10月に入りました。2019年10月02日 23時09分29秒

★もう何にも囚われない。怖れない。振り回されない。

 本格的秋10月に入っても日中は強い陽射しの真夏日が続く。だが、朝晩はめっきり涼しくなってきて窓開けて寝ると寒いくらいだ。

 消費税10%増税の前に、増税される日用品、酒などの買いだめに忙しかったのとパソコンの調子も少し悪く、また更新が空いてしまった。

 引きこもりして学校を休んでいると、時間と共に「復帰」は難しくなっていく。数日なら気軽にすぐ戻れるが、休むのが長くなると気持ちは行きたくてもあれこれ思い悩むばかりで気が重く、ともかくしんどくなってしまう。行きたいのに行けなくなる。※同様の経験を持つ人はこの気持ちわかってもらえると思う。
 我がブログもそれと同じで、間が空くと、まず何から書くべきかとっかかりがみつからず「再開」がますますできなくなる。

 ならば、初心に返ってまた、まず自分のコトと自分が関係することから「お知らせ」を兼ねて今マスダはこうしている、こんなことを考えた、と気軽に日々徒然なることを記していきたい。
 むろんそんなことは人様にはカンケイないから読む人しか読まないだろう。だが、フェイスブック的繋がりより、我はこの一方的「発信」を勝手ながらも望むから、もし関心あらば誰かが読んでくれると信じて当ブログ内のランキングなど気にせずにともかく書き続けていこうと思う。
 それもできるだけ包み隠さずにあるがままに、だ。

 母が死んでこの秋で丸3年がたつ。認知症の老いた父を一人で抱えてともかく何とかやってきた。
 しかし日々の生活をともかくやり過ごすだけで手いっぱいで、生活は破綻し家はどこもかしこともゴミ屋敷と化し人を迎えることも含めて生活再建のメドは立っていない。
 一時期は、母喪失のPTSDから、体重が落ちて会う人ごとに心配されるほど痩せた我が身だったが、このところ介護のストレス晴らしのアルコールに溺れて不摂生からヘンな具合にまた太って来た。腹がせり出し、体調もあまり良くない。足底の痛みも老化と共にそうした日常に関係していたかと思える。

 しかし、ようやくだが、やっとこれからの道筋は見えて来た。ずいぶん時間がかかったけど、登山で言えば、あの尾根を越えれば、という「尾根」が指呼の間に見えて来た。
 まだまだ辛い登りは続くが、ともかく一歩一歩足をj前に進めていけば、まずその「尾根」にたどり着く。その先に何があるかはともかく、その尾根に着けたら肩の荷物を降ろしていったん休憩をしっかりとりたい。本当はそれは還暦を迎えた時にと思っていたのだが・・・
 あれこれ悩み気ばかり焦っても何もできず進まず苛立つばかりの日々は過去になっていく。

 何であれ、何事も「生活の中」でやっていかねばならなかったのだ。ところが不器用でバカな我はそれがわからなかった。
 何か一つ、目先の囚われ事があるとそれに夢中になって生活はまったく放擲し顧みることはなかった。また、逆に生活に囚われると、本来やるべきことも、「まずこれを終えてから」と、後回しにしてしまい、決局二兎を追うところか一兎もものにできなかった。
 先に古川豪さんと再会し彼のうたわ館野公一氏と共に聴き、お二人から強い示唆というか、インスパイアを受けた。うたもそうだが、、うたとの接し方と己のスタンスについてである。どこに我が身を置いて何を唄っていくか。

 生活の中、というのは、日々の日常、生活の傍らということだ。まずに何より基本の生活がきちんとしっかりあって、そのうえで、その中で、「己のやるべき、やりたいこと」をやっていく。どちらかが先にとか上に、と考えない。
 芸術至上主義というのは、あくまでも恵まれた環境にある人の言いであって、日々のパンをまず得てそのパンを得るまでの「大変さ」と得た「喜び」「有難さ」を記し唄うのが我が考える「うた」であり「芸術」なんだと考える。

