新しい年に思い誓う2016年01月01日 06時07分34秒

★まだ大丈夫、まだ頑張れると

 新しい年、2016年となった。今さっき、国立から帰って来た。昔でいえば、暦が変われば歳も一歳改まるわけで、いよいよ還暦が間近となってきたという感慨深い思いがある。
 が、年齢など時間の経過の結果にすぎず、その時間という枠の中で、どれだけ納得や満足いく行為を成したかが問題なだけで、過去を悔やむ時間あるならば、これからこの一年どれだけ時間を無駄なく有用に用い成果を成せるかだけ問われている。

 そのためにも過ぎたこと、まず去年2015年を振り返らねばならない。でないとまた同じ過ちをしでかす。
 

 起きた出来事のベストテンとか、順位をつけ並べることほどの大きな事件は何もなかったが、いちばんの事件は、両国の神社のイベントで、社殿の欄干から落ちて頭を打ち、しばらくの間記憶喪失となり「発狂」してブログに記してしまい、以後も後遺症的不調感に悩まされたことだ。
 まあ、その前からメマイやふらつきなどが起こっていたところに、楽しいイベントでアルコールも入ったのがいけなかったかと思う。断続的記憶を抱えながら帰り道も青息吐息で何度もさらに転倒しつつ帰ってきて、事態そのものが自分ではまったく理解できないでいた。
 後から目撃証言等、その場にいた親しいミュージシャンから確認もとれて、高所から頭から落ちたこと、そしてしばらく当人は意識がないまま狂ったように動き回っていたことなどを知らされた。
 家に戻っても深い絶望感と全てに対しての強い嫌悪感に苛まれて、自ら伸ばしていた髪の毛を切った。ある意味、そのときが一番の危機であったかと思う。発作的に自殺していたかもしれない。翌日は頭痛とメマイに苦しみ寝込んで一日おいて立川の病院でいくつも精密検査した。
 幸いにして脳内に出血や損傷はなかったようで、その後一か月は耳鼻科と脳外科通いが続いたものの今はもう薬は飲まずとも後遺症的なものはなくなった。

 ちょうどその夏は、周りの友人知人たちが相次いで酒飲んだあと転倒したりして骨折、入院する騒動が連続して起きていた。それをヒトゴトだと思っていたら、やはり自分も同様に酒も関係して、高所からふらっと頭から落下してしまったのだから、何かそういう巡りあわせの年だったのかもしれない。そうした同類が我も入れれば4人もいて、我以外皆さん入院しての治療となった。
 その中ではいちばん軽いケガで済んだわけだが、まさに九死に一生を得たというべきか、脊椎など損傷していたら車椅子生活となっていたか、場合によっては中島らも的に死んでいたかもしれなかったわけで、まったく僥倖的に運が良かったのだ。神のご加護が我にもあったと感謝するだけだ。

 そしてそれから人生観が変わりはしないが、体調体質はすっかり変わって、アルコールは一切受け付けなくなったしまった。呑んでも旨く感じず呑めなくなった。また食の嗜好も変わってきた。それまではジャンクフードは体に悪いと知りつつもそれはそれで「ウマい」と受け入れる余裕があった。が、体が弱ったからか、食べたくなくなってきたし、無理してそうしたものを食べたりすれば即気持ち悪くなる。量自体もずいぶん減ってしまった。
 体重は、前年の秋の企画してトラブったイベント以来、関係者との調整に悩んだからか減り始めていたので、一時期は60キロをきるところまで落ちてしまった。やせて嬉しくなくはないけれど、ズボンは緩くなるし、体力は落ちるので、今年は筋トレで体重を戻していこうと考えている。

 個人的な大きな事件はまずそのことがあって、そこに、戦争法案成立阻止の国会前抗議行動などが加わり、メマイとふらつきながらもギターを抱えて夏から秋は、都心通いが続いた。
 そしてそこで、初めて一人で、紹介に参加した同志たちの前で、「ウイ・シャル・オーバーカム」などを唄い始めた。まったく反応がなかったときもあったけれど、回を重ねるごとに立ち止まり共に唄ってくれる仲間も増えて来て新たな出会いも多々あった。
 国会正門前には、あの9月19日の戦争法「成立」以後一回しか行けていないが、今年もまずは参院選まではともかく毎月19日行動には参加しようと考えている。

 その他、家庭内のことは、これまでも記してきたが、母の癌治療のため、また今月から入院しての抗癌剤投与が始まる。果たして効果があるのか、腫瘍は小さくなっていくかはやってみてみないことにはわからない。月一の間隔でやるのかもまだはっきりしないけれど、春にはたぶん「結果」は出てくると思う。ダメならダメで、また次の手を考えていくだけのことで、癌に怯えてただひたすら息を殺してじっとしているのもバカらしい。癌や病気を抱えようとも普通の、当たり前の生活、人として成すべきことはやっていかねばならならぬはずだ。

