9月は哀しみの月~近況報告と思うことから①2025年09月05日 23時21分33秒

★台風一過、涼しく爽やかに。ようやく季節も動きだした、か。

 心配していた台風、予報では本日夕方までかなりの雨風が吹き荒れると報じられていて、早朝から庭先の出ているものにブルーシート掛け直したり、風で飛ばされぬよう重しになるものを置いたり対応に追われた。
 朝の内はまだ弱かった雨は、昼にかけて滝のような豪雨となったが、午後になったらしだいに弱くなってきて、多摩西部、内陸部に位置するウチの方では、夕方には雨もやんで陽射しも戻ってきた。
 心配した風もさほど吹かず、ブルーシートも飛ばされず大きな被害はなかった。やれやれである。
 久しぶりにたっぷり雨も降り、気温も下がり爽やかに秋めいてきた。
 いつまでも猛暑、過酷な残暑が連日続き、どこもカラカラに乾ききっていたが、これでようやく季節も秋へと動き出した感がある。

 秋9月に入った。もう少し早くブログ更新を、と思ってはいたのだが、どうしたことか体調も悪く、おまけにまたまたいくつもトラブルが起こり、忙しく慌ただしくてパソコンに向き合えなかった。

 今月9月は何故哀しみの月と我は呼ぶかというと、亡き父母の命日が8日、14日と続けてあり。墓参りに行けなくても彼らの死期のときのことを思い出すからだ。
 母は2016年に死んだのだから、思えば来年は2026年なのだから9年が経つ。当時のことは今もありありと鮮明に思い出せるが、間もなく10年近くになるとはとても信じられない。

 そしてその間、我は父も喪い、とことんすべてが崩れてしまった。何もかもがめちゃくちゃになり、全て放擲して家の内外はゴミ屋敷と化してしまった。
 が、ようやく今さらながら人生再建に向けて今また少しづつだけれど、立ち直りつつあると思いたいし、当ブログの読み手の方々の支援や応援に応えるためにも、このままなし崩し的に死んでいくわけにはいかない。

 先に書いてきた「事故の顛末」はひとまずお休みして、まずはこのところの近況報告や思うところを書いていきたい。

9月は哀しみの月~②2025年09月07日 23時32分19秒

★訃報相次ぐ今年の夏

 というわけで、6月末、本格的な夏を前にしてようやく長いトンネルから抜け出せたとおもっていたらば、愚かな我は近場で交通事故を起こしてしまいまた新たなトンネルに突入してしまった。

 不安神経症の苦しみはまた後ほど記すとして、この夏は訃報が続いている。
 7月の中ばに、亡き母の弟、我にとっての叔父が82歳で亡くなったと、その家族から連絡があったら、8月末には、母のすぐ下の妹が92歳で逝き、我は今月4日、葬儀に千葉の習志野市まで行ってきた。
 叔父の時は、家族葬だったので香典だけ送ったが、49日の納骨には参列するつもりでいたら、今月ではなく10月となったとのこと。
 その叔父と叔母とは、家族ぐるみで懇意にしてたので我は幼い頃から親しみ、従妹たちとも遊び、特に叔父は無類の本好きだったので、古本屋巡りの楽しみを教えてくれた恩人でもある。

 2016年秋に逝った我が母の葬儀には来てくれた妹弟二人がこの夏次々と亡くなるのは、高齢だから仕方ないことだとしてもやはり哀しくさびしい。
 そう、母が死んで来年で10年となるのに驚く。まさに光陰矢の如し。
 母の姉弟は、母が長女でその下に女3人弟3人という7人姉弟で、戦時中とはいえ現在では信じられない大家族の兄弟姉妹であった。が、若くして長男にあたる弟が癌で逝き、次いで母もまた癌再発で死に、今夏の二人で、残るは3人となった。
 その叔母には、母のことや祖母のことなど聞きたいことや知りたいことがたくさんあったのだが、なかなか連絡も取れないうちにこの逝去となり残念と言うしかない。