 それが果たしてできるかはともかく、その「地図」はあるのだから、ともかく進むしかない。何をどうしていくかはわかってる。
 もう大丈夫だ。

 ※もう一回だけ書きます。

続・もう何にも囚われない。怖れない。振り回されない。2019年10月03日 07時58分57秒

★本当によいものを求め関わっていく

 今日も朝から晴れて、外にいると強い陽射しに汗ばむほどだが、吹く風はカラッと爽やかで、どこからか斉藤哲夫のうたう「野沢君」が聞こえてくる気がする。

 母が先に逝き、残された父と男二人で暮らし始めて3年。ようやくであるが、暮らし方のコツというか、道筋が見えて来た。
 父がまるまる終日家に居る日は基本、週に一日程度だし、我家で過ごす週に三日の晩だけ何とかうまく乗り切れば、後は介護施設に任せて我は自分のことに専念できる。
 今までは精神的なこともあってあちこち体調も悪く父のことや今後についてどうしたことかと思い悩みあれこれ囚われることも多く結果一人のときは疲れがどっと出てしまい寝てばかりで無為に時間を費やすことも多かった。

 が、ようやく今はこれから先の進むべき方向、「海図」も手に入れたしもう大丈夫だと思う。
 もう何にも囚われないし怖れない、振り回されない、と書いた。しかし小心な我のこと、おそらくまたちょっとしたトラブルでも悩み動揺しそれが気になって囚われると思う。しかし、そうなろうと、たとえどんなことが起きようと、すべて起こることは天の計らい、神の御心だと信じて「有難く」受け容れて行こうと決意した。
 そう、良いことも悪いことも含めて、どんなことが起きようが人は必ず死ぬのである。終わりの日が必ず来る。
 すべてのことは生きている間だけのことだし、死んでしまえば(この世のことは)すべてオシマイなのだから、その限りある中で精いっぱいやっていくしかない。

 人生は何とかなるし(何とかならなくても)何とかしていくものだ。今も間違いなくそう思うしじっさいそうして今まで生きて来た。それが人生であろう。
 しかし、それは我が母が生きていて、母の庇護の元とは言わないが、その「存在」があってこそのことだった。

 共に暮らし日々の生活の雑事、買物、炊事洗濯などの家事はほぼ全部我が担当していたが、本当に面倒なこと、つまり家計の管理や様々な支払いなど対外的手続きは母に任せきりにしていた。
 その母がいなくなり、そうしたこの家に関する一切の実務的ことを全部我一人で処理しなければならなくなった。
 残された我の唯一の家族、父が今ほど呆けていなければ、父に相談するなり手伝いも頼めただろうが、もう今は記憶が続かず数分前のことが思い出せなかったり、我=実の息子を弟だと思い、その名で呼んだりするほどのバカになってしまったから何一つ頼りにならない。何をするにせよ常に足手まといになるだけだ。

 そうした父を抱えて何とかこの3年生きて来たわけだが、自分の無力無能をただ噛みしめている。今も何一つ片付いていないし、状況はほとんど改善していない。
 何かの用で他人様が来るときだけそこにあるものを移動させて場所をつくる。片付いたように見えてもただモノは箱詰めにして家の中を移動しているだけだ。
 時間がないわけではないが、この秋95歳の超高齢となる父が家に居ると、常に目が離せないし寝てても熟睡は出来ず気疲れする。
 父を施設に送り出してからだ、と常に思い、その後はほっとするが、体調不良の疲れがどっと出て寝込むことも多かった。

 そう、自分一人では何一つきちんと生活と人生を管理できなかったのだ。
 しかし、「できない」からといって、もう、やーめた!とはできない。無能な自分に絶望してネグレクトしてしまうのは緩慢な自殺行為であろうし、そうして自堕落にゴミ屋敷の中でアルコールに溺れて死んでいくのは死んだ母にも申し訳ない。
 ともかくできなくても人生は続けなくてはならないし、何であれ「その中」でやっていかねばならないはずだ。絶望したり諦めることはたやすいが、たとえなかなかできなくてもやり続けるしかない。

 考えれば、ギターだって、最初は誰もがまったく弾けない。指は痛くなるしチューニングだって一苦労だ。こんなことはとてもできやしないと思う。
 しかし日々少しづつでも我慢して練習を続けていけば、コードも次々覚え押さえられるようになるし、好きな曲を拙くとも弾けたりコピーすることもできるようになる。自分でも曲をつくったり歌えるようにもなっていく。

 人生もそれと同じで、たとえ誰も頼りできず助けてもらえなくても、たとえけんあんのことがなかなかできなくても続けていけばいつかはきっとできるようになるかもしれない。そう信じて諦めずにやっていく。
 ずっと負け続けて来た。しかしまだ負けは確定していない。生きている限りいつかは勝つ日もあるかもしれない。

