♪ああプランタン 無理もない♪2024年04月02日 23時33分51秒

★春本番4月となりました。

 寒の戻りが予想外に長く厳しく、桜の開花も遅れるほど寒い日が続いた3月だったが、月末頃から急に初夏を思わす暖かい、いや、気温がとても高い夏日が続き、ようやく冬も過ぎ去り春到来の感4月となった。
 気がつけば、これで今年も1年のうち、4分の1の3カ月が終わり、今月が終われば年の3分の1が終わり、6月が終われば半分が終わってしまう。
 まさに光陰矢の如しで、もたもたしているとつい先日、始まったと思った新年2024年も年末となってしまう。
 それでもともかく無事?に生きていられるのは良いことで喜ばしく、今はただ、この冬を何とか乗り越えられたという感慨のような気持ちでいる。
 この冬は、灯油も買わず、暖房は、寝るとき布団中の電気アンカ以外は一切何も用いず、猫たちの部屋一室だけのエアコンだけに留めたから、電気代はこの物価高でも幸い低く抑えることが出来た。
 しかし夏は、冷房を入れないことには毎年の猛暑を乗り切ることはできないと思うので、自室のエアコンも扇風機も含めて今年も毎月かなりの額となろう。
 寒ければ、ともかく布団にもぐって早く床に就き、冬眠のごとくじっとしていればよいのだが、暑いのばかりはクーラーなど、冷房をつけないことには熱中症にもなるし今は生きて行けない。

 昔の兼好法師も、家は夏を旨とすべし、記していたと思うが、今はともかく夏が長く厳しく、おそらく今年も5月頃から猛暑日が始まるようになり、それが去年と同じく10月の終わり頃まで続くのではないか。
 いちばん誰にも過ごしやすい、春と秋はさらに短くなって、夏は、一年の半分を占め、冬は三か月~、春秋はそれぞれ一か月程度となっていく。
 ならばこそ、この短い春のおだやかな季節を、花々と新緑の時をじっくり眺めゆっくり味わいたい。
 コロナ禍は去ろうとも大変な時代、世相に我々は今生きている。果たして来年もまた無事にこの花々、草木の芽生えを目にすることができるのか。
 また、そのときに余裕やゆとりがあるか、それすらもわからない。
 サトウハチローと中田喜直の名曲、『ああプランタン 無理もない』 である。
 春の物憂げな情景をうたったうたで、これ以上のうたがあろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=Pv8hsSAxgwY ※藤山一郎

https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E3%81%82%E3%81%82%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%84%A1%E7%90%86%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84&mid=B75A5A01A573C487691AB75A5A01A573C487691A&ajaxhist=0 ※ダークダックス

これからのこと・近況追記2024年04月11日 22時46分27秒

★まず、喫緊の近況から

 私事だが、久々に本格的な風邪をひいてこの数日寝込んでいた。
 先週の土曜日の夕方から、急に寒気がし水のような鼻水がひっきりなし垂れて、喉も痛いし咳も出る、しっかり風邪にかかってしまった。
 幸い齢のせいか、熱などは高くもならぬものの、ただ身体は節々が痛いし怠いので何もできず、猫たちの世話など最低限の用事以外は、ひたすらじっと横になって寝てばかりいた。
 幸いやっと昨日ぐらいから回復の兆しも見えて、まだ本調子ではないものの大事に至らず治ってきたと思える。

 しかし、このところ人とは誰とも会わず、電車にも乗らず、ライブ等の人込みには全く行かないのに、いったいどこで誰から風邪にかかったのだろうか。
 今はもうどこへも出かけず誰とも口も利かず、人と会うのは、近くのスーパーのレジ払いのときぐらいなのに風邪に感染するとは不思議でならない。
 ようやく少しづつ動き出した家の片づけ作業がまた少し足踏み状態に陥ってしまった。が・・・
 まあ、さておきそれもまた仕方ない仕方ない事態であり、大地震などで突然、家も仕事も家族知人さえ失う不測の事態を思えば、有難いと思えるほどだ。

