夏の終わりに思うこと2021年08月31日 23時14分26秒

★いまは、まだ生きてここに在ることだけで、涙がでるほど有難い

 2021年、コロナ禍、二度目の夏、八月も今日で終わる。
 先にお知らせした、かけこみ亭の陽性者の方も、昨日付けで、保健所から「自宅療養」終了証が出たとのことで、ようやく自宅監禁状態から解かれたようだ。
 現時点での体調や今後のこと等、詳しいことは不明だが、ともかく「回復」したことは間違いないわけで、ほっと胸を撫でおろしている。
 ともかく彼が元気で、店にいないことには、店自体の存続が危ぶまれる事態となるわけで、これでまた我の、その店において様々な企画が動き出せる。
 ほんとうに良かったと今は思える。それも彼の周りの友人知人などによる強力なネットワーク体制があったからで、容態の確認、食べ物の差し入れなど連係プレーで体調維持管理ができ、重症化することなく無事回復となったのである。

 それにしてもいかに感染者が増大し医療体制がひっ迫し入院が困難な状況だとしても一度もきちんとした診察など医療関係者による診断もレントゲンも受けることなく、「陽性者」と判定されただけで、コロナ患者として二週間以上も自粛的に自宅に一人で隔離・監禁されることはまさに異常なことではないか。
 自宅治療ならまだしも自宅「療養」という言葉そのものが意味をなしていない。療養とは、手術後など、病やケガが癒えてきて回復傾向にある時点で医師が指示し用いる言葉であろう。
 それを治療もしないで、さらに悪化する可能性がある状態で、この政府は「自宅療養」という無意味な言葉のまやかしで、患者を自宅にほったらかし、つまり放擲してしまう。
 周りに家人がいたり、頻繁に誰かが様子を確認できる人ならともかく、一人暮らしでまして高齢者であれば、たとえ軽症であろうとも突然の高熱や呼吸困難など体調変化が起きた場合、自ら電話かけることもできなくなって、連絡不通で救急隊が訪れた時点で手遅れとなった人も多く出たに違いない。
 コロナはこの春、突然発生した病ではない。もう国内で感染発生の報告から一年半以上も過ぎている。
 政府は何度も何度も緊急事態宣言を出してきたが、いったんは陽性者、患者数は減ってもまた大規模なピークを繰り返してきた。いっこうに収束はしない。
 ただ、ワクチン接種だけを勧めイベントや飲食店に中止、休業せよと締め付けるだけ。その最中に東京五輪は強行して過去最大の山場、感染爆発を招いてしまったのだ。
 そうした挙句に、医療ひっ迫という名目で、中等症までの人は、「自宅療養」で、という方針となったのだ。これはまさに棄民政策というしかない。
 小池百合子らは、コロナは豪雨災害と同じく自然災害、天災だと言い張るが、自然災害だとしても治水を怠って川が氾濫すれば人災であるように、難しい感染症だとしてもここまで抑えきれない状況、しかも全国規模で過去最大の山場を迎えてしまったのは政治の無策であり、この国難は、自公政権による「人災」だと断言する。
 後年、コロナ危機を招いた「悪夢のような自公菅政権」として歴史書に記載されることであろう。しかしまだ先はまったく見えやしない。

 今日は月末、8月31日。このところまた暑さがぶり返していたが、今日は朝から曇り空で蒸し暑かったものの、午後から小雨がぱらつき始め、先ほど夜になったら雷が激しく鳴って東京多摩地区では滝のような豪雨が降った。
 何時間も続いたわけではないが、今はやみ、雨のあとは一気に涼しくなった。
 予報では、今週は雨や曇りの日が多く、温度も30度を超す日はないようである。やっとこの夏も終わった感がある。

 それにしても・・・実に大変なこの夏、八月であった。冒頭に書いた気持ちは嘘偽りない。
 かけこみ亭の陽性者のことだけでなく、我の周りではコロナ患者・陽性の報が相次ぎ、一時は、自らも濃厚接触者となったのではないか、老父にも感染させてしまったかもと怖れ慄いた。
 さらにそこに長年使ってきたパソコンが壊れ、何とかデータだけでも復旧させようとあちこち問い合わせしたり渡り歩いた。が、徒労であった。
 いろんな意味で綱渡り状態が続いたが、菅首相の認識はともかく、我の周りでは「ようやく光が見えてきた」とまさに思える。
 これ以上、事態や状況が悪くならないことをただ神に祈るだけだが、季節も変わり少しでもこの多事多難な状態が収束していくよう、心して、感謝の気持ち込めてここでいったんこの回は終わりにする。

 皆様もご自愛ください。菅自公政権に殺されないためにも来たる総選挙では彼らに退陣と政権交代という鉄槌を下しましょう。

とりあえず小康状態か2021年08月26日 09時25分26秒

★近況・現況をすこし

 いろいろご心配、お騒がせして申し訳ない。大丈夫です。
 我、マスダも含めて、現在新たな陽性者は周りに出てなく、先のかけこみ亭の人も、現在は食欲も戻り回復傾向にあるように思える。やや元気になってきたのか退屈からか、あちこちに不平不満をもらすメールを送り付けているようだ。

