新しい年の新たな朝に2011年01月01日 09時55分17秒

★年頭に誓うこと

 年が明けて2011年になった。個々にもメールもしくは年賀状を出したいと思うが、まずはお読み頂いている方々に新年の挨拶をいたしたい。

 本年も何卒よろしくお付き合い下さい。皆様にとっても幸多き良い一年となりますように。そして元気かつ無事に今年も過ごせるようお祈りいたしたい。

 おそらく誰もが新年にあたって新たな気持ちで今年の抱負、もしくは誓いのようなものを立てるかと思う。
 自分もまた今年こそは、という強い思いがある。

 それは、ともかく全てに誠実でありたいということだ。他者に対しても自らに対してもまず誠実にきちんとしていきたいと思っている。

 旧年中はあまりに忙しくて頂いたメールにさえきちんと返信もできなかった。自分が関わったこと、書いたりしたことに対していろいろな思いやご意見、感想が届いたのに返答さえしていない方がいる。
 無視しているとか、レスポンスしないで良いとか考えたのではなく、きちんと返信しようと思いつつ、ともかく雑事に次々と追われて対応が追いついていかなかったのだ。懸案のことばかり溜まり山積みになっていく。心苦しい。
 
 また自らも何をするにも時間がなく、探し物や失くし物ばかり増えて苛立ち心底もう嫌気がさした。そんなことだけで一日が暮れてしまう。
 忙しいとか時間がないというのは、まったく理由にも言い訳にもならない。皆誰もがそれぞれ忙しくそれぞれの生活や人生にあくせくしているのである。自分だけが特別だと思ってはならない。

 今年は去年のように、出過ぎた身の程をわきまえないことに手を広げることなく、まずは自らの生活再建、人生をここからもう一度スタートさせたいと思っている。
 そのためには一つ一つきちんとさせて全てに誠実に向き合うことだ。今はまず手の内に入ることから始めていきたい。ささやかな幸福を大事にしたいと願う。
 
 どうか誰もが無事で楽しく健康で今年も生きられるように。そして争いや紛争がなくなり世界が平和になりますように。

 先ず内側=自分が変わらなければ外側=世界は変わらない。今年こそがんばりたい。丁寧に生き直したい。

今後の予定・1月の予定・前2011年01月02日 23時54分12秒

★年明けそうそう慌しくて申し訳ない。

 穏やかな三が日である。

 また私ごとを臆面なく書くと、元日そうそう我が家では一騒動あり、一年の計は元旦にあるならば、先が思いやられる一年となりそうだ。

 あまり愉快な話でないし、正月早々ご心配をかけてもいけないので、詳しいことは説明やめとくが、このところ親父の認知症の度が進み、奇矯な行動が元日からあって、まだ折れた肋骨のほうだって癒えていないのに、うろうろしてまた馬鹿なことをしでかそうとしているので息子はつい大声上げて激高してしまったのである。
 そうこうしているうちに二日は、東京に来て就職している甥っ子がやってきて、お雑煮とか食べさせたりしたのは良いのだけれど、今度は母のほうが調子を崩し、胃腸の痛みが悪化して午後から寝込んでしまった。

 久々に吐いたり下したりと、年末はわりと調子良くて、家事などできたのだが、その疲れが出たのかとも思うが、新年早々また振り出しに戻ったという感じである。まさに一進一退で、なかなか安心できる展望が見えてこない。

 実は、4日には、無頼庵のほうでは、友人知人を招いて、簡単な新年会のようなことを企画しているのだが、ちょっと正直なところ難しいかもしれない。母の世話だけで、一日が暮れてしまうし、もしかしたら病院に連れて行くことになりそうなので。

