映画塾画像 ― 2013年08月18日 11時28分32秒
★今回も大盛況でした。
人はいかに死すべきか ― 2013年08月18日 22時19分45秒
★山口富士男の死にかこつけて思うことなど ランキング・156位
相変わらずうんざりするほど暑い。
今日は三留まゆみ映画塾で、夏季休暇中でもあり、帰省したりしている人もいるのでさほど人は来ないと三留は言ってたが、ふたを開けてみればしっかり16人。けっこう新規の参加者もいて、予想はしていたが、この企画、常に外れはない。満足できた。今終えてほっとしている。ただ、こう暑いともはや冷房が効かず、最低限度にセットしても部屋は熱い参加者の映画熱で、コミケ会場のように暑いままなのだ。冷たい飲み物がいくら補充してもたちどころに消えた。
今その来客を送ってこれを記す。16人でもう十分なのである。かつてウチにもオープニングのとき30人ぐらい入れた記憶もあるが、そうなると収拾つかないし、座る場所もなくなる。ただ人がいっぱいであたふたがたがたしているうちにイベントは終わってしまう。
何回か、拙宅でイベントをやって見えてきたことは一つの部屋で皆で集まるにはせいぜい15人ぐらいで十分なのである。それを越すと、どんなイベントや集まりでも気が分散して場がいくつかに拡散してしまう。濃い一つに集中した、双方向の人間関係を共に築くには15名ぐらいが限度だと見えてきた。それ以上はもう一つ場に人は統合できない。
まあともかくこうして常にコンスタントに15名前後の人たちが来てくれるのだから、この企画は成功したし、ホスト側としては満足である。気になるのはどこまで広く新たな参加者が増えるかであり、今日などは所要で来れない人の分を常に新規の参加者で埋めていっているのだから理想的だと思える。あまりいつも常連客だけで満席というのは有り難くも手放しで喜べる事態ではないし、かといって一度来てくれた方が二度と来ないのでは情けない。基本、入れ替わり立ち変わり人がコンスタントに一定してきてくれるのが一番望ましい。今はこの映画塾、それができている。主人公三留まゆみの人徳なのであろう。さすが自主映画一筋30有余年である。
さて、本題、山口富士男である。けっこう新聞やネットで三面記事の下にときに顔写真入りで訃報が報じられて、ちょっと意外な気がした。故人には申し訳ないが、そんな有名人でニュースになる人なの?って感じである。じっさい、今の人たちにとってその名を訊いたって、誰それ?ではないのか。
でも俺にとっては、マーク・ボランやレノンに匹敵するカリスマ的な人物であり、驚きはしないが、その死に、死に方にまた複雑な思いがある。この数日じっさい彼のことばかりずっと考えている。死んでも仕方ないと思う反面、何でかなー、何もこんな死に方でなくてもという思いにずっと苛まれている。それは中島らものときにも思った気持ちだ。
一言でいえば、ジャンキー的うっかり死というべきか。健康な普通の人ならば、それでウカツにも死ぬなんてありえない死に方のことを言ってる。いや、オレもその仲間だからそう強く感じるのかもしれない。
実はわたくし今ヘロヘロべろべろ、きょうのお客様の接待で、料理は作って出したが自らは基本ほとんど昼から何も食べず、呑みまくって泥酔状態である。この山口富士男のことも素面では書けなかった。書きたくても躊躇していた。でも今酔っているからうっかり書き始めてしまった。
泣きはしない。人の死にいつも思うのは、何でだ!っという憤るような気持ちだけだ。そんなつまらないくだらない死に方するなよ、である。まったくもー。でもそれもまた人生の幕引き、末路なのかという諦めのような気持ちもある。
本当に最後の伝説の男が死んだ。もうあの時代を生きた、カリスマたる伝説の人はいないのではないか。今まで生きていたこと自体が不思議な気持ちさえ今思う。自分にとって浅川マキと並ぶ最後のカリスマであったのだと今気がついた。
