6月に入りました。 ― 2016年06月01日 23時22分14秒
★まずは11日の「反戦歌コンサート」を成功させるべく
歳月ひとを待たずと言ったもので、親たちの世話に時間奪われ、ほとんど他のことは何一つできないまま月日だけは確実に過ぎていく。早や今日から6月である。
親たちはまだ何とか生きているので我が人生においては良しとし得るが、我の公的な関わりの人たちとのことが何も進まず、まさに忸怩たるものがある。いったいどうしたものか。焦り苛立つ苦しい気持ちでいる。
おまけにこの数日、あんなに暑い真夏のような日が続いてたのに突然気温の低く、冷たい北風が吹き肌寒くなって、我も風邪気味で体調崩してしまった。
父のところへも、病室に風邪を持ち込むとまずいことになりそうなので、月曜以来三日も行っていない。今日こそは夕方行こうと思っていたが、午睡からなかなか起きられずに目が覚めたらもう6時近くで、断念した。そう、このところ疲れているのか、午後一度寝たら目覚ましかけててもすぐには起きられない。
無理はできないしできるだけ体を休めるしかないのもわかっているが、朝ドラの主人公の口癖ではないが、どうしたもんじゃろのう~と苛立つ心を抱えてまさに煩悶している。
ドラマの主人公は、そう呟きつつも、障害を前にともかく動き出してそれを乗り越えていく。結果はどうあれ、まず動いていくしかないし動けるならまだしもなのである。
病み衰えた母と暮らしていると、今は食事を摂らせるだけでこちらがへとへとになってしまう。食が細いだけでなく、すぐに鳩尾のあたりが閊えてしまい、チクチク痛いと騒ぎ出し、日に何度もトイレに駆け込む。
排便も下痢状態で何回も続いたり、あるいは出ないこともあったり、それもこれも大腸の手術のせいというより、癌がそこに介在しているからではないかと我は疑っているが、口には出せない。
病む前は、のんきで明るい動じない性格だった人が、今回の手術と退院後、体重が落ち骨と皮の35キロになってしまってからは、やたら神経質に小心に、あれこれ口やかましく我がままになってしまい、こんな性格であったのかと不信に思うほどだ。
今、母は体力も免疫力もまったくないから、もしここで風邪でもひいたらまた即入院であろうし、下手に高熱でも出たら脂肪という「保険」はないから、まず助からない。
つまるところ、まずは食事で体重を少しでも戻して体力つけるしか他に何も手はないのだが、その食事すらままならない。だから目も離せないし、かといって入院させてもどうにかなるわけでない。これが現実、現状なのだから、食べられるよう、元気になる特効薬などないのである。
ともかく根気強く、少しづつでも口から食べさせ、促すしかない。それは苦労だが、苦難だとは思わない。早く親を失った方に比べれば不孝ではなく幸福の域であろう。
が、障害者の方が言うように、不幸ではないが不便であるように、自由であった者が不自由に、そして、そのことで他者までに迷惑かけて結果として不自由を強いてしまってことが本当に心苦しい。
こんなところで愚痴をこぼしている暇あらば、まずは喫緊に迫っている6月11日のかけこみ亭のコンサートを成功、盛況にすべく限られた僅かな時間の中でできることを少しでも進めていくだけだ。
ブログに向かう時間あるのなら他の不義理にしていることを進めるべく使うべきであろう。ブログは休止しないが、更新が滞ってもご理解お願いしたい。
まずは、来る6月11日、谷保かけこみ亭での、第四回、みんなで反戦歌・労働歌そして生活の歌を唄おうコンサート、ぜひぜひご参加ご協力お願いしたい。
歳月ひとを待たずと言ったもので、親たちの世話に時間奪われ、ほとんど他のことは何一つできないまま月日だけは確実に過ぎていく。早や今日から6月である。
親たちはまだ何とか生きているので我が人生においては良しとし得るが、我の公的な関わりの人たちとのことが何も進まず、まさに忸怩たるものがある。いったいどうしたものか。焦り苛立つ苦しい気持ちでいる。
おまけにこの数日、あんなに暑い真夏のような日が続いてたのに突然気温の低く、冷たい北風が吹き肌寒くなって、我も風邪気味で体調崩してしまった。
父のところへも、病室に風邪を持ち込むとまずいことになりそうなので、月曜以来三日も行っていない。今日こそは夕方行こうと思っていたが、午睡からなかなか起きられずに目が覚めたらもう6時近くで、断念した。そう、このところ疲れているのか、午後一度寝たら目覚ましかけててもすぐには起きられない。
無理はできないしできるだけ体を休めるしかないのもわかっているが、朝ドラの主人公の口癖ではないが、どうしたもんじゃろのう~と苛立つ心を抱えてまさに煩悶している。
ドラマの主人公は、そう呟きつつも、障害を前にともかく動き出してそれを乗り越えていく。結果はどうあれ、まず動いていくしかないし動けるならまだしもなのである。
病み衰えた母と暮らしていると、今は食事を摂らせるだけでこちらがへとへとになってしまう。食が細いだけでなく、すぐに鳩尾のあたりが閊えてしまい、チクチク痛いと騒ぎ出し、日に何度もトイレに駆け込む。
排便も下痢状態で何回も続いたり、あるいは出ないこともあったり、それもこれも大腸の手術のせいというより、癌がそこに介在しているからではないかと我は疑っているが、口には出せない。
病む前は、のんきで明るい動じない性格だった人が、今回の手術と退院後、体重が落ち骨と皮の35キロになってしまってからは、やたら神経質に小心に、あれこれ口やかましく我がままになってしまい、こんな性格であったのかと不信に思うほどだ。
今、母は体力も免疫力もまったくないから、もしここで風邪でもひいたらまた即入院であろうし、下手に高熱でも出たら脂肪という「保険」はないから、まず助からない。
つまるところ、まずは食事で体重を少しでも戻して体力つけるしか他に何も手はないのだが、その食事すらままならない。だから目も離せないし、かといって入院させてもどうにかなるわけでない。これが現実、現状なのだから、食べられるよう、元気になる特効薬などないのである。
ともかく根気強く、少しづつでも口から食べさせ、促すしかない。それは苦労だが、苦難だとは思わない。早く親を失った方に比べれば不孝ではなく幸福の域であろう。
が、障害者の方が言うように、不幸ではないが不便であるように、自由であった者が不自由に、そして、そのことで他者までに迷惑かけて結果として不自由を強いてしまってことが本当に心苦しい。
こんなところで愚痴をこぼしている暇あらば、まずは喫緊に迫っている6月11日のかけこみ亭のコンサートを成功、盛況にすべく限られた僅かな時間の中でできることを少しでも進めていくだけだ。
ブログに向かう時間あるのなら他の不義理にしていることを進めるべく使うべきであろう。ブログは休止しないが、更新が滞ってもご理解お願いしたい。
まずは、来る6月11日、谷保かけこみ亭での、第四回、みんなで反戦歌・労働歌そして生活の歌を唄おうコンサート、ぜひぜひご参加ご協力お願いしたい。
全てありのままに、あからさまに ― 2016年06月03日 21時47分15秒
★母のことと、二か月ぶりに電車に乗って、生まれて初めてカラオケボックスに入った話
実はこの数日来母の具合が悪く、下痢が三日も止まらないと昨日は夕方から病院に急患扱いのつもりで行った。父が入院している立川の病院である。
昨日は、幸い夜7時までの夜間外来をやっている日で、診察受けて点滴受けて、下痢止めと整腸剤など薬だけ出してもらい帰ることができた。正直なところ、母も我もまた入院の覚悟で、歯ブラシとかスリッパなど毎度の「入院セット」も用意して出向いた。
先だって腸閉塞に再びならぬよう大腸のバイパス手術を受けてから、いったんは便も整うようになって喜んでいたのだが、5月の連休に一週間ほど便秘が悪化して再入院してからは、下痢が日常化してしまい、少し食べてはみぞおち辺りがチクチク痛むと始終言い出し、食事のつどトイレに駆け込むようになってしまっていた。
そんなで一時期は40キロまで戻った体重も退院後測ったら35キロになり、また下痢が続いたので今は33キロしかなく、まさに骨と皮の生けるミイラ状態となってしまっている。
当然体力はまったくなく、午前中はともかくも午後になるとベッドの中で今だ電気アンカを腹にあててうつらうつら仮眠をとっている。脂肪がないからだと思うが、どんなに外は暑い日でも足が冷えると言い、未だウチはコタツが片付けられないままだ。たぶん今年は通年コタツは夏でも使い続けることになるかと思える。
正直なところ、何を作ってもろくに食べず、いや、食べられず、少し食べては苦しがりトイレに駆け込む母と暮らすのはこちらまで辛く苦しい。どんどん余り物は溜まり、冷蔵庫にも入りらないから我が片付けることになるが、本当にうんざりである。
父も今入院中なのだから、二人してまた入院してくれた方が、こちとらは弁当買ったり外食で済ませば良いわけでどれほど楽かとも考える。
勝手な言い草だが、あれほど母の退院を待ち望んていたのに、その世話、介護というほどでなくても今の状態では、我の負う荷はかなり限界に近づいている。
癌性イレウス、腸閉塞になる前の母は、決して体調は良かったわけではないが、まあ、家のこと、家事などもやってくれたし、食事ならば息子が作れば、母はその後片付けはしてくれたり、親子で分担はできていた。
我が出かけることも、家のことは、父はともかく母に言づけて任せることもできた。が、今は、家事はもはやほとんど何もできない状態どころか、下手すると夜中に吐いたものを突然全部吐いたり、下痢が続いてトイレから出ることもままならないほど衰弱してしまっているから、おちおち都心などに出て人と会ったりライブや映画を観ることすらできやしない。ともかく目が離せない。家を空けられない。家から出られない。
ただ、今日は、近づく6.11の我が責任者となっている、かけこみ亭でのコンサートの件で、どうしても共演する人と会い、打ち合わせ兼音合わせをせねばならず、何とかやっと新宿に出て、カラオケボックスでほんの数時間だが練習のようなことができた。コンサートの本番当日までたった一回だが、音合わせもでき何も決められずいきなりぶっつけ本番という最悪の事態は避けられた。
自分でも信じられないが、電車に乗ったのは、3月末の高坂一潮追悼コンサートで南武線谷保まで行ったとき以来だから、まるまる4、5月+数日で実に二か月ぶりである。
もともとあまり行動的でないし、立川の病院とか近場に行くのはいつもマイカーだったけど、二か月以上も電車を利用しなかったのは大人になってから記憶にない。いや、若い頃フランスや海外をぶらついて日本に不在だったとき以来かと思う。それほどこの二か月は親たちのことで慌ただしかったのだ。
実は今日も果たして約束通り都心に出られるのか昨日の段階では何とも先が見えなかった。しかし、その相手、今回からぶらいあんずのメンバーとして参加されるM氏は、当方の事情も良く理解してくれていたので、母と我の体調優先でかまわないとこちらに合わせてくれていて、何とかやっと今日うまく会うことができた。
母は昨日に引き続き、今日も午前、病院からの送迎バスで立川の系列の診療所で、点滴受けたので、今日はだいぶ元気になっていた。ビタミンなどの栄養素とブドウ糖だけだと思うが、点滴効果は目をみはるものがある。
そんなこんなで、何とか今日は久々に都心、新宿まで電車に乗って出かけることができた。そして練習の後、一時間ほど、西口の思い出横丁で軽くビールを飲むこともできた。感無量というのは大げさだが、今日のビールの味は忘れられないものになるかと思う。
M氏から、有難くもまずはマスダ自身が体を大事にして、どうか無理しないでと諭され、老親のことで時間を奪われて様々なことに不義理して苦しく苛立つ気持ちは少しだが鎮まり救われた気がした。彼も含めて我の仲間たちは皆そうした状況はよくわかっているからと言ってもらい、その言葉に甘えてはならないが、ほんとうに気持ちはだいぶ楽になった。有難いことである。
つくづく我は良い友に恵まれていると思う。
そして思った。ならばこそ、すべてありのままに、この迷える思いも含めてあるがまま書き記していこうと。
恥ずかしいとかみっともないという気持ちもあった。こんな自分にも多少の見栄やカッコよくありたいという気持ちだって少しはある。いや、それよりもあまりに悲惨なことや情けないことは書いても読まれた人を憂鬱にし辛くさせるのではないかと迷っていた。
が、今日帰り道考え直した。やはりここまで書き続けてきたのだ。これからも全て我が迷い惑い苦しむ気持ちすらもそのまま書き記していこうと決めた。むろんのこと、誰か他者を傷つけるようには書いてはならないと心している。
それ以外は、まずは親たちの死と、そして我が残りの人生と我の死の直前まで、書き続けられる最後の時までできるだけ真摯に思うところとあったことを書き残していきたい。
我が敬愛する山口瞳先生は、死ぬ一週間前で彼の日常を綴った「男性自身」を病床からも書き続けていたと記憶する。ならば心の師に倣い我もまた我自身の「男性自身」であるこのブログを書いていく。