 能登半島で今も被災され先行きの不安と日々の心労に苦しむ人たちを思うとき、もし、我に今この我家を託せる人がいるならば、すぐさま一人で現地に行って支援の一助になることを何でもしたいと心から思う。
 お金で支援できる方は、どのような枠組みでも義援金を送ることはすぐさま可能だが、今の我は、そうした余裕は皆無なのでできることとしたら体一つで現地向かい災害ゴミなどの片づけ作業ぐらいしか思いつかない。
 が、いまは途方もなく多くの猫たちがウチにはいるので、その日々世話だけに追われて一晩程度なら家を留守にできたとしても、何日も家を空けられない。
 動物たちを任せられる家族がいれば、昔のようにどこにでも週単位で気軽に行けるのだが、もう今は一人身だからほんとうに身動き取れない。災害ボランティアに限らず、数日にわたる旅行など無理であり、まして海外などへは行きたくてももはや夢物語である。

 風邪も大したことなかったから幸いだったが、何であれケガや大病等でもし入院する事態にならば、いったい動物たちの世話はどうなってしまうのか。
 今回寝ながら、風邪で息苦しい浅い眠り中で、このままでは旅行以前に、うっかり病気にも事故にもなれないなあと痛感した。
 一人暮らしは気軽で自由ではあるが、自らが病気や事故に遭ったときはまったく無力で、一人ゆえ助けも求められず究めて致死率は高い。
 できることは、自らの健康に留意して、常に最新の注意で、何事にも慎重かつ丁寧にやっていくしかない。

 どのような関係であれ、共に生活する人、家族がいる人たちは幸福、幸運なのである。事故なり地震なり病気なり、何か起きたときに何らかの対応はしてくれる。
 むろんこちらも同様に、心配し世話や介護や何らかの手配はしないとならないとしても。
 隣近所に住民はいたとしても、家族親族ではないし、まして親しい付き合いは皆無だから、しばらく我の姿が見えないとしても、誰も関心をはらわないし心配もしない。結果、死後、何週間もしてやっと異変に気がつく。

 思うのだが、独身者、いや、一人身の家庭が増えて、しかも高齢化が進む今日の社会では、行政などに頼り任せる以前に、こうした我のような単身生活者たちのネットワークを構築する必要があるのではないか。
 市であれ、国であれ、行政が管理し担当する組織によるものではなく、また金儲けの会社組織ではない、もっと緩やかなNPO的連絡&サポート組織。
 いまの、フェイスブックや旧ツイッターのようなSNSが、友人知人間においてはその役割を担っていると思えるが、もっと確実かつ真に安全安心な相互連絡確認とれる組織を。

 その組織に入って、日々ないし数日に一度、確実に連絡とるように設定しておけば、こちらと連絡とれないとき、あるいは急な助けを要するときは、すぐさま救急システムが動いて、その人の親族なり住まいの行政なり警察や医療体制側に直ちに通知がいくような仕組みを。
 むろん介護保険などの関係で、日ごろからケアマネージャーや地域包括支援センターの人と緊密な連絡とり合ったりする関係があれば不要かもしれない。
 が、この世には行政などとは全く関係を持たない人たちも多々いるわけで、高齢でも特に異常なく健康ならば、介護保険関連の繋がりは一切ない。
 一人暮らしでも我のように、近隣住民も含め地域との繋がりを持たない高齢者はたくさんいる。
 そうした孤独な一人者は、災害も含めて何か不測の事態が起きたとき、どう安否の確認をとればよいのか。いや、自ら助けをどこにどうやって求めればよいのか。
 急な病気や事故においては、救急車や警察に自ら電話連絡することもできないことも多いはずだ。
 「そのとき」にそなえ、災害時の生活グッズを装備しておくこともだが、それ以前に、まずどうやって自らの安否を外へつなげることが出来るか。そんなことをこのところずっと考えている。

 風邪のせいなのか、天候なのか、暑いのか寒いのかよくわからない。
 寝ていても、あれこれ着ると汗かくし、着ないで寝ると寒気がして眠れない。幸いいまは、心は落ちつき不安はないが、ベッドの中でぼんやりそんなことを考えたり、文庫で漱石の評伝とか読んでいた。
 そう、非人情を自覚していた先生も、大病以降、他人の恩に気づき善い人間になりたいと記している。
 先生は、それだけの仕事を遺し、門弟や家族、友人知人も多くいたから、多くの人たちが心配し回復を祈ってくれたのだ。
 我のような友人も片手に満たないほどの人間、天涯孤独となった者は大事に至ったとき、どうすべきか。
 やはり介護保険料、ちまちまと工面して払っていくしかないか。

