新しい年に思い誓う ― 2016年01月01日 06時07分34秒
★まだ大丈夫、まだ頑張れると
新しい年、2016年となった。今さっき、国立から帰って来た。昔でいえば、暦が変われば歳も一歳改まるわけで、いよいよ還暦が間近となってきたという感慨深い思いがある。
が、年齢など時間の経過の結果にすぎず、その時間という枠の中で、どれだけ納得や満足いく行為を成したかが問題なだけで、過去を悔やむ時間あるならば、これからこの一年どれだけ時間を無駄なく有用に用い成果を成せるかだけ問われている。
そのためにも過ぎたこと、まず去年2015年を振り返らねばならない。でないとまた同じ過ちをしでかす。
起きた出来事のベストテンとか、順位をつけ並べることほどの大きな事件は何もなかったが、いちばんの事件は、両国の神社のイベントで、社殿の欄干から落ちて頭を打ち、しばらくの間記憶喪失となり「発狂」してブログに記してしまい、以後も後遺症的不調感に悩まされたことだ。
まあ、その前からメマイやふらつきなどが起こっていたところに、楽しいイベントでアルコールも入ったのがいけなかったかと思う。断続的記憶を抱えながら帰り道も青息吐息で何度もさらに転倒しつつ帰ってきて、事態そのものが自分ではまったく理解できないでいた。
後から目撃証言等、その場にいた親しいミュージシャンから確認もとれて、高所から頭から落ちたこと、そしてしばらく当人は意識がないまま狂ったように動き回っていたことなどを知らされた。
家に戻っても深い絶望感と全てに対しての強い嫌悪感に苛まれて、自ら伸ばしていた髪の毛を切った。ある意味、そのときが一番の危機であったかと思う。発作的に自殺していたかもしれない。翌日は頭痛とメマイに苦しみ寝込んで一日おいて立川の病院でいくつも精密検査した。
幸いにして脳内に出血や損傷はなかったようで、その後一か月は耳鼻科と脳外科通いが続いたものの今はもう薬は飲まずとも後遺症的なものはなくなった。
ちょうどその夏は、周りの友人知人たちが相次いで酒飲んだあと転倒したりして骨折、入院する騒動が連続して起きていた。それをヒトゴトだと思っていたら、やはり自分も同様に酒も関係して、高所からふらっと頭から落下してしまったのだから、何かそういう巡りあわせの年だったのかもしれない。そうした同類が我も入れれば4人もいて、我以外皆さん入院しての治療となった。
その中ではいちばん軽いケガで済んだわけだが、まさに九死に一生を得たというべきか、脊椎など損傷していたら車椅子生活となっていたか、場合によっては中島らも的に死んでいたかもしれなかったわけで、まったく僥倖的に運が良かったのだ。神のご加護が我にもあったと感謝するだけだ。
そしてそれから人生観が変わりはしないが、体調体質はすっかり変わって、アルコールは一切受け付けなくなったしまった。呑んでも旨く感じず呑めなくなった。また食の嗜好も変わってきた。それまではジャンクフードは体に悪いと知りつつもそれはそれで「ウマい」と受け入れる余裕があった。が、体が弱ったからか、食べたくなくなってきたし、無理してそうしたものを食べたりすれば即気持ち悪くなる。量自体もずいぶん減ってしまった。
体重は、前年の秋の企画してトラブったイベント以来、関係者との調整に悩んだからか減り始めていたので、一時期は60キロをきるところまで落ちてしまった。やせて嬉しくなくはないけれど、ズボンは緩くなるし、体力は落ちるので、今年は筋トレで体重を戻していこうと考えている。
個人的な大きな事件はまずそのことがあって、そこに、戦争法案成立阻止の国会前抗議行動などが加わり、メマイとふらつきながらもギターを抱えて夏から秋は、都心通いが続いた。
そしてそこで、初めて一人で、紹介に参加した同志たちの前で、「ウイ・シャル・オーバーカム」などを唄い始めた。まったく反応がなかったときもあったけれど、回を重ねるごとに立ち止まり共に唄ってくれる仲間も増えて来て新たな出会いも多々あった。
国会正門前には、あの9月19日の戦争法「成立」以後一回しか行けていないが、今年もまずは参院選まではともかく毎月19日行動には参加しようと考えている。
その他、家庭内のことは、これまでも記してきたが、母の癌治療のため、また今月から入院しての抗癌剤投与が始まる。果たして効果があるのか、腫瘍は小さくなっていくかはやってみてみないことにはわからない。月一の間隔でやるのかもまだはっきりしないけれど、春にはたぶん「結果」は出てくると思う。ダメならダメで、また次の手を考えていくだけのことで、癌に怯えてただひたすら息を殺してじっとしているのもバカらしい。癌や病気を抱えようとも普通の、当たり前の生活、人として成すべきことはやっていかねばならならぬはずだ。
老化やそれに伴う病気、そして死は誰にでも訪れる。それは特別なことや珍しいことでもない。このところの今の気持ちは、老いも死もそして様々な失敗や失態すらもすべて受け入れ、赦していくつもりでいる。
ただ、怪我など酔っぱらっての事故や失態など起こしてはならないし、できるだけ自ら律して心身ともに健康であるよう努めなくてはならない。
今望むのは、本当に良いもの、正しいもの、そして安全なものを、自ら関わり作り出していかねばならないと。それは食だけでなく、うたも音楽も人間関係さえも万事同じ。そのためにもまず自らがきちんとして、行動とカタチにして示していく。
大変じゃない人生なんてない。そしてまだ頑張れるし、頑張らねばならぬ。まだまだできる。やるべきことがある。
もう大丈夫、何も怖れるものはない。
