コロナ禍(下)時代の世相をうたにしてみた2020年09月17日 23時53分51秒

★二人の恋はアフターコロナ

 というわけで、まずは替え歌をいくつか作ってみた。
 が、我もフォークシンガーのはしくれ、として(先日、東中野じみへんで太田さんの前座でデビューした)、やはりきちんとオリジナル曲をつくりたいと考えた。
 で、ともかくつくってみたのは、コロナ感染拡大下、夜の街で出会った若い男女の切ない恋の物語をうたにしてみた。当然流行りの言葉もいくつか入れて。

 題して『二人の恋はアフターコロナ』※完成版     詞/マス坊 曲/太田三造、マス坊


 夜の街で 出会った二人
 会ったとたんに魅かれ合う     
 もっと近しい仲になりたい
 けれど二人の間にはコロナウィルスがある

 もっとそばに近づきたい 
 吐息がかかるほどに
 そしていっしょに甘い夜を     
 二人で同じ夢を見よう

 でもダメね ダメね それはダメ
 濃厚接触だから
 愛し合いたい でも愛し合えない ソーシャルディスタンス
 二人の恋は アフターコロナ


 おしゃれなラウンジで二人 見つめ合い
 愛のカクテル 交わしたい
 夜が更けるまで肩寄せ合いたい
 だけどお店は今は時短営業中
 
 もっとそばに近づきたい
 吐息がかかるほどに
そしていっしょに甘い夜を
二人で同じ夢を見よう

でもダメね ダメね それはダメ
 飛沫感染しちゃうから
 会いに行きたい でも会いに行けない ステイホーム
 二人の恋は アフターコロナ
 二人の恋は アフターコロナ

※曲も詞とほぼ同時にすらすらできた。
 我が思い描いたメロディーは、ラテンのリズムのムード歌謡で、ロス・プリモスとか、そういう歌謡グルーブが、女性シンガーも入れて、歌詞も男女交互にデュエット出来るように書いてみた。
 いちばん近いイメージとしては、おっさん歌謡バンド『ペーソス』が唄うようなものを思い描いてじっさいそんな感じにできた。

 が、ダメですね。リズムもアレンジもコーラスも全て頭の中にはできているのに、自分ではギターでそれをきちんと表現できない。今はやりのDTMの技術をマスターすれば、たぶんある程度は自分のイメージ通りのものを世に示せるとは思うけど、そんな技量はないし、拙いギター1本と我の「うた」では今はとてもそれをカタチにできやしない。
 いっそ、寒空はだか師匠のように、ギターも伴奏も一切排して口だけで演ろうかと思ったが、そうなるとフォークシンガーではなく演芸の域になりそうで今もどうしたものか思案中だ。

 で、その詞を先達のベテランフォークシンガー太田三造さんに送ったら、さっそく彼が親しみやすく明るいメロディーをつけてすぐさま唄ってくれた。なかなかいい曲だと一聴してすぐ思った。
 そして、同時に『受験生ブルース』を当初の暗いメロディーから、高石友也氏によって明るいメロディに作り替えられた中川五郎少年の気持ちはこんな感じかも、とも思った。

 さておき、せっかくできた曲だ。できればこれからもコロナが収束したとしても機会あらば彼と共に唄っていきたいと思ってる。そして願わくば、我は我の作ったメロディーの版も、きちんとムード歌謡としてペーソスのようにシミジミと切なく唄ってみたいと今も願う。
 何であれ、そもそも思い通りに作れないことより、思い通りに作れて既に頭に思い描いていることが、きちんとカタチにできないこと、自分では表現できないことこそ真に辛いと今回も今さらながら思い至った。

 そう、我の作ったうたは、京都の詩人・有馬敲氏の詩に曲を付けた『広島のクスノキ』もそうだが、常に誰からも皮肉交じりによく言われるのは、複雑かつ難しすぎるのである。情けないことに作った当人ですら上手く歌えなかったりきちんと演奏できないのだ。
 じっさい頭の中ではどの曲もフルオーケストラの伴奏で、あたかも筒美京平のかつてのアイドル歌謡のごとく女性コーラスまでアレンジできている。が、それは頭の中だけのことで、小中の音楽授業の劣等生だった我は譜面すら読めず書けないのである。
 今さらだが、がんばって受験勉強して、どこそこの音大に入って基礎から音楽教育を学び直すか。

 いや、冗談抜きで、もう少し今の状況と事情が一段落したら、近くのピアノ教室に通い、まずは譜面が読めるようになりたいと思ってる。でないと、かんたなスコアさえ他のミュージシャンに示せない。言葉では、ここをこうして云々と他者に伝えられないのだから。
 そう、音楽は文字にできないものだ。文章ならばいくらでも思い通りに拙くともカタチにできるのに。

★お断り―――
 ここで載せた歌詞は、マスダバージョンのもので、太田三造が唄う、彼がつけたメロディのものは歌詞がビミョーに異なります。
 ちなみにそれは次回9/26の共謀コンサートでコーラスも含めた完成版として唄う予定ですので、「配信」できたらぜひお聴きください。名曲です。また、このうたは誰でも唄ってかまいません。ただし作詞作曲の権利、全責任は当方にあります。

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら・続き2020年09月16日 23時40分14秒

★コロナは続くよ どこまでも    ※線路は続くよ のメロディで

コロナは続くよ どこまでも
野をこえ 山こえ 国こえて
世界のどこでも僕たちに
新しい日常を押しつける

三密を避けよう 三密を避けよう 人と人との距離はとろう
密室は避けよう 密集はやめよう 密接になるのはよそう 


コロナの時代は 便利だな
仕事も 買い物も 出かけずに
何から何までオンラインで
新しい日常は引きこもり

オンラインでやってこう オンラインでやってこう
面接から葬式までオンラインで
オンラインですまそう オンラインですまそう
ライブから飲み会までオンラインで

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら2020年09月13日 23時58分20秒

★替え歌ならばこんなのは

 コロナウィルスが日本でも本格的に流行し始めてから半年、ようやくこのところ感染者数も減少続きとなり「収束」への兆しも見えてきたように言われている。
 が、またこれから冬を迎えて密になる機会や場も増え、再再度の流行再燃、第三波の襲来もあるかもしれない。またワクチンも全世界的に完成は程遠く、もしそれが国内でも流通するようになったとしてもそれを自ら強く希む人は少ないように思える。我は、まだ安全性がはっきり確定していない怪しいワクチンを予防として打つよりはコロナに罹るほうを選ぶつもりでいる。
 ともあれ、このコロナ禍状況は、世界中でまだまだとうぶん続くことは間違いないだろう。

