人生もまた「棚卸し」中2012年02月26日 22時16分46秒

★当店ただ今棚卸し中である。

 今年は一日多いようだが、1年で一番短い月、二月ももう終わる。母の体調見もあってこの冬は極力出かけるのを控えていた。
 友人のライブにもいろいろお誘いはあったが、下手に人混みに出てインフルエンザでも持ち帰ったりすると免疫力低下している母は一たまりもないので寒いのを良いことに病院通いや買い物など必須の用事以外は可能な限り家に引きこもっていた。

 で、何をしているかというと、音楽関係で知り合った人たちに3.24のお誘いハガキを書いて出したり、当日に向けて部屋の片付けなども進めていたが、いちばん励んだのは古本商売の本の棚卸しであった。それは新たにアマゾンマーケットプレイスに出すのではなく、既に出品している本を一冊づつ再検索してみて、他の同じく並んでいる本の値と比べていく。
 実は、そのシステムが自分でもよくからないのだが、ウチがアマゾンに出して販売中の本は、一度出すと以降ずっと出品中のままとなっている。以前は、何ヶ月か経つといちど戻されて出品期間は終わり再出品の手続きをしなくてはならなかったのだが、今は出しっぱなしである。
 
 楽といえば楽なんだが、相場は日々刻々と変わっていく。むろんどんどん本の値が上がっていく時代なら一度付けた値は最安値になるから必ず売れるはずだ。しかし、今中古本の値段はもう紙屑同然といってよいほど値崩れを起こし安くなっていて、時間と共によほどの貴重な古書、専門書でない限りたいがいは1円、もしくはそれに限りなく近いアンビリバボーで非常識な値段になってしまう。
 だから常に他の本の動向をチェックして、他の出品者より1円でも安い価格に変えていかねば本は売れない。その作業ももちろん大事ではあるが、それ以上にすべきことはより多く一冊でも多く新たに本を出品していくことであって、基本的に今は新規に最低価格で売らない限り買い手はつかないし、逆にそうして安く出せばすぐに売れていく。

 自分は基本的に在庫管理、つまりメンテナンス=棚卸しよりも常に新規出品に精を出していた。そのほうが手早いし商売はともかく点数が勝負であったから。しかしこのところようやく出品中の本、つまり在庫の棚はいっぱいなのに全然本が売れない、要するに不良在庫は溜まる一方となってきてこれは困った事態だと気がついたのだ。いや、わかってはいたが忙しさに見て見ぬふりをしていた。
 その理由も実はわかっていた。先に書いたように、最初に出したきり、一度も同じく競合している他店の本の値段を確認していなかったのだから。誰だって同じ本が売っていたら、むろん状態の差も気にはなるが、1円でも安く良い本を買いたいに決まっている。

 それでついに意を決して、年明けからぼちぼち出品時間の長い本の棚から一冊一冊取り出してはISBNでその本の値段リストを確認してみた。案の定、かなり多くの本が、売値の最低値は1円、あるいはそれに近い値にダウンしていて、自分だけがそれに関係なく一人1200円とか最高値を臆面なくも付けている。これでは何年出品を続けていても売れるはずがない。無駄である。そうした本はすぐさま販売中止の手続きをしてリストから外し、ブックオフへ持ち込む処分本の箱に入れていく。

 まだその作業は今出品している本のうち三分の一も終わっていない。が、だいぶ棚はすいて来てスッキリ感がしてきた。むろん、本を新たに出品しているのではなく、逆に取り下げているのだから注文が増えるはずはない。今月など前月に比べて売り上げは減ってはいるのだが、それでも気分は悪くない。実に今まで売れるはずもない他では1円の値がついている本を大事に抱えて棚に並べていたものだと呆れ果てる。それがなくなっただけでも爽快に思える。
 これからは平行してこうした棚卸し作業を進めながらも空いた棚にまた新たに新規出品した本を並べていけば良い。何よりそのスペースがあることが嬉しい。こうした無駄を省いていくことこそが商売の秘訣なのだと誰だってわかっている。

 と、ふと思うのは、自分の人生もまたこうした「棚おろし」を本来すべきではなかったのかという問いである。人間関係などはおいそれと整理できないしすべきことではないが、長年抱えてきたもの、過去のなかなか整理も処分もできないものを大事に大事に溜め込んできていた。そしてそれは今もまったく棚卸し以前の状態で、ある意味その分量にも身動きとれなくなってきている。

 今、一応新しい家は成ったのだが、自分の人生の棚卸しはまだ全然進んでいない。過去のもの、過ぎた日のメモや書類、日記類なども大方処分すべきだと頭ではわかっているのだが、ずっと常に慌しく忙しかったし、今だってとてもそうして「過去」に向き合う時間など全くない。あたり前の話だが過ぎて終わってしまった過去よりも大事なのは今とこれからなのである。ならば一気にゴミとして捨てられるか。自己愛なのかそれができない。
 
 敬愛する内田百鬼園先生は、彼もまた書きかけの原稿類から師漱石の反古原稿用紙に至るまで多くの紙ゴミを長年抱えていたが、太平洋戦争の空襲で全て燃やされてしまい、結果として「非常にすっきりした」と書き記している。人はつまるところ、そうした非常事態にでも起こらない限り自らの力ではきちんと人生の棚卸しなどできないのかもしれない。
 といっても残り少なくなってきた人生、そろそろ棚卸しの時期に入ってきたのではないか。どうする?どうなる?

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