めまい、ふらつき再考 ― 2016年01月17日 08時57分23秒
★原因は、山梨の高地への日帰り行なのかと アクセスランキング: 172位
1月17日、阪神淡路大震災の日である。また朝が来た。体調すぐれずこの数日、ブログは書けないでいた。申し訳ない。
私ごと、まして体調、体質のことなので書いても仕方ないと、書くべきでないと今も迷うところだが、更新できない「理由」なので書くことにした。
去年の秋以降は収まっていた我が「持病」である、めまいが年明けて8日よりまた再発した。それ以降薬は服んでもずっと続いていて、午前中はまだしも夜になると頭痛を伴いしんどくて起きていられない。
仕方なく晩飯も軽く済ましたらすぐにベッドに入ってしまう。昨日も夜9時には寝てしまった。今は寝たり起きたりの半病人という有様で、老親の介助よりまず我が身の体調維持が先決となってしまった。情けない限りである。
まあ、幸いにしていちばんひどい状態、朝目覚めても周囲がぐるぐる回っているようなベッドから体すら起こせないほどのレベルはなく――そういうときは吐き気もあり何も食べられないわけだが、日常的な立ち眩み、ふらつき程度で生活には特に支障はない。
ただ、夕刻や夜になって疲れも溜まると、頭は重くなり頭痛も加わりフラフラして立って何か作業するのは辛くてたまらない。晩飯だけかろうじて親たちに作って出したらもう起きてられず倒れ込むように横になってしまう。そんなでブログどころかパソコンにすら向かえなかった。
去年の夏前より始まったこの「病気」、今はある程度どうして起こるか、その原因もほぼ見当がついてきたような気がしている。これは疲労も関係する「高山病」の一種なのである。
人にはそれぞれ体質があり、我の場合、右の耳の機能がもともとあまり良くなく、三半規管に支障があるのか幼児より乗り物などにきわめて酔いやすかった。遠足などでバスに乗れば毎回確実に酔って吐いていた。遊園地などの遊具だって、回転式のものは厳禁であった。
大人になってそうした傾向はほぼ収まったものの、三十代に入った頃だっただろうか、フランスをブラブラ旅していたとき、四千メートル近い山に一気に登り高山病にかかって苦しんだことがあった。
スキーで有名なリゾート、シャモニーに泊まり、有名なモンブラン山を眼前に見える、アギーユ・ミディという富士山より高い標高の山にうっかり登った。
その山は、ローブウェイやリフトが完備されていて、それを乗り継げば自力で、つまり徒歩で歩かなくても山頂の展望台まで登れる。だが、途中で休憩し時間かけて高度に体を慣らしていかねばならないところ、バカでまだ若かったから過信して数千メートルも迂闊にも一気に上ってしまったのだ。
登っているときは何ともなかったが、麓に降りてしばらくしたらメマイと吐き気で動けなくなり、這うようにしてホテルに戻り数日寝込んでしまった。頭痛がしメマイとふらつきがひどく吐き気すらある。しんどくて動けない。けっきょく、もうそれから旅は続けられず、仏人の友人がいたパリに何とか戻りしばらくそこに転がり込み体調戻すことがやっとできた。それが「高山病」だと後から知らされた。
以後、日本最高の山、富士にも何度も登った。が、そこは自力で、五合目から途中の山小屋で一泊して時間かけて徒歩で登るからか、降りても高山病にはかかったことがない。
しかし、このところ山梨へ行くようになって、日帰りで東京から北杜市増冨の標高千メートルを越す山中の温泉に入り、そのまままた山を下り東京に直帰することを繰り返しているうちに耳の調子がおかしくなってきた。
昨年暮れから今回のめまいが起きる迄、割と頻繁に母を連れてほぼ週一間隔でその日帰り往復を繰り返していた。特に直前に行ったときは、帰りの八王子のインター出るまで耳が詰まったままなのが抜けずにヘンな感じが続いていた。そして山梨から戻って数日してめまい再開である。これは高山病の一種なのである。
昨年この「持病」が起き始めた頃も山梨へ無理して何度も行き、しかもかなり疲労が蓄積していた記憶がある。
都心の地下鉄の駅で、地上から地下深くまでエレベーターで降りたり上ったりする駅がある。普通の人は何も感じないだろうが、我はそんな高度差でも耳が詰まりヘンな感じがするときがある。これは体質であり、いつも山梨へ同行している老いた母は何も体調の変化は感じないと言っている。我のこれはメマイ体質とでも呼ぶべきか。
ならば、日帰りでなく、山梨へ行ったときは常に向うで一泊して高度の変化に体を慣らして時間かけて戻ればめまいは起きないはずなのだ。じっさい、帰り道も中央高速でなく、甲州街道をちんたらゆっくり走って帰れば耳もめまいも何ともない。
翻って、人生もまた然るべきかと思う。人には個々の体調、体質がある。無理して一気にやろうとか負荷をかけると、それが普通に苦も無くできる人はともかく、我のような不具合ある性質の者はやがては体調を崩す。
甲州街道をゆっくり自然走行で下るように、我が人生も急がず無理せずやっていくしかないのかと思う次第。そんな余裕があるかはさておき。寝込んで動けなくなるよりはマシであろう。
1月17日、阪神淡路大震災の日である。また朝が来た。体調すぐれずこの数日、ブログは書けないでいた。申し訳ない。
私ごと、まして体調、体質のことなので書いても仕方ないと、書くべきでないと今も迷うところだが、更新できない「理由」なので書くことにした。
去年の秋以降は収まっていた我が「持病」である、めまいが年明けて8日よりまた再発した。それ以降薬は服んでもずっと続いていて、午前中はまだしも夜になると頭痛を伴いしんどくて起きていられない。
仕方なく晩飯も軽く済ましたらすぐにベッドに入ってしまう。昨日も夜9時には寝てしまった。今は寝たり起きたりの半病人という有様で、老親の介助よりまず我が身の体調維持が先決となってしまった。情けない限りである。
まあ、幸いにしていちばんひどい状態、朝目覚めても周囲がぐるぐる回っているようなベッドから体すら起こせないほどのレベルはなく――そういうときは吐き気もあり何も食べられないわけだが、日常的な立ち眩み、ふらつき程度で生活には特に支障はない。
ただ、夕刻や夜になって疲れも溜まると、頭は重くなり頭痛も加わりフラフラして立って何か作業するのは辛くてたまらない。晩飯だけかろうじて親たちに作って出したらもう起きてられず倒れ込むように横になってしまう。そんなでブログどころかパソコンにすら向かえなかった。
去年の夏前より始まったこの「病気」、今はある程度どうして起こるか、その原因もほぼ見当がついてきたような気がしている。これは疲労も関係する「高山病」の一種なのである。
人にはそれぞれ体質があり、我の場合、右の耳の機能がもともとあまり良くなく、三半規管に支障があるのか幼児より乗り物などにきわめて酔いやすかった。遠足などでバスに乗れば毎回確実に酔って吐いていた。遊園地などの遊具だって、回転式のものは厳禁であった。
大人になってそうした傾向はほぼ収まったものの、三十代に入った頃だっただろうか、フランスをブラブラ旅していたとき、四千メートル近い山に一気に登り高山病にかかって苦しんだことがあった。
スキーで有名なリゾート、シャモニーに泊まり、有名なモンブラン山を眼前に見える、アギーユ・ミディという富士山より高い標高の山にうっかり登った。
その山は、ローブウェイやリフトが完備されていて、それを乗り継げば自力で、つまり徒歩で歩かなくても山頂の展望台まで登れる。だが、途中で休憩し時間かけて高度に体を慣らしていかねばならないところ、バカでまだ若かったから過信して数千メートルも迂闊にも一気に上ってしまったのだ。
登っているときは何ともなかったが、麓に降りてしばらくしたらメマイと吐き気で動けなくなり、這うようにしてホテルに戻り数日寝込んでしまった。頭痛がしメマイとふらつきがひどく吐き気すらある。しんどくて動けない。けっきょく、もうそれから旅は続けられず、仏人の友人がいたパリに何とか戻りしばらくそこに転がり込み体調戻すことがやっとできた。それが「高山病」だと後から知らされた。
以後、日本最高の山、富士にも何度も登った。が、そこは自力で、五合目から途中の山小屋で一泊して時間かけて徒歩で登るからか、降りても高山病にはかかったことがない。
しかし、このところ山梨へ行くようになって、日帰りで東京から北杜市増冨の標高千メートルを越す山中の温泉に入り、そのまままた山を下り東京に直帰することを繰り返しているうちに耳の調子がおかしくなってきた。
昨年暮れから今回のめまいが起きる迄、割と頻繁に母を連れてほぼ週一間隔でその日帰り往復を繰り返していた。特に直前に行ったときは、帰りの八王子のインター出るまで耳が詰まったままなのが抜けずにヘンな感じが続いていた。そして山梨から戻って数日してめまい再開である。これは高山病の一種なのである。
昨年この「持病」が起き始めた頃も山梨へ無理して何度も行き、しかもかなり疲労が蓄積していた記憶がある。
都心の地下鉄の駅で、地上から地下深くまでエレベーターで降りたり上ったりする駅がある。普通の人は何も感じないだろうが、我はそんな高度差でも耳が詰まりヘンな感じがするときがある。これは体質であり、いつも山梨へ同行している老いた母は何も体調の変化は感じないと言っている。我のこれはメマイ体質とでも呼ぶべきか。
ならば、日帰りでなく、山梨へ行ったときは常に向うで一泊して高度の変化に体を慣らして時間かけて戻ればめまいは起きないはずなのだ。じっさい、帰り道も中央高速でなく、甲州街道をちんたらゆっくり走って帰れば耳もめまいも何ともない。
翻って、人生もまた然るべきかと思う。人には個々の体調、体質がある。無理して一気にやろうとか負荷をかけると、それが普通に苦も無くできる人はともかく、我のような不具合ある性質の者はやがては体調を崩す。
甲州街道をゆっくり自然走行で下るように、我が人生も急がず無理せずやっていくしかないのかと思う次第。そんな余裕があるかはさておき。寝込んで動けなくなるよりはマシであろう。
雪の中、母の手を引き病棟へ ― 2016年01月18日 21時13分59秒
★すべての思いは「外」へ出すことから アクセスランキング: 129位
想定外の雪であった。今年は暖冬で、この前日もぽかぽか陽気であったから、予報では今日月曜は広く雪となると言ってたが、おそらく積もることなどなく、降ったとしてもすぐに溶けるだろうと高括っていた。