 老化やそれに伴う病気、そして死は誰にでも訪れる。それは特別なことや珍しいことでもない。このところの今の気持ちは、老いも死もそして様々な失敗や失態すらもすべて受け入れ、赦していくつもりでいる。
 ただ、怪我など酔っぱらっての事故や失態など起こしてはならないし、できるだけ自ら律して心身ともに健康であるよう努めなくてはならない。
 今望むのは、本当に良いもの、正しいもの、そして安全なものを、自ら関わり作り出していかねばならないと。それは食だけでなく、うたも音楽も人間関係さえも万事同じ。そのためにもまず自らがきちんとして、行動とカタチにして示していく。

 大変じゃない人生なんてない。そしてまだ頑張れるし、頑張らねばならぬ。まだまだできる。やるべきことがある。
 もう大丈夫、何も怖れるものはない。

老いていく自分ときちんと向き合う2016年01月02日 22時05分26秒

★老いとは全身の機能低下に他ならないが     アクセスランキング: 124位

 正月二日目である。今朝はやや冷え込んだが暖かい穏やかな日が続く。
 先日ふと気がついたが、高田渡が死んで10年。いつの間にか彼の死んだ歳を越えていて、ぎょっとした。驚いた。そして、晩年の彼の写真を使った映画のポスターを見て、傍目はどうかわからないが、今の自分はこんなに老けていないだろうと思った。いや、あんなに年寄りの50代はまずいないはずだ。 
 じっさい彼のことを知らなければ、あの老人が50代半ばだとはたぶん誰も推測すらできないであろう。今も若々しい中川五郎と同年齢だったとは言われても常識的に信じられない。

 若い時の渡氏とは、ぐゎらん堂で我は70年代半ばに何回か会っているはずなのだが、そのときどんな様子であったか記憶にない。やはり後の姿、つまり老人化したイメージがあまりに強すぎて、そちらに記憶が上書きされたのか、渡=老人という姿しか思い浮かばない。
 ただ、雑誌や紙媒体で、彼の若いころの写真を見る限り、実に精悍でカッコいい。ジェリー藤尾に似ているとか言われて、女の子のファンがたくさんいたと聞いたし、かなりバタ臭く男らしくスマートで、人気があったのも当然だと納得させる容姿であった。

 それがいったいいつからあんなに老化が始まったのか、その間の付き合いがないので、変化も何もわからない。大病したからだと誰か言ってたが、それにしてもあんなにシワシワ、ヨボヨボには普通はならない。彼のお兄さんとは何回かお会いしたが、髪も黒々として精悍な方で年齢相応どころかとても若々しい。外国では、ドラッグに溺れて容姿が激変する人もいるが、渡氏はそんなものはしていないし、酒だけであんなに老けるものなのだろうか。氏の名誉のためにも記すが、彼は酒好きではあったが、そんなアル中的に大酒呑みではないし、元々アルコールも強い方ではなかったはずだ。

 高田渡老化の謎はさておき、今自分がその渡氏の亡くなった歳を過ぎ、還暦を目前にして嫌でも老いと死について考えてしまう。
 先に、昨年7月に、両国のイベント会場で頭を打ってから体質が変わりアルコールを受け付けなくなったと書いた。が、それから半年が過ぎ、また徐々にではあるが、少しならば呑めるようにはなってきた。
 しかし、以前のように戻ったわけではない。実は、大晦日、正しくは年が明けた元日の早朝に友人たちと久々に居酒屋で、焼酎のボトルを頼み三人で1本空けるところまで付き合ったら、朝になったその日、つまり元日は一日体調崩し寝込んでしまった。
 気の合う友たちと楽しく呑んだことを後悔はしていないが、やはりもう前のように呑めないのだと自覚した。そして今ははっきりとわかる。アルコールが呑めなくなったのも味覚が変わって来たのも、頭を打ったのが原因ではなく、それはきっかけに過ぎず、老化により体の機能が低下してきていたからだと。

 ※もう一回続きを書きます。

正月四日だが、山梨へ2016年01月04日 07時22分54秒

★新年早々だが、また増冨温泉に母と甥っ子連れて行く

 正月明けて、一月四日の月曜日である。今日も晴れた。
 昨晩はブログも更新せずに早く寝て深く眠った。まだ年末からの疲れが取れない感じがしている。
 元旦の夜に、今は九州に嫁いで向うに暮らしている我の妹の長男で、こちらでアニメ会社に勤めている、マス坊の甥っ子が来た。で、4日までは休みだと言い、独り者でヒマそうにしているので急な話だが、山梨へ日帰りで行くことになった。彼はまだ向うに行ったことがない。基本「社畜」なので休みなどまず年末年始以外ないのである。