 そのためには・・・
 ともかくもうこれ以上モノは増やさないことだ。そして何事も逃げずに後回しにせずに、その場その時、すぐに「処理」していくこと。
 断捨離などできないしそんなことに取り組む気も時間もないからこそ、本当に良いもの、良いことだけに関わっていく。食べることもすることもモノも人もすべて。
 まだまだできる。きっとできる。そして俺は変わる。

 大昔、天王寺の春一番で一回だけ観た、砂川正和のステージが今でもはっきり彼の唄声と共に一挙一動目に浮かぶ。
 1978年だったと思う。あの日彼は、ナスティーチェインというバンドを従え3曲歌った。
 最後に、この曲は、ずっと歌いたかったけどやっと歌えるようになった、と断って、サム・クックの名曲『ア・チェンジ・イズ。ゴナ・カム』を日本語詞で歌った。

 ♪川のそばテントで俺は生まれ~で始まるこの名訳の二番と三番の歌詞を載せておく。

 とてもつらかった でも死ぬのはこわい
 だって天国なんかわからない
 とても遠い道のりだった
 でも変わるときがくるんだ
 きっと変わる

 転がるたびにダメだとおもったけれど
 もうだいじょうぶさ やっていける
 とても遠い道のりだった
 でも変わるときがくるんだ
 きっと変わる

 砂川正和を初めて観て、日本にもこんな本格的ソウルシンガーがいるんだと驚かされた。上田正樹なんて彼に比べればまがい物におもえた。
 しかし大阪の友人から知らされたが、彼はずいぶん前に自死してもう今はいないという。だが我の手元にはこのときの音源がしっかり残って、苦しいとき何度も繰り返し聞いた。
 砂川正和とこのうたは生きて常に我を励ましてくれる。本当に良い音楽とはそういうものだ。そしていつかはこのうたを自分も歌ってみたい。

 ならば、きっと変わる。ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム だ。

これから、年内の予定など2019年10月04日 15時57分05秒

いぶし銀の渋い歌声「カントリージェントルマン」西島寛二!
★まずは、10/19日の「中川五郎と共謀」コンサートだが、その前に明日5日は西島寛二と館野公一!!

 ★10月5日(土)語り歌の継承vol.69@谷保かけこみ亭
館野公一 ゲスト:西島寛二 7:00pm 1500円(予約1300円)
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

年内の予定・追記2019年10月10日 11時33分03秒

★10/19日の「中川五郎と共謀」コンサートを終わらせたら

 今日も晴れた。秋なのにまだ強い陽射しが照りつけるが、吹く風は冷たく、寒くてもうTシャツ一枚や半袖ではいられない。もう10月半ばなのである。このところ朝晩はめっきり涼しくなった。窓開けては眠れない。

 が、今週末にはまた大型台風がやってきて関東地方にも影響が出るとメディアはしきりに騒いでいる。もし先の15号のような台風がこちらを直撃したらば、ウチの家屋はともかく庭の樹々が倒されてご近所に多大な被害が起こるだろう。あれこれ考えても仕方ないことだが、千葉県の方々同様、今回は被害が最小限に収まることを祈るしかない。

 さて、5日土曜の、かけこみ亭での館野公一企画『語り歌の継承』、ゲストに西島寛二氏を迎えての回に無事参加出来たのだけれど、その晩からまた寒暖差アレルギーというか、風邪の初期症状なのかくしゃみと鼻水、頭痛が続いて大事をとって安静にしていた。
 むろん最低限の家事や自分の仕事、つまり注文本の発送などはやっていたけれど、後はできるだけ無理せずブログも後回しにして時間あらば横になっていた。申し訳ない。
 熱などはないし、毎度のアレルギーか風邪かもはっきりしないが、今ここで悪化させて寝込む羽目となると、来週土曜日、19日のコンサートに支障が出る。特に「咳」が続くとまた大変なことになる。

 季節の変わり目、朝晩の寒暖の差を、着るものなどでいかにうまく調節して体調を崩さず維持していけるかが我の老年期の課題であろう。
 何であれ、生活も含めて誰も我の身体を管理してくれる人はいないし世話も面倒も見てくれる人は皆無なのだから独身人生、最後の最後のときまで自力自助でやっていくしかない。