が、夜中から降り出した雪は朝にはかなり積もっていて、やがては雨に変わったものの、車走らせるのに苦労するほどの積雪となった。そんな日に、母は午後から立川の病院に入院することとなってたので、早い昼食後、よりによってと思いつつ慎重にハンドル握った。チェーンなどつけてはなかったが、スタッドレスのタイヤに替えてはいたので、時間はかかったが何とか無事着くことができた。
母は明日一日かけて抗がん剤を投与される。特に問題なければ明後日午後には退院できる予定である。その結果はどうなるかやってみないとわからないが、とにもかくにも、良くも悪くも一つ歩を進められたという満足感のような思いがある。これで良かったのだと思いたい。
母は今年86歳となる。その歳で抗癌剤やるという賭けのような選択、そして、その結果が吉と出るか逆となるかそれもわからない。が、患者よ、癌と闘うな、という異論が広く知られる昨今だからこそ、放射線を照射するとか強力な対処法でなければ、とりあえずできることは何でもやろう、やってみようとウチでは考えてのことだ。しかし、起こることは全て唯唯諾諾と抗わず受け入れるべきではないのかと思うところもあって、正直迷った。今の気持ちは、まずできることをともかくやってみてダメならその結果を抗わず受け入れようというところに落ち着いている。
癌と闘おうとか克服しよう、治そうなんて思わない。そもそも治るものではないとわかっている。ただ、患者の主体として、癌の思い通りにはさせず癌を手なづけて、癌と共に仲良く付き合い、できるだけ長く生きられたらと望む。まあ、あと3年、母が女の平均寿命である九十ぐらいまで生きられたら御の字ではないか。
そして今の時間の早さから思えば、おそらくそれは可能ではないかとも考えている。今年も間もなく春が来てやがて夏が来て、すぐに秋が、そしてまた冬となり一年が過ぎるだろう。そして来年もそんな風にあたふたしているうちに一年がすぐ終わる。ならば三年なんて目と鼻の先であろうし、坑癌剤が効かなかったとしても生きられるのではないか。
むろん事態は悪化し面倒かつ大変な状況に陥るかもしれない。が、それすらもまた起こるべくして起きることであり、それは全く無意味なことではないだろう。どっちみち人は必ず老いて死ぬ。
もう我が父も母も十分に生きた。問題は未だ自立できていない息子を抱え、彼=我がいることだけで、そのことは彼らの人生を左右すべきことではない。また、我は我でそのときはそのときだという覚悟もできてきている。
老親をここまで生かしたのは、我が努力であり「成果」だという自負もある。しかし、全ては神の御心、運命の業でしかないのだから、先のことはわからない。だから思い煩っても仕方ない。
むろんいろいろ迷い思い悩み不安にかられるのは毎度のことだ。
しかし、勝手な言い草だが、こうして「書くこと」そして書く場があること、そして誰も読んでないかもしれなくても「読み手」がいると思えることは本当に救いだ。
昨日のブログで、我が調子が悪いことを書いてしまった。書くべきか迷うところであった。が、書いたら、不思議なことだが、不調は軽くなった。治りはしないが、めまいも頭痛も体調の悪いのはかなり楽になった。※体感的にはさほど変わらなくても書く前とはずいぶん違う。
誰か読み手から反応があったとか、励まされたとか同情されたからではない。ただ書いた。心の内を外に吐き出した。そしたら楽になった。気だけでなく身体まで楽になった。たぶん書くことでなく歌うことだって同じであろう。内にあるもの、抱えている辛いものを外に出せば身軽になり、結果として楽に、良くなるのだ。
むろんそんなことを読まされた側は逆に辛くも悪くもなるのかもしれない。しかし、ボランティアやカウンセラーの多くが、辛い側の人にとってまず聴くこと、側にいて話を聞くことで当事者たちの気持ちを軽くし結果として救うように、全ては内にある辛い気持ちや苦しい思い、悩みを外に出すことから始まるのではないか。
そして今自分も思う。ならばこそ、そうした辛い胸の内のことや、痛み苦しみをただ黙って心の中に抱えて悶々鬱々として苦しむより、人はもっと外に出すべきだと、そして我もまた聴く側でもありたいと願う。それは読み手も同様だし、音楽ならば聴き手も同様であろう。
今の時代、人は人をできるだけ煩わせないようすべきだとか、自己責任という言葉が持て囃されている。しかし、そうした途絶した関係の先にはいったい何が待っているのか。人間とは関係性の動物であり、言葉や文字、音楽などで結びついていくもののはずであろう。そして集団を構成していく。それが人の営みなのだ。
それが個々個別にそれぞれの内的に完結してしまうのなら、人間は人間でなく、単なる動物に堕ちてしまう。人は人と生きて、人を助け励ましあって生きてこそ人間なのではないのか。あえて書くが、人は人に迷惑をかけて良いのである。そして迷惑かけあってこそ人間社会は続いていく。
それが社会保障であり相互扶助ということなのだ。
想定外の雪であった。今年は暖冬で、この前日もぽかぽか陽気であったから、予報では今日月曜は広く雪となると言ってたが、おそらく積もることなどなく、降ったとしてもすぐに溶けるだろうと高括っていた。
が、夜中から降り出した雪は朝にはかなり積もっていて、やがては雨に変わったものの、車走らせるのに苦労するほどの積雪となった。そんな日に、母は午後から立川の病院に入院することとなってたので、早い昼食後、よりによってと思いつつ慎重にハンドル握った。チェーンなどつけてはなかったが、スタッドレスのタイヤに替えてはいたので、時間はかかったが何とか無事着くことができた。
母は明日一日かけて抗がん剤を投与される。特に問題なければ明後日午後には退院できる予定である。その結果はどうなるかやってみないとわからないが、とにもかくにも、良くも悪くも一つ歩を進められたという満足感のような思いがある。これで良かったのだと思いたい。
母は今年86歳となる。その歳で抗癌剤やるという賭けのような選択、そして、その結果が吉と出るか逆となるかそれもわからない。が、患者よ、癌と闘うな、という異論が広く知られる昨今だからこそ、放射線を照射するとか強力な対処法でなければ、とりあえずできることは何でもやろう、やってみようとウチでは考えてのことだ。しかし、起こることは全て唯唯諾諾と抗わず受け入れるべきではないのかと思うところもあって、正直迷った。今の気持ちは、まずできることをともかくやってみてダメならその結果を抗わず受け入れようというところに落ち着いている。
癌と闘おうとか克服しよう、治そうなんて思わない。そもそも治るものではないとわかっている。ただ、患者の主体として、癌の思い通りにはさせず癌を手なづけて、癌と共に仲良く付き合い、できるだけ長く生きられたらと望む。まあ、あと3年、母が女の平均寿命である九十ぐらいまで生きられたら御の字ではないか。
そして今の時間の早さから思えば、おそらくそれは可能ではないかとも考えている。今年も間もなく春が来てやがて夏が来て、すぐに秋が、そしてまた冬となり一年が過ぎるだろう。そして来年もそんな風にあたふたしているうちに一年がすぐ終わる。ならば三年なんて目と鼻の先であろうし、坑癌剤が効かなかったとしても生きられるのではないか。
むろん事態は悪化し面倒かつ大変な状況に陥るかもしれない。が、それすらもまた起こるべくして起きることであり、それは全く無意味なことではないだろう。どっちみち人は必ず老いて死ぬ。
もう我が父も母も十分に生きた。問題は未だ自立できていない息子を抱え、彼=我がいることだけで、そのことは彼らの人生を左右すべきことではない。また、我は我でそのときはそのときだという覚悟もできてきている。
老親をここまで生かしたのは、我が努力であり「成果」だという自負もある。しかし、全ては神の御心、運命の業でしかないのだから、先のことはわからない。だから思い煩っても仕方ない。
むろんいろいろ迷い思い悩み不安にかられるのは毎度のことだ。
しかし、勝手な言い草だが、こうして「書くこと」そして書く場があること、そして誰も読んでないかもしれなくても「読み手」がいると思えることは本当に救いだ。
昨日のブログで、我が調子が悪いことを書いてしまった。書くべきか迷うところであった。が、書いたら、不思議なことだが、不調は軽くなった。治りはしないが、めまいも頭痛も体調の悪いのはかなり楽になった。※体感的にはさほど変わらなくても書く前とはずいぶん違う。
誰か読み手から反応があったとか、励まされたとか同情されたからではない。ただ書いた。心の内を外に吐き出した。そしたら楽になった。気だけでなく身体まで楽になった。たぶん書くことでなく歌うことだって同じであろう。内にあるもの、抱えている辛いものを外に出せば身軽になり、結果として楽に、良くなるのだ。
むろんそんなことを読まされた側は逆に辛くも悪くもなるのかもしれない。しかし、ボランティアやカウンセラーの多くが、辛い側の人にとってまず聴くこと、側にいて話を聞くことで当事者たちの気持ちを軽くし結果として救うように、全ては内にある辛い気持ちや苦しい思い、悩みを外に出すことから始まるのではないか。
そして今自分も思う。ならばこそ、そうした辛い胸の内のことや、痛み苦しみをただ黙って心の中に抱えて悶々鬱々として苦しむより、人はもっと外に出すべきだと、そして我もまた聴く側でもありたいと願う。それは読み手も同様だし、音楽ならば聴き手も同様であろう。
今の時代、人は人をできるだけ煩わせないようすべきだとか、自己責任という言葉が持て囃されている。しかし、そうした途絶した関係の先にはいったい何が待っているのか。人間とは関係性の動物であり、言葉や文字、音楽などで結びついていくもののはずであろう。そして集団を構成していく。それが人の営みなのだ。
それが個々個別にそれぞれの内的に完結してしまうのなら、人間は人間でなく、単なる動物に堕ちてしまう。人は人と生きて、人を助け励ましあって生きてこそ人間なのではないのか。あえて書くが、人は人に迷惑をかけて良いのである。そして迷惑かけあってこそ人間社会は続いていく。
それが社会保障であり相互扶助ということなのだ。
2/27日反戦歌コンサート簡易チラシ ― 2016年01月19日 12時41分20秒
それぞれがそれぞれの場でそれぞれ声上げていけば ― 2016年01月19日 20時26分02秒
★年初の19日行動の日に思う アクセスランキング: 97位
陽射しは強く暖かくもうそれは春のそれなのだが、凍った雪の上を吹き渡る風は半端でないほど冷たく寒い。
大した雪ではないが、一度積もるほどの雪が降ると氷点下の日が続き日陰ではカチンカチンに凍った雪が溶けずにいつまでも残っている。