 甥は運転もできるので、代わってもらいこちらも楽できるかと思う。戻って来てから、詳しく今後のことも含め書き足すつもりでいる。それからブログも含めていよいよ今年も本格的に始動としたい。
 
 とにもかくにも本年もよろしくお願いします。

故高坂一潮追悼コンサート今年は3/27日に決定!2016年01月06日 16時42分50秒

★谷保かけこみ亭に一潮ゆかりのミュージシャンが終結   

 というわけで(何が!?)、寝てばかりはいられない。
 今年2016年も始まっている。もたもたせずに前倒しで、先へ先へと話を進めて行かねばならない。

 拙ブログをお読みの方はご存知かと思うが、青森が生んだ生活詩人、天才叙情フォークシンガー高坂一潮さんが亡くなって今年で5年となる。※2011年3月30日死去
 彼が東京に来た時は、ホームグランドとしていた国立のかけこみ亭では、毎年その3月には、亡き人を偲び追悼のイベントや集いを企画していたが、今年は、生前一潮さんと親交深かったシンガーが集い、彼を偲ぶコンサートを大々的に催すこととなった。これには我も深く関わっている。

 現段階で、参加確定しているのは、シバ、よしだよしこ、という顔ぶれだが、他にも有名ミュージシャンに店主は声かけるとのことなので、かなり豪華な顔ぶれが一堂に会すことになるかと思う。
 日時は本日確定したので、さっそくどこより早くお知らせしておく。

 2016年3月27日の日曜日。出演者多数のため開始時間はかなり早くからとなると思う。
 詳細が確定したら、また即お知らせするが、コンサートでは、一潮さんの遺したうたも多く歌われるかと思う。高田渡の後を追うかのように、倒れてそのまま還らなかった不運の天才シンガーにこの機に改めてスポットが当たることを心から望む。

 ぜひぜひ多くの参加者を心待ちにしている。※もしかしたらその前に、「反戦歌コンサート」の三回目が同所であるかもしれないが。

 ★追記:斉藤哲夫氏参加決定。

持つ者と持たざる者と・前2016年01月08日 23時26分31秒

★持つ者の悩みと不安、不自由さ             アクセスランキング: 145位

 このところずっと囚われ頭を悩ましていたことがある。山梨の古民家のことだ。当ブログに書くべきか悩んだし書こうにも事態が宙ぶらりんで書けないでいた。
 今日8日また行って今、帰って来た。とりあえずいちおう一段落はしたと思うので、やはり正直に書こう。

 山梨の古民家に泥棒が入った。いや、正確に記せば窃盗目的に誰かに勝手に入られた。いわゆる「空き巣狙い」である。特に被害はないと思うが事態そのものに悩んでいた。今日その後始末に行ってきた。といっても主に目的は新たな鍵を取り付けたことぐらいだが。

 ブログに何でもあからさまに書くと、それを目にした心無い人が、また新たに何か仕掛けてくるかもしれない。あのロス疑惑事件の三浦和義氏は、自らのブログに迂闊にもハワイ旅行へ行くことを記したため待ち構えていた向うの警察に現地で逮捕され結果として獄中で自死と繋がった。
 だから全部書くとまた新たなトラブルの火種を撒くことにもなるかとも考える。詳しく知りたい方は個人的に問い合わせてもらいたい。何でも話す。が、このまま何もなかった顔はしてられない。
 これもまた一つの啓示、メッセージであり、きちんと受け止めてフィードバックさせていかねばならない。

 山梨県北杜市に、倉庫として格安の古民家を入手して数年となる。断っておくが、別宅、別荘の類や、古式格式ある農家といったものでは全然ない。ただ単に古く、何年も空き家となっていたボロい民家であり、戸建てだが、周囲は空き家も多いが人家も並んでいる山里のほぼ限界集落の中にある。
 目的は、溜まった古本の収納場所と、母が癌治療目的に通う増冨温泉が近く、東京からも日帰りで行って帰れない距離であったので、縁あってその地でその家と関わり持つことができた。そのことは奇縁であり良かったことは間違いない。

 が、今住んでいる東京の多摩地区にあるこの家でさえも、老いて病む両親を抱えて一人で孤軍奮闘する初老の独身男としては維持に持て余しているのだから、もう一軒、山梨に家を抱えるなんてそもそも無理があった。
 家とは、マンションやアパートとは違い、戸建てとなれば、屋内、室内だけ掃除や管理すれば良いわけではない。庭から屋根、家に面した道路までが、管理と責任の範囲となり、狭い庭でも植栽の剪定から草むしりまで、さらに冬季は雪搔き、雪下ろしまでやらないとならない。それに猿対策なども含めてともかくやるべきことがいっぱいある。
 バカだから、夏の快適さとある程度の部屋の数と広さだけで即決してしまい、そうした不測面、面倒かつ大変な点は全く考慮していなかった。
 周囲に商店などは一つもなく、いちいち麓まで車で降りてインター近くのスーパーまで行かないと何一つ買えないなんてことは不便でも大した問題ではない。