 ただ、事例によるとこのコロナという感染症は、突然容態が悪化、急変することも多々あり、まして一人暮らしの七十代ともなると、もう大丈夫と安易に気を緩めてはならないと心すべきであろう。油断ならぬ予断大敵である。
 我が父の通っていた介護施設も、職員の感染で二週間の閉鎖ということとなり、その期間の父の扱いをどうしたものかと心配したが、幸いもう一か所の施設のほうで次週も代替で延泊してみてくれるということになった。
 父は、今日の夕方いったん帰宅して、明日は医師による訪問診療をうけて、終日在宅、28日土曜日の朝、施設に送り出し、来月2日の木曜まで預けられる。
 やれやれという気持ちだ。父不在の間に、新パソコンの様々な設定など時間かかること腰据えてやっていかねば。

 というわけで、コロナの嵐は全国的にも終息傾向にあるとはとても思えないが、現時点においては、我の周りにおいてのみ、一段落、小康状態となってきたと思えることをまず報告したい。ご心配おかけしました。
 いずれにせよ、ぶり返した厳しい猛暑とコロナ蔓延、感染爆発中なのだから、皆さんともかく各自さらに徹底して細心のご注意、ご自愛の上で爽やかな良い季節、来るべき秋を待つましょう!!  と、

 ※ストーンズのチャーリー・ワッツの訃報が届いた。80歳だとか。この半世紀ずっと見てきたバンドの人だから様々な感慨がわく。まあ歳も歳だし昔から老成していた人が、ほぼ死ぬまで現役だったわけだから、残念に思うけれどもこれは幸福な人生ではないかとも思える。もうあんなドラマーは二度と出てこない。ワッツさんの魂よ、安かれ。

まさに感染爆発! 陽性者・感染者の報相次ぐ2021年08月24日 04時21分19秒

★新しい局面に入った~最大の危機が迫っている

 手短かに記す。この数日、我の周りでは毎日必ず数名が知人・友人などから、誰それがコロナ陽性になった、感染したと連絡が入ってきている。
 我の父が今利用している介護施設は二か所あるのだが、そのうちの一つから一昨日電話があり、職員の一人が陽性となったので、しばらく施設は閉鎖・休業するという連絡があった。

 幸いそのときは、父はそこには行ってなくて、もう一か所の別の施設のほうにいた。で、即そちらに電話して、感染者が出たほうの利用予定日をそこで過ごせるようお願いして、延長・連泊がかなった。今週木曜夕方までだが、正直ほっとした。助かった。
 これで何日もずっと自宅にいられたら、ストレスでコロナではなく我が父を殺してしまうところであった。しかし、来週からの施設利用はどうしたものか。閉鎖中の施設からは、再開についてまだ何も連絡がない。

 それにしても・・・これほどまでに身近に感染者、陽性者が増えてくると、まさに新しい局面に入ったとつくづく思う。
 我もこのところ、準濃厚接触者と目されているし、自分でもいつ症状が出、陽性と出てもおかしくないと覚悟している。
 しかし、同居している動物たちがいるから、どこそこの死亡事例のように、「自宅療養」で体調悪化したとしても入院することはできない。座して死を待つではなく、伏して、一人でこの危機を乗り越えられるのだろうか。
 先のことを考えると、メンタル面が悪化して結果として自己免疫力がストレスで落ちるから、あれこれ考えないようにしているけれど、本当に大変な状況になってきたとひしひしと感じている。
 ミイラ取りがミイラになる、という俚諺があるが、そうではなく、誰にうつされた、とか、誰々にうつしたかもという次元の話ではもはやない。
 今は、街中いたるところに無症状無自覚の陽性者があふれていて、まさにウイルスは「蔓延中」なのである。もういつ誰が今日明日感染してもちっともおかしくないし驚きはしないところまで来ている。

 今にして、もっと早い時期、医療体制に余裕ある頃に感染して免疫力をつけておけば、とさえ思うほど深刻な状況である。我はワクチンは打っていないし、この先も未定だが、ワクチンを打ちたい人の気持ちは今はよくわかる。
 しかし、ワクチンを打ったからといって罹患しないのではなく、かかっても軽くてすむ程度のことならば、いわば心の安全、まさに気休めなのである。むろんそれこそがいちばん大事なことなのだが。

 我は神から差し出される苦い盃も感謝して飲み干そうと覚悟決めている。起こることにはすべて意味があるし、善き力を信じて「そのとき」を待とうと思っている。

 今さらだが、あえて記す。真の意味で今は、誰にとっても特別な「緊急事態」となっている。その渦中にあることを自覚して、ここしばらくの間は息をひそめてこのコロナの嵐が過ぎ去るのを待ち堪えるしかない。
 ともかく街中、人込みににできるだけ出ないことなど、各自誰もが自ら自戒し細心の注意で、何が不要か不急なのか改めて問い直しつつ行動していくしかない。
 今ここで死んではならない。そして誰も死なせてもならない。
 
