続きの続き ― 2025年11月24日 11時53分38秒
★結局、新たにエアコン購入することに。
ほんとうにこのパソコンは使えない。当ブログのサイトを開くのにも、ずっと「読み込んでいます…」とパイロットのマークはくるくる回るだけで、表示がなかなかされない。
容量がいっぱいなのか、OSが旧いせいなのかやはりもう限界なのだろう。
新しく最新のOSが入ってるパソコンもAmazonで注文して届いているのだが、その設定に時間がかかると思うので、まずは今回のブログの回を書き終えてからそちらに移行することにする。
完全なクラッシュではないものの、メールソフトにせよ、ともかくやたらに応答が遅れて何度もやり直したり待たされたりでものすごくストレスが溜まっていく。
結果として拙ブログも書きだすまでの手間を思うとついつい面倒となって時間が空いてしまっているのだ。書き出せば早いのに、そこに至るまでやたら時間がかかるのである。
さておき、件の中華メーカーのエアコン、昨年の夏の終わりに室内外機すべて新品に交換したのに、やはり予測していた通り、わずか一年でまったく冷えなくなった。かろうじて送風だけはできるが、暖房も同じことだろう。
今度また壊れたら修理など頼んでも同じことの繰り返しとなるのは経験上身に染みているから、違うメーカーのものに交換するしかない。
が、その交換作業するためのスペースが今は全然ない。
庭先は、イベントの後片づけで今は車が入れられないほど本やら様々な箱でいっぱいで、業者が入って室外機を交換設置する場所すらないのだ。
ただ連日朝の9時には市の広報の放送で、「熱中症警戒アラート」の発令が知らされている頃で、冷房がないことには、その部屋の猫たちが危険な暑さに襲われる。窓も開けられないしいくら強く設定しても「送風」だけではまったく効果がない。
で、冷風機の本格的なものをネットで探して、スポットクーラーなるものをすぐさま注文したところまで記した。四角いタワー型である。かなり大きい。翌日にはすぐさま届いた。
それは、排気のためのダクトを窓を少し開けて取り付けるタイプのもので、不器用な自分としてはかなり迅速に何とか設置設定はできた。
ダクトというのは、プラスチック製の蛇腹のもので、大人猫が入れるほどけっこう太く大きい。
それを専用のパネルにはめ込んで、ダクトの幅だけ窓を開けてパネル以外の隙間は塞いで外の熱波が入らないようにする。
確かにかなり冷えることは冷えた。冷風を最強にすれば吹き出し口の前にいると寒いほどだ。
部屋の温度も25度ぐらいには下がった。
が、問題は、この機械、スイッチボタン類すべてが天面にあって、猫たちが上に乗ればすぐに設定が変えられてしまう。冷風の最強に設定したはずなのに、後で確認してみると送風になっていたりで頭痛めた。
天面部にカバーやらパネルのようなものを被せたがあまり効果がなく、スイッチ類が側面についてればこんな事態にはならなかったのに、と悔やむしかなかった。
プラスチックの排気ダクトも猫が乗ったらしだいに潰れて来てしまい防御のための鉄製枠をとりつけた。
また、購入前に読んだ商品説明では、排水のためのドレーン不要とのことだったが、ドレーンで水を出さないことには冷風がすぐに停まるので、きちんと付属の細いパイプを繋がないでいたら、床が水浸しになったりと、またまた自分の購入判断の失敗に自責するしかなかった。
そんなこんなで、悶々としていたが、やがてやや暑さも収まって来て、はたと気がついた。
この機械は、クーラー機能しかない。冬はどうするのか。
夕方の犬との散歩のときに、毎度利用しているヤマダ電機にふと立ち寄ってみた。
そしたらば・・・
ほんとうにこのパソコンは使えない。当ブログのサイトを開くのにも、ずっと「読み込んでいます…」とパイロットのマークはくるくる回るだけで、表示がなかなかされない。
容量がいっぱいなのか、OSが旧いせいなのかやはりもう限界なのだろう。
新しく最新のOSが入ってるパソコンもAmazonで注文して届いているのだが、その設定に時間がかかると思うので、まずは今回のブログの回を書き終えてからそちらに移行することにする。
完全なクラッシュではないものの、メールソフトにせよ、ともかくやたらに応答が遅れて何度もやり直したり待たされたりでものすごくストレスが溜まっていく。
結果として拙ブログも書きだすまでの手間を思うとついつい面倒となって時間が空いてしまっているのだ。書き出せば早いのに、そこに至るまでやたら時間がかかるのである。
