自分は、誰よりも自由で幸福であった!!2024年04月18日 22時47分18秒

★先日、ふと気がついた

 先に記した我の本格的な風邪は、症状が出てから10日ほど過ぎた。もう治りはしたのだが、まだ喉が痛く痰も絡んで、本調子とは程遠い。
 おまけに午後になると、鈍い頭痛がしてきて起きていられず、朝もさほど早起きしていないのに、午後は何かしんどくて必ず昼寝してしまう。それも時に、かなり長く眠ってしまい、気がついたら夕方だったりもする。
 これは、嗅覚の異常も含めて先年罹患したコロナウイルスの後遺症なのかとも思うが、ともあれ無理はできない。
 そんなでようやく本腰入れて始めた片づけ作業もまた中断してしまいやや焦り苛立つ思いでもいる。
 が、ともかく少しでも少しづつでも、できるときにすべきことを一つ一つ進めていくしかない。いまは、そう自らに言い聞かせて、先行きを思うと萎えそうになる心に火をつけている。

 もう家中庭までどこもモノが溢れ溜まって、傍目には真のゴミ屋敷状態である。家の中を歩くのも猫たちが崩した本や雑誌の上を慎重に踏み越えて何とか移動している状態なのだが、先日、二階の広間の床に溜まった本や書類を改めてきちんと積み直してやっと少しづつ床が見えてきた。
 そして自らに問うた。どうしてこんな事態に陥ったのか。自分はいったいどこにいたのか、と。
 いや、ずっとここにいた。特に父が死んでからは、前にもまして出かけずひたすらずっと家に籠っていた。
 ならば、ここまで溜まり散乱し、収拾つかなくなる前にどうして手を打たなかったのか。何で全て放擲してただ溜まるに任せておいたのか。
 けっきょく今わかることは、我はずっと頭がおかしくなっていたのだ、と。いまつくづくそう思う。
 心ここにあらず、という言葉がある。まさに我は、心を失い、何もかも投げ出して、生活のすべて、人生そのものをほったらかしにしてきたのだ。結果、こうなってしまった。

 まあ、今は、そうしたおかしな状態であったことがはっきり見えてわかるのだから、少しは正気も取り戻してきたと思いたい。
 今さらながら心に誓うは、当たり前のことをただ当たり前にやっていけ、それしかない、ということだ。それも最低限の「当たり前」のことから。
 それは、歯を磨いたり顔を洗ったり、こまめに洗濯、入浴したり、スーパーの半額になった弁当や総菜でなく、自らきちんと食事を作り、使った食器はすぐ洗うとか、ごくごくヒトとして当たり前のことだ。こまめな掃除もそうだし、捨てるモノ、捨てられるものはそのままにしないでできるだけすぐに処分していくこと。

 元からだらしなく、何であれ片づけられない性分であったが、以前は、父母が生きていた頃は、彼らが動けなくなってからも我は、何とかそれを一人でやっていた。
 それが二人が逝き、一人暮らしになってからしだいしだいに崩れていき、ついには、自らの生活という「当たり前」のことを、ほぼ全て放棄してしまったのだ。幸い、猫や犬など、日々手のかかるイキモノがいたので、散歩や餌やりなど最低限の世話はしていたけれど。
 そしてようやくこの状況を何とかすべく、片づけをどうにか始め出して、先日ふと気がついた。
 もしかしたら、我は、(おそらく)誰よりも自由ではないのか、と。

 父が生きていた頃は、週かなりの割合でデイケアやショートステイなどのお泊りがあったとはいえ、不在の日でも我は父の介護のローテーション中心の生活を追われていた。
 在宅時の介助を別としても衣類の洗濯もだし、週ごとに来る訪問診療の医師や看護師、ケアマネージャーたちのために部屋を掃除したり、何だかんだやるべき用事は多々あってともかく慌ただしく日々が過ぎていた。
 それが父がいないのだから、もう誰一人訪ねては来ないのだ。家族は犬猫だけだから、ある意味、何時に寝ようが起きようが自分の自由、勝手で良いのである。
 父がいた頃のような、外の世界の人たちとは、一切関わりを持たなくてすむ。好きな時に音楽をかけたり、夜通しギター弾いても明日のことは考えなくて良いのだ。
 動物がいるから何日も家を空けられないが、一泊程度ならどこへでも行けるのだ。時間に何の束縛もない。我は何だって好き勝手にできるのだ。
 ♪女房、子供に手を焼きながらも、という唄の一節があったが、我にはもとより妻も子も、今さら関わりが必要な親類縁者もいない。ある意味、誰よりもとことん自由なのだった。

 そう気がついたら、コーフンしてきて不意にある光景が頭に浮かんだ。
 逃亡奴隷が、過酷な仕事と主人の虐待から逃げ出し、闇夜に北極星を頼りにひたすら走りに走って険しい山間に入り、ようやくここまでくれば追手も来ないと安堵して、山中ふと見つけた平らな砂地で嬉しさのあまり一人で躍っている姿である。
 が、そこは崖の上であり、そこは平らでも一歩足を踏み外せば、深い谷に落ちてしまう。自由を得たとはいえ、その先の生活の保障は何もないのである。
 だが、彼はまだそれに思い至らず、嬉しくて狂ったように崖のうえで踊っている。

 それこそが我のいまの姿なのである。崖から落ちるのも近いだろう。

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