 さておき、このコロナ感染下、「自粛」期間も含めて皆さまはどうお過ごしだろうか。そして何をお考えになられたか。
 我は、手がけるコンサートも中止余儀なくされ、うたの場、その機会をコロナによって奪われたわけだが、ならば、そうした状況を「うた」にできないものかと考えた。
 うたは、日々の暮らしの中から生まれるもの、つまり、生活や日常を映すものだとするならば、このコロナ感染下の日常、つまり実に嫌~な言葉だが、「ニューノーマル」のことを映すうたが出てきて然るべきかと思う。
 少なくとも我が知る戦後の歌謡曲やフォークソングは、そうした市井の人々の「日常」を歌詞の中で巧みに描き歌詞の中に用いてきた。※例を挙げてもいいが、長くなるので割愛する。

 我も新たに歌詞全部でコロナ時代を描く試みもやってみたが、その前にまずは「替え歌」でいくつか作ってみた。
 替え歌は、敬愛する中川五郎氏や詩人の有馬敲氏も関西フォーク黎明期に早くから手掛けていたことだ。
 我も試作としてまだ思いつき、未完成のものもあるし、じっさいに先日のかけこみ亭での「月刊・共謀コンサート」のオープニングでうたったものもある。
 以下いくつか載せてみよう。

★リモートよ              原曲/かぐや姫 「妹よ」

 リモートよ モバイル一台 隔てて今
 遠くから仕事を押しつけて来る リモートよ
 コロナ時代は 夜も昼もなく 山のような
 仕事を自宅でさせるのか

 リモートよ 昔は退社時間があったから
 どんなに遅くなっても家に帰れた
 今は自宅で リモートワーク 外で仲間たちと
 たまには酒でも吞みたい

 リモートよ 今はこんな大変な時代だから
 どんなことがあっても 我慢しないと
 そして どうしても どうしても
 どうしても 耐えられないときは
 電源切ろうか リモートよ

 ※一応歌詞は拵えて演ってみると、ギターもけっこう難しいだけでなくウケるためには、何より南こうせつのようなハイボイスでないと笑えないことに気がついてボツにした。

★三つのお願い  原曲/四つのお願い ※ちあきなおみ
 
 コロナの時代に私が 恋を 恋をするなら
 三つのお願い 聞いて 聞いてほしいの
 一つ 密室行かないで
 二つ 密集はしないで
 三つ 密にはならないで
 人との距離はしっかりとってネ
 三つのお願い 聞いて 聞いてくれたら
 あなたに私は 夢中 感染しちゃうわ

※このうたも思いつきとしては誰もが考えるもので、二番の歌詞にはマスクは常に外さないで、とか、手の消毒忘れないで、とか入れたのだが、当たり前すぎて批判がなく、ちっともオモロくない。で、これもボツ。

★君はコロナの妻だから 原曲/君は心の妻だから ※鶴岡正義と東京ロマンチカ

 愛しながらも 運命(さだめ)に 敗けて
 感染しちゃったけど 心はひとつ
 陽性反応 医師に告げられ
 涙ぐんでた 君よ
 ああ 見舞いも禁止されている
 君は コロナの妻だから

※これはちょっとイイ!!、とみうらじゅん的には思ったが、じっさいに家庭内で感染者が出た場合、その妻をこうして唄うのは不謹慎だと叱られると思うし、二番では夫も 要観察二週間 とか歌詞も考えたものの曲調も暗くてちっとも笑えない。んでこれもボツ!!

 やはり替え歌というのは、カラッと明るいメロディーでないとダメだと思い至り、考えたのが古賀正男の懐かしの名曲『丘を越えて』ならぬ『コロナを越えて』(現在、思考中)とか、『線路は続くよどこまでも』ならぬ『コロナは続くよどこまでも』とかで、先の「共謀コンサート」で、この曲は館野さんたちに伴奏つけてもらい何とか歌えました!

★もう少しこの稿続きます。ご意見ください。

母の死から4年、今は在るもの全てに感謝したい2020年09月11日 12時42分29秒

★ようやく自分の人生がこれから始まる

 私事を書かせていただく。
 2016年9月8日、今からちょうど4年前、我の母は死んだ。早いもので指折り数えてみるとまるまる4年が経つことになる。その命日に考えたことなど、今の気持ちを記す。

 あの日から4年。その間に、我の周りでは何人かの大事な人たちが老いも若きも逝き、家族の一員である犬猫も何匹も死んだ。我も還暦を過ぎた。
 しかしいちばん大事な我が父も我自身も、そして我の大切に思う人たちは幸いにして未だ健在でただただ有難いことだと思うしかない。こんな時代なのだ。何があってもおかしくはない。ならば神に感謝、である。
 特に父は、亡き母より5歳は年長だったのだから、母が死んだとき、既に九十は卒えてたわけで、ついに来月、誕生日がくれば何と96歳となる。

 ちょっと信じられない気がするし、同世代の友人知人を見回してもそんな長生きしてている親がいる人はいない。いたとしてももはや寝たきりで介護病院施設などに預けて生活は共にしていないだろう。
 父はもう呆けに加えてほとんど歩けず、ろくに食べられず排便排尿は紙オムツの中に垂れ流しとなりまさに命は風前の灯火という感であるが、それでも大正生まれの元日本兵は頑健で、嚥下障害など誤嚥性肺炎の怖れはあっても内臓的にはどこも病気はないようなので廃人一歩手前となってもどっこい生きているのである。