 どうかご自愛ください。無理はしないでください。雨は必ずやむ。嵐は過ぎ去っていく。来るべきときを信じて待とう。

身近で陽性者が出たので2021年08月21日 07時54分52秒

★落ち着いたらゆっくりブログで報告します。

 この数日、ものすごく慌ただしい状況が続いている。まさに多事多難の艱難辛苦の我が人生である。まあ、自業自得、前世のカルマなのかもしれないが・・・

 ご存じの方もいると思うが、かけこみ亭カンケイで陽性者が出てしまい、その人は一人暮らしの七十代であるため、その取り巻きとして我もいろいろ動かなくてはならなくなった。
 しばらくお店は、完全にロックダウンすることとなるので、今日は午後、殺菌消毒および清掃などの作業に除菌剤など持ち込んで完全防備でとりかかる。
 何人か常連客や友人知人たちが手伝ってくれるものの、密にならぬようできるだけ短時間で終わらせねばならない。

 その陽性者の彼は、現在、疑似肺炎を起こして苦しい体調にあるが、いまはカンタンに入院治療など受けられず微熱と咳を抱えて自室で一人で「療養」中である。
 その窮状を少しでも和らげるためにも今、酸素缶のような家庭でも用いる携帯型の酸素吸入器を探しているのだが、どのドラッグストア、ホームセンター等の登山売り場でも品切れで、入荷の目途はたたないとのこと。
 ネット通販だと、発送までかなり時間とられるようなので、今はほんとうに処置なし、という状況だ。
 これで肺炎が悪化して、重篤になってようやく救急搬送させられ、運よく病床の空きがみつかったとしても、その時点で治療開始しても遅すぎることも多々報じられている。

 今更ながら、この政権は、コロナ感染拡大してからこの一年半、いったい何をやっていたのか。憤るしかない。まさに無為無策どころか、少し収まると感染拡大を誘因する経済を回す施策に邁進して、挙句が、東京五輪開催、パラリンピックで、さらにまた多くの人流を動かし感染拡大に努めている。
 そして医療体制もこの日々過去最高の感染者数更新の全国的感染爆発でとうとう崩壊させてしまったのである。
 これは、風雨災害のような天災では断じてない。小池百合子都知事と菅政権による人災なのである。

 ともかくこの我も変異ウィルスに感染しないよう、させないよう細心の注意で今日もやっていく。皆さまもどうかご注意、ご自愛ください。
 そしてあえて今言います。ライブ等は当面の間、出るのも観るのもお控えたほうがヨロシイとこの私が申します。もういつどこで誰が罹ってもおかしくない状況となりました!!

失ってしまったものとこれから来るべきものと2021年08月16日 13時07分45秒

★私ごとを書かせてください。

 東京五輪が終わったとたん、雨模様の日がずっと続いている。おまけに真夏だというのに肌寒い。まさに異常気象である。
 連日コロナの全国的に新規感染者と重症者の数が日々更新中の感染爆発に加えて、この数日来、九州、西日本、関東でも甲信で、記録的大雨による土砂災害が多発して、まさに人災と天災のダブルパンチにこの国は見舞われている。
 ここ東京でも今は、雨はいったんやんでいる曇天だが、一昨日から断続的にずっと降り続いていて、また今夜から再び活発な雨雲がやってくる、と予報は強い注意を呼び掛けている。
 いったいこの国はどうなってしまうのか、と誰もが先行きを思うと不安になろうかと思う。
 そんな危機的状況のさなかであるが、勝手ながらごく些細な個人的なことを書かせてもらう。これを書かないことには次へと進めない。申し訳ないが。

 いちばん危機的、末期的状態にある我が父は、幸いにして老衰進みつつもまだ何とか健康は保ち、ルーティンであるショートステイなどに行ってくれている。
 父のことはさておき無事、大事ないとして、私ごとである。

 まず、クラッシュしたパソコンのことから。
 7月の「共謀」コンサートを終えた翌日に、突然ハードディスクがいかれて、電源は入るもののOSが起動しなくなった、長年使い続けてきた東芝ダイナブックの、ウインドウズ8.1が入ったデスクトップパソコンであるが、けっきょく、メーカーの修理センターに出しても修復不能、データすらも取り出しできないとのことで、返送されることになった。
 近所の民間修理センターから立川の同様の修理専門店、さらには藁にもすがる思いで、メーカーにも送ったわけだが、けっきょく打つ手なしという「結果」となってしまった。

 東芝のサポートにまず電話相談した段階では、その機種は生産終了後時間も経っているのでもうパーツはないから「修理」はできないだろうが、中のデータだけは「救出」できるように言われたのだが、ハードディスクの損傷が激しく難航している、と連休明けにまず電話があり、予想はしていたが、一昨日データすらも取り出せないとまた電話があった。
 この先は、外部の専門業者に出して、そこの無菌室の中でハードディスクを分解して取り出してみる作業を依頼することもできるが、それにはおよそ10万以上かかるし、たとえ何もできなくと3万円~の依頼費がとられるとのことで、もはや断念するしかなかった。
 我としては、パソコン自体は元に戻らなくても最悪、データはきっと戻ってくるだろうと祈り信じていたので、やはり覚悟はしていてもショックである。

