一潮追悼コンサートは何とか無事に盛況のうちに終わった。 ― 2016年03月27日 23時05分35秒
★超豪華メンバーの実力と魅力こそ、一潮さんの遺産だった。
いろんなコンサートを観て、企画宣伝からも関わってきたが、今回のライブこそ今まででいちばん難しかった。というのは、自らの企画ではそもそもなかったことと、高坂一潮という既にこの世にいないフォークシンガーの括りで出演者をまとめ、そこに「一潮」という故人を観客に示さねばならなかったことにまず頭を痛めた。
そもそもこの何年も続いてきた企画に我は雇われマダムのような立場であったし、しかも一潮さん自身とはほとんど面識もない。そんなものが企画の責任者にいつしかなっていたのである。まさに出すぎた役割であり身に余る、手に負えぬこと、そもそもそんな資格もないことを、何故臆面なくやっているのかと自問し続けた。
そして場としての店側と今回の出演者の狭間に立ってその調整役はかなりの軋轢、プレッシャーだったと今だから記しておく。そもそも俺はあれこれ細かい人間ではまったくないのである。とことん緩く迂闊でだらしないことは繰り返し書いて来た。その男が細かいことに気を回さねばならぬ気苦労はマスダを知る者ならご理解頂けると思う。
そこにきてこのところ我が親も体調が悪く、そちらにも気をとられ頭痛め、果たしてこんな1円にもならない難工事の現場監督のようなことを何故俺はやっているのだろうかと正直憂鬱気分でもいた。
しかし、今その全てを終えて、はっきりわかった。実にバラエティに富んだ素晴らしい良いコンサートであった。参加した方は誰もが暖かい気持ちになったと信ずる。そしてそれに関われたことこそが一潮さんが我に与えてくれたプレゼントだったのだと今はっきりとわかる。
考えてみれば、今回の出演者たちは全員が我が敬愛し高く評価している、昔からよく知る大好きな人たちだったし、そうした方々と懇意に話せてお付き合いを深められるとは、一フォークファンとしては夢のようなことであろう。一潮さんのうたの一節を借りれば、「君はうたのプロフェッショナル、テレビに映る誰よりも僕の心を打った」であり、その全員が亡き人を良く知り今も彼を深く愛している仲間たちなわけで、考えてみればそれだけでコンサートは既に成り立っていたのであった。
後は、いかに一潮さんのことをうたで、語りで、そして親しく付き合いのあった友として示してくれるかであり、皆さんそれも十二分に示してくれた。
類は友を呼ぶの俚諺以前に、良い人には当然のことながら良い友がいる。悪い奴らには悪い仲間がいるのが当然のように、一潮さんを知る仲間たちは皆誰もが心優しく暖かく実に素晴らしかった。
よしだよしこさんは奇特にもお忙しい中にも関わらず、今回のコンサートのために特別に一潮さんの楽曲を何曲も練習して自らのうたにしてご披露して頂いたのは真に有難いことであったしおそらくこの場でしか聴けないそうしたうたを聴けた方々は幸運だと言うしかない。
また今回、それまでお名前だけは昔から存じていたケニー井上&キャシーのご夫妻と知り合うことができて本当に良かった。以前地球屋で何かのライブの折に、観た記憶はあったが、きちんと言葉を交わしたのは今回が初めてであった。人生とは出会いだとするならば、一潮さんがあの世から彼らと出会うべくはからい紹介してくれたのだと有難く思う。
そして体調を案じていた斉藤哲夫氏も無事渾身のステージをやり遂られ、しかもアンコールでは、我の昔から大好きな、マイフェバリットソング「グッド・タイム・ミュージック」を唄ってくれた。まさかこの場で、この企画でその懐かしい名曲が聴けるとは夢のようだった。この一曲だけでもこれまでの苦労が報われた。
若い時に出会いとことん聴きこんだ楽曲は、すっかり忘れていても聴いたとたんすべての歌詞が自然に口から出てきたのには自分でも驚いた。ああ、素晴らしき斉藤哲夫は我が中にずっと昔も今もいてくれたのだ。その人と共に同じ場、ときを過ごせたのだから至福でなくてなんだろうか。
そして特筆すべきは、今日のために札幌から来られた高坂絵理子さんの堂々たるステージで、これが初デビューとは思えないしっかりした達者なうたを聴かせてくれた。並いる超ベテラン勢を差し置いて、今日の主役は彼女であったといっても過言ではないだろう。