 彼の介護に疲弊するときなど、我は、息子のほうが先に逝くかもしれないという不安に襲われることがままある。何しろ全盛期は、六尺男、つまり180㎝近くの身長と体重80キロを越す大男で老いても彼の妹弟たちが呆れるほどの健啖家だったから、今は骨と皮に老いさらばえても基礎体力がそもそも我らと違うのだ。
 大陸の苦難の戦地から無事帰還できた元日本兵は、日々衰弱は進み明日をも知れぬとはいえ、おそらくこの冬を超えて来春はともかく、来年の正月はたぶん迎えられるかと思う。そう、コロナにも負けずに。

 母も長生きしたほうだが、米寿を迎えられずに死んだとき、我はまさに想定外という思いがした。年長である父のほうが先に逝くと我も母自身も予想していたから、母亡きあとまさか父と我の男同士、二人きりでこの家で暮らしていくなんてまったく考えも想像もしていなかった。
 その父は今は週のうちかなりの日数を二か所の介護施設で介護保険をフルに利用してお泊りに行ってくれているから、我の介護する負担はだいぶ軽くなった。
 が、それでもこのところまた不穏が起きて来たから昼寝でも夜中でも寝かしつけても徘徊や妄動があるのでまったく気が休まらない。
 父がいるときは、夜勤警備員のように、横になったとしても数時間だけ、それも階下の父の部屋の物音に耳を澄ませながらだから、寝た気はしない。
 父を先に寝かしつけて0時過ぎに我も寝たとしても明け方にオムツ交換しないとならないし、ヘタに長く寝かせると父は自ら汚れたオムツを脱ぎ捨てて何も穿かずに寝たりするのでシーツはマットまで大世界地図である。
 昔は大食いでいくらでも食べられた人でもさすがにこのところは食も細くなり、しかもすくにむせて誤嚥する可能性が高いから、毎食食べさせるだけで一苦労である。食べないからと叱って無理強いすると一気に吐き戻したりもする。
 頭も、このところは収まっているが、些細なことに囚われ大騒ぎしたりもするし、おっかさんは、どこ行った!?こんな夜中なのに帰って来ない、と妻が死んだことをも忘れて我にしつこく繰り返し問うこともある。まさに泣きたい気分となる。
 もう、かつての几帳面かつ温和な性格は消えてしまい、ときに暴れもするし、繰り返す妄動や妄言暴言、徘徊行為にこちらも何度もキレたり、つい暴力行為を(お互いに)ふるうことも何度もあった。
 父は壊れてしまった、キチガイになってしまったと嘆き悩んだ日も多々ある。昔から我とは気が合わず、あまり親しい仲ではなかった老人と男二人の4年間、母不在の生活はまさに苦しく耐え難く、辛酸佳境に入るという言葉しかなかった。
 結果として、父が介護施設に行ってる間も我は疲れ果て寝込み、体調もすぐれず最愛の母の死の痛手も大きく何もかもやる気が失せ、すべてがネグレクトしてしまい、我家は今も内外ゴミ屋敷である。
 その有様に見かねたご近所がとうとう市に通報したらしく、先日は市職が訪れて来て、せめてお宅の道端、道路に出ている「ゴミ」だけでも片づけろと「通告」してきた。ゴミだと言う意識はなかったのだが、渡る世間は鬼ばかりという言葉が頭をよぎった。そう、全て自分が悪いのである。世間様から指弾されるにはそれなりの理由があろう。

 そしてそれはこのブログも同じことで、ネグレクトしたり書くことが亡くなったわけではないが、我の性格上、書くからにはきちんと時間かけられる状態でないと書き始められず、このところはともかく慌ただしいのと体調も悪かったり父の世話で疲れ果てていたりと書きだす「きっかけ」、つまりアティチュードというようなものがつかめず、ずっと更新できなかった。
 誰それのフェイスブックのように、日々思った事や出来事、したことなどを手短かに次々アップできたらと思う。が、我のスタイルはこれまでもそうであったように常に冗長、だらだらが基本姿勢だからそうはできやしない。
 何よりも我はバカだから、書く題材は決めていたとしても書きながら考えて、しだいにカタチにしていく形式だから、いきおい長くなるのは当然なのである。気の利いたことをツィッターのように、的確に「発言」できないしそもそもそんな気もない。また「いいね!」という反応、反響も求めはしない。
 顔の思い浮かべられるごくごく何人かの人たちが読んでくれる、いや、そう想定して彼らのために身辺報告も兼ねて書き記している。

 ともかく、この母の死後の4年間、ようやく喪の期間、死後の後片付け、それも現実の物的なことではなく、「心の後片づけ」がようやく終わったという気が今はしている。母が死んだ日の朝のような静謐な空気を感じている。
 母が死んだことは我の生涯最大の痛手であり、その痛恨の思いは何も変わらないが、今はようやくその死すらも肯定できずとも容認できる。もしそのまま今も母は元気で共に暮らしていたら、我は相変わらず全てを母任せにしてかつてのようにライブに旅行にと遊びまくっていたことだろう。まさにキリギリス生活は今も続いていた。
 しかし永遠の夏がないように、いつか季節は変わり、秋が来てやがては寒い冬が来る。母が死に、我に突然秋が来て、しかも不仲の父との二人だけの密接な暮らしが始まった。まさに身動きとれなくなった。自分のことは何一つできなくなってしまった。

 しかし、親はいつまでも生きていないし、いつかは人は一人で生きて自分のコトを自ら始末つけなくてはならない。これがやさしく理解ある妻や子が傍らにいたらまた話は違ったかもしれないが、我はそもそも一人で生きていくしかなかったのだから、未来永劫、母に頼ることは無理だった。ならば、こうして4年間、亡き母のことを思い何度も夢にも見、反芻し尽くし、今ようやく「過去」として記憶のフォルダに入れることができる。
 今風の言葉でいえば、新しいステージに移ったという感じだ。

