母の連日の病院通いと父の認知症の騒動と ― 2016年03月25日 21時11分05秒
★また私事、情けない家庭の事情を記す
気持ちは落ち込んでいないが、連日の病院通いと家庭内のトラブルでもう疲労困憊、ふらふらである。ともかく早く眠りたいが、昨日もブログは書けなかったし、今日も空けるわけにもいかず、ぼうっとした頭で鈍い頭痛を抱えながらパソコンに向かっている。
母の熱が続いていることは先に書いたかと思う。実は、今週は体調が悪く、21日も、両国に出かけるときも、胃が痛いとかぐずぐず言っていて、息子としては気がかりだったが、約束したイベントだったので、断腸の思いで母を残して都心に出た。
夜戻ったら、晩飯は老夫婦二人で食べたらしく既に自室で寝た後だったので、声かけなかったが、結局母は食べたものは全部履いてようやくすっきりして、夕刻まで眠って、それから軽くおかゆを食べて寝たことが翌日わかった。
そんなことがその前、先週だったか一回あって、理由はわからないが消化能力が落ちてきているらしく、胃や腹がちくちく痛くなって、がまんしても苦しくて結局吐いて全部出すと気分は収まるのだという。
それ以後、今週はずっと熱が出てしまい、また風邪をひいたか、2月の終わりにひいた風邪がぶりかえしたのか、それとも息子の風邪がうつったのかわからないものの、いちおう風邪らしい症状は出ていた。
だから医者から出してもらっていた風邪薬、PLという白い粉薬を寝る前に飲まして寝かしていた。すると朝は、平熱に下がり、もう治ったかと安心すると、午後からしだいに7度、そして夕刻には8度と熱は上がり出し、また薬飲んで寝かすと、翌朝は下がる。しかし、また夜は38、5度となってしまう。それを連日繰り返していた。
昨日は、立川の病院で午後からCT撮影の予約が入っていて、そんな状態でどうなるか案じていたが、お昼の段階で7度少しだったのと朝の時点で病院に電話かけて相談したところ、こちらが治りかけの風邪だと伝えたからか、その程度なら来いと言われたので、微熱状態でも立川へ連れて行ってCTは撮った。
戻って夕方熱を測ったらやはりまた8度台となったので、いったん寝かせて夜もまたPL飲ませて早く寝かせた。
だが、さすがにいつまでたっても治らず相変わらず夜は熱が出るのはおかしいと思えてきた。この前、抗癌剤投与後のときもやはりこんな感じで、風邪だと思ってしばらく家で様子見て薬飲ませていたが、ちっとも治らず熱が続いたので、病院に行ったら白血球の数値がすごく下がっていて、即そのまま入院となってしまい、点滴と抗生剤投与でようやく熱は下がり退院できた。一週間入院したのである。
今回もどうもそれと似た感じがして不安になった。ただ、一か月ぐらい前に一度少し熱が出て、医者にかかったときも血液をとって調べたが特に白血球の減少などはなく、単なる風邪だとして、薬出してもらい数日で熱もひきそのときは治ったのである。今回も風邪なのか、それとも何か他に原因があり、熱が続いているのかどうしたらわかるか頭を痛めた。
けっきょく、いつも通っているかかりつけの診療所に朝一で診てもらい、医師の診断を仰いだ。肺のレントゲンから血液検査まで、ほぼ簡単に調べられるところは全部診てもらい、体力が落ちていると訴えたので点滴も打ってもらった。
医師も風邪だと思うが・・・と言いつつも一つだけわかったことは、今回は白血球の数値が下がっているのではなく逆に非常に高く、それは体内のどこかで炎症を起こしている可能性があるからかもとのことだった。我の私感では、癌性腹膜炎を起こしかけているのではないのか。
とりあえず、抗生物質を出してもらい、点滴打って家に戻ったが、念のために立川の母の癌の担当医にも電話をかけて状況を伝えた。すくさまそっちに行って診てもらうべきかと。
向うの医師の判断では、まずは抗生物質を飲んで様子見てみて、熱が下がらないようならば、来週明けでもすぐ来いとのことで、まあじっさいのところ向うへ行っても即できることはないようなので、この土日は大人しく安静にさせておくことにした。
