闇夜に光を灯していく ― 2014年12月15日 02時33分55秒
★大変な時代だからこそ灯をともしていく アクセスランキング: 101位
登山経験者であれば、低山であろうと山に入って、うっかり下山予定が遅れ麓に下りていく途中、日が暮れてしまい暗くなり、遠くにぼんやりと麓の農家や人家の明かりが見えてほっとした記憶を持つ方がいるかと思う。
明かりのない闇の中、遠くに見える灯りは実に有難くほっと心を和ませる、いや、救いにさえなる光であろう。
投票日14日の東京新聞の一面の見出しには、これから4年間の日本の未来を託す選挙、とかあったと記憶するが、これは違うと我は思う。4年間ではなく、これからの日本の未来全てがかかっている選挙だと考えていた。
天下分け目の決戦という言葉があったが、アベノミクス信任が争点と言いつつも過去2年間の安倍政権のしてきたことの是非が問われる選挙であり、それは特定秘密保護法も、集団的自衛権行使容認も消費税導入も、原発再稼働もその他もろもろ安倍自公政権のしてきた、これからやろうとすることが問われる選挙であったのだ。
そして再度自公政権に一票を投じて政権継続信任してしまえば、そうした彼らが勝手に国民にはかることなく進めてきた案件がそのまま信任されてしまうわけで、結果として彼らはさらにまた身勝手、好き勝手にやりたい放題していくことになる。それは経済政策一点のみのことではない。
だが、戦後最低と予想される低投票率もあって、争点の見えないと言われたアベノミクス信任&政権延命選挙は彼らの大勝にまたしても終わった。一番怖れ望まなかった結果を受けて誰だって落ち込む。
昔から不思議でならないのは、自分が知る限り自民党を支持し熱く語る人など身近には一人もいないことだ。周りには誰もが原発再稼働に反対し、憲法擁護、今の政権には危惧感を、反アベノミクスの人たちばかりなのに、不思議に世論調査では自民支持率は二人に一人もいたり、結果こうして選挙では常に自公が大勝してしまうのである。交友関係の世界が狭いからかもしれないが、政治とは我々とは常に別なところで決まってしまうものだと嘆息してしまうこと多々ある。本当に民意は反映されているのだろうか。
さておき、選挙の結果は結果として、どこそかの遅れた国家のように権力者の不正によってでっちあげではないと信ずるから、この衆院選の結果は真摯に受けとめなくてはならない。
正直、この「信任」こそこれからの4年間のみならず、日本の将来を大きく方向づけることに繋がると断言する。つまり、恣意的に右に舵をとってきた安倍晋三に、初めて国民からの信託がもたらされたのである。彼はこれで大いなる自信と確信をもって今後憲法改定も含めて一気に動いていくことであろう。
それに反対し憂う者としてどうすべきか。おそらく時代は今よりもまたさらに厳しく暗く不自由な、思ったことをうっかり声にも出せない時代になっていくかもしれない。今だってあちこちで「自主規制」として政治的な活動、今までは当たり前だった憲法についての催しやイベントでさえ開催が規制されているのである。その流れはさらに進むであろう。
つまり反戦や脱原発、秘密保護法に反対、考えたりする集会や催しですら規制され、ときには弾圧されていくかもしれない。政府の某石破ではないが、国会や官邸前抗議活動ですら、騒音として騒擾罪として取り締まろうとしていく。そうした時代、つまり戦前のような時代が間もなく来るかもしれない。
いや、じっさいのところ、日本も米国と共に戦争に参加し、戦時体制となってしまえば、反戦を訴えその活動をしていく者たちは全員、敵国と内通している疑い、もしくはテロリストとして一方的に逮捕拘禁されてしまうに違いない。
こんなことを書いてきたこの自分などまっさきにリストに載っている要注意人物だからアカとして、かつての幸徳事件の逮捕者と等しく、ことあれば連座してそのまま死刑とされるかもしれない。今から書いておく。
しかしだからこそ、暗い時代が来て、闇夜となろうとも、闇夜だからこそ先に記したように光は輝く。そしてその灯りは価値をもつ。道に迷う人たちにとって大きな助けと救い、導きになろう。
自分は残念ながらその「光」にはなれないしその器ではない。しかし、荒野で叫ぶ者が、キリストの到来を預言したように、その光、来るべき人のしもべ、灯を持ち支える人でありたいと願う。
どんな時代であろうとどんな時代であろうと、真理の光は永久に消えやしない。美しい辺野古の海を埋め立てて、米軍基地を新たに移設するなんて、誰だって望まない。その道しかないとは言わせない。そんなことは沖縄県民のみならず誰だって認めない。それが義であり正義なのだ。そしてつまるところ真理なのである。
ならばその光はときの王や権力者が力づくで消そうとしたとしても絶対に消せやしない。なぜなら光はもともと最初からあったものだからだ。人とはその「光」あって生かされているものなのだから。
ならば何を絶望することがあろうか。今回の衆院選、残念な結果の中でもしっかりと民意は示されてた。沖縄のどこにも新たに米軍基地は作らせない。それこそが民意なのである。何故に沖縄の人たちだけに負担を押し付ける。札束で頬叩かれて原発再稼働を求める人たちもいよう。しかし沖縄は金よりも大事なものを選びとった。それが真理なのである。
闇夜こそ光り輝く。光は価値を持つ。オレは死ぬまでその「光」を灯していく、その手伝いぐらいしかできないかもしれないが、光を灯し続けていく。何も絶望しない。真理は常に光として今も昔も永遠にあるのだから。俺が死んでもその灯は誰かが代わって受け継いでくれるに違いない。