長くなった、生まれて初めてカラオケへ入った話はまた別の機会に書くことにする。
実はこの数日来母の具合が悪く、下痢が三日も止まらないと昨日は夕方から病院に急患扱いのつもりで行った。父が入院している立川の病院である。
昨日は、幸い夜7時までの夜間外来をやっている日で、診察受けて点滴受けて、下痢止めと整腸剤など薬だけ出してもらい帰ることができた。正直なところ、母も我もまた入院の覚悟で、歯ブラシとかスリッパなど毎度の「入院セット」も用意して出向いた。
先だって腸閉塞に再びならぬよう大腸のバイパス手術を受けてから、いったんは便も整うようになって喜んでいたのだが、5月の連休に一週間ほど便秘が悪化して再入院してからは、下痢が日常化してしまい、少し食べてはみぞおち辺りがチクチク痛むと始終言い出し、食事のつどトイレに駆け込むようになってしまっていた。
そんなで一時期は40キロまで戻った体重も退院後測ったら35キロになり、また下痢が続いたので今は33キロしかなく、まさに骨と皮の生けるミイラ状態となってしまっている。
当然体力はまったくなく、午前中はともかくも午後になるとベッドの中で今だ電気アンカを腹にあててうつらうつら仮眠をとっている。脂肪がないからだと思うが、どんなに外は暑い日でも足が冷えると言い、未だウチはコタツが片付けられないままだ。たぶん今年は通年コタツは夏でも使い続けることになるかと思える。
正直なところ、何を作ってもろくに食べず、いや、食べられず、少し食べては苦しがりトイレに駆け込む母と暮らすのはこちらまで辛く苦しい。どんどん余り物は溜まり、冷蔵庫にも入りらないから我が片付けることになるが、本当にうんざりである。
父も今入院中なのだから、二人してまた入院してくれた方が、こちとらは弁当買ったり外食で済ませば良いわけでどれほど楽かとも考える。
勝手な言い草だが、あれほど母の退院を待ち望んていたのに、その世話、介護というほどでなくても今の状態では、我の負う荷はかなり限界に近づいている。
癌性イレウス、腸閉塞になる前の母は、決して体調は良かったわけではないが、まあ、家のこと、家事などもやってくれたし、食事ならば息子が作れば、母はその後片付けはしてくれたり、親子で分担はできていた。
我が出かけることも、家のことは、父はともかく母に言づけて任せることもできた。が、今は、家事はもはやほとんど何もできない状態どころか、下手すると夜中に吐いたものを突然全部吐いたり、下痢が続いてトイレから出ることもままならないほど衰弱してしまっているから、おちおち都心などに出て人と会ったりライブや映画を観ることすらできやしない。ともかく目が離せない。家を空けられない。家から出られない。
ただ、今日は、近づく6.11の我が責任者となっている、かけこみ亭でのコンサートの件で、どうしても共演する人と会い、打ち合わせ兼音合わせをせねばならず、何とかやっと新宿に出て、カラオケボックスでほんの数時間だが練習のようなことができた。コンサートの本番当日までたった一回だが、音合わせもでき何も決められずいきなりぶっつけ本番という最悪の事態は避けられた。
自分でも信じられないが、電車に乗ったのは、3月末の高坂一潮追悼コンサートで南武線谷保まで行ったとき以来だから、まるまる4、5月+数日で実に二か月ぶりである。
もともとあまり行動的でないし、立川の病院とか近場に行くのはいつもマイカーだったけど、二か月以上も電車を利用しなかったのは大人になってから記憶にない。いや、若い頃フランスや海外をぶらついて日本に不在だったとき以来かと思う。それほどこの二か月は親たちのことで慌ただしかったのだ。
実は今日も果たして約束通り都心に出られるのか昨日の段階では何とも先が見えなかった。しかし、その相手、今回からぶらいあんずのメンバーとして参加されるM氏は、当方の事情も良く理解してくれていたので、母と我の体調優先でかまわないとこちらに合わせてくれていて、何とかやっと今日うまく会うことができた。
母は昨日に引き続き、今日も午前、病院からの送迎バスで立川の系列の診療所で、点滴受けたので、今日はだいぶ元気になっていた。ビタミンなどの栄養素とブドウ糖だけだと思うが、点滴効果は目をみはるものがある。
そんなこんなで、何とか今日は久々に都心、新宿まで電車に乗って出かけることができた。そして練習の後、一時間ほど、西口の思い出横丁で軽くビールを飲むこともできた。感無量というのは大げさだが、今日のビールの味は忘れられないものになるかと思う。
M氏から、有難くもまずはマスダ自身が体を大事にして、どうか無理しないでと諭され、老親のことで時間を奪われて様々なことに不義理して苦しく苛立つ気持ちは少しだが鎮まり救われた気がした。彼も含めて我の仲間たちは皆そうした状況はよくわかっているからと言ってもらい、その言葉に甘えてはならないが、ほんとうに気持ちはだいぶ楽になった。有難いことである。
つくづく我は良い友に恵まれていると思う。
そして思った。ならばこそ、すべてありのままに、この迷える思いも含めてあるがまま書き記していこうと。
恥ずかしいとかみっともないという気持ちもあった。こんな自分にも多少の見栄やカッコよくありたいという気持ちだって少しはある。いや、それよりもあまりに悲惨なことや情けないことは書いても読まれた人を憂鬱にし辛くさせるのではないかと迷っていた。
が、今日帰り道考え直した。やはりここまで書き続けてきたのだ。これからも全て我が迷い惑い苦しむ気持ちすらもそのまま書き記していこうと決めた。むろんのこと、誰か他者を傷つけるようには書いてはならないと心している。
それ以外は、まずは親たちの死と、そして我が残りの人生と我の死の直前まで、書き続けられる最後の時までできるだけ真摯に思うところとあったことを書き残していきたい。
我が敬愛する山口瞳先生は、死ぬ一週間前で彼の日常を綴った「男性自身」を病床からも書き続けていたと記憶する。ならば心の師に倣い我もまた我自身の「男性自身」であるこのブログを書いていく。
長くなった、生まれて初めてカラオケへ入った話はまた別の機会に書くことにする。
NHK籾井会長よ、安倍首相の宣伝ニュースばかり流すな ― 2016年06月04日 20時52分13秒
★これは完全なメディア操作である。
テレビはほとんど観ないしその時間もないのだが、一応、CMがないゆえ、時間的節約も兼ねてNHKの定時のニュースは家にいるときはつけるようにしている。
特に気になるのは天気予報で、暑さ寒さも含めて、これから天気がどう変わっていくのかは我にとっていちばんの関心事、当面の大事なことだ。
そしてこれはわざわざ言うまでもないことだが、その定時のニュースの中で、このところやたらと安倍首相がどこそこへ行き何をしたとかの「ニュース」が間に挟まって流される。
今日4日は、九州の地震の状況視察に、観光地別府を訪れた首相が、その様子だけでなく、全力で復興を応援すると自らの言葉で熱く語っているシーンがしっかり映し出された。観る限り実に立派な国民思いの首相である。
しかしはっきり言ってこれはニュースではない。ニュースというのはある程度事件性や報道に値する事態や問題に関するもののはずで、首相がどこそこに行き、何を話したとかはニュースとして取り上げるのは異常であろう。それがもしニュースだというのならば、指導者の動向を常に大々的に重々しく報じる某北の国や報道の自由がない隣国と同じであって、少なくともこの日本はそこまで一首相の動向は刻一テレビのニュース枠で国民に知らせる必要はないはずだ。
むろんのこと特に大事な国家や国民に関し影響を及ぼす発言や会見ならば別だが。
そんなニュースを観て不愉快になっていたら、今ほど夜8時45分の、土曜日だからローカルではない短いが全国ニュースの中でも、首相が先日のサミットの写真展に訪れ、記者団の質問に、今は参院選過半数をとることに頭がいっぱいだと語ったという「ニュース」が流れた。しかもご丁寧に、また民主党政権時のような混乱した状況に戻してはならないとテロップ付きで彼のコメントも加えてだ。心底呆れ怒りがこみあげて来た。
我もだが、NHKを常にデフォルトにしてテレビを観ている層はかなりいると思う。その人たちにとってニュースの度にこうした安倍首相の一方的プロパガンダとしか呼びようのない宣伝「ニュース」を見せられれば、自然に、そうなのかと安倍寄りに「洗脳」させられる。
被災地を訪れ、地元住民から歓待され、彼が語る暖かい支援の言葉がニュースとして報じられる。観る側は自然に彼に好印象を抱く。そして、逆に、いかに今度の選挙は大変か、もし自民党が負けたらばまたかつての民主党政権時のような混乱が生じると彼の発言が無批判に、何の検証もなくテレビから流されていく。
本来ニュースというのは、政権側の意見なり動向を報じるのならば、その逆とまでは行かなくとも、相対する側の批判的意見もまた同時に報じるべき必要があるはずと我は考える。
確かに首相は、日本で一番エライ人であろう。しかし、それだって、国の象徴、天皇ではないし、あくまでも一過性の、しかもときの政権の長に過ぎない。次の選挙で彼の政権はいつまた野に下るか定かではない。
ならばこそ、彼の一挙一動を何故無批判に報じるのであろうか。しかもそこに彼を特待扱いし視聴者に好印象を与える情報操作を強く感じる。
以前もNHKは政権寄りだという批判は常にあった。しかし今は、安倍首相の肝いりで会長職に就いた籾井という安倍シンパが会長となってからはまさに異常である。こうした安倍ヨイショニュースばかりどんなときでも「ニュース」として常に繰り返し日々流れてくる。これが不偏不党を標榜する公共放送、国民皆様のNHKなのか。政権の手下としか思えない。
繰り返す、安倍首相が被災地を訪れ何を語ろうとそれはニュースとしてわざわざ時間を割いて報道するほどのニュースではない。それ以上に今もっともっと国民が知りたい、あるいはメディアが報ずべき喫緊の大事なニュースはいくらでもあるはずだ。
籾井会長よ、安倍晋三の意向とはいえNHKを私物化するな。政権にとって都合の良い、結果として安倍晋三を応援するニュースしか流さないのならば、もはや公共放送でないしNHKは必要ない。
他の紙の商業紙もだが、こうしたことを繰り返していけばメディアの自殺行為であり、信頼性を欠き経営としても成り立たなくなる。マスメディア、報道とはいつの時代も常にどんな政権とも一線を画す、中立かつ普遍不党でなくてはならないのではなかったのか。
いいかげんにしろ籾井会長!!! 彼が会長でいる限り受信料は払いたくない。
テレビはほとんど観ないしその時間もないのだが、一応、CMがないゆえ、時間的節約も兼ねてNHKの定時のニュースは家にいるときはつけるようにしている。
特に気になるのは天気予報で、暑さ寒さも含めて、これから天気がどう変わっていくのかは我にとっていちばんの関心事、当面の大事なことだ。
そしてこれはわざわざ言うまでもないことだが、その定時のニュースの中で、このところやたらと安倍首相がどこそこへ行き何をしたとかの「ニュース」が間に挟まって流される。
今日4日は、九州の地震の状況視察に、観光地別府を訪れた首相が、その様子だけでなく、全力で復興を応援すると自らの言葉で熱く語っているシーンがしっかり映し出された。観る限り実に立派な国民思いの首相である。
しかしはっきり言ってこれはニュースではない。ニュースというのはある程度事件性や報道に値する事態や問題に関するもののはずで、首相がどこそこに行き、何を話したとかはニュースとして取り上げるのは異常であろう。それがもしニュースだというのならば、指導者の動向を常に大々的に重々しく報じる某北の国や報道の自由がない隣国と同じであって、少なくともこの日本はそこまで一首相の動向は刻一テレビのニュース枠で国民に知らせる必要はないはずだ。
むろんのこと特に大事な国家や国民に関し影響を及ぼす発言や会見ならば別だが。
そんなニュースを観て不愉快になっていたら、今ほど夜8時45分の、土曜日だからローカルではない短いが全国ニュースの中でも、首相が先日のサミットの写真展に訪れ、記者団の質問に、今は参院選過半数をとることに頭がいっぱいだと語ったという「ニュース」が流れた。しかもご丁寧に、また民主党政権時のような混乱した状況に戻してはならないとテロップ付きで彼のコメントも加えてだ。心底呆れ怒りがこみあげて来た。
我もだが、NHKを常にデフォルトにしてテレビを観ている層はかなりいると思う。その人たちにとってニュースの度にこうした安倍首相の一方的プロパガンダとしか呼びようのない宣伝「ニュース」を見せられれば、自然に、そうなのかと安倍寄りに「洗脳」させられる。
被災地を訪れ、地元住民から歓待され、彼が語る暖かい支援の言葉がニュースとして報じられる。観る側は自然に彼に好印象を抱く。そして、逆に、いかに今度の選挙は大変か、もし自民党が負けたらばまたかつての民主党政権時のような混乱が生じると彼の発言が無批判に、何の検証もなくテレビから流されていく。
