久しぶりの19日、国会議事堂前に来て思う2016年06月19日 20時26分29秒

★様々な溝と壁を越えて、改めて連帯と共鳴共感を!

 ようやく気持ちは戻った。いや、気持ちを切り替えるためには無理しても外に出て、今一度我にとってのうたの原点、国会前に出向く必要があった。

 先にも告知したが、久々の19日、国会前に来た。今回は沖縄での県民大会に連帯集会が目的だ。ぶらいあんずのM氏と共に集会後、ギターで唄ったがいろんな意味で反応はもう一つであった。主催者発表で一万人とされたが、実感ではそうは思えない人出であった。むろんその前に四万人集まった大集会もあったから、そうした振幅も当然あるのだろうが。

 そもそも参加者が少なく、去年の夏ごろのような熱気と一体感が今回はあまり感じられない。むろんその場に来た方々はそれぞれ独自の様そうで、思うところを強くアピールすべく工夫を凝らしている。
 しかし、それに対しての横のつながり、共感の度合いのようなものがあの去年の夏に比べて冷えてしまったようで、その個々のグループ、仲間うちでは、相変わらず親しげでも他の仲間たちとはバラバラ、一線を画していて、あの時の一体感、高揚感がそこにはもう消えてしまっていた。
 シールズのような群衆を鼓舞するアジテーター軍団がいなかったということもある。が、あのときは、戦争法成立断固阻止という、皆にとって眼前の共通の強い熱い願いがあり、その場に来た者たちは歳も所属も環境もあらゆる立場を越えて共に一体となって前線にいるのだという思いを共有していた気がする。
 つまり個々を越えて何か一つの思いに結び付けられていた。今思うとあんなときは夢のようだ。昂ぶる一体感の中に皆がいた。我は60年安保は体験していないが、きっとあのときも国会周辺におしよせた群衆の思いは本当に一つであったのだろう。

 しかし、あれから半年近く経ち、状況は沖縄も含めてさらに悪化しているというのにも関わらず、何故か思いが結束できていないというのか、それぞれが内側に向かい、内的に委縮してしまったように、今回の集会では思えてならなかった。声が小さい、さらに高齢化が目立つ、そして他者に対して無関心。対話がない。それぞれ独自に活動はしてもその運動をもっと広げようとしていく気概が感じられない。

 これではダメなのだ。皆の思いはひとつのはずだ。その思いをさらに大きく熱く燃え上がらせ、確信にしていかない限り、自公という金で結びついた薄汚いご都合主義者とその支持者たちには勝てやしない。彼らは金と権力を持っている。そして組織もある。それに比べて我らは何と貧しく非力であることかは言うまでもない。
 正義とか正論だとしても当たり前のことが通用しないのがこの世の中なのである。はっきり言えば、沖縄で二十歳の娘がアメリカの軍属に暴行のうえ殺されぼろきれのように捨て去られても都心の人にはちっとも関係ない。そんなのは沖縄ではよくあることで、沖縄だけの問題だと内地の者は思ってしまう。
 沖縄や横田や厚木、基地周辺の住民にだけ負担を押し付け、日米安保に胡坐をかき、いや、そもそも安保条約とは何か、何故米軍が独立国日本に駐留しているのか、そのための思いやり予算も日米地位協定も何一つ知ることも考えることもなく、目先の経済、つまりアベノミクスというその場しのぎの景気浮揚政策だけに心奪われている多くの日本人にいったいどうしたら本当のこと、本当の大問題が届くのか。

 人は本当に痛い目に、沖縄で日常的に起きているようなことが我が身に降りかからない限り、目が覚めないのであろうか。基地があるという現実、そして戦争がそこまで迫っているという現状認識、それが起きない限り永久に気が付かないものなのであろうか。
 人はそれぞれ違う。立場も認識も全てが違っている。そしてそれは仕方ないのである。だからこそ、まず我らがその個々の溝と立ちはだかる壁を越えて、心開いて誰彼なく対話していかねばならない。
 その垣根をとっぱらう一つの手段として「うた」があると信ずる。

 うたはもっと外へ、人の中に。これこそが我が誓いであるが、今日のやや苦い思いを噛みしめて、だからこそうたで人と人とを繋ぐ努力をしていかねばならないのだと強く思った。むろんそんな力が我にあるかも問われている。しかし、世界が多様であるためにもそこにうたは欠かすことができないはずだし求められる日がきっと来ると信じて。

 誰にもごくごくまっとうな思いがある。今の政治に対して疑問や怒りは抱いている。ならばこそ、人はもっともっと「今」を変えるべく何かしら少しでもそのときできることをその場所から始めていくべきではないか。
 それすらしないで、政治がひどい、だまされた、政治家は悪い奴ばかりだと罵るのは何一つ意味がない。さらには政治に関心を失い、選挙すら放棄していく。それでは世界は何も変わらない。皆で緩慢な自殺に向かうようなものだ。

 改めて今一度、それぞれの抱える溝や壁を越えて人と人とがもっと繋がっていくように我も含めて努力しないとならない。こんな集会に集まったって沖縄と漣帝にもなりやしないのではないのか。それこそ自己満足でしかないかもと我が身に向かい自問自答しながら帰った。
 そう、よほど心して本気で参院選取り組まないと、今のままではまたもや自公が大勝してしまう。人は何度だってだまされる。いや、不都合な真実に向き合うより、甘い夢みて騙されていたいのである。

 その「すぐそこにある危機」に対して、我も含めてあまりにもノンキであったと気づく。今日久々に国会前に行けて「ぶらいあんず」でM氏と共に演れたことは大きな喜びであったが、これからも次を見据え、繋げ続けていかねばならないと誓いあい別れた。