暖冬だと騒いで、このまま大して寒くならずに春が来るかと思っていたら、やはり冬は冬らしく雪が降って本格的に寒くなった。
雪の中、スノーブーツならぬ雨用長靴で歩き回っていたら、足の指先が霜焼けになったらしく痒く痛い。が、この寒さを乗り切れば春はすぐそこまで来ていると我慢するしかない。
今日は19日。あの戦争法成立の日、日本の平和主義の終わった日、そして「戦前」の始まった日、いや、これから始まる?日として2015年9月19日を絶対に忘れない、アメリカと一緒になっての戦争阻止するため、自公の暴挙をこれからも糾弾していくためにも毎月その19日には必ず国会周辺に集うと我々は誓った日である。
その国会前で知り合い、このところ親しくお付き合いして頂いている方からもメールで、今回はどうするかと確認された。本来ならば何が何でもまたギター抱えて国会前に行く予定であったが、抗がん剤投与のため入院している母のこともあってずっと返事を濁していた。
今日昼過ぎ、車で立川の病院へ、母の病室を短時間だが覗いてきた。朝から点滴で投与されている抗がん剤に対し、特に拒絶反応もまだ何も出てなく、気分が悪くなるようなことはないと母は言っていた。
だから、母のことは心配ないと考えて夕刻からともかく都心に出ようかとも迷いもした。が、様態急変のときの連絡先は我であるし万が一のことを考えてしまい今回の19日行動参加は断念した。代わりに2月27日の反戦歌コンサート、中川五郎氏をメインにしたそのライブのチラシだけは簡単なものをまず作った。
そして日和ったぶん今日は行けなかった国会前についてあれこれ考えた。
じっさいのところ、常に毎月19日は国会は開かれているわけでもないし、19日行動だからといって国会前に出向かなければならないわけでもない。また国会前に今回の我の如く諸般の事情でいつも行けるわけでないことも多々ある。
ならば、19日であろうとなかろうと、国会前に出向かなくとも、あるいは集会の先導者がいないとか、集会自体立案されていないとしてもそれは関係ないのではないか。
つまり、戦争法反対、廃止への強い思いがあるならば、人それぞれが、それぞれの場でそれぞれ様々な活動を繰り広げていけば良いだけの話で、何も必ず国会前へ、誰かが音頭とったから行こう、行かねばならぬと義務化すべきではない。
それよりも「運動」を長続きさせて確かな成果を上げるためにも一日一か所に集中するよりも思いある人たちがそれぞれ各自で、あちこち自分たちの場で、できるときにできることをやっていけば良いのだと。
廃止を求める署名集めも大事だし、我の場合は、うたを通してコンサートを企画しより多くの人たちに参院選こそ正念場なのだと呼びかけていきたい。
闘いは短期決戦では終わらない。末永く根気強く諦めず長期的展望でやっていかないことには巨大権力の前にすぐ立ち消えとなる。そのためにもできるだけ自由闊達に、誰か犠牲や強制されるのではなく、皆が無理なく、できれば面白さや楽しみさえ加味して続けていかないと運動は長続きしない。
一度決まってしまってしまったもの、出来てしまったものは仕方ない、長いものに巻かれろ、というのが人間の本性だとは思わないが、日本人の特性ならば、だからこそ諦めずに粘り強く根気強く無理なく楽しく面白くやるようにするしかないではないか。
日本人は何でもマジメに真剣に考えて根詰めて、挙句に脱落しそうな者、日和そうな者を強く責めたり厳しく批判したり糾弾してしまう。多くの運動はそうして内部から自壊していった。
その轍を繰り返さぬよう、思いあらば人それぞれがそれぞれの場でそれぞれのやり方で声上げていけば良いのである。
すべてはもっと緩やかに、だが、したたかに、そしてだからこそ確実に、だと思う。
陽射しは強く暖かくもうそれは春のそれなのだが、凍った雪の上を吹き渡る風は半端でないほど冷たく寒い。
大した雪ではないが、一度積もるほどの雪が降ると氷点下の日が続き日陰ではカチンカチンに凍った雪が溶けずにいつまでも残っている。
暖冬だと騒いで、このまま大して寒くならずに春が来るかと思っていたら、やはり冬は冬らしく雪が降って本格的に寒くなった。
雪の中、スノーブーツならぬ雨用長靴で歩き回っていたら、足の指先が霜焼けになったらしく痒く痛い。が、この寒さを乗り切れば春はすぐそこまで来ていると我慢するしかない。
今日は19日。あの戦争法成立の日、日本の平和主義の終わった日、そして「戦前」の始まった日、いや、これから始まる?日として2015年9月19日を絶対に忘れない、アメリカと一緒になっての戦争阻止するため、自公の暴挙をこれからも糾弾していくためにも毎月その19日には必ず国会周辺に集うと我々は誓った日である。
その国会前で知り合い、このところ親しくお付き合いして頂いている方からもメールで、今回はどうするかと確認された。本来ならば何が何でもまたギター抱えて国会前に行く予定であったが、抗がん剤投与のため入院している母のこともあってずっと返事を濁していた。
今日昼過ぎ、車で立川の病院へ、母の病室を短時間だが覗いてきた。朝から点滴で投与されている抗がん剤に対し、特に拒絶反応もまだ何も出てなく、気分が悪くなるようなことはないと母は言っていた。
だから、母のことは心配ないと考えて夕刻からともかく都心に出ようかとも迷いもした。が、様態急変のときの連絡先は我であるし万が一のことを考えてしまい今回の19日行動参加は断念した。代わりに2月27日の反戦歌コンサート、中川五郎氏をメインにしたそのライブのチラシだけは簡単なものをまず作った。
そして日和ったぶん今日は行けなかった国会前についてあれこれ考えた。
じっさいのところ、常に毎月19日は国会は開かれているわけでもないし、19日行動だからといって国会前に出向かなければならないわけでもない。また国会前に今回の我の如く諸般の事情でいつも行けるわけでないことも多々ある。
ならば、19日であろうとなかろうと、国会前に出向かなくとも、あるいは集会の先導者がいないとか、集会自体立案されていないとしてもそれは関係ないのではないか。
つまり、戦争法反対、廃止への強い思いがあるならば、人それぞれが、それぞれの場でそれぞれ様々な活動を繰り広げていけば良いだけの話で、何も必ず国会前へ、誰かが音頭とったから行こう、行かねばならぬと義務化すべきではない。
それよりも「運動」を長続きさせて確かな成果を上げるためにも一日一か所に集中するよりも思いある人たちがそれぞれ各自で、あちこち自分たちの場で、できるときにできることをやっていけば良いのだと。
廃止を求める署名集めも大事だし、我の場合は、うたを通してコンサートを企画しより多くの人たちに参院選こそ正念場なのだと呼びかけていきたい。
闘いは短期決戦では終わらない。末永く根気強く諦めず長期的展望でやっていかないことには巨大権力の前にすぐ立ち消えとなる。そのためにもできるだけ自由闊達に、誰か犠牲や強制されるのではなく、皆が無理なく、できれば面白さや楽しみさえ加味して続けていかないと運動は長続きしない。
一度決まってしまってしまったもの、出来てしまったものは仕方ない、長いものに巻かれろ、というのが人間の本性だとは思わないが、日本人の特性ならば、だからこそ諦めずに粘り強く根気強く無理なく楽しく面白くやるようにするしかないではないか。
日本人は何でもマジメに真剣に考えて根詰めて、挙句に脱落しそうな者、日和そうな者を強く責めたり厳しく批判したり糾弾してしまう。多くの運動はそうして内部から自壊していった。
その轍を繰り返さぬよう、思いあらば人それぞれがそれぞれの場でそれぞれのやり方で声上げていけば良いのである。
すべてはもっと緩やかに、だが、したたかに、そしてだからこそ確実に、だと思う。
抗癌剤予後の報告 ― 2016年01月21日 21時30分37秒
★まず母の現況から アクセスランキング: 137位
大寒である。まさに言葉の通り今日が一番寒い気がしている。
おかげさまで母は無事に退院し昨日昼過ぎ帰宅できた。一昨日は朝から一日夕方まで通常の八割がたの分量の抗癌剤を腕から点滴で数種類他の予防薬も交えて体に流し入れた。
母は幸い、吐き気やめまいなど特有の拒絶反応は起きない体質らしく、あるいは薬が彼女に合っているのか、前回のときも副作用と呼べるものは頭髪が全て抜けた程度で、効果はあって癌も小さくなり予後今まで4年近く癌は収まって生き永らえたのだ。
今回も同様に、この薬での療法が効いて今、腹部の腸間膜というところにできて肥大してきた癌部位が小さくなればと期待している。
次回は体の様子見つつ一か月後ではなく、もう少し先に延ばして二回目を続けていくこととなろう。たぶん三月だ。
しかし、この抗癌剤なる薬は、癌に効くだけでなく人体に対し有害であり、ある意味、毒でもって毒を殺すようなイメージで、副作用で体全体に負担をかけることも間違いないことだ。
そして問題は、頭髪などよりも、患者の持つ白血球がひどく減ってしまうことで、前回も同様だったが、投与後一週間後あたりがいちばん減少して肉体的に危険な状態となる。つまり白血球が減っているときは、ちょっとした病気でも抵抗力が落ちているわけで、風邪程度でも肺炎を誘発したりと体力の低下からの不慮の事態が心配される。
今回もその頃また血液検査に行き、あまりに数値が減っている場合は何らかの処置を注射で行うことになっている。
まあ、その白血球が一番減る時期を通りすぎれば元に戻り安心できるわけだが、前回は約半年間ほぼ毎月ごとに投与してその都度この「白血球の減少」にドキドキはらはらさせられた。
当然のこと、その減っている期間はできるだけ外出は控えて家でじっとして安静にしているほうが賢明であることは記すまでもない。
そして母は今日になって、さすがにその入れた抗癌剤の副作用なのか何か調子が悪いと疲労感を訴え出し、腹痛や下痢なども繰り返している。まあ、心配だがそれも仕方ないことで、血中に癌を殺す強い毒素を入れたのだから、身体への負担が現れて当然なのだ。
だが、不思議なことだが、その投与した日の夜から、当人ではなく息子である我もまた体調がひどく悪くなって体調がしんどくて大変だった。親子だから性は違っても体質は似ている。だが、それだけでは説明つかない。
しかし、ウチの場合、かなりこうした親子間の共感性と共時性は強く、父母の体調の変化はそのまま息子にも伝わってきて大変なことがままある。
そうしたことについても書きたいが、今も頭がひどく痛くて起きてられない。親たちはもう先に寝かせた。我もまたこの寒さに起きていられない。明日書けたら続きを書きたい。