正直書くと、今日の企画の一番の心配種は、一潮さんの奥さんであったとしても素人が果たして初めてのステージを無事にこなすことができるかであった。しかしそれは全くの杞憂で、ケニー氏やシバの抜群のサポートを差し引いても確かな本物の実力を示してくれた。さすがはあの一潮さんの奥さんだったと感心させられた。
今日のコンサート、とにもかくにも企画側の我もが驚き感嘆するほど豪華な、確かな実力をもった様々なミュージシャンが過不足なく次々と登場し観客を堪能させたと信ずる。ある意味、今日のコンサートは一つの伝説になったとも思う。その場に立ち会えた人は幸運かつ光栄だと心すべしであろう。来ない人、来れなかった人は一潮という功徳とはまだ縁がないのであろうから遺憾に思うしかない。
記録として今日の出演者を出演順に記しておく。
・館野公一
・シバ
・よしだよしこ
※休憩
・高坂絵理子&ケニー井上withシバ
・井上おはなバンド(ケニー&キャシー)
・斉藤哲夫
※全員でフィナーレ
一潮さんもあの世から見下ろしてきっと満足しているに違いない。亡き人に報いることなんて残念ながらできやしない。しかし、シバも言っていたが、その人のことを覚えているうち、こうして亡き人のことを語っている間、彼を覚えている我らが生きている間は、その人はまだ死んでいないのである。ならばこれも一潮さんためにできることを皆で全力でやり終えたと言って良いであろう。そしてそのことに関われた光栄を今噛みしめている。一潮さん、遅ればせながらようやく貴方のために我も少しは何かが出来たかと。
終わってケニー氏と話したが、全てはまさに神のはからい、ご加護であったとつくづく思う。そう、どんなに苦しいときでも神様は見ていて手を差し伸べてくれるのだ。
そのコンサートの間中ずっと場にながれていた暖かい雰囲気、人生そのものを肯定していく柔らかく包み込むオーラのようなものこそが高坂一潮が今もまだここにいることの証であったと今思う。
そう、見える人にはみえる。わかる人にはわかる。残念だがまだ見えない人にはわからない。そうした人と人を繋ぎ結びつけるのは神の見えざる手なのである。そこに愛があるかなのだ。
いろんなコンサートを観て、企画宣伝からも関わってきたが、今回のライブこそ今まででいちばん難しかった。というのは、自らの企画ではそもそもなかったことと、高坂一潮という既にこの世にいないフォークシンガーの括りで出演者をまとめ、そこに「一潮」という故人を観客に示さねばならなかったことにまず頭を痛めた。
そもそもこの何年も続いてきた企画に我は雇われマダムのような立場であったし、しかも一潮さん自身とはほとんど面識もない。そんなものが企画の責任者にいつしかなっていたのである。まさに出すぎた役割であり身に余る、手に負えぬこと、そもそもそんな資格もないことを、何故臆面なくやっているのかと自問し続けた。
そして場としての店側と今回の出演者の狭間に立ってその調整役はかなりの軋轢、プレッシャーだったと今だから記しておく。そもそも俺はあれこれ細かい人間ではまったくないのである。とことん緩く迂闊でだらしないことは繰り返し書いて来た。その男が細かいことに気を回さねばならぬ気苦労はマスダを知る者ならご理解頂けると思う。
そこにきてこのところ我が親も体調が悪く、そちらにも気をとられ頭痛め、果たしてこんな1円にもならない難工事の現場監督のようなことを何故俺はやっているのだろうかと正直憂鬱気分でもいた。
しかし、今その全てを終えて、はっきりわかった。実にバラエティに富んだ素晴らしい良いコンサートであった。参加した方は誰もが暖かい気持ちになったと信ずる。そしてそれに関われたことこそが一潮さんが我に与えてくれたプレゼントだったのだと今はっきりとわかる。
考えてみれば、今回の出演者たちは全員が我が敬愛し高く評価している、昔からよく知る大好きな人たちだったし、そうした方々と懇意に話せてお付き合いを深められるとは、一フォークファンとしては夢のようなことであろう。一潮さんのうたの一節を借りれば、「君はうたのプロフェッショナル、テレビに映る誰よりも僕の心を打った」であり、その全員が亡き人を良く知り今も彼を深く愛している仲間たちなわけで、考えてみればそれだけでコンサートは既に成り立っていたのであった。
