闇夜に光灯す人であれ~2016年夏の参院選の結果を受けて思う ― 2016年07月11日 23時37分20秒
★絶望はたやすい。そこからどう希望をみつけてくかだ。
抑えきれない怒り こらえない哀しみ そんなことの繰り返しだけど けして負けはしないのさ
泣きはらした夜 迎える朝のまぶしさ 涙が渇くときはないけれど けして倒れやしないのさ ――にしむらよしあき訳「ケ・サラ」 より
参院選投開票の夜から一夜が過ぎた。当ブログの読者のみなさん、どのようなお気持ちで今あろうか。
失望のあまり中にはもう日本人やめようとか、バリ島かどっかに移住しよう考えている方もいるかと思う。我は、親たちのこともあって今回は何一つ選挙活動はできなかったこともあり、傍観者的にしか関われなかったからかもしれないが、この結果に関してはさほど失望していない。
むろん、自公の大勝、改憲勢力が非改選も合わせて全議席の三分の二を越したという、最悪の結果となったけれど、それは当初から予測されていたことで、その中でどれだけ我々側=抵抗勢力、野党共闘が彼ら巨大与党に対して立ち向かい勝利できるかであって、そもそもが「蟷螂の斧」であったのだ。
結果として32ある一人区で、野党四党の統一候補が11の議席を得たわけで、これは善戦ととらえるべきだし、もし過去のように、民主の他に共産が独自候補を立てていたらこの数字はもっと減り、自公勢力はさらに議席を増していたことは間違いない。
また、たった一つでも社民党と生活の党が議席を得たことも嬉しかった。政党とは国会で議席が一つでもあれば政党として扱われるわけで、新党改革なんて与党の補完政党が消滅しようとまったくどうでも良いが、野党が民進党と共産党だけになるのは何としても避けたい事態だったのでほっとした。
自公がやはりまたも勝利したことと、共産党が期待していたより伸びなかったことに残念かつ失望したが、結果として非常に微妙なバランスが示されそこに今後の希望も見いだせる。残念でもこれはこれでけして絶望するほどのものではないと思う。
一部のマスコミでは、「民共合作失敗」とか揶揄し、民進党内部でもこの選挙結果を受けて、野党共闘を進めた現執行部の責任を問う声も出ている。しかし、民進党が敗北したのは、一人区よりも複数区での現職を多く落としたことが最大の要因であり、四野党による共闘がなければもっと議席数を減らしていたと知るべしであろう。
今回の選挙でつくづく思ったのは、選挙とはけっきょく知名度と組織力、そして何よりも金なのである。
三宅洋平という候補者がいる。前の選挙の時も出て、まったくのインディーズながらかなりの得票を集めそのときは話題になった。我の周りでは彼を支持する者が圧倒的に多い。しかし、今回は東京選挙区から出たものの、泡沫候補レベルの扱いで当選ラインにはるかに及ばなかった。我としては、彼に投じなかったが、願わくば最下位でも当選することを期待していた。
それがかなわなかったのは、要するにマスコミ人的知名度がなく、組織も金もない故、一般有権者に知られなかったからなのである。知名度というのは、話題性も含めて良くも悪くもマスコミに取り上げられるかということで、前回の参院選で当選した山本太郎は、元々俳優として顔が知られていて、マスコミが毀誉褒貶書き立てた有名人であった。だから話題性があり、金も組織もなくても知名度で認知されて当選できた。
三宅洋平は、今回マスコミが徹底的に無視したこともあり、共産党嫌いの一部のオルタナティブ左翼の人たちと若者の熱い支持があったが、それ以外の一般有権者に浸透せず、残念な結果となった。むろん東京選挙区はあまりに多くの候補が乱立し票が分散したこともある。
自公は今回も大勝した。その理由として海外メディアは、BBCをはじめ、日本国民は現状維持を望んだと報じている。他に代わる選択肢がなかったとも。まさにそうかもしれないと思う。
つまるころ、憲法改悪後の「先のこと」より、まずは目先の「今」のことなのである。憲法改正のことより、アベノミクスが成功してるか国民の多くにとって実感がなくても、とりあえず数字上ではうまく行っているように見える。そう政府日銀、マスコミ上げて報じられている。ならば、安保法制も含めて、常に勝手に先走り暴走する政権であっても、やはり信任するしかないではないか。彼らが下野したり、議席が減ってまた政治が安定しなくなると景気も悪くなる。そう言う安倍晋三の訴えは、憲法変えられたら戦争が起こると叫ぶ野党の訴えより、多くの国民にとって身近な問題として届いたのではないか。