大寒である。まさに言葉の通り今日が一番寒い気がしている。
おかげさまで母は無事に退院し昨日昼過ぎ帰宅できた。一昨日は朝から一日夕方まで通常の八割がたの分量の抗癌剤を腕から点滴で数種類他の予防薬も交えて体に流し入れた。
母は幸い、吐き気やめまいなど特有の拒絶反応は起きない体質らしく、あるいは薬が彼女に合っているのか、前回のときも副作用と呼べるものは頭髪が全て抜けた程度で、効果はあって癌も小さくなり予後今まで4年近く癌は収まって生き永らえたのだ。
今回も同様に、この薬での療法が効いて今、腹部の腸間膜というところにできて肥大してきた癌部位が小さくなればと期待している。
次回は体の様子見つつ一か月後ではなく、もう少し先に延ばして二回目を続けていくこととなろう。たぶん三月だ。
しかし、この抗癌剤なる薬は、癌に効くだけでなく人体に対し有害であり、ある意味、毒でもって毒を殺すようなイメージで、副作用で体全体に負担をかけることも間違いないことだ。
そして問題は、頭髪などよりも、患者の持つ白血球がひどく減ってしまうことで、前回も同様だったが、投与後一週間後あたりがいちばん減少して肉体的に危険な状態となる。つまり白血球が減っているときは、ちょっとした病気でも抵抗力が落ちているわけで、風邪程度でも肺炎を誘発したりと体力の低下からの不慮の事態が心配される。
今回もその頃また血液検査に行き、あまりに数値が減っている場合は何らかの処置を注射で行うことになっている。
まあ、その白血球が一番減る時期を通りすぎれば元に戻り安心できるわけだが、前回は約半年間ほぼ毎月ごとに投与してその都度この「白血球の減少」にドキドキはらはらさせられた。
当然のこと、その減っている期間はできるだけ外出は控えて家でじっとして安静にしているほうが賢明であることは記すまでもない。
そして母は今日になって、さすがにその入れた抗癌剤の副作用なのか何か調子が悪いと疲労感を訴え出し、腹痛や下痢なども繰り返している。まあ、心配だがそれも仕方ないことで、血中に癌を殺す強い毒素を入れたのだから、身体への負担が現れて当然なのだ。
だが、不思議なことだが、その投与した日の夜から、当人ではなく息子である我もまた体調がひどく悪くなって体調がしんどくて大変だった。親子だから性は違っても体質は似ている。だが、それだけでは説明つかない。
しかし、ウチの場合、かなりこうした親子間の共感性と共時性は強く、父母の体調の変化はそのまま息子にも伝わってきて大変なことがままある。
そうしたことについても書きたいが、今も頭がひどく痛くて起きてられない。親たちはもう先に寝かせた。我もまたこの寒さに起きていられない。明日書けたら続きを書きたい。
共時性と共感性について考える ― 2016年01月22日 20時54分12秒
★目には見えないもの、科学では解明できないこと アクセスランキング: 101位
今週は、母の抗癌剤での入院、それに合わせて九州から我の妹も上京してきて、妹は昨日午後帰ったがそんなこんなで家中が慌ただしくあたふたしていた。退院後のほうが母も我さえも体調がすぐれずしんどかった。
ようやく今日、金曜になって母の容体も落ち着いてきて、我も合わせてほっと一息ついているという状況だ。
まあ、天気だけ言えば、かなりの積雪の後だったが、晴れて穏やかな日が続き助かった。また明日からは雪で大荒れとのことだから幸いであった。
共時性という言葉がある。英語では、シンクロニシティと言い、詳しい説明は省くが、要するにモノゴトは起こるときには偶然その出来事は重なったり多発したりすることが多々あるという時など使う。「類は友を呼ぶ」という諺の如くモノゴトは引き寄せ合うのである。
例えば、最近では、大型バスの事故などもそうで、一度そうした事故などが起きると誘発されたように同種の、似たような事件が続いて起きたりする。その理由はわからない。
「自殺」のようなことならば、先人のそれを受けて、知った人が真似たり影響受けて後に続くことがある。それは理解できる。が、事故などはあえてそうならぬよう注意しているはずなのに不思議とまた続いて起こる。
ひところは航空機の墜落事故もよく続いて起きたし、そうした事故の類は不思議に一度起きると二度三度と続いて間空けずに起きる。その理由については科学では解明されていない。
共感性という言葉もある。世間では、いわゆる「共感力」を共感性だと捉えていることが多いが、我の考えはそれとは違う。他者に同情したり、相手の気持ちがよくわかる、汲み取れるというのは、共感する能力の問題であろう。それが欠けていれば鈍感な人ということとなる。
我の言う共感性とは、他者の肉体的な痛みなどをご当人同様?のように感じる件を指す。
我、マス坊の個人的なことを記せば、世間の人よりもたぶんそのこの二つのことがやたら高いと言うべきか何故か多くて、いつも説明がつかない分だけ不思議でならない。
先に、我の身辺に同性のほぼ同世代の友人たちの間で、酒に関係して転んだりしての骨折や入院事件がやたら相次いでいることを記した。ヘンなことが続いている、オイラも気をつけなきゃナーと思っていたら、自分もまた7月のはじめに、両国のイベントで酒も入っていて転落事故を起こして以後数か月後遺症に苦しんだ。
それもシンクロと言えばシンクロであろうし、何より一番のことは、我が事故の数日後に、我が父もまた脳内に血が溜まって異常を来たしすぐさま入院して頭蓋骨に穴を開け溜まった血を抜くという手術をしたことこそ不思議な「一致」であった。
結果としてわかったことは、父のほうが我よりもっと先に、どこかで転んで頭を打っていて以後じわりじわりと内出血的に脳内に血が溜まっていたわけだが、それがほぼ同時期に頭や脳のことで通院騒動となるとは通常ではありえない。ある意味父が我の身代わりとなって難手術を受けた気さえした。
また、母が抗癌剤を終えて退院して戻ったら、その当人より先に、息子である我がどっと強い疲労感とめまいや吐き気に襲われてしまいその退院当日は非常に辛く苦しかった。ある意味、母の抗癌剤の副作用的症状を先取りしたというべきか代わって被ったような感じがしている。
実は、これも体質なのだと思うが、我は親しい人や近しい肉親、あるいはすごく好きな、大事に思う人がいると、その人の体調をすぐに影響受けてしまう。特にその好きな人が不調になれば、そのことを知らされる前からテレパシー的に感じ取るのか、調子が悪くなり、後で向うの状況も同様だったとわかるときが多々あった。
以前、同性の友人で親しくしていた人がいて、その人は長く精神を病んでいたので、彼が強制的に入れられていた病院に、請われて何度か見舞いに行った。すると彼と会っているときは何も問題ないが、戻るとどっと疲れが出て、ほぼ必ず一週間ほどこちらまで心身を病むというのか調子を崩して戻すのが大変であった。
それを共感性というのかよくわからない。ただ、あたかも青森のイタコのように、おそらく他者の体調に、それも不調や不具合のときこそ敏感に反応してしまうことは間違いないと思える。
では、他者の気持ちや思惑に敏感であるかと言えばまったくそんなことはないのだから、思いやりがあるとかの「共感力」「共感性」は決して高くない。また、元気はつらつとした人と会えば鼓舞されることなんて全くない。逆にこちらは憂鬱になることのほうが多い気がする。となると、ただ、他者の不調や不具合においてのみ過敏に反応するのだから何故なのか自ら訝しく首をひねるしかない。
何でこんなことを書いたか。これは科学的にうまく説明できないことでたぶん誰も理解できないかと思うが、この二つの出来事、性質は、実は根が同じで、たぶん意識のまたうんと底のところから引き起こされるような気がしているからだ。
C・ユングもこのことについては書いていたと思うが、今手元に調べるに値する本がすぐみつからない。私感だが、人と出来事は良いことや楽しいことでは偶然?結びつくことはあまりなく、事故や事件、病気、不調など、良くないことのほうがモノゴトは誘発され結びつくのではないか。
ただ、共時性も我が共感性も個人的には決して悪いことだとは思えない。むろん病気の人と会いその体調や苦しさをそのまま感じ被るのは願い下げたい。が、母とのことで思ったが、もしかしたら痛みや苦しみ、そして悩み等の総量総体というものは、どこかにプールされているものであり、その全体量が決まっているぶん、分け合うことで個々の人の抱える分が少しでも減るのだとするならば、分け合うこと、つまり我もまた感じ負うことは良いことなのではないのか。
そして多くの人がそうして痛みや悩みを分かち合えば、個々の抱える荷は軽くなるのかもしれない。そんなことはバカな愚かな夢想かとも自分でも思う。
が、たぶんこの世にはこうした共時性や共感性にイタコ的に敏感体質の人は他にももっといると信ずるし、実はその能力は人は誰もが本来持っているはずのものだとも考える。
ただ今の人は、科学と眼前の現実に目を奪われて、そうした原始的非科学的現象については鈍感になっているだけなのではないだろうか。
この世には科学的に解明できないとか、目には見えないからそれが「ない」と断言できないものもまた確かに「ある」わけで、迷信とか非科学的だと一笑し即否定してはならないことだけはご理解頂けるかと信ずる。
今週は、母の抗癌剤での入院、それに合わせて九州から我の妹も上京してきて、妹は昨日午後帰ったがそんなこんなで家中が慌ただしくあたふたしていた。退院後のほうが母も我さえも体調がすぐれずしんどかった。
ようやく今日、金曜になって母の容体も落ち着いてきて、我も合わせてほっと一息ついているという状況だ。
まあ、天気だけ言えば、かなりの積雪の後だったが、晴れて穏やかな日が続き助かった。また明日からは雪で大荒れとのことだから幸いであった。
共時性という言葉がある。英語では、シンクロニシティと言い、詳しい説明は省くが、要するにモノゴトは起こるときには偶然その出来事は重なったり多発したりすることが多々あるという時など使う。「類は友を呼ぶ」という諺の如くモノゴトは引き寄せ合うのである。
例えば、最近では、大型バスの事故などもそうで、一度そうした事故などが起きると誘発されたように同種の、似たような事件が続いて起きたりする。その理由はわからない。
「自殺」のようなことならば、先人のそれを受けて、知った人が真似たり影響受けて後に続くことがある。それは理解できる。が、事故などはあえてそうならぬよう注意しているはずなのに不思議とまた続いて起こる。