 家を一つだけでも維持管理難しい人間が、もう一つ、しかも近所の歩いて行けるところならばまだしも、いちいち高速道で往復約5千円かかる、山梨県北部に老朽した家をもう一つ抱えて、そちらも常に気に掛けなくてはならないことは予想外の心労であった。

 世間から見れば、どうせゴミ同様の、価値のない古本、古雑誌、それにビデオテープやカセットテープ、ラジカセなどの旧いオーディオ類しかそこには運んでいないのだから、ゴミ屋敷然としようとほったらかしで構わない気もしていた。じっさい、庭先などウチから持って行った不要な瀬戸物類など山積み、出しっぱなしにしていた。目先の問題に気がとられ山梨の古民家のほうは半ばネグレクトしてしまっていたのだ。
 特にこのところは、ともかく慌ただしく行っても日帰りで、中に積んでいった本など投げ込んで、ろくに家にも上がらずに増冨で風呂だけ入って直帰するということが続いていた。

 だから、そうした雑然とした様を見て、これは空き家か、ほとんど住んでいない家だと目星をつけて空き巣が入ったのだ。そもそもだらしがないから、最初は空き巣が入ったことすら気がつかないでいた。ほんと恥ずかしく情けない。
 ※長くなるので回を改めて記していく。

持つ者と持たざる者と・中2016年01月09日 22時41分03秒

★空き巣事件の経過報告             アクセスランキング: 122位

 先にも記したが、年明け早々、今月半ばより母が抗癌剤投与のため入院するので、その前に少しでも免疫力を高めようと、昨年秋より時間があればせっせっと山梨へ、増冨ラジウム温泉に通っていた。だが、認知症の父は東京に残してのことなので、常に慌ただしく朝出て夜早めに戻る日帰り行であった。

 クリスマスの忘年会ライブパーティのあとに、久々に一人で、向うの古民家の中を片付けに泊まり込みで行った。そのことは既に書いたが、実はそのとき、向うの家の玄関の鍵がかかってなかった。着いたとき玄関の引き戸は閉まってはいたが無施錠であった。おやっ?と思った。
 帰るときはいつだって、電気のブレーカーを下して、水道の元栓も凍結しないよう閉め、カギも施錠して後にする。ただ、そのときは、不審に思ったが、何しろ古い家で、玄関は引違いのアルミ戸だが、カギの調子も悪いので帰るときにかけたつもりだがよくかかってなかったのかと思った。
 むろん室内も確認して、何か盗られたものや荒らされたり異常はないか二階も含めてよく確認した。しかし、何も変化はなく、元々そこに現金や貴金属類など金目のものは一切何も置いてないこともあり、もし誰かに入られたとしても盗まれるものはないと考え気にはしなかった。
 帰るときは、もちろん鍵はかかったか、しっかり確認して東京に戻った。
 
 そして正月明けて、四日の月曜に、甥っ子もそこ山梨へ行ってみたいと言うので、彼を連れて母と三人で新年早々だが出かけた。
 向うに着いて鍵とりだして閉まっているかと戸を引いたらまた鍵はかかっていない。暮れに来たときしっかり閉まったか確認したことは間違いない。ということは誰かが開けて中に侵入している。前回のことも考えればこれで二度目ということだ。そして鍵かけずに出て行ったのだ。いや、もしかしたらまだ中にいるのかもしれない。ドキドキした。
 甥っ子を伴い室内を全部確認した。誰もいないし前回と同じく荒らされたりなくなっているものなどの変化は感じない。しかし、二階の窓には鍵がかかっていなかったことが判明した。

 それから皆で増冨の湯に行ったが、風呂の中であれこれ考えた。旧い家で、鍵は前の持ち主のつけたままだから誰か他にも持っている者がいたとしてもおかしくない。だが、ならばきちんと鍵かけて出るだろう。開けっ放しにはしないはずだ。
 ということは、鍵を持っていない人間が、窓からとか入って、何食わぬ顔で玄関から出たということの可能性が高い。あるいはピッキングの可能性もある。鍵はないから戸には鍵がかかっていないままなのだ。

 以前、やはり空き巣に入られた経験を持つ女性に戻ってから電話で相談したら、(警察からの話として)泥棒は入ったところから出ることはなく玄関から帰ること、そしてプロこそ現金や貴金属以外のものなど一切手を付けないことを知らされた。そして二回も鍵が開いていたことは、もしかしたら二回、別々の空き巣が入っているのではないかと。あるいはそこに住み着いて泊まりに来ているのではないかと。

