中川五郎を迎えて「共謀」コンサート、いよいよ来週土曜日19日!2019年10月11日 17時44分36秒

★ぜひ、どなたでもお気軽に、10/19日(土)、自由にご参加を!!

 体調がもう一つのところ、家庭内でケガ人(猫)が出て、病院通いが続いたりと慌ただしく気がつけば19日土曜日の、谷保かけこみ亭『五郎と「共謀」コンサート』が一週間後と迫って来た。
 チラシも何回か載せてるが、改めて詳細をこの場でお知らせしたい。

 ★中川五郎音楽活動半世紀越え記念&古希祝賀コンサート
  『五郎と「共謀」コンサート』

 ・日時/2019年10月19日(土) 午後4時定時開演~午後8時過ぎ終演予定
 ・出演/生けるフォークソング伝説・中川五郎
  応援出演アーチスト
 ・五十嵐正史とソウルブラザーズ
 ・館野公一
 ・ウッディ―
 ・槙 篤
 ・広瀬波子 その他超豪華アーチスト飛び入り参加決定!乞うご期待‼

 ・会場/谷保かけこみ亭 JR南武線谷保駅下車歩3分 042-574-3602 http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/ ※地図アリ

 ・参加費・投げ銭+ワンドリンクorワンフード

 ・問い合わせ&企画進行・全責任/マスダ昭哲 090-8175-8479

年内の予定・追記2019年10月10日 11時33分03秒

★10/19日の「中川五郎と共謀」コンサートを終わらせたら

 今日も晴れた。秋なのにまだ強い陽射しが照りつけるが、吹く風は冷たく、寒くてもうTシャツ一枚や半袖ではいられない。もう10月半ばなのである。このところ朝晩はめっきり涼しくなった。窓開けては眠れない。

 が、今週末にはまた大型台風がやってきて関東地方にも影響が出るとメディアはしきりに騒いでいる。もし先の15号のような台風がこちらを直撃したらば、ウチの家屋はともかく庭の樹々が倒されてご近所に多大な被害が起こるだろう。あれこれ考えても仕方ないことだが、千葉県の方々同様、今回は被害が最小限に収まることを祈るしかない。

 さて、5日土曜の、かけこみ亭での館野公一企画『語り歌の継承』、ゲストに西島寛二氏を迎えての回に無事参加出来たのだけれど、その晩からまた寒暖差アレルギーというか、風邪の初期症状なのかくしゃみと鼻水、頭痛が続いて大事をとって安静にしていた。
 むろん最低限の家事や自分の仕事、つまり注文本の発送などはやっていたけれど、後はできるだけ無理せずブログも後回しにして時間あらば横になっていた。申し訳ない。
 熱などはないし、毎度のアレルギーか風邪かもはっきりしないが、今ここで悪化させて寝込む羽目となると、来週土曜日、19日のコンサートに支障が出る。特に「咳」が続くとまた大変なことになる。

 季節の変わり目、朝晩の寒暖の差を、着るものなどでいかにうまく調節して体調を崩さず維持していけるかが我の老年期の課題であろう。
 何であれ、生活も含めて誰も我の身体を管理してくれる人はいないし世話も面倒も見てくれる人は皆無なのだから独身人生、最後の最後のときまで自力自助でやっていくしかない。

 さて、19日の、五郎氏と旧知の仲間たちの大きなコンサートを無事終えたら今年残りの予定である。
 この数年続いて来た『共謀コンサート』は、この後も続けていく予定でいるが、まずは、ここでいったん小休止、中休みとさせてもらって、来年また再開するとしてしばらく間をおきたい。この連続コンサートについても、我の企画する他のイベントについても再考のときが来たようだ。なので、この『五郎と共謀』コンサート、現時点での最高のもの、集大成としたいと願う。どうか一人でも多くの観客、参加者があるようにと祈るだけだ。

 そして、次に自分が関わるのは、11月20日に、東中野「じみへん」で太田三造さんのライブがあり、我はそこで前座というか進行役と彼の露払いを務める。
 現時点ではギターもうたもまったく何ヵ月も練習していないから、果たして何をどれほどできるか不安でならないが、今はどんなことでも受け容れるつもりなので、与えられたこの機会、精いっぱいやるつもりだ。