さておき、件の中華メーカーのエアコン、昨年の夏の終わりに室内外機すべて新品に交換したのに、やはり予測していた通り、わずか一年でまったく冷えなくなった。かろうじて送風だけはできるが、暖房も同じことだろう。
今度また壊れたら修理など頼んでも同じことの繰り返しとなるのは経験上身に染みているから、違うメーカーのものに交換するしかない。
が、その交換作業するためのスペースが今は全然ない。
庭先は、イベントの後片づけで今は車が入れられないほど本やら様々な箱でいっぱいで、業者が入って室外機を交換設置する場所すらないのだ。
ただ連日朝の9時には市の広報の放送で、「熱中症警戒アラート」の発令が知らされている頃で、冷房がないことには、その部屋の猫たちが危険な暑さに襲われる。窓も開けられないしいくら強く設定しても「送風」だけではまったく効果がない。
で、冷風機の本格的なものをネットで探して、スポットクーラーなるものをすぐさま注文したところまで記した。四角いタワー型である。かなり大きい。翌日にはすぐさま届いた。
それは、排気のためのダクトを窓を少し開けて取り付けるタイプのもので、不器用な自分としてはかなり迅速に何とか設置設定はできた。
ダクトというのは、プラスチック製の蛇腹のもので、大人猫が入れるほどけっこう太く大きい。
それを専用のパネルにはめ込んで、ダクトの幅だけ窓を開けてパネル以外の隙間は塞いで外の熱波が入らないようにする。
確かにかなり冷えることは冷えた。冷風を最強にすれば吹き出し口の前にいると寒いほどだ。
部屋の温度も25度ぐらいには下がった。
が、問題は、この機械、スイッチボタン類すべてが天面にあって、猫たちが上に乗ればすぐに設定が変えられてしまう。冷風の最強に設定したはずなのに、後で確認してみると送風になっていたりで頭痛めた。
天面部にカバーやらパネルのようなものを被せたがあまり効果がなく、スイッチ類が側面についてればこんな事態にはならなかったのに、と悔やむしかなかった。
プラスチックの排気ダクトも猫が乗ったらしだいに潰れて来てしまい防御のための鉄製枠をとりつけた。
また、購入前に読んだ商品説明では、排水のためのドレーン不要とのことだったが、ドレーンで水を出さないことには冷風がすぐに停まるので、きちんと付属の細いパイプを繋がないでいたら、床が水浸しになったりと、またまた自分の購入判断の失敗に自責するしかなかった。
そんなこんなで、悶々としていたが、やがてやや暑さも収まって来て、はたと気がついた。
この機械は、クーラー機能しかない。冬はどうするのか。
夕方の犬との散歩のときに、毎度利用しているヤマダ電機にふと立ち寄ってみた。
そしたらば・・・
続き ― 2025年11月22日 23時48分13秒
★まず今夏もエアコンが壊れたことから
あれこれ慌ただしくて未だ報告してなかったかもしれないが、拙宅の玄関わきの四畳半の洋間、つまり亡き父母たちがそれぞれ晩年を過ごして、現在は猫たち飼育部屋となってしまった部屋のエアコンがまた今夏壊れて冷えなくなった。
これまでも何回も何度も壊れて、当ブログでも愚痴をさんざん書き記してきた機種だ。
父がまだ生きていた頃に、市内のヤマダ電機でいちばん安い機種、ヤマダオリジナルとして中国のメーカーであるハイセンス社製のエアコンを購入・設置した。
が、これがとてつもなく不具合多発のメーカーで、父がその部屋にいた頃はまだもったが、以後冷えなくなったりエアコンとしての機能不全が多発して、室外機も本体もそれぞれ三回は交換したかと思う。
過去にブログに書いたかと思うが、昨年夏も送風は出るもののまったく冷えなくなって販売店に電話して修理を頼んだ。
が、直してもすぐにまた冷えない送風だけとなり、その都度何度も何度も業者に来てもらい、結局最終的に中も外も全部新品に交換してようやく冷暖房使えるようになった。
が、それから一年もたたないのに今夏も8月の末に、また風は出ているが冷風は出てない。またもやガスが漏れたのだと思うがまったく冷えなくなった。
まだギリギリ保証期間内だと思うものの、直しても直しても何度でも不具合が続きそれを繰り返すのにはコリゴリなので、前回の時点で、またも壊れたらばもう修理は頼まず別の新品に交換しようと決めてたから、もう修理を依頼するのは諦めた。
が、今年の猛暑。酷暑の最中、冷房なしでどうしたらいい?