 さて、19日の、五郎氏と旧知の仲間たちの大きなコンサートを無事終えたら今年残りの予定である。
 この数年続いて来た『共謀コンサート』は、この後も続けていく予定でいるが、まずは、ここでいったん小休止、中休みとさせてもらって、来年また再開するとしてしばらく間をおきたい。この連続コンサートについても、我の企画する他のイベントについても再考のときが来たようだ。なので、この『五郎と共謀』コンサート、現時点での最高のもの、集大成としたいと願う。どうか一人でも多くの観客、参加者があるようにと祈るだけだ。

 そして、次に自分が関わるのは、11月20日に、東中野「じみへん」で太田三造さんのライブがあり、我はそこで前座というか進行役と彼の露払いを務める。
 現時点ではギターもうたもまったく何ヵ月も練習していないから、果たして何をどれほどできるか不安でならないが、今はどんなことでも受け容れるつもりなので、与えられたこの機会、精いっぱいやるつもりだ。

 そして今年もまた年末には、拙宅で、クリスマス謝恩ライブパーティを開催する。どなたでもお気軽にご参加ください。
 例年は、12月23日の「昭和天皇誕生日」にやっていたが、今年はどうやら23日は休日とはならないようなので、その前の日曜、22日に開催としたい。そのためにまた場所づくりに頑張らねばならないが、今はまだ先のこととして、喫緊のコンサートに取り組んでいく。

 私事だが、家庭内でまたちょっと面倒なことが起きた。人間ではなく、「動物」の一匹が事故に遭い大けがして入院してしまった。しかし何であれ、起こることは全て意味があるのだから、そのときどき、出来ること、=すべきことを精いっぱいやっていくしかない。
 そこに愛はあるか。我はまた試されている。

中川五郎を迎えて「共謀」コンサート、いよいよ来週土曜日19日!2019年10月11日 17時44分36秒

★ぜひ、どなたでもお気軽に、10/19日(土)、自由にご参加を!!

 体調がもう一つのところ、家庭内でケガ人(猫)が出て、病院通いが続いたりと慌ただしく気がつけば19日土曜日の、谷保かけこみ亭『五郎と「共謀」コンサート』が一週間後と迫って来た。
 チラシも何回か載せてるが、改めて詳細をこの場でお知らせしたい。

 ★中川五郎音楽活動半世紀越え記念&古希祝賀コンサート
  『五郎と「共謀」コンサート』

 ・日時/2019年10月19日(土) 午後4時定時開演~午後8時過ぎ終演予定
 ・出演/生けるフォークソング伝説・中川五郎
  応援出演アーチスト
 ・五十嵐正史とソウルブラザーズ
 ・館野公一
 ・ウッディ―
 ・槙 篤
 ・広瀬波子 その他超豪華アーチスト飛び入り参加決定!乞うご期待‼

 ・会場/谷保かけこみ亭 JR南武線谷保駅下車歩3分 042-574-3602 http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/ ※地図アリ

 ・参加費・投げ銭+ワンドリンクorワンフード

 ・問い合わせ&企画進行・全責任/マスダ昭哲 090-8175-8479

大型で非常に強い颱風襲来中2019年10月12日 09時57分22秒

★おまけに寒い

 一か月前の15号に続いて、今、関東に向かって非常に大きくて勢力の強い颱風19号が近づいている。昨夕から降り出した雨は、次第に激しさを増して風も出て来た。
 まだ暴風雨というほどではないが、犬連れてごく短い散歩しただけでも雨風に吹かれて体はびっしょりとなってともかく寒い。気温も低く北西からの強風は冷たい。颱風というのは通常は蒸し暑さを伴うはずなのに、10月も半ばとなるとこんなのであろうか。
 今また鼻水垂らしてこれを記している。

 そんな雨の中だが、父は先ほどショートステイにお泊りに行ってもらった。こんな颱風の最中、果たして施設側の職員に不足などないか気がかりだったが、朝方こちらから電話して確認したら問題なく迎えに行くとのことで、安堵した。
 こんな颱風だから家に一緒にいてくれるほうが、安心といえば安心なのだが、居ればいたで、彼の介護でまた時間は奪われ目は離せず自分のことは何一つできなくなってしまう。
 19日の五郎氏メインのコンサートまであと一週間。まだその準備も何もできていないし、今は他にも気がかりなことがいっぱいある。大きな台風が来ていようが、人もいる施設に預けたほうが安心で気が楽だしやはり行ってくれて良かったと今思う。