 そして今年もまた年末には、拙宅で、クリスマス謝恩ライブパーティを開催する。どなたでもお気軽にご参加ください。
 例年は、12月23日の「昭和天皇誕生日」にやっていたが、今年はどうやら23日は休日とはならないようなので、その前の日曜、22日に開催としたい。そのためにまた場所づくりに頑張らねばならないが、今はまだ先のこととして、喫緊のコンサートに取り組んでいく。

 私事だが、家庭内でまたちょっと面倒なことが起きた。人間ではなく、「動物」の一匹が事故に遭い大けがして入院してしまった。しかし何であれ、起こることは全て意味があるのだから、そのときどき、出来ること、=すべきことを精いっぱいやっていくしかない。
 そこに愛はあるか。我はまた試されている。

これから、年内の予定など2019年10月04日 15時57分05秒

いぶし銀の渋い歌声「カントリージェントルマン」西島寛二!
★まずは、10/19日の「中川五郎と共謀」コンサートだが、その前に明日5日は西島寛二と館野公一!!

 ★10月5日(土)語り歌の継承vol.69@谷保かけこみ亭
館野公一 ゲスト:西島寛二 7:00pm 1500円(予約1300円)
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

続・もう何にも囚われない。怖れない。振り回されない。2019年10月03日 07時58分57秒

★本当によいものを求め関わっていく

 今日も朝から晴れて、外にいると強い陽射しに汗ばむほどだが、吹く風はカラッと爽やかで、どこからか斉藤哲夫のうたう「野沢君」が聞こえてくる気がする。

 母が先に逝き、残された父と男二人で暮らし始めて3年。ようやくであるが、暮らし方のコツというか、道筋が見えて来た。
 父がまるまる終日家に居る日は基本、週に一日程度だし、我家で過ごす週に三日の晩だけ何とかうまく乗り切れば、後は介護施設に任せて我は自分のことに専念できる。
 今までは精神的なこともあってあちこち体調も悪く父のことや今後についてどうしたことかと思い悩みあれこれ囚われることも多く結果一人のときは疲れがどっと出てしまい寝てばかりで無為に時間を費やすことも多かった。

 が、ようやく今はこれから先の進むべき方向、「海図」も手に入れたしもう大丈夫だと思う。
 もう何にも囚われないし怖れない、振り回されない、と書いた。しかし小心な我のこと、おそらくまたちょっとしたトラブルでも悩み動揺しそれが気になって囚われると思う。しかし、そうなろうと、たとえどんなことが起きようと、すべて起こることは天の計らい、神の御心だと信じて「有難く」受け容れて行こうと決意した。
 そう、良いことも悪いことも含めて、どんなことが起きようが人は必ず死ぬのである。終わりの日が必ず来る。
 すべてのことは生きている間だけのことだし、死んでしまえば(この世のことは)すべてオシマイなのだから、その限りある中で精いっぱいやっていくしかない。

 人生は何とかなるし(何とかならなくても)何とかしていくものだ。今も間違いなくそう思うしじっさいそうして今まで生きて来た。それが人生であろう。
 しかし、それは我が母が生きていて、母の庇護の元とは言わないが、その「存在」があってこそのことだった。

 共に暮らし日々の生活の雑事、買物、炊事洗濯などの家事はほぼ全部我が担当していたが、本当に面倒なこと、つまり家計の管理や様々な支払いなど対外的手続きは母に任せきりにしていた。
 その母がいなくなり、そうしたこの家に関する一切の実務的ことを全部我一人で処理しなければならなくなった。
 残された我の唯一の家族、父が今ほど呆けていなければ、父に相談するなり手伝いも頼めただろうが、もう今は記憶が続かず数分前のことが思い出せなかったり、我=実の息子を弟だと思い、その名で呼んだりするほどのバカになってしまったから何一つ頼りにならない。何をするにせよ常に足手まといになるだけだ。

 そうした父を抱えて何とかこの3年生きて来たわけだが、自分の無力無能をただ噛みしめている。今も何一つ片付いていないし、状況はほとんど改善していない。
 何かの用で他人様が来るときだけそこにあるものを移動させて場所をつくる。片付いたように見えてもただモノは箱詰めにして家の中を移動しているだけだ。
 時間がないわけではないが、この秋95歳の超高齢となる父が家に居ると、常に目が離せないし寝てても熟睡は出来ず気疲れする。
 父を施設に送り出してからだ、と常に思い、その後はほっとするが、体調不良の疲れがどっと出て寝込むことも多かった。