 生活臭は何もなかったから、留守の間に入り込み誰かが勝手に泊まっているとは思えないが、やはり不気味である。世間から見れば無価値の古本や古雑誌が山積みされた室内の散乱さに呆れて何も手つけず盗られたものはないとしたとしても勝手に無断で入られるのは愉快ではない。対策を立てねばならぬ。このままほっておけない。

 その日は、二階も含めて全ての窓や戸が中から閉まっているか執拗なほど確認して、玄関には鍵閉めたうえ透明テープでサッシ枠に引き戸を固定させた。そのテープを剥がさない限り中には入れない。鍵を持つものが入ればテープは剥がされているはずだ。

 小心な我は、戻ってもともかく古民家のことが気になっておちおち夜もよく眠れなかった。玄関戸のテープが剥がされている様や、入れなくなったことに腹を立て?放火されている夢すら見た。引き戸自体取り換えることや、付いている錠前部分を外し新しいしっかりしたものに換える方法などもネットで調べ確認した。その場合、自前でその交換作業をやっても部品代だけで一万円は軽くする。
 けっきょく、今ここではどんなシステムか明かせないが、ネット上で調べたさほど高くはないが、堅牢な引き違い戸用ロックキーを取り寄せて、それが到着したので大急ぎで出向いた次第。

 幸い向うに着いても今回は鍵はかかったままだったし、貼っておいたテープも剥がされずそのままだった。
 着いてすぐ早速新しいロックキーをアルミ戸に取り付けた。これで、鍵はダブルとなったわけで玄関の合鍵を持っていたとしても、ピッキングで開けたとしても新たな鍵がない限り玄関先からは入れない。不安な気持ちは収まったが、考えてみれば絶対安全安心なんてことは不可能だと気づいた。

 常時そこに住んでいたとしても、近隣に人家はあったとしても元々がシャッターもない旧くてボロい日本家屋なのである。入ろうと思えば、ガラス窓を叩き割ればわけもなく入れてしまう。高い金払って24時間監視体制のセコムなどのセキュリティシステムを導入でもしない限り、いや、それだって空き巣が入らないのではなく、入った後通報が行くだけの話で抑止力になるかすら定かでない。

 つまるところ、常にきちんと戸締りだけは確認したうえで、何が起きても仕方ないと覚悟を決めるしかないのである。人生に不慮の出来事、予期せぬ事件や事故、災難はつきものだし、それ自体は起きても仕方ないことなのだ。
 しかしそれを起こるべくして起こることにしてしまうかは、関係当事者たちの心構えも大きく関係している。空き巣に入られないよう、一目で不在の人家だと目星をつけられないよう隙を作らないことも大事だし、とにもかくにも庭木なども手入れして外から見た庭先をきちんと綺麗にしておくことだ。
 毎度のことだが、今住んでいるこの家もだが、ゴミ屋敷として化して外から見て荒れ果てていることは一目瞭然だ。ここは常に住んでいるから誰か不審者に入られないだけの話で、同様にして不在のままにすれば今回のような事件はこれからも常に起きよう。

 すべてをネグレクトせず、ほったらかしにせずに、すべてをきちんとスッキリとさせていくしかなかったのだ。それができなければどのような規模、レベルの家であれ、別宅など持つべきではない。
 冒頭に、「持つ者と持たざる者と」と記した。言うまでもないが、これは、経済的、金銭的に我が「持つ者」だという意味ではない。昔から、貧乏人の子沢山などという言葉と意味同じく、経済的側面とは別個にあれこれ「持つ」人間と「持たない」人間がいる。それだけの違いの話なだけだ。
 そして「持つ者」は、持つことで得られる喜びや利点利便以上に、「持つこと」の不安や維持管理に苦労するのだと今さらながら今回の件で学ばされた。

 持たない者は不便なことも多々あるかもしれない。が、金ですら沢山抱えている者は、それを失う不安を抱え盗られるのではと日々怯えなくてはならない。ならば最初から持たない者のほうがどれほど気楽であろうか。
 しかしそれは人それぞれの特性のようなものであり、持たないで生きられる人間もいれば、持つことでしか生きられない人間もまたいる。我もまた、持たない人間に憧れはするが、持つ者としてこれからも多々あれこれ抱えながら生きていくしかない。

 だが、それに汲々として、失う不安に囚われて頭や心いっぱいにしてはならない。良寛和尚の言葉であったか「災難にあうときは遭うのがよろし」と心して、覚悟してすべてを受け入れていくだけだ。