 また詳しくはお知らせしたい。毎度のことであり、もう心配してもきりがないが、何ごとも新年となったからといって、手放しで快方に向かうわけではないと思い知った。

新年そうそうの近況から2011年01月03日 22時01分07秒

★この現実を抱えながら自らもどう生きていくかだ

 仕方ないかなあと思う。まさか正月三が日から急患扱いで病院通いするとは想定外であった。
 母は、昨年末頃は体調良く、動けたしわりと食べられていた。悪い状態は去年と共に終わり、このまま新年から一気に回復すると当人も周りも楽観的に考えていたのだが、つい正月ということで、食べ過ぎたのか、昨日の午後から胃痛腹痛で苦しみ出し、一晩寝ても治まらず、様子見ていたが仕方なく今日の午後、車で立川の病院に急患として連れて行った。
 本人はこのまま入院させてほしいとかなり弱気になっていた。が、空きベッドもなく、正月ということで人手もないことで断られ、仕方なく点滴と痛み止めだけで帰された。今は薬が効いたのか、痛みは和らぎ大人しくしているが、今日は一日大騒ぎですっかり振り回されてしまった。

 親父はボケてるので何をしでかすかうっかり目が離せないし、食事の支度や彼らの世話だけで一日が慌しく過ぎていく。それでも母の体調が良ければ、父を母に任せて、こちらは食事の仕度だけして自分のことに専念できるのだが、母がうんうん唸って寝込んでしまうと、もう注文本の発送だって覚束ない。そこに大工との折衝も重なるとパニック状態だが、今は正月だから大工は来ずだいぶ楽である。

 それが去年の秋からの「現実」であり、今年からはそれも終わるかと考えていたのだが、やはり解放されることはないように思えてきた。自由になりたいと思わないでもないし、やりたいことはあれこれ思いつくが、すべてこの現実が優先されるのでそれはそれで仕方ない。
この現実を踏まえてその中でうまくやりくりしていくしかない。

 実は、九州に嫁いだ増坊の妹が今月10日過ぎからその週の間ぐらいは帰省し介護に来てくれる。看護婦のような仕事をしているので、任せたらこちらは出番がなくなるので、気晴らしにどこか旅行にでも出かけようかと考えていた。
 しかし、家の工事もまだ終わっていないし、施主としての務めもあるだろうし、今日の親たちの状態ではとても旅行どころの気分でなくなってしまった。
 希望としては、京都へ、北野天満の初天神へ行けたらなあと漠然と考えていたのだが。数年前、まだ藤村直樹さんも健在だった頃、彼のレコ発ライブで拾得へ行った頃を思い出す。ちょうど1月の終わりの頃で、京都の町には雪が舞っていた。自転車で京都駅前から北野へ、さらに北大路のほうまで小雪の中を走った記憶がある。すべてが今は懐かしい思い出だ。

 まあ、まだ自分にもできることがあるだろうし、何にせよ機会はまたあるはずだ。春が来て暖かくなればまた状況は変わってくると信じて、現実を受け入れ向き合っていくことから始めるしかない。

歳をとって見えてくるもの、わかってきたこと2011年01月04日 11時02分57秒

★なかなか予定が立たず申し訳ない

 新年も四日目である。穏やかな暖かい正月である。
 今年は暦の都合で、正月休みは短いようで、お店などはどこも明日5日から仕事初めとなるようだ。ウチの大工たちは6日に来るが。世間では実質今日で正月は終わりということだ。勤め人はどうか知らないが。

 母の具合は昨晩出してもらった頓服薬ブスコバンが効いたらしく続いていてた痛みは治まった。一応新年、今月の予定もなくはないのだが、病人や老人を抱えていると先のことが見えず、計画してもその通りに進まない。

 行く予定の友人知人たちが出るライブの予定などお知らせ告知したいが、自分も行けるか直前までわからないし、我が家・無頼庵で何か企画しようにも場合によってはキャンセルとなりそうでどうしたものかと思案中だ。そろそろ今年の予定、せめて今月分だけでも出したいと思うのだが。

 それはともかく母の病気だが、大岡山の漢方の大家の診断では、胃下垂のひどいの、ということで、食事療法と漢方薬を出して貰い、間もなく一月がたとうとしている。
 それが効いたか、効果のほどはというと、一時期よりは食べられるようにもなり、一応「病名」も判明したので、多少の対策もできるようになった。
 しかし、胃はともかく、このところは腸のほうが異常に活動していて、食べた後も食べないときもグルグルゴロゴロ周囲の人に聞こえるほどお腹が鳴るときがあり、そんな日は腹部がかなりチクチクと痛むようである。所謂過活動状態と言えよう。

