誰もが、自分の場所で自分のうたを2016年01月14日 09時41分48秒

★ようやく今年の予定も出そろい始めた。      アクセスランキング: 115位

 年明けからばだたばたと何度も山梨へ行ったり人と会う用事が続いていた。来週からは、母がまた抗癌剤投与のため入院するし、それに合わせて九州より我の妹が上京となる。母はその週のうちに退院できるかと思うが、その週も病院通い他で忙しくなるかと思う。

 今年もそんなで慌ただしい、ゆっくりパソコンに向かう時間すらとれない年になるような気がする。しかし、できること、やることがあるのは良いことであり、早くもこの二月、三月の予定は出そろった。

 コンサートのほうは、どちらも月末の27日に、同じくかけこみ亭で、中川五郎氏をメインに「反戦歌、労働歌」コンサート、そして亡き一潮さん縁のミュージシャンが集っての「高坂一潮5回目の偲ぶ会」が決まった。
 出演者も主だった人は決定したので、あとは早くチラシなどを作り、あちこちに宣伝告知し集客に励み、イベントとして成功に導くよう努力するだけだ。

 今日は親たちは二人ともデイサービスに一緒に行ったので、日中は一日一人で家にいられる。さらに嬉しいことに今週は土日も含めて特に出かける用事も人と会う約束もない。
 外は冷え込みかなり寒いが、穏やかな日射しもあって窓際は暖かい。ほっと一息ついて今さらだが、正月気分のような気持ちでいる。

 今年の抱負や誓いなどというものはないが、ともかく我も親たちも老いた犬猫たちも一日でも長く生き永らえてその与えられた生をとことん全うできることを願い祈るだけだ。

 うたやそれに伴うライブ企画、人間関係などに一昨年秋から去年もずいぶん悩まされた。しかし、自らが一人で、どこであろうと唄おうと決意してからはそうした悩みや葛藤はなくなってきた。
 問題は場所や他者に求めるのではなく、我がうちにあり、それを踏まえて自分という「個」に立ち返って、うたを通して示していけば良いだけの話だったのだ。
 それこそが思う通りに生きるということであり、自分をみつめ、ありがままに、その思いをうたに、行動にしめしていけば良いのだと思い至った。
 以前は人を羨み、思い通りにならなければ恨み、そして苛立ち、それらは焦りへと繋がり、ずいぶん煩悶に苦しんだ。が、たった一人で路上で唄い出してからは、我にはまずうたがあり、うただけがあれば他のことは度つはどうでも良いのだと気がついた。
 そして今はこう思う。人のことなんか関係ない。自分の場所で、自分のペースで、自分のうたを自ら唄っていけば良いのだと。上手い下手なんかどうでもいい。そこに観客がいれば幸いだが、一人もいなくたってそれは関係ない。ともかく少しでも思い通りに歌えるように努力して日々歌い続けていくことだ。
 そのことは実は誰だって同じで人生の真理でもあった。

 人の歌を知り、人の歌に耳を傾けることもとうぜん大事だが、誰もが自分のうたを、自分だけのうたに早く気がつき、それを自分の場所で唄っていけば良いだけの話であった。
 今の時代は、人のうたも聴かず、自分のうたも歌わない人が多すぎる。あえて言うが、うたや音楽、そしてあらゆる「芸術」とは、そもそもその人個々の内にあるものなのである。コンサートにせっせっと足を運ぶ人や良し。が、本来はその人の内にある、常に流れているメロディーにも耳を傾けるべきではないか。

 そして、願わくばそうしてみつけた貴方の、貴方だけのうたを僕にも聞かせてほしい。うたとはそうしたものなのだ。人はもっと誰もが唄うべきなんだと。