第四回「反戦歌コンサート」にぜひご参加を!2016年06月08日 23時56分19秒

第1回目のフィナーレの様子
★我の「音楽活動」はこれにて終了と

 6月11日のコンサートが近づいて来た。今日、携帯に、先のイベント「アベ is OVER」でみほこんからチラシをもらったという方から、会場となる店への行き方について問い合わせがあった。
 個人的にはともかく今、我は老いて病み衰えた親たちの介助に時間とられて、ほとんど一切自由に出歩く時間がなくなってしまったため、出演者の方々からの「宣伝」だけが頼りなわけで、本当に有難いことだ。
 コンサートは企画立てることはたやすいが、じっさいに観客を集めて興行的にも成功とさせられないのならばまさに企画倒れなわけで、やる意味はなくもないが、モッタイナイということに尽きよう。

 幸いにして、この連続企画のコンサートは、これまで三回、かなりの盛況が続いている。元々店も出演者も収益は度外視し、「投げ銭」形式ということもあるが、それだって今はなかなか人は集まらないのが現実で、まして一晩に多数のミュージシャン、唄い手が出るとなると逆に観客は入らない。そういう時代なのだそうだ。
 コアなファンは個々のミュージシャンにそれぞれいるかと思う。しかし、あるコンセプトに基づいたイベントだと逆に、ファンこそ来ないそうで、あくまでもそのコンセプトに共感した音楽好きの方のみが集うこととなる。
 ところが、安倍政権や今の政治、戦争法に反対していてもそれと音楽が好きとはまた一線を画すわけで、つまるところうたや音楽も好きな政治意識の高い層というハードルをクリアしないとならない。なかなかそういう人は実のところ少ないのが現実だ。よってそこに中川五郎的ジレンマが生じる。※語弊があるので補足しておくが、五郎さんが悩んでいるという意味ではない。
 チラシなどには、戦争法廃止、辺野古埋立反対とか堅苦しいことを書いたが、我自身は、このコンサートでは国会前集会のような安倍政治を許さないとか強い政治性はいっさい考えていない。ミュージシャンができることは、唄うことぐらいなわけで、その「うた」を通して彼らが訴えるものがどこまでどれほど観客に伝わるか、あるいは聴き手が受け取ってくれるかはまた別な話であって、とにもかくにも観客に来て頂きそれで判断してもらうしかない。
 そう、そのことは音楽そのものが同様なのだ。

 我はずっと赤だったから、子供の頃から赤旗祭りも含めて歌声喫茶やあちこちの集会に出向きそこで扱われる彼らの「うた」を聴いて来た。そして良いうたも多々であったが、「うた」がある特定のイデオロギーやセクトに利用され、ある一定の型やスタイルにカテゴライズされていく姿を観続けて来た。
 極端な話、党から除名されたりトロとして(偽サヨクとかトロッキストの類)批判された人が作ったうたは、その集まりでは唄われなかったり禁じられていることを目の当たりにしてきた。
 そのうたは良いうただったが、作った人がワルイので唄ってはいけないのだと知らされた。そんなバカな話があるのか、とそのとき我は思ったが、今にしてもやはりそうした体質は絶対おかしいと思う。

 うたはうたでしかないし、作者の手を離れてそこにしっかり存在している。作り手がどうあれ、誰がどう歌たって何がいけないのだろうか。
 優れたうたならば、作者が誰かは誰も知らなくても皆が聞き覚えて口々に唄い継がれていく。それをある団体やイデオロギーがどうこう指示してくることは絶対的に間違っている。
 つまり彼らにとってのうたとは、集会の彩り、アトラクションでしかないし、たとえそうでないとしても、ある目的のために用いる「手段」でしかなかったのかと今気づく。音楽やうたとはそれでも良いではないかと言う人もいよう。
 だが、我は良しとしない。うたはうたでしかないが、集会という刺身のツマに甘んじてはならない。うたはうたとして独自に存在し、個々の唄い手にとって一つの意思表示であり表現手段として扱われなくてはならない。

 そうしたことをずっと考えて来て、政治に対して熱い思いを抱えているマジメなシンガーたちに働きかけて、この連続企画、「今こそ皆で、反戦歌、労働歌、そして生活のうたを唄おう」コンサートを続けて来た。
 当初から2016年夏の参院選の前まで、できるだけ数を重ねてやっていこうと考えていた。昨年の夏前から始めて、ついに四回目を迎えることとなった。出演者も回数も集客のほうも全て予定通りであり、我の予想や期待をはるかに超えた良い演奏がそこでは続いている。

 さらに予想外のこととして、我もまた性懲りもなく前座ではあるが、出る側の一唄い手として、毎回少しだがその場でお時間を頂いている。むろんそれもこれも「投げ銭」というシステム故で、きちんと観覧料を頂いていたら、我など我自身が出るのは禁止としていただろう。まあ、我が出てお耳を汚したからといって、来た観客が怒って投げ銭を入れないとか減らすことはないと信じたいし、それ以上に他の出演者たちは皆素晴らしく高い評価を得る人たちだと確信している。
 そうした素晴らしいコンサートを企画し続けられたこと、実に有難い僥倖であったと今思う。むろん機会と時間など赦すのならば、こうしたイベントはこれからも関わりたいし、企画者として全責任を負いたいとも思う。まあ、それも今の状況から抜け出せたならばの話だ。