持つ者と持たざる者と・後2016年01月11日 18時24分44秒

★不安と憤るような気持ちは消えやしないが      アクセスランキング: 122位

 トラブルは我が影法師 とは言ったもので、バカでだらしなく考えが甘い故に、いつだってどこかしらで必ず失態失敗をしでかす。繰り返す。
 まあ、今回の山梨の古民家の空き巣騒動も、ある意味起こるべくして起きたことだと今つくづく思う。そして被害は今のところないに等しい(と思う)わけで、ならばこの程度で気づき済んだことはとても良いことだと考えている。
 ただ、こうしたことを書くと読まれた方が心配し心痛めてしまうことも多々あり、それもまた本意でなくただ申し訳なく思う次第だ。貴方のやさしさこそ貴方の宝であり大切にして頂きたい。

 このところずっと頭の中で、寝ても起きても念仏のように唱えていることがある。それは「全てを受け入れ全てを赦し、全てに感謝していく」ということで、どんなことが起ころうともただそれを受け入れていこうと覚悟した。
 この世のこと、起こることはすべてに意味と理由があり、無駄や無意味なことは一つもない。事故や老いも病も死すらもそれはメッセージであり、そのことから気づき学び得ることは必ずある。
 ならばそれは悪いこと、否定すべきことだと考えるべきではないし、そのトラブル、難事の中において、意味を問い、成すべきことを模索し全力で対処したり立ち向かうだけの話だ。

 しかし、そう頭ではわかって言い聞かせていても何かトラブルや事件、頭を痛める問題が起こると心は乱れ激しく動揺し気は転倒、パニック状態に陥ってしまう。
 もっと何ごとにも動じない肝の座った男でありたいと願うが、こればかりは我の根本的資質の部分のところにある弱さ、問題点なわけでどう矯しようもない。できることはそうした弱い人間だと深く自覚し弱さをみつめていくだけだ。
 そして何より注意しないとならないのは、我の場合、いや、人はおうおうにして、不安や哀しみなど負の感情を怒りや憤りに転嫁させてしまうことが多々あることだ。そしてその怒りやイラつきで他者を傷つけてしまう。
 起きないことは起きないわけで、起きてしまったことは誰のせいでもないし、しいて言えば起こるべくして起きたことだったり、まったく理解できない想定外のことすらまま起こる。その気持ちは胸に溜まり心が張り裂けそうになると、大声で泣くならばともかくも怒りや憤りとして爆発させてしまうことが我もまたよくあった。

 今もまだ、古民家のこと以外にも憤るような思いやうまく処理できない哀しみ、説明できない不安が心の中に渦を巻いている。だが、だからこそ、そうした感情を外へと他者へ転嫁させるのではなく、不安は不安として、哀しみは哀しみとして真正面から見つめていきたい。
 まあ一番よいことは、そうしたことは意識せずに、あまり深くは考えず囚われ縛られることなく、時間に任せてやり過ごすことだろう。

 元旦に来た年賀状に、今年は断捨離に徹底します、と新年の抱負を記された方がいた。もう何年も前からそうした「捨てる技術」がブームになり、今やそれが「終活」まで行きついた感がある。
 むろんそうしたい方、その時間があってそうできる方はそうすべきであろうし、とやかく人様のことは言う資格もない。が、ものでも何でもあれこれ抱える身として、今まで何でも捨てないで抱えて来た者として、嗤われるだろうが捨てないこと、抱えていくことへのプライドがある。覚悟もできた。
 溜め込み死蔵することは論外だが、あれこれ持っていて、あれこれあったとしてもそれはそれで決して悪いことではないだろうと。誰にも迷惑かけなければ。そう、ない、よりも、ある、ことのほうが良いに決まっている。違いますか。

 このところ、D・ソローの本などをまた折々目を通しているが、まさに正論だと思うし彼のようにシンプルに生きたいとも思うが、それは孤独に耐えうる強さがあってのことだと気づく。
 我のように、万事何ごとにも弱い人間は、人間関係も含めて多くの人と関わり有象無象の多くのものを抱えていきていくしかないのかと思う。
 それで後に残されたものがどれほど苦労するかって!? 確かに妻や子孫がいれば彼らに迷惑もかけるだろう。が、やがて天涯孤独の身となる者として、生きることが捨てていくことならばそもそも生まれてくる意味なんかないじゃん、と今は思っている。
 嫌だって人は裸で生まれて裸でまた死ぬのである。わざわざ断捨離などというブームは家族あっての人に向けた政府のマスコミ操作ではないかと訝しく思っている。

「反戦歌コンサート」第三回目は2月27日(土)に決定!2016年01月12日 08時38分25秒

★祝・中川五郎音楽活動開始50周年 1966~2016    アクセスランキング:152位

 一昨日、西荻のみ亭での毎年恒例新年会コンサートで、中川五郎氏と会い急きょ話が決まった。谷保のかけこみ亭で、昨年夏から続けている「みんなで反戦歌、労働歌、そして生活のうたをうたおう」コンサート、第三回目はいよいよ御大の登場である。パチパチパチ(拍手)!
 そもそもこのコンサートのコンセプトとは、要するにプロテストソング、メッセージソングという、時代や体制に対して若者や民衆からの抗議や抵抗の意思をうたとして今こそ再び発していくというものなのだから、そうした行動の先駆者五郎氏のご参加は必然であった。