本来ニュースというのは、政権側の意見なり動向を報じるのならば、その逆とまでは行かなくとも、相対する側の批判的意見もまた同時に報じるべき必要があるはずと我は考える。
確かに首相は、日本で一番エライ人であろう。しかし、それだって、国の象徴、天皇ではないし、あくまでも一過性の、しかもときの政権の長に過ぎない。次の選挙で彼の政権はいつまた野に下るか定かではない。
ならばこそ、彼の一挙一動を何故無批判に報じるのであろうか。しかもそこに彼を特待扱いし視聴者に好印象を与える情報操作を強く感じる。
以前もNHKは政権寄りだという批判は常にあった。しかし今は、安倍首相の肝いりで会長職に就いた籾井という安倍シンパが会長となってからはまさに異常である。こうした安倍ヨイショニュースばかりどんなときでも「ニュース」として常に繰り返し日々流れてくる。これが不偏不党を標榜する公共放送、国民皆様のNHKなのか。政権の手下としか思えない。
繰り返す、安倍首相が被災地を訪れ何を語ろうとそれはニュースとしてわざわざ時間を割いて報道するほどのニュースではない。それ以上に今もっともっと国民が知りたい、あるいはメディアが報ずべき喫緊の大事なニュースはいくらでもあるはずだ。
籾井会長よ、安倍晋三の意向とはいえNHKを私物化するな。政権にとって都合の良い、結果として安倍晋三を応援するニュースしか流さないのならば、もはや公共放送でないしNHKは必要ない。
他の紙の商業紙もだが、こうしたことを繰り返していけばメディアの自殺行為であり、信頼性を欠き経営としても成り立たなくなる。マスメディア、報道とはいつの時代も常にどんな政権とも一線を画す、中立かつ普遍不党でなくてはならないのではなかったのか。
いいかげんにしろ籾井会長!!! 彼が会長でいる限り受信料は払いたくない。
当たり前のこと、当たり前でないこと ― 2016年06月07日 08時34分24秒
★いつまで続くか、この平穏な日々
6月7日の火曜日の朝である。外はどんより曇り空で、昨夜もまた雨が降った。今日もこんな雨もよいの一日らしい。何しろどうやら昨日あたりから関東も梅雨入りしたとのことだ。
日曜の午後から母を連れて、犬たちも車に乗せて一泊で山梨へ行ってきた。予定では月曜、火曜に行けたらと考えていたのだが、都合が空いたので、急遽、日~月と行って、昨日の夕刻に戻って来た。
目的は、向うの温泉であり、慌ただしかったが、両日とも天然の湯に浸かることは果たせた。
この日曜は、国会周辺で大きい集会があり、我も行けたらギター抱えて行こうと考えていた。が、今は、次の土曜に谷保のかけこみ亭で、我が責任者となっているコンサートを控えているし、その準備をしつつ、癌患者である母の温泉治療、=湯治もできたらと考えていたので、やはり集会へは今回も無理だったかと思える。
※その集会は四万も集まり大成功とのことで、参院選を直前にして、大いに気勢を上げることができたようで何よりであった。
今の母は、癌は末期的状況に近づきつつあって、じっさいのところなの治療法もなく、せいぜい自然治癒能力を高めていく程度のことしかできやしない。それには自己免疫力を高めるときく増冨のラジウム泉とか、温泉で体を温めて体力の維持と回復をはかるしかない。
今我の頭にあるのは、癌をどうするか以前に、まず母の体重を戻して体力をどうつけるかだけで、いかに量を無理なくどう食べさせるか毎日頭を痛めている。
当ブログの読者や関係者方からは、母の世話するマスダの体調を心配され、ヘルパーなど頼んだらと助言も度々頂いたが、母の好む、立食べられる食事をその都度短時間しか来れないヘルパーが作れるはずもないし、他者は対応できないと考える。
何しろ今は体調も日々安定せず、その体調によって都度、食の好みも違うので、母のワガママに即対応はなかなか他者はできやしない。
我は幸い家にいる仕事だったので、出かけなければ即母の都合に合わすことができる。しかし、今は、土曜日のコンサートも控え、Amazonのほうの、中古本の出品と販売は「休止」状態にしている。
おかげで、私的収入は、現在ゼロだが、注文のあった本の梱包、発送など対応に時間とられないのでずいぶん気分は楽だ。じっさい、「商売」をやっていると、夕刻時は当日の出荷に合わせて、大慌ての時間との勝負に追われてしまう。今はそれがないので、山梨へ行ってても本の発送というノルマのことは頭から一切なく湯に浸かることができた。
ヘルパーは、母が寝たきりとなり、下の世話なども自らできなくなったときに、できればその介助を頼むつもりである。最後は病院に任せそこで送るという手もあろうが、我はそれは今考えていない。
治療して、治る可能性があるのなら病院へ入れる意味もある。が、末期的状況となって、死を待つだけならば何ぞ病院にいる意味があろうか。
慌ただしく騒がしく常に看護師たちが出入りするプライバシーのない病院は個室であろうと終いの住処では絶対ない。このところ、日々父を見舞いに行き常に思うのは、いかに居心地がよく、病気やケガの治療には安全安心の最適な場所だとしてもこんなところには長くはいたくない。父もこぼしているが、一日も早く家に帰りたいし帰してやりたい。
母が、病院で知り合い友達になった方と、先日電話で話しているのを聞いた。相手も無事退院できたらしい。二人して言うことには、「やっぱりウチがいいねえ~、ウチにいたって何もできないんだけど」とのことで、ああ、皆そういう気持ちなのかと得心した。
先にも書いたが、ときに看護に疲れてくると、病院に預けてしまえばどれほど楽で安心かと思う。しかし、当人たちにとっては、何もできなくても、痛く苦しくとも家にいたいのである。家であれが食べたいとか、あれしたいとかワガママ言っていたいのである。それが人間なのだ。ニンゲンとはそうしたものだと思う。我だって死ぬときは家にいたい。せがらしい病院で落ち着かないまま死にたくない。
母を山梨に連れて行った。行きは体調が悪く、腹が痛くて痛みをこらえて母は無口だった。途中のPAで休憩とりながら休み休み、まさに青息吐息で時間かけて向うに辿りついた。まずは、夕方韮崎に下りて、道の駅の隣にある公共温泉、「ゆ~ぷる韮崎」に入った。
そこは知る限り界隈では最も温まる天然温泉で、一時間ちょっとだったが、出て来たとき母は顔色も良くなり、その晩は買ってきた弁当も少しでも食べられて深く眠れたという。
翌日は、古民家の庭先の草むしりなども少し出来、山を上って午前から一時間ちょっとだが、増冨の立正佼成会の保養施設の源泉かけ流しの湯に入れてもらった。午前中ともあり、他に訪れる客は皆無で、我も鳥の囀りを聞きながらまさに無念無想で湯に入っていた。
農協で野菜の苗や蕨など季節の山菜を買い求め途中まで一般道を利用して、蕎麦屋で遅い昼食とって勝沼から高速に入り帰って来た。
母は行く前に比べてだいぶ元気になったかと思う。温泉効果というよりも、久々に山梨へ行けて環境も変わり、良い気分転換になっからだろう。
父も退院できていたら連れて行きたかった。が、今月内にはそれも可能かと思うので、また老親と我、親子三人で温泉に行けたらと期待している。
以前は、いや、つい半年前まではそんなことはごく当たり前の簡単なことであった。山梨などは日帰りでも行けた。が、今はそれすらもなかなかかなわない。またいつ、父か母が入院してしまうかもしれない。二人とも体調が良くなければ行っても容体が急変して大慌てで帰らねばならない。
この世のすべてのことは、後になってわかったりあれこれ思うものだが、ずっと「当たり前」であったことが実は「当たり前」ではなかったのだと今つくづくわかる。
今回は母と二人だけであったが、一泊二日、無事行って目的を果たして帰ってくることがだきた。暑くもなく寒くもなく、爽やかな快適な自然のの静けさの中で十分に休み、のんびりできた。
そんな平穏がいつまで続くのか。
いや、それは 我だけではない。今の日本の平和がいつまでも続くのか。そしてその「平和」を肩代わりしてくれている、米軍基地に悩み苦しむ沖縄に、平穏の日々はいつ訪れるのか。
ひとたび戦争がはじまり、戦時となってしまえば、当たり前であった人々の暮らしは失われる。失われてから当たり前だった日々を懐かしんでも遅いのだ。
6月7日の火曜日の朝である。外はどんより曇り空で、昨夜もまた雨が降った。今日もこんな雨もよいの一日らしい。何しろどうやら昨日あたりから関東も梅雨入りしたとのことだ。
日曜の午後から母を連れて、犬たちも車に乗せて一泊で山梨へ行ってきた。予定では月曜、火曜に行けたらと考えていたのだが、都合が空いたので、急遽、日~月と行って、昨日の夕刻に戻って来た。
目的は、向うの温泉であり、慌ただしかったが、両日とも天然の湯に浸かることは果たせた。
この日曜は、国会周辺で大きい集会があり、我も行けたらギター抱えて行こうと考えていた。が、今は、次の土曜に谷保のかけこみ亭で、我が責任者となっているコンサートを控えているし、その準備をしつつ、癌患者である母の温泉治療、=湯治もできたらと考えていたので、やはり集会へは今回も無理だったかと思える。
※その集会は四万も集まり大成功とのことで、参院選を直前にして、大いに気勢を上げることができたようで何よりであった。
今の母は、癌は末期的状況に近づきつつあって、じっさいのところなの治療法もなく、せいぜい自然治癒能力を高めていく程度のことしかできやしない。それには自己免疫力を高めるときく増冨のラジウム泉とか、温泉で体を温めて体力の維持と回復をはかるしかない。
今我の頭にあるのは、癌をどうするか以前に、まず母の体重を戻して体力をどうつけるかだけで、いかに量を無理なくどう食べさせるか毎日頭を痛めている。
当ブログの読者や関係者方からは、母の世話するマスダの体調を心配され、ヘルパーなど頼んだらと助言も度々頂いたが、母の好む、立食べられる食事をその都度短時間しか来れないヘルパーが作れるはずもないし、他者は対応できないと考える。
何しろ今は体調も日々安定せず、その体調によって都度、食の好みも違うので、母のワガママに即対応はなかなか他者はできやしない。
我は幸い家にいる仕事だったので、出かけなければ即母の都合に合わすことができる。しかし、今は、土曜日のコンサートも控え、Amazonのほうの、中古本の出品と販売は「休止」状態にしている。
おかげで、私的収入は、現在ゼロだが、注文のあった本の梱包、発送など対応に時間とられないのでずいぶん気分は楽だ。じっさい、「商売」をやっていると、夕刻時は当日の出荷に合わせて、大慌ての時間との勝負に追われてしまう。今はそれがないので、山梨へ行ってても本の発送というノルマのことは頭から一切なく湯に浸かることができた。
ヘルパーは、母が寝たきりとなり、下の世話なども自らできなくなったときに、できればその介助を頼むつもりである。最後は病院に任せそこで送るという手もあろうが、我はそれは今考えていない。
治療して、治る可能性があるのなら病院へ入れる意味もある。が、末期的状況となって、死を待つだけならば何ぞ病院にいる意味があろうか。
慌ただしく騒がしく常に看護師たちが出入りするプライバシーのない病院は個室であろうと終いの住処では絶対ない。このところ、日々父を見舞いに行き常に思うのは、いかに居心地がよく、病気やケガの治療には安全安心の最適な場所だとしてもこんなところには長くはいたくない。父もこぼしているが、一日も早く家に帰りたいし帰してやりたい。
母が、病院で知り合い友達になった方と、先日電話で話しているのを聞いた。相手も無事退院できたらしい。二人して言うことには、「やっぱりウチがいいねえ~、ウチにいたって何もできないんだけど」とのことで、ああ、皆そういう気持ちなのかと得心した。
先にも書いたが、ときに看護に疲れてくると、病院に預けてしまえばどれほど楽で安心かと思う。しかし、当人たちにとっては、何もできなくても、痛く苦しくとも家にいたいのである。家であれが食べたいとか、あれしたいとかワガママ言っていたいのである。それが人間なのだ。ニンゲンとはそうしたものだと思う。我だって死ぬときは家にいたい。せがらしい病院で落ち着かないまま死にたくない。
母を山梨に連れて行った。行きは体調が悪く、腹が痛くて痛みをこらえて母は無口だった。途中のPAで休憩とりながら休み休み、まさに青息吐息で時間かけて向うに辿りついた。まずは、夕方韮崎に下りて、道の駅の隣にある公共温泉、「ゆ~ぷる韮崎」に入った。
そこは知る限り界隈では最も温まる天然温泉で、一時間ちょっとだったが、出て来たとき母は顔色も良くなり、その晩は買ってきた弁当も少しでも食べられて深く眠れたという。
翌日は、古民家の庭先の草むしりなども少し出来、山を上って午前から一時間ちょっとだが、増冨の立正佼成会の保養施設の源泉かけ流しの湯に入れてもらった。午前中ともあり、他に訪れる客は皆無で、我も鳥の囀りを聞きながらまさに無念無想で湯に入っていた。
農協で野菜の苗や蕨など季節の山菜を買い求め途中まで一般道を利用して、蕎麦屋で遅い昼食とって勝沼から高速に入り帰って来た。