幸い、現段階では、昼食後にその薬を飲ませたら、夕方まで深く眠って汗もかき、熱はほぼ平熱に下がっていた。このままこの薬で収まれば安心なのだが、ともかくやや安堵しているというところだ。
母の状況はそんなわけだが、もう一つ、父も今日認知症全開のことをしでかしていた。
母は、点滴打っていたので、我だけ先に自分の車で帰って来た。母はその診療所で運営している送迎サービスの車で帰ってこさせることにしたのだ。
で、我が昼前に家に戻ったら、父がどこかに電話をかけていてちょうど電話を切るところであった。「ええ、ではそれでよろしくお願いします」とか話している。不審に思ったが、何かの外交の電話かと思い他の用事もあったので、あえて問わずにいた。
が、何とそれは、勝手に、ウチの銀行通帳を失くしたので、再発行したいという銀行への電話だったのだ。その通帳や証書一式などは認知症の父が持っていると危ないので、息子である我と母が管理している。
ところが、父はそのことがわからず、今日は我らが出かけている間、いや、我らが不在だった昨日からずっと通帳を探し回り、ないので自ら銀行に電話してしまったのだ。
後でそのことがわかり慌てて、銀行に、認知症の父が勝手に電話した、通帳は今手元にある、と伝えたが、もう後の祭り、「紛失」扱いで、口座は停止されてしまった後であった。となると、いろんな引き落とし等はできなくなるわけで、さあどうするか。※この話もう一回続く。
気持ちは落ち込んでいないが、連日の病院通いと家庭内のトラブルでもう疲労困憊、ふらふらである。ともかく早く眠りたいが、昨日もブログは書けなかったし、今日も空けるわけにもいかず、ぼうっとした頭で鈍い頭痛を抱えながらパソコンに向かっている。
母の熱が続いていることは先に書いたかと思う。実は、今週は体調が悪く、21日も、両国に出かけるときも、胃が痛いとかぐずぐず言っていて、息子としては気がかりだったが、約束したイベントだったので、断腸の思いで母を残して都心に出た。
夜戻ったら、晩飯は老夫婦二人で食べたらしく既に自室で寝た後だったので、声かけなかったが、結局母は食べたものは全部履いてようやくすっきりして、夕刻まで眠って、それから軽くおかゆを食べて寝たことが翌日わかった。
そんなことがその前、先週だったか一回あって、理由はわからないが消化能力が落ちてきているらしく、胃や腹がちくちく痛くなって、がまんしても苦しくて結局吐いて全部出すと気分は収まるのだという。
それ以後、今週はずっと熱が出てしまい、また風邪をひいたか、2月の終わりにひいた風邪がぶりかえしたのか、それとも息子の風邪がうつったのかわからないものの、いちおう風邪らしい症状は出ていた。
だから医者から出してもらっていた風邪薬、PLという白い粉薬を寝る前に飲まして寝かしていた。すると朝は、平熱に下がり、もう治ったかと安心すると、午後からしだいに7度、そして夕刻には8度と熱は上がり出し、また薬飲んで寝かすと、翌朝は下がる。しかし、また夜は38、5度となってしまう。それを連日繰り返していた。
昨日は、立川の病院で午後からCT撮影の予約が入っていて、そんな状態でどうなるか案じていたが、お昼の段階で7度少しだったのと朝の時点で病院に電話かけて相談したところ、こちらが治りかけの風邪だと伝えたからか、その程度なら来いと言われたので、微熱状態でも立川へ連れて行ってCTは撮った。
戻って夕方熱を測ったらやはりまた8度台となったので、いったん寝かせて夜もまたPL飲ませて早く寝かせた。
だが、さすがにいつまでたっても治らず相変わらず夜は熱が出るのはおかしいと思えてきた。この前、抗癌剤投与後のときもやはりこんな感じで、風邪だと思ってしばらく家で様子見て薬飲ませていたが、ちっとも治らず熱が続いたので、病院に行ったら白血球の数値がすごく下がっていて、即そのまま入院となってしまい、点滴と抗生剤投与でようやく熱は下がり退院できた。一週間入院したのである。