 外は台風が近づき、しだいに雨風の音が強くなって何か心騒がせるものがある。が、実はそれに加えて今心奪われていること、心配事がある。一段落して少しでも落ち着いたら正直に書き記していきたい。
 好事魔多しというか、多事多難というか、禍福はあらなえる縄のごとしというべきか・・・
 ただ祈り、神の御手に委ねるしかない。すべてを受け容れていく。

こちらは台風は通り過ぎた。2019年10月12日 22時27分40秒

★皆さんのところはご無事でしたか

 大型の非常に強い颱風19号は、先ほど東京多摩地方を通り過ぎて現在は北関東方面に進んでいるかと思う。
 もう今は、雨はやんで風がまだ吹き荒れてはいるが、外は静かになった。表に出て雨が降っていないことを確認し、朝から終日室内に閉じ込めていた犬と表通りまでカンタンな散歩をして来た。
 庭先の被害も見たが、前回のときより落葉や木々の枝の散乱は少なくウチに限っては被害は幸いのことほとんどなかったと思える。ただ、雨がともかくものすごかった。

 今日は朝一でブログは一回アップしたけれど、朝からずっとテレビはつけっ放しで、動物病院からかかってくるはずの電話を待っていた。
 実は、ウチの子猫、今春生まれた一匹が、電車にはねられたか、足を1本失う大ケガをしてしまい、昨日それがわかって大慌てで動物病院に連れて行って今日の午前中その手術があった。
 生死にかかわる大手術で、手術中にショック死する可能性もあると告げられていたから、その覚悟もしつつ、ともかく無事に手術が終わること、その知らせをひたすら待っていた。

 かなり時間はかかってヤキモキしたけれど、幸いにして何とか予定していた分の手術は終わったと連絡があったのが午後1時半。
 まだ予断はゆるさない状態でまた敗血症とか起こして死に至る可能性も高いとのことだが、ともかくまずは残った部分を切除して縫合するという大手術は終わったのでやっと少しは気が楽になった。

 それから外は雨風が強くなってきて、少し昼寝しようかとも横になったものの雨風が気になりほとんど眠れない。また、台風の緊急速報が次々とスマホに入って来る。
 確かに数十年に一度の大変危険な事態で、風よりも雨の勢いと量が半端じゃなかった。
 ウチは多摩川からはやや離れている高台だから浸水の心配はないが、父を預けた施設はウチよりも低く多摩川に近いので気になって仕方ない。※その施設からは、市内に避難勧告が出たので、事後連絡だったが、本日の利用者は全員、系列の別施設に移動したと夜になって連絡が入っていた。

 夜になってからは風も強くなってきて6時頃からは、台所の窓ガラスが風でガタガタ揺れて隙間から室内にも雨水が吹きこんできた。西に面している少し開け放してある戸の隙間に拵えた猫ドアからも容赦なく雨が吹きこんで台所の床は水浸しである。
 ウチは、他の窓はアルミサッシだが、台所の流しのところの窓だけは旧い木枠のガラス戸一枚で、何かが飛んで来ればカンタンに割れてしまう。いや、それよりもガラス戸じたいが強風で押し倒されて外れるかもしれない。
 不安で、ともかくガラスが飛散しないように、父の介護用オムツなどが入って届けられる大きな段ボール箱を潰して、内側から窓にあててガムテープで固定した。それでも隙間から吹き込む雨水は父の尿漏れパッドを敷いて対応した。

 それが功を奏したか、台所の窓は8時過ぎまで音立ててガタガタ今にも外れそうだったが、何とか無事だった。テレビで刻一刻、NHKの台風情報を見ながら、まさに生きた心地しないというか、ただ早く折り過ぎるのを息をひそめて待っていた。
 幸いにして予報官がちょうど今多摩地方と予測した時間、9時前頃からはしだいに雨風は静かになって来て、雨も小降りになりやがてはやんだという次第。
 10時前に外に出、犬と散歩して、今回も大きな被害がなかったこと、長く大変な一日だったが、子猫の手術も終わったことに天を仰いで感謝した。
 各地で浸水や強風・竜巻の被害に遭われた方々、避難され苦労されている方々には申し訳ないが、明日は我が身だと思いつつも今はただ通り過ぎた台風に安堵している。

