3日連続のライブ観覧を終えて2015年03月15日 22時02分18秒

★体は限界だが今、心は燃えている          アクセスランキング: 143位

 ぎっくり腰は癒えたのだが、パソコンでのビデオ編集の仕事で長時間椅子に座っていたので、腰痛状態が慢性化してしまい、3.11の頃は山梨の古民家に湯治に行っていた。向こうは冷たい強風が吹き荒れてものすごく寒かった。あまりの強風に、高速使わず帰ってきたので運転時間が長く、あんまり体調回復にはならなかったが、気持ちはリフレッシュできた。

 で、戻ったらば金曜13日から、今日15日まで三日連日ライブに出かけなくてはならなくて、ようやく今夕それがすべて終わった。当初は三日全部出るのは体がもたずたぶん不可能だと予測していたのだが。
 今の体調は、腰の痛みが背中全体に広がり、かちんかちんに固まって息も苦しいという状態である。おまけに頭までが鈍く痛い。が、気持ちはすごく高揚している。ハイになっていると言ってもよい。

 何はともあれ、この三日間の難事を成し終えたからだが、合計すれば十数時間、各アーチスト数にすれば20組にも及ぶ様々多彩なシンガーたちのうたを連日たっぷり聴いて、多くのことを考えさせられ気づき、得たものが大きかったからだ。

 長くなるし詳しく書いたとしても伝わるかわからないことだが、簡単に記すと、ようやく「うた」とは何かわかった。見えてきた。そして自分がすべきことも定まった。さらに自分が何故ダメであったかということすらもはっきりわかった。敷衍すれば、残りの人生、どう生きて行くべきかすらも。

 一言でいえば、音楽とはその文字の如く、観客も表現者も共に音を楽しむことだが、歌とは、その中からさらに抽出されたスピリッツの部分であり、思いであり愛なのだとようやくわかった。それがつかめた。
 歌の上手い下手、テクニックの巧拙はそこに関係ない。歌に託してうたを通して伝えたい強い思い=愛があるかどうかであった。

 ようやくわかった。金になるかどうかとか、観客の多寡は関係ない。そうした本物の、ほんとうのうた を求めて、残りの人生を費やしていく。今まで何がしたいのか、何をすべきなのかずっと迷っていた。バカだからよくわからなかった。あれこれ迷ってばかりいた。
 ようやくつかんだ。つかめた気がしている。いや、今、今はまだその掴めたと思った手を開いて、手のひらをまじまじと見つめている段階だが、その感触ははっきりと覚えている。

 うたに限らない。全ての本当に大事なことはすぐそこにあった。だがなかなか届かないし行きつけない。しかし、道は一つ。もう焦りも迷いもしない。ずいぶん時間がかかったが、神は我を見捨てなかった。ようやく光が、光に続く道が見えた。もう迷わないし何も怖れない。

老いのとば口で老親を看取ること2015年03月16日 15時53分53秒

★人の子としての務めではあるけれど            アクセスランキング: 145位

 おかげさまで、腰というか背中にかけての痛みはさほどではない。肉体は精神的なことも大きく関係していることに気づく。
 気持ちが落ち込めば体も不調を来たし痛みも増す。気持ちが高揚し朗らかなときは、痛みも軽くなる。
 今はこの弱き心がまた一時の心の迷いやつまらぬ欲望や妄想に苛まれないことをただ望む。

 さて、これをお読み頂いている方のどれぐらいが、老いた親を抱えて世話なり介護なり面倒を見ているのであろうか。自らも若くしてその親たちも元気でいて、それぞれ問題なく暮らしているのならば幸福なことであろう。かつて我が身もそうであった。
 が、誰もが老いる。そして親も自分も歳とって、さあどうしていくかという「現実」にぶち当たる。そのことについて少し書きたい。

 今、自分の周りには、老いた親を抱えてその介護に疲弊している友人知人が知る限り4人ほどいる。友人というのは、ほぼ同世代なので、ウチがそうであるように、ちょうど今、その親たち世代が八十代~九十ということになるだろう。つまり子は、五十代半ば~還暦世代であり、親は既に亡くなっている人もまた多い。いや、じっさい数だけ見れば、親がまだ片方だけでも健在の人は少ないかもしれない。

