この道はいつか来た道・・・か ― 2014年07月04日 21時08分38秒
★歴史はただ繰り返すものか アクセスランキング: 111位
この数日、体調は最悪で気分まで落ち込んでいた。解釈改憲、集団的自衛権の行使容認ということもあったが、ともかく疲れすぎた。
29日のさこさんのライブの直後、山梨へ一人で行き、一泊はしたものの向こうで先日青梅から運んだ本の山の整理分別などして、温泉にはちょこっと入れたものの翌日も早朝から働きづくめで昼近くに帰ってきた。
おまけにその晩は国立でウチのプロデューサー氏と今後のことについて意思統一の飲み会があり、ストレスからついしこたま呑んでしまい翌日まで酒が残り後悔した。やはり酒は人を落ち込ませる、BADなものだと改めて確認した。
ようやく昨日あたりから気持ちも戻って、また気を取り直してやっていこうという気持ちになれた。そして都心にでた。
飯田橋ギンレイで、山田洋次監督の「小さいおうち」と是枝の「そして父になる」の二本立て。どちらも海外でも評価が高かった話題作で、もうビデオが出る頃だったが、やはり映画館で観ておこうとやや無理を押して行ったのだ。
その二作ともかなり満足できた。良い映画であった。むろん今一番佳作を撮り続けている是枝監督の話題作は期待通りの出来で大満足したが、あまり自分としては昔から買っていない山田洋次も良い出来でついほろりとさせられた。やはり映画とは役者が良いとそれだけでも見せてしまうものなのだ。
黒木華演ずる女中の目を通して戦前戦中の山の手の市民生活を描いた作品だが、時代考証も含めてかなりそうした雰囲気はよく出ていた。まあ、奥様が心寄せる芸術家の役、吉岡君は毎度の演技で、如何なものかと思うが。
決して大きな声で言わないけれど、山田監督の反戦への強い思いが伝わってきた良作だったのではないか。
最近よく考えるのは、歴史とはいったいどういう仕組かということだ。つまり、ニンゲンの本質など古代からさほど変わるものではないから、ただ単純に繰り返していくものと考えるか、繰り返してはいるがそれは過去のものとは違い日々進歩発展、向上しているかということだ。
多くの文明では、昔の日本人も、仏教的史観も含めて、歴史はただ単純に繰り返すと見ている。つまり文明が次第に栄えてはやがては滅び滅亡するし、戦争と平和は交互に繰り返していく。それは寄せては返す波のようなもので、栄枯盛衰の繰り返し、それが歴史だと見る。
いっぽう、キリスト教とマルクス史観では、人間は進歩していく動物だから過去から教訓を学び似たようなことを繰り返しつつもしだいに精神的、人間的に過去より発展向上して良くなるとする。
どちらが正しいかは答えなどでない。そこには歴史とは、人間とはどういうものかという見方しかない。
ただ単に繰り返すとみるならば、確かに世代も変わって昔のことなど知る者は少なくなれば過去の教訓などふり捨ててまた懲りずに人は愚かな過ちを繰り返すだけだから今の時代、この日本の姿もまた当然であろう。
そしてまた多くの戦争犠牲者を出してまた改めて、戦争はいけないことだ、してはならないと認識してまたも不戦の誓いを立ててしばらくは平和が続く。しかし何世代か過ぎるとまた懲りずに戦争を企てていく。
いっぽうマルクス的というか社会科学的に見れば、歴史は常に過去から学び進歩発展中なのだから、どんな時代が来ようと、過去に戻ってしまったかのように一時は見えても実は過去の繰り返しではなく、必然的にこれでも発展中、人類は進歩しているのである。つまり一見同じようなことを繰り返していてもらせん階段を上っていくように高次へと向上しているはずだと。
皆さんはどうお考えか。キリスト者としてみれば、これもまた神の意志であり、試練として受け入れていくしかないし結果そのことで魂も向上していくと考えるのであろう。人は常に愚かなものであるし、どんなことも経験でしか学ばない。凡百の理念や理屈を繰り広げても一つの経験に勝るものなどないとも思える。
つまり人類の進歩と発展のためには幾多の試練を潜り抜けそうした失敗を繰り返して少しづつ向上していく、発展していくものだと考える。
映画「小さいおうち」の中で、アメリカや西欧列強に対して不満を抱いていた当時の日本人、それも市井の庶民たちが、ハワイの真珠湾攻撃の報で大喜びするシーンが描かれている。やったぞ、ばんざーい、ばんざーいと酒屋のオヤジなど大喜びであった。じっさいそれが当時の庶民の本音であったと思える。先のことなど何一つ予想も予測もできず、屈託した不満を戦争で晴らす、日本を舐めてきた外国にぎゃふんと言わせてやろうという子供じみた心理であったかと想像する。
幸い、自分も含めて今生きている我々はその戦争の結果、結末は知っている。その犠牲と代償はあまりにも大きかったのではないか。
そして今もまた、仮想敵国に対して、戦闘行為でものを言わしてやれという主張がマスコミでは大手をふっている。そうした心理と連動してついにじっさいに戦争ができる国家へと日本はなっていく。果たしてまた戦争の時代が起きるのか。歴史はただ単純に繰り返すだけか。それとも人はそこから学び、過ちを繰り返すことでまたもや学ぶのではなく過去から学んで戦争という過ちは繰り返さないで済むか。
その答えは近く、おそらく自分が生きているうちに出るはずだ。
この道はいつか来た道、でも歩んでいる我々は昔の彼らとは違うと信じたい。