 そして父とのことも、結局のところ、父という人間を深く知り味わい尽くすためにもこの4年間は必要だったのだと今は思える。
 我は母とは何でも語り合い、気も合い何でも無理が言え甘え尽くしたわけだが、父とはそもそも別人格であり、本当のところは何一つよくわかっていなかった。もし父が先に逝っていたら、いや、母の後を追うようにいなくなってしまっていたら、我は父のことは何も知らずに、わからないまま彼を喪っていたただろう。

 ならばすべてこれで良いのである。この四年、常に思い返しては母の愛の深さに今さらながら思い至り、ただ申し訳なく何度も何度も心中詫びてきたし、老いの行く末の姿として父のどうしようもなさに、我を構成するものを多々見出すこともできた。実に父と我はそっくりであった。
 まさに我はこの二人の顛末であった。拙い愛の結末だった。

 父は元気だといってもおそらく数年内には間違いなく死ぬ。いや、数か月先かもしれないし、近くある朝、我が彼の部屋の戸を開けたらもう息していないかもしれない。
 そしてようやくそこから、いや、父がいつまでも生きていたとしても我の本当の人生はそこから始まる。

 情けなく恥ずかしい話だが、世間の人ならば、就職して親元を離れたときや結婚したときに、そうして「我が人生=自分の人生」を開始しているのだと思う。
 我はほぼずっと親元に、親たちと一緒にいたから、自分のひとりの人生を生きてこなかった。老いた老親の世話をしているつもりだったが、実際は彼らに精神的にも経済的にも大いに依存していたのだ。母を亡くしてそのことを痛感した。母無しでは何一つできない自分がいた。

 ともあれ、実のところ一時期はもうブログも終わりにしようと考えもしたが、まだまだ書きたいことや書くべきことも多々あるような気がする。
 毎度同じうたで聞き飽きた、いや読み飽きたと思われるだろうが、しょせん営利目的でもないし、読み手は一円も損はしないのだから、読んでくれる人がいたらば幸い、という気持ちでこれからも続けていく。
 我には自分にしか書けないことがある、と信じて。そう、読み手にはこここの読み手しか読めないものを書いていく。

 今は、まだ我に、我の周りに在るものすぺてが有難い。ただただ感謝している。皆、生きて未だここに在る。それもこれも全ては神の計らい、神の愛の現れなのだと思う。
 こんな人間が父をも含め、死なずにまだ生き永らえていることだけで奇跡のように思える。まさに神に感謝、である。

新しい月、新たな季節が始まった2020年09月01日 08時27分30秒

★苦難の八月を終えて

 9月に入った。今朝は朝から小雨まじりの曇り空で北西からの風が吹き涼しい。久々にクーラーなどいれずに窓開けて眠れた。

 それにしてもこの夏は、といっても八月の一か月間だけのことだが、ともかく暑かった。新聞によると東日本では戦後最高の暑さだったとのことで、雨もほとんど降らず、まさに灼熱の八月となった。
 その前の七月は、ずっと雨ばかり降り続き、うすら寒く日照時間もほとんどなかったのに、八月に入ったとたん一転して連日晴れて記録的な猛暑が続いたのだ。
 何もかもが記録的というか記録破りで、極端から極端へと全く予測もつかない耐え難い今年2020年の夏だったわけだが、何とか我も父も無事に家内安泰でやり過ごせたのだから今ほっと胸を撫で下ろしている。
 冷房は、ある部屋は全部終日付けっぱなしで、何とか家中の温度を下げてこの猛暑を乗り切ったわけだが、電気代はものすごいがそれも命あってのことだから了とするしかない。
 我は極端な汗かきだから冷房を強くしても室内ではほぼ裸で過ごさないと暑くてたまらない体質だ。
 それだからこそか何度か出先で、猛暑に当たって体調を崩し軽い熱射病になったのか、汗とメマイと頭痛に襲われ危険な状態にもなった。

 しかもそこに父の不穏・妄動や、我の持病の腰痛と足定筋膜炎も再発し、部屋の中は冷え切っているのに、外は記録的猛暑の高音だとその寒暖差でアレルギーも出て、鼻水と咳も止まらず体調的にもかなりしんどく辛い一か月だった。よくまあ乗り切れたと今しみじみ思わざる、である。
 が、ともかくようやく猛暑も収まり新たな月の始まりにまさに気持ち新たに今パソコンに向かっている。
 さあ、今年もあと残り四カ月である。季節は秋から冬へと、この先どうなるかまったく予想も予測もつかないが、今気持ちは高揚している。

 八月は耐え難い猛暑から、パソコンを起動させるのも怖く作業自体も停滞してブログすら遅延し続けてしまったが、先日の「共謀コンサート」を終えて、我の「コロナ鬱」も回復した気がしている。まさに、長いトンネルから抜け出たような思いだ。そう、長かった最悪最凶の安倍政治もともかく終わる。
 闇の中から抜け出て、その新たな風景の先に何があるのか。今は不安よりも期待の気持ちが強い。むろん政治的には、商家で言うところの主人が倒れて番頭が店を任されたようなもので、菅新首相となったとしても何一つ変わり映えはしないだろうが。そこに何も期待はできないし、何か変わる、良くなる要素は一つもない。

 しかし、季節もだが、一つの時期、時代が終わり、新たな段階、新たなステージに入ることはそれ自体が良いことだから、その「とき」を活かしてこれまでできなかったことをやっていくしかない。
 繰り返しになるが、自分に言い聞かせているのは、どんなときでもできるときに、できることを、できるだけやっていく、ということであり、何であれ後回しや放擲せずに、やらねばならないことは先へ先へと少しでも進めていくことだ。こんな我でもまだできることがきっとあるしすべきことがある。

我が全責を負う「月刊・共謀コンサート」も残すはあと四回。このコロナ状況下、元通りのフリーな誰でも自由参加の姿に戻ることはまだまだ難しく先は見えないが、それでも現段階で、何をどうやっていくかの「道筋」は見えてきた。
 思い通りにならないとしても、「その中」で、できることやすべきことはまだまだいっぱいある。支援者からのカンパもあって運営資金の目途も立ってきたし、もう何も怖れも不安もないし頭悩ますことは今は消えた。何より、誰かの期待に応えたいと今強く思う。同時に責任もひしひしと感じている。