登山経験者であれば、低山であろうと山に入って、うっかり下山予定が遅れ麓に下りていく途中、日が暮れてしまい暗くなり、遠くにぼんやりと麓の農家や人家の明かりが見えてほっとした記憶を持つ方がいるかと思う。
明かりのない闇の中、遠くに見える灯りは実に有難くほっと心を和ませる、いや、救いにさえなる光であろう。
投票日14日の東京新聞の一面の見出しには、これから4年間の日本の未来を託す選挙、とかあったと記憶するが、これは違うと我は思う。4年間ではなく、これからの日本の未来全てがかかっている選挙だと考えていた。
天下分け目の決戦という言葉があったが、アベノミクス信任が争点と言いつつも過去2年間の安倍政権のしてきたことの是非が問われる選挙であり、それは特定秘密保護法も、集団的自衛権行使容認も消費税導入も、原発再稼働もその他もろもろ安倍自公政権のしてきた、これからやろうとすることが問われる選挙であったのだ。
そして再度自公政権に一票を投じて政権継続信任してしまえば、そうした彼らが勝手に国民にはかることなく進めてきた案件がそのまま信任されてしまうわけで、結果として彼らはさらにまた身勝手、好き勝手にやりたい放題していくことになる。それは経済政策一点のみのことではない。
だが、戦後最低と予想される低投票率もあって、争点の見えないと言われたアベノミクス信任&政権延命選挙は彼らの大勝にまたしても終わった。一番怖れ望まなかった結果を受けて誰だって落ち込む。
昔から不思議でならないのは、自分が知る限り自民党を支持し熱く語る人など身近には一人もいないことだ。周りには誰もが原発再稼働に反対し、憲法擁護、今の政権には危惧感を、反アベノミクスの人たちばかりなのに、不思議に世論調査では自民支持率は二人に一人もいたり、結果こうして選挙では常に自公が大勝してしまうのである。交友関係の世界が狭いからかもしれないが、政治とは我々とは常に別なところで決まってしまうものだと嘆息してしまうこと多々ある。本当に民意は反映されているのだろうか。
さておき、選挙の結果は結果として、どこそかの遅れた国家のように権力者の不正によってでっちあげではないと信ずるから、この衆院選の結果は真摯に受けとめなくてはならない。
正直、この「信任」こそこれからの4年間のみならず、日本の将来を大きく方向づけることに繋がると断言する。つまり、恣意的に右に舵をとってきた安倍晋三に、初めて国民からの信託がもたらされたのである。彼はこれで大いなる自信と確信をもって今後憲法改定も含めて一気に動いていくことであろう。
それに反対し憂う者としてどうすべきか。おそらく時代は今よりもまたさらに厳しく暗く不自由な、思ったことをうっかり声にも出せない時代になっていくかもしれない。今だってあちこちで「自主規制」として政治的な活動、今までは当たり前だった憲法についての催しやイベントでさえ開催が規制されているのである。その流れはさらに進むであろう。
つまり反戦や脱原発、秘密保護法に反対、考えたりする集会や催しですら規制され、ときには弾圧されていくかもしれない。政府の某石破ではないが、国会や官邸前抗議活動ですら、騒音として騒擾罪として取り締まろうとしていく。そうした時代、つまり戦前のような時代が間もなく来るかもしれない。
いや、じっさいのところ、日本も米国と共に戦争に参加し、戦時体制となってしまえば、反戦を訴えその活動をしていく者たちは全員、敵国と内通している疑い、もしくはテロリストとして一方的に逮捕拘禁されてしまうに違いない。
こんなことを書いてきたこの自分などまっさきにリストに載っている要注意人物だからアカとして、かつての幸徳事件の逮捕者と等しく、ことあれば連座してそのまま死刑とされるかもしれない。今から書いておく。
しかしだからこそ、暗い時代が来て、闇夜となろうとも、闇夜だからこそ先に記したように光は輝く。そしてその灯りは価値をもつ。道に迷う人たちにとって大きな助けと救い、導きになろう。
自分は残念ながらその「光」にはなれないしその器ではない。しかし、荒野で叫ぶ者が、キリストの到来を預言したように、その光、来るべき人のしもべ、灯を持ち支える人でありたいと願う。
どんな時代であろうとどんな時代であろうと、真理の光は永久に消えやしない。美しい辺野古の海を埋め立てて、米軍基地を新たに移設するなんて、誰だって望まない。その道しかないとは言わせない。そんなことは沖縄県民のみならず誰だって認めない。それが義であり正義なのだ。そしてつまるところ真理なのである。
ならばその光はときの王や権力者が力づくで消そうとしたとしても絶対に消せやしない。なぜなら光はもともと最初からあったものだからだ。人とはその「光」あって生かされているものなのだから。
ならば何を絶望することがあろうか。今回の衆院選、残念な結果の中でもしっかりと民意は示されてた。沖縄のどこにも新たに米軍基地は作らせない。それこそが民意なのである。何故に沖縄の人たちだけに負担を押し付ける。札束で頬叩かれて原発再稼働を求める人たちもいよう。しかし沖縄は金よりも大事なものを選びとった。それが真理なのである。
闇夜こそ光り輝く。光は価値を持つ。オレは死ぬまでその「光」を灯していく、その手伝いぐらいしかできないかもしれないが、光を灯し続けていく。何も絶望しない。真理は常に光として今も昔も永遠にあるのだから。俺が死んでもその灯は誰かが代わって受け継いでくれるに違いない。
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