いくつかの義理を果たし終えて2016年03月21日 21時41分27秒

★何とか連休を乗り切れた。

 今、その両国のイベントから帰って来た。午後1時半から6時近くまで、かなり長丁場で、正直へろへろである。が、良いコンサートだった。良い歌と良い人たちとまた出会えた。そしてその場に少しでも関われたこと、我に役割があったなら光栄に思う。

 告白すると、この19日からの三連休、実に憂鬱だった。嫌だとか辛いとかではなく、果たして乗り切れるか我が体調と家のこと、家人の容体もあり気が重かった。
 まず19日は安保法強硬成立半年目の、国会前行動はさておき、吉祥寺でライブハウス「のろ」の40周年記念のコンサートがあり、お世話になった者として、いや、正しくは、我が目をかけてかつて応援した唄い手がお世話になったので、そいつに代わって行かねばと思い、何とか加藤さんに義理は果たせたと思う。
 それが夕方5時からで、終わったのは8時半過ぎで、もう打ち上げにも参加せず慌てて戻って、翌20日は、ぶらいあんずのメンバーから「ABE is OVER」のコンサートに参加を請われていたが、21日にまたこのコンサートの手伝いが入ってたので、三日連続で家を空けることは家庭の事情と体力がどうにも許さず大謝りで辞去して、今日に備えた。

 そして今日は、両国の門天ホール、その川原先生のイベントに、友人たち5人引き連れて行った。むろん顔パスである。その人たちは、ぶらいあんずのメンバーになっているはずなのだが、実はまだ当人も気づかず、多くは今日知った、あるいは未だ自らがそうされたとは気づかないままであろう。まあ、それでもこれで、メンバーは一気に七人となったわけで、早く練習日を設けて活動を開始して行かねばならない。目指すは打倒!真黒毛ぼっくすである。

 さておき、今日のこのイベント、昨年と引き続き同様のタイトルで「PEACE will Come~中川五郎をむかえて」と題して、まあ、平和と自由について、うたを通して今こそ問いなおすというような、まあ、我がこのところ手がけている「反戦歌、労働歌、そして生活のうたを皆でうたおうコンサート」と、趣旨としてほぼ異母兄弟というか、乳兄弟というか、義理の親子関係みたいなもんで、企画コンセプトはとても近しい。ならば仲間ならば応援すべきであろう。
 じっさい出ているメンバーも御大中川五郎関連の人たちなのだから、そうした人脈は多少の顔ぶれは違えども、皆旧知の、毎度おなじみなわけで(観客も含めて)、フォークロアセンターの恒例「七夕コンサート」もだが、お手伝いしないわけにはいかないのである。それが人間関係であり、浮世の義理なのだ。そこに何か役割があるならば。

 今回と同様同趣旨のコンサートに、やはり学校の先生たちが手がける「教育の貧困」コンサートもある。そちらもほとんどコンセプトは同じなのだが、川原先生のそれのほうがはるかに、ユルくテキトーで、やはりそこに学校の先生は先生でも美術の教師という、教科の違いは大きいような気がする。美術というものはそもそも「答え」がないし、答えを求めない、出さないですむ、珍しい教育、勉強なのだから。

 告白すると、我は学校教育についてはかつて不登校で、ほとんど学校へ行かなかったこともあり、センセイと学校というものに対しては憎しみではないがそれに近い強い拒否反応を今も抱いている。
 が、もし我にとって、恩師と呼べる人がいるとすれば、それは北海道の北星余市高校の安達先生ご夫妻だけで、他は、金輪際先生などという人種とは付き合いたくはない。
 ところが人生は皮肉なもので、我の周りには、やたら学校の先生が多く、あちこちで出会う。そしてそうしたセンセイから何か頼まれたり言いつけられたりすると、劣等生だった本性は、すぐさま反射的に、ハイ!わかりました、と応じてしまい、もう嫌でも唯唯諾諾従うしかない。むろん、それに対して不登校的に、トンズラする手もなくはない。が、もうそれは、一度でも安達先生に出会ってしまえば、(今や自民党の政治家になった恩知らずの元ヤンキー先生はともかくも)、更正してからはそんなことはできやしない。