今回もどうもそれと似た感じがして不安になった。ただ、一か月ぐらい前に一度少し熱が出て、医者にかかったときも血液をとって調べたが特に白血球の減少などはなく、単なる風邪だとして、薬出してもらい数日で熱もひきそのときは治ったのである。今回も風邪なのか、それとも何か他に原因があり、熱が続いているのかどうしたらわかるか頭を痛めた。
けっきょく、いつも通っているかかりつけの診療所に朝一で診てもらい、医師の診断を仰いだ。肺のレントゲンから血液検査まで、ほぼ簡単に調べられるところは全部診てもらい、体力が落ちていると訴えたので点滴も打ってもらった。
医師も風邪だと思うが・・・と言いつつも一つだけわかったことは、今回は白血球の数値が下がっているのではなく逆に非常に高く、それは体内のどこかで炎症を起こしている可能性があるからかもとのことだった。我の私感では、癌性腹膜炎を起こしかけているのではないのか。
とりあえず、抗生物質を出してもらい、点滴打って家に戻ったが、念のために立川の母の癌の担当医にも電話をかけて状況を伝えた。すくさまそっちに行って診てもらうべきかと。
向うの医師の判断では、まずは抗生物質を飲んで様子見てみて、熱が下がらないようならば、来週明けでもすぐ来いとのことで、まあじっさいのところ向うへ行っても即できることはないようなので、この土日は大人しく安静にさせておくことにした。
幸い、現段階では、昼食後にその薬を飲ませたら、夕方まで深く眠って汗もかき、熱はほぼ平熱に下がっていた。このままこの薬で収まれば安心なのだが、ともかくやや安堵しているというところだ。
母の状況はそんなわけだが、もう一つ、父も今日認知症全開のことをしでかしていた。
母は、点滴打っていたので、我だけ先に自分の車で帰って来た。母はその診療所で運営している送迎サービスの車で帰ってこさせることにしたのだ。
で、我が昼前に家に戻ったら、父がどこかに電話をかけていてちょうど電話を切るところであった。「ええ、ではそれでよろしくお願いします」とか話している。不審に思ったが、何かの外交の電話かと思い他の用事もあったので、あえて問わずにいた。
が、何とそれは、勝手に、ウチの銀行通帳を失くしたので、再発行したいという銀行への電話だったのだ。その通帳や証書一式などは認知症の父が持っていると危ないので、息子である我と母が管理している。
ところが、父はそのことがわからず、今日は我らが出かけている間、いや、我らが不在だった昨日からずっと通帳を探し回り、ないので自ら銀行に電話してしまったのだ。
後でそのことがわかり慌てて、銀行に、認知症の父が勝手に電話した、通帳は今手元にある、と伝えたが、もう後の祭り、「紛失」扱いで、口座は停止されてしまった後であった。となると、いろんな引き落とし等はできなくなるわけで、さあどうするか。※この話もう一回続く。
その続き ― 2016年03月25日 23時26分26秒
★嗚呼 認知症! 95位
言うまでもなく認知症には程度の差も種類も多々ある。
いちばん大変というか、手がかかるのは、レビー小体型とかいうタイプのそれで、幻覚や幻視、幻聴を伴い暴れたりもするので、介護する側はともかく大変だそうだ。
我が実妹が九州に嫁ぎ、そこの家の老父、妹にとっては義理の父がそのタイプで、周囲には見えないものに怯えて騒いだり、妄想をまくしたてるばかりから怒りっぽくどうにも手に負えないとこぼしていた。
我が父は、幸いというべきか所謂フツーのパーキンソン的認知症のタイプのようで、物忘れが甚だしいだけでなく、モノゴトの認識力、理解力が衰えて全てにトンチンカンとなり大騒ぎもするが、すぐにその騒動もまた忘れてくだくだしく同じことを家族に問いなおしたり、あれはどうした、これはどうしたと煩くてたまらない。
朝の連続ドラマを観続けても筋を理解すると以前に、最終回になっても主人公も含めて誰が誰だかわからないし、朝は何を食べたか、昼は食べたかさえ問い糾すと、覚えているものか!と逆切れである。