 そう思うとき、両親そろってまだ生き長らえているマス坊のところはもはや稀有なパターンかもしれない。そしてさらに幸いにして彼ら夫婦ともども寝たきり、半身不随という状態ではなく、世話は焼けるがまあ常に付き切りで介護が必要というほどではない。

 母は癌を抱えつつも一応日常生活は普通にできているし、父は認知症の度は進みつつも下の世話も含めて失態失敗は日常茶飯事ではあるが、まあ何とか自らやっている。ただ、ヨボヨボ度は歳を追うごとに増す一方で、彼らだけに任せて家を長時間空けるのはかなり不安がある。

 しかし思え返せば、母が癌の手術後長く入院したり、その前、癌だとまだわからないとき、どんどん痩せ細り衰弱して寝たきりになってしまった頃を思えば、今我が家は実に安定した小康状態、年齢を重ねたにしては良い状況だと言えよう。これから先、さらに老化は進み、ボケも悪化していくだろうが、土俵際でぎりぎり踏みとどまっているというのが現状だろうか。
 今更ではあるが、彼らがここまで長生きするとは思いもよらぬ僥倖以外のなにものでもない。

 と、ここまでは前説で、本文はこれから書くつもりだったが、背中が痛くて起きていられない。息するのも苦しい。んで、続きは明日改めて書きます。

老いのとば口で老親を看取ること・続き2015年03月17日 09時08分55秒

★「終わりのとき」を前にして            アクセスランキング: 136位

 雨上がりの爽やかな暖かい朝だ。強い春の陽射しが差し込んでくる。
どこからともなく、沈丁花の匂いが漂っている。
 大好きな小坂忠さんがのんびりとした歌声で頭の中で、♪庭はぽかぽか、心ウキウキ~とうたっている。
 春眠暁を覚えず。一晩ぐっすり寝たら背中から腰にかけての凝った痛みは軽くなった。

 さて、私事はともかく、周りを見回すと、今、その老いた親の最後を看取るために日々昼夜問わず介護に追われている人たちがいる。
 寝たきりとなっても最後は家で、家族に看取られて旅立つことは、老人病院に預けることに比べて当人は満足できるだろうし何より望むことであろう。しかし、数時間おきにオムツを取り換えたり、体の向きを変えたりするのは介護保険を利用したとしても家族には大変な負担となる。
 ある友は夫婦交互に、時に息子まで動員してそれぞれ時間帯を決めて担当を決めて死にゆく親の面倒を見ている。とても仕事どころではないので、退職し現在は介護だけ、介護漬けの日々がずっと続いているそうだ。その精神的負担はどれほどのものであろうか。

 また、ある友は、夫婦と、ときに彼の妹に来てもらい、日々の仕事の合間をぬって介護に追われている。つまるところ、家族総出で、頼れる親族をも動員して何とか老親の世話をしているのである。
 24時間、昼夜を問わず痴呆も含めた老いた病人を介助しなくてはならないのは、本当に大変だ。自分の親だから仕方ないと彼らは言うが、疲弊した様子は言葉の端々からうかがえた。

 思うに、こうした状態は決して改善はしないし、いつまで親が生きるのかすら定かではない。むろん死を待ち望みはしないだろうが、先は見えず精神的肉体的にも負担がかかる日常がひたすら続いていく。
 これが「子育て」ならば、同じ24時間世話に追われるとしても、じょじょに赤子は成長もし、負担の程度は軽くもなっていく。辛さの中に、希望や喜びもあるはずだ。が、死にゆく老親の介護には何の希望もない。いつまでその地獄が続くのかわからないまま子の方こそ追い詰められていく。

 行政や国家に、こうした事態の改善を求め、何か対策を、と政治の問題として考えることもできなくはない。しかし、個人的にはこれもまた子供の務めであり、それができることは良いことだとも思えなくもない。
 親を早く亡くした人にはこうした親孝行をしたくても不可能なわけで、最後の最後まで自ら親と深く関われることは間違いなく良いことだと今は思う。
 しかし、そんなことを言えるのは、まだそのとば口に居るからであって、じっさいに自分一人で老親二人が寝たきりになったとしたら絶対に面倒など見きれるはずもない。妻子がいたとしても大変なのである。
 それを初老の腰痛持ちの、しかもろくに収入もないこの我が一人でどうできるのか。自分にもたった一人の妹はいる。が、遠く九州の地に嫁ぎ、向こうは向こうでダンナの老親という介護せねばならない家族を抱えている。彼女にいったい何を頼めるのか。

