ともかく慌ただしく疲れ果てていた2025年10月30日 13時17分58秒

★ようやく一段落したか、と

 寒くなった。10月も終わりとなる。またまた当ブログ、更新怠りて申し訳ない。
 先週は出かける用事やら雑事がいっぱいで、寝る時間もなくふらふらで、やっと今週になって少しだけ一段落してきたのだが、また不安神経症がぶり返してやや苦しかった。
 が、破綻してしまった人生を少しでも再建していく道筋は見えてきたし、ともかく少しでもすこしづづでも日々進めていくしかないわけで、相変わらず隣近所が煩いし、また苦情が届いていると市の環境課職員が来るは、と心乱されることは多々あるが、人間は一人だけなので我のペースでやっていくしかない。
 そう、遅々としてても少しでも少しづつでも、だ。

 そんなこんなで、まずまたこのところの近況から書き進めていく。が、

高田渡とも縁の深い、吉祥寺教会の後藤神父訃報のお知らせ2025年10月06日 23時05分06秒

★後藤文雄神父は、9月17日に亡くなられました。亨年96歳。

 もう既に吉祥寺界隈の事情通の方々はご存知かもしれないが、故高田渡とも縁の深かったカトリック吉祥寺教会の、ごっちゃんこと後藤神父が亡くなられました。
 昨日、立川教会のミサの終わりに、お知らせとして、先日訃報のファックスが遅れて届いたと告知があり今さらながら知らされた。
 既に吉祥寺教会にて、通夜及び葬儀ミサ、告別式も先月の22日、23日に終わっている。

 ごく簡単に説明すると、後藤神父は、長らくカトリック吉祥寺教会の主任司祭として終生その教会で過ごされ、クリスチャン、パウロ・高田渡の葬儀を司った方としてだけでなく、その後も本来厳格なはずのカトリック教会のその大聖堂内で、渡氏の友人知己による追悼コンサートの開催も許されたほど音楽に理解あるとてもユニークな神父であられた。
 後の「生誕祭」にも参加されていたので、クリスチャンでなくてもその名とお姿はご存知の方もおられるかと思う。

 我は、彼と個人的には親しく語らう機会はなかったが、高田渡を通して我もまたキリストの僕、その端くれとなるきっかけを与えてくれた恩人であり、96歳という年齢とはいえ、さまざまな思い出と深い感慨がわく。
 後に、たまたま菊池大司教、枢機卿とお会いした時に、その話をしたらば、神の計らいは我々にはわからない、まさに驚かされると語られて我もまたそう思えた。

 我は今は諸々事情あって、吉祥寺教会へはなかなか行けないが、彼は晩年まで、天気の良い日には、吉祥寺教会入り口右手の、マリア像に続く回廊の藤棚の下のベンチに座って、信者のみならず訪れる方誰にもきさくに語らい福音を授けていたとのことで、まさにその姿は生ける聖人のようであったときく。

 ごっちゃんと皆に呼ばれ、誰にも愛され親しまれた彼の生涯は、その自伝本に詳しいが、厳格かつ堅苦しいというイメージの強いカトリック教会を誰にでも開かれた、赦しの門として開放した功績はとてつもなく大きいと我は思う。
 個人的な事だが、彼は昭和4年の生まれで、我の母と同年同月の生であった。2016年に癌で死んだ母がもしまだ生きていれば、今年で96歳だったのか。

 これで今年の哀しみの月は、すべて終わったことになる。

このところの近況をランダムに記していく①2025年10月01日 23時01分25秒

★10月に入った。

 今日から10月。久々の雨の幕開けである。
 薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
 つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
 懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
 ならばその証として当ブログを記していかねばならない。

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
 今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
 ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
 季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
 焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。

 それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
 その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
 そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
 我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。

 まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。

 10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
 が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
 傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
 そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
 まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
 そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
 そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
 最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
 付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
 痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
 さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
 下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。

 世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
 我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
 だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
 しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?

 そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。

 一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
 まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
 これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
 そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。

 待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
 若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
 会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
 ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
 以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。

 今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
 医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
 今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。

 そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
 どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。

あるほどの菊投げ入れよ棺の中2025年09月30日 05時26分18秒

★慌ただしさとまた体調崩して

 ブログ更新できず申し訳ない。
 亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
 気づけば今月も終わりとなる。

 体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
 多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。

 冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
 叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
 歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。

 我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
 そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
 引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
 で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
 ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。

 よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
 見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
 死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
 聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
 ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
 そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。

 こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
 その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。

 このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
 断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
 一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。

故小野田陸春さんの墓前参拝のお知らせ2025年09月21日 14時34分11秒

★9月23日、お彼岸の中日に参ります。

 我らが友、昨年の夏に急逝された小野田陸春さんのお墓参りに、明後日23日火曜・秋分の日の彼岸中日、午後3時に、中井駅で待ち合わせしてまいります。
 お寺は、西武新宿線・大江戸線中井駅そばの最勝寺です。
 現在、三留まゆみさん他?、参列の予定です。

 ご参加、同行される方は、当日でも私マスダ090-8175-8479か080-3000-0615の小野田さんの子息まで連絡ください。
 当日は、ご子息の方が、墓所までご案内してくれるそうです。
 かつてのクラブ仲間の代表として墓前に参列いたします。後日また報告します。

9月は、哀しみの月③~近況報告から2025年09月18日 18時56分59秒

★太田さんのライブ、無事盛況となりました。

 また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。

 いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
 が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
 ※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
 壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
 
 太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
 が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
 そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。

 
 感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
 ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
 で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
 なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
 それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
 結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。

 ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
 今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
 何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
 ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。

 先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
 が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
 ※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。

 あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
 歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
 確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。

 しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
 ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
 ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
 世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
 よろしければお付き合いください。

太田三造ライブのお知らせ@亀有KIDBOX★9月14日2025年09月09日 23時28分01秒

★喫緊のお知らせですみません。

 我の盟友、孤高のフォークシンガー太田三造が、この9月14日の日曜、
亀有駅前の音楽スナック『キッドボックス』にて初登場ライブをやります。

 ぜひぜひ多くの方々のご参加をお待ちしてます。店内は小さく狭いですが、居心地の良い音楽通の間では有名な名店で数多くのシンガーが登場、ついに我らが太田三造も亀有デビューとなりました。
 当日は、都内某所東中野界隈で、彼は昼間のライブもありますが、それはともかく、この亀有・KIDBOX、何をさておき私も参ります。
 詳しくは、私に問い合わせ頂いてもかまいません。

9月は哀しみの月~②2025年09月07日 23時32分19秒

★訃報相次ぐ今年の夏

 というわけで、6月末、本格的な夏を前にしてようやく長いトンネルから抜け出せたとおもっていたらば、愚かな我は近場で交通事故を起こしてしまいまた新たなトンネルに突入してしまった。

 不安神経症の苦しみはまた後ほど記すとして、この夏は訃報が続いている。
 7月の中ばに、亡き母の弟、我にとっての叔父が82歳で亡くなったと、その家族から連絡があったら、8月末には、母のすぐ下の妹が92歳で逝き、我は今月4日、葬儀に千葉の習志野市まで行ってきた。
 叔父の時は、家族葬だったので香典だけ送ったが、49日の納骨には参列するつもりでいたら、今月ではなく10月となったとのこと。
 その叔父と叔母とは、家族ぐるみで懇意にしてたので我は幼い頃から親しみ、従妹たちとも遊び、特に叔父は無類の本好きだったので、古本屋巡りの楽しみを教えてくれた恩人でもある。

 2016年秋に逝った我が母の葬儀には来てくれた妹弟二人がこの夏次々と亡くなるのは、高齢だから仕方ないことだとしてもやはり哀しくさびしい。
 そう、母が死んで来年で10年となるのに驚く。まさに光陰矢の如し。
 母の姉弟は、母が長女でその下に女3人弟3人という7人姉弟で、戦時中とはいえ現在では信じられない大家族の兄弟姉妹であった。が、若くして長男にあたる弟が癌で逝き、次いで母もまた癌再発で死に、今夏の二人で、残るは3人となった。
 その叔母には、母のことや祖母のことなど聞きたいことや知りたいことがたくさんあったのだが、なかなか連絡も取れないうちにこの逝去となり残念と言うしかない。

 親族ではないが、このところやや疎遠であった我が親友Oさんも亡くなっていたことが今夏その家族からの報せで判明して愕然とした。
 その彼とは某クラブ仲間として出会い、個人的にも飯田橋ギンレイで映画を一緒に観たり、山梨の古民家にも来てくれた。
 もちろんウチにも来たし、我が手がけるライブイベントでも多々お手伝いしてくれた。寡黙だが優しい誠実な人だった。

 が、若い頃から元々病気がちの人で、一昨年だったか心臓の手術をして、そのときは無事成功して、去年1月に届いたメールでは、経過良好、このところあちこち出歩いてます、とあって、暖かくなったらまた会いましょう!というのが最後の連絡だった。
 昨年は、我もあれこれイベントなど企画してしまったので、その準備やら後片づけやらで超忙しくなってしまい、彼のことは気にはなっていたが、こちらからは連絡もとらなかった。
 今夏、このところ連絡ないが、ふとどうしてるか気になり彼のスマホにメールしたところ、その奥さんからの返信で、Oは、昨年8月、硬膜下出血で倒れ救急搬送されたものの急逝しました、と知らされ仰天愕然した。ちぅど一年前である。