先日は、ふいに思い立ったように、85歳の妻に向かって「おい、お前のおっかさん、今どうしてる?」と真顔で訊いていた。
つまるところ認知症とは、モノゴトを考える力、記憶する力が衰えた脳の機能不全だと思える。ようするにバカになっていくのだ。
しかし、そんな人間なのに、体はよたよたでも寝たきりでないということもあるが、何か思い立つとやたらスピーディというか行動的であり、おそらくこういう人がオレオレ詐欺にかかり、すぐさま銀行で金を引き出して、孫の同僚と称する男に外で手渡すのかと得心する。
先だってもそうした詐欺電話が何度かかかってきて、その度にも必ずこちらから孫の名前を言ってしまい、ショーヘイが、カバンと携帯電話を落としたって、と電話があったと騒いでいたが、それは詐欺だと一度は理解してもまたしばらくすると忘れてしまうことの繰り返しなのである。そう、全てが日々新たなのである。料理も数日前に出したものは、失念してこれなんだ、何だ!? 初めて食べたと繰り返す。
さておき、そんな人間なのだが、先日のこと、彼名義で積んでいた定期預金が少額だが満期になったとハガキが来て、このところ出費がかさんで生活が苦しいこともあり下ろして生活費の足しにしようと考えた。が、探してもその通帳がみつからない。
仕方なく、当人と母を連れて、駅前の銀行で通帳の再発行の手続きをしてきた。それは本人が行かないことには手続きが面倒だからだ。
そんなことをした記憶があったからか、それとは別の、生協ほか様々なインフラ類の引き落とし専用にしている地銀の通帳が、彼の手元には旧い、更新済みのものしかなかったことに気づいたらしく、:現行のそれを探し回った挙句、銀行に通帳を失くしたので更新したいと電話をかけていたのだ。オレオレ詐欺などのこともあり、当然のことその通帳やハンコは、息子と彼の妻、我と我が母が管理している。
ところがそのことを忘れて、自分が管理しているはずだと探し回り、みつからないとわかるとすぐさま銀行に電話かけてしまったのだ。普段は、九州の娘のところにもうまく電話をかけられない男が何故か銀行にはすぐ電話かけられるのは理解に苦しむ。
が、認知症とはそうしたもので、病院から戻って来て、父が真顔で、通帳がみつからない、大変なことになったと騒いでいるので問い直すと、既に銀行に電話かけた後であった。
本人は通帳を再発行してもらうよう電話したと言ってたが、銀行に確認すると、紛失届だけとして処理して使用できないよう停止してあるとのことだった。
ただ面倒なのは、一度こちらに郵便で届いた書類に、通帳は発見されたという口座再開の手続きをまた送らないとならず、二週間かそこらはかかるとのこと。引き落としも振り込みもその期間は不能なわけで、まったく面倒なことをしてくれたと嘆息するしかない。
しかも今回は、彼はその勢いで、市役所にまで通帳紛失したからと電話していたので驚かされた。先に、イチョウなど庭木を業者に頼んで切ったとき、市から10万円の補助金が出る。その手続きをいろいろ書類の不備もあって時間かかったが、ようやく書類を提出して後は、市からその口座に振り込まれるのを待つだけであった。
それをご丁寧にもよくそんなことにまで気がつくいうべきか頭が冴えわたっていたのか、市役所にまで電話してしまい、また手続きをやり直す羽目となってしまった。
それにしてもふだんは何もできない、ほとんど居眠りばかりしている人間がすごい行動力である。しかも問題は、その騒動じたいが一晩寝たら忘れて理解できなくなったらしく、考えてもよくわからない、わからないと昨晩は不安で眠れなかったらしい。
挙句に、何で通帳を再発行するのか、とか、先の本当に紛失して再発行の手続きをした件と混濁してまた騒ぎ出す。傍らの母はその都度、説明するのだが何度でも理解できないと繰り返す。これでは癌もストレスで大きくなるだろうと思わざる得ない。
そんな人間がよくあちこちに電話かけられて、したり顔で、通帳を失くしたようなのでよろしくお願いします、と、もっともなことを相手に話していたのだから人間のオツムとはまさに不可思議だ。
