癌と共に楽しく暮らしていく2012年09月24日 23時33分36秒

★ありがたい事にまた「執行猶予」がついた。

 私ごとを書く。母の癌の経過報告である。
 
 今日、午前10時の予約で、立川の掛りつけの病院で、先だっての再検査の結果を受けて担当の女医と今後のことについて面談があった。その報告。

 これまでの経緯を簡単に記すと、母の癌は再発後、半年間抗癌剤の投与を受けた。それが今春に終わり、PETという最新の画像撮影の結果、一応その効果は見られ、そもそもの原発部位である腹部、大腸が直腸の繋がる辺りにあった腫瘍はだいぶ小さくなっていた。しかし、それとは別に両の肺に小さいが新たな転移がいくつかあることも見つかった。先だってそのこともすぐ拙ブログで報告したが、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった。
 
 そのとき担当女医の話では、またさらに抗癌剤を続けることは奨められない。また、癌はあちこちに散らばっているので、放射線をスポットで当てることもできない。ただ、歳も歳なのでさほど急には大きくならないだろうからもう少し様子見てみてからという事で秋まで今後新たな治療は「保留」とさせてもらっていたのだ。
 それで先日、またCTを撮って、肺も含めて癌の進行度を再度確認したという次第である。今はもう抗癌剤はやめて治療は何もしていないのだから、もしかしたらまた癌は拡大しているかもという不安もあったし、転移した肺の部分もどうなったか気にはなっていた。
 
 しかし幸い、今日聞いた結果では、PETでの検査よりCTは精度が低かったせいか、腹部に残っていた癌は映ってなかった。まさか「消えた」とは思わないが、それだけさらに小さくなっていたとも考えられるのでそれは良い徴であろう。もう一つの問題の肺のほうも、画像に映っているかぎり、先のときと変わらない大きさのようで、女医は問題としなかった。
 なので、今はとくに不自由はなく日常生活も送れているなら冬までこのまま様子観て、12月にまた再度CTを撮れば良いということになった。その時、肥大もしくは進行が見られればまた新たな治療法を考えるということを決めて、「お大事にね~」ということで面談は終わった。

 この数日、あれこれ最悪の事態さえも考えて、その「覚悟」もしていたので、やや拍子抜けした気したが、診察室を出て考えた、いや、感じたことは、「執行猶予」がついた!という感慨であった。おかしな表現だが、とりあえず次回の診察まで3ヶ月の間は、もう癌に脅えなくて良いということだと思えた。とりあえず猶予されたのだと。
 裁判の判決でも、刑が下っても、「実刑」判決でない限り、懲役3年の刑でも「執行猶予」がつけば、その期間犯罪を起こさなければ刑務所に入らないで済む。
 人は皆、いずれは死に囚われる囚人だと考えれば、いつその「実刑」が下されても不思議でもないしいたく当然なのだが、癌の場合は特に常にその「裁判」中という気がしている。だから今回もまた判決が下り、執行猶予がついた!と思えたのだ。

 何ともあれ、これから忙しくなる秋を迎え、母のことは自分も大いに助かったという思いでいる。何しろ12月まで病院通いは免除されたのだ。もし悪い結果が今日出たら、新たな治療や検査でまた立川へ頻繁に病院通いに追われることになっただろう。本当に有り難い気がした。

 これも週に三日、気長に打ち続けている丸山ワクチンのおかげかとも思う。あんなのは迷信だとか、気休めに過ぎず、効果のほどは定かではないと言う声もある。特に今かかっている立川の医師たち、はっきりとは口にしないがどうやらそうした心証を感ずる。でも、今、抗癌剤をやめた後も癌は治まっているならばそれはやはり効果があったと考えても良いと思える。もし、今同様の状況にあり、癌の進行に不安を抱えている方がいたら自分は迷うことなく丸山ワクチンを始めてみることを勧める。面倒でもやってみる価値はある。
 ご存知かもしれないが、このワクチンは癌自体と直接闘い治す薬ではない。免疫力を高めるのに効果があるだけである。しかし、病は気からという諺があるように、逆に、効果があると信ずることだけだって癌を小さくさせる「効き目」はあるかと思う。つまり「健康もまた気から」なのである。

 古本屋として古今東西の様々な健康法や病気に対処するハウツー本を手に取ってきた。この世には「○○で癌が消えた!」「△△健康法」という類の本は何千冊も出ている。どれもそれなりに医学的裏づけがあるように最もらしく書いている。

 その中でもなるほど、と感じたのは、「癌などの不治の病にかかった人には告知しない、してはならない」という「治療法」であった。今日の風潮に逆行するかもしれないが、要するに患者にそのことを知らせてしまうと、患者は常にその病気のことばかり考え、死ぬことばかりが頭を満たす、それが結果として悪いイメージトレーニングとなって病気はさらに悪化してしまう、という論なのである。むろん、患者に告知してその病気と闘う、ゼッタイ治ると信ずるイメージトレーニングもあるし、それもまた効果があると信ずる。しかし、一番良いのはそもそも知らせないこと、病気のことを考えないこと、というのはまた真理のように思える。

 じっさい病気などくよくよ考えても良くはらない。そんなことを考え鬱々するより楽しいことを考え遊んで皆で愉快に過ごすほうがよほど効果があるはずだ。実はそれこそが増坊の母の考え方なのでもある。癌など忘れて遊んで楽しく暮らしているうちにいつしか死ぬだろうと。

 母はまた来月も旅行に行く計画を立てている。長野には母の妹とその娘が佐久近辺にいる。今度はそこでやや長逗留してくるつもりらしい。そう、人はいずれいつかは何であれ必ず死ぬ。ならば死は思うより忘れて日々面白おかしく生きるという生きかたもまたありかと思える。死を真面目に考えるのはまだしも、死を怖れびくびく脅えて生きることぐらいバカバカしいことはない。
 だから、「死を思え」、ではなく「死を忘れろ」、であろう。考えても答えの出ないことは考えないにこしたことはない。

 
 肩の荷が下りたという表現がある。今の気分は肩はともかく、昨日までと比べて急に全身がふわっと軽くなったよう感じがしている。おかげ様でほっとしている。皆様にもどうか神のご加護がありますように。ありがとうございました。

コメント

_ (未記入) ― 2012/09/25 09時08分34秒

お母様のこと、まずまずよかったですね。ご本人の病についてのお考えは説得力があります。癌の告知については、小生は考えがすこし揺らいできました。

_ モジロー ― 2012/09/26 11時44分06秒

先のコメント、名前を入れ忘れました。
ついでに、補足。高齢者の癌の告知については機械的に告知しないほうがいいだろうと思います。わが父親は87歳。大腸癌の疑いがあるから検査を、といわれましたが、検査も受けないことにしました。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2012/09/24/6583582/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。