自分は、誰よりも自由で幸福であった!!2024年04月18日 22時47分18秒

★先日、ふと気がついた

 先に記した我の本格的な風邪は、症状が出てから10日ほど過ぎた。もう治りはしたのだが、まだ喉が痛く痰も絡んで、本調子とは程遠い。
 おまけに午後になると、鈍い頭痛がしてきて起きていられず、朝もさほど早起きしていないのに、午後は何かしんどくて必ず昼寝してしまう。それも時に、かなり長く眠ってしまい、気がついたら夕方だったりもする。
 これは、嗅覚の異常も含めて先年罹患したコロナウイルスの後遺症なのかとも思うが、ともあれ無理はできない。
 そんなでようやく本腰入れて始めた片づけ作業もまた中断してしまいやや焦り苛立つ思いでもいる。
 が、ともかく少しでも少しづつでも、できるときにすべきことを一つ一つ進めていくしかない。いまは、そう自らに言い聞かせて、先行きを思うと萎えそうになる心に火をつけている。

 もう家中庭までどこもモノが溢れ溜まって、傍目には真のゴミ屋敷状態である。家の中を歩くのも猫たちが崩した本や雑誌の上を慎重に踏み越えて何とか移動している状態なのだが、先日、二階の広間の床に溜まった本や書類を改めてきちんと積み直してやっと少しづつ床が見えてきた。
 そして自らに問うた。どうしてこんな事態に陥ったのか。自分はいったいどこにいたのか、と。
 いや、ずっとここにいた。特に父が死んでからは、前にもまして出かけずひたすらずっと家に籠っていた。
 ならば、ここまで溜まり散乱し、収拾つかなくなる前にどうして手を打たなかったのか。何で全て放擲してただ溜まるに任せておいたのか。
 けっきょく今わかることは、我はずっと頭がおかしくなっていたのだ、と。いまつくづくそう思う。
 心ここにあらず、という言葉がある。まさに我は、心を失い、何もかも投げ出して、生活のすべて、人生そのものをほったらかしにしてきたのだ。結果、こうなってしまった。

 まあ、今は、そうしたおかしな状態であったことがはっきり見えてわかるのだから、少しは正気も取り戻してきたと思いたい。
 今さらながら心に誓うは、当たり前のことをただ当たり前にやっていけ、それしかない、ということだ。それも最低限の「当たり前」のことから。
 それは、歯を磨いたり顔を洗ったり、こまめに洗濯、入浴したり、スーパーの半額になった弁当や総菜でなく、自らきちんと食事を作り、使った食器はすぐ洗うとか、ごくごくヒトとして当たり前のことだ。こまめな掃除もそうだし、捨てるモノ、捨てられるものはそのままにしないでできるだけすぐに処分していくこと。

 元からだらしなく、何であれ片づけられない性分であったが、以前は、父母が生きていた頃は、彼らが動けなくなってからも我は、何とかそれを一人でやっていた。
 それが二人が逝き、一人暮らしになってからしだいしだいに崩れていき、ついには、自らの生活という「当たり前」のことを、ほぼ全て放棄してしまったのだ。幸い、猫や犬など、日々手のかかるイキモノがいたので、散歩や餌やりなど最低限の世話はしていたけれど。
 そしてようやくこの状況を何とかすべく、片づけをどうにか始め出して、先日ふと気がついた。
 もしかしたら、我は、(おそらく)誰よりも自由ではないのか、と。

 父が生きていた頃は、週かなりの割合でデイケアやショートステイなどのお泊りがあったとはいえ、不在の日でも我は父の介護のローテーション中心の生活を追われていた。
 在宅時の介助を別としても衣類の洗濯もだし、週ごとに来る訪問診療の医師や看護師、ケアマネージャーたちのために部屋を掃除したり、何だかんだやるべき用事は多々あってともかく慌ただしく日々が過ぎていた。
 それが父がいないのだから、もう誰一人訪ねては来ないのだ。家族は犬猫だけだから、ある意味、何時に寝ようが起きようが自分の自由、勝手で良いのである。
 父がいた頃のような、外の世界の人たちとは、一切関わりを持たなくてすむ。好きな時に音楽をかけたり、夜通しギター弾いても明日のことは考えなくて良いのだ。
 動物がいるから何日も家を空けられないが、一泊程度ならどこへでも行けるのだ。時間に何の束縛もない。我は何だって好き勝手にできるのだ。
 ♪女房、子供に手を焼きながらも、という唄の一節があったが、我にはもとより妻も子も、今さら関わりが必要な親類縁者もいない。ある意味、誰よりもとことん自由なのだった。