母は行く前に比べてだいぶ元気になったかと思う。温泉効果というよりも、久々に山梨へ行けて環境も変わり、良い気分転換になっからだろう。
父も退院できていたら連れて行きたかった。が、今月内にはそれも可能かと思うので、また老親と我、親子三人で温泉に行けたらと期待している。
以前は、いや、つい半年前まではそんなことはごく当たり前の簡単なことであった。山梨などは日帰りでも行けた。が、今はそれすらもなかなかかなわない。またいつ、父か母が入院してしまうかもしれない。二人とも体調が良くなければ行っても容体が急変して大慌てで帰らねばならない。
この世のすべてのことは、後になってわかったりあれこれ思うものだが、ずっと「当たり前」であったことが実は「当たり前」ではなかったのだと今つくづくわかる。
今回は母と二人だけであったが、一泊二日、無事行って目的を果たして帰ってくることがだきた。暑くもなく寒くもなく、爽やかな快適な自然のの静けさの中で十分に休み、のんびりできた。
そんな平穏がいつまで続くのか。
いや、それは 我だけではない。今の日本の平和がいつまでも続くのか。そしてその「平和」を肩代わりしてくれている、米軍基地に悩み苦しむ沖縄に、平穏の日々はいつ訪れるのか。
ひとたび戦争がはじまり、戦時となってしまえば、当たり前であった人々の暮らしは失われる。失われてから当たり前だった日々を懐かしんでも遅いのだ。
第四回「反戦歌コンサート」にぜひご参加を! ― 2016年06月08日 23時56分19秒
★我の「音楽活動」はこれにて終了と
6月11日のコンサートが近づいて来た。今日、携帯に、先のイベント「アベ is OVER」でみほこんからチラシをもらったという方から、会場となる店への行き方について問い合わせがあった。
個人的にはともかく今、我は老いて病み衰えた親たちの介助に時間とられて、ほとんど一切自由に出歩く時間がなくなってしまったため、出演者の方々からの「宣伝」だけが頼りなわけで、本当に有難いことだ。
コンサートは企画立てることはたやすいが、じっさいに観客を集めて興行的にも成功とさせられないのならばまさに企画倒れなわけで、やる意味はなくもないが、モッタイナイということに尽きよう。
幸いにして、この連続企画のコンサートは、これまで三回、かなりの盛況が続いている。元々店も出演者も収益は度外視し、「投げ銭」形式ということもあるが、それだって今はなかなか人は集まらないのが現実で、まして一晩に多数のミュージシャン、唄い手が出るとなると逆に観客は入らない。そういう時代なのだそうだ。
コアなファンは個々のミュージシャンにそれぞれいるかと思う。しかし、あるコンセプトに基づいたイベントだと逆に、ファンこそ来ないそうで、あくまでもそのコンセプトに共感した音楽好きの方のみが集うこととなる。
ところが、安倍政権や今の政治、戦争法に反対していてもそれと音楽が好きとはまた一線を画すわけで、つまるところうたや音楽も好きな政治意識の高い層というハードルをクリアしないとならない。なかなかそういう人は実のところ少ないのが現実だ。よってそこに中川五郎的ジレンマが生じる。※語弊があるので補足しておくが、五郎さんが悩んでいるという意味ではない。
チラシなどには、戦争法廃止、辺野古埋立反対とか堅苦しいことを書いたが、我自身は、このコンサートでは国会前集会のような安倍政治を許さないとか強い政治性はいっさい考えていない。ミュージシャンができることは、唄うことぐらいなわけで、その「うた」を通して彼らが訴えるものがどこまでどれほど観客に伝わるか、あるいは聴き手が受け取ってくれるかはまた別な話であって、とにもかくにも観客に来て頂きそれで判断してもらうしかない。
そう、そのことは音楽そのものが同様なのだ。
我はずっと赤だったから、子供の頃から赤旗祭りも含めて歌声喫茶やあちこちの集会に出向きそこで扱われる彼らの「うた」を聴いて来た。そして良いうたも多々であったが、「うた」がある特定のイデオロギーやセクトに利用され、ある一定の型やスタイルにカテゴライズされていく姿を観続けて来た。
極端な話、党から除名されたりトロとして(偽サヨクとかトロッキストの類)批判された人が作ったうたは、その集まりでは唄われなかったり禁じられていることを目の当たりにしてきた。
そのうたは良いうただったが、作った人がワルイので唄ってはいけないのだと知らされた。そんなバカな話があるのか、とそのとき我は思ったが、今にしてもやはりそうした体質は絶対おかしいと思う。
うたはうたでしかないし、作者の手を離れてそこにしっかり存在している。作り手がどうあれ、誰がどう歌たって何がいけないのだろうか。
優れたうたならば、作者が誰かは誰も知らなくても皆が聞き覚えて口々に唄い継がれていく。それをある団体やイデオロギーがどうこう指示してくることは絶対的に間違っている。
つまり彼らにとってのうたとは、集会の彩り、アトラクションでしかないし、たとえそうでないとしても、ある目的のために用いる「手段」でしかなかったのかと今気づく。音楽やうたとはそれでも良いではないかと言う人もいよう。
だが、我は良しとしない。うたはうたでしかないが、集会という刺身のツマに甘んじてはならない。うたはうたとして独自に存在し、個々の唄い手にとって一つの意思表示であり表現手段として扱われなくてはならない。
そうしたことをずっと考えて来て、政治に対して熱い思いを抱えているマジメなシンガーたちに働きかけて、この連続企画、「今こそ皆で、反戦歌、労働歌、そして生活のうたを唄おう」コンサートを続けて来た。
当初から2016年夏の参院選の前まで、できるだけ数を重ねてやっていこうと考えていた。昨年の夏前から始めて、ついに四回目を迎えることとなった。出演者も回数も集客のほうも全て予定通りであり、我の予想や期待をはるかに超えた良い演奏がそこでは続いている。
さらに予想外のこととして、我もまた性懲りもなく前座ではあるが、出る側の一唄い手として、毎回少しだがその場でお時間を頂いている。むろんそれもこれも「投げ銭」というシステム故で、きちんと観覧料を頂いていたら、我など我自身が出るのは禁止としていただろう。まあ、我が出てお耳を汚したからといって、来た観客が怒って投げ銭を入れないとか減らすことはないと信じたいし、それ以上に他の出演者たちは皆素晴らしく高い評価を得る人たちだと確信している。
そうした素晴らしいコンサートを企画し続けられたこと、実に有難い僥倖であったと今思う。むろん機会と時間など赦すのならば、こうしたイベントはこれからも関わりたいし、企画者として全責任を負いたいとも思う。まあ、それも今の状況から抜け出せたならばの話だ。
しかし、自らが唄い手、唄う側としては、そろそろここいらが潮時かと思う。何故ならば、我はやはり唄う側ではない者だとこのところはっきり認識したからだ。
上手いとか下手とかそういう次元ではない。音楽は好きだし、我は音楽のことは一般人より理解しているという自負もある。また、ある程度ならばそれなりに上手くやれる自信もついてきた。ずっとわからなかった「うた」とは何かということも今はほぼ全てはっきりとわかる。
そう、だからこそ、もう我の音楽活動はもういいかという気持ちになった。むろん音楽は大好きだからこれからも音楽には関わっていく。が、それは裏方として、企画したり録音録画したり、記録にとったりであって、自らがステージに上がっての活動はもう終わりにしようかと思う。
もちろん、ギターやうたの練習はこれからもたぶんやっていく。そして、国会前での集会などでは一人でもギターかきならし唄うことも続けていくだろう。ただしそれは自己表現とはちょっと違う。あくまでも集会の裏方としてだ。
先に書いたことと矛盾していると思うが、我にとってうたとはあくまでも手段でしかなく、唄いたい一心で、うたが目的としてうたい続けている方々とは共に場に臨むのは失礼に尽きる。そうした本気で、真剣にうたに向き合っている方々を応援していくのが我の役割であっても自らそこに出る幕はない。
我の使命、それはフォークソングというものの伝承と伝道はこれからも続けていく。つまるところ、そうしたことの先には亡き笠木透氏の後姿が見えている。そう、彼も企画者として名を成し、そしてやがては真のフォークソングを追い求め自らうたを作り唄うというスタンスに至った。今の我は、オリジナル以前に、作者が死んだり、知る者もなくなって唄われなくなってしまったフォークソングをみつけて再び世に知らしめたいと願う。そうした活動こそが古本屋に適しているのではないか。
我は自称古本音楽家。古い忘れ去れた良書を、手に入らば綺麗に磨いて再び世に流通させていく。我にとってのうた、フォークソングも同様にだ。
6日は夕方4時頃から、夜8時過ぎまでたぶんやっているロングコンサートだ。かなりの長丁場であり、何も最初から最後まで観てくださいとは言えない。一部だけ、もしくは後半二部だけ来られてもちっともかまわない。出入り自由だし、次々と総勢8~9組の音楽家たちが入れ替わり登場する。どうか一人でも多くの参加者を今さらだが心待ちにしている。
★追記
もし戦争が始まっていちばん怖れるのは、時局に合わない歌舞音曲の類は、不謹慎だと自主規制の風潮が高まっていくことだ。
先だっての熊本の大地震でさえもテレビのバラエティ番組は被災地の大変な方々に対して失礼だと言う論議が起きていた。
ならば国家を挙げて自衛隊改め国防軍の兵士たちが他国で集団的自衛権を果たすとして、ドンパチ命かけて戦闘行為をやりだしたらノンキに歌やお笑いに興じている者どもは全員非国民扱いとなろう。
よく現代の戦争は、ハイテクの極致で専門化していくから、一般の国民は徴兵などとられるはずはないというお気楽なご意見をきく。確かにそうだとしても、そもそも「戦時」という非日常においては今のような自由がそのまま保障されるはずがないことは少し想像力を働かせれば誰だって気づく。
戦争に反対できるのは、戦争が起こる前までだという箴言がある。ひとたび戦争が起きてからは反対しても非国民、もしくは敵のスパイ、テロリストのシンパとして逮捕拘禁されていく。
それは過去の歴史をみればすぐわかる。いかに戦争がハイテク化しまして遠い異国の地で起きたとしても敵味方問わず誰も死なずに戦争が終わるはずがない。必ず誰かが殺される。そして常に戦争の後には死と破壊と禍根だけが残る。
大地震や災害は自然が成す業だから受け入れようもあろうし復興にも強い意味がある。が、人間同士がわさわざ戦争という破壊と殺戮行為で人々の営みのみならず自然環境と人類の遺産すらも破壊しつくすのはまったくもって愚かなことだ。
広島、長崎をみるように、後には何も残らないだけでなく、被爆地は立ち入ることすらできなくなる。なのに愚かにも今もまだ核兵器は膨大な数存在しさらに小型化しごく一地域だけピンスポットで攻撃することもできるようになって使用が検討されている。
世界からあらゆる戦争や紛争、戦争行為を終わらせていく。そのためにも人と人が殺し合う行為とはいちばん遠いこと、共に皆が集い声合わせて唄うことで戦争法に、改憲勢力に反対していきたい。
6月11日のコンサートが近づいて来た。今日、携帯に、先のイベント「アベ is OVER」でみほこんからチラシをもらったという方から、会場となる店への行き方について問い合わせがあった。
個人的にはともかく今、我は老いて病み衰えた親たちの介助に時間とられて、ほとんど一切自由に出歩く時間がなくなってしまったため、出演者の方々からの「宣伝」だけが頼りなわけで、本当に有難いことだ。
コンサートは企画立てることはたやすいが、じっさいに観客を集めて興行的にも成功とさせられないのならばまさに企画倒れなわけで、やる意味はなくもないが、モッタイナイということに尽きよう。
幸いにして、この連続企画のコンサートは、これまで三回、かなりの盛況が続いている。元々店も出演者も収益は度外視し、「投げ銭」形式ということもあるが、それだって今はなかなか人は集まらないのが現実で、まして一晩に多数のミュージシャン、唄い手が出るとなると逆に観客は入らない。そういう時代なのだそうだ。
コアなファンは個々のミュージシャンにそれぞれいるかと思う。しかし、あるコンセプトに基づいたイベントだと逆に、ファンこそ来ないそうで、あくまでもそのコンセプトに共感した音楽好きの方のみが集うこととなる。
ところが、安倍政権や今の政治、戦争法に反対していてもそれと音楽が好きとはまた一線を画すわけで、つまるところうたや音楽も好きな政治意識の高い層というハードルをクリアしないとならない。なかなかそういう人は実のところ少ないのが現実だ。よってそこに中川五郎的ジレンマが生じる。※語弊があるので補足しておくが、五郎さんが悩んでいるという意味ではない。