 しかし、自らが唄い手、唄う側としては、そろそろここいらが潮時かと思う。何故ならば、我はやはり唄う側ではない者だとこのところはっきり認識したからだ。
 上手いとか下手とかそういう次元ではない。音楽は好きだし、我は音楽のことは一般人より理解しているという自負もある。また、ある程度ならばそれなりに上手くやれる自信もついてきた。ずっとわからなかった「うた」とは何かということも今はほぼ全てはっきりとわかる。
 そう、だからこそ、もう我の音楽活動はもういいかという気持ちになった。むろん音楽は大好きだからこれからも音楽には関わっていく。が、それは裏方として、企画したり録音録画したり、記録にとったりであって、自らがステージに上がっての活動はもう終わりにしようかと思う。

 もちろん、ギターやうたの練習はこれからもたぶんやっていく。そして、国会前での集会などでは一人でもギターかきならし唄うことも続けていくだろう。ただしそれは自己表現とはちょっと違う。あくまでも集会の裏方としてだ。
 先に書いたことと矛盾していると思うが、我にとってうたとはあくまでも手段でしかなく、唄いたい一心で、うたが目的としてうたい続けている方々とは共に場に臨むのは失礼に尽きる。そうした本気で、真剣にうたに向き合っている方々を応援していくのが我の役割であっても自らそこに出る幕はない。

 我の使命、それはフォークソングというものの伝承と伝道はこれからも続けていく。つまるところ、そうしたことの先には亡き笠木透氏の後姿が見えている。そう、彼も企画者として名を成し、そしてやがては真のフォークソングを追い求め自らうたを作り唄うというスタンスに至った。今の我は、オリジナル以前に、作者が死んだり、知る者もなくなって唄われなくなってしまったフォークソングをみつけて再び世に知らしめたいと願う。そうした活動こそが古本屋に適しているのではないか。
 我は自称古本音楽家。古い忘れ去れた良書を、手に入らば綺麗に磨いて再び世に流通させていく。我にとってのうた、フォークソングも同様にだ。

 6日は夕方4時頃から、夜8時過ぎまでたぶんやっているロングコンサートだ。かなりの長丁場であり、何も最初から最後まで観てくださいとは言えない。一部だけ、もしくは後半二部だけ来られてもちっともかまわない。出入り自由だし、次々と総勢8~9組の音楽家たちが入れ替わり登場する。どうか一人でも多くの参加者を今さらだが心待ちにしている。

★追記

 もし戦争が始まっていちばん怖れるのは、時局に合わない歌舞音曲の類は、不謹慎だと自主規制の風潮が高まっていくことだ。
 先だっての熊本の大地震でさえもテレビのバラエティ番組は被災地の大変な方々に対して失礼だと言う論議が起きていた。
 ならば国家を挙げて自衛隊改め国防軍の兵士たちが他国で集団的自衛権を果たすとして、ドンパチ命かけて戦闘行為をやりだしたらノンキに歌やお笑いに興じている者どもは全員非国民扱いとなろう。

 よく現代の戦争は、ハイテクの極致で専門化していくから、一般の国民は徴兵などとられるはずはないというお気楽なご意見をきく。確かにそうだとしても、そもそも「戦時」という非日常においては今のような自由がそのまま保障されるはずがないことは少し想像力を働かせれば誰だって気づく。
 戦争に反対できるのは、戦争が起こる前までだという箴言がある。ひとたび戦争が起きてからは反対しても非国民、もしくは敵のスパイ、テロリストのシンパとして逮捕拘禁されていく。
 それは過去の歴史をみればすぐわかる。いかに戦争がハイテク化しまして遠い異国の地で起きたとしても敵味方問わず誰も死なずに戦争が終わるはずがない。必ず誰かが殺される。そして常に戦争の後には死と破壊と禍根だけが残る。
 大地震や災害は自然が成す業だから受け入れようもあろうし復興にも強い意味がある。が、人間同士がわさわざ戦争という破壊と殺戮行為で人々の営みのみならず自然環境と人類の遺産すらも破壊しつくすのはまったくもって愚かなことだ。
 広島、長崎をみるように、後には何も残らないだけでなく、被爆地は立ち入ることすらできなくなる。なのに愚かにも今もまだ核兵器は膨大な数存在しさらに小型化しごく一地域だけピンスポットで攻撃することもできるようになって使用が検討されている。

 世界からあらゆる戦争や紛争、戦争行為を終わらせていく。そのためにも人と人が殺し合う行為とはいちばん遠いこと、共に皆が集い声合わせて唄うことで戦争法に、改憲勢力に反対していきたい。

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