 そう、自分一人では何一つきちんと生活と人生を管理できなかったのだ。
 しかし、「できない」からといって、もう、やーめた!とはできない。無能な自分に絶望してネグレクトしてしまうのは緩慢な自殺行為であろうし、そうして自堕落にゴミ屋敷の中でアルコールに溺れて死んでいくのは死んだ母にも申し訳ない。
 ともかくできなくても人生は続けなくてはならないし、何であれ「その中」でやっていかねばならないはずだ。絶望したり諦めることはたやすいが、たとえなかなかできなくてもやり続けるしかない。

 考えれば、ギターだって、最初は誰もがまったく弾けない。指は痛くなるしチューニングだって一苦労だ。こんなことはとてもできやしないと思う。
 しかし日々少しづつでも我慢して練習を続けていけば、コードも次々覚え押さえられるようになるし、好きな曲を拙くとも弾けたりコピーすることもできるようになる。自分でも曲をつくったり歌えるようにもなっていく。

 人生もそれと同じで、たとえ誰も頼りできず助けてもらえなくても、たとえけんあんのことがなかなかできなくても続けていけばいつかはきっとできるようになるかもしれない。そう信じて諦めずにやっていく。
 ずっと負け続けて来た。しかしまだ負けは確定していない。生きている限りいつかは勝つ日もあるかもしれない。

 そのためには・・・
 ともかくもうこれ以上モノは増やさないことだ。そして何事も逃げずに後回しにせずに、その場その時、すぐに「処理」していくこと。
 断捨離などできないしそんなことに取り組む気も時間もないからこそ、本当に良いもの、良いことだけに関わっていく。食べることもすることもモノも人もすべて。
 まだまだできる。きっとできる。そして俺は変わる。

 大昔、天王寺の春一番で一回だけ観た、砂川正和のステージが今でもはっきり彼の唄声と共に一挙一動目に浮かぶ。
 1978年だったと思う。あの日彼は、ナスティーチェインというバンドを従え3曲歌った。
 最後に、この曲は、ずっと歌いたかったけどやっと歌えるようになった、と断って、サム・クックの名曲『ア・チェンジ・イズ。ゴナ・カム』を日本語詞で歌った。

 ♪川のそばテントで俺は生まれ~で始まるこの名訳の二番と三番の歌詞を載せておく。

 とてもつらかった でも死ぬのはこわい
 だって天国なんかわからない
 とても遠い道のりだった
 でも変わるときがくるんだ
 きっと変わる

 転がるたびにダメだとおもったけれど
 もうだいじょうぶさ やっていける
 とても遠い道のりだった
 でも変わるときがくるんだ
 きっと変わる

 砂川正和を初めて観て、日本にもこんな本格的ソウルシンガーがいるんだと驚かされた。上田正樹なんて彼に比べればまがい物におもえた。
 しかし大阪の友人から知らされたが、彼はずいぶん前に自死してもう今はいないという。だが我の手元にはこのときの音源がしっかり残って、苦しいとき何度も繰り返し聞いた。
 砂川正和とこのうたは生きて常に我を励ましてくれる。本当に良い音楽とはそういうものだ。そしていつかはこのうたを自分も歌ってみたい。

 ならば、きっと変わる。ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム だ。

10月に入りました。2019年10月02日 23時09分29秒

★もう何にも囚われない。怖れない。振り回されない。

 本格的秋10月に入っても日中は強い陽射しの真夏日が続く。だが、朝晩はめっきり涼しくなってきて窓開けて寝ると寒いくらいだ。

 消費税10%増税の前に、増税される日用品、酒などの買いだめに忙しかったのとパソコンの調子も少し悪く、また更新が空いてしまった。

 引きこもりして学校を休んでいると、時間と共に「復帰」は難しくなっていく。数日なら気軽にすぐ戻れるが、休むのが長くなると気持ちは行きたくてもあれこれ思い悩むばかりで気が重く、ともかくしんどくなってしまう。行きたいのに行けなくなる。※同様の経験を持つ人はこの気持ちわかってもらえると思う。
 我がブログもそれと同じで、間が空くと、まず何から書くべきかとっかかりがみつからず「再開」がますますできなくなる。

 ならば、初心に返ってまた、まず自分のコトと自分が関係することから「お知らせ」を兼ねて今マスダはこうしている、こんなことを考えた、と気軽に日々徒然なることを記していきたい。
 むろんそんなことは人様にはカンケイないから読む人しか読まないだろう。だが、フェイスブック的繋がりより、我はこの一方的「発信」を勝手ながらも望むから、もし関心あらば誰かが読んでくれると信じて当ブログ内のランキングなど気にせずにともかく書き続けていこうと思う。
 それもできるだけ包み隠さずにあるがままに、だ。