チラシなどには、戦争法廃止、辺野古埋立反対とか堅苦しいことを書いたが、我自身は、このコンサートでは国会前集会のような安倍政治を許さないとか強い政治性はいっさい考えていない。ミュージシャンができることは、唄うことぐらいなわけで、その「うた」を通して彼らが訴えるものがどこまでどれほど観客に伝わるか、あるいは聴き手が受け取ってくれるかはまた別な話であって、とにもかくにも観客に来て頂きそれで判断してもらうしかない。
そう、そのことは音楽そのものが同様なのだ。
我はずっと赤だったから、子供の頃から赤旗祭りも含めて歌声喫茶やあちこちの集会に出向きそこで扱われる彼らの「うた」を聴いて来た。そして良いうたも多々であったが、「うた」がある特定のイデオロギーやセクトに利用され、ある一定の型やスタイルにカテゴライズされていく姿を観続けて来た。
極端な話、党から除名されたりトロとして(偽サヨクとかトロッキストの類)批判された人が作ったうたは、その集まりでは唄われなかったり禁じられていることを目の当たりにしてきた。
そのうたは良いうただったが、作った人がワルイので唄ってはいけないのだと知らされた。そんなバカな話があるのか、とそのとき我は思ったが、今にしてもやはりそうした体質は絶対おかしいと思う。
うたはうたでしかないし、作者の手を離れてそこにしっかり存在している。作り手がどうあれ、誰がどう歌たって何がいけないのだろうか。
優れたうたならば、作者が誰かは誰も知らなくても皆が聞き覚えて口々に唄い継がれていく。それをある団体やイデオロギーがどうこう指示してくることは絶対的に間違っている。
つまり彼らにとってのうたとは、集会の彩り、アトラクションでしかないし、たとえそうでないとしても、ある目的のために用いる「手段」でしかなかったのかと今気づく。音楽やうたとはそれでも良いではないかと言う人もいよう。
だが、我は良しとしない。うたはうたでしかないが、集会という刺身のツマに甘んじてはならない。うたはうたとして独自に存在し、個々の唄い手にとって一つの意思表示であり表現手段として扱われなくてはならない。
そうしたことをずっと考えて来て、政治に対して熱い思いを抱えているマジメなシンガーたちに働きかけて、この連続企画、「今こそ皆で、反戦歌、労働歌、そして生活のうたを唄おう」コンサートを続けて来た。
当初から2016年夏の参院選の前まで、できるだけ数を重ねてやっていこうと考えていた。昨年の夏前から始めて、ついに四回目を迎えることとなった。出演者も回数も集客のほうも全て予定通りであり、我の予想や期待をはるかに超えた良い演奏がそこでは続いている。
さらに予想外のこととして、我もまた性懲りもなく前座ではあるが、出る側の一唄い手として、毎回少しだがその場でお時間を頂いている。むろんそれもこれも「投げ銭」というシステム故で、きちんと観覧料を頂いていたら、我など我自身が出るのは禁止としていただろう。まあ、我が出てお耳を汚したからといって、来た観客が怒って投げ銭を入れないとか減らすことはないと信じたいし、それ以上に他の出演者たちは皆素晴らしく高い評価を得る人たちだと確信している。
そうした素晴らしいコンサートを企画し続けられたこと、実に有難い僥倖であったと今思う。むろん機会と時間など赦すのならば、こうしたイベントはこれからも関わりたいし、企画者として全責任を負いたいとも思う。まあ、それも今の状況から抜け出せたならばの話だ。
しかし、自らが唄い手、唄う側としては、そろそろここいらが潮時かと思う。何故ならば、我はやはり唄う側ではない者だとこのところはっきり認識したからだ。
上手いとか下手とかそういう次元ではない。音楽は好きだし、我は音楽のことは一般人より理解しているという自負もある。また、ある程度ならばそれなりに上手くやれる自信もついてきた。ずっとわからなかった「うた」とは何かということも今はほぼ全てはっきりとわかる。
そう、だからこそ、もう我の音楽活動はもういいかという気持ちになった。むろん音楽は大好きだからこれからも音楽には関わっていく。が、それは裏方として、企画したり録音録画したり、記録にとったりであって、自らがステージに上がっての活動はもう終わりにしようかと思う。
もちろん、ギターやうたの練習はこれからもたぶんやっていく。そして、国会前での集会などでは一人でもギターかきならし唄うことも続けていくだろう。ただしそれは自己表現とはちょっと違う。あくまでも集会の裏方としてだ。
先に書いたことと矛盾していると思うが、我にとってうたとはあくまでも手段でしかなく、唄いたい一心で、うたが目的としてうたい続けている方々とは共に場に臨むのは失礼に尽きる。そうした本気で、真剣にうたに向き合っている方々を応援していくのが我の役割であっても自らそこに出る幕はない。
我の使命、それはフォークソングというものの伝承と伝道はこれからも続けていく。つまるところ、そうしたことの先には亡き笠木透氏の後姿が見えている。そう、彼も企画者として名を成し、そしてやがては真のフォークソングを追い求め自らうたを作り唄うというスタンスに至った。今の我は、オリジナル以前に、作者が死んだり、知る者もなくなって唄われなくなってしまったフォークソングをみつけて再び世に知らしめたいと願う。そうした活動こそが古本屋に適しているのではないか。
我は自称古本音楽家。古い忘れ去れた良書を、手に入らば綺麗に磨いて再び世に流通させていく。我にとってのうた、フォークソングも同様にだ。
6日は夕方4時頃から、夜8時過ぎまでたぶんやっているロングコンサートだ。かなりの長丁場であり、何も最初から最後まで観てくださいとは言えない。一部だけ、もしくは後半二部だけ来られてもちっともかまわない。出入り自由だし、次々と総勢8~9組の音楽家たちが入れ替わり登場する。どうか一人でも多くの参加者を今さらだが心待ちにしている。
★追記
もし戦争が始まっていちばん怖れるのは、時局に合わない歌舞音曲の類は、不謹慎だと自主規制の風潮が高まっていくことだ。
先だっての熊本の大地震でさえもテレビのバラエティ番組は被災地の大変な方々に対して失礼だと言う論議が起きていた。
ならば国家を挙げて自衛隊改め国防軍の兵士たちが他国で集団的自衛権を果たすとして、ドンパチ命かけて戦闘行為をやりだしたらノンキに歌やお笑いに興じている者どもは全員非国民扱いとなろう。
よく現代の戦争は、ハイテクの極致で専門化していくから、一般の国民は徴兵などとられるはずはないというお気楽なご意見をきく。確かにそうだとしても、そもそも「戦時」という非日常においては今のような自由がそのまま保障されるはずがないことは少し想像力を働かせれば誰だって気づく。
戦争に反対できるのは、戦争が起こる前までだという箴言がある。ひとたび戦争が起きてからは反対しても非国民、もしくは敵のスパイ、テロリストのシンパとして逮捕拘禁されていく。
それは過去の歴史をみればすぐわかる。いかに戦争がハイテク化しまして遠い異国の地で起きたとしても敵味方問わず誰も死なずに戦争が終わるはずがない。必ず誰かが殺される。そして常に戦争の後には死と破壊と禍根だけが残る。
大地震や災害は自然が成す業だから受け入れようもあろうし復興にも強い意味がある。が、人間同士がわさわざ戦争という破壊と殺戮行為で人々の営みのみならず自然環境と人類の遺産すらも破壊しつくすのはまったくもって愚かなことだ。
広島、長崎をみるように、後には何も残らないだけでなく、被爆地は立ち入ることすらできなくなる。なのに愚かにも今もまだ核兵器は膨大な数存在しさらに小型化しごく一地域だけピンスポットで攻撃することもできるようになって使用が検討されている。
世界からあらゆる戦争や紛争、戦争行為を終わらせていく。そのためにも人と人が殺し合う行為とはいちばん遠いこと、共に皆が集い声合わせて唄うことで戦争法に、改憲勢力に反対していきたい。
11日を目前にラストスパートだっ ― 2016年06月09日 23時10分43秒
★書きたいことは多々あれども
昨日から、今さらだが、11日に会場で来られた方に配布する歌集の制作に追われている。が、行き当たりばったりに、当日唄われるうたを中心に「反戦歌、労働歌、生活のうた」と思しきうたを並べて行ったらば、掲載予定曲を全部割り振りして仮印刷してからページが閉じるために組んでみると、見開きで1P分足りないことに気がつき頭抱えている。
多いページを削るのも面倒だが、足りないならばまた新たに歌詞を載せねばならない。そもそも4の倍数で収めないとならないのに、テキトーに何も考えずに次々歌詞を載せて行ったからこんな初歩的ミスをおかすのだ。
この作業は初めてではない。前回のときは中川五郎がメインなのでパスしたが、前々回迄はきちんと歌集は作れた。組むのに頭悩ましてかなり苦労したものの、偶然総ページは表紙、裏表紙入れて20Pとなって今回のような失敗はなかった。でも単に偶然に過ぎなかったのだ。
今つくづく俺はバカだと呆れ果てている。果たして明日一日で、総数約40部近く、印刷してホチキスで閉じることまでできるだろうか。どうしていつも何事も直前になってこうして大慌てしてしまうのだろう。
山本夏彦翁言うところの「愚図の大忙し」とはまさにこのことだと嘆息している。
参院選を前にして、いろいろなニュースが起きて我も思うところはあれこれある。北海道の小2男児が行方不明だったが一週間ぶりに帰還できた話。しつけと称しての児童虐待かはともかくふだん気づかない様様な問題点が浮かび上がった。
また、消費増税再延期という、小手先の「大英断」についても思うところある。ストーカーによるアイドル襲撃事件、そして今いちばんホットなマスゾエ都知事のことも。
マスゾエのような人間が都知事をやっていることがそもそも間違いだとしても、今の全マスコミを挙げてのマスゾエ叩きは異常に思えるほど熱を帯びている。今の時代は、常に誰か生贄の材料を求めていて、それが人気があったり地位が高く、高慢かつゴーマンであればこそ、憎しみの対象となる。
ちょっと前はみのもんた氏だったし、マスコミが自ら祀り上げ人気者にしたはずなのに、ひとたび非が露呈すれば、手の平を返したように激しい攻撃を執拗に続けていく。
水に落ちた犬を叩けという俚諺があるが、今の時代はその犬が溺れて死ぬまでみんなでやいのやいの騒ぎ立て興奮の狂気に酔いしれている。
マスゾエをかばう気は毛頭ない。そもそそんな人間をあの猪瀬氏の後釜に選んだのはいったい誰なのか。我はあんな貧相かつ卑劣な男に票など投じない。彼のしてきたことをみればどんな人間か即わかる。その男を担いだ自公に彼を責める資格があるのか。また彼を支持した都民もまずその不明を自ら恥じ入るべきであろう。
これは国民性だとは思いたくないが、こうした一たびバッシングの対象となった者を徹底的に糾弾し社会一丸となって攻撃する風潮には恐怖を感じる。
こうした熱気が、政府とマスコミが一体となったときどのように何に対して養生し扇動させられるか不安に思う。
が、今はともかく明後日を無事成功させ終えてからだ。すべてのことはそれからでも仕方ない。
昨日から、今さらだが、11日に会場で来られた方に配布する歌集の制作に追われている。が、行き当たりばったりに、当日唄われるうたを中心に「反戦歌、労働歌、生活のうた」と思しきうたを並べて行ったらば、掲載予定曲を全部割り振りして仮印刷してからページが閉じるために組んでみると、見開きで1P分足りないことに気がつき頭抱えている。
多いページを削るのも面倒だが、足りないならばまた新たに歌詞を載せねばならない。そもそも4の倍数で収めないとならないのに、テキトーに何も考えずに次々歌詞を載せて行ったからこんな初歩的ミスをおかすのだ。
この作業は初めてではない。前回のときは中川五郎がメインなのでパスしたが、前々回迄はきちんと歌集は作れた。組むのに頭悩ましてかなり苦労したものの、偶然総ページは表紙、裏表紙入れて20Pとなって今回のような失敗はなかった。でも単に偶然に過ぎなかったのだ。
今つくづく俺はバカだと呆れ果てている。果たして明日一日で、総数約40部近く、印刷してホチキスで閉じることまでできるだろうか。どうしていつも何事も直前になってこうして大慌てしてしまうのだろう。
山本夏彦翁言うところの「愚図の大忙し」とはまさにこのことだと嘆息している。
参院選を前にして、いろいろなニュースが起きて我も思うところはあれこれある。北海道の小2男児が行方不明だったが一週間ぶりに帰還できた話。しつけと称しての児童虐待かはともかくふだん気づかない様様な問題点が浮かび上がった。
また、消費増税再延期という、小手先の「大英断」についても思うところある。ストーカーによるアイドル襲撃事件、そして今いちばんホットなマスゾエ都知事のことも。
マスゾエのような人間が都知事をやっていることがそもそも間違いだとしても、今の全マスコミを挙げてのマスゾエ叩きは異常に思えるほど熱を帯びている。今の時代は、常に誰か生贄の材料を求めていて、それが人気があったり地位が高く、高慢かつゴーマンであればこそ、憎しみの対象となる。
ちょっと前はみのもんた氏だったし、マスコミが自ら祀り上げ人気者にしたはずなのに、ひとたび非が露呈すれば、手の平を返したように激しい攻撃を執拗に続けていく。
