老いていく自分ときちんと向き合う2016年01月02日 22時05分26秒

★老いとは全身の機能低下に他ならないが     アクセスランキング: 124位

 正月二日目である。今朝はやや冷え込んだが暖かい穏やかな日が続く。
 先日ふと気がついたが、高田渡が死んで10年。いつの間にか彼の死んだ歳を越えていて、ぎょっとした。驚いた。そして、晩年の彼の写真を使った映画のポスターを見て、傍目はどうかわからないが、今の自分はこんなに老けていないだろうと思った。いや、あんなに年寄りの50代はまずいないはずだ。 
 じっさい彼のことを知らなければ、あの老人が50代半ばだとはたぶん誰も推測すらできないであろう。今も若々しい中川五郎と同年齢だったとは言われても常識的に信じられない。

 若い時の渡氏とは、ぐゎらん堂で我は70年代半ばに何回か会っているはずなのだが、そのときどんな様子であったか記憶にない。やはり後の姿、つまり老人化したイメージがあまりに強すぎて、そちらに記憶が上書きされたのか、渡=老人という姿しか思い浮かばない。
 ただ、雑誌や紙媒体で、彼の若いころの写真を見る限り、実に精悍でカッコいい。ジェリー藤尾に似ているとか言われて、女の子のファンがたくさんいたと聞いたし、かなりバタ臭く男らしくスマートで、人気があったのも当然だと納得させる容姿であった。

 それがいったいいつからあんなに老化が始まったのか、その間の付き合いがないので、変化も何もわからない。大病したからだと誰か言ってたが、それにしてもあんなにシワシワ、ヨボヨボには普通はならない。彼のお兄さんとは何回かお会いしたが、髪も黒々として精悍な方で年齢相応どころかとても若々しい。外国では、ドラッグに溺れて容姿が激変する人もいるが、渡氏はそんなものはしていないし、酒だけであんなに老けるものなのだろうか。氏の名誉のためにも記すが、彼は酒好きではあったが、そんなアル中的に大酒呑みではないし、元々アルコールも強い方ではなかったはずだ。

 高田渡老化の謎はさておき、今自分がその渡氏の亡くなった歳を過ぎ、還暦を目前にして嫌でも老いと死について考えてしまう。
 先に、昨年7月に、両国のイベント会場で頭を打ってから体質が変わりアルコールを受け付けなくなったと書いた。が、それから半年が過ぎ、また徐々にではあるが、少しならば呑めるようにはなってきた。
 しかし、以前のように戻ったわけではない。実は、大晦日、正しくは年が明けた元日の早朝に友人たちと久々に居酒屋で、焼酎のボトルを頼み三人で1本空けるところまで付き合ったら、朝になったその日、つまり元日は一日体調崩し寝込んでしまった。
 気の合う友たちと楽しく呑んだことを後悔はしていないが、やはりもう前のように呑めないのだと自覚した。そして今ははっきりとわかる。アルコールが呑めなくなったのも味覚が変わって来たのも、頭を打ったのが原因ではなく、それはきっかけに過ぎず、老化により体の機能が低下してきていたからだと。

 ※もう一回続きを書きます。