 何が惜しいと言えば、取り戻したいデータ、まずマイドキュメントの中、自分がこれまでメモ的なものも含めて書き記したものにはさほど思い入れはないのだが、他人から送ってもらったライブ音源や記録映像など、ダウンロード的に届いてそのままパソコンの中に取り込んだままにしていた貴重な物ものがすべて失われてしまったことが特に悔やまれる。またネット上からこれまで取り込んだ様々な「情報」や「記録」なども。そこにアクセスする「お気に入り」なども。
 また何よりも損失なのは、京都の詩人・有馬敲氏を招いて中川五郎氏らフォークシンガーとコラボした、先年阿佐ヶ谷のライブハウスで我が企画した『詩とフォークソングのイベント』の映像などで、それは録音も含めて専門にしている方に依頼して録ってもらったのだが、データとして送られてきたもので、何とかダウンロードしてパソコンには取り込んであったものの、DVDなどにバックアップとってなかったのだ。
 音源だけは、CDに焼いたものがどこかにあるとは思うが、この貴重なコンサートに関係するものが資料的な意味も込めてほぼ一切すべて今回のパソコンクラッシュで失ってしまったことは本当に残念無念というしかない。
 その他、個人的にはとても貴重かつ大事なものも結果として雲散霧消してしまったわけで、今になってあれもこれもと思い出すにつれて胸が痛くなるような思いでこの数日過ごしていた。

 しかし、今はこうも思う。大地震や津波、洪水などで家そのものを破壊、流され持ち物全てを「消失」してしまった方や、何よりも自らの命という一番大切なものを喪ってしまった人に比べれば、これはまったく大したことはない、些末なことなのだと。
 自分はまだ生きているし、失ったものはおよそ約10年未満の「過去」の記録だけなのだ。記録は失っても「記憶」はしっかり残っているではないか!
 我は、近年このところ外付けのハードディスクに、企画したイベントの音源、画像、映像など自ら録ったものは、パソコン本体ではなくそちらに入れていた。
 パソコン内には、HD導入前までの録りためた録音、録画、写真などが入っていたわけだが、それも基本、本体のSDカードなど元データの消去はまずしていないはずなので、また一枚一枚探し出せば「復元」できるはずだ。
 ただ、これからまず一番面倒だと思うのは、チラシ作成時のフォーマットなど、長年作り上げたワードやエクセルのプラットフォームをまた一からきちんと作り直さないとならないことで、歌詞カードも含めて使いまわしはもうできないことを思うと気が重い。
 憂歌団のうたにタイトルは失念したが、サビが「♪1からから出直し、やり直し~」というのがあった。
 1から出直しのものはそう多くはないし、ともかくこれを良い機会、きっかけとして、ここから「仕切り直し」として本当に人生を再スタートしていきたいと強く願う。
 ※これからは必ずいくつもバックアップを取り、文字データなども紙焼きして残していく。

 今までは何にせよ、我はすべてにだらしなく、過ぎた物事は常にそのままほったらかし、出しっぱなしにしてきた。結果、いざというときには混乱して事態はさらに悪化、混迷するばかりだった。
 それもこれも忙しさを「言い訳」にして常にきちんとその場そのときに「対処」してこなかったからで、今回のパソコンの一件は、お仕置きとして善きチャンスであるように思える。常に愚かな者は、実際に痛い目に遭わないと何も自らでは変わらない。
 中世の修道士たちは、常に「メメントモリ~死を思え」と警句を日々口にしていたと聞くが、ある意味、先のことなど神以外に誰も何もわからないのだから、常に「そのとき」を覚悟して備えておくべきだったのである。
 我は、実は今日が戸籍上の誕生日で、気がつけば60代半ばにならんとする歳になるのだが、だいぶ残り少なくなった人生を憂い嘆くよりも、まあ、七十代末までは今まで通りに動けれると楽観予想して、まだ約15年は人生は残っていると信じ、今さらながらだが、ここから仕切り直して、生き直したいと願う。
★友人知人関係の連絡先などもパソコンに入ってた分はなくなってしまったわけで、もし今これをお読み頂いた方は、お手数だがご連絡頂きたい。こちらからは連絡不能なのである。

 ビートルズのうたで、ボールが作ったとされる「ホエン・アイム・シックスティフォー」、邦題は「僕が64歳になっても」というのだったかが、今頭の中を流れている。
 恋人に対して、僕が64歳の髪の薄いお爺ちゃんになっても、君は僕を変わらずに愛してくれるかい?というプロポーズのうたなんだが、今、自分がその年代になってみて様々な感慨がわいてくる。※余談だが、中塚正人氏の名曲「風景」はこの曲にインスパイアされたかと今気づく。

 うたにあるようにとは違い、僕には孫もいないし団炉端でセーターを編んだり料理を作ってくれる彼女もいない。
 昔、聴いたときには、ずっと先のこと、64歳になる頃には、そんなのんびりした悠々自適の暮らしが送れるのかと漠然と思いもしたが、現実はまさに今も昔も変わらず生活に追われ火の車、トラブル多発の火宅最中である。
 ただ、年だけが気がつけばそんな歳になっていただけの話で、まさに浦島太郎的にただただ不思議な気がする。今も信じられない。自分の中では何一つ変わっていないのに、だ。
 ただ、またこうも思う。
 愚かさ故に事故などで何度も命を落とすような危機にも遭ったが、幸いにして何とか死なず大過なく、臆面なくもこうして無事に今も生きている。
 まさに神のご加護があったからで、我こそはとっくに早死にしても仕方ない人間だったし、人としての価値など誰よりもなかった。
 それでもここまで何とか生きながらえてそのビートルズのうたの歳まで生きているのだから、まさに運のいい有難いことだと言うしかない。