 今は音楽のこととかにウツツを抜かして好き勝手なことを書いたりやっている我だが、間もなく近く間違いなく地獄が始まる。たった一人でどこまでやれるか何ができるかまったく自信はない。しかし、それすらも自らの負債であり、親に対する償いであり、恩返しであり、責務だと今は思える。そう、人としての務めだと。いわば年貢の納め時だと。

 そして、これは書かないつもりであったが、近くふれねばならないことなのでやはり書くが、母の癌が再発した。先日の検査で判明した。まだ入院は決まっていないが、そんなで今我が家はあたふたし始めている。癌は手術後3年はおとなしくしているが、3~4年すると再発すると聞いていたがウチもそうであった。
 もう手術はできないと医者は言うし、歳も歳なので抗がん剤も与えるかまだわからない。これから先のことはまだなにも見えていないが、いよいよ終わりの時が近づいてきたと思える。

 まあ、ウチは親たちも結婚遅かったので、親の歳に比べればまだ我は若い。これが自らも還暦過ぎ、70歳近くとなっては老親の世話することはできないだろう。体力はないが我はまだ動ける。親たちを無事見送られれば、まだ少しはその先の人生もあるかもしれない。

 むろんこれからどうなるかまったくわからない。意外と親たちの方が頑健で長生きしてしまい子のほうが介護に疲れて気も病み自殺してしまう可能性すらある。あるいはさほど介護の必要もなくぽっくり逝くかもしれない。

 そうしたこと全て、あからさまに正直に書き記していく。むろん本当に嫌なこと、読み手にとって辛くなるようなことは書かないし書けない。できるだけ読み物として面白可笑しく書いていきたい。もし宜しければ今後ともお付き合いください。愚かだがこんな人生があるのだと何か後学のためにもなるかとも。

どんなときでも、できることとすべきことがある2015年03月20日 04時21分15秒

★夜明け前の闇の中で             アクセスランキング: 213位

 このところ老人力が高まったのか、夜起きていられない。
 晩飯を食べ終え少しすると眠くなり、ふらふらしてきて何もする気も出なく、ともかくいったん、とベッドに入って眠ってしまう。※先日お会いした海援隊の千葉さんも、リーダーは夜起きてられなくすぐ寝てしまうと語っていたが、団塊世代でないのに俺もそうなのである。

 すると必ず深夜、丑三つ時、2時、3時頃に、喉の渇きで目覚めてしまう。枕元のペットボトルの水を飲みトイレも済ましてまたベッドに戻る。
 布団の中でその辺りの本を繰ったり、聖書を読み返したりして何時間か潰して明け方また眠り直す。このところはそれにスマホいじりが加わった。
 寝ながらメールをチェックしたり、ときにメールを打って送信したりもする。Amazonのタイムセールをチェックしたりもする。

 本当は自然に目覚めたのだから布団に戻らず起きて作業始めれば良いのだ。が、今の季節、深夜の一番寒い時間に起きだすのはよほど勇気がいる。いくら着込んだとしても新聞配達でも始めない限りついまた暖かい布団に戻ってしまう。

 が、やるべきことは山積している。幸いもう季節は春へと進み、真夜中でも前ほど寒くない。もう起きだして今日は夜明け前から動き出した。
 今は焦りも苛立ちもしないが、果たしてこれからどうなるのかという漠然とした不安を抱えている。時代は駆け足で戦争へと傾斜している。そしてそのことに危機感は抱いても警鐘を鳴らす人が少ない。
 景気さえよければ、株が上がり給料が増え金さえ懐に入って来れば政治のことは安倍晋三たちに任せっきりにしても良いという風潮が蔓延している。
 個人的にももっと大きなことを仕掛けていきたいと考えているのだが、人間関係があれこれこじれてなかなか先へと進められない。ナニゴトももっと大きく動かしていきたいと切望している。
 そのためにも今はまず、やりたいこと以前に、今できること、すべきことを一つ一つやっていくしかない。後になって悔やまないためにも。