後は、いかに一潮さんのことをうたで、語りで、そして親しく付き合いのあった友として示してくれるかであり、皆さんそれも十二分に示してくれた。
類は友を呼ぶの俚諺以前に、良い人には当然のことながら良い友がいる。悪い奴らには悪い仲間がいるのが当然のように、一潮さんを知る仲間たちは皆誰もが心優しく暖かく実に素晴らしかった。
よしだよしこさんは奇特にもお忙しい中にも関わらず、今回のコンサートのために特別に一潮さんの楽曲を何曲も練習して自らのうたにしてご披露して頂いたのは真に有難いことであったしおそらくこの場でしか聴けないそうしたうたを聴けた方々は幸運だと言うしかない。
また今回、それまでお名前だけは昔から存じていたケニー井上&キャシーのご夫妻と知り合うことができて本当に良かった。以前地球屋で何かのライブの折に、観た記憶はあったが、きちんと言葉を交わしたのは今回が初めてであった。人生とは出会いだとするならば、一潮さんがあの世から彼らと出会うべくはからい紹介してくれたのだと有難く思う。
そして体調を案じていた斉藤哲夫氏も無事渾身のステージをやり遂られ、しかもアンコールでは、我の昔から大好きな、マイフェバリットソング「グッド・タイム・ミュージック」を唄ってくれた。まさかこの場で、この企画でその懐かしい名曲が聴けるとは夢のようだった。この一曲だけでもこれまでの苦労が報われた。
若い時に出会いとことん聴きこんだ楽曲は、すっかり忘れていても聴いたとたんすべての歌詞が自然に口から出てきたのには自分でも驚いた。ああ、素晴らしき斉藤哲夫は我が中にずっと昔も今もいてくれたのだ。その人と共に同じ場、ときを過ごせたのだから至福でなくてなんだろうか。
そして特筆すべきは、今日のために札幌から来られた高坂絵理子さんの堂々たるステージで、これが初デビューとは思えないしっかりした達者なうたを聴かせてくれた。並いる超ベテラン勢を差し置いて、今日の主役は彼女であったといっても過言ではないだろう。
正直書くと、今日の企画の一番の心配種は、一潮さんの奥さんであったとしても素人が果たして初めてのステージを無事にこなすことができるかであった。しかしそれは全くの杞憂で、ケニー氏やシバの抜群のサポートを差し引いても確かな本物の実力を示してくれた。さすがはあの一潮さんの奥さんだったと感心させられた。
今日のコンサート、とにもかくにも企画側の我もが驚き感嘆するほど豪華な、確かな実力をもった様々なミュージシャンが過不足なく次々と登場し観客を堪能させたと信ずる。ある意味、今日のコンサートは一つの伝説になったとも思う。その場に立ち会えた人は幸運かつ光栄だと心すべしであろう。来ない人、来れなかった人は一潮という功徳とはまだ縁がないのであろうから遺憾に思うしかない。
記録として今日の出演者を出演順に記しておく。
・館野公一
・シバ
・よしだよしこ
※休憩
・高坂絵理子&ケニー井上withシバ
・井上おはなバンド(ケニー&キャシー)
・斉藤哲夫
※全員でフィナーレ
一潮さんもあの世から見下ろしてきっと満足しているに違いない。亡き人に報いることなんて残念ながらできやしない。しかし、シバも言っていたが、その人のことを覚えているうち、こうして亡き人のことを語っている間、彼を覚えている我らが生きている間は、その人はまだ死んでいないのである。ならばこれも一潮さんためにできることを皆で全力でやり終えたと言って良いであろう。そしてそのことに関われた光栄を今噛みしめている。一潮さん、遅ればせながらようやく貴方のために我も少しは何かが出来たかと。
終わってケニー氏と話したが、全てはまさに神のはからい、ご加護であったとつくづく思う。そう、どんなに苦しいときでも神様は見ていて手を差し伸べてくれるのだ。
そのコンサートの間中ずっと場にながれていた暖かい雰囲気、人生そのものを肯定していく柔らかく包み込むオーラのようなものこそが高坂一潮が今もまだここにいることの証であったと今思う。
そう、見える人にはみえる。わかる人にはわかる。残念だがまだ見えない人にはわからない。そうした人と人を繋ぎ結びつけるのは神の見えざる手なのである。そこに愛があるかなのだ。
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