 親族ではないが、このところやや疎遠であった我が親友Oさんも亡くなっていたことが今夏その家族からの報せで判明して愕然とした。
 その彼とは某クラブ仲間として出会い、個人的にも飯田橋ギンレイで映画を一緒に観たり、山梨の古民家にも来てくれた。
 もちろんウチにも来たし、我が手がけるライブイベントでも多々お手伝いしてくれた。寡黙だが優しい誠実な人だった。

 が、若い頃から元々病気がちの人で、一昨年だったか心臓の手術をして、そのときは無事成功して、去年1月に届いたメールでは、経過良好、このところあちこち出歩いてます、とあって、暖かくなったらまた会いましょう!というのが最後の連絡だった。
 昨年は、我もあれこれイベントなど企画してしまったので、その準備やら後片づけやらで超忙しくなってしまい、彼のことは気にはなっていたが、こちらからは連絡もとらなかった。
 今夏、このところ連絡ないが、ふとどうしてるか気になり彼のスマホにメールしたところ、その奥さんからの返信で、Oは、昨年8月、硬膜下出血で倒れ救急搬送されたものの急逝しました、と知らされ仰天愕然した。ちぅど一年前である。

 もう一年も前ならば、今さら我らにできることは何もない。が、この秋のお彼岸に、彼を知る友人たちと中落合の彼の眠る菩提寺にお墓参りに行くことにした。※9月23日。
 彼の遺子の方も案内してくれるとのことで、亡き人の思い出を話せたらと思う。
 
 9月は哀しみの月。
 颱風過ぎたらまた真夏の陽射しが戻ってきた。が、吹く風はもう秋のそれで、夜は窓開けているとうすら寒いし、薄掛けがないと寝付けない。
 毎年季節は繰り返す。が、その人はもういない。

太田三造ライブのお知らせ@亀有KIDBOX★9月14日2025年09月09日 23時28分01秒

★喫緊のお知らせですみません。

 我の盟友、孤高のフォークシンガー太田三造が、この9月14日の日曜、
亀有駅前の音楽スナック『キッドボックス』にて初登場ライブをやります。

 ぜひぜひ多くの方々のご参加をお待ちしてます。店内は小さく狭いですが、居心地の良い音楽通の間では有名な名店で数多くのシンガーが登場、ついに我らが太田三造も亀有デビューとなりました。
 当日は、都内某所東中野界隈で、彼は昼間のライブもありますが、それはともかく、この亀有・KIDBOX、何をさておき私も参ります。
 詳しくは、私に問い合わせ頂いてもかまいません。

9月は、哀しみの月③~近況報告から2025年09月18日 18時56分59秒

★太田さんのライブ、無事盛況となりました。

 また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。

 いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
 が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
 ※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
 壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
 
 太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
 が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
 そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。

 
 感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
 ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
 で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
 なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
 それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
 結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。

 ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
 今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
 何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
 ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。

 先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
 が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
 ※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。

 あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
 歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
 確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。

 しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
 ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
 ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
 世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
 よろしければお付き合いください。

故小野田陸春さんの墓前参拝のお知らせ2025年09月21日 14時34分11秒

★9月23日、お彼岸の中日に参ります。

 我らが友、昨年の夏に急逝された小野田陸春さんのお墓参りに、明後日23日火曜・秋分の日の彼岸中日、午後3時に、中井駅で待ち合わせしてまいります。
 お寺は、西武新宿線・大江戸線中井駅そばの最勝寺です。
 現在、三留まゆみさん他?、参列の予定です。

 ご参加、同行される方は、当日でも私マスダ090-8175-8479か080-3000-0615の小野田さんの子息まで連絡ください。
 当日は、ご子息の方が、墓所までご案内してくれるそうです。
 かつてのクラブ仲間の代表として墓前に参列いたします。後日また報告します。

あるほどの菊投げ入れよ棺の中2025年09月30日 05時26分18秒

★慌ただしさとまた体調崩して

 ブログ更新できず申し訳ない。
 亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
 気づけば今月も終わりとなる。

 体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
 多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。

 冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
 叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
 歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。

 我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
 そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
 引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
 で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
 ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。

 よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
 見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
 死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
 聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
 ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
 そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。

 こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
 その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。

 このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
 断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
 一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。