ひところは航空機の墜落事故もよく続いて起きたし、そうした事故の類は不思議に一度起きると二度三度と続いて間空けずに起きる。その理由については科学では解明されていない。
共感性という言葉もある。世間では、いわゆる「共感力」を共感性だと捉えていることが多いが、我の考えはそれとは違う。他者に同情したり、相手の気持ちがよくわかる、汲み取れるというのは、共感する能力の問題であろう。それが欠けていれば鈍感な人ということとなる。
我の言う共感性とは、他者の肉体的な痛みなどをご当人同様?のように感じる件を指す。
我、マス坊の個人的なことを記せば、世間の人よりもたぶんそのこの二つのことがやたら高いと言うべきか何故か多くて、いつも説明がつかない分だけ不思議でならない。
先に、我の身辺に同性のほぼ同世代の友人たちの間で、酒に関係して転んだりしての骨折や入院事件がやたら相次いでいることを記した。ヘンなことが続いている、オイラも気をつけなきゃナーと思っていたら、自分もまた7月のはじめに、両国のイベントで酒も入っていて転落事故を起こして以後数か月後遺症に苦しんだ。
それもシンクロと言えばシンクロであろうし、何より一番のことは、我が事故の数日後に、我が父もまた脳内に血が溜まって異常を来たしすぐさま入院して頭蓋骨に穴を開け溜まった血を抜くという手術をしたことこそ不思議な「一致」であった。
結果としてわかったことは、父のほうが我よりもっと先に、どこかで転んで頭を打っていて以後じわりじわりと内出血的に脳内に血が溜まっていたわけだが、それがほぼ同時期に頭や脳のことで通院騒動となるとは通常ではありえない。ある意味父が我の身代わりとなって難手術を受けた気さえした。
また、母が抗癌剤を終えて退院して戻ったら、その当人より先に、息子である我がどっと強い疲労感とめまいや吐き気に襲われてしまいその退院当日は非常に辛く苦しかった。ある意味、母の抗癌剤の副作用的症状を先取りしたというべきか代わって被ったような感じがしている。
実は、これも体質なのだと思うが、我は親しい人や近しい肉親、あるいはすごく好きな、大事に思う人がいると、その人の体調をすぐに影響受けてしまう。特にその好きな人が不調になれば、そのことを知らされる前からテレパシー的に感じ取るのか、調子が悪くなり、後で向うの状況も同様だったとわかるときが多々あった。
以前、同性の友人で親しくしていた人がいて、その人は長く精神を病んでいたので、彼が強制的に入れられていた病院に、請われて何度か見舞いに行った。すると彼と会っているときは何も問題ないが、戻るとどっと疲れが出て、ほぼ必ず一週間ほどこちらまで心身を病むというのか調子を崩して戻すのが大変であった。
それを共感性というのかよくわからない。ただ、あたかも青森のイタコのように、おそらく他者の体調に、それも不調や不具合のときこそ敏感に反応してしまうことは間違いないと思える。
では、他者の気持ちや思惑に敏感であるかと言えばまったくそんなことはないのだから、思いやりがあるとかの「共感力」「共感性」は決して高くない。また、元気はつらつとした人と会えば鼓舞されることなんて全くない。逆にこちらは憂鬱になることのほうが多い気がする。となると、ただ、他者の不調や不具合においてのみ過敏に反応するのだから何故なのか自ら訝しく首をひねるしかない。
何でこんなことを書いたか。これは科学的にうまく説明できないことでたぶん誰も理解できないかと思うが、この二つの出来事、性質は、実は根が同じで、たぶん意識のまたうんと底のところから引き起こされるような気がしているからだ。
C・ユングもこのことについては書いていたと思うが、今手元に調べるに値する本がすぐみつからない。私感だが、人と出来事は良いことや楽しいことでは偶然?結びつくことはあまりなく、事故や事件、病気、不調など、良くないことのほうがモノゴトは誘発され結びつくのではないか。
ただ、共時性も我が共感性も個人的には決して悪いことだとは思えない。むろん病気の人と会いその体調や苦しさをそのまま感じ被るのは願い下げたい。が、母とのことで思ったが、もしかしたら痛みや苦しみ、そして悩み等の総量総体というものは、どこかにプールされているものであり、その全体量が決まっているぶん、分け合うことで個々の人の抱える分が少しでも減るのだとするならば、分け合うこと、つまり我もまた感じ負うことは良いことなのではないのか。
そして多くの人がそうして痛みや悩みを分かち合えば、個々の抱える荷は軽くなるのかもしれない。そんなことはバカな愚かな夢想かとも自分でも思う。
が、たぶんこの世にはこうした共時性や共感性にイタコ的に敏感体質の人は他にももっといると信ずるし、実はその能力は人は誰もが本来持っているはずのものだとも考える。
ただ今の人は、科学と眼前の現実に目を奪われて、そうした原始的非科学的現象については鈍感になっているだけなのではないだろうか。
この世には科学的に解明できないとか、目には見えないからそれが「ない」と断言できないものもまた確かに「ある」わけで、迷信とか非科学的だと一笑し即否定してはならないことだけはご理解頂けるかと信ずる。
闇夜に光を灯していけ~とりあえず近況と今思うことだけ ― 2016年01月25日 22時35分24秒
★答えも結果もすぐには出ない アクセスランキング: 154位
ものすごい寒い日が続く。皆さんご自愛ください。
この数日風邪気味だったり、咳の発作が出たりして、夜起きてられず、かといって朝も早くから起きてても落ち着いてパソコンにも向かえずただ日々慌ただしいだけでどうにもブログ書けなかった。
いや、実は書いてたのだが、アップさせる前に、違うページ開いてうっかりそのまま書いたものを全部消してしまったりと初心者的ミスなどしでかし、再度書きなおす気も失せややネグレクト気味であった。これではいけないと自戒している。
沖縄宜野湾市の市長選、様々な思いがわく。民意が示されたとか以前に、米軍基地という「問題」は、その地に人たちにどこまで苦渋の選択を強いていくのかと憤りのような感慨がわく。
このところ我家の上空、東京横田基地も飛行機の往来が激しくオスプレイのような耐え難い身体にさわる騒音ではないもののかなりの頻度で慣れない者にはかなりこたえる飛行回数であった。
一方、福生のゲート前や滑走路近くのフェンスには、航空機マニアが集まってスゴイ人出だときく。皆車を停めてカメラ構えてステルス機などが離発着するのを待ち続けているらしい。
富士裾野の自衛隊などとの合同演習などもすごい見物客で申し込みがいっぱいだと報じられていたし、そうした輩をバカだとか愚かだと詰るのはたやすいが、それもまた人心であり否定してはならないはずだ。地元住民には耐え難い苦痛を与えるものをわざわざ好んで観光に来る人もまたいるのである。
戦争も原発も絶対悪だと信じて我は心底疑わないが、そのどちらも金が動きそこで儲けたいとか金の匂いに惹かれる人たちはいて当然だと思うし、それもまた人心、人の世の常だと理解し認めることはせねばならない。でないと、正義の名のもとに立場が変われば弾圧する側にもなりかねない。
米軍基地という問題は、きわめて単純であるがゆえまた複雑で、歴史的地勢的環境のうえに、現況的目下の情勢があり、またそこに金の問題が大きくからむ。それは原発も同様で、単に命と健康など安全だけの問題ならば結論は最初から見えている。
じっさいのところ、今はもう原発に頼らなくても電力の供給は十分まかなえるのである。そして事故など起きないとしてもリスクだけみてもちっとも原発は安くも得でも全然ないのだ。ただ、経済の側面だけみれば、リニア新幹線を作るのも新たな高速道や全国津々浦々に新幹線を作るのも同様に、その建設費という特需でまず地元、日本経済は動き出す。その計画で潤う人たちが確実にいる。むろん被害をこうむる人たちも同数かそれ以上いたとしても金が動けばそれは是なのだ。
一時期ダム凍結とか、無駄な箱ものは作らないと民主党は言い出しじっさいにそれで政権をとったがすぐ腰砕けとなり、自公が政権を奪還後、すべてはまた元の木阿弥、そうした公共事業で、今や地方再生、一億総活躍社会の名のもとに、オリンピック特需を足がかりにまたさらに全国的に公共事業で景気回復へと日銀を巻き込んでのけんめいのゼネコン政治なのである。民主党が何故ダメになったかはごく簡単なことで、彼らの政治では金が動かないからだ。
我はそんな恩恵は何一つないから、全面的に否定するし、アベ政治を許さないというステッカーは、安倍政権退陣まで剥がす気はなく、今もずっと車にも貼って走り続けているが、世の中にはいまの政治に期待しそのおこぼれに預かろうと必死になっている人たちもたくさんいるのだと思う。
じっさい山梨県で、リニア新幹線など不要だとか批判的なことをマスメディアに対して公言するにはとてつもない勇気がいる。その地ではもうリニアは期待の的、絶対的善であって、それがどんなに無意味かつ無駄かということは当初からまったく人々の頭にはない。ただそれができればきっと山梨県にももっと人が来る、そして活性化する、金が落ちて所得が上がるだろうという期待だけでワクワクしているのである。その負、リスクがあるとしてもあえてそんなものには目を向けない。いかにも日本人だと思うし、それが国民性なのだと思える。
原発再稼働の地元自治体しかり、代替先の見えない普天間基地移設を問われれば、住民はやはり悩み迷うだろう。そしてそのときに心が動くのは金の匂いがあるかどうかだ。正義や道理、理性なんて関係ない。そうしたものでは人は生きていけない。まずは金の有無であろう。そして金が自分にどう動くかどうかだけに人の心は敏感になる。
人間とはそうしたものだ。それを否定してはならない。そしてそうした人たちに向けて理を説くことの苦難を覚悟しないとならない。理屈や正義では飯が食えないと返されたとき、どんな説得力ある反論ができるのか。
どんなところにも状況にも現実に苦しんでいる現地現場の人たちはいつもいる。問題はその苦しみや痛みをどれだけ無関係の人たちに伝えて彼らをこちら側に招き入れられるかだろう。しかもこちら側には金の匂いは全くないのにだ。
わかる人にはわかる、伝わる人には伝わるとつくづく思う。しかし、それでは異次元的別人種には絶対に伝わらないしわかってもらえない。が、それではまず安倍政権は倒せない。何故なら我々の手数だけでは何度選挙やっても自公の戦力の前に非力だからだ。