 また砂川正和のうたう『最後の本音』のサビの部分が頭の中で鳴り響いている。♪俺はそんな悪い人間じゃない ただ考えが甘いだけ と。

今年も一潮さん追悼のライブがあります。2015年03月21日 23時50分04秒

★3月27日国立市谷保の「かけこみ亭」で           アクセスランキング: 143位

 3月29日の命日を前に、今年も谷保のかけこみ亭で、高坂一潮さんを偲び、ファンや音楽仲間たちが集います。

 今回は、貴重な彼の生前のライブ映像なども流す予定です。彼を知る人も未だ方も、青森が生んだ不世出の生活詩人・フォークシンガーを皆で語り認識を新たにしたいと思います。そのビデオを内覧の機会に観た某Ⅿ嬢は、初めて知った一潮さんのうたと姿に感動して泣いておりました。
 
 夜7時頃からだらだらやっていると思います。どなたでもご自由にご参加ください。

体勢整え態勢巻き返し体制打倒2015年03月22日 23時01分07秒

★腰痛頭痛心痛抱えても             アクセスランキング: 170位

 腰痛のほうは慢性的だから鈍く重い痛みは日常的であり、朝はすっきり伸びていた背中も、時間と共に腰が曲がって前屈みとなっていく。夕方ともなると背筋を伸ばしていられない。
 今の時代は少なくなったが、昔はお婆さんに多く、腰が直角に曲がって杖を頼りに何とか歩いている老人を見かけたものだが、あれは腰痛が悪化していくとああなるのであろうか。
 腰をかばうと無意識でもつい前屈みとなって背も低くなっていく。年寄りの多くが腰が曲がって小さく見えるのは腰痛が原因とは断言できないけれども自分もそういう老人となろう。このまま腰痛を抱えて生き長らえるとだ。

 まあそれでもだるいような鈍い痛みならば我慢もできる。ただ怖いのはこれが導火線的に、またギックリ腰へと引火した場合のことで、無理して疲れを溜めなければこの程度でやり過ごせるかと思う。
 ギックリ腰は本来季節を問わず突発的に起きるものではあるが、やはり寒さ、気温の低さと腰痛は大きく関係があり、暖かくなればその危機、危険度は軽くなるように思える。
※余談だが、いちばん最初にギックリ腰になったのは、好きだった女の子に誘われて彼女が働いていた西荻のソーセージ屋に職人として入り、冷え込んだ製造場で一冬ずっと立ち尽くしで働きクビになってから起きた。一か月以上激痛に囚われ寝たきりの日々が続いた。その人も先年癌で死んでもうこの世では会えない。

 ただ問題は、このところの夜になったり疲れると起きる頭痛で、ただでさえ非効率で、愚図ゆえにタスク達成度の低い我が、頭痛と付属して起きるメマイで何もできなくなる。食べられないし起きていられない。そんなで期せずして、減量果たすことに成功し、この二か月半で6キロ以上体重が落ちた。今の言葉で言えば、10%オフである。
 前はデブではなかったと思うが、腹回りに脂肪が付き、典型的な中高年体型であったが、今はスッキリした。このところ会う人ごとに痩せた、見違えたと言われてウレシイ気もなくはないが、その分体力も落ちた感じで、頭痛なくてもすぐフラフラして寝てばかりでいる。

 最近は、パソコンに向かって原稿書いたり、撮ったライブビデオの編集していると、4時間おきに少し寝て、また起きて作業して、また寝るというサイクルとなってしまった。
 つまり朝早く目覚め起きる。10時ぐらいまであれこれ家事したりすると疲れてだるくなって起きていられず仮眠とる。昼寝ではない、昼前から寝ているから二度寝に近い。
 昼零時過ぎ、起きて親たちに昼食用意して数時間作業するとまたへたばって夕方また少し昼寝。起きて本の発送や犬の散歩済まして、晩飯作って少しすると頭痛がしてきて早くもまたダウン。夜早く寝るからまた朝も早く起きる。それの繰り返し。これでは半病人である。八時間労働なんて、起き続けていられないのだからそもそもできっこない。