 まだまだできる、がんばりたいと思う。拙を守る、という言葉があるが、我は我の非力さとダメさにおいて、だからこそもっともっと頑張らねばならない。
 神に祈る。が、どうか皆さん、もう少しお力を貸してください。

 道はまだ続くし、とても一人では辛くて進めない。荷はそれぞれが負うからこそ、共に同行者のいることが心強く有難い。
 さあ、新しい季節、新しい世界に向かって歩を進めていこう。

コンサートを終えて2020年08月30日 23時55分31秒

 ★追記: 

 実は、この日、とてつもなく有難いことがあった。かけこみ亭と我らが「共謀コンサート」に対して、有志の方から支援・応援のために多額のカンパが届いたのだ。

 その方、Tさんは、かなり古くからのフォークソングファンの方で、これまでも我の企画したライブイベントに来られ、それ以外でも度々あちこちでよくお見かけする紳士なのだが、今このコロナ感染騒動下、かけこみ亭が始めた生配信に関連して「お布施」を募っていたところ、先日その方から振り込みがあったと知らされた。
 その額、何と 5万円!! お店側にもその倍の額が届いたとのこと。驚きと共にただただ有難く思う。

 実のところコロナ騒動が起こる前でも、投げ銭制のライブコンサートは、観客は決して多いわけでもなかったし、来られた方々から頂くその額は、出演者の数に対し残念ながら潤沢なものではなかった。
 で、仕方なくというか、最低限の「お車代」としてときに我が「補填」したことも多々あった。しかし、それは企画した者として当然の責務だと考えていたし、その素晴らしいうたや演奏に対しての「対価」は付与されなくてはならないはずだ。そして残念ながらこの企画じたい、ショービジネスで全くないが故、未だ本来あるべくその額は払えずにいることが心苦しかった。
 そう、「共謀」するにしろ、それで飯を食っているミュージシャンは手弁当では行き詰ってしまうではないか。
 さらにそこに、今回のコロナ禍が起こってしまい、先月から原則無観客で「再開」し始めたわけだが、コンサートの模様を「生配信」するとしても全くの無観客では、投げ銭すらあり得ない。その配信を観られた方からの「お布施」を募るとして、あったとしてもその額は大したものではないと思い込んでいた。

 共謀コンサートは、月刊で開催するのだから、年内残り4回予定されている。観客人数制限などコロナ自粛がいつまで続くかも定かでない現状、どうやって続けていくか、運営に正直頭を悩ましていた。ほんとうの「交通費」の実費だけでミュージシャンに声かけることに躊躇いもあった。

 が、今回突然の、まさにサプライズのカンパが届き、やっと先行きの目途がついた。むろんこれで残る4回分開催の資金に足るわけではない。
 が、原資として、その支援の「思い」だけで我には十分すぎるものがあった。よし、頑張ろう!!頑張れると新たなパワーがふつふつ湧いて来た。
 そう、お金とはそもそも「額」ではなく、その思いの具現化なのだ。昨日のたった一人の観客からも有難くもかなりの「投げ銭」を頂いた。
 一夜明けて、今、そうしてただただ有難い、という申し訳ないような気持ちと、それ応えるべく今後についてひそかに奮起するところが大きい。

 明日から9月。いつまでも過酷な残暑が続くが、月も変われば季節も変わろう。極悪最凶最長安倍政権もついに終わりのときが来た。
 年内今年も残すは4カ月。しっかり成果を出していく。我の思いもカタチにしていきたい。

 それはできる、それはかなう、と信じて。

 ※追記の追記。
 「共謀コンサート」に関してはその他に、これまでも支援として千葉県の農場から生卵を大量に、箱で二回頂いている。
 一回目のときは、コンサートとタイミングが合わず、お店の常連客の方々の口にほぼ入ってしまったのだが、二回目のときは、4月の詩人の回のとき、ちょうどだったので、出演者・参加者皆でそれぞれ小分けして持ち帰れた。これも嬉しい有難いことであった。御礼の報告が遅れて申しわけありません。
 今さらだが、そのこともこの場に付記しておく。

本日の「共謀コンサート」私的大成功・大満足に2020年08月30日 23時11分59秒

★「月刊共謀コンサート」8月号、本日コロナ禍続く中無事終了す。

 本日の谷保かけこみ亭の「月刊・共謀コンサート」、前回に引き続きほぼ無観客だったものの、企画側としては久々に満足のいく、手応えのある出来に終えれた。いま、心から久々の満足感にひたっている。ただただ有難いという思いだ。

 というのも一名だけだけれど、事前に問い合わせのあった観覧希望者が来られて、出演陣のほうがはるかに人数は大いに関わらず、その方を前にして、「コンサート」がやっと成り立ったからだ。
 彼がかねてよりよく見知った顔なじみの人であろうと、仲間内、身内でない「お客」がそこにいるという有難さを今回はっきりと認識できた。
 コンサートというものは、たった一人でもいい、そこに「お客」、つまり我らこちら側、つまり「主観」ではない、まさに「客観」がいるかどうかが肝要なのだと、今回改めてはっきりとわかった。

 それはこのコロナ禍のライブ配信状況だって同じことであり、どこかで誰かが、顔は見えない誰かが見ている、観てくれている、という意識も意味ある有難いことだとは思うが、有り難きは、まさにその「百人」よりも一人の、そこにいる「生の」客だ、とは言ったもので、今回その「彼」がそこにいてくれて、我はやっと自分を取り戻せたと思う。ようやく気持ちが戻った。

 たぶんそれは出られた方々も同様で、多かれ少なかれその思いを抱いたに違いない。オンラインではなく、そこに間違いなく誰かがいる、という「存在」の重さ、確かさを。
 オンライン配信とかリモート何タラというバーチャルな繋がりもこの時代まさに有難く、極めて便利なことだと思うものの、やる側としてはじっさい観客が眼前にいないと何とも拍子抜けというか、反応が即つかめず「実感」がわかないというのが正直な気持ちだと思う