 漢方医のほうでは胃潰瘍の対策だけしか指示してもらっていないので、先日電話で相談したら、そういうときは焼き塩を背中に当てて暖かくする、とか返答があったらしいが、じっさいの話、激しい痛みの時に江戸時代じゃあるまいし、そんなの気休め以外なにものでもない。

 思うに、漢方というのは、基本は自然界にある薬になるような草や食物を煎じてそのエッセンスを「薬」にして服用するものだから、言わば自然食のようなものだ。長く続けていけば体質改善し、効果を上げるだろうが、急な場合には果たしてどれほど効果があるのか。

 結局、激しい痛みの時は、漢方より直截効き目がすぐ現れる化学薬品を用いるしかないように思える。かといって、その漢方医の診断が誤りだとか無意味だとも思えない。何しろ原因不明で、検査を繰り返しても病名がわからなかった母の病気を突き止めてくれたのだからそれは凄いことだ。今は漢方をペースにして、痛みが激しいときは腸の活動を納めるブスコバンという薬を飲んでいこうと考えている。

 それにしても人間の体とは不思議なものである。胃が極端に下がり腸の中に埋没しているというのが事実だとして、体も冷えるし当然食欲もなくなり食べてもすぐに膨満感で食べられなくなる。そして、消化も悪くなり体は無理やり消化しようとして異常な活動を始める。
 一つ臓器が調子がおかしくなると胃腸全部がおかしくなり、体全体の体調が崩れていく。

 若いとき、自分も当時流行っていたサブカルとかニューエイジの風潮にかぶれて、ヨーガとか整体に少しだけ通ったり本を読んだことがあった。しかし、その頃は、親も自らも健康だったし、あくまでも頭の中でしか理解することはできなかった。
 今この歳になって、親も自分もよる年波でどこかしら常に悪くなると、漢方とか整体、陰陽、気の流れというようなことが実感として掴めるように思えてくる。人間もまた一つの小宇宙なのだと本当に思えてきた。
 自分には今30代の友人知人などが多いが、自分が当時その年代ではわからなかったように、人間の体の仕組み、血や気の流れというものが今にしてはっきりわかるようになった。それも老化の効用と言えよう。

 残念なことだが人は幸福なときはその幸福に気がつかない。大事なことは失って、なくなってからようやく気がつくものである。健康というものも今自らが老いて、病人を抱えてはっきり認識した。
 ならば老いることもそれほど悪くはないではないか。人は皆老い、病に苦しむ。それもまた楽しみそこから学ぶことができよう。

新年初ライブは寒空はだかプロデュースの遠峰あこ&バロン楽団2011年01月06日 01時11分55秒

★ああ楽しかった。帰り道エレアコも拾った。

 年明け初のライブは、吉祥寺曼荼羅2での寒空はだかさんの企画であった。零時は過ぎたが、青梅線に乗り遅れず無事に家に帰ってこれた。
 気の会う人たちばかりですごく楽しかったし、岡君、熊坂るっちゃん他多くの友人知人とも一堂に会せたので行って良かったと帰り道、幸福感を噛み締めながら帰ってきた次第。

 昼から何も食べていなかったので、駅を降りてから松屋で、キムチチゲの定食を汗かきながら食べた。そして近くのゴミ捨て場で、タカミネのエレアコを拾ったのである。芝居のセリフではないが、こいつは春から縁起が良いと思わずにんまりした。
 前にはオベーションのエレアコを持っていたのだが、秋口のライブの負債支払いに首が回らず売ってしまったから、久々のエレアコである。しかも名門タカミネ。少しづつこの人生も良い方向に向かっているのだろうか。

 ライブの詳しいことは明日合間見て書く。

ならば家にいてできることをやっていこう2011年01月07日 23時34分58秒

★慌しい日常がまた始まった。

 正月も終わり、昨日6日から大工が来るようになって「日常」が再開した。
 年明けてのんびりできたかというと、それは工事がないというだけで、私的には暮れも正月も何も変わることはない。何しろ居職なのである。
 問題は母の体調とか父の言動であり、落ち着いているときは出かけることも可能だが、悪いときは子として家族としてほったらかしにすることもできず、予定は常に彼らに左右されてしまう。