 それでもようやく心労の方は軽くなってきた。身近に進行癌患者がいることで、逆に見据えるものができ、気持ちも定まった。ウチの食事も今玄米食中心に新たに再考して、どうしたらこれ以上癌の成長を抑制できるかということが我が家の最重要テーマとなった。

 皮肉なことだが、「死」が迫ってきたことで「生きがい」が生まれた。つまり、生きること、生きているということは、死との距離、度合いから価値や意味が生ずるのである。
 若い時など死は無縁でいくらでも時間はあったから、全く漫然と無為かつ無意味に日々生きて時間を無駄に費やしてきた。今その時間が残り少なってきてようやく時間の価値、重みに気がついた。自分の場合、若い時だけでなく正しくは50歳近くまでそんな愚かなままでいたわけなのだが。

 まあ、美味しい酒でも同様に、中身が瓶の底の方に残り少なくなれば大切に味わって飲むであろう。死を意識するということは初めて人生という「瓶」の大きさを知ることであり、酒瓶のように眼に見えるものとしてそこにないがゆえ、死を見据えてこそ人は真に大切に生きようと考える。だから癌は健康法にはなりえないが人生健全法、再生法にはなる。

 そう、今はともかく早く我が身の体勢整えて、態勢巻き返して安倍政権という憲政史上最悪最低の体制を打倒したいと考えている。そんなで今日の大集会は参加できなかったが、心は参加者と一としている。安倍政権打倒! NO! を突き付けたい。

うた仲間、音楽友募りたい2015年03月23日 22時24分35秒

★共に歌ったり音を出したりやる仲間募集します。           アクセスランキング: 126位

 昨日、久しぶりにマイユニット、みほこんずのメンバーが集まって少しだけ演奏やってみた。あの11月30日から全員が揃うのは初めてであり、音出しも当然ながら三か月半ぶりとなる。
 再び活動続けることも確認できたことは何より喜ばしかったが、何といっても楽器を持ちよりレパートリーを再演したりセッション的に合わせるだけでもとても楽しかった。むろん皆で一緒に歌うこともだ。皆で音楽を演る楽しさを味わった。

 音楽というのは、基本は個々の個人がそれぞれ練習しその成果なり精進ぶりを示すものであるけれど、本番のそれよりも一番楽しいのは、集まってわいわいがやがや騒ぎながらじっさいに皆で音出して歌って曲をカタチにしていくことだといつも思う。
 本番はその成果、最良の結果を人前で出せればただ良いだけで、そこには満足感は得られたとしても楽しみはあまりない。うまくいかなくても練習という行為こそ音楽をつくり上げて行く共同作業で、個人的にはいちばん好きだ。
 逆に一番つまらないのは、一人でギター弾いて誰もいないところで練習のために歌うことで、むろんそれこそ大事かつ必要な基本行為なのだが、三回ぐらいやるとすぐ飽きてしまう。ちっとも楽しくも何ともない。

 そして実際に揃って久々に音出した後、溜まっていた倦んだ気持ちや淀んだ悪い想念のようなこれまで抱えていた鬱々としたものが消えてしまったことに気がついた。音楽、聴いたり一人でするのではなく、それも皆で演る音楽こそが気分を変え人を元気にさせることだと思い至った。

 ただなかなかメンバー全員で揃うことは難しい。我はともかくみんな忙しくてスケジュールが合わない。ならば、某真黒毛ぼっくすのように不定形の楽団として活動するという手もあると気づく。じっさい敬愛するさこ大介さんの大介バンドだって、フルメンバー揃っての練習やコンサートは年に数回でしかない。たいがいは二人、三人単位のユニットで演っている。
 ビートルズは四人そろわないとビートルズではないが、それはプロとして活動を求められたからであり、そもそも音楽の形態はもっとゆるく自由であってもまったく構わないはずではないか。

 共に音楽をやりたいと思う者ならば、楽器が何か一つでもできなくてはならないということも必須条件ではないと考える。楽器なんかできなくてもうたったりコーラスつけたり、足踏みや手拍子するのだって音楽の行為には違わない。あるいはただそこにいて聴いたり意見してくれることだってメンバーだと言えるのではないか。