我も含めて、人とは常に身近な、目先のことしか考えられないものなのである。まだその先の、いつ起こるか確定的でないことを見据えて、想定し行動もしないし考えもしない。だから、自公が、とりあえずうまくいっているように見える「経済」を前面に押し出せば、それで大失敗した民主党=民進党がいかに、アベノミクスを批判し他の野党が憲法改正の危険を叫んだとしても、国民として目先のこと、景気と経済でやはり自公を選択せざるえない。
タバコやアルコールで依存症となっている人が、体に悪いと周りからさんざん言われてもすっぱりやめてそれから抜け出せないように、今の日本人は、自公という嘘と欺瞞の極右政党に依存症になっているのである。何だか胡散臭いし、ちっとも懐は豊かにならない。でも、アベノミクスも道半ばというならば、もう少し彼らに期待してみようではないかと。
そしてさらにもう一つ見過ごせないのは、マスコミ上げての彼らへの応援、支援的追従である。安倍政権の犬、NHKは言うまでもなく、我がパソコンのインターネットを開くとき、トップページ画面としてデフォルトで設定されている「MSN」のページなど、選挙中は自民党のホームページと化していた。
開くたびに、画面右側に自民党の宣伝のウインドウが自動的に表示され、安倍晋三が語り始める。これでは、確かにネット環境に津深く依存している若者層が自民党支持するのも頷ける。つまり、無意識的に、ネットでアクセスする都度、自民を支持するよう洗脳されていくのである。
そこで取り上げられるニュースも主に、産経のものが主だから、今回共産党失速の原因とされる「防衛費は人殺し予算」だという、党政策委員長、藤野保史衆院議員の失言も執拗に繰り返しトップニュースとして取り上げられていた。この件に関して、我は、この共産党の若手議員のテレビ番組内での発言は失言だとも問題発言だとも思わない。専守防衛に徹している防衛費ならばともかく、今後は集団的自衛権行使として、海外でも積極的に戦闘に加担して行くならば、戦争=人殺しなのである。ならばその発言もあながち極論でも的はずれでもないはずだし、言葉の綾として、聞き流す程度で済む話だと思う。
それを与党のみならず、共産党嫌いの民進党の前原まで出てきて大騒ぎして共産党バッシングの場としてMSNを用いていく。画面右手では、安倍晋三がアベノミクスの成果を得意げに説き、ニュース欄では、共産党を批判する輩が大合唱している産経のニュースが何回もトップの見出しで取り上げられていく。それは問題発言だとしても、他のマスメディアでは扱いはごく小さい「失言」事件に過ぎなかった。ところが、政府の御用新聞産経が主導するMSNニュースではトップの大事件なのである。
ネットを利用する若者たちが、ごく日常的にまずパソコンに向き合う度、こうしたものを見せられれば、そうなのかと自然に頭に入るだろう。アベノミクスはうまく行っているんだ応援しないと。そしてそれをあれこれ言う共産党こそ怖い、おかしいぞと。
つまるところ、政治とは、選挙とは、知名度と組織力と金だというのはこういうことだ。金さえあれば、MSNに限らず、多くの利用者が訪れるサイトのトップページに、こうした選挙CMをのせられる。これらは紙の公報やチラシよりはるかに人目をひくし効果がある。繰り返し出てくればつい見てしまう。そして無批判的に彼らを支持していく人が増えていく。が、金のない組織、政党、まして個人、三宅洋平にはそんなことはできやしない。せいぜい口コミ的に、ツィッターやフェイスブック的拡散しか方法はない。マスコミが取り上げてくれない限りそれ以上の広がりはない。それではまず当選できない。当選できるのは組織と知名度とあと何より金がある者だけとなっていく。
だからこそ、金も組織もない力のない者たちは個別に戦ったって自公という巨大与党に勝てるはずがない。まして、それが小選挙区や一人区などのたった一人の当選者しかない選挙ならばなおさらだ。