 年間会員となっている飯田橋の映画館ギンレイの年明けやっているプログラムが今日金曜までで、さほど食指が向く映画ではなかったが、会員はタダなので行く予定でいた。しかし、朝から母がお腹がまた痛いと騒ぎ出したので、出かけるのは断念した。
 映画自体は午後2時から6時ぐらいなのだが、家から都内まで出るのに片道どんなに早くても一時間以上かかり、昼から出ても戻るのは夜7時半頃と常になってしまう。つまり映画だけでその日はほぼ終わってしまうのだ。
 このところその一日が作れない。プログラムは二週ごとに変わり、2本立てだから月に2日だけ映画を観る日を決めれば行けるはずなのに、去年もほとんど行けなかった。これでは会員となる意味がない。

 思えば、一昨年までは年間1本も見逃さずほぼギンレイでかかる映画は観れた。月に4本、単純計算だと年間48本、約50本の新作公開作が半年ぐらい後に観れたのである。
 それが去年は5月の春一番コンサート以降、あれこれ超忙しくなってしまって晩秋までほとんど行けなくなってしまった。その半年間は全滅状態でようやく11月以降ぼちぼち行きだし、小林政弘監督の「春との旅」も遅れたものの観る事がかなった。しかし、このところまた行けない週も多くなってきた。まあ、それはそれでしょうがない。モノゴトには優先順位がある。

 家にいたおかげでようやく年賀状はほぼ書き終え出すことが出来た。何しろ大晦日に家の写真を撮り、それをハガキに印刷し、急拵えでまず届いた方々に返送したのが3日であり、ついでにお世話になった方々に出し始めて正月も6日になりやっと年賀状発送を終えたという次第だ。家に居ればやることもまた沢山ある。
 枚数の関係で関係者全員に出したというわけではないので届く方には届くがそれ以外の方々にも画像で公開しておく。

まずここから、今できることを2011年01月08日 22時33分51秒

★何をどうしたら良いものかと迷うけれど・・・

 先に母の具合は、快方に向かっていると書いた。が、今現在の状況を書くと、果たしてどうか一進一退、足踏みなのか、あるいはさらに悪化しているのか正直わからない。先は未だ見えない。いったいどうしたものかと困惑するばかりだ。

 年明けてから二日まあ食べられて動ける日が続くと、三日目には腸が外からも聴こえるほど激しくゴロゴロぐちゃぐちゃと鳴り出し、そういう時は食欲ないし無理して食べせても食べられず消化もできず、痛みに唸った挙句吐いたり下したりして少しは収まる。もちろんそうなると体力も消耗し後は意識不明的に寝込んでしまう。
 お腹が鳴り出し痛くなるとブスコバンという活動を押さえる薬を飲めば今まで効果あったのだが、頻繁に飲みすぎたせいか今日は飲んでも全然効かなかった。

 今、母は吐いてようやく腹も静かになった、ともかくもう寝るとのことで自分は二階に上がりこれを記しているわけだが、このまま食べられずこの状況が続けばさらに体重は落ち早晩自然死となるかと思う。漢方が効いていないとは思わないが、異常な腸の過活動に対して今のところ対処法、その打つ手が見つからない。まだ自分には死を受け入れる覚悟もできていない。

 ならばとことんあがいて、どうにか何ができるか模索していくしかない。まだ諦めもしていないし、絶望も諦観も冷めてもいない。ただ、何とかなるだろうという安易な楽観主義でいられる余裕はもうなくなった。

 これは自分だけの特別な話ではない。老いた死に向かいつつある病人を抱える家族は誰だって同じ気持ちになるだろう。自分だけが特別だとか特異な話では決してない。だからこそこの状況を書く。

 書かないことが人として、大人としての矜持かもしれないとも思う。こんなことは特別な話ではなく、誰にでも起こるごくありふれた話である。つまり人の子として生まれれば親を看取り死に臨むごく普通の道筋なのかと今にしてわかる。

