は痛くてろくに動かないし、体調ももう一つで、やるべきことは山積しててもそれを片付けるのは、この非力な我一人だからなかなかその山は崩せない。
 いまこれを記すのは、水曜23日の深夜で、幸いまだ本番当日までは3日あるから、会場設営も含めて、もう少し宣伝告知など呼びかけの準備も進められるかと思う。
 願わくば、前日までにフリマの部だけは、商品展列など設営だけは終えて、後は当日になすべきことだけのところまで進められたらと願う。
 幸い明日は、近くに住む友人が午後からその作業のお手伝いに来てくれるので、明日中にフォークソングの部も、スピーカーのセッティングまで終えられたらと思っている。

 フランシスコ教皇の逝去、カトリックでは、「帰天」と呼ぶのだが、様々な思いがわく。哀しみ以前にその生き方に今更ながら感嘆驚嘆している。
 菊池枢機卿もかねがね語っていたが、ほんとうに気さくな清貧そのものの人柄だった。本来保守本流のカトリックという堅苦しい組織の中で、高齢ながらあれほど自由にかろやかに、この歪んだ社会に対して多々発信し自らも行動し、まさに主の御心のままに生きた教皇はもう二度と出ないのではないだろうか。
 我もまた、主のしもべの端くれであるとしたら、彼のように死の前日までも愛と慈しみ、寛容の精神で、残りの人生を生きられたらと思い新たにしている。

 何はともあれ、まずはその27日の昭島での我がイベントを何とか実りあるものにできたらと願っている。
 そして終えたら、きちんと医者に通って痛風も含めてとことん身体全体を治して、これから精力的に「発信」していこうと考えている。
 思いは多々あれど、それは内に抱えているだけでは、誰にも伝わらないし届かない。
 自分にできることなどたかが知れているが、もう一度この拙い人生を動かして、外に繋いでリンクさせて、ほんの少しでもこの歪んだ世界を変えたい、動かせたらと願う。
 思いは多々ある。そして何よりこの我の裡には多くの「物語」がある。そうした思いを秘めて抱えたままで死ぬわけにはいない。

 我は非力ではあるけれど、無能だとは思わない。自分には自分だけの思いと「物語」がある。
 そうしたものを、文字に、うたにして、誰も読まない、聞かなくてもカタチにしていきたい。世に示していきたい。
 そう。亡きフランシスコ教皇に倣って。アクションあるのみだ。

 27日のイベントも含めて、お付き合いして頂ける方は有難い。

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