死に行く人と生きていくこと・3~最終告知を受けて2016年07月01日 21時22分23秒

★あとどれだけ母と暮らせるのか

 これをブログに記すのも、読み手の方々にお伝えするのも心苦しく躊躇うものがあるが、ずっとこれまで私ごとに関連して我が家族のことも「報告」してきた行きがかり上、この今のこと、現実についても書かねばならない。

 今日、1日、これまでずっと母の担当医であった女医から、お母さんはもう長くないからその覚悟をして、と告げられた。
 このところ母の体調が悪くなって、下痢が頻繁になって体重がどんどん落ちてきたところに、低栄養で両足にむくみが出始めていたから、それなりの覚悟はしてきていたが、医師の口から直接「宣告」を受けるとやはりショックであった。
 
 人は強いショックや哀しみに襲われると、まず頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。見るものすべてが無意味に思え、色を失ったり、何もかもが悲しく見える。逆にあるいはすべてが愛しく思え、すべてを慈しみ誰かれ構わず抱きしめたいようなときがある。
 今回は、それほど強い衝撃ではなかったが、やはりしばらく気持ちの収めどころがみつからずどうしたら良いものか苦しかった。

 よくドラマなどで、患者が診察を受けたあと、付き添いの家族だけが患者本人とは別に医師に呼ばれて、「実は・・・患者さんは癌でもう長くない、余命数カ月です」と告げられるシーンがある。それまでドラマの中の話だと思っていたが、じっさい自分にそれが起きるとはまさに想定外だった。
 今回の診察は、当初の診察予約日よりも一週間早く行った。先に29日、急患で行き、点滴受けたこともあって、のんびり待っていられなかったことと、母としては癌治療には府中にある国立医療センターに今後通おうと決め、そのための紹介状なりもらおうと考えてのことだった。
 じっさい、今の下痢が少しでも収まり体力も回復すれば、癌専門の科のある医院にまず行って相談し癌を小さくするような新たな治療法はないものか我も母もそれに期待していた。

 しかし、一通り診察のあと、担当女医は、う~ん、はっきり言うと、もうどこへ行ってもできることはなく同じで、その下痢もイレウスの一種で治らない。あっちこっち行っても疲れるからともかく無理せず、栄養のあるもの食べて養生してくださいと言い、こちらが下痢は腸の問題なのだからと、次の月曜に内科医のほうに予約入れてもらい、その医師との次回の予約は無しにしてもらい、席を立った。
 そして母が先に出た後、我だけが、「息子さん、ちょっと」と引き止められ「もう長くない」と宣告受けたのだ。ただ、こちらも訊かなかったが、あと余命数カ月とかの話は出なかった。ただ、もう、末期がんで今さら何かどうこうできる段階ではないから、お母さんには好きなことをさせ、食べたいものを食べさせ、のんびり楽させてあげてと。ホスピスや緩和ケアについても話が出たかもしれないが、よく覚えていない。
 
 母の会計を待つ間、近くのスーパーの駐車場に停めた車をとりに歩いて行った。時刻はちょうど午後一時であった。
 外は晴れて暑かったはずだが、そのスーパーまでの道のり、まったく記憶にない。そのときの心境は、泣きたいような、笑うしかないような、哀しみとはちょっと違う、どうにも名状しがたいものであった。その気持ちは今もまだ少し続いている。

 母の癌に関してはこれまでも経緯を繰り返し書いて来た。
 そもそも2001年に、一度癌部位を取り除く手術をし、そのときは成功しとりあえず「完治」した。
 以後この3年、ごく普通の日常生活は送れていたが、去年の年明けから癌がまた動き出し、その都度、そこの病院で担当のその女医に診察受けていたのだ。が、当初は、様子見ましょうとのことで、癌は臍下にあっても何も対策は取らず、しだいにそれが検査の結果の度にでかくなって体調も悪くなってきたので、ようやく対策を立てることにし、まず抗癌剤をとりあえず量を少なめにやってみた。

 しかし、一回やった段階で、副作用で熱出してからは、即中止。そして次いでは放射線治療を、と医師は言ってたが、そうこうしているうちに、年明けからしだいに食べられなくなってきた。
 けっきょく肥大した癌が腸管を圧迫して腸閉塞を起こしてしまい、そのためのバイパス手術となり、以後は下痢が収まらず体重は急激に落ちて体力も低下して急激に衰弱してしまった。
 そして最終告知である。何か釈然としない。癌がまた活動開始しはじた段階で、様子などみてないですぐさま抗癌剤なり、放射線治療なり始めていたらどうだっただろうか。
 もしかしたら今回も癌は縮小してまたとりあえずは数年、再び元通りの生活に戻れたかもしれない。しかし、またこうも思う。無理して様々な抗癌治療に励むと、あの近藤医師の謂いではないが、逆に副作用で身体が衰弱してもっと早く危険な状態に陥ったかもしれない。

 母はもう86歳で、進行も実にゆっくりだったから、ずいぶんおとなしい良い癌だったと担当女医は言う。ならばいたずらに刺激するより、様子見つつほったらかしにしてきたからこそ今があるという考えも成り立つ。じっさい、2011年春の最初の手術のとき、執刀した医師からも癌は一応取り除いたけれど、もうお腹の中に散らばってしまっているから全部取り切れていない。だからまた再発するだろうと言われていたのだ。そしてそれから5年経ったのである。

 患者側としては、もう少し早く何か手を打つことがあったと考えてしまうし、癌が動き出したとわかった時点で、もう少し適切な対処法をとるべきではなかったかという悔いがやはり今も残る。
 しかし、全ては結果論で、過ぎたことは戻せないのだから、あれこれ過ぎたことを悔やむ時間あらば、現実を見据えてこれからどうしていくべきか、何が最適なできることかを考えるべきであろう。