 また読み手にとっても愉快なことではなく、おそらく心配し不安な気分にさせるだけであろう。人は好き好んで辛い大変な話や憂鬱なことは知りたくないものなのだから。
 
 でも勝手ながら、書く側とすれば、今一番当面の問題にふれず、他のことを書くことは辛くてとてもできやしない。これがプロの芸人なら、例え妻が自殺するような事態であろうとも、既に決まっていた公演は穴をあけず笑顔で舞台を務めるのだろうしそうあるべきだと思うが、自分はそこまでできやしない。

 まずは当面の、今一番頭を占めていることから書かない限り書いたことにはならない。そして、書きつつまたそこから出口や救いが沸いてくる。それは解決でなくとも気持ちを切り替えて、なにくそ、よし、また頑張ろうという気持ちになれるのだ。

 人生は大変なものなのだ。そして面倒なことばかりだ。思い通りにならないし、振り回されるばかりである。しかし人は無人島で生きていないし、木の股から生まれたものでないのだから、その全てを受け入れていくしかない。
 これこそが人が生きていること、人生そのものなのだと、やせ衰えた母の背中をさすって、実感としてわかってきた。そう何があろうと人は生きている間だけのことだ。その中で係わり合い精一杯今出来ることをやっていくしかない。
 慌てない、焦らない、諦めない。何も特別なことではない。まずここから、今出来ることをやっていく。それは何だって同じ。暗中模索で試行錯誤の連続だけれど。

家作り近況報告から2011年01月09日 21時35分18秒

★病院通いの日が続く

 新年も9日目となり、世間は早くも三連休だそうだが、大工・職人の世界ではそんな悠長なことを言ってたら商売にならないので基本は日曜だけ休みで昨日も明日も通常通りの仕事日となる。

 今日は日曜なので大工は休み、久々に寝坊して8時頃起きた。思うが、10時と3時のお茶出しがないだけ気が楽で、大工が来る日は正直追い立てられているようで気が休まらない。母が体調を崩したのも長引き先が見えない家の工事もかなり関係していると思える。
 のんびり出来た日曜の夜に思うことを記す。今日は母、まあ軽くだけれど食べられた。深夜になって痛まないとよいが。

 それはともかく、年明けてからだけで、母が2回、父が1回、そして老犬が1回と、既に人犬合わせて4日車出して病院に連れて行っている。二日に一回の割合で病院通いが続くのはいかがなものかと思う。時間とられてしょうがない。

 父は、もう10年ぐらい前に受けた前立腺の手術の経過検査だから、どこか悪くて行ったのではない定期検査だからともかくも、本当は年末の予約だったのが風邪ひいたので1月頭になったのと、老犬はこのところの寒さで一気に弱ってきて、16歳という歳でもあり、この数日フラフラして歩けなくなったので昨日午前、病気以前に栄養剤など注射を2本打ってもらい何とか持ち直してきた。歳をとるのは人も犬も大変なのだ。

 改めて思うがこうなるとまったく身動き取れないなあ、と苦笑するしかない。一番動ける若手である50代の自分が孤軍奮闘中である。

 で、家作りのほうだが、新年からまた工事が再開し、平日はまた騒がしく職人が出入りしているのだが、二階はほぼ完成となったものの、一回の造作はまだ手付かずの部分も多々あり、昨日ようやく廊下の床貼りが始まり、その他、トイレも風呂場も台所も完成しように至っていない。薪ストーブも届いたものの、きちんと設置されていない。
 
 先に今月1月中にはほぼ完成するのではないかと書いた気がするが、今の感じでは、そこで生活できるようにはまだならないような気がしてきた。
 以前から家が完成したら、友人知人たちをお招きして完成公開の披露(疲労)パーティーを三日三晩催すと公約してきた。今もその気持ち
は変わらないが、そのメドも予定もじっさいのとろこ立たない。
 お客を呼ぶにも皆さんご都合もあるだろうし、その日が来ても職人が出入りしていたら興醒めなので、やはり一階の台所が出来、風呂はともかくトイレが使えるようになってから告知することにしたい。
 現在も二階の新トイレは使用可能なのだが、人も大勢来るだろうし、料理を裏の台所で作って新館に運ぶのも面倒なので、薪ストーブの火入れを兼ねてその新台所も活躍するパーティとしたいと考えた。