彼らは札束で頬を叩く。金の匂いをまき散らす。じっさいに金は渡さなくてもだ。だからこそ、景気回復の実感なくても今もなおずっと高支持率が続いている。そうした金の匂いに惹かれて騙され続けていく人たちを相手に道理を説いていく。それは並大抵なことではない。彼らには社会正義なんてそもそもない。あるのは金さえあれば 何でもかなうという金の権力という信仰だけなのだから。
ならば絶望するしかないのか。屈するしかないのか。だからこそ一喜一憂せず生きている限り身をもって抗い訴え続けていくしかない。答えも結果もすぐに出るわけがない。仮に「革命」が成ったとしてもその革命が最終的結果であるはずがない。常にその結果に満足することなく、その先を見据えて次世代に託す気概で運動を続けていくしかない。
ナザレのイエスと呼ばれた男のように世の灯になる人もいる。が、そんな人はごく一握りだとするなら、灯を持つ人、保つ人になれたら良いと願う。闇夜にも遠くからかすかに見える灯をかざす人でありたい。
そしてそうした人たちが一人でも増えて夜が明るく白み始めたら世は変わるはずだ。
人は金を求め金に絶対的に価値をおく。そして金こそ善にも悪にもなる当てにならない人を惑わすものであろう。だからこそ金で買えないものこそに正義や真理は存在するのだと説いていく。いつの世にも、ホロコーストの中でさえも、その灯をともし続けた人たちはいた。それは正義ではない。愛と慈しみと感謝、全てを赦すという慈愛の心である。憎しみや否定、暴力であってはならない。
そしてあらゆる運動も闘争もその上に立ってのことでなければならない。ならば負けても当然、だが、だからこそ諦めずに続けていくこともできるのだ。
ものすごい寒い日が続く。皆さんご自愛ください。
この数日風邪気味だったり、咳の発作が出たりして、夜起きてられず、かといって朝も早くから起きてても落ち着いてパソコンにも向かえずただ日々慌ただしいだけでどうにもブログ書けなかった。
いや、実は書いてたのだが、アップさせる前に、違うページ開いてうっかりそのまま書いたものを全部消してしまったりと初心者的ミスなどしでかし、再度書きなおす気も失せややネグレクト気味であった。これではいけないと自戒している。
沖縄宜野湾市の市長選、様々な思いがわく。民意が示されたとか以前に、米軍基地という「問題」は、その地に人たちにどこまで苦渋の選択を強いていくのかと憤りのような感慨がわく。
このところ我家の上空、東京横田基地も飛行機の往来が激しくオスプレイのような耐え難い身体にさわる騒音ではないもののかなりの頻度で慣れない者にはかなりこたえる飛行回数であった。
一方、福生のゲート前や滑走路近くのフェンスには、航空機マニアが集まってスゴイ人出だときく。皆車を停めてカメラ構えてステルス機などが離発着するのを待ち続けているらしい。
富士裾野の自衛隊などとの合同演習などもすごい見物客で申し込みがいっぱいだと報じられていたし、そうした輩をバカだとか愚かだと詰るのはたやすいが、それもまた人心であり否定してはならないはずだ。地元住民には耐え難い苦痛を与えるものをわざわざ好んで観光に来る人もまたいるのである。
戦争も原発も絶対悪だと信じて我は心底疑わないが、そのどちらも金が動きそこで儲けたいとか金の匂いに惹かれる人たちはいて当然だと思うし、それもまた人心、人の世の常だと理解し認めることはせねばならない。でないと、正義の名のもとに立場が変われば弾圧する側にもなりかねない。
米軍基地という問題は、きわめて単純であるがゆえまた複雑で、歴史的地勢的環境のうえに、現況的目下の情勢があり、またそこに金の問題が大きくからむ。それは原発も同様で、単に命と健康など安全だけの問題ならば結論は最初から見えている。
じっさいのところ、今はもう原発に頼らなくても電力の供給は十分まかなえるのである。そして事故など起きないとしてもリスクだけみてもちっとも原発は安くも得でも全然ないのだ。ただ、経済の側面だけみれば、リニア新幹線を作るのも新たな高速道や全国津々浦々に新幹線を作るのも同様に、その建設費という特需でまず地元、日本経済は動き出す。その計画で潤う人たちが確実にいる。むろん被害をこうむる人たちも同数かそれ以上いたとしても金が動けばそれは是なのだ。
一時期ダム凍結とか、無駄な箱ものは作らないと民主党は言い出しじっさいにそれで政権をとったがすぐ腰砕けとなり、自公が政権を奪還後、すべてはまた元の木阿弥、そうした公共事業で、今や地方再生、一億総活躍社会の名のもとに、オリンピック特需を足がかりにまたさらに全国的に公共事業で景気回復へと日銀を巻き込んでのけんめいのゼネコン政治なのである。民主党が何故ダメになったかはごく簡単なことで、彼らの政治では金が動かないからだ。
我はそんな恩恵は何一つないから、全面的に否定するし、アベ政治を許さないというステッカーは、安倍政権退陣まで剥がす気はなく、今もずっと車にも貼って走り続けているが、世の中にはいまの政治に期待しそのおこぼれに預かろうと必死になっている人たちもたくさんいるのだと思う。
じっさい山梨県で、リニア新幹線など不要だとか批判的なことをマスメディアに対して公言するにはとてつもない勇気がいる。その地ではもうリニアは期待の的、絶対的善であって、それがどんなに無意味かつ無駄かということは当初からまったく人々の頭にはない。ただそれができればきっと山梨県にももっと人が来る、そして活性化する、金が落ちて所得が上がるだろうという期待だけでワクワクしているのである。その負、リスクがあるとしてもあえてそんなものには目を向けない。いかにも日本人だと思うし、それが国民性なのだと思える。
原発再稼働の地元自治体しかり、代替先の見えない普天間基地移設を問われれば、住民はやはり悩み迷うだろう。そしてそのときに心が動くのは金の匂いがあるかどうかだ。正義や道理、理性なんて関係ない。そうしたものでは人は生きていけない。まずは金の有無であろう。そして金が自分にどう動くかどうかだけに人の心は敏感になる。
人間とはそうしたものだ。それを否定してはならない。そしてそうした人たちに向けて理を説くことの苦難を覚悟しないとならない。理屈や正義では飯が食えないと返されたとき、どんな説得力ある反論ができるのか。
どんなところにも状況にも現実に苦しんでいる現地現場の人たちはいつもいる。問題はその苦しみや痛みをどれだけ無関係の人たちに伝えて彼らをこちら側に招き入れられるかだろう。しかもこちら側には金の匂いは全くないのにだ。
わかる人にはわかる、伝わる人には伝わるとつくづく思う。しかし、それでは異次元的別人種には絶対に伝わらないしわかってもらえない。が、それではまず安倍政権は倒せない。何故なら我々の手数だけでは何度選挙やっても自公の戦力の前に非力だからだ。
彼らは札束で頬を叩く。金の匂いをまき散らす。じっさいに金は渡さなくてもだ。だからこそ、景気回復の実感なくても今もなおずっと高支持率が続いている。そうした金の匂いに惹かれて騙され続けていく人たちを相手に道理を説いていく。それは並大抵なことではない。彼らには社会正義なんてそもそもない。あるのは金さえあれば 何でもかなうという金の権力という信仰だけなのだから。
ならば絶望するしかないのか。屈するしかないのか。だからこそ一喜一憂せず生きている限り身をもって抗い訴え続けていくしかない。答えも結果もすぐに出るわけがない。仮に「革命」が成ったとしてもその革命が最終的結果であるはずがない。常にその結果に満足することなく、その先を見据えて次世代に託す気概で運動を続けていくしかない。
ナザレのイエスと呼ばれた男のように世の灯になる人もいる。が、そんな人はごく一握りだとするなら、灯を持つ人、保つ人になれたら良いと願う。闇夜にも遠くからかすかに見える灯をかざす人でありたい。
そしてそうした人たちが一人でも増えて夜が明るく白み始めたら世は変わるはずだ。
人は金を求め金に絶対的に価値をおく。そして金こそ善にも悪にもなる当てにならない人を惑わすものであろう。だからこそ金で買えないものこそに正義や真理は存在するのだと説いていく。いつの世にも、ホロコーストの中でさえも、その灯をともし続けた人たちはいた。それは正義ではない。愛と慈しみと感謝、全てを赦すという慈愛の心である。憎しみや否定、暴力であってはならない。
そしてあらゆる運動も闘争もその上に立ってのことでなければならない。ならば負けても当然、だが、だからこそ諦めずに続けていくこともできるのだ。
久々に職人たちと働いて ― 2016年01月26日 21時24分23秒
★あまりに疲れすぎたが面白い伐採作業。 アクセスランキング: 158位
私事だが、昨日今日と二日続けて、野外でほぼ一日立ち尽くして職人たちと仕事していた。いや、正しくはその仕事ぶりを見ていた。
じっさいのところは仕事らしい仕事、作業などは何一つしていない。実は、庭の公孫樹の木の丈を詰めることになって、今までは我自ら木に登ってちまちま切っていたのたが、もう手に負えなくなり業者に頼んだのだ。
で、昨日の朝から、この冬一番冷え込んだ朝から、そのイチョウの周りにタンカン、つまり鉄パイプで木を取り囲むように四方に足場を組み、
高さ約18mにも伸びた丈を10mまで芯を止め背を切り詰め、伸びた枝もほとんど短く切りそろえた。
正直なところ、こんなにオオゴト、大掛かりになるとはまったく考えていなかった。庭のイチョウの大木の背丈を詰めるだけで、職人三人がかりでまるまる二日かかった。
我はそれを下からただ見上げて監督的に、どこをどう切るか指示したり、落ちた小枝を拾い集めたり、交通整理的に道に出て待機していた。それだけで何一つ力仕事はしていないが、朝から夕方まで、この厳寒の中、頭上をただ見上げ続け野外で立ち尽くしていたからさすがにバテた。むろん高所の足場悪い所で鋸やチェーンソーを用い、慎重に枝を切り落としていく作業はさぞ緊張したかと想像する。が、ただ見上げ写真を撮っていただけでも何だかものすごく疲労感があった。
一日でたぶん終わる作業だと想定していたら、昨日は足場を組むだけで夕方になってしまい、ほとんど実際の伐採にはとりかかれなかった。で、今日の午前中にその枝下ろしや丈詰め作業は終わるだろうと思っていたら、ようやく丈を予定の高さまで切り詰めるだけで3時近くまでかかった。その後は足場をまた外して下ろしながら伸びた枝を幹近くから切り落としていく作業だけで、夕刻となり、何とか足場を全部外し終わり6時をだいぶ回っていた。
そんなで何もせずに何故か疲れたが、作業には参加せず下から見ているだけでも非常にエキサイティングで、なかなか面白かった。そして職人の作業の仕方から多くのことを学んだ気がしている。
