ともかく投票へ行こう、民意を示そう!2016年07月09日 22時53分41秒

★後で悔やむ日が来ないためにも

 いろいろご心配おかけして申し訳ない。まだ大丈夫です。
 参院選は明日投票日。もっと拙ブログで今回の選挙について書きたいことが山ほどあったが、もう今は親たちのことで精根尽き果てているので、落ち着いてパソコンに向かうことすらできない。
 もっと選挙について呼びかけしたかったが、もう明日が投票日となってしまった。
 誰々に入れてくれとか、何々党が増えてほしいとかはここで書かないし書く気はない。ただ、目先の景気対策や経済よりももっともっと大切なことが今危機にさらされているとしたら、有権者は一人残らず選挙に行くべきだと思う。
 誰に入れたってかまわない。ただ、自らが選んだ人や政党がこれまでも、これからも何をしたのか、するのかだけは選んだ者としてよくよく頭にいれておかねばならない。

 世の中には様々な選択がある。先のイギリスのEU離脱を問う国民投票のように、すぐにある程度の「結果」が出て、しかも一度下した選択、つまりその判断が間違っていたと気づくこともある。一度投じた選挙結果を悔いて、今も数百万の人たちが、再投票を、と署名を集めている。
 しかしじっさいはそんなすぐに自らの判断が間違っていたとか、誤りであったとはなかなかすぐわからない。結果がじっさいにカタチとして動き出すのは早くても数年後のことだし、そして当然のこと、その時点であのときの自分の選択は誤りだったと気づいてももうどうすることもできない。
 そしてまして、その選択が間違っていたこともそもそも間違った選択をしたことすら自らわからないままということも多々ある。
 よく、知らない間に、いつのまにかこんな法律が出来て・・・とか人は言う。そう、いつの間にか、知らないうちに、である。しかし、政治の世界はクーデターでない限り、今の政治システムではすべて選挙で選ばれた議員たちによる議会と内閣によってきちんと手続きを経て予算も法律も決められている。ただ、知らなかったという人は、そうした情報に無関心だったことと、そもそも公約にもなかったことを政治家たちが勝手に決めてしまうことだってままある。

 政治家を選ぶのにはつまるところ「公約」しかない。身近な町村議会の議員ならば、人柄を知って選ぶこともできようが、国会議員となるとその個人もだが、所属政党の「公約」しか判断の材料とならない。
 しかし公約を掲げ当選したとしてもかつての民主党政権のように、ほとんど当初のマニフェストは達成できず、結果迷走し挙句自壊的に政権を失うという失態をさらけだす場合もある。
 その点、現政権与党は、彼らの公約はかなり達成してきている。ゆえに今もある一定の高い支持率があるのも理解もできる。が、我はアベノミクスから原発再稼働、憲法改正まで彼らの「公約」すべてに反対であるし、間違っていると断ずる。仮に景気が回復したように数字の上では見えたとしても、国民一人ひとりには何ら恩恵はないし、これからいくら期待して待っても一億総活躍も豊かにもなりはしない。

 アベノミクスは失敗したとか破綻したと昨今言われている。が、我も斎藤貴男氏が言うように、大企業と金持をより金持ちにするため、金を彼らに集め行き渡らすためのシステムとして、アベノミクスは成功しているとつくづく思う。消費税というシステムもだが、国民の中でも低所得者層からいかに金を吸い上げて国家が楽できるかというアイディアでしかなく、なのに常に国民は気づかず騙され続けている。アベノミクスで景気が回復し、求人、仕事は増えたとしても正社員になれるわけでもなし、一生派遣のまま、結婚もできず、結婚できたとしても子供も産めずずっと貧困のまま代々貧乏は世襲されていくのである。それこそが彼ら富裕層、大企業と支配者層の狙いなのである。

 むろん一握りの、株や資産がある富裕層、大企業に務める正社員たちには自公を選ぶことには理と利があり、我がもしその立場ならば政権与党に一票を投じるかもしれない。が、彼らは選挙中は憲法について争点にはならないと黙していたのに、信託を得たとなればすぐさま憲法改正に一気に歩を進めていくだろう。その結果、この国がどうなっていくかについてはこれまでもさんざん書いて来たから繰り返さない。
 しかし、それはフェアでないし、そうした経済だけを選挙争点にした手口に、またもや騙されて自公に三度目の信任を与えてしまえば、もう後はない。
 その結果として何が待っているか、どんな未来が来るかだ。

 英国の国民投票ではないが、選択の結果の誤りに気づいたとしても遅いし、おそらく今の日本人はその選択したことすら忘れて気づきもしないのでないか。
 そしてもっとも問題なのは、選択の機会があったのに、選択すらせず政治に無関心であり、選挙にも行かない人たちの存在だ。まさにいつかそのときが来たとき、彼らは「えっ、いつの間に決まったの!?聞いてないよ」と驚き慌てるだろう。
 しかし、彼らだって責任がある。選挙に棄権して選択に関わらなかったことで、結果として低投票率を招き、政権与党に勝利を与えてしまうからだ。棄権したのだから関係ないはずだという論はなりたたない。何故ならば、選挙に行く人が少なければ、有権者全体の意見よりもある有力団体や組織の票によって当選者が決まってしまい真の民意は反映されにくくなるからだ。今の選挙システムは大政党に、しかもそうした組織と力のある自公に有利になるようにできている。

 明日は投票日、おそらく今回も低投票率が早くから予想されているから、投票箱が閉まった段階で、あっという間に当選者が決まることだろう。我が嘆くのはその結果よりも、国民の一人ひとり、真の民意が反映されることなく、投票率が50%台だとしたら極端な喩えとして、二人のうちの一人の意見で政治が決められて今後も動いていくことだ。
 そうした場合、二人のうちのもう一人は、心ならずももう一人に無理やり従わざるえない。一人は戦争に行こうと言う。でも行きたくないもう一人も選挙で決まったことだと無理やり連れていかされる。憂うのはそこだ。

 当ブログの読者の方で棄権する人などいないと信ずるが、どうか有権者ならば誰もが選挙に行ってください。そしてどの政党でもいい、本当に信頼できる、未来の日本を託して安心できる人と政党に貴方の一票を投じてほしい。それはなかなか難しい悩ましい選択かもしれない。
 が、仮に2点だけ挙げれば、もし戦争は嫌いで、今の日本国憲法、中でも九条は変える必要がないと思う方、あるいは原発はこれ以上いらない、再稼働には反対だと考える方ならば、色褪せて来たアベノミクスにさらに期待託すよりも、目先の経済も大事だとしても日本という国家の行く末を考えて自公やその補完政党ではない「選択」をしてほしい。
 低投票率に乗じて彼らはまたも「信任」されれば、またさらに暴走のスピードを上げていく。同乗者である国民がやめてと叫んでも耳を貸さないのは毎度のことだが、もうブレーキは効かなくなる。そして日本という国家は戦争という破滅に転げ落ちていく。

 今の憲法を無視して民主主義と立憲主義を破壊する安倍晋三とその与党の勝利を許してしまうのは、民主主義そのものの自殺である。棄権もまた緩慢な死である。