2019.10.19.中川五郎さんと「共謀」コンサート、無事大盛況で終了す2019年10月20日 09時21分42秒

★さあ、ここからこれから解き放たれる

 昨日19日、谷保かけこみ亭で開催された、中川五郎古希・音楽活動50年過ぎ記念「五郎と共謀コンサート」は、多くの観客、多彩なゲスト、彼を慕い敬愛するたくさんのミュージシャンが集い無事大盛況のうちに終わった。
 参加された多くの皆さん、それに御大中川五郎さん長い時間お疲れさまでした。素晴らしい時間を共に過ごされた皆さんにただ感謝いたします。参加ご協力ありがとうございました。
 歴史と記憶に残る一夜になったと思うし、自分の中でも一つの大きな節目、厳しい峠をやっと乗り越えた気がしている。
 
 このところ自ら企画したコンサートを終えると、いつも翌朝起きたとき感じる気分は、長い旅から帰って来た時のような疲労感と安堵の気持ちであるが、今朝は特にそれが強い。登山を行った日の翌朝の気分にも近い。足腰がだるく痛く、身体の節々も痛くて鈍い頭痛もしている。自分では何も「演奏」はしなかったのに。でも気分は爽快だ。何より解き放たれた気分でいる。

 これから今回の「五郎と共謀」コンサート、当日の模様を時間を追ってこの場で公開していこうと思う。
 が、その前に、こうした音楽企画をいったん終えることにしたことについて、今の気持ちを自らのためにも記しておこう。

 まあ、ともかく大きなイベントを無事に終えて、この先の予定もなく、やっと背負ってきた荷物を降ろすことができる。のんびりは出来ないが、これまでの「旅」を振り返ろうと思う。
 登山家が、山から下りたら、リュックを開けてまず持ち運んだ装備品を点検し、汚れた靴を洗い濡れたシュラフなどを干すだろう。そして登山記録を記す。そうしたことをやろうと思う。
 そしてまた次の新たな登攀する山を定めて、計画を立てて準備を進めていく。我はまだ今はそんな予定は考えないが、まずは荷を降ろして、「点検」と「記録」をきちんとしていきたい。

 自分はミュージシャンやシンガーではなく、そもそも観客の延長から「企画」側に立った者だから、コンサートに対する感覚は、彼らとはまったく違う。
 演者というか、ステージに立つ側は、その日そのときが全てであり、基本終えたライブのことはあれこれ振り返らない。失敗も成功も含めて過ぎたことであり、また次の新たなるステージと観客のことしか考えない。
 それは、高坂一潮のうた『だびよんの鳥』が描いているように、「長い旅」の続きであり、日々次の演奏時にベストを尽くすだけなのだ。彼らはいつまでもそこに留まっていない。ある意味、ミュージシャンは旅芸人なのである。
 だが、観客側は、つねにここにいて、優れた映画を観たら何度も思い出して反芻し、ときに感想記をつけるようにその過ぎたときを記憶に留めるものだ。

 まして企画側は、その日そのときそこであった事を責任もって記録しないとならない。どんなミュージシャン、シンガーが登場し何が唄われたのか、観客の入りや反応はどうであったかも含めて。
 演者側は、歌い演奏することしかできないからこそ、観る側、特に企画する側はレスポンスとして終演後それをしないとならないのではないか。
 いや、観客としてただ純粋に音楽や演劇、映画を楽しむ側は、次々また新たなそれを楽しみに観に行けばよい。日々新たな旅芸人は、そこにやってくるのだから。
 そう、企画した側の責任だけが問われているのであった。それと我が関わり観たコンサートも同様に。

 思えば、1970年代半ば、大阪天王寺野音での春一番コンサートに出向いた時から、我はずっとそこでの音を録り写真も撮ってきた。それはそこであったことを記録しておかねばと考えたからだ。何でか?それは感心感嘆するほど素晴らしいものであったからだ。
 建物や風景は、モノだから基本そこに存在している。むろん日々少しづつ移り変わり消えたり新しいものになったり変貌していくものだが、いつでもこちらの都合で記録できる。
 しかし、パフォーマンス行為、中でもライブ音楽は、映画演劇などよりも可変的要素、即興性が高く、同じうた、演奏でもその日そのとき、場と参加メンバー、観客も異なれば出来はまったく違う。

 芸能音楽は形がない。絵画などの芸術は、作品として残るからどれほど時間が経とうとも条件があろうが鑑賞可能だ。が、目に見えない音楽、演者はそこにいても音と演奏は、あたかも風のように、その場を通り過ぎていく。そこにいた人の耳と心に深い余韻を残しながら。
 風の歌をきけ、という小説があったが、まさに歌、音楽とは風のようなもので、本来はその場にいてそれを聞いた人だけのものだった。
 今は科学の発達で、映像も含めて誰もがそれを記録保存、さらに公開、拡販することも可能になった。誰でも、その場にいなくても後でいつでも観ることができるようにしたのは、YouTubeの偉業であろう。
 しかし、それはいつの時代も変わらず、それを記録していた人がいてのはなしだ。どんなに素晴らしい歴史的価値がある出来事、イベント、記録的事件であろうと、文字も含めてそれを記録した人がいてのことだ。

 歴史とは何か、と問われて、文字に書かれたことこそが歴史だと言う至言が中島敦の小説にあったが、まさにあったこと、起こったことは、それをその場で観た人が、何であれ「記録」に残さないと、そしてそれを世に「公開」しないと「あったこと」にはならない。
 我はそう意識してずっと近年、高田渡の死の年、2005年から可能な限り、条件が許されるならば、行ったイベント、コンサートは音と写真などで記録するようにしてきた。それは膨大な量に上るはずだ。
 が、記録はしても「公開」しない限り、いや、公開しなくともそれが残ってることを告知・周知させない限り、それがあったことは世に残らない。なかったことになってしまう。
 特にこの我が死んでしまえば、すべては雲散霧消して「なかった」ことになる。老いてこのところその恐怖、不安を強く感じる。

 願わくば、そうして録りためた音源、画像をすべて時間と場所、個人こどに分別整理しデジタル化して、私的アーカイブスをつくりたいと思う。
アメリカには議会図書館があり、かのローマックス親子がいたことで、レッドベリーをはじめとして貴重なシンガーのうたが彼らの収集・尽力で残され今日も「生きて」歌われいる。
 日本では、伝統芸能、歌舞伎や能、狂言、落語などの一部の演芸は、公的機関の庇護の元にあるが、音楽、中でもポピュラーソング、ロックやフォークソングなどの大衆芸能、民衆音楽は国家は取り締まりはしたとしてもまったく価値を認めていない。まさに風のようにその日そのとき、どこかで吹いてはたちまち消えていく。その場にいた人たちだけが記憶に留めるが、彼らが死ねばそこに何も残らない。

 そうならぬためにも自分はこれまで録り溜めたライブ音源・映像などをきちんと整理してデジタル化してCD、DVD、あるいは、YouTubeなどに演者の了解・承諾が得られたらアップしていきたいと考えている。
 むろんこれからも時間とお金があれば、お誘い受けたライブ、イベントにはできるかぎり顔出してまた記録は続けるつもりでいる。また、音楽イベントもまた新たに企画出来たらという腹案もなくはない。
 が、いまは、まずは父の介護の傍ら、ひたすら家に籠って猫たちに餌やりつつ、パソコンに向かい音源と映像整理に取り組んでいくつもりでいる。
 その日そのとき、そこで何があったか。拙宅無頼庵は、それを鑑賞・公開できる場、アーカイブとして再開させたい。むろんいっぺんにはできない。少しづつ少しでも進めていく。

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