 もう一年も前ならば、今さら我らにできることは何もない。が、この秋のお彼岸に、彼を知る友人たちと中落合の彼の眠る菩提寺にお墓参りに行くことにした。※9月23日。
 彼の遺子の方も案内してくれるとのことで、亡き人の思い出を話せたらと思う。
 
 9月は哀しみの月。
 颱風過ぎたらまた真夏の陽射しが戻ってきた。が、吹く風はもう秋のそれで、夜は窓開けているとうすら寒いし、薄掛けがないと寝付けない。
 毎年季節は繰り返す。が、その人はもういない。

9月は哀しみの月~近況報告と思うことから①2025年09月05日 23時21分33秒

★台風一過、涼しく爽やかに。ようやく季節も動きだした、か。

 心配していた台風、予報では本日夕方までかなりの雨風が吹き荒れると報じられていて、早朝から庭先の出ているものにブルーシート掛け直したり、風で飛ばされぬよう重しになるものを置いたり対応に追われた。
 朝の内はまだ弱かった雨は、昼にかけて滝のような豪雨となったが、午後になったらしだいに弱くなってきて、多摩西部、内陸部に位置するウチの方では、夕方には雨もやんで陽射しも戻ってきた。
 心配した風もさほど吹かず、ブルーシートも飛ばされず大きな被害はなかった。やれやれである。
 久しぶりにたっぷり雨も降り、気温も下がり爽やかに秋めいてきた。
 いつまでも猛暑、過酷な残暑が連日続き、どこもカラカラに乾ききっていたが、これでようやく季節も秋へと動き出した感がある。

 秋9月に入った。もう少し早くブログ更新を、と思ってはいたのだが、どうしたことか体調も悪く、おまけにまたまたいくつもトラブルが起こり、忙しく慌ただしくてパソコンに向き合えなかった。

 今月9月は何故哀しみの月と我は呼ぶかというと、亡き父母の命日が8日、14日と続けてあり。墓参りに行けなくても彼らの死期のときのことを思い出すからだ。
 母は2016年に死んだのだから、思えば来年は2026年なのだから9年が経つ。当時のことは今もありありと鮮明に思い出せるが、間もなく10年近くになるとはとても信じられない。

 そしてその間、我は父も喪い、とことんすべてが崩れてしまった。何もかもがめちゃくちゃになり、全て放擲して家の内外はゴミ屋敷と化してしまった。
 が、ようやく今さらながら人生再建に向けて今また少しづつだけれど、立ち直りつつあると思いたいし、当ブログの読み手の方々の支援や応援に応えるためにも、このままなし崩し的に死んでいくわけにはいかない。

 先に書いてきた「事故の顛末」はひとまずお休みして、まずはこのところの近況報告や思うところを書いていきたい。

事態に至った経緯を記す③2025年08月27日 23時18分36秒

★不安神経症に苦しみながら

 と、近所でしでかした我のおかした交通事故について書いている。
 読まれた方には、何だ、大した事故ではないではないか、と思われるかもしれない。
 確かに、公道での互いの命にかかわるような大きな事故では幸いない。
 が、相手方がいて、しかも今回は100%こちらの過失、責任があるわけで、大過に至らずともしでかした罪は負わねばならない。

 当然ながら自動車保険とか自賠責には入っていたので、相手方への事故対応は、かねてより利用していたS・ジャパンがやってくれて助かった。
 しかし、ちょうどその保険契約の更新直前であって、この事故によって新たに条件の見直しとかあれこれこまかく担当者から言い含められて、正直なところ気持ちは凹んだ。
 細かくは書けないが、ともかくもう二度と、バッテリー上がりも含めて、その保険会社には、迷惑はかけられない、つまりあらゆる事故、車のトラブルは絶対に起こせないのだと思い至った。いや、そう迫られた。

 まあ、事故は起こしたくて起こすわけではないのだから、起こさないのは当たり前だとしても、事故後は、どこであれ駐車するときに、バックで入れるようになったのだが、これがかなり気を遣う。
 また、ガツンとぶつけるのではないかという、囚われと不安で気持ちは疲弊した。