以前報じられたニュースだが、車の運転を禁止された認知症の男が家族の知らないところで、車のキーを紛失したからと自ら手続きをしてそのキーで家の車を勝手に運転して高速道路を逆走して大事故を起こした事件があったと記憶する。呆けていてもそうした面倒な手続きは何故か考え付いてしかもできてしまうのである。
ただ、この程度ならまだ良い認知症、ボケの類と思うべきであろう。知人から聞いた話では、こうしたアクティブ認知症は、勝手にテレビショッピングの通販番組見て、さっそく電話して何十万もする商品を注文したりしてしまうとか、ふと目を離した隙に、どこか外へふらっと行き帰ってこなくなり、市の野外放送で尋ね人として大々的に知れ渡ったりと、周囲としてはその後始末に追われ疲弊し何もできなくなってしまう。
老いとは、人生とはそんなものかとも思うし、だからこそ、老人は周囲に迷惑かけるなら早く死ぬべきだという老害を説くバカもいよう。が、若く良い時ばかりが人生でないように、状況がわるい時も、惨めなどうしようもないときも含めて、人は総体として人生をとことん生きねばならないはずだ。
生まれた来た時も自分の意志でないのならば、死ぬときだって自らの意志や他者の意志で左右されてはならないはずであろう。生も死も人生で起こることには全て意味があり、生きるとは誰にとってもそこに意味を見出さねばならないのである。
言うまでもなく認知症には程度の差も種類も多々ある。
いちばん大変というか、手がかかるのは、レビー小体型とかいうタイプのそれで、幻覚や幻視、幻聴を伴い暴れたりもするので、介護する側はともかく大変だそうだ。
我が実妹が九州に嫁ぎ、そこの家の老父、妹にとっては義理の父がそのタイプで、周囲には見えないものに怯えて騒いだり、妄想をまくしたてるばかりから怒りっぽくどうにも手に負えないとこぼしていた。
我が父は、幸いというべきか所謂フツーのパーキンソン的認知症のタイプのようで、物忘れが甚だしいだけでなく、モノゴトの認識力、理解力が衰えて全てにトンチンカンとなり大騒ぎもするが、すぐにその騒動もまた忘れてくだくだしく同じことを家族に問いなおしたり、あれはどうした、これはどうしたと煩くてたまらない。
朝の連続ドラマを観続けても筋を理解すると以前に、最終回になっても主人公も含めて誰が誰だかわからないし、朝は何を食べたか、昼は食べたかさえ問い糾すと、覚えているものか!と逆切れである。
先日は、ふいに思い立ったように、85歳の妻に向かって「おい、お前のおっかさん、今どうしてる?」と真顔で訊いていた。
つまるところ認知症とは、モノゴトを考える力、記憶する力が衰えた脳の機能不全だと思える。ようするにバカになっていくのだ。
しかし、そんな人間なのに、体はよたよたでも寝たきりでないということもあるが、何か思い立つとやたらスピーディというか行動的であり、おそらくこういう人がオレオレ詐欺にかかり、すぐさま銀行で金を引き出して、孫の同僚と称する男に外で手渡すのかと得心する。
先だってもそうした詐欺電話が何度かかかってきて、その度にも必ずこちらから孫の名前を言ってしまい、ショーヘイが、カバンと携帯電話を落としたって、と電話があったと騒いでいたが、それは詐欺だと一度は理解してもまたしばらくすると忘れてしまうことの繰り返しなのである。そう、全てが日々新たなのである。料理も数日前に出したものは、失念してこれなんだ、何だ!? 初めて食べたと繰り返す。
さておき、そんな人間なのだが、先日のこと、彼名義で積んでいた定期預金が少額だが満期になったとハガキが来て、このところ出費がかさんで生活が苦しいこともあり下ろして生活費の足しにしようと考えた。が、探してもその通帳がみつからない。
仕方なく、当人と母を連れて、駅前の銀行で通帳の再発行の手続きをしてきた。それは本人が行かないことには手続きが面倒だからだ。