新たに別のエアコンに交換、新品に取り替えるしかないのだが、今は室外機が置いてある庭先はものが山積みでその設置工事ができるスペースが作れない。
いろいろ悩み迷ったが、Amazonで簡易な床に据え置き型スポットクーラーなるものを見つけて注文した。新たにエアコン買うよりかなり安い。
が、これがまた使えなかった。
あれこれ慌ただしくて未だ報告してなかったかもしれないが、拙宅の玄関わきの四畳半の洋間、つまり亡き父母たちがそれぞれ晩年を過ごして、現在は猫たち飼育部屋となってしまった部屋のエアコンがまた今夏壊れて冷えなくなった。
これまでも何回も何度も壊れて、当ブログでも愚痴をさんざん書き記してきた機種だ。
父がまだ生きていた頃に、市内のヤマダ電機でいちばん安い機種、ヤマダオリジナルとして中国のメーカーであるハイセンス社製のエアコンを購入・設置した。
が、これがとてつもなく不具合多発のメーカーで、父がその部屋にいた頃はまだもったが、以後冷えなくなったりエアコンとしての機能不全が多発して、室外機も本体もそれぞれ三回は交換したかと思う。
過去にブログに書いたかと思うが、昨年夏も送風は出るもののまったく冷えなくなって販売店に電話して修理を頼んだ。
が、直してもすぐにまた冷えない送風だけとなり、その都度何度も何度も業者に来てもらい、結局最終的に中も外も全部新品に交換してようやく冷暖房使えるようになった。
が、それから一年もたたないのに今夏も8月の末に、また風は出ているが冷風は出てない。またもやガスが漏れたのだと思うがまったく冷えなくなった。
まだギリギリ保証期間内だと思うものの、直しても直しても何度でも不具合が続きそれを繰り返すのにはコリゴリなので、前回の時点で、またも壊れたらばもう修理は頼まず別の新品に交換しようと決めてたから、もう修理を依頼するのは諦めた。
が、今年の猛暑。酷暑の最中、冷房なしでどうしたらいい?
新たに別のエアコンに交換、新品に取り替えるしかないのだが、今は室外機が置いてある庭先はものが山積みでその設置工事ができるスペースが作れない。
いろいろ悩み迷ったが、Amazonで簡易な床に据え置き型スポットクーラーなるものを見つけて注文した。新たにエアコン買うよりかなり安い。
が、これがまた使えなかった。
ようやく全てが再び動き出す ― 2025年11月22日 12時33分13秒
★この春から抱えてきた懸案のことが終わりました。
11月も半ば過ぎ、今年も終わりが見えてきた。
季節は今、晩秋のはずなのだが、今年は寒くなるのが早く、曇って木枯らしが吹く日などは体感的にはもう真冬である。
それでもこの数日は晴れて穏やか風もなく、暖かな日が続いてほっとしている。
報告が遅れたが、先日17日にエアコンの交換工事が終り、これで夏から、いや、正しくは春からずっと抱えて頭悩ましてきた「ケンアン」のことがこれでほぼ終わった。
あれこれ書き記したいことも多々あるが、先ずはその報告をいたしたい。
※実はまだパソコンは新規のに替えていないので旧いのでこれを打っている。が、ものすごくパソコンの具合が悪い。一度中断して続きを書こうとしてもなかなか立ち上がらないだけでなく、きちんと画面が出ずに仕方なく、何度も何度も再起動してどうにか書き込み画面がやっと出た。
もうこのパソコンはクラッシュしてないものの完全に使用限界なのかもしれない。
この回だけは、これで記すとして、新たなパソコンの設定まで、しばらく時間が空くと思う。
いま、これを記しているのは、22日の夕方。犬の散歩や買い物など用事もある。申し訳ないが、今晩中にこの続きは書きます。
11月も半ば過ぎ、今年も終わりが見えてきた。
季節は今、晩秋のはずなのだが、今年は寒くなるのが早く、曇って木枯らしが吹く日などは体感的にはもう真冬である。
それでもこの数日は晴れて穏やか風もなく、暖かな日が続いてほっとしている。
報告が遅れたが、先日17日にエアコンの交換工事が終り、これで夏から、いや、正しくは春からずっと抱えて頭悩ましてきた「ケンアン」のことがこれでほぼ終わった。
あれこれ書き記したいことも多々あるが、先ずはその報告をいたしたい。
※実はまだパソコンは新規のに替えていないので旧いのでこれを打っている。が、ものすごくパソコンの具合が悪い。一度中断して続きを書こうとしてもなかなか立ち上がらないだけでなく、きちんと画面が出ずに仕方なく、何度も何度も再起動してどうにか書き込み画面がやっと出た。
もうこのパソコンはクラッシュしてないものの完全に使用限界なのかもしれない。
この回だけは、これで記すとして、新たなパソコンの設定まで、しばらく時間が空くと思う。
いま、これを記しているのは、22日の夕方。犬の散歩や買い物など用事もある。申し訳ないが、今晩中にこの続きは書きます。
またまた更新遅れて申し訳ありません ― 2025年11月08日 13時05分53秒
★疲れ果てておりましたが、ようやく立ち直りつつ。