 そもそも我は、親譲りの心配性というか、何事にも先行きに対して不安を覚え、あれこれ悩み心配してしまう小心な質であった。
 それが事故後は、じょじょに悪化してきて、またさらに大きな事故を起こすのではないか、交通事故でなくても、火事とか何か大変な事態が起こるのではないかと、漠然とした不安が高まってしまった。
 さらにそこに拍車をかける事態も起きた。

 それは梅雨があける直前だったが、夕刻時のこと、日中は晴れていたのに雷が鳴りだし、突風が吹いてザーとかなり強い夕立が降った。
 我は、近くの行きつけのスーパーに買い物に出ていて、店を出たらばかなり強く雨が降り始めていた。
 傘など持っていないので、濡れながら自転車で慌てて家に戻ったら、閉めてきたはずの家の玄関の引き戸が30㎝ぐらい開いている。
 猫たちがそこから顔出して、雨も降ってるし、外に出るのどうしょうかニャーと屯していた。

 夏冬も含めて、今は犬のベルコは終日室内飼いというか、玄関の土間で暮らしている。
 かつては、庭に犬小屋もあり、ウチでは犬は外で飼育していたのだが、近年の異常な猛暑と高齢でもあり、もう今はとても野外では危険だと思い、朝晩の散歩以外は、基本的に玄関に入れるようにしてきた。
 そのベルコの姿がない。玄関はカラである。家の中を呼んでも出てこない。
 すぐに、勝手に戸を開けて家から逃げ出したと判断して、雨そぼ降る中、自転車で界隈を探しに行った。

 幸いベルコは、我が町内から大通りを挟んだドラッグストアの入り口のところで店員に確保されていてすぐにみつかった。
 日々行きつけのその店に、ベルコもよく連れて行ってたから、外で待たせていたように、習慣的に我を探し求めてその店に行ったらしい。
 しかし、ずぶ濡れのまま店頭をうろつく犬に困った店側は、迷子犬として警察を呼んだらしくパトカーまで停まって警官が来ていた。かなり人が集まっている。
 慌ててウチの犬です、と詫びて引取り、家に連れ帰ったが、そのときの雨に濡れたベルコの顔は泣いているように情けなくて見られたものではなかった。

 その晩は、興奮しているのか、晩飯も食べず、また勝手に二階に上がってしまい呼んでも降りてこないので、仕方なく我の自室に入れてベッドで一緒に寝た。
 が、一晩中ハアハアと荒い息は収まらず、熱中症かと疑い、かかりつけの動物病院に翌朝いちばんで連れて行った。
 診察の結果は幸い特に異状はなく、念のために二種類の錠剤を出してもらい帰ってきたらしだいに落ち着いてきた。

 長年ペットとして、多くの犬猫など飼ってきた者として、猫はともかくも犬の中には、花火などの騒音や雷などの音に強く反応してパニック起こすものもいる。
 血縁関係はないが、先代の犬も雷が遠くでも鳴り出すと鳴きだし騒いで、パニックのあまり家から脱走してしまい、警察署に保護されていたので引取りに行ったこともある。
 が、ベルコはこれまでそうした反応は一度もなく、安心していたのに、どうしたことか突然カミナリパニック障害を起こすようになったのだ。
 ※実は、今日27日も、天気予報どおりに、夕方から雷雲が広がりゴロゴロ、ピカッと雷が落ちる音がし出したらやはりベルコは玄関内で戸をこじ開けようと鳴いて騒ぎだした。

 これまでウチではゴミ屋敷に取られるものはないと、短時間の外出では玄関引き戸にはカギはかけていなかった。
 いや、正しくは、元々付いていた錠前が壊れてしまい外から鍵はかからくなっていたのだ。 
 しかもたいがい犬のベルコさんが中にいるので、我は出かけていても留守番犬として誰が来たとしても安心していたのだ。
 それが、その当人が勝手に逃げ出してしまうのでは、外に出たベルコも心配だし、戸も開けっぱなしでは猫たちも皆外に逃げ出してしまうではないか。

 仕方なく、ホームセンターで錠前を買ってきて、その木戸に外側から鍵をかけられるように取り付けた。が、一度は小さかったので、ベルコが中から無理やりこじ開けて錠前はすぐに壊れ外れてしまい、再度大きなものに取り換えた。

 ベルコだけは家でおとなしく留守番してくれるので安心だと思っていたのに、もう安心できなくなってしまった。勝手に外に出てしまえば交通事故に遭うかもしれない。せっかく大病を克服したのに。
 我自身もまた大きな交通事故をまたしでかすのではないか、という不安に加えて、犬も逃げ出すかも、家をおちおち空けられないという怖れで、我は夜も深く眠れない日々が続くようになった。

 もっとさらに何か大変なことが起こるのではないか、と。