 母が死んでこの秋で丸3年がたつ。認知症の老いた父を一人で抱えてともかく何とかやってきた。
 しかし日々の生活をともかくやり過ごすだけで手いっぱいで、生活は破綻し家はどこもかしこともゴミ屋敷と化し人を迎えることも含めて生活再建のメドは立っていない。
 一時期は、母喪失のPTSDから、体重が落ちて会う人ごとに心配されるほど痩せた我が身だったが、このところ介護のストレス晴らしのアルコールに溺れて不摂生からヘンな具合にまた太って来た。腹がせり出し、体調もあまり良くない。足底の痛みも老化と共にそうした日常に関係していたかと思える。

 しかし、ようやくだが、やっとこれからの道筋は見えて来た。ずいぶん時間がかかったけど、登山で言えば、あの尾根を越えれば、という「尾根」が指呼の間に見えて来た。
 まだまだ辛い登りは続くが、ともかく一歩一歩足をj前に進めていけば、まずその「尾根」にたどり着く。その先に何があるかはともかく、その尾根に着けたら肩の荷物を降ろしていったん休憩をしっかりとりたい。本当はそれは還暦を迎えた時にと思っていたのだが・・・
 あれこれ悩み気ばかり焦っても何もできず進まず苛立つばかりの日々は過去になっていく。

 何であれ、何事も「生活の中」でやっていかねばならなかったのだ。ところが不器用でバカな我はそれがわからなかった。
 何か一つ、目先の囚われ事があるとそれに夢中になって生活はまったく放擲し顧みることはなかった。また、逆に生活に囚われると、本来やるべきことも、「まずこれを終えてから」と、後回しにしてしまい、決局二兎を追うところか一兎もものにできなかった。
 先に古川豪さんと再会し彼のうたわ館野公一氏と共に聴き、お二人から強い示唆というか、インスパイアを受けた。うたもそうだが、、うたとの接し方と己のスタンスについてである。どこに我が身を置いて何を唄っていくか。

 生活の中、というのは、日々の日常、生活の傍らということだ。まずに何より基本の生活がきちんとしっかりあって、そのうえで、その中で、「己のやるべき、やりたいこと」をやっていく。どちらかが先にとか上に、と考えない。
 芸術至上主義というのは、あくまでも恵まれた環境にある人の言いであって、日々のパンをまず得てそのパンを得るまでの「大変さ」と得た「喜び」「有難さ」を記し唄うのが我が考える「うた」であり「芸術」なんだと考える。

 それが果たしてできるかはともかく、その「地図」はあるのだから、ともかく進むしかない。何をどうしていくかはわかってる。
 もう大丈夫だ。

 ※もう一回だけ書きます。

9/29日、京都より古川豪さんが谷保かけこみ亭にやってくる2019年09月28日 23時41分41秒

★9月29日(日)古川豪from京都@かけこみ亭 共演:館野公一
3:00pm、2500円+オーダー
豪さんの歌を日曜の昼下がりにゆったりと聴いてください。
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

長い夢からようやく覚めた・・・2019年09月27日 08時27分30秒

★ご心配おかけしてます

 外は、今日も朝からカラッと晴れて爽やかな秋本番といった好天気だ。
 ブログずっと間が空いてしまいご心配おかけしてしまった。睡眠不足からの疲れがどっと出て、時間あらばともかく横になって短い眠りの中でひたすら夢を、いくつも見続けていた。
 やっとブログ再開して今ようやくそうした「長い夢」から覚めた気がしている。

 9月も終わりとなる。今月はともかく自分の体調すぐれず様々なお誘いにも行かず、何はさておき不義理承知で保身と自愛するしかなかった。諸関係者方にはただ申し訳なく思う。
 
 近況を記せば、問題の父在宅時の就寝時に自らオムツ外してしまう「問題」は解決した。何のことはない、夜中に一回様子見て明け方頃オムツ交換してやれば良いだけのことであった。
 さすれば彼は大人しく朝こちらが声かけて起こすまで熟睡してくれている。やはり溜まって来るオムツの中での尿の不快感、蒸れ感から眠っていても無意識のうち外そうと試みるのであろう。
 何重にも吸水パッド入れて、一晩中外に漏れなければ良いというのは、介護側の都合でしかなく当人の意思というか体感に反していた。外すのもまた自然のなことだったのだ。
 病院や介護施設では深夜も夜勤担当の方がほぼ3時間おきに見回りオムツ交換は通常のことだとそうだ。

