大変な時代に誰もが忙しい2014年07月20日 22時03分32秒

★仕事と生活に絡めとられて                    アクセスランキング: 94位

 おそらくこれは自分だけではないと思う。
 秋口に向けて今後の予定、計画を立てたいのだが、今夏、8月の予定すらなかなか出せないでいる。理由は簡単、関係する人たちと連絡がなかなかとれず、とれても目先のことでいっぱいいっぱいで先のことを考える余裕すらないようなのだ。どうしたものか。

 日々の糧を得るためのそれぞれの仕事、そして家庭のこと=家事雑事などの生活に追われ、もうその二つだけで手いっぱいで他のことまで全く何もできない、考えることすらできないという声をよく聞く。
 「ほかのこと」というのは、例えば音楽や文芸、映画などの芸術の活動、観覧、旅行、行楽などの所謂「趣味」のことであり、この右傾化軍事大国化していく世相に対してのデモ、集会参加などの抗議活動なども含まれるだろう。

 むろんそうした「活動」は、まず自らの生活基盤を確立し維持しながら行うべきことだ。しかし、今の時代は、「仕事」だけでも朝早く家を出て帰るのは夜10時過ぎという有様では、土曜が休みとなっても週末の休みの日は、溜まった洗濯や掃除など家事に追われてとても出かけて何か別のことに興ずるというわけにはいくまい。

 二日休日があれば一日は日頃の睡眠不足を補うためにとことん眠るのだと言う。そうした話を友人の独身中年男性から聞くと、休みの日の慰安とはせいぜい新しい缶ビールを飲みながらテレビで野球やサッカーを観る程度となるのも致し方ないと思う。それが清志郎唄うところの「善良な市民の生き方さ」、である。とても外に出て、ライブを観たり集会などの政治活動に参加する気力も関心も失せてくる。
 それは子供を抱える共働き世帯でも忙しさは全く同様どころかさらに多忙であろう。

 それにしてもいったい何でこんなに忙しくなってしまったのだろうか。昔は家電が普及発達していなかったから、洗濯は手洗いであったように、何にでも時間がかかった。風呂でもご飯でも沸かす焚くのは一仕事であった。それが今ではすべてはボタン一つ、スイッチ一つ押せば全部機械がやってくれて家事は楽になったはずなのに、ちっとも生活にかける時間は減りはしない。
 いや、直接の家事時間は大いに減ったのかもしれないが、昔はなかったインターネットの雑事が増えたのかと思う。年下の人たちと会って何かする機会があると、彼らは話の最中でも暇さえあれば、携帯を取り出しメールだか何やら画面のチェックに追われている。ケータイからは始終メール到着の音が鳴っている。
 自分はろくに携帯電話すら持ち歩かないので、よく人から連絡がとれないとか、留守電入れたのにとかⅭメール読んだか、と後で文句言われる。しかし株のデイトレーダーでもない限りそんなに喫緊緊急の連絡などまず来ないはずだし、誰でもそんなに頻繁に携帯をチェックしなければならない用件があるとは思わない。

 ケータイでチェックしたらまたすぐに返信をさっさと送る。送られた側はまた慌てて確認してそれにまた返信する。おそらく今の人が忙しいのは、そうした昔はなかった様々な「雑事」が増えてそれに時間を囚われてのことではないのか。

 むろん、今は仕事が超多忙が当たり前となっている。老いも若きも過密なスケジュールを請われて少人数で部署を任され仕事量も増大し、長時間労働を余儀なくさせられている。それがこなせない者はこの社会から脱落していく。そして一度落ちこぼれたらなかなか這い上がれられない。後は人気漫画「闇金ウシジマ君」の世界となる。

 今は皆誰もが客でありホスト側でもあるから、ウチなどの零細な古本屋の客商売でも一度失態あらば、お客様は息高々、こちらの非を責め続けときに土下座的なことすら強要してくる。そうした心理はおそらく彼もまた同様のことを日頃、客から上司から強いられ我慢の限界となっているからかと推察する。そうした鬱屈と不満がときに弱者の立場の者の失態に会うと爆発してしまうのだろう。実に嫌な時代である。
 誰もがそうした大変な苦しい状況の中で生きているならば人はともに手を差し伸べて助け合い生きていくべきであろう。しかし逆に足を引っ張り合い、些細な非を見逃さず挙げつらい攻撃に熱中するのである。日頃の鬱屈の刷毛口はコンビニ店員の応対や役所、郵便局の窓口の対応で発散させスッキリさせる。

 そして仕事と生活に人生全てを絡めとられて、身動きとれなく全て外のことには鈍感となり関心を失っていく。

 昔、大宅壮一は、テレビ時代を前にしてテレビによって国民は「一億総白痴化」と喝破したが、今の人はテレビなど見る時間すらない。代わりに携帯とモバイルゲームで、個人の時間を奪われて他のことには関心を失い総「白痴」となっていく。

 これは支配者層の実にうまくできた国民支配の手口とみるか、それとも人類が自ら選んだ滅亡への行進なのか自分にはわからない。ただ、思うのは何でこんなに誰も彼も忙しいのであろうか、ということだ。
 ウチは瀕死の老人老犬、老体を抱えてのことだから仕方ないとも考えるが、皆さんのご事情が知りたいとも思う。忙しいという文字は、字義通り「心を亡ぼす」と書く。忙しさのあまり心が亡びることのないようご自愛願いたい。

 こうしてネットでブログ書いていて言う資格はないが、ケータイにしろパソコンにしろ人はなくても生きて行けるし人類はつい数十年前までそれなしで問題なく生きてきたのだ。便利さと引き換えに時間を失い心を亡ぼすのでは本末転倒ではないか。