気がつけば11月も一週間過ぎている。なかなか当ブログ新たに書き込めず時間だけが過ぎていく。
近況さえも落ち着いて書く時間がとれないでいた。申し訳ありません。
先にも少しお知らせしたが、ようやくこの半年間抱えてきたいくつかの我を悩ます煩わしいモノゴトは、根本解決に至らずともどうにか一段落してきた。
まず6月末にしでかした交通事故の件は、先日保険会社から相手方と示談となり終了したと連絡があり、やっと心のもやもや感というか、説明できない不安感は一つおさまった。
いろいろご心配おかけしたがまさにやれやれという気持ちしかない。
また、件の近場で何回か開催したフリマと音楽のイベントだが、今春の大型連休に三度目をやってから、その会場の建物は都議選候補者の選挙事務所となったため中に置いていたもの一切合切の移動・撤去を要請されて、その「後片づけ」にずいぶん時間と体力を奪われ疲弊した。
その後も、この秋にまたもう一回開催するのかもなかなか定まらず、我としてもどうしてよいのか身動きがとれず苦悩していた。
フリマ用品は、雑貨類や我の古本などもすべてそこから運び出し、山梨の倉庫や我家の庭先にブルーシート掛けて「保管」していたが、建物の中には、イベントに備えて購入したヤマハの巨大スピーカーシステムなど一式が残しておいたので、無人の廃屋の中でそれが無事なのかずっと心配でならなかったのだ。
もうイベントはやらないと決定できれば、本格的に移動させてほんとうに「終了」とできるのだが、そこは持ち主の大家さんの一存なので、どうにも身動き取れない。イベントに関してはいくつか問い合わせもあったが、返答に窮していた。
どうなったかというと、結局は、そのイベントやった建物の周りの、やはり同じ大家の家作で空家となっていた二軒長屋を壊して、その空いたスペースを駐車場とすると、秋口に突然言われて、10月からその工事も始まってしまったので、この秋のイベント開催はどっちにしろ不可能であった。
今は寮の建物はまだ変わらず残っているが、周りは黒々としたかなり広い空き地になってしまっていて、近くそこに砂利を敷いて24時間貸しの簡易なパーキングになるらしい。
で、先日その解体工事の前に、寮の中からスピーカーシステムだけは運び出して今は我のクルマに載せてある。高額なものだから万が一盗まれもしたら、と不安だったが、これで一つ心配事は減ったというわけだ。※しかし車から出したくても置き場がない。どうしたものか。
また、拙ブログを今打ち込んでいるこのパソコンだが、ともかく起動させるにも時間がかかり、1からスイッチ入れるのではなく待機の段階にしておいても立ち上がりにやたら時間がかかり、常にイライラさせられていた。
拙ブログの更新が遅れるのもそれこそが大きな要因であった。
どんなに早くても当ブログを開くまで15分はかかる。しかも今は、キーボードに不具合があり、「よ」のキーだけが、大文字では打てても小文字が出てこない。押しても表示されない。
だから破傷風という言葉を打ち込むためには、タイピングだけでは、「はしうふう」にしかならないから、いちいち破れ、傷、風と個別に打たなければならなくなる。これもものすごく苛立ちストレスとなる。
※ちなみに我は英字ではなく、かな文字で打ち込んでるわけだが、いずれにせよキーボードのキーの一つに不具合があれば面倒なことは同じであろう。
そのキーにゴミでも挟まったかとも思いあれこれいじったが、「よ」自体は問題なく押して表示されるのに、シフトキーと同時に押すと小文字の「よ」が出ないのだから、原因は別のところにあるのだろう。ようわからんけど。
いろいろこれにも思い悩み、安くキーボードも新たにAmazonで購入したのだが、けっきく、いや、結局、中古でパソコンも新たに買うことにして一昨日それも届いた。
いまのこのパソコンもこの秋にOSのサポートが終了してしまったので、キーの問題以外はまだまだ使えるけれど、今後のためにももう一台あったほうが、このパソコンがクラッシュしたときにも安心安全だろうと思い決断した。
これまで使ってきた富士通とかNECとか国内メーカーのデスクトップパソコンもあれこれ探したけれど、新品のは今はちつと信じられないほど高くなっていて、我の願うスペックのものだと30万前後してしまう。※ノートパソコンならもっと安いが、ノート型は我は使えない。
仕方なく中古と言っても「再生品」という名の、OSも最新型の高スペックのものを探して注文したわけだ。
まだ設定以前に箱を開けてもないので、果たして問題なく使えるのかわからないが、また報告していきます。
ちなみにそれは、ヒューレットパッカード、HPのパソコンに最新のOS 、ウインドウいくつなんだかよくわからないが入ってる。立ち上がりもすごく早いらしい。
その他、他のこともあれこれあるのでまたお知らせしたい。ともかく一つ一つ、懸案のこと、頭を悩ます心配ごと、不安なことをなくしていくしかない。
いろいろご心配おかけしてますが、がんばります。
気がつけば11月も一週間過ぎている。なかなか当ブログ新たに書き込めず時間だけが過ぎていく。