だからこそ、野党共闘なのである。蟷螂の斧でも、小さなカマキリがたくさん集まればそれはそれなりに存在感を示し、大きな動物にとっても脅威になろう。今回の選挙、野党統一候補が勝ったところも票を観る限りきわめて接戦だった。民進党だけなり無所属の個人だけで当選できるはずもなかった。野党四党が共闘してこそ、11だけだが、11も勝てたのである。繰り返すが共闘なければこの数字は限りなくゼロに近かった。
民進党内で、党の敗北ゆえに、岡田代表を批判し野党共闘も見直すべきだと騒ぐバカがいるときく。しかし、残念なことだが、今現在、自公に互角に戦うためには、野党はまとまるところはまとまって一つになって力を結集して臨むしかないのである。弱く力ない者がバラバラに自公に挑んだところで彼らの思うつぼではないか。どんなにがんばったところで今の自公の、金と組織と知名度に勝てるはずがない。
だからこそ、青森の、新潟の、宮城の、福島の、そして沖縄の勝利が大きな意味を持つ。そこに確かな希望が見える。
絶望することはたやすい。が、絶望に浸り嘆き悲しむよりその状況の中からそこに少しでも良いもの、確かなもの、光る希望あるものを見出さねばならない。
今回の選挙、自公がまたしても大勝し、改憲勢力が三分の二を越し、何たることかと打ちひしがれている方も多々いるだろう。だが、今回の選挙は多くの希望の光がそこここに見えていた。こんないかさまやインチキがいつまでも通じるはずがない。アベノミクスとは和牛商法のようなものだ。いつか儲かると口先だけで信じさせ庶民から金を吐き出させる。必ず破綻する。国民は目が覚める。ならば、絶望せずに、共闘というこの流れをさらに進めて行けば良いだけの話だ。
時代は混迷の闇をさらに深めていく。しかしだからこそ、その深い闇の中で、確かな光、希望の光を灯す者が求められる。我はそうした人たちをこれからも応援していく。光にはなれなくとも夜道の道しるべとなるよう光をかざす人でありたいと願う。
絶望してはならない。フランクルも言っている。強制収容所の中では、絶望した者たちからまず死んでいったと。
抑えきれない怒り こらえない哀しみ そんなことの繰り返しだけど けして負けはしないのさ
泣きはらした夜 迎える朝のまぶしさ 涙が渇くときはないけれど けして倒れやしないのさ ――にしむらよしあき訳「ケ・サラ」 より
参院選投開票の夜から一夜が過ぎた。当ブログの読者のみなさん、どのようなお気持ちで今あろうか。
失望のあまり中にはもう日本人やめようとか、バリ島かどっかに移住しよう考えている方もいるかと思う。我は、親たちのこともあって今回は何一つ選挙活動はできなかったこともあり、傍観者的にしか関われなかったからかもしれないが、この結果に関してはさほど失望していない。
むろん、自公の大勝、改憲勢力が非改選も合わせて全議席の三分の二を越したという、最悪の結果となったけれど、それは当初から予測されていたことで、その中でどれだけ我々側=抵抗勢力、野党共闘が彼ら巨大与党に対して立ち向かい勝利できるかであって、そもそもが「蟷螂の斧」であったのだ。
結果として32ある一人区で、野党四党の統一候補が11の議席を得たわけで、これは善戦ととらえるべきだし、もし過去のように、民主の他に共産が独自候補を立てていたらこの数字はもっと減り、自公勢力はさらに議席を増していたことは間違いない。
また、たった一つでも社民党と生活の党が議席を得たことも嬉しかった。政党とは国会で議席が一つでもあれば政党として扱われるわけで、新党改革なんて与党の補完政党が消滅しようとまったくどうでも良いが、野党が民進党と共産党だけになるのは何としても避けたい事態だったのでほっとした。
自公がやはりまたも勝利したことと、共産党が期待していたより伸びなかったことに残念かつ失望したが、結果として非常に微妙なバランスが示されそこに今後の希望も見いだせる。残念でもこれはこれでけして絶望するほどのものではないと思う。
一部のマスコミでは、「民共合作失敗」とか揶揄し、民進党内部でもこの選挙結果を受けて、野党共闘を進めた現執行部の責任を問う声も出ている。しかし、民進党が敗北したのは、一人区よりも複数区での現職を多く落としたことが最大の要因であり、四野党による共闘がなければもっと議席数を減らしていたと知るべしであろう。