そんなことをした記憶があったからか、それとは別の、生協ほか様々なインフラ類の引き落とし専用にしている地銀の通帳が、彼の手元には旧い、更新済みのものしかなかったことに気づいたらしく、:現行のそれを探し回った挙句、銀行に通帳を失くしたので更新したいと電話をかけていたのだ。オレオレ詐欺などのこともあり、当然のことその通帳やハンコは、息子と彼の妻、我と我が母が管理している。
ところがそのことを忘れて、自分が管理しているはずだと探し回り、みつからないとわかるとすぐさま銀行に電話かけてしまったのだ。普段は、九州の娘のところにもうまく電話をかけられない男が何故か銀行にはすぐ電話かけられるのは理解に苦しむ。
が、認知症とはそうしたもので、病院から戻って来て、父が真顔で、通帳がみつからない、大変なことになったと騒いでいるので問い直すと、既に銀行に電話かけた後であった。
本人は通帳を再発行してもらうよう電話したと言ってたが、銀行に確認すると、紛失届だけとして処理して使用できないよう停止してあるとのことだった。
ただ面倒なのは、一度こちらに郵便で届いた書類に、通帳は発見されたという口座再開の手続きをまた送らないとならず、二週間かそこらはかかるとのこと。引き落としも振り込みもその期間は不能なわけで、まったく面倒なことをしてくれたと嘆息するしかない。
しかも今回は、彼はその勢いで、市役所にまで通帳紛失したからと電話していたので驚かされた。先に、イチョウなど庭木を業者に頼んで切ったとき、市から10万円の補助金が出る。その手続きをいろいろ書類の不備もあって時間かかったが、ようやく書類を提出して後は、市からその口座に振り込まれるのを待つだけであった。
それをご丁寧にもよくそんなことにまで気がつくいうべきか頭が冴えわたっていたのか、市役所にまで電話してしまい、また手続きをやり直す羽目となってしまった。
それにしてもふだんは何もできない、ほとんど居眠りばかりしている人間がすごい行動力である。しかも問題は、その騒動じたいが一晩寝たら忘れて理解できなくなったらしく、考えてもよくわからない、わからないと昨晩は不安で眠れなかったらしい。
挙句に、何で通帳を再発行するのか、とか、先の本当に紛失して再発行の手続きをした件と混濁してまた騒ぎ出す。傍らの母はその都度、説明するのだが何度でも理解できないと繰り返す。これでは癌もストレスで大きくなるだろうと思わざる得ない。
そんな人間がよくあちこちに電話かけられて、したり顔で、通帳を失くしたようなのでよろしくお願いします、と、もっともなことを相手に話していたのだから人間のオツムとはまさに不可思議だ。
以前報じられたニュースだが、車の運転を禁止された認知症の男が家族の知らないところで、車のキーを紛失したからと自ら手続きをしてそのキーで家の車を勝手に運転して高速道路を逆走して大事故を起こした事件があったと記憶する。呆けていてもそうした面倒な手続きは何故か考え付いてしかもできてしまうのである。
ただ、この程度ならまだ良い認知症、ボケの類と思うべきであろう。知人から聞いた話では、こうしたアクティブ認知症は、勝手にテレビショッピングの通販番組見て、さっそく電話して何十万もする商品を注文したりしてしまうとか、ふと目を離した隙に、どこか外へふらっと行き帰ってこなくなり、市の野外放送で尋ね人として大々的に知れ渡ったりと、周囲としてはその後始末に追われ疲弊し何もできなくなってしまう。
老いとは、人生とはそんなものかとも思うし、だからこそ、老人は周囲に迷惑かけるなら早く死ぬべきだという老害を説くバカもいよう。が、若く良い時ばかりが人生でないように、状況がわるい時も、惨めなどうしようもないときも含めて、人は総体として人生をとことん生きねばならないはずだ。
生まれた来た時も自分の意志でないのならば、死ぬときだって自らの意志や他者の意志で左右されてはならないはずであろう。生も死も人生で起こることには全て意味があり、生きるとは誰にとってもそこに意味を見出さねばならないのである。
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