 拙宅でもそうするようになって、問題は解決したのは良いのだが、けっきょく担当者、職員はウチは我一人のため、最初は睡眠不足でフラフラとなった。
 このところはやっとコツをつかみ、明け方に一度だけ起きて、眠ってる父のオムツの中を交換すれば、後は8時頃まで安全安心だと判明した。
 交換後は我もまたひと眠りできるし、いずれによこのところは自らも「老人力」がついてきて朝は5時頃に自然に起きていたのでそんな特別なことではなかった。
 しかし当初は、慣れるまでは深夜もかなり父のことに気を取られて、自分の眠りも浅く不規則になってしまい慢性的睡眠不足で体調はかなり苦しかった。ちょうど季節の変わり目でもある。持病の寒暖差アレルギーも出た。暑いんだか寒いんだかわからないのが身体には一番困る。

老いた父を抱え父と共に生きていく2019年09月18日 17時22分24秒

★残された日々を確実に、丁寧に、慈しみながら

 また外は雨がしとしと降っている。昨日に比べてややうすら寒い夕暮れである。父のこと、どうしたものかとずっと考えていた。やっと覚悟を決めた。

 良いことも悪いことも、辛いことも楽しいことも、つまるところ何であれすべては生きている間だけのことのだから、何であれ起こること全てを受け容れていくしかない。
 ようやくそう「悟り」が開けた。明けない夜がないように、死なない人はいないし、モノゴトすべてには終わりが来る。
 父はまた在宅時は、これからも毎晩毎朝寝小便を繰り返しベッドや衣類を汚すだろう。さらには大便さえ撒き散らすこともするだろう。
 それをどう防ぐか、対策をあれこれ考えた。ペット用の監視カメラのようなものを設置するとか動きに反応して鳴って知らせるセンサーも考えた。※オムツを外せないようにまさか腕をしばり拘禁するわけにはいかない。

 しかしすべては事後対応に近いわけだから、慌てて階段を寝ぼけ眼で下りて静止したとしても防止には至らないだろう。
 ならば、父が家で眠っているときは、我は一晩徹夜して、適時様子を見に行ってオムツ交換したりして「惨事」に至らないよう注意するしかない。
 それで朝になり父を起こし朝食摂らせてから、我は昼まで少しだけ仮眠とれば、その日は何とかなる。昼までは、父も昼寝などせず起きてテレビでも見ているはずだ。むろん外に徘徊に出ないようカギをしっかりかけてのことだ。
 今の父のルーティンは、木曜の夕方施設から戻り、金曜日は終日在宅で、土曜日の朝また施設にお泊りに行くというパターンだから、この家で眠るのは二晩だけだ。
 問題は、二晩目、徹夜も二日目となると果たして起きていられるか、だ。
 まあ、結局失敗してまた布団やシーツ、パジャマを汚したとしてもその晩は施設でお泊りだから、その後の処理はともかくその夜の布団の心配はない。
 そして朝、父を送り出してから土曜は夕方まで眠り続ければ体調は戻るだろう。不養生だが、それがいちばん金も手間もかからず簡便だ。夜中起きてれば片付け作業も捗るかと期待もする。

 こうした認知症が進んでしまい自ら就寝中にオムツを外してベッドを汚す老人の扱いについては、介護側はおそらく皆が頭悩ましているはずだ。※友人のミュージシャンには本業は介護に携わることをされている方も多々いるので今度ご教示受けてみるつもりだ。
 施設などの場合、聞けば、3時間おきぐらいに夜勤担当者が見回りの際に交換しているとのこと。ならば大失禁には至らないかと思うし、当人自らも勝手に外さないのかもしれない。
 問題は、在宅で家人が世話している場合で、特にウチの場合は我一人なので、交互に担当してくれる人はそもそもいない。
 けっきょく、我も朝まで眠りたいとの思いから、父に夜間は幾重にもオムツの中にパッドを重ねて履かせているわけだが、当人としては蒸れたり暑苦しく不快感ゆえに、寝ながらも取り外そうと常に試みるのかと想像する。
 ならばやはり施設の夜勤の職員のように、数時間おきに交換して快適な睡眠環境を与えるしかない。
 この我自身体調はあまり良くなく決して健康体ではないが、毎回毎朝洗濯したり、洗濯ものがこれ以上溜まるのは心身ともに疲弊する。そう、晴れの日ばかりとは限らないから、外干しが出来ない日も多い。近くにコインランドリーもあるけれど、毛布や掛布団まで乾燥機に入れられるのか。抱えて持って行く手間も含めて考えただけでうんざりしてくる。