今回の選挙でつくづく思ったのは、選挙とはけっきょく知名度と組織力、そして何よりも金なのである。
三宅洋平という候補者がいる。前の選挙の時も出て、まったくのインディーズながらかなりの得票を集めそのときは話題になった。我の周りでは彼を支持する者が圧倒的に多い。しかし、今回は東京選挙区から出たものの、泡沫候補レベルの扱いで当選ラインにはるかに及ばなかった。我としては、彼に投じなかったが、願わくば最下位でも当選することを期待していた。
それがかなわなかったのは、要するにマスコミ人的知名度がなく、組織も金もない故、一般有権者に知られなかったからなのである。知名度というのは、話題性も含めて良くも悪くもマスコミに取り上げられるかということで、前回の参院選で当選した山本太郎は、元々俳優として顔が知られていて、マスコミが毀誉褒貶書き立てた有名人であった。だから話題性があり、金も組織もなくても知名度で認知されて当選できた。
三宅洋平は、今回マスコミが徹底的に無視したこともあり、共産党嫌いの一部のオルタナティブ左翼の人たちと若者の熱い支持があったが、それ以外の一般有権者に浸透せず、残念な結果となった。むろん東京選挙区はあまりに多くの候補が乱立し票が分散したこともある。
自公は今回も大勝した。その理由として海外メディアは、BBCをはじめ、日本国民は現状維持を望んだと報じている。他に代わる選択肢がなかったとも。まさにそうかもしれないと思う。
つまるころ、憲法改悪後の「先のこと」より、まずは目先の「今」のことなのである。憲法改正のことより、アベノミクスが成功してるか国民の多くにとって実感がなくても、とりあえず数字上ではうまく行っているように見える。そう政府日銀、マスコミ上げて報じられている。ならば、安保法制も含めて、常に勝手に先走り暴走する政権であっても、やはり信任するしかないではないか。彼らが下野したり、議席が減ってまた政治が安定しなくなると景気も悪くなる。そう言う安倍晋三の訴えは、憲法変えられたら戦争が起こると叫ぶ野党の訴えより、多くの国民にとって身近な問題として届いたのではないか。
我も含めて、人とは常に身近な、目先のことしか考えられないものなのである。まだその先の、いつ起こるか確定的でないことを見据えて、想定し行動もしないし考えもしない。だから、自公が、とりあえずうまくいっているように見える「経済」を前面に押し出せば、それで大失敗した民主党=民進党がいかに、アベノミクスを批判し他の野党が憲法改正の危険を叫んだとしても、国民として目先のこと、景気と経済でやはり自公を選択せざるえない。
タバコやアルコールで依存症となっている人が、体に悪いと周りからさんざん言われてもすっぱりやめてそれから抜け出せないように、今の日本人は、自公という嘘と欺瞞の極右政党に依存症になっているのである。何だか胡散臭いし、ちっとも懐は豊かにならない。でも、アベノミクスも道半ばというならば、もう少し彼らに期待してみようではないかと。
そしてさらにもう一つ見過ごせないのは、マスコミ上げての彼らへの応援、支援的追従である。安倍政権の犬、NHKは言うまでもなく、我がパソコンのインターネットを開くとき、トップページ画面としてデフォルトで設定されている「MSN」のページなど、選挙中は自民党のホームページと化していた。
開くたびに、画面右側に自民党の宣伝のウインドウが自動的に表示され、安倍晋三が語り始める。これでは、確かにネット環境に津深く依存している若者層が自民党支持するのも頷ける。つまり、無意識的に、ネットでアクセスする都度、自民を支持するよう洗脳されていくのである。
そこで取り上げられるニュースも主に、産経のものが主だから、今回共産党失速の原因とされる「防衛費は人殺し予算」だという、党政策委員長、藤野保史衆院議員の失言も執拗に繰り返しトップニュースとして取り上げられていた。この件に関して、我は、この共産党の若手議員のテレビ番組内での発言は失言だとも問題発言だとも思わない。専守防衛に徹している防衛費ならばともかく、今後は集団的自衛権行使として、海外でも積極的に戦闘に加担して行くならば、戦争=人殺しなのである。ならばその発言もあながち極論でも的はずれでもないはずだし、言葉の綾として、聞き流す程度で済む話だと思う。
