人生の夕暮れ時に・まとめ ― 2016年03月08日 23時36分56秒
★これからも多くのものを失っていくが アクセスランキング:130位
久々の雨の後の暖かい穏やかな春の一日であった。窓を開ければどこからか沈丁花の甘い香りがそよ風に乗り入って来る。
俗に、人はそれを失ってこそ初めてその価値に気づくとよく言われる。ささやかな家庭の幸福もそうであろうし、人、特に当たり前のように身近にいた人もそうだろう。
在る時には在ることに慣れてしまい当たり前だと思い、その価値や大事さに気がつかない。そしてそれが失くなって、失ったとき初めてその存在の大きさに気づき、不在に打ちのめされる。
ありがとうという言葉は、有難うと書く。これは有難いという言葉から出ていて、すべてのことやものは、本来、あることは難しい、=有難いことだと思う心から来ている。
人はその有難いものを失って、初めてそれがあることは有難いことだったんだとやっと気がつく。そう、失って初めて気がつく。
自分は病的にだらしないから、根本のところがバカだから、これからもまた多くのものを失くしたり失っていくだろう。細心の注意でことにあたったとしても、またも毎度の「失敗」を繰り返すかと覚悟もしている。
ただ、もうモノに囚われ、それを探し求めたり、片付けるのに時間を費やすのは極力減らしたいと願う。そんな無駄な時間は1分でもなくしたい。
残りの人生の先も見えて来た。何をしたいかではなく、何をしなくてはならないか、それもわかってきた。何ができるかは未だわからなくても。
そしてこんな自分にも使命というほどではないが、この世に在る、生を受けた役割もあると知った。人から求められていることもあろう。
まずは親たちをきちんと見送って、子としての務めを果たして、そして我が人生を片付けていこう。むろんその「片付け」は生涯かけたって終わりはしない。
しかしこれ以上面倒に、複雑にはしたくないし、できるだけ簡素に、そしてすべてに愛をこめて接していきたいと思う。
そう、全ては「愛」の多寡の問題でもあった。そして全てのもの、全てのことはやがて必ず失われていく。人は最後は必ず無になっていく。
ならばその覚悟をもって、全ては失われていく有難いものだと認識して、その一つ一つ、一人ひとり一瞬一瞬を愛をこめて接していく。
我は何でも大概のものは持っていた。それなのに常にずっと何か求め続け探し続けていた。が、今はようやくはっきりわかる。足りなかったものは「愛」だったんだと。
多くの人が多くのものを失ってしまった3.11も近づく。モノとしての復興は成ったとしても、今もなお日本の政治に圧倒的に不足しているものは愛なんだと断言しておく。いや、今の日本社会のみならず、差別と貧困、憎しみと争いで満ちた今の人類に欠けているのは愛である。
我もだが、人は有難いものの有難さを深く知るべしであろう。
久々の雨の後の暖かい穏やかな春の一日であった。窓を開ければどこからか沈丁花の甘い香りがそよ風に乗り入って来る。
俗に、人はそれを失ってこそ初めてその価値に気づくとよく言われる。ささやかな家庭の幸福もそうであろうし、人、特に当たり前のように身近にいた人もそうだろう。
在る時には在ることに慣れてしまい当たり前だと思い、その価値や大事さに気がつかない。そしてそれが失くなって、失ったとき初めてその存在の大きさに気づき、不在に打ちのめされる。
ありがとうという言葉は、有難うと書く。これは有難いという言葉から出ていて、すべてのことやものは、本来、あることは難しい、=有難いことだと思う心から来ている。
人はその有難いものを失って、初めてそれがあることは有難いことだったんだとやっと気がつく。そう、失って初めて気がつく。
自分は病的にだらしないから、根本のところがバカだから、これからもまた多くのものを失くしたり失っていくだろう。細心の注意でことにあたったとしても、またも毎度の「失敗」を繰り返すかと覚悟もしている。
ただ、もうモノに囚われ、それを探し求めたり、片付けるのに時間を費やすのは極力減らしたいと願う。そんな無駄な時間は1分でもなくしたい。
残りの人生の先も見えて来た。何をしたいかではなく、何をしなくてはならないか、それもわかってきた。何ができるかは未だわからなくても。
そしてこんな自分にも使命というほどではないが、この世に在る、生を受けた役割もあると知った。人から求められていることもあろう。
まずは親たちをきちんと見送って、子としての務めを果たして、そして我が人生を片付けていこう。むろんその「片付け」は生涯かけたって終わりはしない。
しかしこれ以上面倒に、複雑にはしたくないし、できるだけ簡素に、そしてすべてに愛をこめて接していきたいと思う。
そう、全ては「愛」の多寡の問題でもあった。そして全てのもの、全てのことはやがて必ず失われていく。人は最後は必ず無になっていく。
ならばその覚悟をもって、全ては失われていく有難いものだと認識して、その一つ一つ、一人ひとり一瞬一瞬を愛をこめて接していく。
我は何でも大概のものは持っていた。それなのに常にずっと何か求め続け探し続けていた。が、今はようやくはっきりわかる。足りなかったものは「愛」だったんだと。
多くの人が多くのものを失ってしまった3.11も近づく。モノとしての復興は成ったとしても、今もなお日本の政治に圧倒的に不足しているものは愛なんだと断言しておく。いや、今の日本社会のみならず、差別と貧困、憎しみと争いで満ちた今の人類に欠けているのは愛である。
我もだが、人は有難いものの有難さを深く知るべしであろう。
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