この数日、体調は最悪で気分まで落ち込んでいた。解釈改憲、集団的自衛権の行使容認ということもあったが、ともかく疲れすぎた。
29日のさこさんのライブの直後、山梨へ一人で行き、一泊はしたものの向こうで先日青梅から運んだ本の山の整理分別などして、温泉にはちょこっと入れたものの翌日も早朝から働きづくめで昼近くに帰ってきた。
おまけにその晩は国立でウチのプロデューサー氏と今後のことについて意思統一の飲み会があり、ストレスからついしこたま呑んでしまい翌日まで酒が残り後悔した。やはり酒は人を落ち込ませる、BADなものだと改めて確認した。
ようやく昨日あたりから気持ちも戻って、また気を取り直してやっていこうという気持ちになれた。そして都心にでた。
飯田橋ギンレイで、山田洋次監督の「小さいおうち」と是枝の「そして父になる」の二本立て。どちらも海外でも評価が高かった話題作で、もうビデオが出る頃だったが、やはり映画館で観ておこうとやや無理を押して行ったのだ。
その二作ともかなり満足できた。良い映画であった。むろん今一番佳作を撮り続けている是枝監督の話題作は期待通りの出来で大満足したが、あまり自分としては昔から買っていない山田洋次も良い出来でついほろりとさせられた。やはり映画とは役者が良いとそれだけでも見せてしまうものなのだ。
黒木華演ずる女中の目を通して戦前戦中の山の手の市民生活を描いた作品だが、時代考証も含めてかなりそうした雰囲気はよく出ていた。まあ、奥様が心寄せる芸術家の役、吉岡君は毎度の演技で、如何なものかと思うが。
決して大きな声で言わないけれど、山田監督の反戦への強い思いが伝わってきた良作だったのではないか。
最近よく考えるのは、歴史とはいったいどういう仕組かということだ。つまり、ニンゲンの本質など古代からさほど変わるものではないから、ただ単純に繰り返していくものと考えるか、繰り返してはいるがそれは過去のものとは違い日々進歩発展、向上しているかということだ。
多くの文明では、昔の日本人も、仏教的史観も含めて、歴史はただ単純に繰り返すと見ている。つまり文明が次第に栄えてはやがては滅び滅亡するし、戦争と平和は交互に繰り返していく。それは寄せては返す波のようなもので、栄枯盛衰の繰り返し、それが歴史だと見る。
いっぽう、キリスト教とマルクス史観では、人間は進歩していく動物だから過去から教訓を学び似たようなことを繰り返しつつもしだいに精神的、人間的に過去より発展向上して良くなるとする。
どちらが正しいかは答えなどでない。そこには歴史とは、人間とはどういうものかという見方しかない。
ただ単に繰り返すとみるならば、確かに世代も変わって昔のことなど知る者は少なくなれば過去の教訓などふり捨ててまた懲りずに人は愚かな過ちを繰り返すだけだから今の時代、この日本の姿もまた当然であろう。
そしてまた多くの戦争犠牲者を出してまた改めて、戦争はいけないことだ、してはならないと認識してまたも不戦の誓いを立ててしばらくは平和が続く。しかし何世代か過ぎるとまた懲りずに戦争を企てていく。
いっぽうマルクス的というか社会科学的に見れば、歴史は常に過去から学び進歩発展中なのだから、どんな時代が来ようと、過去に戻ってしまったかのように一時は見えても実は過去の繰り返しではなく、必然的にこれでも発展中、人類は進歩しているのである。つまり一見同じようなことを繰り返していてもらせん階段を上っていくように高次へと向上しているはずだと。
皆さんはどうお考えか。キリスト者としてみれば、これもまた神の意志であり、試練として受け入れていくしかないし結果そのことで魂も向上していくと考えるのであろう。人は常に愚かなものであるし、どんなことも経験でしか学ばない。凡百の理念や理屈を繰り広げても一つの経験に勝るものなどないとも思える。
つまり人類の進歩と発展のためには幾多の試練を潜り抜けそうした失敗を繰り返して少しづつ向上していく、発展していくものだと考える。
映画「小さいおうち」の中で、アメリカや西欧列強に対して不満を抱いていた当時の日本人、それも市井の庶民たちが、ハワイの真珠湾攻撃の報で大喜びするシーンが描かれている。やったぞ、ばんざーい、ばんざーいと酒屋のオヤジなど大喜びであった。じっさいそれが当時の庶民の本音であったと思える。先のことなど何一つ予想も予測もできず、屈託した不満を戦争で晴らす、日本を舐めてきた外国にぎゃふんと言わせてやろうという子供じみた心理であったかと想像する。
幸い、自分も含めて今生きている我々はその戦争の結果、結末は知っている。その犠牲と代償はあまりにも大きかったのではないか。
そして今もまた、仮想敵国に対して、戦闘行為でものを言わしてやれという主張がマスコミでは大手をふっている。そうした心理と連動してついにじっさいに戦争ができる国家へと日本はなっていく。果たしてまた戦争の時代が起きるのか。歴史はただ単純に繰り返すだけか。それとも人はそこから学び、過ちを繰り返すことでまたもや学ぶのではなく過去から学んで戦争という過ちは繰り返さないで済むか。
その答えは近く、おそらく自分が生きているうちに出るはずだ。
この道はいつか来た道、でも歩んでいる我々は昔の彼らとは違うと信じたい。
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