 そう気がついたら、コーフンしてきて不意にある光景が頭に浮かんだ。
 逃亡奴隷が、過酷な仕事と主人の虐待から逃げ出し、闇夜に北極星を頼りにひたすら走りに走って険しい山間に入り、ようやくここまでくれば追手も来ないと安堵して、山中ふと見つけた平らな砂地で嬉しさのあまり一人で躍っている姿である。
 が、そこは崖の上であり、そこは平らでも一歩足を踏み外せば、深い谷に落ちてしまう。自由を得たとはいえ、その先の生活の保障は何もないのである。
 だが、彼はまだそれに思い至らず、嬉しくて狂ったように崖のうえで踊っている。

 それこそが我のいまの姿なのである。崖から落ちるのも近いだろう。

まさに、自由と自堕落は紙一重であった。2024年04月19日 11時55分46秒

★金はないがまだ時間はある、身体もまだ動く

 《前回の補足》つまるところ、2016年秋の母の死後6年、我は父と二人だけで暮らしていたわけだが、その父がコロナ関連死で逝き、突然我は一人に置かれた。ほんとうの自由に、それまでの父の介護中心のルーティンから解き放たれたのだ。
 そして情けなくも今のこの惨状、苦境に至った。

 これは、向田邦子の謂いだそうだが、一人暮らしとは、『自由と自堕落は紙一重』だという名言は、まさに正鵠を得ているとつくづく今思える。
 つまり、誰にも気兼ねせず、他者の介入そのものがない故、自らのペースで何であろうと好き勝手にできる。
 が、同時に、他者の目や意見等がない分、どれほど部屋が散らかろうと身だしなみや生活がだらしなく崩れようと気にする必要はなくなる。
 自由と自堕落は、本来はまったく別の文脈で語られるべきことなのに、確かに気づけば我は、自由になった故に自堕落に陥ったのだ。

 父が生きていた時は、嫌でも介護関連で様々な他者が定期的に家に来るので、応対するために最低限の掃除や身だしなみの整えは必須であった。
 我は一人になって、一切の外との関わりが切れたとたん、徐々に生活は崩れていき面倒に思えることは全て後回しにして、日々まさにその日暮らしにだらしなく、ただ安逸を貪って刹那的に生きていた。
 むろんそこに鬱々とした心境、新たなライフスタイルに対しての戸惑いや混乱はあったと思う。ただ、最低限の、どうしてもやらねばならないこと、つまり動物たちの世話以外は、何故かすべて面倒になってしまい結果として自由は自堕落へと崩れ落ちて行ったのだと今わかる。

 先にも書いたが、増えすぎた猫たちをめぐるトラブルや、ご近所との諍いなど、自堕落が招いたトラブルも多々あった。その都度、鬱の度合いは深まり自死すら頭をよぎった。俺は、そんなに非道い人間なのかと問い直した。
 我の崩れよう、だらしなさに、かつての友人たちの多くが呆れ果て疎遠になるどころか、もう連絡してくるな、縁を切るとの通告さえあった。
 それもこれも自由という状態に甘えて、はき違えてしまいとことん自堕落に、自らを甘やかしてきたからだと今気づく。

 ともあれ、あれこれ今さら悔やんだり自らを責めても意味がない。時間は一秒たりとも戻せないし止めることはできないのだから、日々ともかくこれからも生きていくしかない。
 どうしようもない人生、咳しても一人、ならば、その一人の責任において最低限の当たり前のことを自らに課してやっていく。これ以上さらに酷く悪化しないよう律しながら。
 どうしようもない人生だが、これからは少しはマシになるよう、再びこの人生を自らのものに取り戻していく努力を精一杯やるしかない。