 で、内山先生に、川原先生に、マスダ、お前やれ、あれやれと、命じられれば、劣等生はハイ、わかりましたと先生の言いつけに従うしかない。自分でも不思議だが、人生とはそうしたもので、あれほど避けていた先生、教師というものは、学校とは縁が切れても生涯人生に関わってくるのである。つまり、逃げても借金は踏み倒せず、常に督促されるように、センセイというものは、我にとって嫌でもこれからも出会い、そして我に道を示しては問い糾してくれる存在なのである。ならばやはり従うしかない。有難い存在ではないか。まして嫌だった「学校」を離れてのことなのだから。

 それにしても川原徹三先生のようなセンセイに出会い担任となった子は実に幸せだとつくづく思う。今日も、かつての教え子が何人もミュージシャン、出演者として登場し、その川原先生は彼らと共演していた。フツーそんな先生はこの世にいない。
 何しろ、川原先生は、かつて自らの授業で、中川五郎や、西岡恭蔵や高田渡、さらには真黒毛大槻氏を招いて、彼らの生歌を生徒たちに授業で聞かせていたのである。それを訊いて、何と無謀なと絶句した。象さんならまだわかる。が、あの高田渡たちである。俺だったら、我が身の保身を思い、親たちから後で何言われるか怖くてとてもそんな暴挙は絶対にできやしない。おそらくフォークソング好きだということだって教室では秘密にするはずだ。

 我が学校教育を振り返る限り、そんなヘンな、ユニークな先生は出会ったことがない。墨田区の教育委員会が特に緩かったのかはわからないが、そんなヘンな美術教師に出会った子供たちは真に幸せだったであろう。何しろ、こんな大人もいるんだ、こんな風に生きて大人になっても良いんだと、「見本」を自ら、そしてフォークシンガーたちを通して、広い世界をうたで示したのだから。
 その教え子たちは本当に羨ましい。そして実に幸せだと思う。知る限り、自らの教え子と一緒にバンド組んで音楽活動をやった先生は、あのパンクロックの頃、イギリスで、アートスクールの教師やっていた、イアン・デューリーぐらいで、日本人でそんなおバカがいるとは考えたこともなかった。

 これは褒め言葉である。じっさい、川原先生の教え子だというミュージシャンは会うと皆どれも実に良い子で、性格も音楽も素晴らしく、川原先生を半面教師にしたのか、それとも実教師としての偉大さかはともかく、誰にも感心させられた。
 今日のコンサート、そうした美術教師川原先生の「音楽教育」の発展形として、平和と自由とは何かを教えることこそが「教育」の根幹なのだと、彼の教育者として生きた人生を観衆に余すところなく示せたのではないか。
 毎度ながらやや時間が長すぎ、冗長に流れたところもあったとの声も訊いたが、個人的には本当に満足できた。PAも照明も、川原先生ご本人のうたも演奏も昨年より格段の出来であった。今年も顔ぶれは変われども良い出演者ばかりであった。

 歌とは人と人を繋ぎ結びつけていくもの。思いを示し共有していくもの。最後までその場にいた人たちには、そのことはきっと伝わったと信ずる。川原先生の魅力というか、教えとは、自らを通して子供たちに「寛容」とはどういうことか示して来たことではないか。
 教育とは言葉や教科書ではない。まず教える者が身をもって示す生き方でもあるはずだ。エラソーなことを教壇でしたり顔で語っても、そいつがどうしようもないツマラナイ人間ならば、子どもはそんな教えに耳を傾けやしない。
 川原先生は、おそらく身をもって「教育」を示してくれていたのだと、今日のコンサートではっきり確信できた。これは簡単そうで誰にもカンタンにできることではない。こんな先生に出会った子供たちは幸せだったと今つくづく思う。去年もだったが、興行的な、金の匂いがまったくしないことも含めてほのぼのとした良いコンサートであった。


 今日は、夜、間もなく閉店となる四ツ谷コタンで、みほこんのコンサートがあった。時間的に大慌てで駆けつければ間にあったかもしれないが、もう体力的、キモチ的にも限界であった。そう、コンサートというのは何故か特定の日にいくつも重なる。行きたくとも体は一つだし、行けたとしてもやはり義理が優先される。一昨日の「のろ」、そして「ピース・ウイル・カム」コンサート、まず我が果たすべき義理を何とか果たせたと思うので、今は心からほっとしている。
 義理がすたればこの世は闇だ、とは誰のうたの文句であったか。これからも我ができる、すべきこと、当たり前のことをきちんとやっていく。