 今まで何かをやることは、どこであれやはり何かの条件や約束、契約のようなことがまず前提にされてきたと思う。つまりギター教室なりワークショップやると発表し宣伝すれば、その参加者には相応の義務とやる気、責任のようなものが求められたし、こちらもやはり求めていた。
 しかし、それは前提条件ではない。音楽と音楽の場があることが前提であり、関わり方はじっさいどうでも良いことであった。つまり、もともとプロでもないし、金とっての商売としてやっているのではないのだから、もっと自由に、良い意味でルーズであって何が悪いのか。
 つまり皆忙しいのなら、来る者は拒まず来ない者はそれで良し、去る者もまたかまわないというスタンスでやるのが誰にとってもいちばん楽だろう。

 昨日久々に皆で揃って少しでも音出し練習やってそのことに気がついた。誰でもかまわない。音楽なんかやったことなくてもかまわない。もし楽器ができるようになりたいのなら基本的なことなら教えもするし、多少の知識もある。アドバイスもできるかもしれない。
 問題ひとつ。そうしたこと、歌ったり聴いたりする音楽が好きであってほしいだけだ。年齢も経験もいっさい関係ない。

 『バンドメンバー募集』 と記すと、それなりの本気さやレベル、経験も関係してくる。でもそんなことは大事だとは考えない。集まってわいわいがやがや音出すのが、歌うことが楽しく好きかどうかということけだ。
 幸いウチにはギターだけでなくキーボードやウクレレなどもある。それらは人に教えることはまだできないが、まずこの我から練習続けて多少は弾けるようマスターしていきたい。
 夢はいろんな楽器を持ち寄って、スタンダード曲をセッションして回すことができるような仲間たちが揃うことだ。二ユーロストシティやディキシーズ・ミッドナイト・ランブラーズのような形態の即席バントができないものか。
 考えてみれば高田渡がやりたかったことは、若き日の武蔵野たんぽぽ団しかり、ヒルトップもしかり、ずっとそうした形態の音楽、セッションバンドであった。今更ながら亡き人の思いというか気持ちがわかってきたということになる。

 焦りも急ぎもしない。音楽は逃げやしない。ただ少しでも歩を進めていくことだ。新たな出会いもあるだろう。巧い下手は関係ない。まず出会いがあり関係が続きそしてその先に見えてくるもの、辿りつく場所がある。
 無頼庵のこれからの活動方向がようやく見えてきたような気がしている。どなたでも来られて音楽活動を一緒にやりませんか。

音楽は楽しみ。人を変えていく2015年03月24日 05時21分21秒

★今日は山梨へ最後の運搬へ           アクセスランキング: 115位

 うたや音楽では世界は変わらないし、変えることはできない。ただ、それを聴いたりうたったりした人の心の何かは変わる。変えるのではなく自然に変わっていく。やがてはそれが意識の底でビタミンやミネラルのように効いて何かを変える祖となると信ずる。

 そして何よりうたや音楽は楽しい。まさに字の如く、音の楽しみである。他の芸術は文学、美術のように学ぶことや修練としてノウハウから義務的に発しているのに、音楽だけは音学でなくpleasureとして意味づけされている、この国では。

 まあどんなことでも全てのことは楽しさ、愉楽、快楽から発している。今はやりの言葉、快適性といってもいい。楽しくないこと、辛いことは誰だって好まないし、逆に現実がそうツライがゆえ、楽しいことが求められている。

 そして人は本来それを自ら求めplayしていたはずだ。
 どんなことでも受け手の側としているよりも自らやったほうが楽しいと思うのだが、この世には「観客」という位置にいることを望む人たちも多くいる。
 いちばんはサッカーのファンやプロ野球に熱中するサポーターなる一軍で、おそらくその心理は宝塚ファンなどに連なるものであろう。つまり自らは出来ないしそこに入れない世界だからこそ憧れ追い続けるように。応援という行為をサポートと位置付けたのは言葉のマジックであろう。
 が、野球でもサッカーでも実は誰だって個人的にはすぐに始められるし下手だって草野球やアマチュアチームはいくらだってあるのではないかと思う。まあ、それらはチームプレイだからまずチームを作りメンバーが集まらないと動きだせない競技だから始めたいとしてもおいそれとはできやしないこともわかるが。
 しかし、サポーターとして選手と同じ色の服を着て応援する側に熱中するよりたとえプロレスであろうとも自らやるほうが楽しいしそこから得るものと真にわかることは大きいと信ずる。どんなことでも観るより自らやる方が楽しいという信念は変わらない。だからただ観る、応援する行為にはまったく理解できないし関心ない。