 我は演者ではないが、企画・進行側として、何よりその場の雰囲気、
反応を常に確かめつつ、場を進めてきた。ステージ上や楽屋からだが、観客はいまどう感じているか、その「顔色」をまさに常に伺ってきたのだ。
 前回もコロナ感染拡大防止中ということもあり、無観客名目で何とか開催は出来たものの、誰ひとり「客」を入れず、いや、来る人もなく、ミュージシャン側と撮影スタッフ側だけでことを成し終えたのだが、何とも終わって筆舌に尽くし難いもやもや感が残った。※そのことも拙ブログで先に書いた。

 このコロナ騒動下、無観客でとなると、そもそも当然ギャランティも発生しようもなく、我が出演お願いに旧知のシンガーに声かけてもなかなか快諾は得られない。結局ごく親しい友人的関係にあるミュージシャンに頼るしかなく、今月も前回とさほど顔ぶれは違わないのだが、それでも今回ははるかに出来も手応えも大きかった。久々に満足感があった。
 何故ならそれもこれもやっとどうにかお客さんが1人でもそこにいてくれて「コンサート」が成り立ったからで、そのことがとてつもなく大きい。今やっと気づいたが、我は常にその観客と演者、そして場とのリアルなキリスト教で言うところの「三位一体」を求めていたのだと。
 オンライン、リアルタイムで、観てくれている人がいたとしても、我々はそれを即その場で実感、体感できないのならば、それはやはり喪失感でしかなく、三位一体は成り立たない。
 いかにそこで素晴らしいライブ演奏、そのステージが行われようと、リアルな場、つまりそこに「観客」そのものが存在しなければ、真にライブとして完成は成り立たない。

 ライブとはまさにその場の「レスポンス」そのものであり、その「返答」、つまり良くも悪くも反応が即返らない限り、それはライブコンサートとして不完全かつ、あるべき正しい姿ではないと断言する。
 どれほどオンラインで、生のライブ配信が成功し観客がいようと、それはそもそもコンサートとは呼べない。場を同時に共有しない限り、ライブでは絶対ない。

 前回も決して悪い出来ではなかったと我は甘くも思うものの、何ともすっきりしないものがいつまでも残った。そしてそれで本当に体調もおかしくなってしまった。
 理由も原因もわからず、もやもや感だけがずっと残った。

 そし今回、ほぼ同様のメンバーでほぼ無観客のコンサートを終えて、心ははるかに前回より燃えている。それはたった一人でもそこに観客がいてくれたからだ。そしてそのことですべてがはっきりした。
 このコロナ禍状況下、「新しい生活様式」というスローガンのまやかし、うさん臭さも含め、リモートとかオンライン、そうした代替の手段では実は何もほんとうに解決していないことも。
 我ら生きている人間が真に求めていることは、生の、ほんとうのそこにある顔、そこに見える、今在る関係なのだと。

 このコロナによる世界的「分断の時代」、だからこそ今一度、真に友愛と連帯を求めて、生の、リアルなアクションをこれから動かしていく。そのしかけをしていく。

 我はバカで真にダメな非力な存在だが、生きているうちに何を成すべきか今ようやくはっきりわかった。そう、そこにいる眼前の相手に、いかに誠実に向き合えるか、だったのだ。その関係こそが全てだったのだ。
 自分には荷が重い、そもそも大それたことだと思う。しかしやっとわかった。ようやく見えてきた。もう目はつぶらない。見て見ぬふりはしない。
 自分の役割を、生きているうちにとことん果たしていく。どうせもうすぐ死ぬ。

 こんなことは有難くもたった一人の観客が、そこにいてくれたからだ。世界はその一人の些細な動きから始まるのだ。
 そう、アメリカの公民権運動が、一人の黒人女性の勇気ある行動から始まったように。
 そして我は日本人・大阪なおみ選手を心から支持したい。

 人の価値は肌の色や国籍ではない。人は、その自分のあるがままの姿に対して、いかにとことん誠実に向き合えるかなのだ、と。当たり前のことが当たり前だと公言でき、認められる、認め合う社会こそが真に誰もが幸せになれる社会なのだ。そうした当たり前のアクションこそが世界を根本から変える動きになっていく。それは誰も批判できない。

安倍首相退陣表明記念「月刊・共謀コンサート」8月号・無観客版8/30日開催2020年08月29日 10時22分58秒

★心から晋三氏のご心労・心中お見舞い申し上げます。

 当日は、三密クラスターズの新曲『二人の恋はアフターコロナ』が発表の予定です。

     作詞/マス坊 作曲/三造オータ

 『二人の恋はアフターコロナ』※一番の歌詞

 夜の街で出会った二人
 あったとたんに魅かれ合う     
 もっと親しい仲になりたい
 けれど二人の間にはコロナウィルスがある

 もっとそばに近づきたい
 手を握って語りたい
 そしていっしょの甘い夜を     
 二人で同じ夢を見よう

 でもダメね ダメね それはダメ
 濃厚接触になるから
 愛し合いたい でも愛し合えない
 二人の恋は アフターコロナ

安倍首相の辞意表明に思う2020年08月28日 19時08分29秒

★手放しでは喜べない
 
 このところ彼はずっと顔色も悪く、国会も開かないどころか記者会見もほとんどせずに、姿を消して官邸にひたすら引きこもっていたから、これはかなり体調悪いのだろうと我でなくとも皆が体調を案じていたかと思う。
 さらに追い打ちをかけるように検査がどうのこうの、という報道も流れて、今回の辞任表明会見についに至ったという流れである。
 積年の持病、病気のことだから、とやかく批判もできないしまさに同情や憐れみはしてもざまあみろ、とか天罰だとか言うのは絶対に口にしてはならないことだ。
 よって彼の退陣を長年待ち望んできた者として、ついに安倍歴代最悪最長政権に終わりが来たのは大いに歓迎すべきことだが、何ともスッキリしない複雑な思いでいる。
 毎度の政権投げ出し、おいら一抜けたという顛末となったと言えなくもない。が、それもこれも病気と病人であることを思うとき、こういう結末が来たのかとただただ予想外という驚きしかない。まあ、可能性として想定しなくもなかったが。