 19日のコンサートまで一週間と迫って来た。今日中に関係者たちに最終連絡を入れようと予定していたが、外の雨風の音が気になり停電が怖くてパソコンに落ち着いて向かえなかった。
 夜も更けてきて、睡眠不足で頭も鈍く痛いが、何としても今日中にまずは出演者たちにメールだけでも送ろうと思う。
 つい先ほどまでの激しい雨風の音が嘘のような静かな夜になった。

命を守るのも「自己責任」で、か。2019年10月13日 21時11分35秒

★哀しいほどのお天気の「台風一過」。

 今日は、朝からカラッと晴れて今年最高の好天気、気持ちの良い久々の秋日和となった。吹く風も爽やかなまさに台風一過の青空であった。

 が、台風通過後一夜明けて、東日本各地でその被害の全貌が明らかになってきた。記録的な豪雨をもたらした今回の颱風19号。関東や東北の多くの河川が決壊、氾濫して濁流が市街地に流れ込み多くの家屋。建物が水没している様相が明らかになって来た。
 先の15号は、強風、突風の風颱風だったわけだが、今回は巨大かつ勢力の大きかったため、長時間広範囲に雨が観測史上ないほど降り続き関東、東北の各地で「水没」地域が多発した。
 我が地域は大した被害はなかったから、良かったと安堵したとしても、現実のはなし、こうして水没した自宅の二階の屋根に上がってヘリコプターに向かって救助を求める人たちの映像には胸を締めつけられるものがある。
 命は助かったとしても、住まいは二階までも水浸しとなってしまえば、衣食から家財一式何もかも使い物にならないわけで、家自体は無事だったとしても生活再建はいったいどうなってしまうのか。ましてこれから寒い冬がやってくるのである。
 15号での、屋根が吹き飛ばされたままの千葉県の人たちも、さらなる被害の程度はわからないが、この冬を無事に自宅で乗り切ることができるのか。
 様々な不安と生活困難がいっぱいの被災者たちに、何かできることはないものか。哀しいほどのお天気となった今日、まさに、テレビを前にしていろんなことを考えさせられた。自分のところが無事だったから良かった、幸いだったとすましてヒトゴトとしてはならないと強く思う。

 連続多発する激甚災害の時代に我々はどう生きていけば良いのか。何をすべきなのか。

 それにしても昨日からテレビの報道を見ていてちょっと気になる「発言」がある。それは、ニュースの中で、アナウンサーが何度も「皆さん、ご自分で命を守る行動をとってください」と繰り返していたことだ。
 それだけ危険が迫っている事態だから、自分自身で身を守れという意味なのだと思う。それ自体は当然のことだ。のんびりかまえて、行政が助けに来てくれると思ってはならない、ということなのだろう。

 が、何か我は気になる。どこか気になる。自分で自分の身を護るのはごく当然のことだ。誰だって死にたくないし何とかしなくちゃと思うはずだ。それをことさらに、自分で命を守る行動をとれ、と言われると何かカチンと来てしまうのは、我だけか。
 まあ、何もかもが「自己責任」を求められる時代ではあるが。そこに行政や県・国の責任は問われないのだろうか。

 我の嫌いな言葉、昨今よく目に耳にする言葉に、「あくまでも自己責任でお願いします」というのがある。
 これは、何かを向うが教示してくれたとき等に、それを貴方がやった場合、結果として、もし何かトラブルなど起きたとしても(こちらは)責任はとりませんから、という「言い訳」である。
 たとえば、パソコンなどカスタマイズするとき、これこれこうすればメモリが増設できるという教示する記事があるとする。それを書いた人は、そうすればメモリ容量を増やせるという有益な情報を提供したわけだが、もしそれを読んでやってみた人が、その通りにうまくできなかったり、そのパソコンに不具合が生じたりした場合、抗議されたり責任を問われないようにとの予め「保身」のための言葉だ。その気持ちはわからなくもない。
 特に企業などの場合、結果として不具合やトラブルを生じさせた場合、社会的責任を取らねばならないから、何につけてもお客様がなさる場合は、どうかあくまでも「自己責任」でお願いしますと付け加えるのは必須のようだ。