 テレビで先日見たが、昨今ひとり暮らしの高齢者だと、その住まいさえ見つけることがなかなか難しいそうだ。保証人も含め先行きのことを思うと、貸し渋りする大家も多いらしい。
 幸い我には、金はなくても親たちが残してくれたこの家、住まいはある。ゴミ屋敷と化して諸処の税金やあれこれ生活費はかかろうとも、ホームレスになる心配は今はない。誰にも気兼ねせず、とことん自由の上に住むところの心配はないのである。
 これはもしかしたらすごく恵まれた幸福な状況なのではないか。世にはもっと切羽詰まったギリギリの、明日生きて行くのも切実な人たちがたくさんいるのだから。

 我が人生がこの先どれほどあるのか、先行き何が起こるのか、それは誰にもわからない。しかし、老いてきたとはいえ、体調すぐれずともまだ何とか身体は動く。進行性の病にはかかっていない。
 自由なのだから時間はある意味いくらでもある。すべて自分勝手に好きなように配分できる。
 ならばモノや猫の多さを思うとき、いったい今後どうなるのか、前途多難というか先行き不安にもなってくるが、ともかくまずは今を生きること、今できることを一つづつ少しでも進めていくしかない。

 誰にも訪れる死、ゴールはもう見えてきている。あとはそこまでどれだけしっかりと自らの足で歩いていけるかだ。
 良い時もあれば悪い時もあろう。良い時は浮かれて崖から落ちないようにしないと。悪い時は自ら飛び降りないように。
 主は、こんな我をも見捨てじ、と祈るだけだ。

ただただ有難く、情けなく申し訳ない2024年04月20日 23時51分19秒

★現金書留が昨日届いた。

 拙ブログで、このところ我の窮状というか、困窮状態にあることを韜晦気味に何回か書いてきた。
 そしたらば、それらを読まれた方からコメントの書き込みが久しぶりに届き、我を暖かく励ましてくれたと同時に、猫の餌代にカンパするとのことであった。※4月11日付け。
 我としては、助けを求めたり誰かが援助してくれることを期待してこの「実情」を書いてる気は毛頭なく、正直な気持ち、まずそのお申し出には驚いたし、またそれが実現したとしても額など期待していなかった。
 この世の中は、話半分に考えておいたほうが良いことはたくさんある。届かなかったにせよ、その気持ちだけで十分だと思っていた。

 それが届いた。現金書留で。サインして配達員から受け取り、その封筒をその場で開けてさらに驚いた。額はここに記せないが、かなりの金額がピン札で入っていた。
 まずは直接、その方に届いたことの御礼を申す連絡をすべきである。が、現金書留の封筒には、住所氏名とご自宅の電話番号は書かれていたが、直に電話すべきかずっと迷っていた。何をどう話せばよいのか言葉がみつからない。口下手な我はただしどろもどろするだけだろう。また当人がうまくすぐ電話口に出られるとも限らない。

 メルアドなりショートメールが送れるならば、簡潔に感謝の意を記してまずは一区切りとできるのだが、メルアドも携帯番号もわからない。
 昨日からずっとその封筒を大事に抱えながら、どのようにその方と連絡を取り、こちらのキモチを伝えるべきか考え迷い頭悩ませていた。
 彼のコメントは、先に公開して誰でも読めるのだから、迷うところも多々あるが、やはりこの場で、つまりブログを通して今思うことと、感謝の気持ちを伝えるしかないと考えた。

 実は、その方は、拙ブログの読者とはいえ、まったく面識のない未知の人ではない。
 個人情報に関して今の時代やたらウルサイので、お名前など出せないが、我の学生時代のサークルでの後輩にあたる人で、ある意味、友人と呼べるかもしれない。
 が、学年が離れてたこともあり、個人的に親しく付き合ったり一緒に何かした記憶は思い出せない。
 ただ学生時代から非常に才気あふれる人で、常に皆に高く評価されていたと覚えるし、我もまた同様に彼には大いに注目していた。
 彼は、大学を出た後は、映画や漫画の原作、脚本家として活躍しだし、マンガ雑誌の表紙や映画のチラシなどで彼の名前を目にすることが多くなった。
 頑張ってるなあと感心し活躍を願うだけでなく、彼が手掛けたコミックスなどはできるだけ買い集め1ファンとして読んできた。