新しい年、2016年となった。今さっき、国立から帰って来た。昔でいえば、暦が変われば歳も一歳改まるわけで、いよいよ還暦が間近となってきたという感慨深い思いがある。
が、年齢など時間の経過の結果にすぎず、その時間という枠の中で、どれだけ納得や満足いく行為を成したかが問題なだけで、過去を悔やむ時間あるならば、これからこの一年どれだけ時間を無駄なく有用に用い成果を成せるかだけ問われている。
そのためにも過ぎたこと、まず去年2015年を振り返らねばならない。でないとまた同じ過ちをしでかす。
起きた出来事のベストテンとか、順位をつけ並べることほどの大きな事件は何もなかったが、いちばんの事件は、両国の神社のイベントで、社殿の欄干から落ちて頭を打ち、しばらくの間記憶喪失となり「発狂」してブログに記してしまい、以後も後遺症的不調感に悩まされたことだ。
まあ、その前からメマイやふらつきなどが起こっていたところに、楽しいイベントでアルコールも入ったのがいけなかったかと思う。断続的記憶を抱えながら帰り道も青息吐息で何度もさらに転倒しつつ帰ってきて、事態そのものが自分ではまったく理解できないでいた。
後から目撃証言等、その場にいた親しいミュージシャンから確認もとれて、高所から頭から落ちたこと、そしてしばらく当人は意識がないまま狂ったように動き回っていたことなどを知らされた。
家に戻っても深い絶望感と全てに対しての強い嫌悪感に苛まれて、自ら伸ばしていた髪の毛を切った。ある意味、そのときが一番の危機であったかと思う。発作的に自殺していたかもしれない。翌日は頭痛とメマイに苦しみ寝込んで一日おいて立川の病院でいくつも精密検査した。
幸いにして脳内に出血や損傷はなかったようで、その後一か月は耳鼻科と脳外科通いが続いたものの今はもう薬は飲まずとも後遺症的なものはなくなった。
ちょうどその夏は、周りの友人知人たちが相次いで酒飲んだあと転倒したりして骨折、入院する騒動が連続して起きていた。それをヒトゴトだと思っていたら、やはり自分も同様に酒も関係して、高所からふらっと頭から落下してしまったのだから、何かそういう巡りあわせの年だったのかもしれない。そうした同類が我も入れれば4人もいて、我以外皆さん入院しての治療となった。
その中ではいちばん軽いケガで済んだわけだが、まさに九死に一生を得たというべきか、脊椎など損傷していたら車椅子生活となっていたか、場合によっては中島らも的に死んでいたかもしれなかったわけで、まったく僥倖的に運が良かったのだ。神のご加護が我にもあったと感謝するだけだ。
そしてそれから人生観が変わりはしないが、体調体質はすっかり変わって、アルコールは一切受け付けなくなったしまった。呑んでも旨く感じず呑めなくなった。また食の嗜好も変わってきた。それまではジャンクフードは体に悪いと知りつつもそれはそれで「ウマい」と受け入れる余裕があった。が、体が弱ったからか、食べたくなくなってきたし、無理してそうしたものを食べたりすれば即気持ち悪くなる。量自体もずいぶん減ってしまった。
体重は、前年の秋の企画してトラブったイベント以来、関係者との調整に悩んだからか減り始めていたので、一時期は60キロをきるところまで落ちてしまった。やせて嬉しくなくはないけれど、ズボンは緩くなるし、体力は落ちるので、今年は筋トレで体重を戻していこうと考えている。
個人的な大きな事件はまずそのことがあって、そこに、戦争法案成立阻止の国会前抗議行動などが加わり、メマイとふらつきながらもギターを抱えて夏から秋は、都心通いが続いた。
そしてそこで、初めて一人で、紹介に参加した同志たちの前で、「ウイ・シャル・オーバーカム」などを唄い始めた。まったく反応がなかったときもあったけれど、回を重ねるごとに立ち止まり共に唄ってくれる仲間も増えて来て新たな出会いも多々あった。
国会正門前には、あの9月19日の戦争法「成立」以後一回しか行けていないが、今年もまずは参院選まではともかく毎月19日行動には参加しようと考えている。
その他、家庭内のことは、これまでも記してきたが、母の癌治療のため、また今月から入院しての抗癌剤投与が始まる。果たして効果があるのか、腫瘍は小さくなっていくかはやってみてみないことにはわからない。月一の間隔でやるのかもまだはっきりしないけれど、春にはたぶん「結果」は出てくると思う。ダメならダメで、また次の手を考えていくだけのことで、癌に怯えてただひたすら息を殺してじっとしているのもバカらしい。癌や病気を抱えようとも普通の、当たり前の生活、人として成すべきことはやっていかねばならならぬはずだ。
老化やそれに伴う病気、そして死は誰にでも訪れる。それは特別なことや珍しいことでもない。このところの今の気持ちは、老いも死もそして様々な失敗や失態すらもすべて受け入れ、赦していくつもりでいる。
ただ、怪我など酔っぱらっての事故や失態など起こしてはならないし、できるだけ自ら律して心身ともに健康であるよう努めなくてはならない。
今望むのは、本当に良いもの、正しいもの、そして安全なものを、自ら関わり作り出していかねばならないと。それは食だけでなく、うたも音楽も人間関係さえも万事同じ。そのためにもまず自らがきちんとして、行動とカタチにして示していく。
大変じゃない人生なんてない。そしてまだ頑張れるし、頑張らねばならぬ。まだまだできる。やるべきことがある。
もう大丈夫、何も怖れるものはない。
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