 そして近いうちに次の首相が自民党の中から決まる。そしてその新首相の元でまさに国民の信を問う衆院選が行われる。
 今の我は、そのことを考えると何とも暗澹たる、憂鬱な気分に襲われてしまう。はっきり言って、自公政権に代わる希望が現時点では野党に見られないからだ。
 今回の辞意表明、ある意味敵失であり、チャンスと言えなくもない。が、今の民主党を中心とした野党が政権奪還できるとは思えないしその政権に希望や期待が抱けるか、だ。
 はっきり言う。政治に希望が持てない。次なる自公に代わる新政権、その姿が思い描けない。

 これまで我らリベラルの唯一の希望の星、山本太郎は、先の都知事選で愚かにも自壊失速、その存在意義と価値を失ってしまった。
 我は共産党支持者だったが、このところの党の迷走ぶりには冷ややかに見ている。維新というヨタモノ地域政党を復活させてしまったのは、はっきり言って大阪での共産党の自民と手を組むなどという大きな政治的過ちがあったからだと断ずる。党はその自己批判をしたのか。
 ならばいったい誰に政治を託せば良いのであろうか。
 下手すれば、安倍自民党政治の刷新をうたって石破氏が、先の小泉元首相のように「忖度と私物化の安倍政治をぶち壊す」として大勝するのではないか。その政権に希望はあるか。野党はそれよりマシだと断言、証明できるか。

 今の民主党中心の国民との合流など野党再編劇を見るかぎり、もし政権を彼らがとったとしてもまた先の民主党政権の二の舞になることは今からやすやすと想像がつく。原発政策、消費税についてもきちんとしたスタンスは示せないのだから。またまた迷走政治が始まる。
 労組などの支援母体の思惑で動く政治家にはけっきょく利権が絡みつく。我は思う。真に金とは関係のなく、貧しい庶民や弱者、マイノリティに真剣に向き合い彼らの声に真摯に耳を傾ける政治は不可能なのか。それは夢物語か。政治家とは常にマキャベリストであって、清濁併せ飲まないとやっていけないのだろうか。

 このコロナ禍最中での突然の辞意表明。晋三さん長い間お疲れさま、ご苦労さん、と言いたい。が、あんたとあんたの政権がやったことは死ぬまで忘れない。そして絶対に許さない。憲法をひたすら無視して政権を私物化した男として後世も特筆されるだろう。
 今まで彼には運がずいぶん味方した。本来はとうに石もて追われる身だった。が、常にうまく立ち回り次々解散をしかけ、野党のふがいなさもあって選挙では毎回勝利し長い間命を保ってきた。が、とうとうついに命運尽きたのだ。
 我らはこの突然の「終わり」を良き「始まり」にできるか、だ。そのときが来たのだ。

世界はまた新たに変わる~「その時」に備えていけ2020年08月24日 11時54分10秒

★2020年コロナの夏、灼熱の猛暑と不穏・妄動の父と

 ようやく季節が動き出した。処暑の23日、日曜から曇りがちとなり北よりの風が吹いて気温も少しだけ下がって来た。
 今日、24日の月曜。晴れると日中はまだまだ暑いが、先週までのような35度を超す、耐え難い灼熱の暑さは去ったようだ。
 ようやく季節は秋へと動き出し、久しぶりにこのブログを記す。

 何か一段落したとか、片づいたので時間ができたからというわけではない。9日の国立でのイベントが終わってから、ともかく暑さと家事雑事に追われ日々何とか乗り切るだけで青息吐息、精いっぱいだった。普段使いのパソコンの調子も悪く、正直ブログも書く気がしなかった。
 書けばまた「近況」として愚痴めいたこと、読み手に取って意味のないことしか書けない状況だった。

 そしてこの間必死に、溜まりに溜まった古本を一冊ごと新パソコンでAmazonでの価格を検索、売値として600円以上の価格がつく本は、即マーケットプレイスで「出品」し、それ以下の値しかつかないもの、つまりウチで売れない本はともかくサイズごとに処分用の箱に詰めていった。
 そうした不要本、処分廃棄する本の箱が今現在10数箱できた。これらの本はもう一度最終的にほんとうに捨てるか個別に確認してから市の紙ゴミ回収の日に出す。たぶん九割がた破棄すると思う。

 お気楽トンボの我もこのところさすがに焦って来た。このままだと何もできないうち、何一つきちんと完成できないうちに、終わりのとき、破滅のときを迎えるのではないかという怖れを強く感じる。
 何であれモノ好きで、モノは捨てずにただひたすら溜め込んできた。食べ物から本、レコード、楽器類、オーディオまで、自分の関心と欲望のおもむくまま、そうしたものを集めてきた。いや、モノは向うからもやってきた。
 
 かの、みうらじゅん氏のようにそれらをきちんと管理保存、分別整理していければそれはガラクタであろうとも意味と価値を持つ。が、我はただ集めては、いや集まって来たものは、そのままほったらかしにして管理なんて一切できなかった。だらしなさの極致、性格異常というべきか、それはたぶん病的なものなんだとも思える。
 亡き母も片付けられない症候群だったし、そういう性質の者は、本来モノなど増やしてはいけなかった。が、我はかなり広い家があり、部屋数も多かったから、空間さえあればそこにモノをともかく詰め込んできた。
 何とかしないと、今度時間が出来たら、暇ができたらと今度こそ腰据えて、と常に思う。が、そんなときはいつまでも来ない。常に日々の雑事に追われ、日々成すべく目先のことだけ処理するのが手いっぱいで、その溜まりに溜まったモノの山に手をつけることはできなかった。
 いや、少しづつは片付けてはいる。が、牛小屋の掃除と同じく、生きていれば、日々また新たに本にせよ何であれモノはまたさらに増え続ける。結局のところ、処理する量よりもさらにまた増加する量が上回り、山梨の倉庫さえもとうとうほぼ満杯になってきてしまった。
 単に移動させているだけでは片づけたことにはならない。総量はちっとも減りはしない。時間の無駄である。
 さて、どうするか。