 まあ仕方ないかもしれない。しかしこれを友人間で平気で用いる人もいる。とある知人が我の関心ありそうなサイト、そのURLをメール等で教示してくれたのは良いが、そこに「あくまでも自己責任で」観てと、付け加えてあってカチンと来た。そんなことを言うのは友人ではないと思うし、友人ならば万福の信頼もってそれを知らせるべきであり結果トラブルが起きたとしてもその「責任」を負うべき関係ではないのか。

 さておき、自然災害というのは、人的災害ではないから、あくまでも自己責任で自らの命は守らなくてはならないとお考えの人も多々いる。
 しかし本当の自然災害というのは、火山の噴火や地震のようなものだけで、河川の氾濫による水害とか大津波による原発事故もたぶんに人災の要素が大きいと我は考える。
 緊急災害時に、命を守る行動を自らとるのは当たり前であり、それをことさら何度も呼びかけねばならないほどの異常な、何十年に一度という大災害が年に何度も起こる社会は、まずそもそもそこにそれを招いた人的要素があると考えるべきだと思う。

 今さらながら、この世界的異常気象をもたらしたのは誰なのか、世界の政治家たち、とくに温暖化対策を何もしない日米の首脳たちこそ北欧の少女の訴えに改めて真摯に耳を傾けるべきではないか。
 このままでは、人類は核戦争などが起きなくても異常気象、海洋汚染、自然災害で、今世紀中に自滅してしまうだろう。
 我らの世代はもうあと数十年のうち死んでしまうからかまわないが、大人たちではなく、これからもさらに過酷な環境を生きていかねばならない若者、子供たちと野生動物たちが可哀想でならない。

 我々大人は彼らのために責任ある未来を残さねばならないのではないのか。それこそが、我々の「責任」だと思う。

颱風19号、「まずまずの被害」では全然なかった。2019年10月15日 23時15分42秒

★二階氏の発言に思う

 寒くなった。体感ではもう季節は冬である。この寒さの中、被災し今も体育館などの仮設避難所にいる人たち、家はあってもライフラインなど整わないで苦労されている方々はどれほど大変かと思う。屋根が飛ばされ、今もビニールシートで覆って隙間風に震えている人も多々おられるに違いない。

 自民党二階幹事長の先の発言が大きく取り上げられ批判されている。
 彼は13日、台風19号の被害を受けて開いた党の緊急役員会のあいさつで、「予測されて色々言われていたことから比べると、まずまずで収まったという感じだ」と語った。その時点で、死者が20人を超え、行方不明者の捜索も続く中での発言である。
 いや、じっさいこの我も颱風が通り過ぎた直後は、まずまずで被害は収まった、どころか、大騒ぎしたわりには大したことなかった、と拍子抜けした気分でいた。
 むろん雨は、前日から強く降り続き、これは河川の氾濫自体も起こるかもという「予感」はしていた。
 が、我ももその時点で問われれば、二階氏と同様の「発言」をしていたかと思う。それは個人の「実感」なのだから仕方ない。

 そう、人それぞれ何をどう感じとらえるかは全く違っている。昨日あたりから急に寒くなって、コタツやストーブが恋しいと思う人もいれば、先ほど街に出たら、公園では半ズボンのままサンダル履きでスマホに夢中になっている若い男がいてびっくりした。彼はたぶん寒いと感じていないのであろう。
 だから人それぞれの感覚、「私感」は大切に尊重されなくてはならないし、全員が同様の「感覚」を持つ必要はまったくない。
 しかし、今回の台風の被害は日を追うごとに明らかになってきて、現時点で、堤防決壊百ヶ所以上、住宅浸水四万棟、70名を越す死亡者、さらに行方不明の人も加えれば、おそらく百人前後の死者が出る、広範囲に大きな被害が出た激甚災害だとわかってきた。
 ならば、我も、今回は大したことなかったと、自分の地域だけ見た「実感」で全容を語ってはならないし、今さらながらその被害の大きさに心痛めている。3.11には及ばずともそれに準ずる巨大災害である。消費税増税後の日本経済にまたさらに大きなダメージを与えることは間違いない。