今日はもう起きていられないので詳しくは明日でももう一回書きたい。
私事だが、昨日今日と二日続けて、野外でほぼ一日立ち尽くして職人たちと仕事していた。いや、正しくはその仕事ぶりを見ていた。
じっさいのところは仕事らしい仕事、作業などは何一つしていない。実は、庭の公孫樹の木の丈を詰めることになって、今までは我自ら木に登ってちまちま切っていたのたが、もう手に負えなくなり業者に頼んだのだ。
で、昨日の朝から、この冬一番冷え込んだ朝から、そのイチョウの周りにタンカン、つまり鉄パイプで木を取り囲むように四方に足場を組み、
高さ約18mにも伸びた丈を10mまで芯を止め背を切り詰め、伸びた枝もほとんど短く切りそろえた。
正直なところ、こんなにオオゴト、大掛かりになるとはまったく考えていなかった。庭のイチョウの大木の背丈を詰めるだけで、職人三人がかりでまるまる二日かかった。
我はそれを下からただ見上げて監督的に、どこをどう切るか指示したり、落ちた小枝を拾い集めたり、交通整理的に道に出て待機していた。それだけで何一つ力仕事はしていないが、朝から夕方まで、この厳寒の中、頭上をただ見上げ続け野外で立ち尽くしていたからさすがにバテた。むろん高所の足場悪い所で鋸やチェーンソーを用い、慎重に枝を切り落としていく作業はさぞ緊張したかと想像する。が、ただ見上げ写真を撮っていただけでも何だかものすごく疲労感があった。
一日でたぶん終わる作業だと想定していたら、昨日は足場を組むだけで夕方になってしまい、ほとんど実際の伐採にはとりかかれなかった。で、今日の午前中にその枝下ろしや丈詰め作業は終わるだろうと思っていたら、ようやく丈を予定の高さまで切り詰めるだけで3時近くまでかかった。その後は足場をまた外して下ろしながら伸びた枝を幹近くから切り落としていく作業だけで、夕刻となり、何とか足場を全部外し終わり6時をだいぶ回っていた。
そんなで何もせずに何故か疲れたが、作業には参加せず下から見ているだけでも非常にエキサイティングで、なかなか面白かった。そして職人の作業の仕方から多くのことを学んだ気がしている。
今日はもう起きていられないので詳しくは明日でももう一回書きたい。
我が人生にもっと手間暇かけていく ― 2016年01月27日 22時14分03秒
★庭木の手入れに三日かけた話 アクセスランキング:126位
ようやく記録的寒波は関東では過ぎ去ったようで、今日は一日ぽかぽか陽気の春の一日となった。
月曜から続いていた拙宅の庭木の伐採、職人を招いての作業はようやく今日水曜の午後3時にやっと終わった。この三日間その作業の立ち合い的対応に追われて我がことは何もできなかった。
落ちた木っ端クズを集めたり道を履いたり、下から樹上の職人に切る枝の支持を出したり、じっさいの力仕事や高所での伐採作業は何一つしていないのにただ寒い野外で立ち尽くしているだけでかなり疲れ夜も起きてられず早く寝てしまった。
庭木は、イチョウだけでなく、ついでにケヤキから月桂樹、山茶花などの低木までほぼ全て丈詰めて、ちんちくりんに刈り込まれてしまった。
今の我が家は、頭髪でいえば五分刈りどころかもうつるつるの出家した坊さん状態である。心なしか庭さえも広くなった気がしている。
実はそれほどもう何年もほとんど手入れせずにほったらかしにしてきていたのである。庭木の手入れは母がやっていたのだが、老いたのと癌などで体調すぐれず体力も落ちて四季折々刈り込んだりせねばならないのが常に後手後手となり草木は伸び放題となっていたのだ。頭髪でいえば、ニューミュージック的ロングヘア―ではなく、ホームレス的見苦しい長髪であった。それがこの三日間、職人三人の奮闘で、まさに床屋に行って全部剃り上げて来たような庭となってしまった。
母はこれですっきりしたと大満足であるが、我としてはまたすぐに生え伸びるとは思うものの、妙にうすら寒いような淋しい気持ちにややなっている。何もここまで切らなくても良いだろうにと。そして鬱蒼としていた庭が綺麗さっぱりしてしまうと妙に落ち着かない。床屋から出て来たときみたいに恥ずかしい。
が、今回ここまで切り詰めて刈り込めば、イチョウもケヤキも今年の秋の落葉はずいぶん少なくなるだろうし、枝もずいぶん短く詰めたので我一人でも剪定はかなり楽になったと思える。だからこの数年母を悩ましていたご近所との落葉をめぐるトラブル、軋轢はしばらくは解消されるのではないか。じっさいやいのやいのと口うるさく口さない罵詈雑言が飛び交い、それもあってストレスで母の癌は悪化したのだと思えるほどだ。それほどご近所の人たちは容赦なくあからさまに文句を並べ立てていた。
今回、母は癌再発したこともあって、思うところあってもう息子に任せて息子が恣意的に、そのうち時間のあるときに切る、なんて言うのをアテにしていては根本解決はしないと考え、金払って業者に頼んだのは英断であったかと今は思える。
そして今自分もこう思った。今までは庭先のことは親任せにしてきたこともいけなかったし、庭と言えども、いや、室内よりも外から丸見えになる、道を通る人誰でも目にする場所だからこそもっと気を使いきちんと綺麗にしていかなくてはならなかったのだと。
今までは何にせよ、忙しいことを言い訳に、庭先にしろ室内にしろ基本ほったらかしにしてきていた。今抱えているこの問題が終わったら、一段落して落ち着いたらと、常に後回しにしてきていた。
まさにある意味、無頼であったと思う。結果としてそれで良いことなんか一つもなく、ただだらしなく収拾がつかず混乱の極みに達しすべてがゴミ屋敷化していくばかりであった。
そしてようやく、今回まずは伸びるに任せて来た庭木から職人を使って手を入れることができた。室内は家政婦とかヘルパーを雇うことはできないが、今年これからは、意を決して溜まったゴミ化したものは捨ててすっきり快適な家にしていかねばならない。
今改めて思う。目先のことや、自らやりたいことに囚われて、もっと肝心なこと、日々の生活の維持管理を我は常に後回しにしてきたのではないのかと。本来はまずそのことをきちんとやれて、つまりサラリーマンなら糊のきいたワイシャツとプレスのしっかりしたスーツ、磨き上げた靴でビジネスに向かうように、まずは自分の生活環境をきちんと整えてから何事も始めるべきであったのだ。
我は「食」にはかなり時間と手間暇かけ、たぶん普通の人よりコダワリを持って対処している。できるだけ手作りを旨として。が、衣食住のうちの残り二つは、衣類も住居もまったくほったらかし、放擲してきてしまっていた。見かけや着るものに構わないのはともかく、特に住まいにはもっと時間かけて真剣に向き合わねばならなかったのだとやっと今わかった。
生きるとは人生とは、まずきちんとした誰からも後ろ指さされない快適な住環境を人任せでなく自ら築いて、それからじっくり向き合っていくものなのだと今にして気づく。
そう、何をやるにせよ全てのことはまずそのためのきちんとした環境とシステムを作ってから始める、始まっていくのであった。自分のダメさは、その手順を考えなかったことに由来していたのである。
ようやく記録的寒波は関東では過ぎ去ったようで、今日は一日ぽかぽか陽気の春の一日となった。
月曜から続いていた拙宅の庭木の伐採、職人を招いての作業はようやく今日水曜の午後3時にやっと終わった。この三日間その作業の立ち合い的対応に追われて我がことは何もできなかった。
落ちた木っ端クズを集めたり道を履いたり、下から樹上の職人に切る枝の支持を出したり、じっさいの力仕事や高所での伐採作業は何一つしていないのにただ寒い野外で立ち尽くしているだけでかなり疲れ夜も起きてられず早く寝てしまった。
庭木は、イチョウだけでなく、ついでにケヤキから月桂樹、山茶花などの低木までほぼ全て丈詰めて、ちんちくりんに刈り込まれてしまった。
今の我が家は、頭髪でいえば五分刈りどころかもうつるつるの出家した坊さん状態である。心なしか庭さえも広くなった気がしている。
実はそれほどもう何年もほとんど手入れせずにほったらかしにしてきていたのである。庭木の手入れは母がやっていたのだが、老いたのと癌などで体調すぐれず体力も落ちて四季折々刈り込んだりせねばならないのが常に後手後手となり草木は伸び放題となっていたのだ。頭髪でいえば、ニューミュージック的ロングヘア―ではなく、ホームレス的見苦しい長髪であった。それがこの三日間、職人三人の奮闘で、まさに床屋に行って全部剃り上げて来たような庭となってしまった。
母はこれですっきりしたと大満足であるが、我としてはまたすぐに生え伸びるとは思うものの、妙にうすら寒いような淋しい気持ちにややなっている。何もここまで切らなくても良いだろうにと。そして鬱蒼としていた庭が綺麗さっぱりしてしまうと妙に落ち着かない。床屋から出て来たときみたいに恥ずかしい。
が、今回ここまで切り詰めて刈り込めば、イチョウもケヤキも今年の秋の落葉はずいぶん少なくなるだろうし、枝もずいぶん短く詰めたので我一人でも剪定はかなり楽になったと思える。だからこの数年母を悩ましていたご近所との落葉をめぐるトラブル、軋轢はしばらくは解消されるのではないか。じっさいやいのやいのと口うるさく口さない罵詈雑言が飛び交い、それもあってストレスで母の癌は悪化したのだと思えるほどだ。それほどご近所の人たちは容赦なくあからさまに文句を並べ立てていた。
今回、母は癌再発したこともあって、思うところあってもう息子に任せて息子が恣意的に、そのうち時間のあるときに切る、なんて言うのをアテにしていては根本解決はしないと考え、金払って業者に頼んだのは英断であったかと今は思える。
そして今自分もこう思った。今までは庭先のことは親任せにしてきたこともいけなかったし、庭と言えども、いや、室内よりも外から丸見えになる、道を通る人誰でも目にする場所だからこそもっと気を使いきちんと綺麗にしていかなくてはならなかったのだと。
今までは何にせよ、忙しいことを言い訳に、庭先にしろ室内にしろ基本ほったらかしにしてきていた。今抱えているこの問題が終わったら、一段落して落ち着いたらと、常に後回しにしてきていた。
まさにある意味、無頼であったと思う。結果としてそれで良いことなんか一つもなく、ただだらしなく収拾がつかず混乱の極みに達しすべてがゴミ屋敷化していくばかりであった。
そしてようやく、今回まずは伸びるに任せて来た庭木から職人を使って手を入れることができた。室内は家政婦とかヘルパーを雇うことはできないが、今年これからは、意を決して溜まったゴミ化したものは捨ててすっきり快適な家にしていかねばならない。