 最愛の母もパソコンの中のデータも失ってはしまったけれど、我はまだ生きてここに在る。ならば、失ったものや過ぎたことをあれこれ思い惜しみ悔やむよりも、これから来たるべきものを心待ちにして、そのすべてときちんと向き合い、精一杯のことを返していこう。我が関わる、関わりあえるすべてのことどもを愛し慈しもう。

 我にまだできることがある。すべきことがある。ほしいものが今絶対的に必要なものであるように、できることもすべきこともすべては一つなのだと今気づく。
 おかしな話だが、自分はこんな場所にいたのか、と今回やっと気がついた。そう、ここから 始めていく。

無理を通せば・・・コロナが広がる2021年08月10日 15時09分37秒

★五輪開催と感染対策の二兎を追った菅内閣を憂う

 東京オリンピックがともかく終わった。もう連日、テレビはどこつけても試合中継、感動と興奮の(報道陣側の)大歓声、そんな喧さいお祭り騒ぎを聞かなくてすむのが何より有難い。
 中でもNHKには、視聴者、つまり受信料払う側の選択の余地を奪う権利があるのだろうか。特にEテレにおいては通常番組の放送を求める人たちがたくさんいるはずなのに。本来オリンピックは「特番」なのだから「別枠」としてNHKにはいくつもある空いてるチャンネルで流せば良いと思うのだが・・・。
 さておき、このコロナ禍の「緊急事態宣言」下、多くの国民、医療関係者の不安と危惧を無視して菅政権は無理やり強行した東京五輪、終わってみると国民感情としては存外「好評」のようである。
 自民党の御用新聞、讀賣によると、五輪開催は「よかった」という人は64%、菅内閣の支持率も過去最低とはいえ35%だそうで、バッハ会長のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。※ちなみに他の報道機関の調査では政権支持率はもっと低く、軒並み20%台に落ちてしまっている。

 果たして、首相がひたすら念仏のように口にしてきた、「安全安心な大会」に本当になったのかは、各国選手が帰国して数週間過ぎないとはっきりしてこないだろうが、まずは会期中は大きなトラブルはなく終了したと言えるかと思う。※開会式も閉会式もサイテーであったけれども。
 だからと言って、開催して良かったなどと我は1%だって思わない。オリンピックは無事終わったとしても、バブルの外の世界、街中は感染爆発で連日過去最多の新規感染者数を日々更新し、まさに医療崩壊寸前の危機的状況となってしまった。

 菅首相は、ワクチン接種に加速度つければ、五輪開催期間にはコロナ感染者も減少に転じて、有観客でも開催可能と甘く考えていたらしいが、結果として、無観客でありながらもコロナ感染史上最高のメダルラッシュとなってしまった。
 首相を筆頭に、五輪開催と感染者増加は関係ない、変異ウイルスに加えて元々開催前から増えていたのだから、という論調が見られるが、五輪開催が直の感染爆発の原因とならぬとも、大きなきっかけ、「引き金」となったことは間違いないだろう。
 いくら大臣や都知事が感染防止策として「不要不急の外出、移動」は控えてと繰り返し叫ぼうが、(尾身会長曰く)本来は開催はありえない「緊急事態宣言」中での、世界各国から大勢の人が集まる五輪という「お祭り」イベントを開催してしまえば、何故に都民、国民だけがさらにまた「自粛」しないとならないのか!?と誰だって疑問に思う。

 何故に、そんな緊急事態のさなかに、オリンピックだけは別枠で、何が何でも開催しないとならなかったのか、菅首相は最後までその理由をきちんと説明しなかった。「復興五輪」から「人類がコロナに勝った証証」、さらには挙句に「緊急事態宣言下でも開催できることを世界に示したい」まで「開催目的」は転々として、ただひたすら安全安心な大会を目指すということと、国民の命と健康を守る、という文言だけが壊れたテープレコーダーのように彼の口から繰り返されるだけだった。

 で、どうなったのか、だ。大会自体は仮に「安全安心」の裡に終わったとしても国民の「命と健康」は、結果として後回し、おざなりにされてこの感染爆発と医療崩壊の危機である。
 菅首相は、9日の会見で、「ようやく開催国の責任を果たせた。たくさんの選手から感動をもらった。素晴らしい大会になった」と自画自賛の総括を語ったそうだが、この期間に新たに感染した国民とてんてこまいの医療関係者、現場で働く人たちに対しては何のお詫びどころか、かける言葉もなかった。

 古人曰く、二兎を追うものは一兎も得ず、であり、無理を通せば道理が引っ込む、のである。
 仮に、五輪開催は「よかった」「成功」だったとして、一兎は何とか得たとしても国民多くに感染爆発、医療崩壊、在宅療養死を強いたのでは、いくらメダルの数が増えたとしてもそれで「了」とはできるはずもない。メダルの数と国民の命のどちらが重いかは比べるまでもない。
 およそ八割の国民が、反日であるはずもなく、皆心からこのコロナ禍での開催に不安に思い、再延期もしくは中止を望んだのに、菅首相とその取り巻きは、反対の声を一切無視して「強行」してしまった。
 まさに無理を通した結果、いまの連日最悪、過去最多の感染者数記録更新中という状況を招いたのだ。しかも対策は毎度の三密避けての自粛お願いと相変わらずのワクチン接種頼みだけなのだからこの先、いったいどうなってしまうのか、この国は・・・。