 以前の愚かな我ならば、また新たにどこかに倉庫など借りてそこに溜まった、入りきらない物を押し込んだかもしれない。が、さすがに気がついた。それでは何も解決しない。そして確かなことは我の時間はもう残り少なく、このままではその溜めたモノの山塊を残して近く死んでしまうかもしれないではないか。
 近親は、九州の妹とその息子の甥っ子だけだから、おそらく彼らは、我の死後この家を売り払い、その金で業者に一切合切ゴミ屋敷の遺品処理を丸投げし我の集めたモノはすべてゴミとして処分されて雲散霧消するだろう。
 つまり我は、生涯かけて良いモノも悪いモノも、価値あるものもないものもともかく膨大に集め続けて、溜めに溜めてそれだけで死んでしまった人ということになる。それで良いのか。そこに意味があるか。そんな人生に価値があるか。

 このコロナ禍の、行動自粛期間中に、多くの人たちが家庭待機を余儀なくされ、様々なことを考えさせられた。新しい生活様式以前に、ともかくコロナが終息しない限り、当面は、かつての生活、生き方に戻ることは望むべくもない。
 我は基本居職で、コロナ流行に関係なく基本的にかねてより「引きこもり」生活をしていたから、今さら「新様式」も関係ないのだが、それでもやはり「これから」について考えさせられた。
 今我は、60代半ばになろうとしているわけだが、それでも身体はあちこち疲弊し、腰痛やふらつきは慢性化し先のコトを思うと本当に不安になる。
 周りには、御大中川五郎氏を筆頭に、70代に入っても超元気な人たちがいっぱいるが、我も70代に入ったとき彼らのように元気に動きまわれる自信はまったくない。
 思えば彼らは60代のときから元気であったからそのまま今も元気なのだと気づく。今、じっい体調不良の我が、70代で元気になるはずは絶対ない。下手するとこのままなし崩し的にあと数年で死んでしまう可能性のほうが高い。

 ノンキ、能天気にお気楽に生きて先のことはあえて考えないようにしてきた我でもさすがに考えた。このままでは本当に大変なことになる。ともかくモノをなくしていくしかない。一切もう新たに増やさないとか、断捨離などできるはずもない。だからこそ、いまあるモノを無くしていく。減らしていく、その努力を実際にしていく。

 私事だが、この八月は自分の誕生日があり、九月には母の命日、そして10月には父の誕生日がある。父は何とそれで96歳になる。
 そんな超高齢な人と共に暮らした経験はおそらく誰もないだろう。そしてそんな老人を介護する大変さはまさに辛酸佳境に入るとしか言いようがない。下の世話のことなど書きだせばキリがないが、読み手にとってそれはちっとも楽しいことでもほほえましくもない。※先日も夏バテ防止に高いうな重を買ってきて食べさせたら何故か食欲もなく、無理強いしてたらほぼ全部吐き戻してしまった。
 さらに先週は、そこに「不穏」が起こった。このところの暑さもあって涼しい部屋で昼寝ばかりさせていたからだが、眠りが浅く深夜、明け方に起きて騒ぐことが続き鍵かけた引き戸を外して玄関すら開け放すひと騒動あった。

 我が午前3時に目が覚めて、階下の父の部屋を見たらば明かりが煌々とついて部屋も玄関も開け放たれている。すわっ、また父が外へ徘徊してしまったかと慌てたが、父は幸いベッドの中に眠っていた。
 叩き起こして叱りつけても当人は何一つ覚えてもいないし、まさに無意識でそうした「妄動」をしてしまう。いくら言い含め叱りつけても効果はない。
 ただそのときの問題は、父の部屋で室内飼いしていた三本脚の障害者猫が、開いた玄関から外に逃げだしてしまい、確保するのに一苦労したことだ。足切断という大事故の治療費が総額50万もかかった猫で、まだ未払い額が18万円ほど残っている。ここで失踪してはほんとうに困る。せめて借金終えてからにしてくれ。
 幸い真夜中に名前を呼んで探し廻っていたら、猫は自ら帰宅してくれたから安堵したが、まさに父が在宅のときは気を緩めてはならないのだと改めて気を引き締めた。
 我は眠りが浅く、寝ていても下の物音に耳を澄ませているのだが、そのときは、あまりの暑さに枕元に小型扇風機をかけっぱなしにしていて、その音で下で父が起きて騒いでいたことに気がつかなかったのだ。

 そんな父を即介護施設に永久入所させたらという進言をよく頂く。そうできたら我も枕高くして眠れると思うが、いずれにせよもはや先は長くないのである。この夏は何とか越せたとは思うが、来年の夏などまったく見当もつかない。
 何とかこの秋を無事に過ごして来年の正月が迎えられたら最良だと思うぐらいで、現在のように週の大部分を通いとショートで介護施設に行ってくれたら今のままで良いのだと我は考えている。
 嫌でも終わりの時は早晩やって来る。父が帰って来て在宅の日は何一つ自分のことはできやしないが、それも週二日程度のことなのだから、その日、そのときまで今のペースでやっていくつもりだ。それは明日かもしれない。

 先日のぼけまるの「生前葬」で強く思ったが、ともかく全ては生きている間のことなのだ。
 人はいつか必ず死ぬ。死んでからできることなんて何一つない。ともかく今、父が生きているうち、我もまだこうして生きて動ける間に、少しでも溜まったものを片づけ、減らしてなくしていく。
 死ぬまでにしたいいくつかのこと云々、という題名の本や映画があったと思うが、「したいこと」よりもともかく生きている間に、なすべきことを一つでもやっていく。減らしていく、片づけていく。

 コロナの時代も永遠には続かない。次の新たな時代、新しい世界へ備えていこう。