近況さえも落ち着いて書く時間がとれないでいた。申し訳ありません。
先にも少しお知らせしたが、ようやくこの半年間抱えてきたいくつかの我を悩ます煩わしいモノゴトは、根本解決に至らずともどうにか一段落してきた。
まず6月末にしでかした交通事故の件は、先日保険会社から相手方と示談となり終了したと連絡があり、やっと心のもやもや感というか、説明できない不安感は一つおさまった。
いろいろご心配おかけしたがまさにやれやれという気持ちしかない。
また、件の近場で何回か開催したフリマと音楽のイベントだが、今春の大型連休に三度目をやってから、その会場の建物は都議選候補者の選挙事務所となったため中に置いていたもの一切合切の移動・撤去を要請されて、その「後片づけ」にずいぶん時間と体力を奪われ疲弊した。
その後も、この秋にまたもう一回開催するのかもなかなか定まらず、我としてもどうしてよいのか身動きがとれず苦悩していた。
フリマ用品は、雑貨類や我の古本などもすべてそこから運び出し、山梨の倉庫や我家の庭先にブルーシート掛けて「保管」していたが、建物の中には、イベントに備えて購入したヤマハの巨大スピーカーシステムなど一式が残しておいたので、無人の廃屋の中でそれが無事なのかずっと心配でならなかったのだ。
もうイベントはやらないと決定できれば、本格的に移動させてほんとうに「終了」とできるのだが、そこは持ち主の大家さんの一存なので、どうにも身動き取れない。イベントに関してはいくつか問い合わせもあったが、返答に窮していた。
どうなったかというと、結局は、そのイベントやった建物の周りの、やはり同じ大家の家作で空家となっていた二軒長屋を壊して、その空いたスペースを駐車場とすると、秋口に突然言われて、10月からその工事も始まってしまったので、この秋のイベント開催はどっちにしろ不可能であった。
今は寮の建物はまだ変わらず残っているが、周りは黒々としたかなり広い空き地になってしまっていて、近くそこに砂利を敷いて24時間貸しの簡易なパーキングになるらしい。
で、先日その解体工事の前に、寮の中からスピーカーシステムだけは運び出して今は我のクルマに載せてある。高額なものだから万が一盗まれもしたら、と不安だったが、これで一つ心配事は減ったというわけだ。※しかし車から出したくても置き場がない。どうしたものか。
また、拙ブログを今打ち込んでいるこのパソコンだが、ともかく起動させるにも時間がかかり、1からスイッチ入れるのではなく待機の段階にしておいても立ち上がりにやたら時間がかかり、常にイライラさせられていた。
拙ブログの更新が遅れるのもそれこそが大きな要因であった。
どんなに早くても当ブログを開くまで15分はかかる。しかも今は、キーボードに不具合があり、「よ」のキーだけが、大文字では打てても小文字が出てこない。押しても表示されない。
だから破傷風という言葉を打ち込むためには、タイピングだけでは、「はしうふう」にしかならないから、いちいち破れ、傷、風と個別に打たなければならなくなる。これもものすごく苛立ちストレスとなる。
※ちなみに我は英字ではなく、かな文字で打ち込んでるわけだが、いずれにせよキーボードのキーの一つに不具合があれば面倒なことは同じであろう。
そのキーにゴミでも挟まったかとも思いあれこれいじったが、「よ」自体は問題なく押して表示されるのに、シフトキーと同時に押すと小文字の「よ」が出ないのだから、原因は別のところにあるのだろう。ようわからんけど。
いろいろこれにも思い悩み、安くキーボードも新たにAmazonで購入したのだが、けっきく、いや、結局、中古でパソコンも新たに買うことにして一昨日それも届いた。
いまのこのパソコンもこの秋にOSのサポートが終了してしまったので、キーの問題以外はまだまだ使えるけれど、今後のためにももう一台あったほうが、このパソコンがクラッシュしたときにも安心安全だろうと思い決断した。
これまで使ってきた富士通とかNECとか国内メーカーのデスクトップパソコンもあれこれ探したけれど、新品のは今はちつと信じられないほど高くなっていて、我の願うスペックのものだと30万前後してしまう。※ノートパソコンならもっと安いが、ノート型は我は使えない。
仕方なく中古と言っても「再生品」という名の、OSも最新型の高スペックのものを探して注文したわけだ。
まだ設定以前に箱を開けてもないので、果たして問題なく使えるのかわからないが、また報告していきます。
ちなみにそれは、ヒューレットパッカード、HPのパソコンに最新のOS 、ウインドウいくつなんだかよくわからないが入ってる。立ち上がりもすごく早いらしい。
その他、他のこともあれこれあるのでまたお知らせしたい。ともかく一つ一つ、懸案のこと、頭を悩ます心配ごと、不安なことをなくしていくしかない。
いろいろご心配おかけしてますが、がんばります。
ともかく慌ただしく疲れ果てていた ― 2025年10月30日 13時17分58秒
