父帰る、ここから家族三人での新たなスタート。2016年07月02日 22時22分02秒

★ただ全てに感謝、また家族三人そろった。

 本日、我が父は家に戻って来た。春四月の11日に、誤嚥性肺炎で入院してから実に、約二か月半ぶりの帰還である。先だって看護師たちに付き添われて、退院後の生活が問題なく送れるかの視察として一時間ほど帰宅したが、ついにこれで長かった入院生活とは解放である。

 感慨無量という言葉がある。今日退院の日、母は体調すぐれず同行できなかったので、我一人で、午前9時半からの退院可能時刻に合わせて立川のその病院まで車を走らせた。

 会計窓口で、この一か月間分の入院治療費の概算見積もりを提出して会計の手続きの間に父のいる四階の病室に行った。
 もう父は着替えさせられて、看護師さんと共に荷物をまとめている最中であった。いったん一階の会計窓口で支払いを済ませまた上に上がったら、既に父はホールに出てきて車椅子に乗りスタンバイしていた。
 長かった入院生活の間に溜まった私物など詰めた箱をまず下の駐車スペースに停めた車に運んでから車椅子の父をエレベータに乗せた。もっと看護師さんたちとゆっくり挨拶を、と考えていたが、存外朝は慌ただしくごく簡単に数人に見送られ別れを告げて下に降りた。
 父はかろうじて杖をつけば立ち上がることもできるが、自力ではまだ方向は困難である。その父を車の助手席に抱きかかえるようにして乗せて、車椅子は折りたたんで後部席に収めた。

 父にねぎらいの言葉をかけ、車を走り出したがとたん、突然涙があふれ出して来た。月並みながら感極まるという言葉がある。嬉しいとかそういう気分以前に、この二か月余りの歳月と母のことも頭によぎった瞬間、涙が出てきたのは自分でも意外であった。

 思えば、そもそもが微熱が続き、ヘンな咳が夜中でも出ていたので、念のために母の入っていたその立川の相互病院に連れて行ったのだ。そしたら待っている間に高熱を出しそくそのまま入院。誤嚥性肺炎と診断された。
 肺炎だけなら一週間程度で退院できる予定が、入院して三日後の早暁、4月14日に、寝ぼけたのか病室のベッドから転落して右の大腿骨の付け根を粉砕骨折。それからが、肺炎と骨折治療、さらには前から抱えていた認知症とのトリプルパンチの闘いとなった。そして母も癌性イレウスで腸閉塞起こして入院、手術して未だ入院中で、階は違えどその病院にいたのである。老親二人そろって入院するとはまさに想定外であった。

 19日の日に、骨折部にチタンの棒を入れる手術をしたが、その頃が一番状態が悪く、我が行っても父は自らの状況が全く理解できず、高熱のための薬のせいもあったのだろうが、暴れて何度も点滴などの管を自分で外して騒ぐからと、両手にグローブをはめさせられてほぼベッドに拘禁状態にされていた。
 声かけても、外してくれえ~と騒ぐだけで、自分がどこにいるのか、何が起きたのかもわからない状態だった。医師たちの話だと、手術は無事成功したが、果たしてどこまで回復するか保証できない。間違いなく機能は骨折前より大幅に落ちるし、場合によっては寝たきりとなっても高齢だからおかしくない。
 病院側からも退院できたとしてもご自宅での世話は大変だろうから特養に早めに入れるよう申請したらと勧められた。

 それから、数週間、昼時と夕方の二階、立川のその病院に通い、まず母の病室を覗いてから、父のところであれこれ話し、声かけつつ食事介助する日々が始まった。見ていないと、認知症の父は、自ら一人だとろくに食事も摂れないだけでなく誤嚥してしまうのである。それでは骨折は治ったとしても肺炎が治らない。またこれ以上、入院生活の間にボケが進めば施設に入れるしかない。   立川まで片道約30分。日に二回、立川まで通っていると、犬たちの世話や家事などその合間に片づけると自らは飯食う時間もないような慌ただしく忙しい日々であった。まさにゆっくり寝る時間さえない。よく体が続いたと今振り返って思う。

 その頃ずっと思ったのは、同じ病院に入っている母のこともだが、もしかしたらもうこのまま二人とも家には戻れないかもしれない。今まで何だかんだケンカしたりいがみ合ったりしつつも老いた家族三人、犬猫たちと共に我が家で暮らしていた日々はまさに夢のような、そもそも運のいい僥倖だったのだと気づいた。何しろ母も癌を抱えて86歳。認知症の父も91歳だったのである。
 ならばこそ、神様、どうかもう一度、たとえ数日の間でもまた再び元通り家族三人親子でこの家で暮らせる日々を返してください。と、立川までの往復の車の中で、ハンドルを握りながら祈り続けた。

 そうした思いがあったからだろうが、退院できて嬉しいとかの喜びはまだないのに、まさに感極まり涙が出てきたのだ。涙をぬぐいながら事故らないよう慎重に車を走らせ家に戻った。11時頃着いたかと思う。
 父も我が家に戻れてほっと安堵していたが、さすがに犬猫たちも大喜びであった。

 その晩は、家族三人で近くのスーパーから刺身など買ってきて、ささやかだが退院祝いのお祝いをした。
 母も先に、5月頭の再入院後は、体調はすぐれずとも自宅で過ごせている。ようやくだが、親子三人が揃った。神に祈り続けたことがかなった。父は杖をつかって、何か手すりなどにつかまってよたよた移動するのがやっという有様で、一人では立ち上がることもできやしない。今後通所リハビリがさっそく来週から始まる。
 母も下痢が止まらず衰弱している。しかし、ともかくまた再び家族三人我が家に戻り三人での生活が始まる。感慨無量とはこのことだ。むろん大変なのは覚悟している。しかし、親たちが同時に入院中、ずっと祈り続けた「夢」はかなったのである。それ以上何を望もうか。

 親子三人での生活があと何日続くのかわからない。先のことを考えれば不安は尽きない。しかし、ともかく日々一日一日、感謝してその一瞬一瞬を慈しみながら生きて行きたい。

 皆さんにも神のご加護を。ただすべてが有難い。