 まあ、経験上どんなことでも過ぎてしまえば、人は後になって振り返ると、そのときはどんなに苦しく大変でも懐かしく思えるものだから、父とのこともそう思える時が来るだろう。
 在宅で母が死ぬ前も我は介護で不眠不休で、睡眠不足で倒れる寸前だった。しかし、今思うと、その「苦しさ」さえもう少し辛抱できたと思うし、どんなに苦しくても一日でも長く母に生きていて欲しかったと今でも思う。

 父はまだ生きている。この秋95歳になる。その父を抱えて我は父と共に生きていく。

続・死に行く人をどう死なすか。2019年09月17日 23時42分26秒

★もう布団と寝る場所がない~尾籠な話の続き。

 父が就寝中、自ら自分の紙パンツを外して何も穿かないで眠り続けて小便を布団の上に撒き散らすのはこれまでもたまにあった。
 昔はその都度「反省文」を書かせて、それを失念しないよう部屋のあちこち目に入るところに今も貼ってある。しかし何枚書いたことか。

 当人は起きているときは、それはやってはイケナイことだとわかっているし、その都度洗濯や布団干しに追われる息子の苦労も理解示している。
 が、眠ってしまうとまったくそんなことは忘れてしまい、いや、正しくは無意識のうちに、溜まって来た尿の不快感から?朝方になるとともかく外してしまうと思われる。
 じっさい短時間の昼寝ではこれまで一度もそんなことは起こしていない。話が正しくでき意識がきちんとあるときは、本人も深く反省して、もう絶対しない、息子に起こされるまではベッドの中でオムツは外さず待っている、と確約してくれる。
 しかし翌朝、定時に起こして様子を見るとオムツの中から濡れたパッドだけ出してベッドサイドに畳んであったり、ひどいときは濡れた面を下にして枕元、敷布団のうえに投げ出してあったりもする。当然辺り一面、逆流した父の小便で水浸しである。

 しかし、これまでは数回に一回のことだった。それが二回に一回になってきたかと思ったら、このところはほぼ毎朝毎回となってしまった。最初はかなり父を責め怒りをぶつけたりもしたが、そもそも起床時はボーとしていて当人は何が起きたのか、自分は何をして息子は怒り心頭なのかもまったく理解できていない。
 眠る前、前夜は、絶対外さないように、と何度もこのままだと洗濯が間に合わないぞと、口酸っぱく諭して、当人もわかった、絶対勝手に外さないと確約する。しかし、朝になると必ず布団は小便で水浸しとなっている。※絶対外さないよう、このところは紙パンツを穿かす前に、オムツが外されないようさらにガムテープでぐるぐる巻きにして対策を練った。が、剥がすのもかなり面倒なはずなのに、朝になるとしっかりそれも剥がして濡れたパッドは投げ出され敷布はぐっしょりなのである。
 むろん、敷布の下に防水シートからペット用吸水シートまで幾重にも敷いてある。が、それ以外のところを濡れたパッドで汚したり、毛布や掛布団までも濡らしてしまうことも毎度のことだ。

 特に、前々回はひどかった。かなり早くオムツから紙パンツ、中のパットまで出して全部脱ぎ捨てたらしく、朝確認したらほとんど何も穿かずに
小便の海の中で眠っていた。背中までぐっしょりである。
 そのときは、敷布団マットのみならず、簡易ベッドの土台に付いている敷物までも濡らす「大失禁」で、身体はシャワーで洗ったもののぐっしょり汚れた敷いてたマットは洗うわけにもいかず、どうするか処分に困っている。

 それが金曜の朝のことで、担当医による訪問診療が来る日でもあった。いつもならその晩も在宅で寝て、翌土曜朝にまた施設にお泊りに送り出す週に一日の終日自宅滞在の日だった。
 が、布団が何もかも一切合切小便で濡れてしまい、洗濯してもすぐには乾かないし代わりの布団も出てこないと即判断して、朝から翌日利用する予定のデイサービスに電話した。今晩からお泊りできますか、と。
 そしたら幸いその晩は空きがあって、夕方早めに食事済ませてから父をその施設まで送って事なきを得た。一泊分余分の利用となってお金がまたかかるわけだが、送り出してから正直ほっとした。
 もしその晩布団が何とかなったとしてもまた明日の朝は同じことを繰り返すだろう。もう気持ちも体力も限界に来ていた。