水に落ちた犬を叩けという俚諺があるが、今の時代はその犬が溺れて死ぬまでみんなでやいのやいの騒ぎ立て興奮の狂気に酔いしれている。
マスゾエをかばう気は毛頭ない。そもそそんな人間をあの猪瀬氏の後釜に選んだのはいったい誰なのか。我はあんな貧相かつ卑劣な男に票など投じない。彼のしてきたことをみればどんな人間か即わかる。その男を担いだ自公に彼を責める資格があるのか。また彼を支持した都民もまずその不明を自ら恥じ入るべきであろう。
これは国民性だとは思いたくないが、こうした一たびバッシングの対象となった者を徹底的に糾弾し社会一丸となって攻撃する風潮には恐怖を感じる。
こうした熱気が、政府とマスコミが一体となったときどのように何に対して養生し扇動させられるか不安に思う。
が、今はともかく明後日を無事成功させ終えてからだ。すべてのことはそれからでも仕方ない。
明日お待ちしております。 ― 2016年06月10日 23時53分03秒
★何とか歌集は印刷だけ終られた。
四回目となるこのコンサート、いよいよ参院選を目前にしてこれまでの集大成、過去三回の出演者、参加者ほぼ総がかりでの統一行動となる。
ライブの時間もいつもの倍とって午後4時から夜8時頃までのロングランコンサートとして特別に企画した。本当はもっと練りに練って万全の準備でこの日に備えたかったのだが、全ての責任者である我マスダが家庭の事情で時間が奪われ、正直自らの参加すらなるものか危ぶまれた。
気持ちは焦るものの何も落ち着いて取り組めないまま時間だけは過ぎ政治情勢も慌ただしさを増しついに当日を迎えることになった。
しかし、今はもう特に何も不安はない。逆に深い喜びと全てに感謝の気持ちでいっぱいだ。病み衰えた老親いずれかが死んだりしていたらとてもコンサートどころではなかっただろうし、中止はできなくても我はその場に行けたかわからない。
とにもかくにも本番当日を迎えられそうなわけで今はそれだけでも良しとしたい。有難いことである。
その有難さは、今回も出て頂く皆さん全員に対しても同様であり、マスダがダメになって、もたもたしていてもご理解いただき、まして心配され励ましのエールまで多々寄せられた。良い確かな音楽をされる方は当然のこと、人としても優しい良い人なのだと思い知った。
そういう方々と知り合い縁が結べたのもまさに僥倖であり音楽の神、いや、全てを統括する方の計らいであろう。
じっさいここまで来た。皆さん実力としっかりしたキャリアある、うたのプロフェショナルなのだ。何を心配し怖れることがあろうか。
宣伝活動が我は何もできなかったので、集客のみ気にかかるが、みほこんを始め出演者たち多くが自らあちこちで宣伝告知はされてくれたのでそれも今は考えないようにしている。
のんびり、とまではいかないが、今はただ我もまた楽しくこのコンサートをじっくり楽しみたいと願う。今までは本番当日は常にテンパって焦り慌てドキドキしていた。パニック状態というか良くない興奮状態の中にいた。心ここに在らずであった。
今もまだ準備は全て終わってはいないが、今回は不思議に落ち着き満ち足りたような気分でいる。もう何年も様々なライブに関わってこれは初めてのことだ。
がんばらずに頑張りたいと思う。何も思わず考えず自然体で臨む。思い通りにしようとか思い通りになると考えていたのがそもそも間違いだった。
我には多くの恵みがあった。それを少しでも今回のコンサートで来られた皆に返せたらと、今はただそれだけを願う。
音楽の力で状況は変えられるかはともかくもその熱い思いをしっかりとお見せできるとここに約束する。あとはその目撃者として貴方がなるかどうかだけだ。
四回目となるこのコンサート、いよいよ参院選を目前にしてこれまでの集大成、過去三回の出演者、参加者ほぼ総がかりでの統一行動となる。
ライブの時間もいつもの倍とって午後4時から夜8時頃までのロングランコンサートとして特別に企画した。本当はもっと練りに練って万全の準備でこの日に備えたかったのだが、全ての責任者である我マスダが家庭の事情で時間が奪われ、正直自らの参加すらなるものか危ぶまれた。
気持ちは焦るものの何も落ち着いて取り組めないまま時間だけは過ぎ政治情勢も慌ただしさを増しついに当日を迎えることになった。
しかし、今はもう特に何も不安はない。逆に深い喜びと全てに感謝の気持ちでいっぱいだ。病み衰えた老親いずれかが死んだりしていたらとてもコンサートどころではなかっただろうし、中止はできなくても我はその場に行けたかわからない。
とにもかくにも本番当日を迎えられそうなわけで今はそれだけでも良しとしたい。有難いことである。
その有難さは、今回も出て頂く皆さん全員に対しても同様であり、マスダがダメになって、もたもたしていてもご理解いただき、まして心配され励ましのエールまで多々寄せられた。良い確かな音楽をされる方は当然のこと、人としても優しい良い人なのだと思い知った。
そういう方々と知り合い縁が結べたのもまさに僥倖であり音楽の神、いや、全てを統括する方の計らいであろう。
じっさいここまで来た。皆さん実力としっかりしたキャリアある、うたのプロフェショナルなのだ。何を心配し怖れることがあろうか。
宣伝活動が我は何もできなかったので、集客のみ気にかかるが、みほこんを始め出演者たち多くが自らあちこちで宣伝告知はされてくれたのでそれも今は考えないようにしている。
のんびり、とまではいかないが、今はただ我もまた楽しくこのコンサートをじっくり楽しみたいと願う。今までは本番当日は常にテンパって焦り慌てドキドキしていた。パニック状態というか良くない興奮状態の中にいた。心ここに在らずであった。
今もまだ準備は全て終わってはいないが、今回は不思議に落ち着き満ち足りたような気分でいる。もう何年も様々なライブに関わってこれは初めてのことだ。
がんばらずに頑張りたいと思う。何も思わず考えず自然体で臨む。思い通りにしようとか思い通りになると考えていたのがそもそも間違いだった。
我には多くの恵みがあった。それを少しでも今回のコンサートで来られた皆に返せたらと、今はただそれだけを願う。
音楽の力で状況は変えられるかはともかくもその熱い思いをしっかりとお見せできるとここに約束する。あとはその目撃者として貴方がなるかどうかだけだ。
全てにただ感謝!そしてここからまた再スタートだと誓う ― 2016年06月11日 23時34分05秒
★祭りの後の淋しさを噛みしめながら
かけこみ亭での第四回目の「反戦歌コンサート」、大熱演のライブは先ほど終わった。打ち上げに少し顔出して、母のこともあるので先に辞去してきた。先ほど帰ってきた。
家に入る前に、今日は昼から一日中ずっと散歩も行かずお留守番していた犬たちに詫びてやや長めに散歩してきた。これから餌もやらねばならない。
火照った体に、強い夜風が気持ち良かった。そして思った。一つ成し終えた。いや、自らは何もしていない。その場を企画して手配ぐらいしかしていない。本来はそこから責任もって全力で宣伝活動しないとならないのだ。が、結局、企画立てた者として責任果たすことは、歌集だけはギリギリセーフで間に合ったぐらいで、何一つしていない。できなかったという言い訳はきくのか。
でも時間はまさに光陰矢の如しに過ぎ今日、本番当日がきちんとやってきて、午後4時からの長いコンサートは、9時近くに無事大熱演のうちに終了した。ライブは始まれば自然に進んでいつしかちゃんと終わるのである。
ほっとした。自分は何もしていないが、ともかく終わった。そして今日を迎えられ、その場に立ち会えただけでもう満足とすべしだと思った。何しろ一時は親たちの葬式のことまで考えていた。ならば何もかも全て良しとすべきだし始まる前はそういう気持ちでいた。
が、今は告白すれば、コンサートそのものにではなく、もやもやとしたやや悔いに近い気持ちも終わったからこそ湧いてくる。
誰がどうのこうのということではなく、コンサートが素晴らしかったぶん、それにきちんと関われなかった、注力できなかった自分が歯がゆく、苦い気持ちで夜道を歩きながら考えた。はっきり書くと客の入りはもう一つだった。
そして決めた。もう一度すべてを1からやり直したい。今さらだがそう思い誓うしかないのだと考えたら気持ちは戻って来た。
じっさい素晴らしいコンサートであったかと思う。それぞれ出られた方々のうたや演奏の出来も素晴らしかったが、それにもまして全体を支配していた暖かい雰囲気と熱気が特別なもののように思えた。不思議な気さえした。それはその場の人たち出た人も来た人も皆全員が人として暖かく義のある、善良な人たちだったからに他ならない。
我が人生は、こんなだらしなく不誠実な性格であるのに関わらず、実に良い人たちとの出会いが多々あったからなのだと今日は思い知った。そうした善き人たちばかり集い、囲まれて居心地が悪いわけはない。尻がむず痒くてもただ感謝すべきであろう。先年の春一番のように石持て追われた者としてはこんなに良い人ばかりで良いのか不安にすら思う。バチが当たるのではないのか。
そしてそうした善き人たちの理解と助け、応援のおかげで我は何もできなかったのに当日を迎え、その夢のような一夜は終わった。もっとその場に長くいてとことんあれこれ一人一人と語らいたかったが、病み衰えた親が待っているのでそうもいかない。幸い母の体調は悪くなく、帰ったら既に先に寝た後だった。
またこうしたコンサートを企画し出てもらう方を選びお願いしてそれを興行的にも成功に持っていきたいと思う。が、今は老親たちがある程度持ち直さない限りそれはかなわない。企画だけは立てて、あとは店側やミュージシャンたちに任せきりには絶対にできない。
となると今は出来ない。親たちが世を去るかどこか老人ホームのような施設に預けない限りともかく時間がない。そう考えると淋しく情けない気持ちになる。それを断念するのも仕方ないと頭では思いつつやはり了とするのは気持ちの底ではできやしない。
ならばコンサートの企画も、我が音楽活動も全てを断念するのではなく、こんな狭まれた状況の中でも何とかそれができないものか、続けていけないものかを模索すべきではないのか。
癌や嚥下障害で普通には食べられなくなってきても、そうした制約の中で、少しでも食べられるものを探したり工夫すべきところに意義や価値があり、人生の妙すらあるのではないのか。
苦難の時に、その苦難を嘆き諦めたり絶望することはたやすい。が、人はその苦難や制約の中だからこそ希望の灯を絶やさずに、もがきそこでできることを必死で模索すべきではないのか。
先に書いたブログではもう音楽の活動はやめよう、やめるしかないと考えていた。基本その気持ちはさほど変わらない。が、今日のライブでたっぷりと素晴らしい音楽を堪能し、気持ちは揺らいでいる。
へんな例えだが、我が心の音楽ストック、つまり音楽という水を溜めておくバケツは空になり、カラカラにその辺りは乾いていたのだが、今晩は一気に我が好む素晴らしい音楽のシャワーを降り注ぐように浴びた。
天気予報でいうところの、例年の一月分の雨が一晩で降ったような集中豪雨のようなものだ。それでバケツは一気に満杯になった。溢れかえるほどだ。
いや、今もゲリラ的集中豪雨のとき、下水道の蓋から流れてきた水が溢れだすように、先ほどの音楽が頭の中で渦巻きそれが止まらないどころか溢れ出している。
今の課題はその溢れだした水をどう処理するかに移った。ならばその音楽の水をどう活用するかであろう。それにはまず自らがうまく活用せねばならない。
あれもこれも今までだってできやしなかった。見渡す世間ではそろそろ終活の世代になろうとしている。だが、もう一度、もう一回、音楽のみならず全てにチャレンジしたい。新しく何かを始める余裕も体力気力もないが、今までやってきたことを少しは究めたい。今さらだが人生をきちんとさせたい。やり直したい。
我には妻も子もないが、たくさんの善き友がいる。素晴らしい仲間たちがいる。彼らは優しく我をも助けてくれる。が、彼らに助けを請う以前に、彼らに、我が恵みを返していかねばならない。あるものを分け与えなくてはない。
そうした思いで人生を再スタートさせていく。思い通りにならないこと、忙しいこと、失敗や失態を悔やみ言い訳する以前に、まずすべきことがある。できることがきっとある。
すべては今日ここからだ。きっとできる。その日が来る。今日のコンサートでそのことを「うた」を通して教わった。
かけこみ亭での第四回目の「反戦歌コンサート」、大熱演のライブは先ほど終わった。打ち上げに少し顔出して、母のこともあるので先に辞去してきた。先ほど帰ってきた。
家に入る前に、今日は昼から一日中ずっと散歩も行かずお留守番していた犬たちに詫びてやや長めに散歩してきた。これから餌もやらねばならない。
火照った体に、強い夜風が気持ち良かった。そして思った。一つ成し終えた。いや、自らは何もしていない。その場を企画して手配ぐらいしかしていない。本来はそこから責任もって全力で宣伝活動しないとならないのだ。が、結局、企画立てた者として責任果たすことは、歌集だけはギリギリセーフで間に合ったぐらいで、何一つしていない。できなかったという言い訳はきくのか。
