夢も希望もないけれど2014年05月24日 20時48分06秒

老犬バドと彼を心配する猫のキャラコさん
★大変でも死ぬまでしっかり生きていく         アクセスランキング: 155位

 「夢も希望もないね」と呟いて笑いをとったのは東京ぼん太であったか。「ひじょーに、キビシー!」は財津一郎。そんな大昔のギャグではないけれど夢も希望もない人生である。このところつくづくそう思う。

 老犬バドの体調が一進一退、いや、やや持ち直してはまたさらに弱っていくということの繰り返しで、気持ちは憂鬱である。今さら前のように元気なまでに回復するはずもないし、そもそも病気ではなくこれは老化による寿命なのだが、やはり日々弱っていくのに対峙するのはなかなかツライものがある。少しでも食べてくれればまあ安心なのだが、昨日はまあ食べたが今日は犬用ミルクしか飲まないという具合でこのままじょじょにさらに痩せて死へと向かっていくことは間違いない。
 もう20年近くも生きているのだから当然であり、死は犬、人問わず全ての生き物に訪れることだからここまで長生きさせただけでもう満足すべきだと思うのだけれどやはり憂鬱である。憂鬱どころか気持ちは何故か憤るというかイライラ苛立っている。

 何かもっとしてやりたいとも思うしもう少しこのまま踏みとどまっていてほしいと切に願う。病院に行って点滴を打ってもらうことも考えた。バドの相方、兄妹犬ロビンも2年前の今頃何度もかかりつけの病院に運び込んでは最後の最後まで診断を仰いだ。体に点滴入れればある程度は持ち直すのだが、要するに応急処置でしかなく金でほんの少しだけ生きながらえさせる、延命処置だけの話で元気に回復するわけではない。
 バドもこのまま食べなくなって動けなくなればそうするしかないかとも考えるが、しかしそれは意味があるのかという気もしている。行けば一回5000円そこらかかる。以前も記したことだがロビンは一度旅行先で異物を食べて大病し、一度は回復したがその治療に総額20万以上費やした。

 ロビンはけっきょく、一度は元気になったものの、やはりその病気が後をひいたのかバドより先にやはりじょじょに弱って食べられなく水も飲めなくなって眠るように死んだ。
 バドは幸いにしてそうした病気は生涯一度もすることなく、病院へ行ったのは予防注射だけで彼自身のカルテは動物病院にはない。そこまで健康かつ頑健だったからこの歳まで生きたわけでそしてついにその末期のときが来たというだけの話だ。今さら点滴していたずらに何日、何週間か生きながらえさせたとしてもこちらの負担が増えるだけでどれほどの意味があるのか。ただ、今も必死にまだ生きている彼の姿を見ると一日でも長く生かせたいと思うしもう少し一緒に過ごしたいという思いも強くある。

 どうしたものか。本人が苦しんでいるなら医者でモルヒネのようなもので楽に眠らせたいとも考えるが、ともかくもう少しこのまま何とかあれこれ手を尽くして食べさせて介護に専念するしかないかと思う。
 しかし今はもう食べさせるだけでも悪戦苦闘で、この自分もその老母も疲労困憊している。一日に何回抱きかかえて大小便をさせているのか。おまけにバドだけ特別待遇だとズルイと怒った他の犬たちがこのところハンスト起こしたりイタズラしたりとまた手がかかる。そう、犬は賢いだけ嫉妬深いのである。

 それにしても生きていくのは大変だとつくづくこのところ思う。死ぬのもこうして大変ではあるが、バドの世話以外にも春はやることが目白押しで毎日眩暈がするほど家の雑事に追われている。
 館野公一さんのうたに家事の大変さをうたった唄があったが、まさにその通りで実にあれこれやることがあるのにうんざりする。いくらやっても終わらないし次々から次へとまた新たにやらねばならぬことが出てくる。これがマンション住まいで庭などなければまた少しは楽なのかもしれないが、ウチはやたら高木が庭にあるので先日は伸びて鬱蒼としてきたケヤキの枝下ろしに追われた。切った枝を束ねてゴミに出すだけでも数日かかった。樹そのものを切れ切れとご近所さんがうるさくほっておけないのだ。

 家事雑事に、今は老犬と老人たちの世話まで加わってもうキレそうにもなるけれど、結局これこそが人生なわけで、犬が死んだら次は同様に親たちを介護して看取っていくことになるだろう。いまのこれは予行演習だと言えなくもない。

 さらには自分ももっと老いてこの家でたった一人で不如意な体を抱えて残りの人生を死ぬまで生きていかねばならない。もう楽しいことなど何もないだろう。あるのは孤独だけか。ならばまさに「夢も希望もない」と嘆ずるが、ある意味、それこそが年貢を納めることだと思うので、勝手気ままに一人で生きてきた者はそのツケを今、これから払っていくのである。まあ、これがアリとキリギリスの寓話、キリギリス人生の末路であろう。

 とにもかくにもまだ生きているだけで有難いではないか。どうせ誰もが必ず死ぬのだ。死ぬまでの間しっかり生きていかねばならない。嫌でもそのときは必ず来るのだから。