 なので、やはり早くとも2月半ばかそれ以降と「予定」したほうが確実だと思える。新しいキッチンを使い生活できるようにするには、裏の台所のものもこちらに運ばないとならないからだ。
 もちろん全く新しいシステムキッチンを導入すれば楽で簡便で、新たにフライパンや鍋を買えば済む話だが、キッチン自体も大工に頼んだ手作りの注文なので、使い勝手も含めてまだまだ検討と試行錯誤することは間違いない。

 何にしろ家作りは大変だと今にして思う。もちろん大工や設計士にお任せして、こちらは出来上がったところに住むだけなら簡便だろうが、きっと不満がのちのち多々出てくるだろうし、だったら職人と共に現場で作りながら考え拵えていくほうが納得得心できよう。

 いずれにせよ、そんなこんなでもはや家に縛られ身動き取れないならば、ここを拠点にしてできることを考えていくしかない。自分が出かけられないなら人に来てもらおう。そう考えて、ブックカフェとか始めようと考えたのだ。

老犬ルチャ子死す2011年01月10日 23時23分21秒

★まだ実感がわかないが今夕愛犬が死んだ。

 この数日来、高齢とこのところの寒波で体調を崩していた我が家で最高齢の雌犬ルチャ子が先ほど急死した。まだ気持ちの整理がつかないどころかその実感もわかない。その姿もいつも通り眠っているようにしか見えないのにもう息はしていない。こんなにあっけなく逝ってしまうとは正直まったく予想も出来なかった。

 16歳という、人間で言えば八十歳以上に当る高齢犬のルチャ子は、この数日、食欲もなくなり寝てばかりとなって傍目にも弱ってきたのがはっきりわかった。だから、一昨日の土曜日午前、近所のかかりつけの老先生のところへ連れて行き、とりあえずビタミン剤とブドウ糖などの栄養剤の点滴注射を受けた。
 そしたら、昨日は元気になり、食欲も出たし朝からいつも通りに散歩できるほど回復した。

 しかしまた今朝からは足がふらつきまた食べなくなってしまい、高級缶詰を開けてようやく少し食べ始めたのだが、少ししたら全部戻してしまったので、近所の老先生のところは祝日で休診なので、午後、立川寄りの大きな動物病院に車で連れて行った。

 そこで血液検査をし診断受けたのだが、熱も高く、腎臓も悪いが肝臓の数値がひどく悪いこと、貧血でもあり、まずは点滴受けたのだが、重篤状態であり、精密検査して集中治療室に入れるか、毎日点滴受けに連れてくることを提案された。
 歳も歳であり、今さら手術とかしないことを伝え、内服治療で様子を見ることを伝えて、ともかく帰ってきた。行きは涎を垂らしたりどこか痛み苦しいのか車内で暴れたルチャ子だったが、帰り道は点滴のせいか静かになりうつらうつらしていた。

 家に戻ってきて、家の中の暖かい部屋で、ちょうど体が納まる大きさのパイナップルの入っていたダンボール箱に入れて寝かせておいた。自分は大工との打ち合わせやら本の発送に追われて、二階であれこれ忙しかったから親父達に容態を見るの任せていた。
 ルチャはいったん水をかなり飲み、それからはまた寝続け、疲れているのだと思ったし、点滴が効いて起きて元気になったら何を食べさそうかと考えていた。
 一度ルチャ子の様子を見に下に降りたときは、箱の中で体を捻じ曲げてかなり苦しそうに激しい息をしていて心配になったが、母たちの話だと先ほどまで起きて徘徊し、部屋の隅に行っては鼻先を突っ込んで身動き取れなくなり騒ぐので、箱の中なら安心だからこのほうが良いのだと言う。こちらも本の発送時間が迫っていたからまた自室へ戻った。

 そして、7時過ぎ、3冊注文本の梱包を終えて、それを持って車でヤマトのセンターへ出かけようと下の部屋に行ったら、父が部屋から出てきて、今伝えに行こうとしたのだが、ルチャ、もう息をしていないと言う。さっきまで荒い息を立てていたのが静かになったので眠ったのだと思っていたら、よく見たらもう動いていないと。