 ロックダウンとかの是非はともかく、この東京五輪をできるだけ早く「中止」としてしまえば、もっと強い感染防止対策はとれたはずだし、国民の側の危機意識も高まったはずだ。
 そう、何がなんでも五輪開催ありきという「無理を通した」。結果、『無理を通せば「爆発的に」コロナが広がる』、ことになったのだ。

コロナ禍で文明終焉、危急存亡の秋2021年08月06日 10時03分48秒

★祭りのあとに来るものは

 8月に入り、連日猛暑と東京五輪、日本勢のメダルラッシュが続いている。何かの調査だと、日本人の七割以上が五輪開催は良かった、と肯定に転じているそうである。バッハ会長の思惑は当たったかのようにも思える。
 が、メディアが五輪中継に熱狂し、朝から晩まで明け暮れる中、削られたニュース枠ではコロナウイルス新規感染者の爆発的増加、日々記録更新が静かに控えめに報じられている。

 新規感染者数は日々、前日の人数を更新して、昨日5日はついに全国で1万5000人を超え、東京では一気に5千人を超えてしまった。
 しかも緊急事態宣言とか蔓延防止何たらをあちこちに出したところで、感染抑止の効果は全く出ていないのだから、この数字はさらに今後も増え続けることは間違いないと思える。
 日本人の多くがオリンピックに熱狂し、現実を忘れているうちに、菅政権は、医療専門家の長である尾身会長に諮ることなく勝手に仲間内だけで、中等までの軽症者は、入院せずに自宅療養でという方針を決めてしまった。
 これは、まさに棄民政策であり、重症者のためにベッド数を確保するためだとしても、重症、重篤になって入院していたのでは手遅れとなる可能性が高いのは間違いない。

 我のように老いてきて一人暮らしの者は、コロナの症状が出て自宅に一人で寝込んでいたら、買い物も行けなく何も食べるものも作れず自らで我が身を看護することなんかできるはずもなく、結局症状が悪化したらば意識失い救急に連絡することもできず孤独死してしまうことだろう。
 また家族がいたとしても、一人感染者が出てしまえば、家庭内で万全の感染防止策などとれるはずもなく、家庭内クラスターが起こるのではないか。感染症は、個人が家庭内で看護することは危険なのは言うまでもない。

 この方針転換、国会にも与党内にも一切何も連絡も相談がなかったから、とうぜん政権与党内からも猛反発を受け、またしても菅内閣は一部前言撤回、中等症でも医師の判断で入院できる、としたらしいが、どれほど訪問看護ができたとしてもそこから漏れる者は出るだろうから、もはや万策尽きて死者は増えても仕方ないという「棄民」政策であると断言する。※それでも彼らはワクチン接種率が高まればやがては終息すると甘く期待しているのだろう。

 だが、いま、オリンピックに日夜熱狂し、感動、興奮している方には失礼だが、事態は本当に危機的、最悪の状況であり、我はこのままいくと、一つの文明が終焉のときを迎えるのではないかと案じている。そう、日本だけでなく全世界的に。
 かつて、ギリシア文明や古代ローマ帝国、アレキサンダー大王の帝国、フビライ・ハンの蒙古、さらには大英帝国、ナチスドイツとファシストイタリアとのヨーロッパ侵攻と結託した大日本帝国の大東亜共栄圏など、さまざまな文明や帝国、国家が栄えては滅んできた。
 そして今、我々の文明は、第二次大戦後の戦後体制として、基本として自由と民主主義の体制、人権が保障されている文明を共有認識として築いてきた。※むろん反する政治体制の国家も少なからずあるが。
 だが、このコロナウィルスという感染症大流行によって、全世界的に多くの死者が出、しかもその多くは、ワクチン接種も含めてきちんとした医療が受けられない貧困層だとするならば、人類全体の人口が激減するだけでなく、いわゆる「第三世界」の人々は消滅してしまうことになるのではないか。
 先進国においても高度の医療が受けられる裕福な人たちはともかく、我が国でも低所得者、生活困窮者層、年金の少ない一人暮らしの老人やひとり親家庭などでは菅政権の「棄民政策」によって多くの死者が出ることも予測される。
 竹中平蔵たち、自分ファーストのエコノミストたちは、そうした負の遺産的人々が消えてしまうことは良いことだと考えるかもしれないが、経済は金持ちだけで動くとしてもそれを支える層が消えてしまえば、経済そのものが成り立たない。

 いま、一部の先進国、米英などではワクチン接種普及のおかげで感染者、重症者は減り、コロナは終息に向かいつつあり、経済も回復してきたと胸を張っているが、果たしてそれは本当だろうか。全世界的にもそうなるとは我はとても思えない。今も、世界のあちこちから感染再拡大が報じられている。
 ウイルスは変異を繰り返してまた各地各国で新たな流行を繰り返す。その都度、富裕層とその国家は何度でもワクチン接種するだろうが、ワクチンを打ったからといってリスクが減るだけで絶対罹らないわけではない。

 経済人は、このコロナ禍もやがては終わり元通りの日常が戻る、経済も回復すると考えているようだが、おいそれとは行くまい。特にこの後手後手の思い付き対応に明け暮れている日本では特に。
 コロナ感染の報が出てから一年半も過ぎたのに、第5波まで何度でも「これが最後のがまん」と自粛を強いつつ感染拡大を繰り返し起こし、ついに過去最高の爆発的数字となってしまった。
 そしてまさに打つ手なしの状況となり、病床満床、医療崩壊となるから、軽症の皆さんは自宅で療養、どうかご自愛ください、という無責任な方針転換の「お願い」となったのである。

 コロナは天災かもしれないが、それで助かる命も助からずに死んでいくのは、まさに政治による人災であり、自公政権、菅首相こそ「万死に値する」と声を大にしてこれを記す。

 危急存亡の秋(とき)なのである。オリンピックどころではない!!!