 彼との関係は、本来は先輩、後輩という括りになるのかもしれない。常識的には、先輩ならば、年下の後輩の面倒を見、世話したり何らかの影響を及ぼす立場にあるべきだと思うが、我と彼はまったく逆で、彼の方が、我を導き影響を大きく与えてきたという経緯がある。
 うんと昔、どこかで書いたかもしれないが、我がネット上で、いまの古本稼業を始めたきっかけは、彼から届いた古本が詰まった箱の中にあった、北尾トロ氏が書かれたネット古本屋開設指南本を読んだからだし、当初は、その稼業の原資となった本の多くは、彼からの寄贈によるところが大だった。
 そう思うと、友人というのはおこがましく、まさに奇特な博愛の人という気がする。何ゆえにこんな我に、これほどよくしてくれるのであろうか。

 そんな彼とはもう十年以上疎遠になってしまっていて、先にも書いたが、一方的に彼の為した仕事でのお名前を目にするだけであった。
 しかし、彼もまたこのブログは読んでくれていたわけで、今回のコメント共に現金書留によるご支援が届き、今はただただ有難く、かつ情けないような、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 もちろんすごく嬉しい。が、ほんとうに情けない気持ちと、申し訳なさ、といううまく説明できない複雑な感情はどうしたものか。

 この恩義は必ずいつか、生きている間に返したいと思うし、彼のご厚情にどのような形でも報いたいと願う。
 あえて書くが、我は、このブログはもう誰も読んでないと思っていた。昔からの旧友たちの多くは我に離反していったこともある。いや、読むのは、我を社会の敵として目し、要観察対象として監視している敵意と悪意の輩だと警戒していた。
 が、今回の件で、その考えを改めた。このブログを好意的に、少しでも楽しみにして読む人が、一人でもいるのならば、きちんと応えたいと思うし、それこそが書くことの義務、責務だと思い至った。
 彼のような善い人になりたいと願う。そして我もまたこの恩愛を、また別の誰かに届けたいと思う。
 がんばりたい。Kちゃんほんとうに有難う。

有言実行、なすべきことを進めていく2024年04月22日 11時07分16秒

★頑張れないが、頑張るしかない。

 というわけで、いくばくかのご支援を受けて、あれこれ思うところは多々あったが、その有難きお心遣いに応えるためにも我の為すべき、今できることを少しでも進めていこう。と強く決意した。

 あれこれ「ゴタクを並べずに」、本来は不言実行すべきであると、ご指摘のとおり我もまたそう思う。が、為し終えてから事後報告として書くよりも、時事的に起きていることにその都度どう対応していくか、それこそが我には問題課題であって、まず書き上げた思いを、これからは本当に実現していかねばと誓うところだ。
 また、頑張る必要はない、というお心遣いをも頂いたが、我の意志などたかが知れているもので、意志薄弱の怠け者の「がんばり」など、羽よりも軽く、外から風が吹きこめばすぐさま吹き飛んでしまうようなものだ。
 がんばってどうにかできるものならば、今頃は、我の才を活かしてもっとバリバリの売れっ子、有名人になって大金を稼ぎ、多くの貧しき人々の為の支援財団でも始めているだろう。
 だからこそ、自らを奮起させるためにもがんばる、しかない。

 ともあれ、様々な思いはあるけれども、今回のご厚意は、中央アジアやアフリカの乾燥地帯に暮らす人々が、水が出ないゆえにかなり離れた川や水場まで足を運んで、重たい思いをして水を汲んでいたのが、代わりに給水車が来てくれて、1回だけその手間が省かれたぐらいに考えることにした。
 むろん、恒久的に水道設備が通ったわけではないことは百も承知である。
 ともかく、少しは楽でき経済的悩みが軽減されるのならば、本質的・根本的悩みの解決に時間は使える。こんな我でも少しはがんばれるはずだ。
 これから、しっかり稼いでいくぞ!

 猫たちにもさっそく「ちゅ~る」でも特別にAmazonで注文して、Kちゃんからだよ、と与えて懐柔しようと思ったら、いま、これを打つパソコンのある小机の下、足元にウンチがしてある。
 なんか臭いと思ってたら、なんでこんなところにまでウンチするのか!! 素足で踏んでしまったではないか。飼い主の心、猫知らずのバカ猫たちめ!!