★ようやく一段落したか、と
寒くなった。10月も終わりとなる。またまた当ブログ、更新怠りて申し訳ない。
先週は出かける用事やら雑事がいっぱいで、寝る時間もなくふらふらで、やっと今週になって少しだけ一段落してきたのだが、また不安神経症がぶり返してやや苦しかった。
が、破綻してしまった人生を少しでも再建していく道筋は見えてきたし、ともかく少しでもすこしづづでも日々進めていくしかないわけで、相変わらず隣近所が煩いし、また苦情が届いていると市の環境課職員が来るは、と心乱されることは多々あるが、人間は一人だけなので我のペースでやっていくしかない。
そう、遅々としてても少しでも少しづつでも、だ。
そんなこんなで、まずまたこのところの近況から書き進めていく。が、
寒くなった。10月も終わりとなる。またまた当ブログ、更新怠りて申し訳ない。
先週は出かける用事やら雑事がいっぱいで、寝る時間もなくふらふらで、やっと今週になって少しだけ一段落してきたのだが、また不安神経症がぶり返してやや苦しかった。
が、破綻してしまった人生を少しでも再建していく道筋は見えてきたし、ともかく少しでもすこしづづでも日々進めていくしかないわけで、相変わらず隣近所が煩いし、また苦情が届いていると市の環境課職員が来るは、と心乱されることは多々あるが、人間は一人だけなので我のペースでやっていくしかない。
そう、遅々としてても少しでも少しづつでも、だ。
そんなこんなで、まずまたこのところの近況から書き進めていく。が、
高田渡とも縁の深い、吉祥寺教会の後藤神父訃報のお知らせ ― 2025年10月06日 23時05分06秒
★後藤文雄神父は、9月17日に亡くなられました。亨年96歳。
もう既に吉祥寺界隈の事情通の方々はご存知かもしれないが、故高田渡とも縁の深かったカトリック吉祥寺教会の、ごっちゃんこと後藤神父が亡くなられました。
昨日、立川教会のミサの終わりに、お知らせとして、先日訃報のファックスが遅れて届いたと告知があり今さらながら知らされた。
既に吉祥寺教会にて、通夜及び葬儀ミサ、告別式も先月の22日、23日に終わっている。
ごく簡単に説明すると、後藤神父は、長らくカトリック吉祥寺教会の主任司祭として終生その教会で過ごされ、クリスチャン、パウロ・高田渡の葬儀を司った方としてだけでなく、その後も本来厳格なはずのカトリック教会のその大聖堂内で、渡氏の友人知己による追悼コンサートの開催も許されたほど音楽に理解あるとてもユニークな神父であられた。
後の「生誕祭」にも参加されていたので、クリスチャンでなくてもその名とお姿はご存知の方もおられるかと思う。
我は、彼と個人的には親しく語らう機会はなかったが、高田渡を通して我もまたキリストの僕、その端くれとなるきっかけを与えてくれた恩人であり、96歳という年齢とはいえ、さまざまな思い出と深い感慨がわく。
後に、たまたま菊池大司教、枢機卿とお会いした時に、その話をしたらば、神の計らいは我々にはわからない、まさに驚かされると語られて我もまたそう思えた。
我は今は諸々事情あって、吉祥寺教会へはなかなか行けないが、彼は晩年まで、天気の良い日には、吉祥寺教会入り口右手の、マリア像に続く回廊の藤棚の下のベンチに座って、信者のみならず訪れる方誰にもきさくに語らい福音を授けていたとのことで、まさにその姿は生ける聖人のようであったときく。
ごっちゃんと皆に呼ばれ、誰にも愛され親しまれた彼の生涯は、その自伝本に詳しいが、厳格かつ堅苦しいというイメージの強いカトリック教会を誰にでも開かれた、赦しの門として開放した功績はとてつもなく大きいと我は思う。
個人的な事だが、彼は昭和4年の生まれで、我の母と同年同月の生であった。2016年に癌で死んだ母がもしまだ生きていれば、今年で96歳だったのか。
これで今年の哀しみの月は、すべて終わったことになる。
もう既に吉祥寺界隈の事情通の方々はご存知かもしれないが、故高田渡とも縁の深かったカトリック吉祥寺教会の、ごっちゃんこと後藤神父が亡くなられました。
昨日、立川教会のミサの終わりに、お知らせとして、先日訃報のファックスが遅れて届いたと告知があり今さらながら知らされた。
既に吉祥寺教会にて、通夜及び葬儀ミサ、告別式も先月の22日、23日に終わっている。
ごく簡単に説明すると、後藤神父は、長らくカトリック吉祥寺教会の主任司祭として終生その教会で過ごされ、クリスチャン、パウロ・高田渡の葬儀を司った方としてだけでなく、その後も本来厳格なはずのカトリック教会のその大聖堂内で、渡氏の友人知己による追悼コンサートの開催も許されたほど音楽に理解あるとてもユニークな神父であられた。
後の「生誕祭」にも参加されていたので、クリスチャンでなくてもその名とお姿はご存知の方もおられるかと思う。
我は、彼と個人的には親しく語らう機会はなかったが、高田渡を通して我もまたキリストの僕、その端くれとなるきっかけを与えてくれた恩人であり、96歳という年齢とはいえ、さまざまな思い出と深い感慨がわく。
