つながりたい、つながりたくない!? ― 2012年09月03日 08時36分19秒
★フェイスブックはいたしません、あしからず。
このところ今話題かつ流行のフェイスブックから友達リクエスト「招待」のメールが友人知人からよく届く。正直困惑している。
きちんと返信返答すべきなのだろうが、何か面倒なのと、直接当人から届いた私信ではないのでそのままにしてしまっている。自分などが参加しなくても何も困ったり不自由はないだろうという気持ちもある。
言っとくが、その方とそのネットワーク内の「お仲間・お友達」になりたくないのではない。野田首相からだって前田敦子からお誘いを受けたって、自分は登録する気はまったくない。友人の多くがそれを利用していることは知っている。が、全く関心外なのである。先のことはわからないから迂闊なことを書くべきではないが、今の気持ちでは生涯、自分はそんなことはやらないと断言してもよい。
理由はただ一つ、これ以上モノゴトを複雑にしたくない、増やしたくないということだ。やったことないので食わず嫌いだと思うが、その便利さとそれに取られる時間を思うと、とても始められない。どんなことでもいったん始めてしまうとそのフォローと管理に必ず一定の時間がとられるのは必然の法則。
今の自分はEメールの管理と拙ブログ更新だけに手一杯で、とても他のことまで手が回らない。インターネットは仕方なく商売上やっているのであって、極端に言えば、ネット上の商売をやめてしまえばパソコンだってなくてもかまわない。携帯でメールはやっていないし、人と連絡とるのに「電話」は必要なのは当然だが、それ以上に人とつながりたくはない。もともと郵便とファックス、そして電話だけで自分はコト足りる人間なのだ。
が、まあ今はこうして拙文をブログで勝手気ままに不特定な世界へ向けて発信して気分を発散させているのだから、やはりネットは必要だし感謝しないとバチが当る。でももうそれだけで十分かつ手一杯で、ツイッターもしたくはないし、ミクシィだって誘われたがやらなかったし、他のことは全て不要なのである。その気持ちに偽りはない。
繰り返すが今の気持ちとしてはできるだけ全てをシンプルにして減らしていきたい。それは人間関係さえも同じで、整理したい気もしている。むろん新しい人と出会いたい気持ちもあるし、人と関わることも必要なのは理解しているが、もうこれから新たにそうした場に出向きたい気は全くない。少しでも新たに時間とられることはしたくない。
人と人、人間関係というものは全く偶然であり、また必然のもののはずだ。フェィスブックにお誘い下さる友人とも電話やメールを通して個々に連絡取り合い会えば済む話である。身勝手なもの言いだが、自分のしていること、考えたこと、連絡やお知らせしたいことはこのブログ中で全て逐次公開している。Eメールとブログだけで今までやってきたし、その中で連絡があったりして人間関係も広がっていった。ならばもう十分なのである。どうしてそれ以上新たに必要か。
むろんもっと反響や反応、新たな出会いがあればと思わなくはないけれど、それは全て偶然のように見えて必然であり、そのときはそのときであって来るときは来るし来ないときは来ない。このブログなんてほとんど何の反響もないけれど、逆にそれもまた好ましい。ヘンに過敏な反響があって騒がれ炎上騒ぎなどになりたくはない。書いたことに共感に思う人は読み続けてくれるだろうし、いちいち反応があるほうがこちらも気を使ってしまうし気疲れする。※前のブログも結局それでいったん「閉鎖」してしまったのだ。
人と人はつながりたいものだ。友達は誰だってほしいし多いほうが良いはずだ。どこかにきっともっと親しく気が合い何もかもわかりあえる人がいるのかもしれない。しかし、その人と会うときは会うだろうし、来るときは来るのだから、こちらからは無理に求めない。
それより今の自分はもっと自分と親しくなってわかりたいと思うし、自らをモット知りたい、好きになりたいと思っている。もっと自らの内なる声に耳を傾けて生きたい。そして見えないものともっとつながりたいと希むのである。自らと和解できない者、まして他者をも、なのである。
というわけで増坊はフェイスブックなどはいたしません。あしからずご容赦願います。