でも時間はまさに光陰矢の如しに過ぎ今日、本番当日がきちんとやってきて、午後4時からの長いコンサートは、9時近くに無事大熱演のうちに終了した。ライブは始まれば自然に進んでいつしかちゃんと終わるのである。
ほっとした。自分は何もしていないが、ともかく終わった。そして今日を迎えられ、その場に立ち会えただけでもう満足とすべしだと思った。何しろ一時は親たちの葬式のことまで考えていた。ならば何もかも全て良しとすべきだし始まる前はそういう気持ちでいた。
が、今は告白すれば、コンサートそのものにではなく、もやもやとしたやや悔いに近い気持ちも終わったからこそ湧いてくる。
誰がどうのこうのということではなく、コンサートが素晴らしかったぶん、それにきちんと関われなかった、注力できなかった自分が歯がゆく、苦い気持ちで夜道を歩きながら考えた。はっきり書くと客の入りはもう一つだった。
そして決めた。もう一度すべてを1からやり直したい。今さらだがそう思い誓うしかないのだと考えたら気持ちは戻って来た。
じっさい素晴らしいコンサートであったかと思う。それぞれ出られた方々のうたや演奏の出来も素晴らしかったが、それにもまして全体を支配していた暖かい雰囲気と熱気が特別なもののように思えた。不思議な気さえした。それはその場の人たち出た人も来た人も皆全員が人として暖かく義のある、善良な人たちだったからに他ならない。
我が人生は、こんなだらしなく不誠実な性格であるのに関わらず、実に良い人たちとの出会いが多々あったからなのだと今日は思い知った。そうした善き人たちばかり集い、囲まれて居心地が悪いわけはない。尻がむず痒くてもただ感謝すべきであろう。先年の春一番のように石持て追われた者としてはこんなに良い人ばかりで良いのか不安にすら思う。バチが当たるのではないのか。
そしてそうした善き人たちの理解と助け、応援のおかげで我は何もできなかったのに当日を迎え、その夢のような一夜は終わった。もっとその場に長くいてとことんあれこれ一人一人と語らいたかったが、病み衰えた親が待っているのでそうもいかない。幸い母の体調は悪くなく、帰ったら既に先に寝た後だった。
またこうしたコンサートを企画し出てもらう方を選びお願いしてそれを興行的にも成功に持っていきたいと思う。が、今は老親たちがある程度持ち直さない限りそれはかなわない。企画だけは立てて、あとは店側やミュージシャンたちに任せきりには絶対にできない。
となると今は出来ない。親たちが世を去るかどこか老人ホームのような施設に預けない限りともかく時間がない。そう考えると淋しく情けない気持ちになる。それを断念するのも仕方ないと頭では思いつつやはり了とするのは気持ちの底ではできやしない。
ならばコンサートの企画も、我が音楽活動も全てを断念するのではなく、こんな狭まれた状況の中でも何とかそれができないものか、続けていけないものかを模索すべきではないのか。
癌や嚥下障害で普通には食べられなくなってきても、そうした制約の中で、少しでも食べられるものを探したり工夫すべきところに意義や価値があり、人生の妙すらあるのではないのか。
苦難の時に、その苦難を嘆き諦めたり絶望することはたやすい。が、人はその苦難や制約の中だからこそ希望の灯を絶やさずに、もがきそこでできることを必死で模索すべきではないのか。
先に書いたブログではもう音楽の活動はやめよう、やめるしかないと考えていた。基本その気持ちはさほど変わらない。が、今日のライブでたっぷりと素晴らしい音楽を堪能し、気持ちは揺らいでいる。
へんな例えだが、我が心の音楽ストック、つまり音楽という水を溜めておくバケツは空になり、カラカラにその辺りは乾いていたのだが、今晩は一気に我が好む素晴らしい音楽のシャワーを降り注ぐように浴びた。
天気予報でいうところの、例年の一月分の雨が一晩で降ったような集中豪雨のようなものだ。それでバケツは一気に満杯になった。溢れかえるほどだ。
いや、今もゲリラ的集中豪雨のとき、下水道の蓋から流れてきた水が溢れだすように、先ほどの音楽が頭の中で渦巻きそれが止まらないどころか溢れ出している。
今の課題はその溢れだした水をどう処理するかに移った。ならばその音楽の水をどう活用するかであろう。それにはまず自らがうまく活用せねばならない。
あれもこれも今までだってできやしなかった。見渡す世間ではそろそろ終活の世代になろうとしている。だが、もう一度、もう一回、音楽のみならず全てにチャレンジしたい。新しく何かを始める余裕も体力気力もないが、今までやってきたことを少しは究めたい。今さらだが人生をきちんとさせたい。やり直したい。
我には妻も子もないが、たくさんの善き友がいる。素晴らしい仲間たちがいる。彼らは優しく我をも助けてくれる。が、彼らに助けを請う以前に、彼らに、我が恵みを返していかねばならない。あるものを分け与えなくてはない。
そうした思いで人生を再スタートさせていく。思い通りにならないこと、忙しいこと、失敗や失態を悔やみ言い訳する以前に、まずすべきことがある。できることがきっとある。
すべては今日ここからだ。きっとできる。その日が来る。今日のコンサートでそのことを「うた」を通して教わった。
予告、「ぶらいあんず」再デビューコンサートを ― 2016年06月12日 17時05分23秒
★ここから這い上がれ
♪ここから這い上がる
ここから這い上がる
いつかはみんなでここから這いあがる
おお、諦めず信じよう
みんなでここから這い上がる
「ウイ・シャル・オーバーカム」のメロディで突然思いついたのが、上記の歌詞だ。今の気分をうたにするとしたら、まさにこんな気持ちである。
人間とは欲深いもので、一つ成し終えたり、手に入れるとまたさらに次のことや新たなものが欲しくなる。
今回のコンサート、そもそも企画責任者でありながら、入院、家で介護中の老親たちの体調など我家の事情次第では参加すらかなわないところであった。
だからともかくその日を迎えることができ、立ち会えただけでも良かったのである。その上さらにはチラシなどに載せてた予定通り少しでも「演者」としても出られたのだからそれだけでも良しとしないとならないはずだ。
が、終わってみると、総体としてのコンサートは素晴らしく満足のいくものであったとしても、いや、だからこそその分、ステージの自らの出来には不満というか、思い通りにやれなかったことのもやもやとした気持ちが残った。満足感の中にぽっかりと穴が空いている。そこを淋しさに似た風が吹く。
そもそも個人的にもろくに練習できてなかったし、楽団として他のメンバーと集まって音合わせも一回もできなかった。それを考慮すればごくごく当然の結果であってそれを認め受け入れるしかない。あれはあれで意義ある行為だと評価してくれる人もいたようだが・・・
過ぎたことをあれこれ言っても仕方ない。そのうえで、ではこれからのこと、次はどうしていくかを考えるしかないのだと考えた。
まだ日時も何も確定したわけではないが、年内にもう一回、秋口以降の頃、場所は同じかけこみ亭で、我がぶらいあんずとしてのコンサートをやれたらと夢想した。4回続いた「反戦歌」コンサートの流れを受けて、映画などでいうところのスピンオフ、つまり番外編、うたのアナザーストーリーの場を設けたいと思った。
もちろんのこと、親たちの状況、つまり母の癌が完治することはなく、おそらく何も変わっていないはずだから時間的環境的にもかなり難しい。しかし、もう一度、その目標に向けて個人的に練習を積んで、月一程度であろうとも定期的にメンバーが集まって音合わせして臨めばもう少し今回よりはきちんとしたステージをお見せできるはずと思える。
そしてそのことは、これまで我がやってきたのことの「決算」として総まとめ的意味合いを持つかとも考える。
実は唄いたいうたもかなり増えた。我の巧拙は問わずどうしても今、誰かに聞いてもらいたいうたがいくつかある。我が音楽活動を終えるとしてもそれだけは一度きちんとどこかで発表の場を持ちたいと思っていた。さらにはぶらいあんずとしてもきちんとしたステージを示したい。メンバー皆が今回は不完全燃焼気味ではないかとも思える。
出来や結果はどうあれ、思いをうたに込めてとことん思い切り唄ってみたいはずだ。ここで、これで終わらせてはならない。
まだ他のメンバーにきちんと相談したわけではない。しかし、こうした「目標」を定めて、そこに向かって練習を積み重ねていくことは良いことだろう。我を取り巻く内外全てが悪い状況、環境の中だからこそ、唯唯諾諾それも仕方ないと諦め受け入れるのではなく、気分転換程度だとしても状況を打破して行かねばならないと考えた。そう、誰にとってもだ。
それこそが今回、第四回目のラストに皆でうたったディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト~ I Shall Be Released 」なのだと思う。
この企画が確定すれば、またこの件詳しくお知らせしたい。さらにはオープンマイク枠での参加者を多く募りたい。
♪ここから這い上がる
ここから這い上がる
いつかはみんなでここから這いあがる
おお、諦めず信じよう
みんなでここから這い上がる
「ウイ・シャル・オーバーカム」のメロディで突然思いついたのが、上記の歌詞だ。今の気分をうたにするとしたら、まさにこんな気持ちである。
人間とは欲深いもので、一つ成し終えたり、手に入れるとまたさらに次のことや新たなものが欲しくなる。
今回のコンサート、そもそも企画責任者でありながら、入院、家で介護中の老親たちの体調など我家の事情次第では参加すらかなわないところであった。
だからともかくその日を迎えることができ、立ち会えただけでも良かったのである。その上さらにはチラシなどに載せてた予定通り少しでも「演者」としても出られたのだからそれだけでも良しとしないとならないはずだ。
が、終わってみると、総体としてのコンサートは素晴らしく満足のいくものであったとしても、いや、だからこそその分、ステージの自らの出来には不満というか、思い通りにやれなかったことのもやもやとした気持ちが残った。満足感の中にぽっかりと穴が空いている。そこを淋しさに似た風が吹く。
そもそも個人的にもろくに練習できてなかったし、楽団として他のメンバーと集まって音合わせも一回もできなかった。それを考慮すればごくごく当然の結果であってそれを認め受け入れるしかない。あれはあれで意義ある行為だと評価してくれる人もいたようだが・・・
過ぎたことをあれこれ言っても仕方ない。そのうえで、ではこれからのこと、次はどうしていくかを考えるしかないのだと考えた。
まだ日時も何も確定したわけではないが、年内にもう一回、秋口以降の頃、場所は同じかけこみ亭で、我がぶらいあんずとしてのコンサートをやれたらと夢想した。4回続いた「反戦歌」コンサートの流れを受けて、映画などでいうところのスピンオフ、つまり番外編、うたのアナザーストーリーの場を設けたいと思った。
もちろんのこと、親たちの状況、つまり母の癌が完治することはなく、おそらく何も変わっていないはずだから時間的環境的にもかなり難しい。しかし、もう一度、その目標に向けて個人的に練習を積んで、月一程度であろうとも定期的にメンバーが集まって音合わせして臨めばもう少し今回よりはきちんとしたステージをお見せできるはずと思える。
そしてそのことは、これまで我がやってきたのことの「決算」として総まとめ的意味合いを持つかとも考える。
実は唄いたいうたもかなり増えた。我の巧拙は問わずどうしても今、誰かに聞いてもらいたいうたがいくつかある。我が音楽活動を終えるとしてもそれだけは一度きちんとどこかで発表の場を持ちたいと思っていた。さらにはぶらいあんずとしてもきちんとしたステージを示したい。メンバー皆が今回は不完全燃焼気味ではないかとも思える。
出来や結果はどうあれ、思いをうたに込めてとことん思い切り唄ってみたいはずだ。ここで、これで終わらせてはならない。
まだ他のメンバーにきちんと相談したわけではない。しかし、こうした「目標」を定めて、そこに向かって練習を積み重ねていくことは良いことだろう。我を取り巻く内外全てが悪い状況、環境の中だからこそ、唯唯諾諾それも仕方ないと諦め受け入れるのではなく、気分転換程度だとしても状況を打破して行かねばならないと考えた。そう、誰にとってもだ。
それこそが今回、第四回目のラストに皆でうたったディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト~ I Shall Be Released 」なのだと思う。
この企画が確定すれば、またこの件詳しくお知らせしたい。さらにはオープンマイク枠での参加者を多く募りたい。
自公にマスゾエを責める資格なし ― 2016年06月13日 23時59分00秒
★そして彼を支持し票を投じた都民もまた