 慌てて確認したら、まだ体は温かく柔らかいのにもう目は明けたままで息していない。マッサージして揺り動かしても何も反応しない。この数日前まで、歳のわりに元気だねと誰にも言われていたし、昨日もいったん回復してしっかり食べて歩けたのに、あっと言う間に死んでしまった。

 今もルチャは箱の中で、いつも通り丸くなって眠っているようにしか見えない。声をかければすぐに目覚めそうに思える。見る限りまだその死が信じられない。しかしさわればもう体は硬く、魂はそこにないことを知らせている。

 ルチャ子は小型犬の血が入っていたから、我が家では他の犬、賢いラブラドル系の犬たちに比べられて、バカ犬だと人からも他の犬からも馬鹿にされ軽く扱われていた。
 でも今、この死を迎えてルチャ子はルチャ子なりに今この家の現状を考えて長患いせずに死んだのだとはっきりわかった。正直に告白すると、動物病院の帰り道、母の病気に加えて、これからルチャまでも毎日点滴に連れて行くことに危惧を覚えていた。いったいどうなるのだろうと先行きを考え暗澹たる不安な気持ちでいたのだ。

 動物は飼主に報いるという。ルチャは母の状態を知って、ならば自分はこれ以上看病に時間と労力をとらせては申し訳ないと思って急死を選んだのだろう。今はそうとしか考えられない。

 今まで駄犬だとかバカ犬だとか疎んじてきたことを心から悔やむ。彼女は死をもって忠犬である証を示してくれたのだ。本当に有難う。16年もの年月を一緒に過ごせて良かった。次の世でもまた一緒に暮らそう。その犬と暮らしたこと永久に忘れない。

 悔いは多々残るが天寿を全うしたと思うしかない。犬は人に多くのものを与えてくれた。その無償の愛に自分はどれだけ報えたのか。

ご心配ご厚情ありがとうございました。2011年01月12日 21時49分50秒

★気を取り直して人生を続けていく。

 犬の件で、いろいろご心配おかけしました。また、励ましと同情のご連絡誠にありがとうございました。

 老犬の死に際して、その犬を知る方、また犬以前に直接増坊自身と面識もない方からも励ましと同情の暖かいメールを頂きました。今思うは、ルチャは最後まで幸せな犬だったなあという満足感です。そして私も有難いことでした。改めてここで皆さんのその思いやりの心に深く感謝いたします。

 16年も生きたことだし、十分生を全うしたという思いあるものの、せめてもう1年ぐらい新しく出来た家の中で、ゆっくり面倒を見てやり共に生きたかったという悔いが残ります。
 そして犬の人生のスピードの速さを思い、だからこそもっともっとやさしくしてやれば良かった、たっぷり可愛がることができなかった、可哀相なことをしたという苦い思いが消えない。

 しかしもう今は、自分が関わる、目に映るすべてのことに対して優しい気持ちになっている。今まではすぐに怒り、苛立ち、焦り悩むという負の感情に支配されていたけれど、「死」を前にしてしまうと全てはどうでもいい意味も価値も持たなくなった。

 それはルチャに限らず、これまで死んでいった親戚や友人、仲間たちが教えてくれたことで、死の直後はいつもそう思い、生き方を変えようと誓うのに、愚かでバカな自分は時間がたつと元に戻り、つまらぬ小さいことに囚われて怒り苛立ち本当に大事なことを見失ってしまう。

 でも今度こそようやく目が覚めた。そう、ルチャだけが特別なわけではない。死は常に身近に、傍らにある。次は誰の番か、自分さえ当事者となるかもしれない。

 どうせ間もなく誰もが死ぬ。だとしたら、いや、だからこそ今を大切にして出会う人、全ての者共を愛し慈しみ大事にして付き合っていこう。つまらぬ事で声を荒げ怒ることや、どうでもいい小さなことにくよくよ悩んだりはもうしない。

 関わる全てを愛し大切にしていきたいと今心底願っている。