 彼は、説明するまでもなく、60年代半ば関西から興り全国的ブームとなった関西フォークムーブメントの立役者であり、高校生の頃人前で唄い出してから実に今年で半世紀!50年となる、超ベテランだ。
 が、今も若々しく精力的に、全国を唄い周り、「うた」が当初持っていた志を失わず、愛と抵抗の歌=ピート・シーガーやビクトル・ハラが生涯歌い続けた本物のフォークソングの伝道を続けている。
 もはやその人生は「生きた伝説」の域であろうし、五郎氏と出会い彼の薫陶を受けて、フォークソングに関わるようになった我としても心から敬愛する大恩人である。

 この、かけこみ亭での連続コンサートの企画が決まった時点で、五郎氏をいつ招くかずっと考えていたのだが、まずは彼の門下生にあたる若手ミュージャンたちが「地ならし」をしたうえで、二回終えて環境も整ったと思い、ようやく第三回目で出演依頼し快諾頂いた。

 彼には今回たっぷりと、反戦歌のみならず、50年間歌い続けて来た愛と抵抗の歌の数々を余すところなくたっぷりと唄って頂く予定でいる。
 そんなわけで、オープニングアクトとサポートのミュージシャンはいるものの、いつもの形式とは違い、ほぼ彼のソロライブとなるかと思う。
 このところ彼のライブはどこもいつも超満席、ソールドアウトである。今回もそうなることは間違いないうえあろうことか「投げ銭」制となると、絶対に遅れて来られた方は入れない。
 会場のスペースもさほど広くはないので、参加ご希望の方はお早めに、私マスダか店側にぜひ「ご予約」お願いしたい。予約者から順次中に入れて行きます。

 詳細は後ほどまたアップするが、今決まっていることだけお知らせすると

★第三回「みんなで反戦歌、労働歌そして生活のうたを唄おう」コンサート @谷保かけこみ亭 南武線谷保駅前

★2016年2月27日土曜日 午後5時半開場 6時スタート 終演9時頃※その後に五郎氏を交えて、ティーチイン兼懇親会=「打ち上げ」をやります。

★出演:中川五郎 館野公一 小林直樹他
★参加費は「投げ銭」制※予定
★問:マスダ 090-8175-8479 もしくは、かけこみ亭まで

ボウィーと共に生きた時代を噛みしめて2016年01月13日 06時06分47秒

★同時代を生きられた幸福を思わざる     アクセスランキング: 117位

 このところようやく本格的冷え込みとなり、冬らしい寒さが続いている。昨日は初雪が東京でも舞ったと報じられていた。ウチのほうでは氷雨がぱらついた程度だったが。
 1月13日の早朝である。今、犬とまだ暗い中散歩に行ってきた。さすがに寒い。

 オーティス・クレイに続きデビッド・ボウィー死去の報。年明けそうそう大好きな敬愛したミュージャンの死が続く。何ともやるせない気持ちになるけれど、今ここで私的な思い出や悼む気持ちを長ったらしく綴る暇はない。
 我が書かなくてもこれから多くの人たちがそれぞれ各自それぞれの思いや哀しみをそれぞれの場で表すだろうし、その偉大さの前に、一ファンとしてはただ黙して、彼らのレコードに針を落とし耳傾けることしかできやしない。
 人が死ぬのは仕方ないし何歳で死のうと志半ばの思い遺して無念の死ならばともかくも、ある程度生きて十分に活躍し良い仕事、作品を多々残したのだから良しとすべしなのである。

 ただファンとしては当然愛する者を失うわけだから身を切られるように辛い。スターだから直に連絡とれるわけでもないし直に会えるわけでなくとも、その人が今共に時代を生きているのと、死んで不在となってしまうのとはまったく違う。
 たとえ何も活動していなかったとしても彼が生きていることがファンにとっては心の支えであるし、生きがいにすらなっていることがよくある。それが同時代ということであり、同時代性ということだ。

 死んでしまった者は、時代という永遠に続く長い一本道の途中で歩むのを止めたということであり、スタートは別々だとしても今までは常に横にいてくれて我々と共に判走していた人を突然失ったという驚きと嘆きで哀しいのだ。
 ただ思うことは、我々はそうして彼と共に生きた記憶があるわけで実に幸福だということだ。今の若い人たちは当然のこと実体験はないわけだが、その70年代の全盛期、いや、そんな言い方は失礼だろう、一番華やかなりし頃の姿をリアルタイムで体験することができた。あのジャケットデザインからサウンドまで完璧に仕立てられた素晴らしい奇跡のような作品の数々をレコードで直に受け取ることができた。ミュージックライフ誌などでその一挙一動をリアルに知ることができた。彼とその時代をまさに共有することができたのだ。振り返ればまさに夢のようだ。