 そして16日月曜日の夕刻、父は施設から戻って来た。幸い不在の間に雨も降ったが、何とかギリギリシーツ類は乾かすことができた。
 しかし、翌火曜日の朝、またしても自らオムツから何まで就寝中に外してしまっていて、紙パンツ一枚で寝ていた。むろんそれだけで吸収が収まるはずもなく、また敷布には世界地図である。幸い今回は、防水シーツの上だけで収拾ついたけれども。

 けっきょく、いくら叱りつけても怒っても無駄なのである。認知症もかなり進んでいるから、事後はたとえ少しは反省し自らも注意しようと思ったとしても寝てしまえばすぐさま忘れてしまう。
 またこのところさらに歩けなくなり、施設から戻って来た時など家の中に入るのすら手すりに掴まってやっとのことだ。
 それだけまたこの秋が来て確実に老化と衰弱が進んでいると実感せざるえない。何とか今年いっぱいはもつとは思うけれど、ここまで頭も何もかも心身衰弱が進むとこの家で我一人で介護していくのはたとえ数日でも難しい。
 ともあれ、一番頭痛いのは、毎朝のベッド上での寝小便である。もう洗濯にも倦み疲れた。
 死に行く人、死期が間近に迫って来た人を、どうやってできるだけ長くこの家で暮らさせるか。何か妙案はないものか。

死に行く人をどう死なすか。2019年09月16日 08時11分32秒

★いよいよそのときが近づいてきた

 夜半からまた雨である。先の台風で被災した伊豆諸島や千葉の人たちのことを憂い思う。人的被害は少なくともこれは、農業、漁業、酪農、養豚なども含めた国家的規模の大災害ではないのか。

 このところ朝晩は涼しくなって、もう夏の格好ではいられない。が、晴れれると日中はかなり蒸し暑く、汗ばむ陽気に冷房なしではいられない。
 暑いんだか寒いんだか何とも安定しない季節の変わり目だ。「寒暖差アレルギー」という持病の者にはいちばん苦しい季節である。
 例によってくしゃみ、咳と鼻水が止まらず、風邪の症状に苦しんでいる。熱は出てないからこれは風邪ではない。ただ、メマイとふらつき、それに涙目もあるからどうにも身体はしんどくて起きていられず、寝れる時は早めに床に入ってしまう。無理はできない。お誘い受けてもいろいろ不義理してしまう。無理して出かけると後が怖い。

 怠け病と言われようが、己を知り、自愛するしか生きていく術は我にない。何しろ子もなく世話してくれる身寄りはいなく年金もなく一人で生きて一人で死なねばならないのだ。身の程を知らねばならない。
 そんな我に未だ有るのは、老いた父という唯一の家族と、この家などモノとガラクタだけだ。
 その父が、この秋めっきり衰弱と呆けが進んできた。そろそろ特養へ入所の時期かと思うが、手続きは進めているもののまだアテはみつからない。二か所のショートステイとデイサービスを利用して何とか凌いでいる。在宅で我一人ではとても介護できやしない。
 このところ週末はいつも土曜から月曜まで二泊三日でお泊りに行ってくれているから我は、ライブなどにも行けてずいぶん楽になった。今日は月曜、夕方には帰宅して来る。

 が、今困っているのは、今晩父を寝かす布団類が何もないということだ。先週の金曜日の朝、父は大失禁してしまい毛布、シーツ、掛布団から敷布団まですべて大量の小便で濡らしてしまったのだ。小便の海の中で眠っていた。
 パジャマをはじめ洗えるものは全部洗濯機に放り込んだが、あろうことか昨日も曇り、今日は雨で干すことはできず未だ乾いていない。
 だいいち掛布団と敷布団は洗濯機では洗えなかったので、外にずっと出していたが、乾いても臭くてとても使えないとわかった。うんと天気の良い日にバスタブに入れて踏み洗いでもしてよく絞って干すか、それともこのまま捨てるか迷うところだ。
 パジャマとかシーツは替えがあるが、そんなで父が戻って来ても今晩寝る寝具がないのである。さて、どうしたものか。どこでどうやって今晩寝かせるか。