さすがに疲れが出た。コンサート前の二日間は、当日配布する歌集の制作などに追われて、ほとんど徹夜状態だった。当日の午前、ようやく作業を終え持ち物などまとめてから数時間眠ったぐらいで、もうフラフラの限界。当日もヘンな汗をだらだらかきながら半ば意識朦朧でゾンビのように動き回っていた。
繰り返すが何はともあれ無事終えられて今はほっとしている。ようやくこれでウチのこと、我が事にじっくり向き合える。
昨日今日と断続的に日中もひたすら眠り、合間みてはコンサートの後片付けやずっと後回しにしていた連絡事項など終えたりとなすべことを進めていた。
今月に入ってから休止していた古本商売も再開したのでさっそく届いた注文の本を梱包、発送したりした。
そうこう作業をしながら、MXテレビで、夕刻時に都議会総務委員会での舛添都知事に対する各党都議の「質問」と舛添都知事の「答弁」の模様を観ていた。思ったことを書く。
その結果は、新聞やテレビなど報道機関が詳しく報じるだろうが、要するに各党が都知事の政治資金公私混同疑惑を追及しても、舛添氏はのらりくらりとほとんど何も答えず疑惑は何一つ解明されないで時間だけが過ぎて行った感に尽きる。
そしてつくづく思った。答える側もひどいが、攻める側、疑惑を追及する側も実に拙いというか切れ味が悪い。どんな答えが返ってくるのが事前にわかるようなことだけしか質問しない。それでは質問の意味がない。議論がかみ合わないとか以前にこうしたときの追及のテクニックがない、政治家なのに持ち合わせていないのである。テレビドラマ「相棒」でもよく観て学んでほしい。
日本ではディベート、つまり討論会などの技術を磨く勉強なり、そうした場は皆無だから仕方ないが、まずその基本的技術すら日本人は道合わせていないのだと痛感させられた。
ロン・ハワード監督の『フロスト×ニクソン』という映画がある。あのニクソンとテレビ司会者による丁々発止のインタビュー対談という実話を描いたものだが、のらりくらりと質問者の追及をかわしていた元大統領もついに最後はフロストに言質をとられてやりこめられ逃げ場を失くして沈黙してしまう。まさに手に汗にぎる対談ですこぶる面白い。
我はこの都議会でもそうした場面を期待していたがまったくそうはならなかった。
舛添氏は、疑惑に正面から包み隠さず全て答えるとしながらも肝心なこととなると、私の「政治家としての信義、政治の機微に関わるので」と何度もこの言葉を繰り返し何ひとつ明らかにしない。あるいは今記憶にないのでおって確認して報告いたしたいと時間稼ぎをする。数字が違ってると指摘されると、記載ミス、間違っておりましたと認めては訂正いたしますと謝罪して済ます。そしてこうしたことは全て私の不徳の致すところで責任を痛感しているとひたすら頭を下げ「反省」の弁を繰り返す。挙句にこれからは注意していくと続投を前提に開き直る。
都知事の答弁のたび傍聴人からも何度も大きな声で怒号が飛び交うがただ時間だけが虚しく過ぎていく。審議後、テレビのニュース内で街のインタビューでも都民として彼をかばう人は皆無で、皆呆れ果てた、失望した、裏切られたという怒りの声ばかりである。
けっきょく、今日の集中審議では自民党を除く政党すべてが舛添氏に辞職を求めた。知事与党の公明党までが語気鋭く舛添氏に辞職を求めていた。しかし、よく考えるとそれは不可解かつ無責任ではないか。
そもそもそんな男を担いで都知事選挙で支持、支援したのはどの党だったのか。自民と公明党であろう。彼を非難し辞職を求めるのならばそんな人間を都知事にした者たちも同様に責任を問われねばならないはずだ。
考えてもらいたい。任期半ばで国会議員復帰を理由に都知事職を投げたした石原慎太郎、そして後を継いだ副知事だったが不祥事で辞めた猪瀬直樹、そして舛添、と彼らを支持し担いできたのはいったい誰、どの党であったのか。次々と不祥事が続き、どれも皆任期半ばで都知事職を投げたしその都度また膨大な税金を使って選挙が行われる。
こうした責任は誰がとるのか。そしてあえて言う。そうした知事たちを支持し一票を投じて来た人たちも実は常に同じ人たちではないのか。
今都民の怒りは頂点に達している。それは舛添氏に期待し彼を都知事に選んだのに、あんな下劣なドケチな男だったのかという失望と裏切られたという思いであろう。ゆえに皆が怒っている。
しかし、それが当然であり裏切られた故だとしてもそんな人間を信じた者はそこに責任はないのか。おそらくそうした人は慎太郎以来一貫して自公が裏で選び担いだ候補を支持したし、おそらくこれからもまた支持して一票を投じていく。
はっきり書く。それではまた同じ事態が起きる。何一つ変わりはしない。都知事でありながら都民のことはそっちのけで、こうした私利私欲しか考えない下劣な男たちを都知事にして裏で支えて来た勢力こそが糾弾されないと政治は何一つ変わらない。そして、同様に、自公が担いだ候補をまたも信じて支持する都民がいる限り政治はこれからも停滞をきたす。政治と金をめぐる不祥事は繰り返す。
マスゾエはいずれ都知事を辞めざる得ないことは確実かと思う。しかしそれでコトは済むわけではない。マスゾエを担ぎ支持してきた自公こそが真に責任を問わねばならない。全責任は彼らにある。何度も懲りずに同じ過ちは繰り返してはならない。
我はマスゾエに何一つ最初から最後まで期待していなかったから何一つ失望も怒りもわかない。そんな人間だと最初からわかっていた。だから常に都知事選では、護憲派弁護士宇都宮氏を支持してきた。
願わくば次の都知事選でも再度また宇都宮氏の出馬を期待しているが、それはまだ先の話であり今後どうなるのか何もわからないから今は語らない。
マスゾエは、質疑を終えて最後に、不信任案提出は、政治に混乱来すから、給与は全額辞退するのでリオ五輪の後まで猶予してもらいたいと泣きついたという。政治に混乱は今既に来たしているしそれはいったい誰が起こしたのか。まさに呆れかえる。
要するにこの男、最後の最後まで家族サービスとして都知事ならばタダでオリンピック観戦できるのでそれから辞めようと考えたのである。皮肉ではなくその彼の一貫した人生哲学には感心した。ある意味ここまでドケチ、みみっちいというのは立派な生き方であろう。
すぱっと潔く責任とってやめるのが男らしさ?男子の本懐ならば、ドケチの本懐であろう。どれほど辞めろと都議都民一丸になって迫られてものらりくらりとどこ吹く風でひたすら平身低頭逃げまくる。実に胆力ある立派な九州男児ではなかろうか。
さすがに疲れが出た。コンサート前の二日間は、当日配布する歌集の制作などに追われて、ほとんど徹夜状態だった。当日の午前、ようやく作業を終え持ち物などまとめてから数時間眠ったぐらいで、もうフラフラの限界。当日もヘンな汗をだらだらかきながら半ば意識朦朧でゾンビのように動き回っていた。
繰り返すが何はともあれ無事終えられて今はほっとしている。ようやくこれでウチのこと、我が事にじっくり向き合える。
昨日今日と断続的に日中もひたすら眠り、合間みてはコンサートの後片付けやずっと後回しにしていた連絡事項など終えたりとなすべことを進めていた。
今月に入ってから休止していた古本商売も再開したのでさっそく届いた注文の本を梱包、発送したりした。
そうこう作業をしながら、MXテレビで、夕刻時に都議会総務委員会での舛添都知事に対する各党都議の「質問」と舛添都知事の「答弁」の模様を観ていた。思ったことを書く。
その結果は、新聞やテレビなど報道機関が詳しく報じるだろうが、要するに各党が都知事の政治資金公私混同疑惑を追及しても、舛添氏はのらりくらりとほとんど何も答えず疑惑は何一つ解明されないで時間だけが過ぎて行った感に尽きる。
そしてつくづく思った。答える側もひどいが、攻める側、疑惑を追及する側も実に拙いというか切れ味が悪い。どんな答えが返ってくるのが事前にわかるようなことだけしか質問しない。それでは質問の意味がない。議論がかみ合わないとか以前にこうしたときの追及のテクニックがない、政治家なのに持ち合わせていないのである。テレビドラマ「相棒」でもよく観て学んでほしい。
日本ではディベート、つまり討論会などの技術を磨く勉強なり、そうした場は皆無だから仕方ないが、まずその基本的技術すら日本人は道合わせていないのだと痛感させられた。
ロン・ハワード監督の『フロスト×ニクソン』という映画がある。あのニクソンとテレビ司会者による丁々発止のインタビュー対談という実話を描いたものだが、のらりくらりと質問者の追及をかわしていた元大統領もついに最後はフロストに言質をとられてやりこめられ逃げ場を失くして沈黙してしまう。まさに手に汗にぎる対談ですこぶる面白い。
我はこの都議会でもそうした場面を期待していたがまったくそうはならなかった。
舛添氏は、疑惑に正面から包み隠さず全て答えるとしながらも肝心なこととなると、私の「政治家としての信義、政治の機微に関わるので」と何度もこの言葉を繰り返し何ひとつ明らかにしない。あるいは今記憶にないのでおって確認して報告いたしたいと時間稼ぎをする。数字が違ってると指摘されると、記載ミス、間違っておりましたと認めては訂正いたしますと謝罪して済ます。そしてこうしたことは全て私の不徳の致すところで責任を痛感しているとひたすら頭を下げ「反省」の弁を繰り返す。挙句にこれからは注意していくと続投を前提に開き直る。
都知事の答弁のたび傍聴人からも何度も大きな声で怒号が飛び交うがただ時間だけが虚しく過ぎていく。審議後、テレビのニュース内で街のインタビューでも都民として彼をかばう人は皆無で、皆呆れ果てた、失望した、裏切られたという怒りの声ばかりである。
けっきょく、今日の集中審議では自民党を除く政党すべてが舛添氏に辞職を求めた。知事与党の公明党までが語気鋭く舛添氏に辞職を求めていた。しかし、よく考えるとそれは不可解かつ無責任ではないか。
そもそもそんな男を担いで都知事選挙で支持、支援したのはどの党だったのか。自民と公明党であろう。彼を非難し辞職を求めるのならばそんな人間を都知事にした者たちも同様に責任を問われねばならないはずだ。
考えてもらいたい。任期半ばで国会議員復帰を理由に都知事職を投げたした石原慎太郎、そして後を継いだ副知事だったが不祥事で辞めた猪瀬直樹、そして舛添、と彼らを支持し担いできたのはいったい誰、どの党であったのか。次々と不祥事が続き、どれも皆任期半ばで都知事職を投げたしその都度また膨大な税金を使って選挙が行われる。
こうした責任は誰がとるのか。そしてあえて言う。そうした知事たちを支持し一票を投じて来た人たちも実は常に同じ人たちではないのか。
今都民の怒りは頂点に達している。それは舛添氏に期待し彼を都知事に選んだのに、あんな下劣なドケチな男だったのかという失望と裏切られたという思いであろう。ゆえに皆が怒っている。
しかし、それが当然であり裏切られた故だとしてもそんな人間を信じた者はそこに責任はないのか。おそらくそうした人は慎太郎以来一貫して自公が裏で選び担いだ候補を支持したし、おそらくこれからもまた支持して一票を投じていく。
はっきり書く。それではまた同じ事態が起きる。何一つ変わりはしない。都知事でありながら都民のことはそっちのけで、こうした私利私欲しか考えない下劣な男たちを都知事にして裏で支えて来た勢力こそが糾弾されないと政治は何一つ変わらない。そして、同様に、自公が担いだ候補をまたも信じて支持する都民がいる限り政治はこれからも停滞をきたす。政治と金をめぐる不祥事は繰り返す。
マスゾエはいずれ都知事を辞めざる得ないことは確実かと思う。しかしそれでコトは済むわけではない。マスゾエを担ぎ支持してきた自公こそが真に責任を問わねばならない。全責任は彼らにある。何度も懲りずに同じ過ちは繰り返してはならない。
我はマスゾエに何一つ最初から最後まで期待していなかったから何一つ失望も怒りもわかない。そんな人間だと最初からわかっていた。だから常に都知事選では、護憲派弁護士宇都宮氏を支持してきた。
願わくば次の都知事選でも再度また宇都宮氏の出馬を期待しているが、それはまだ先の話であり今後どうなるのか何もわからないから今は語らない。
マスゾエは、質疑を終えて最後に、不信任案提出は、政治に混乱来すから、給与は全額辞退するのでリオ五輪の後まで猶予してもらいたいと泣きついたという。政治に混乱は今既に来たしているしそれはいったい誰が起こしたのか。まさに呆れかえる。
要するにこの男、最後の最後まで家族サービスとして都知事ならばタダでオリンピック観戦できるのでそれから辞めようと考えたのである。皮肉ではなくその彼の一貫した人生哲学には感心した。ある意味ここまでドケチ、みみっちいというのは立派な生き方であろう。
すぱっと潔く責任とってやめるのが男らしさ?男子の本懐ならば、ドケチの本懐であろう。どれほど辞めろと都議都民一丸になって迫られてものらりくらりとどこ吹く風でひたすら平身低頭逃げまくる。実に胆力ある立派な九州男児ではなかろうか。




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