 二階幹事長は、迂闊につい口を滑らせたのだろう。しかし、台風通過後直後の、まだ情報がよく入ってきていない時点で、「まずまずで収まった感じ」という「私感」を、政治家、それも政権担当する党の重鎮が口にすべきではあってはならないことで、まさに颱風被害者を傷つけ愚弄する発言だと断じる。一市民が個人的に「私感」を述べるのならともかくも、だ。
 政治家は、一市民である前にまず「公人」なのだから、たとえ身内の会合のオフレコばなしであろうと、常に報じられて広く世間に流れ出る。まして政権与党の要職にある人が、被害全貌が判明する前に、20人を超える被害者が出ている最中に、「まずまずで収まった」とは、そう思ったとしても絶対に口に出してはいけないことであった。

 しかも二階氏は、その発言撤回も謝罪もすぐにはしないで、あくまでも傲岸不遜、人を人と思わぬ態度で、批判されても時間をおき「撤回」はずいぶん後になってからのことであった。それもしぶしぶに、という感じの仏頂面を貫いたままであった。きちんと心から謝罪したのか。いったい何様のつもりであろうか。
 人を人と思わぬ、傲岸不遜、弱者を傷つけ愚弄さえするのは、歴代最凶最悪の安倍政権の特質、本質であるが、安倍首相に並んで二階幹事長、この男の存在が大きいことを今回の「まずまず」発言は象徴している。

 地震や火山噴火と違い、台風ははっきり襲来の方向と時期もわかっている災害である。しかも今回の台風は、巨大で勢力もものすごいことは当初から予測されていた。
 現在百人規模の死亡者と数万人にも及ぶ被害を受けた人々に対して、これは自然災害だと言えるのだろうか。これは「人災」ではないのか。もっと事前に避難誘導できたのではないか。人災だとするならば、政府政権与党と、各地の行政、報道機関の責任もまた問われねばならないのでないか。
 これは繰り返す。毎年、この規模の台風、自然災害が日本を、地球規模で襲ってくる。人類にはそれを防ぐ手立てはあるか。まずはどう備えるか。

颱風19号、「まずまずの被害」では全然なかった・続2019年10月16日 23時31分57秒

★山梨もまた陸の孤島に

 我も迂闊にも、台風通過後、この辺りは大したことはなかった、と当ブログに記した。
 が、東京多摩地区でも豪雨によるかなりの被害が出ていて、今も孤立集落となっている地区もある。
 多摩の最西部・奥多摩町の日原地区は、道路が崩れて今も車が通れず徒歩でしか交通手段がない集落があるし、我の住む町のごく近く、よくドライブで行く日の出町の大久野地区も同様に道がなくなって移動手段のない地域があると知った。

 また、山梨県だが、ウチの倉庫兼古民家がある地区は里山の急傾斜地でもあって、そこいらはいま一体どういう状況であるのか、山は崩れていないか心配でならないのだが、行くに行けないままだ。
 というのは、まずJR中央本線は大月辺りで土砂が線路に押し寄せたとかで不通となっているし、中央高速道も上下ともやはり同様の状態で不通のまま。さらに我がよく利用している一般道・甲州街道もところどころ橋が損傷受けて通行ままならないとのことで、まさに行きたくとも行くに行けないのだ。

 数年前の冬、2月頃だったか、記録的大雪が降った。そのときも山梨県は、交通移動手段すべて失われてしまい県全体が豪雪の中、一週間も雪に閉ざされ「陸の孤島」となってしまった。心配で行きたくても行く手段がない。
 ボロイ古民家だったので、そのときは雪の重みで倒壊している覚悟もした。まあ、幸いにしてそのときは無事であったが。
 今回は長野側からのアクセスはできているようなので、完全な陸の孤島にはなっていないようだが、それでもスーパーなど食料品は流通が少なく不足していると報じられていた。
 少しは改善されたかどうかわからないが、もし出かけていたら、たぶん我は19日のコンサート当日までに帰ってこれたかどうか。

 あれだけの記録的雨量の雨が長く降ったのだった。河川の近くや田んぼ、そして山間部では河川の氾濫、堤防決壊、土砂崩れなどが起きて然るべきであった。
 数十年に一度のはずのこうした激甚災害が、毎年全国各地で多発するようになっている。今世紀は地球環境全体の危機の世紀ではないのか。

 小泉環境大臣は、気候変動問題、温暖化問題は「クールでセクシー」などとバカな言葉遊びする暇あらば、もっと与党首脳陣に、真剣な環境問題対策を強く求めてほしい。