続々・これからのこと ― 2017年02月28日 16時52分14秒
★二月の終わりに
おかげさまで父の体調は回復したようで、抗生剤を飲んでいることもあるが、熱も上がることなく今日は久しぶりにデイケアに行けて、風呂にも入れてもらったとのこと。また少しだけ生き永らえたとほっとしている。それだけ我の地獄はまだ続くのであるけれど。
が、父のほうではなく、息子、この我が昨日は体調最悪で、午前中は何とか父の汚れ物の洗濯だけは終えたものの犬の散歩と父の世話以外は、終日ひたすら寝込んでしまった。
熱はないと思うのだが、寒気もしてめまいと頭痛と耳鳴りがひどくフラフラで、ともかく体中がだるくしんどくてたまらない。父たちの食事の支度以外、少しでも時間あらば横になってひたすらうつらうつらしていた。
でも一度横になると、老犬が鳴いて外に出さねばと思っても、苦しくてベッドから身を起こすこともできず、しばらくは布団の中で、ぐるぐる廻っているようなめまいが収まるまで待ってようやく自らを励まし何とか起きだすという有様だった。
あまりの体調悪さに救急車呼んで病院に行くべきかとも考えたが、そうなってしまうと父たちの世話は誰もする者がいなくなる。まして入院でもなってしまったら大変だ。犬は騒いでさらに衰弱するだろうし父も食事とることないだろうし、一人では寝かせることも下の世話も心配だ。おいそれと家は空けられない。
けっきょく、一人で生きていくということは、他に介護してくれる者が来てくれない限り、最後はどうにも身動きとれなくなっていく。今は父や犬たち、我が介助する側となる者たちがいるから何とか必死でフラフラでも我が身を叱咤して頑張れるが、おそらく孤独死というのはこうして起こるのだろう。体調が悪くて動けなくなってうんうん苦しんでいるうちにさらに衰弱して意識もなくなってついに死んでいく。
そんな人生は誰だって望みはしないし避けたいとは思うが、我の生きてきたこと、してきたことを思うとき、それもまた相応しいかなあという気がしている。
漱石先生のように、家族や門人たち大勢に囲まれて新聞社の支援もあり当時できるだけの医療を受けて死んでいくという死に方よりも荷風山人のように、一人のまま好き勝手にとことん無頼に生き、最後は自宅で孤独死しているのを後で発見されるという生き方。
人は荷風の死に方に悲哀を覚えるものだろうが、漱石のように、死後も巨大な墓石を当人の遺志とは関係なく建てられてしまう人生は、それはそれで、もしあの世があらば苦渋に満ちたものかもしれない。そうした「立場」を築いて身動きとれなくなってストレス死する人と、いっさい束縛を嫌い最後に孤独死というツケを払うのと。どちらが自由に、思い通りに生きたのであろうか。漱石という偉大な人生を思うと、その死すらも則天去私ということなのかもしれないが。
我が体調は、今日もまだあまり良くなく、朝は7時に一度犬に起こされ散歩してから父を起こして朝食を食べさせ支度しデイケアの送迎車に送り出してから昼前まで仮眠し、犬たちを部屋から出してまた散歩して外で昼は食べてからまた父帰宅の電話が鳴るまで横になっていた。
まだ耳鳴りはしているが、めまいとふらつきはだいぶ収まり楽になって来た。時間がつくれれば一度耳鼻咽喉科にまたかかりにいかねばと思う。外科的手術で治るものならばそれもやってもらいたい。
今月2月は一年で一番短く寒く過酷な月ということもあるけれど、けっきょくほとんど何もできずに終わってしまった。
何とか手作り味噌造りの集いだけは予定通りできたけれど、我の生活の破綻ぶり、我家の醜態を、来られた人々にあからさまにお見せしてしまった。全く恥ずかしい。
何としても来月からは、三月こそは、生活再建の一歩となるべき成果を出していきたいと強く今思う。亡き母や父の昨年度の医療費もきちんと集計して申告しないとならない。それを終えてやっと「母の死」は完全に終わりとなる。相変わらずやるべきことは山積しているが、これからはもっと暖かくなるだろうし、少しは作業や動きのピッチも上がるように思える。
この内も外もゴミ屋敷と化して、しっちゃかめっちゃかになってしまった我が人生を、ともかく少しでも収拾つくようにしていく。父も老犬もまだ生きている。ならば我もまだ死ぬわけにはいかない。
大変だが、まだまだ頑張れる。頑張らねばならない。何であろと投げ出さず続けていくことだ。嫌でも終わりの日は必ずやってくるのだから。