感染爆発中の帰省中止要請についてコント2021年08月04日 19時50分27秒

★ネットで拾った、秀逸なコメントを載せます↓By ABEMA TIMES PONさんのコメント採録

 政府「頼むからお盆の帰省は止めてください」

 国民1「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」
 国民2「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」
 国民3「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
 国民4「安全安心な帰省に向けて全力で取り組む」
 国民5「コロナに打ち勝った証として帰省する」
 国民6「(帰省は)今更やめられないという結論になった」
 国民7「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
 国民8「もしこの状況で帰省がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて帰省する為に僕だけじゃなく帰省を目指す国民はやってきている」
 国民9「家族に希望を与えたい。帰省はコロナ禍収束の希望の光」
 国民10「我々は帰省の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
 国民11「(帰省中止要請は)自主的な研究成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
 国民12「言葉が過ぎる。帰省中止を決める立場にない」
 国民13「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
 国民14「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間がたてば忘れるだろう」
 国民15「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できることを世界に示したい」
 国民16「帰省については限定的、統一的な定義は困難」
 国民17「実家を訪問するという認識。帰省するという認識ではない」

 ※大昔、戦後すぐの頃、NHKラジオで三木鶏郎の『日曜娯楽版』という政治や世相を風刺するショートコントとうたのラジオ番組があった。
 それを思い出しました。

これからのこと2021年08月04日 11時32分27秒

★暑さ厳しき中で考えたことなど

 結局のところ、何においても何が善だとか悪だとか、これは正義で、あれは悪だとかカンタンに即断できないししてはならないのではないか。
 起こることにはすべて時と意味があるとするならば、今起きている、ひどいことも存外悪いことと決めつけなくてもよいように思えてきた。

 長年使い続けてきたパソコンが壊れて、先週末、日通の引取りサービスで、製造メーカーである東芝の修理工場?へもっていってもらった。
 現在、週明け本日火曜の段階では、まだ何も連絡ないが、自分としては中のデータだけでも一部でも取り戻せたら御の字で、処置なしとして返されてもそれはそれで仕方ないと覚悟も決めている。
 今、新しい富士通のパソコンで、このブログ再開しつつ今日は、新しいプリンタもAmazonで注文した。

 旧い、これまで使っていたプリンターは別に一緒に壊れたわけではないが、そちらもかなり年季が入り、近年だましだまし何とか無事に使い続けてきたもので、壊れたパソコンが直って戻ればともかく、新しいパソコンに繋いで再設定できたとしてもこの先何年も使えるわけもなく、やはりこの際、もう一台新規に誂えたほうが良いと考え決めた。
 先に不安があるのならば何につけても先手先手で手を打って備えておくべきなのである。悪しき不慮の事態が起きてから、慌てて新しいプリンタを手配しても遅いわけで、どうせ修理もきかない、買い直すしかないものは、早めにそのときに備えておけ、である。
 我はバカだけど、やっとこのところそうしたことに気がついた。

 そう、これまではいつだって、どんなことでもうすうすそうした不測の事態が起こることを予測、予感しつつも、つい面倒だからと即対応せず、早く何とかせねばと繰り返し思いつつ、事態を横目に眺めては放擲してきた。
 実は今回も壊れたパソコンは、一か月ぐらい前から、ピーという小さな異音がしてきて、何となく気にはなっていた。が、まだすぐには壊れないだろう、と新しいパソコンに全面的に作業移転、データを移すとかは、「そのうちに」しなくてはと先延ばしにしていた。
 そして今夏ついにある日突然完全にいかれて、今もまだ事後の対応に追われ、新しい体制がつくれていない。まずは新しいプリンターを繋いで、外付けハードディスクもセットして、画像や映像、録音したものなど容量をくうものは、本体のパソコンではなくそちらに最初から入れていくようにして作業体制を一から再構築していくことからだ。
 若い時から我はいつも同じことを繰り返している。尻に火が付かないと何事も動き出さないのである。にっちもさっちもいかない状況が起きて、大慌てで仕方なくやっと腰を上げる。

 ならば今回の件も起こるべくして起きたことであり、ある意味、「今」起きたほうが、この先いつか起こることならば、逆に今この時で良かったことかもしれない。
 今はまだ父が存命中で手元にいくらか金があるし、我を取り巻くこの世界もトコトン最悪の危機的状況になっていない。何であれ金さえ出せば家まで居ながらにして何でもすぐ手に入れられる。
 コンサートなどのチラシやパンフ作成など、これまで使用してきたワードなどのデータは失われてしまい、すべてまた一から再設定なり新たにまた作り直すことを思うと気が重いが、今また心機一転、気持ち新たにやっていこうと思う。何であれ、かつてできたことをもう一回やるのは、ゼロからのスタートではないのだから。

