母を増冨の保養温泉旅館に送り戻って ― 2016年03月09日 23時20分49秒
★笹子峠は吹雪であった。
3月に入り、このところようやく春めいて暖かい穏やかな日が続くようになった。例年に比べ雨が少ない春先であったが、一昨日も一日、そして今日も朝からしっかりかなり強い雨が降り続いた。
今日はそんな雨の中、朝から山梨県北杜市増冨温泉へ、母を連れて行って、母はそこの温泉旅館に二泊三日で湯治に預けて我だけ日帰りで先ほど雨の中甲州街道で帰ってきたところだ。
また寒気が戻ってきているのか、高速道ではなく帰り道一般道甲州街道の途中、甲斐大和の笹子トンネルを抜けたら電光掲示板の気温は零度、雨は雪に変わってフロントガラス吹き付ける雪は吹雪のようでびっくりした。幸い大月まで降りたらまた雨になっていたのでほっとしたが、これでは標高千mの母のいる増冨は、積もるほどの雪となったかと案じている。まあ、旧いが老舗の温泉旅館なので、寒くて困るなんてことはないとは思うが。
母の癌のこと、まず何からどう書くべきか。
ごく簡単に記せば、先にやった第一回目の抗癌剤の後、副作用で熱か出て、一週間入院したことは書いた。で、それでもう抗癌剤は懲り懲りだとも思ったし、八十代半ばという高齢では、危険な賭けだとわかり、いったんは中止の方向で担当医も我らも気持ちは傾いた。
が、母の体調も戻ったこともあり、エコーで肥大してきた癌部位を確認した限り、多少ちいさくなった気がすると、その効果はあったような感じがしたとのことで、また副作用が起きるかもとかなりあれこれ迷う気持ちも大きかったがもう一回だけ抗癌剤を慎重にやってみることに決まった。そして2月29日から二泊三日で入院する段取りとなっていた。
ところが、その数日前に、母はまた発熱があり、どうやらそれは単なる風邪だったようで、入院予定日の前日には熱も下がったが、そのことを医師に連絡したら抗癌剤投与のための入院予定は延期となり、今月頭に再度受診した。
そしたら、先にとった血液検査での癌マーカーの数値も高いままなので、どうやら抗癌剤は効いていないとわかったと告げられ、医師からはもう抗癌剤治療は中止にすると宣告されてしまった。
となると後は、放射線治療しか残されていない。そこ立川の病院ではその設備がなく、紹介状書くので、近くの共済病院か昭島にある徳洲会へ行くことを勧められた。まあ、徳洲会はウチからも近く通えなくはないけれど、果たしてその治療法をやるかどうかである。放射線をスポットで癌部位に何週間もかけて照射するのだ。
いちおう、徳洲会に出向いて、そこの医師に診察受けてみて、放射線治療を受けるかどうかまずは話を聞いてから決めることにした。
じっさいのところ、現時点では、それにチャレンジするかまだ決めても考えてもいない。癌を縮小させる効果が出れば良いが、当然のことまた体にもかなり無理がかかる。
ただ何も対策、対応をしなければ癌は進行しさらに肥大化するだろうし、やがては他の臓器に癒着したり転移したりと状態は悪化していくことだろう。
母の年齢を考えればどちらにせよやがては死ぬわけだが、問題はできるだけ今までの日常生活がどれだけ長く続けられるかで、痛みや体調不良で食べられなくなり痩せ衰えそのことで一家が悩み振り回されるのは、当人も我も望みはしない。が、最後はホスピスに入るにせよ、それは必ずやってくる。
願うのは、そうなる日が来るのを一日でも先延ばしにできる方法は何かであり、癌は治りも小さくもならなくてもかまわないから、これ以上進行しないでもらいたい。今の生活、今までの生活がどうしたら長く続けられるかだけ考え続けている。
まだ答えも対案も何も出ない。来週明け、徳洲会の医師に会い詳しい説明を聞いてから考え直すつもりでいる。で、今は仕方なく癌に効くかはともかく、増冨ラジウム温泉の、一般市民向けの日帰り入浴施設ではなく、本格的な温泉保養旅館へと母を「湯治」に三泊で泊まりに行かせることにした次第。
土曜日にまた迎えにいく予定でいる。ともかく今できることはそのぐらいしかない。まあ、ウチにいると認知症の父のことでストレスが溜まる一方だから、温泉旅館で三食上げ膳据え膳でのんびり温泉に浸かっていればきっと癌も小さくなると信ずるしかない。
つくづく思う。人は生きていくのも大変だが、死んでいくのにもまた大変なのだと。いや、人はより良く生きるためにこそどう死ぬかに苦労するのである。またこのこと報告していく。