 その幸福な記憶を噛みしめ去っていく偉大な人を感謝の気持ちで送りたい。そして今だからこそはっきりわかる。彼こそが、それまでシンガーとかロックミュージシャンと呼ばれていた音楽業界の人たちを、アーチストとして呼ばれるようにし、芸術家の域に高めた功労者だと。ボウィーという真の天才がいたからこそ、ロックミュージックという若者向け商業音楽は、アートの世界に仲間入りすることができたのだ。

 たかがロックミュージック。だが、彼が地球に落ちて来たからこそロックはここまで人々の意識を大きく変えるものへと成長したのだ。真に偉大な天才をただただ深く悼む。ただただ感謝である。
 若き日に彼と共に生きられて実に幸運幸福であった。

誰もが、自分の場所で自分のうたを2016年01月14日 09時41分48秒

★ようやく今年の予定も出そろい始めた。      アクセスランキング: 115位

 年明けからばだたばたと何度も山梨へ行ったり人と会う用事が続いていた。来週からは、母がまた抗癌剤投与のため入院するし、それに合わせて九州より我の妹が上京となる。母はその週のうちに退院できるかと思うが、その週も病院通い他で忙しくなるかと思う。

 今年もそんなで慌ただしい、ゆっくりパソコンに向かう時間すらとれない年になるような気がする。しかし、できること、やることがあるのは良いことであり、早くもこの二月、三月の予定は出そろった。

 コンサートのほうは、どちらも月末の27日に、同じくかけこみ亭で、中川五郎氏をメインに「反戦歌、労働歌」コンサート、そして亡き一潮さん縁のミュージシャンが集っての「高坂一潮5回目の偲ぶ会」が決まった。
 出演者も主だった人は決定したので、あとは早くチラシなどを作り、あちこちに宣伝告知し集客に励み、イベントとして成功に導くよう努力するだけだ。

 今日は親たちは二人ともデイサービスに一緒に行ったので、日中は一日一人で家にいられる。さらに嬉しいことに今週は土日も含めて特に出かける用事も人と会う約束もない。
 外は冷え込みかなり寒いが、穏やかな日射しもあって窓際は暖かい。ほっと一息ついて今さらだが、正月気分のような気持ちでいる。

 今年の抱負や誓いなどというものはないが、ともかく我も親たちも老いた犬猫たちも一日でも長く生き永らえてその与えられた生をとことん全うできることを願い祈るだけだ。

 うたやそれに伴うライブ企画、人間関係などに一昨年秋から去年もずいぶん悩まされた。しかし、自らが一人で、どこであろうと唄おうと決意してからはそうした悩みや葛藤はなくなってきた。
 問題は場所や他者に求めるのではなく、我がうちにあり、それを踏まえて自分という「個」に立ち返って、うたを通して示していけば良いだけの話だったのだ。
 それこそが思う通りに生きるということであり、自分をみつめ、ありがままに、その思いをうたに、行動にしめしていけば良いのだと思い至った。
 以前は人を羨み、思い通りにならなければ恨み、そして苛立ち、それらは焦りへと繋がり、ずいぶん煩悶に苦しんだ。が、たった一人で路上で唄い出してからは、我にはまずうたがあり、うただけがあれば他のことは度つはどうでも良いのだと気がついた。
 そして今はこう思う。人のことなんか関係ない。自分の場所で、自分のペースで、自分のうたを自ら唄っていけば良いのだと。上手い下手なんかどうでもいい。そこに観客がいれば幸いだが、一人もいなくたってそれは関係ない。ともかく少しでも思い通りに歌えるように努力して日々歌い続けていくことだ。
 そのことは実は誰だって同じで人生の真理でもあった。

 人の歌を知り、人の歌に耳を傾けることもとうぜん大事だが、誰もが自分のうたを、自分だけのうたに早く気がつき、それを自分の場所で唄っていけば良いだけの話であった。
 今の時代は、人のうたも聴かず、自分のうたも歌わない人が多すぎる。あえて言うが、うたや音楽、そしてあらゆる「芸術」とは、そもそもその人個々の内にあるものなのである。コンサートにせっせっと足を運ぶ人や良し。が、本来はその人の内にある、常に流れているメロディーにも耳を傾けるべきではないか。

 そして、願わくばそうしてみつけた貴方の、貴方だけのうたを僕にも聞かせてほしい。うたとはそうしたものなのだ。人はもっと誰もが唄うべきなんだと。