彼のことはもう一回素面で書いておきたい。
相変わらずうんざりするほど暑い。
今日は三留まゆみ映画塾で、夏季休暇中でもあり、帰省したりしている人もいるのでさほど人は来ないと三留は言ってたが、ふたを開けてみればしっかり16人。けっこう新規の参加者もいて、予想はしていたが、この企画、常に外れはない。満足できた。今終えてほっとしている。ただ、こう暑いともはや冷房が効かず、最低限度にセットしても部屋は熱い参加者の映画熱で、コミケ会場のように暑いままなのだ。冷たい飲み物がいくら補充してもたちどころに消えた。
今その来客を送ってこれを記す。16人でもう十分なのである。かつてウチにもオープニングのとき30人ぐらい入れた記憶もあるが、そうなると収拾つかないし、座る場所もなくなる。ただ人がいっぱいであたふたがたがたしているうちにイベントは終わってしまう。
何回か、拙宅でイベントをやって見えてきたことは一つの部屋で皆で集まるにはせいぜい15人ぐらいで十分なのである。それを越すと、どんなイベントや集まりでも気が分散して場がいくつかに拡散してしまう。濃い一つに集中した、双方向の人間関係を共に築くには15名ぐらいが限度だと見えてきた。それ以上はもう一つ場に人は統合できない。
まあともかくこうして常にコンスタントに15名前後の人たちが来てくれるのだから、この企画は成功したし、ホスト側としては満足である。気になるのはどこまで広く新たな参加者が増えるかであり、今日などは所要で来れない人の分を常に新規の参加者で埋めていっているのだから理想的だと思える。あまりいつも常連客だけで満席というのは有り難くも手放しで喜べる事態ではないし、かといって一度来てくれた方が二度と来ないのでは情けない。基本、入れ替わり立ち変わり人がコンスタントに一定してきてくれるのが一番望ましい。今はこの映画塾、それができている。主人公三留まゆみの人徳なのであろう。さすが自主映画一筋30有余年である。
さて、本題、山口富士男である。けっこう新聞やネットで三面記事の下にときに顔写真入りで訃報が報じられて、ちょっと意外な気がした。故人には申し訳ないが、そんな有名人でニュースになる人なの?って感じである。じっさい、今の人たちにとってその名を訊いたって、誰それ?ではないのか。
でも俺にとっては、マーク・ボランやレノンに匹敵するカリスマ的な人物であり、驚きはしないが、その死に、死に方にまた複雑な思いがある。この数日じっさい彼のことばかりずっと考えている。死んでも仕方ないと思う反面、何でかなー、何もこんな死に方でなくてもという思いにずっと苛まれている。それは中島らものときにも思った気持ちだ。
一言でいえば、ジャンキー的うっかり死というべきか。健康な普通の人ならば、それでウカツにも死ぬなんてありえない死に方のことを言ってる。いや、オレもその仲間だからそう強く感じるのかもしれない。
実はわたくし今ヘロヘロべろべろ、きょうのお客様の接待で、料理は作って出したが自らは基本ほとんど昼から何も食べず、呑みまくって泥酔状態である。この山口富士男のことも素面では書けなかった。書きたくても躊躇していた。でも今酔っているからうっかり書き始めてしまった。
泣きはしない。人の死にいつも思うのは、何でだ!っという憤るような気持ちだけだ。そんなつまらないくだらない死に方するなよ、である。まったくもー。でもそれもまた人生の幕引き、末路なのかという諦めのような気持ちもある。
本当に最後の伝説の男が死んだ。もうあの時代を生きた、カリスマたる伝説の人はいないのではないか。今まで生きていたこと自体が不思議な気持ちさえ今思う。自分にとって浅川マキと並ぶ最後のカリスマであったのだと今気がついた。
彼のことはもう一回素面で書いておきたい。
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