人間のうたを唄いながら闘いを続けて行く ― 2015年12月02日 23時55分46秒
★まずは、12/5日の「反戦歌コンサート」にぜひご参加を アクセスランキング:135位
12月に入りました。今は明後日5日の、谷保かけこみ亭での「皆で反戦歌、労働歌そして生活のうたを唄おう」コンサート(以下反戦歌コンサート)、の準備で大わらわだ。
毎度のことながら年中あたふたと雑事家事、そして老親や動物たちの世話に追われている自分だが、特に一年で一番忙しくなる12月に、ライブイベントを企画してしまい、その多忙に拍車がかかってしまった。
が、この企画は来年夏の参院選までできるだけ数多く回を重ねて続けていきたいと皆で考えたので、やはり年内には二回目を何としてもやらねばならなかった。
うたの力で政治や社会など変えられないとは思っている。しかし、今の政治を日本を何とかしたいという思いを抱いてジレンマのような気持を抱えている人たちを繋ぎ結びつけることはできるはずだと信ずる。
うたには人の気持ちを一つにする力がある。ならば、そうした場をつくっていくしかないではないか。また、自らも「うた」を持って、そうした場、街角に出向いていくことだ。
形骸化した「うたごえ」運動や、イデオロギーに統一された人たちだけが集い歌う仲間内の「うた」ではなく、もっと誰でも開かれた場で、様々なうたを聴き、知り、そして共に唄っていく場をつくりたいと願う。
今さらだが、このところピート・シーガーという人の生き方が大きな意味を自分にとって迫って来ている。彼の生き方と彼の残したうたこそが、本当の「うた」なんだと気づく。
先年彼は、百歳近くまで生き大往生を遂げたが、生涯その生き方はぶれなかった。人は隣人のために、つまり民衆のために、そしてその生きて行く環境のためにもなすべきことを、守るべきことを歌に託してわかりやすいメロディーと歌詞で、どこでも唄い続けた。
晩年、国崎清秀氏と中川五郎氏とが二人で、ピート・シーガーの家を訪ねたが、そのとき国崎さんからマスダ君も一緒に行くか、と誘われたものの、当時はまだその偉大な人の真の偉大さがよくわからず、辞去してしまった。今でもそのことを思い出しては悔やむ。せめて一度生きておられる間に、そのご厚顔を見たかったと今思う。
しかし、彼のうたは今も我の中で、特別な意味と力を持ってこのところますます大きく強く確かなものとして存在するようになってきた。真の芸術、素晴らしい芸術とは、その作家、作者、作り手を失ってもまったく関係なく未来まで残り燦然と輝き、後の世をも照らすものだ。
だから拙くともこれからも我は国会前で、首相官邸前で、ピート・シーガーが残した数々の素晴らしいメッセージソング、「人間のうた」を唄っていこうと決意している。それは一人でもギターとハーモニカを抱えて続けて行く。
嫌がらせや迫害も受けよう。時代がもっと悪くなれば逮捕されよう。しかし、人として今の時代に生きている者として、なすべきことをやっていく。もしそこに仲間たちがいれば心強い。しかし一人でもやり続ける。
かのピート・シーガーも、1950年代は「赤狩り」に遭い辛酸をなめた。が、どんなときでも屈せず志を曲げなかった。
今月は19日の国会正門前の集会で。翌日20日は国立の一ツ橋大前での反戦辻ながしにも参加出来たらと。
今年はじめた自分にとってのこの「運動」、その12/5日にも、国会前で知り合った仲間たちが来てくれると連絡があった。ならば世間からは愚かにみられても無駄ではなかったのだ。
12月に入りました。今は明後日5日の、谷保かけこみ亭での「皆で反戦歌、労働歌そして生活のうたを唄おう」コンサート(以下反戦歌コンサート)、の準備で大わらわだ。
毎度のことながら年中あたふたと雑事家事、そして老親や動物たちの世話に追われている自分だが、特に一年で一番忙しくなる12月に、ライブイベントを企画してしまい、その多忙に拍車がかかってしまった。
が、この企画は来年夏の参院選までできるだけ数多く回を重ねて続けていきたいと皆で考えたので、やはり年内には二回目を何としてもやらねばならなかった。
うたの力で政治や社会など変えられないとは思っている。しかし、今の政治を日本を何とかしたいという思いを抱いてジレンマのような気持を抱えている人たちを繋ぎ結びつけることはできるはずだと信ずる。
うたには人の気持ちを一つにする力がある。ならば、そうした場をつくっていくしかないではないか。また、自らも「うた」を持って、そうした場、街角に出向いていくことだ。
形骸化した「うたごえ」運動や、イデオロギーに統一された人たちだけが集い歌う仲間内の「うた」ではなく、もっと誰でも開かれた場で、様々なうたを聴き、知り、そして共に唄っていく場をつくりたいと願う。
今さらだが、このところピート・シーガーという人の生き方が大きな意味を自分にとって迫って来ている。彼の生き方と彼の残したうたこそが、本当の「うた」なんだと気づく。
先年彼は、百歳近くまで生き大往生を遂げたが、生涯その生き方はぶれなかった。人は隣人のために、つまり民衆のために、そしてその生きて行く環境のためにもなすべきことを、守るべきことを歌に託してわかりやすいメロディーと歌詞で、どこでも唄い続けた。
晩年、国崎清秀氏と中川五郎氏とが二人で、ピート・シーガーの家を訪ねたが、そのとき国崎さんからマスダ君も一緒に行くか、と誘われたものの、当時はまだその偉大な人の真の偉大さがよくわからず、辞去してしまった。今でもそのことを思い出しては悔やむ。せめて一度生きておられる間に、そのご厚顔を見たかったと今思う。
しかし、彼のうたは今も我の中で、特別な意味と力を持ってこのところますます大きく強く確かなものとして存在するようになってきた。真の芸術、素晴らしい芸術とは、その作家、作者、作り手を失ってもまったく関係なく未来まで残り燦然と輝き、後の世をも照らすものだ。
だから拙くともこれからも我は国会前で、首相官邸前で、ピート・シーガーが残した数々の素晴らしいメッセージソング、「人間のうた」を唄っていこうと決意している。それは一人でもギターとハーモニカを抱えて続けて行く。
嫌がらせや迫害も受けよう。時代がもっと悪くなれば逮捕されよう。しかし、人として今の時代に生きている者として、なすべきことをやっていく。もしそこに仲間たちがいれば心強い。しかし一人でもやり続ける。
かのピート・シーガーも、1950年代は「赤狩り」に遭い辛酸をなめた。が、どんなときでも屈せず志を曲げなかった。
今月は19日の国会正門前の集会で。翌日20日は国立の一ツ橋大前での反戦辻ながしにも参加出来たらと。
今年はじめた自分にとってのこの「運動」、その12/5日にも、国会前で知り合った仲間たちが来てくれると連絡があった。ならば世間からは愚かにみられても無駄ではなかったのだ。
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