死ぬ前に果たすべきいくつかのこと2023年06月26日 20時15分32秒

★そして、「音楽」に関して

 何としても若き日に、友人仲間と撮った八ミリ映画を、デジタル化して御礼として「青春の記録」としてお届けしたい。
 さらに、もう一つ、心に残っているのは、我が若き頃から録り溜めた「音楽」に関する事である。
 大阪の春一をはじめ、世の人たちから度々ひんしゅくを買い、トラブルの種になってきたが、我は、若い頃から記録収集マニア的気質があり、雑誌からチラシから何であれ手元に来たもの、関わったモノゴト、行って見たものは、どんなものであれ、何でも捨てずにとってきた。
 同時代同世代のみうらじゅん氏も同様の気質の方であり、彼もまたあらゆる身辺に届いたものをともかくひたすら収集してはスクラップして、膨大なコレクションを誇っている。
 彼のエライことは、きちんとその集めたものものを、整理してスクラップブックに貼付けるなり保管して、すべて自ら管理できていることだ。
 我は、収集はするが、その能力は人並み以上だと自負しても、それをきちんと博物館的に整理分別保管することは全くできない。
 ただ集めるだけ集めて、物は増えるが、いったい何がどこにあるのか、その全体像も個々の状態、状況も自分では皆目わからない。

 我はカセットテープ時代も含めて、1970年代から様々なイベントやコンサートの音を録音・記録してきた。また、テレビ番組も、80年代からずっと多々録画してきた。※当初は、ベータで、次いでVHSで、近年は、ブルーレイディスクで。
 さの他、宣伝広告やチラシ類など紙もの、紙ごみ類も膨大に未整理のまま残っている。

 そうした長年録り溜めたものの中でも、テレビやラジオの放送番組は、他にも録音録画した方が多々おられ、保存され、また世に流れていくと思うから惜しいとは思わないが、我が個人的にその場に立ち会い録音や撮影した映像についてである。
 たぶん、他に誰も録ったりしていなければ、我の手元にあるものが唯一の記録であろう。
 そこにどれだけの価値や意義があるかはともかく、そのコンサートやシンガー、ミュージシャンの知名度や人気は関係なく、やはりある時代と場の記録として、このまま我の死と共に消えてしまうのはいかがなものか。
 むろん、時というものは、一過性で、二度と戻らないし再現も復元もできやしないが、幸いにしてその一瞬を記録したものが今残っているのならば、それは、やはりきちんと後世へ伝えていくべきもの、残すべき価値があるのではないか。
 そうしたものを、我の死と共に雲散霧消させてしまうのは忍び難い。モッタイナイ気がする。

 むろん、誰か後を託せる人が現れ、その同好の士が、きちんとその「遺産」を活かしてくれるのならば良いけれど、現実的には、我にはそんな仲間はいない。誰にも託せない。
 我が死ぬば、最終的には、何もかも我が妹や甥っ子たちが全部ゴミとして処分してくれるはずだ。しかもさんざん我に悪態つきながら。

 ならば、せめてもう少しできるところまで、そうした「音源」を整理して、
何が入っているのか、中身がわかるようにして、せめて誰かモノ好きな人に、「形見」として貰われていくようまとめなければならない。
 むろんそこに価値があると思うのは我一人なのかもしれないが。