 尾籠な話で不快に思われる人もいるかと思うが、これは事実でやがては誰にでも起こり得ることだからあえて記す。※読みたくない方、ご自分とはカンケイないとお考えの方は読まないでください。

 父は、八十代半ば頃から小便がちびり気味、つまり尿漏れが始まり、履いていた下着を汚すようになっていた。それでも自分でトイレに行けていたし、一時期は、薬局されていた古川豪さんのおススメで漢方薬「八味地黄丸」が効いてだいぶ改善されてもきた。
 しかし、2016年の春、誤嚥性肺炎で入院し、院内でベッドから転落して大腿骨粉砕骨折を起こしてから、動けぬゆえ常時紙パンツ着用となってしまった。
 90代に入った老人としては、そのまま寝たきりとなるかと思われたが、幸いにして奇跡的に回復、一時期は杖をついて自力歩行も戻った。
 しかし、高齢でもあり当人は尿意もよく感じないようで、以後も紙パンツは外せず、父は紙パンツ内に小便は「ただ漏れ」するようになった。 
 紙パンツも吸収には限界があるし、いちいちズボンを全部脱がして紙パンツじたい交換するのも面倒だから、中にパッドを入れて、それだけを交換するようにしていた。それなら紙パンツは汚さないで済む。頭が今ほど呆ける前は、彼自らも意識してパッドの交換をしてくれていた。

 が、加齢とともにさらに呆けも衰弱も日毎に進む。汚い話だが、このころは大便すら自分では出たことも、紙パンツ内に溜まっていることに気づかないようになって、パッド交換時、紙パンツ内を確認してみるとかなりの頻度で、軟便がべっとり出ていることも多くなった。
 赤ん坊だって、ウンチが出れば、気持ち悪がって泣いて知らすと聞く。ボケ老人はその不快感も感じなくなって、交換時に見せると、自分でも「こんなに出たのか・・・」とびっくりしている。
 だからこちらが異臭に気づき、早く適切に処理しないと軟便はパッドから紙パンツへ、さらにはズボンなど外にも染み出てきて父の座っていた辺りは大変な事態となる。当人だけはすました顔で意に介さないが・・・

 それでいちばんの問題は、夜間である。父が施設から帰宅してきた日は、夕食までいったん仮眠させて、起こして飯を食べさせてそれからしばらく録画していた父の好きな音楽番組などビデオを見せる。
 それから夜10時頃寝かしつけるわけだが、悩んだのは就寝中のオムツ交換である。施設では、夜間も職員が3~4時間ごとにオムツを換えてくれるらしいが、そんなことしていたら我は睡眠不足で倒れてしまう。何しろ、ウチは、職員は我一人なのである。朝も夜も終日我一人で父の介護をしないとならないのだ。
 しかし交換しないことには、吸収できずあふれ出た小便がシーツを濡らして毎朝洗濯する羽目となる。
 考えたのは、夜間は紙パンツなどは幾重にも厳重にセットしてどれほど小便が出たとしてもそれを吸収できるよう何回も失敗した挙句夜間の対策が何とかできた。同様にお悩みの方お試しください。

 まず、紙パンツではなく、大人用紙おむつをベッドに敷く。下半身を素っ裸にした父をその上に乗せて、紙オムツのセットする「あたり」をつけて、まず一番大きいパッドを父の陰部に合わせて紙オムツの上に敷く。
 次いで、小さいパッドで、父のちんちん、つまり陰茎の先を巻く。ちんちんを包み込むように。その上に、下に敷いた大きいパッドを被せて、紙オムツをセットする。この時点で三重に吸収体はセットされたことになる。
 ただ、それだけだとマジックテープの紙オムツはすぐ外れてしまうから、その上にさらに紙パンツを履かせる。
 これだけ幾重にも履かせれば、どれほど大量に小便漏らしてもまず外には漏れないし、じっさいこれで朝まで小便は紙パンツ内で吸収できていた。

 しかし・・・あろうことか一番の問題は、当事者である父が、息子が苦労して編み出した夜間尿漏れ対策セットを、寝ぼけて?自ら就寝中に外してしまうことだった。たいてい朝方、目覚める頃に。
 今回の「惨劇」もそうして父が自分でベッドの上で勝手に「オムツ交換」してしまい、小便吸収するものを何も履かずに寝ていて大世界地図を描いたものだ。村上春樹的に書けば、やれやれ、まったく、である。

 ※長くなったのでもう一回続く。