後に、たまたま菊池大司教、枢機卿とお会いした時に、その話をしたらば、神の計らいは我々にはわからない、まさに驚かされると語られて我もまたそう思えた。
我は今は諸々事情あって、吉祥寺教会へはなかなか行けないが、彼は晩年まで、天気の良い日には、吉祥寺教会入り口右手の、マリア像に続く回廊の藤棚の下のベンチに座って、信者のみならず訪れる方誰にもきさくに語らい福音を授けていたとのことで、まさにその姿は生ける聖人のようであったときく。
ごっちゃんと皆に呼ばれ、誰にも愛され親しまれた彼の生涯は、その自伝本に詳しいが、厳格かつ堅苦しいというイメージの強いカトリック教会を誰にでも開かれた、赦しの門として開放した功績はとてつもなく大きいと我は思う。
個人的な事だが、彼は昭和4年の生まれで、我の母と同年同月の生であった。2016年に癌で死んだ母がもしまだ生きていれば、今年で96歳だったのか。
これで今年の哀しみの月は、すべて終わったことになる。
このところの近況をランダムに記していく① ― 2025年10月01日 23時01分25秒
★10月に入った。
今日から10月。久々の雨の幕開けである。
薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
ならばその証として当ブログを記していかねばならない。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。
それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。
まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。
10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。
世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?
そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。
一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。
待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。
今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。
そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。
今日から10月。久々の雨の幕開けである。
薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
ならばその証として当ブログを記していかねばならない。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。
それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。
まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。
10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。
世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?
そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。
一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。
待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。
今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。
そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。
あるほどの菊投げ入れよ棺の中 ― 2025年09月30日 05時26分18秒
★慌ただしさとまた体調崩して
ブログ更新できず申し訳ない。
亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
気づけば今月も終わりとなる。
体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。
冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。
我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。
よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。
こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。
このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。
ブログ更新できず申し訳ない。
亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
気づけば今月も終わりとなる。
体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。
冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。
我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。
よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。
こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。
このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。
故小野田陸春さんの墓前参拝のお知らせ ― 2025年09月21日 14時34分11秒
★9月23日、お彼岸の中日に参ります。
我らが友、昨年の夏に急逝された小野田陸春さんのお墓参りに、明後日23日火曜・秋分の日の彼岸中日、午後3時に、中井駅で待ち合わせしてまいります。
お寺は、西武新宿線・大江戸線中井駅そばの最勝寺です。
現在、三留まゆみさん他?、参列の予定です。
ご参加、同行される方は、当日でも私マスダ090-8175-8479か080-3000-0615の小野田さんの子息まで連絡ください。
当日は、ご子息の方が、墓所までご案内してくれるそうです。
かつてのクラブ仲間の代表として墓前に参列いたします。後日また報告します。
我らが友、昨年の夏に急逝された小野田陸春さんのお墓参りに、明後日23日火曜・秋分の日の彼岸中日、午後3時に、中井駅で待ち合わせしてまいります。
お寺は、西武新宿線・大江戸線中井駅そばの最勝寺です。
現在、三留まゆみさん他?、参列の予定です。
ご参加、同行される方は、当日でも私マスダ090-8175-8479か080-3000-0615の小野田さんの子息まで連絡ください。
当日は、ご子息の方が、墓所までご案内してくれるそうです。
かつてのクラブ仲間の代表として墓前に参列いたします。後日また報告します。
9月は、哀しみの月③~近況報告から ― 2025年09月18日 18時56分59秒
★太田さんのライブ、無事盛況となりました。
また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。
いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。
感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。
ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。
先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。
あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。
しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
よろしければお付き合いください。
また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。
いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。
感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。
ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。
先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。
あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。
しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
よろしければお付き合いください。

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