今改めて思う。目先のことや、自らやりたいことに囚われて、もっと肝心なこと、日々の生活の維持管理を我は常に後回しにしてきたのではないのかと。本来はまずそのことをきちんとやれて、つまりサラリーマンなら糊のきいたワイシャツとプレスのしっかりしたスーツ、磨き上げた靴でビジネスに向かうように、まずは自分の生活環境をきちんと整えてから何事も始めるべきであったのだ。
我は「食」にはかなり時間と手間暇かけ、たぶん普通の人よりコダワリを持って対処している。できるだけ手作りを旨として。が、衣食住のうちの残り二つは、衣類も住居もまったくほったらかし、放擲してきてしまっていた。見かけや着るものに構わないのはともかく、特に住まいにはもっと時間かけて真剣に向き合わねばならなかったのだとやっと今わかった。
生きるとは人生とは、まずきちんとした誰からも後ろ指さされない快適な住環境を人任せでなく自ら築いて、それからじっくり向き合っていくものなのだと今にして気づく。
そう、何をやるにせよ全てのことはまずそのためのきちんとした環境とシステムを作ってから始める、始まっていくのであった。自分のダメさは、その手順を考えなかったことに由来していたのである。
甘利氏疑惑で閣僚辞任、全てが甘いバカバカバカ ― 2016年01月28日 22時08分12秒
★やましいことがないのなら何故辞任するのか、マスコミは何故もっと突っ込んで報道しないのか
日本の政治とそれを報じる大新聞などマスコミはバカバカバカ大馬鹿である。我もバカだが、本当に今回の騒動には呆れ果てた。バカでも呆れるバカの極みとしか言いようがない。
ともかく全てが甘い。甘利氏の会見、こんな言い訳や理屈でどうして納得でき許されるのか。
一週刊誌の記事で疑惑を報じられ党や内閣にご迷惑をおかけし、政治家としての矜持(プライド)が許さないから閣僚を辞任するなんて聞いたことがない。
ならばその疑惑を晴らすべく、辞任などせずとことん報じた文春誌と争えば良いではないか。それもせず政治家としての矜持云々言い立てて、このままだと政権の足を引っ張るから、迷惑かけるのでやめると言うのはまったく理解できない。いったい疑惑はじっさいに事実なのか、それとも誤報やデマの類なのかそれがまず知りたい。
その一番大事なことについては、実にアイマイで何もはっきりとわからない。辞任を認めた安倍首相もいったい何で辞任させるのかそれすらも語っていない。当人が潔白だと言い、その信憑性高いと思うのなら慰留すべきではないのか。あるいは厳しく問い糾し辞任でなく更迭すべきではないのか。
そうせずに疑惑がもたれたこと、その疑惑とは何なのかも一切語りも答えもせず、トカゲのしっぽ切りのように、彼が辞任したので一件落着、政治に停滞は許されないと、もう解決したことのようにこの件の幕引きを済まそうとしてもそれこそ納得できやしない。
また記者会見でのマスコミの質問も実に甘くイライラさせられた。そもそも甘利氏は謀略に陥った被害者なのであろうか。うっかり接客した相手が置いていった虎屋の羊羹の包みを開けたら50万円だかの現金が入っていたら、普通の人なら政治家であろうとなかろうと即問い直し返却すべきはずであろう。何故ならそんな変な怪しい金の渡し方はまず賄賂だと誰でも感じとれるからだ。実際その通りならばまるで時代劇の世界である。
その金を後で政治献金として適切に処理したなんて常識的に考えて絶対にありえない。また、秘書が受け取った500万のうち300万かを秘書が「誘惑に負けて」私的に使ってしまったなんて言い草は茶番の極みであろう。そんな言い訳が成り立つならまずその秘書を告訴し被害届を出して厳しく糾弾せねばならない。今回の疑惑騒動はその程度の、秘書がうっかりしでかした使い込みレベルの問題なのだろうか。甘利氏はその監督責任だけで念願のTPP調印を目前に辞めたのか。たかが一週刊誌の記事ではないか。これは建設会社との間で政治家が口利いた斡旋収賄なのか、それとも謀略事件なのか。この事件は大臣辞職程度で済むことなのか。全てが甘く曖昧なままだ。
甘利氏は会見で、政治家は怪しい人物も含めていろんな人間と会わざる得ないからこうした事件は絶対に防ぎようはないとあたかも被害者面である。そしてそんな言い草を、ただ、はあ、そうですか、大変ですねえと大人しく拝聴しているマスコミ記者もどうかしている。すべてが甘い。バカバカバカ大馬鹿である。心底あきれ果てた。
隔靴掻痒という言葉がある。足が痒い時、靴のまま掻いてもかゆいのは治まらない。今回の騒動、甘利氏の疑惑釈明会見自体もだが、それをただ唯唯諾諾と拝聴、厳しく突っ込み問うことのない報道陣、また会見を無批判に淡々と報じるメディアに対して、まさに隔靴掻痒の感を強く持つ。
甘利氏もバカだが、大新聞やテレビなど報道機関ももっとバカである。甘利氏辞任という「大事件」のみ大きく報じて、その裏にある「疑惑の真相」については何一つ突っ込んで報道しない。どうしてあんな言い訳でそのまま済ましてしまうのか。昔の記者ならもっと厳しく糾弾していたはずだ。
疑惑の人が疑惑持たれて政権運営に迷惑かけた故大臣を辞任して、新たに石原氏が代わってこれで一件落着だとするのなら、日本に政治家も、いや議会政治もマスメディアも何も必要ない。
これは自公政治だけの問題でない。日本の現代政治のみならず、これは日本の社会、日本人そのものがここまでバカになってしまったという如実な証明なのである。
問題の根幹がはっきり理解できていない。問題は「政局」以前に、「真実」は何かだろう。「疑惑」と「辞任」の関係が問われていない。そもそも何が問題とされているのかも理解できていない。それが大の大人の政治家やマスコミ記者なのだ。本当にバカらしくなった。こんなバカたちが、TPPでバカの上塗りをやろうとしているのである。
今の日本に政治のかじ取りを任せられる政治家がいるのであろうか。彼らに知性は求めない。せめて人として当たり前の理性を望む。
日本の政治とそれを報じる大新聞などマスコミはバカバカバカ大馬鹿である。我もバカだが、本当に今回の騒動には呆れ果てた。バカでも呆れるバカの極みとしか言いようがない。
ともかく全てが甘い。甘利氏の会見、こんな言い訳や理屈でどうして納得でき許されるのか。
一週刊誌の記事で疑惑を報じられ党や内閣にご迷惑をおかけし、政治家としての矜持(プライド)が許さないから閣僚を辞任するなんて聞いたことがない。
ならばその疑惑を晴らすべく、辞任などせずとことん報じた文春誌と争えば良いではないか。それもせず政治家としての矜持云々言い立てて、このままだと政権の足を引っ張るから、迷惑かけるのでやめると言うのはまったく理解できない。いったい疑惑はじっさいに事実なのか、それとも誤報やデマの類なのかそれがまず知りたい。
その一番大事なことについては、実にアイマイで何もはっきりとわからない。辞任を認めた安倍首相もいったい何で辞任させるのかそれすらも語っていない。当人が潔白だと言い、その信憑性高いと思うのなら慰留すべきではないのか。あるいは厳しく問い糾し辞任でなく更迭すべきではないのか。
そうせずに疑惑がもたれたこと、その疑惑とは何なのかも一切語りも答えもせず、トカゲのしっぽ切りのように、彼が辞任したので一件落着、政治に停滞は許されないと、もう解決したことのようにこの件の幕引きを済まそうとしてもそれこそ納得できやしない。
また記者会見でのマスコミの質問も実に甘くイライラさせられた。そもそも甘利氏は謀略に陥った被害者なのであろうか。うっかり接客した相手が置いていった虎屋の羊羹の包みを開けたら50万円だかの現金が入っていたら、普通の人なら政治家であろうとなかろうと即問い直し返却すべきはずであろう。何故ならそんな変な怪しい金の渡し方はまず賄賂だと誰でも感じとれるからだ。実際その通りならばまるで時代劇の世界である。
その金を後で政治献金として適切に処理したなんて常識的に考えて絶対にありえない。また、秘書が受け取った500万のうち300万かを秘書が「誘惑に負けて」私的に使ってしまったなんて言い草は茶番の極みであろう。そんな言い訳が成り立つならまずその秘書を告訴し被害届を出して厳しく糾弾せねばならない。今回の疑惑騒動はその程度の、秘書がうっかりしでかした使い込みレベルの問題なのだろうか。甘利氏はその監督責任だけで念願のTPP調印を目前に辞めたのか。たかが一週刊誌の記事ではないか。これは建設会社との間で政治家が口利いた斡旋収賄なのか、それとも謀略事件なのか。この事件は大臣辞職程度で済むことなのか。全てが甘く曖昧なままだ。
甘利氏は会見で、政治家は怪しい人物も含めていろんな人間と会わざる得ないからこうした事件は絶対に防ぎようはないとあたかも被害者面である。そしてそんな言い草を、ただ、はあ、そうですか、大変ですねえと大人しく拝聴しているマスコミ記者もどうかしている。すべてが甘い。バカバカバカ大馬鹿である。心底あきれ果てた。
隔靴掻痒という言葉がある。足が痒い時、靴のまま掻いてもかゆいのは治まらない。今回の騒動、甘利氏の疑惑釈明会見自体もだが、それをただ唯唯諾諾と拝聴、厳しく突っ込み問うことのない報道陣、また会見を無批判に淡々と報じるメディアに対して、まさに隔靴掻痒の感を強く持つ。
甘利氏もバカだが、大新聞やテレビなど報道機関ももっとバカである。甘利氏辞任という「大事件」のみ大きく報じて、その裏にある「疑惑の真相」については何一つ突っ込んで報道しない。どうしてあんな言い訳でそのまま済ましてしまうのか。昔の記者ならもっと厳しく糾弾していたはずだ。
疑惑の人が疑惑持たれて政権運営に迷惑かけた故大臣を辞任して、新たに石原氏が代わってこれで一件落着だとするのなら、日本に政治家も、いや議会政治もマスメディアも何も必要ない。
これは自公政治だけの問題でない。日本の現代政治のみならず、これは日本の社会、日本人そのものがここまでバカになってしまったという如実な証明なのである。
問題の根幹がはっきり理解できていない。問題は「政局」以前に、「真実」は何かだろう。「疑惑」と「辞任」の関係が問われていない。そもそも何が問題とされているのかも理解できていない。それが大の大人の政治家やマスコミ記者なのだ。本当にバカらしくなった。こんなバカたちが、TPPでバカの上塗りをやろうとしているのである。
今の日本に政治のかじ取りを任せられる政治家がいるのであろうか。彼らに知性は求めない。せめて人として当たり前の理性を望む。

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