それを与党のみならず、共産党嫌いの民進党の前原まで出てきて大騒ぎして共産党バッシングの場としてMSNを用いていく。画面右手では、安倍晋三がアベノミクスの成果を得意げに説き、ニュース欄では、共産党を批判する輩が大合唱している産経のニュースが何回もトップの見出しで取り上げられていく。それは問題発言だとしても、他のマスメディアでは扱いはごく小さい「失言」事件に過ぎなかった。ところが、政府の御用新聞産経が主導するMSNニュースではトップの大事件なのである。
ネットを利用する若者たちが、ごく日常的にまずパソコンに向き合う度、こうしたものを見せられれば、そうなのかと自然に頭に入るだろう。アベノミクスはうまく行っているんだ応援しないと。そしてそれをあれこれ言う共産党こそ怖い、おかしいぞと。
つまるところ、政治とは、選挙とは、知名度と組織力と金だというのはこういうことだ。金さえあれば、MSNに限らず、多くの利用者が訪れるサイトのトップページに、こうした選挙CMをのせられる。これらは紙の公報やチラシよりはるかに人目をひくし効果がある。繰り返し出てくればつい見てしまう。そして無批判的に彼らを支持していく人が増えていく。が、金のない組織、政党、まして個人、三宅洋平にはそんなことはできやしない。せいぜい口コミ的に、ツィッターやフェイスブック的拡散しか方法はない。マスコミが取り上げてくれない限りそれ以上の広がりはない。それではまず当選できない。当選できるのは組織と知名度とあと何より金がある者だけとなっていく。
だからこそ、金も組織もない力のない者たちは個別に戦ったって自公という巨大与党に勝てるはずがない。まして、それが小選挙区や一人区などのたった一人の当選者しかない選挙ならばなおさらだ。
だからこそ、野党共闘なのである。蟷螂の斧でも、小さなカマキリがたくさん集まればそれはそれなりに存在感を示し、大きな動物にとっても脅威になろう。今回の選挙、野党統一候補が勝ったところも票を観る限りきわめて接戦だった。民進党だけなり無所属の個人だけで当選できるはずもなかった。野党四党が共闘してこそ、11だけだが、11も勝てたのである。繰り返すが共闘なければこの数字は限りなくゼロに近かった。
民進党内で、党の敗北ゆえに、岡田代表を批判し野党共闘も見直すべきだと騒ぐバカがいるときく。しかし、残念なことだが、今現在、自公に互角に戦うためには、野党はまとまるところはまとまって一つになって力を結集して臨むしかないのである。弱く力ない者がバラバラに自公に挑んだところで彼らの思うつぼではないか。どんなにがんばったところで今の自公の、金と組織と知名度に勝てるはずがない。
だからこそ、青森の、新潟の、宮城の、福島の、そして沖縄の勝利が大きな意味を持つ。そこに確かな希望が見える。
絶望することはたやすい。が、絶望に浸り嘆き悲しむよりその状況の中からそこに少しでも良いもの、確かなもの、光る希望あるものを見出さねばならない。
今回の選挙、自公がまたしても大勝し、改憲勢力が三分の二を越し、何たることかと打ちひしがれている方も多々いるだろう。だが、今回の選挙は多くの希望の光がそこここに見えていた。こんないかさまやインチキがいつまでも通じるはずがない。アベノミクスとは和牛商法のようなものだ。いつか儲かると口先だけで信じさせ庶民から金を吐き出させる。必ず破綻する。国民は目が覚める。ならば、絶望せずに、共闘というこの流れをさらに進めて行けば良いだけの話だ。
時代は混迷の闇をさらに深めていく。しかしだからこそ、その深い闇の中で、確かな光、希望の光を灯す者が求められる。我はそうした人たちをこれからも応援していく。光にはなれなくとも夜道の道しるべとなるよう光をかざす人でありたいと願う。
絶望してはならない。フランクルも言っている。強制収容所の中では、絶望した者たちからまず死んでいったと。
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