 実はこのところずっとひたすら思っていたことがある。
 それは、「すべてをなくそう、終わりにしよう!」ということで、近年モノが増えすぎて、何一つ片付かず手に負えなくなってしまい、我が家はゴミ屋敷と化し、猫も増え続けて何もかも行き詰まり、どうしようもできなくなってしまった。
 すべては自分が何につけてもネグレクトしてしまい、結果起こるべくして起きた、自らが招いた事態だったわけだが、その破滅的状況に対して、自分ではもういいかげんうんざりして「もう全てをなくそう、(いったん)終わりにしよう」とひたすら強く願い、神に何とかしてくださいと祈ってきていた。
 が、状況はほとんど好転せず、生きていく限り、多少は片付けは進んだとしても日々またヘラクレスの牛小屋の掃除のごとく新たに物は増え続けて事態は一気に動き出さなかった。
 そして、先のコンサートを終えた翌日、突然パソコンは壊れて、嫌でも新な状況へ我は導かれたのだ。そう、ある意味、我の願いが叶ってきたのである。

 旧いパソコン内の録り溜めてきた積年のデータがすべてなくなってしまうのは本意ではないが、それもこれも起こるべくして起きたことで、悔やみ残念に思うものの、それもその程度のものだったのだと思い諦めるしかない。
 我がまた生きていれば、過去はともかく新たにまた得たり体験することも多々あろうし、砂の城ならば、またもう一度、今度は波がまず来ない場所に築き直せばよいだけの話だ。
 そう生きていればまたそれはできる。モノは失われてもかつてあったものは記憶をもとに新しく書き残すことはできる。そしてまたそれを「発信」もできる。
 そしてネットの世界では、「過去」は消えない、消せないのならば、我は消えても書き遺したものは、モノ好きな誰かがきっといつかは読んでくれるだろう。

 すべてをなくそう、終わりにしよう、とずっと念仏のように唱えてきた。自ら望まなくとも自分ではできなくてもそれは嫌でも自然にそうなっていく。そうか、やっとわかった。
 だからこそ主体的に、この人生が終わる前に、少しでもそれをきちんと進めていこう。幕は自らが下ろしたい。

ほんとオリンピックなんかどうでもいい2021年08月03日 20時52分04秒

★国民すべてがオリンピックに関心あるわけではない~もっと伝えるべき大事なことがあるだろうが

 この数日、ちょっと体調悪く、父だけは何とか介護施設に送り出して自分は家にこもり寝込んでいる。
 で、起きるとテレビつけたり、ベッドの中でもスマホでニュースを検索しているのだが、表示されるのはテレビもネットも、誰それがどの競技で○メダルを取った!!とかの速報「ニュース」ばかりで、本当に辟易してしまう。
 むろん競技者の頑張りを否定するわけではない。それは当人と関係者にとっては素晴らしい、大きな出来事であるに違いない。

 が、我にとって、そもそも関心のない、興味のないスポーツの、今まで見知らぬ聞いたこともない名の選手がどんな色のメダルを取ろうと、我にとって知るべき優先的ニュースではまったくない。
 それよりも気になるのはコロナウィルスの感染状況であり、全世界的にも今後どうなるのか、対策はどうすべきか、その危機的状況も含めてメディアはもっともっと積極的に警告を兼ねて報じるべきではないか。それが「報道」であろう。
 ところが、NHKに至っては、Eテレまでも従来の放送は全部五輪中継に埋め尽くして、ひたすら朝から晩までオリンピックの報道に明け暮れている。うんざりを通り越して憤りすら覚える。
 オリンピック以外の、これまであった一般のニュースの時間はわずか15分程度に削られてしまっている。
 繰り返すが、国民全員誰もが、この東京五輪に関心や興味があるわけではないし、もっとフツーの五輪以外のニュースや番組を観たいと思い、求める権利はあるはずだ。何しろ受信料を払っているのだから。

 つまるところ、NHKはやはり権力の犬、走狗であり、菅政権がコロナ禍の緊急事態宣言下でも無理強行した、東京五輪をやたら熱く報じることで少しでも国民が関心もち、メダルラッシュに沸いて、結果として開催した政権を支持するよう「忖度」した放送を続けていると考えてしまうが違いますか?
 スポーツは素晴らしいし、その頑張る彼ら選手の姿に勇気や感動、希望をもらうことは確かにある。
 しかし、それはあくまでも一過性のものであり、今一番肝心かつ人々にとって必要なニュースは別にある。それはコロナの今と今後であり、五輪以降、我々はどうやってこの危機的医療体制の中をそれぞれ生きていけるかということだ。報道とは、その指針を示すべきものではないのか。
 そのことを報じずに、ひたすら五輪中継に明け暮れ、メダルの数に一喜一憂するニュースたけ報じるのは、すべての報道メディアにとって、かつての大本営発表に等しい、存在自体が問われる危機的状況ではないか。

 何度でも繰り返す。オリンピックなんてどうでもいい。それよりもっと今一番国民皆が知りたい、求めている報道がある。メディアはそれをまず真っ先に報じてほしい。