おかげさまで父の体調は回復したようで、抗生剤を飲んでいることもあるが、熱も上がることなく今日は久しぶりにデイケアに行けて、風呂にも入れてもらったとのこと。また少しだけ生き永らえたとほっとしている。それだけ我の地獄はまだ続くのであるけれど。
が、父のほうではなく、息子、この我が昨日は体調最悪で、午前中は何とか父の汚れ物の洗濯だけは終えたものの犬の散歩と父の世話以外は、終日ひたすら寝込んでしまった。
熱はないと思うのだが、寒気もしてめまいと頭痛と耳鳴りがひどくフラフラで、ともかく体中がだるくしんどくてたまらない。父たちの食事の支度以外、少しでも時間あらば横になってひたすらうつらうつらしていた。
でも一度横になると、老犬が鳴いて外に出さねばと思っても、苦しくてベッドから身を起こすこともできず、しばらくは布団の中で、ぐるぐる廻っているようなめまいが収まるまで待ってようやく自らを励まし何とか起きだすという有様だった。
あまりの体調悪さに救急車呼んで病院に行くべきかとも考えたが、そうなってしまうと父たちの世話は誰もする者がいなくなる。まして入院でもなってしまったら大変だ。犬は騒いでさらに衰弱するだろうし父も食事とることないだろうし、一人では寝かせることも下の世話も心配だ。おいそれと家は空けられない。
けっきょく、一人で生きていくということは、他に介護してくれる者が来てくれない限り、最後はどうにも身動きとれなくなっていく。今は父や犬たち、我が介助する側となる者たちがいるから何とか必死でフラフラでも我が身を叱咤して頑張れるが、おそらく孤独死というのはこうして起こるのだろう。体調が悪くて動けなくなってうんうん苦しんでいるうちにさらに衰弱して意識もなくなってついに死んでいく。
そんな人生は誰だって望みはしないし避けたいとは思うが、我の生きてきたこと、してきたことを思うとき、それもまた相応しいかなあという気がしている。
漱石先生のように、家族や門人たち大勢に囲まれて新聞社の支援もあり当時できるだけの医療を受けて死んでいくという死に方よりも荷風山人のように、一人のまま好き勝手にとことん無頼に生き、最後は自宅で孤独死しているのを後で発見されるという生き方。
人は荷風の死に方に悲哀を覚えるものだろうが、漱石のように、死後も巨大な墓石を当人の遺志とは関係なく建てられてしまう人生は、それはそれで、もしあの世があらば苦渋に満ちたものかもしれない。そうした「立場」を築いて身動きとれなくなってストレス死する人と、いっさい束縛を嫌い最後に孤独死というツケを払うのと。どちらが自由に、思い通りに生きたのであろうか。漱石という偉大な人生を思うと、その死すらも則天去私ということなのかもしれないが。
我が体調は、今日もまだあまり良くなく、朝は7時に一度犬に起こされ散歩してから父を起こして朝食を食べさせ支度しデイケアの送迎車に送り出してから昼前まで仮眠し、犬たちを部屋から出してまた散歩して外で昼は食べてからまた父帰宅の電話が鳴るまで横になっていた。
まだ耳鳴りはしているが、めまいとふらつきはだいぶ収まり楽になって来た。時間がつくれれば一度耳鼻咽喉科にまたかかりにいかねばと思う。外科的手術で治るものならばそれもやってもらいたい。
今月2月は一年で一番短く寒く過酷な月ということもあるけれど、けっきょくほとんど何もできずに終わってしまった。
何とか手作り味噌造りの集いだけは予定通りできたけれど、我の生活の破綻ぶり、我家の醜態を、来られた人々にあからさまにお見せしてしまった。全く恥ずかしい。
何としても来月からは、三月こそは、生活再建の一歩となるべき成果を出していきたいと強く今思う。亡き母や父の昨年度の医療費もきちんと集計して申告しないとならない。それを終えてやっと「母の死」は完全に終わりとなる。相変わらずやるべきことは山積しているが、これからはもっと暖かくなるだろうし、少しは作業や動きのピッチも上がるように思える。
この内も外もゴミ屋敷と化して、しっちゃかめっちゃかになってしまった我が人生を、ともかく少しでも収拾つくようにしていく。父も老犬もまだ生きている。ならば我もまだ死ぬわけにはいかない。
大変だが、まだまだ頑張れる。頑張らねばならない。何であろと投げ出さず続けていくことだ。嫌でも終わりの日は必ずやってくるのだから。
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