3月に入り、このところようやく春めいて暖かい穏やかな日が続くようになった。例年に比べ雨が少ない春先であったが、一昨日も一日、そして今日も朝からしっかりかなり強い雨が降り続いた。
今日はそんな雨の中、朝から山梨県北杜市増冨温泉へ、母を連れて行って、母はそこの温泉旅館に二泊三日で湯治に預けて我だけ日帰りで先ほど雨の中甲州街道で帰ってきたところだ。
また寒気が戻ってきているのか、高速道ではなく帰り道一般道甲州街道の途中、甲斐大和の笹子トンネルを抜けたら電光掲示板の気温は零度、雨は雪に変わってフロントガラス吹き付ける雪は吹雪のようでびっくりした。幸い大月まで降りたらまた雨になっていたのでほっとしたが、これでは標高千mの母のいる増冨は、積もるほどの雪となったかと案じている。まあ、旧いが老舗の温泉旅館なので、寒くて困るなんてことはないとは思うが。
母の癌のこと、まず何からどう書くべきか。
ごく簡単に記せば、先にやった第一回目の抗癌剤の後、副作用で熱か出て、一週間入院したことは書いた。で、それでもう抗癌剤は懲り懲りだとも思ったし、八十代半ばという高齢では、危険な賭けだとわかり、いったんは中止の方向で担当医も我らも気持ちは傾いた。
が、母の体調も戻ったこともあり、エコーで肥大してきた癌部位を確認した限り、多少ちいさくなった気がすると、その効果はあったような感じがしたとのことで、また副作用が起きるかもとかなりあれこれ迷う気持ちも大きかったがもう一回だけ抗癌剤を慎重にやってみることに決まった。そして2月29日から二泊三日で入院する段取りとなっていた。
ところが、その数日前に、母はまた発熱があり、どうやらそれは単なる風邪だったようで、入院予定日の前日には熱も下がったが、そのことを医師に連絡したら抗癌剤投与のための入院予定は延期となり、今月頭に再度受診した。
そしたら、先にとった血液検査での癌マーカーの数値も高いままなので、どうやら抗癌剤は効いていないとわかったと告げられ、医師からはもう抗癌剤治療は中止にすると宣告されてしまった。
となると後は、放射線治療しか残されていない。そこ立川の病院ではその設備がなく、紹介状書くので、近くの共済病院か昭島にある徳洲会へ行くことを勧められた。まあ、徳洲会はウチからも近く通えなくはないけれど、果たしてその治療法をやるかどうかである。放射線をスポットで癌部位に何週間もかけて照射するのだ。
いちおう、徳洲会に出向いて、そこの医師に診察受けてみて、放射線治療を受けるかどうかまずは話を聞いてから決めることにした。
じっさいのところ、現時点では、それにチャレンジするかまだ決めても考えてもいない。癌を縮小させる効果が出れば良いが、当然のことまた体にもかなり無理がかかる。
ただ何も対策、対応をしなければ癌は進行しさらに肥大化するだろうし、やがては他の臓器に癒着したり転移したりと状態は悪化していくことだろう。
母の年齢を考えればどちらにせよやがては死ぬわけだが、問題はできるだけ今までの日常生活がどれだけ長く続けられるかで、痛みや体調不良で食べられなくなり痩せ衰えそのことで一家が悩み振り回されるのは、当人も我も望みはしない。が、最後はホスピスに入るにせよ、それは必ずやってくる。
願うのは、そうなる日が来るのを一日でも先延ばしにできる方法は何かであり、癌は治りも小さくもならなくてもかまわないから、これ以上進行しないでもらいたい。今の生活、今までの生活がどうしたら長く続けられるかだけ考え続けている。
まだ答えも対案も何も出ない。来週明け、徳洲会の医師に会い詳しい説明を聞いてから考え直すつもりでいる。で、今は仕方なく癌に効くかはともかく、増冨ラジウム温泉の、一般市民向けの日帰り入浴施設ではなく、本格的な温泉保養旅館へと母を「湯治」に三泊で泊まりに行かせることにした次第。
土曜日にまた迎えにいく予定でいる。ともかく今できることはそのぐらいしかない。まあ、ウチにいると認知症の父のことでストレスが溜まる一方だから、温泉旅館で三食上げ膳据え膳でのんびり温泉に浸かっていればきっと癌も小さくなると信ずるしかない。
つくづく思う。人は生きていくのも大変だが、死んでいくのにもまた大変なのだと。いや、人はより良く生きるためにこそどう死ぬかに苦労するのである。またこのこと報告していく。
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