このところ今話題かつ流行のフェイスブックから友達リクエスト「招待」のメールが友人知人からよく届く。正直困惑している。
きちんと返信返答すべきなのだろうが、何か面倒なのと、直接当人から届いた私信ではないのでそのままにしてしまっている。自分などが参加しなくても何も困ったり不自由はないだろうという気持ちもある。
言っとくが、その方とそのネットワーク内の「お仲間・お友達」になりたくないのではない。野田首相からだって前田敦子からお誘いを受けたって、自分は登録する気はまったくない。友人の多くがそれを利用していることは知っている。が、全く関心外なのである。先のことはわからないから迂闊なことを書くべきではないが、今の気持ちでは生涯、自分はそんなことはやらないと断言してもよい。
理由はただ一つ、これ以上モノゴトを複雑にしたくない、増やしたくないということだ。やったことないので食わず嫌いだと思うが、その便利さとそれに取られる時間を思うと、とても始められない。どんなことでもいったん始めてしまうとそのフォローと管理に必ず一定の時間がとられるのは必然の法則。
今の自分はEメールの管理と拙ブログ更新だけに手一杯で、とても他のことまで手が回らない。インターネットは仕方なく商売上やっているのであって、極端に言えば、ネット上の商売をやめてしまえばパソコンだってなくてもかまわない。携帯でメールはやっていないし、人と連絡とるのに「電話」は必要なのは当然だが、それ以上に人とつながりたくはない。もともと郵便とファックス、そして電話だけで自分はコト足りる人間なのだ。
が、まあ今はこうして拙文をブログで勝手気ままに不特定な世界へ向けて発信して気分を発散させているのだから、やはりネットは必要だし感謝しないとバチが当る。でももうそれだけで十分かつ手一杯で、ツイッターもしたくはないし、ミクシィだって誘われたがやらなかったし、他のことは全て不要なのである。その気持ちに偽りはない。
繰り返すが今の気持ちとしてはできるだけ全てをシンプルにして減らしていきたい。それは人間関係さえも同じで、整理したい気もしている。むろん新しい人と出会いたい気持ちもあるし、人と関わることも必要なのは理解しているが、もうこれから新たにそうした場に出向きたい気は全くない。少しでも新たに時間とられることはしたくない。
人と人、人間関係というものは全く偶然であり、また必然のもののはずだ。フェィスブックにお誘い下さる友人とも電話やメールを通して個々に連絡取り合い会えば済む話である。身勝手なもの言いだが、自分のしていること、考えたこと、連絡やお知らせしたいことはこのブログ中で全て逐次公開している。Eメールとブログだけで今までやってきたし、その中で連絡があったりして人間関係も広がっていった。ならばもう十分なのである。どうしてそれ以上新たに必要か。
むろんもっと反響や反応、新たな出会いがあればと思わなくはないけれど、それは全て偶然のように見えて必然であり、そのときはそのときであって来るときは来るし来ないときは来ない。このブログなんてほとんど何の反響もないけれど、逆にそれもまた好ましい。ヘンに過敏な反響があって騒がれ炎上騒ぎなどになりたくはない。書いたことに共感に思う人は読み続けてくれるだろうし、いちいち反応があるほうがこちらも気を使ってしまうし気疲れする。※前のブログも結局それでいったん「閉鎖」してしまったのだ。
人と人はつながりたいものだ。友達は誰だってほしいし多いほうが良いはずだ。どこかにきっともっと親しく気が合い何もかもわかりあえる人がいるのかもしれない。しかし、その人と会うときは会うだろうし、来るときは来るのだから、こちらからは無理に求めない。
それより今の自分はもっと自分と親しくなってわかりたいと思うし、自らをモット知りたい、好きになりたいと思っている。もっと自らの内なる声に耳を傾けて生きたい。そして見えないものともっとつながりたいと希むのである。自らと和解できない者、まして他者をも、なのである。
というわけで増坊はフェイスブックなどはいたしません。あしからずご容赦願います。
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