 音楽は一番簡単だ。別にプロのように流暢にギターが弾けなくたって歌えなくたってまったくかまわないはずだし、聴く側だけに甘んじるのはまったくもったいない。むろん何でもやってみると実は難しいし最初は大変だ。でもそれは何だって同じで少し続けていけばできなかったことでもできるようになっていく。

 今、この自分、基本何でもできないこの我が、高速道路をレンタカーで、びゅんびゅんとばして見知らぬ土地まで運転していくことができている。そのとき至福の感に襲われるときがある。こうして自由に運転できることは何て素晴らしいことかと思ってしまう。むろん最初は教習所でもすごく苦労した。事故も起こした。もうやめようかと何度も考えた。が、できないままでいるよりできるようになったことは本当に良かったと今つくづく思える。

 人生とはでぎないことがなくなり、わからないこと、知らないことが少しでもなくしていくことではないのか。そうして未知のことや不可能であったことを一つでも克服していくことこそが即ち生きることだと断言しても良い。つまりそれこそが人としての成長であろう。
 音楽はその中でももっとも簡単でしかも楽しい。宝塚ファンや鉄道ファンの気持ちは別として、自らできること、関われることは自らやってみるに勝るものはない。
 むろん全てには観客という側も必要だし求められている。しかし、それはアマチュアの立場からすれば交互に位置を変われば済む話ではないのか。君がうたい、ぼくが聴く。ぼくのうたを君が聴く。君の歌はぼくのうた、ぼくのうたは君の歌となっていく。

 そうした共有、共感関係もまた音楽は可能なわけで、いちばんの素晴らしいことは観客や聴衆も一体となって唄い手やプレイヤーと手を叩き、足を踏み鳴らし声を張り上げることができることだ。サッカーや高校野球で楽器をブーブーブカブカ鳴らすのよりもより確かな一体感があろう。

 そんなことを寝ながら考えきのう書いたことに関連して書いた。そしてこの世にはできないままでいることに甘んじてしまう人がたくさんいることを思った。残念でならない。車の運転もだが、危険でもこんなに便利かつ楽しいのに。音楽はまして安全で楽しいのにと。

 今日は、これから「社員」氏を招いて、近くに借りている倉庫から不良在庫の撤収、山梨の古民家へと運搬作業をする。レンタのトラックを借りてやるのはこれで最後になるかと思う。
 今月、3月いっぱいで、その倉庫は引き払う。そうなればいくらかは出費も減らせる。生活も楽になっていく。

 腰が心配だが、無理せず、慎重に腰かばいつつがんばりたい。また報告する。一昨日の集まってplayした音楽が効いた。今、気持ちは珍しく前向きである。憂鬱気分はみほこんずの練習でふっとんだ。

 というわけでバンド形態の音楽活動に本腰を入れていきたい。音楽仲間を募っている。どなたでもお気軽に。

忙中閑ありて本の行く末を思う。2015年03月25日 21時40分27秒

★少しづつ少しでも            アクセスランキング: 140位

 今、うちの町ではコブシやモクレンの白い花があちこちで咲き誇っている。
 この数日、寒の戻りでまた寒い日が続いている。が、山梨の里山に比べれば何ほどのものでない。向こうは、南アルプスに向き合い、八ヶ岳の山麓に近く、標高も700mある山中に位置しているから、このところ行くたびに小雪が舞いともかく気温が低い。残雪などはなくなってもとても春が来た感はまだない。ひと月は季節の進みが遅れている。

 日帰りで山梨県北杜市江草の古民家にまた古雑本をトラック一台分運び込んだ。ただ、今回は行きに、高速は事故?渋滞に巻き込まれて、大月過ぎてからまったく進まず、笹子トンネル入り口まで1時間半ロスしてしまった。現地に着いたのは午後3時で、須玉市内で買った牛丼弁当を掻き込んで大慌てで積んできた本や雑誌を古民家の中に投げ込み、また大急ぎで戻ってレンタカーのトラックを返した。向こうにいたのは2時間である。
 朝の8時にトラックを借りて、12時間で返す。今回は、積むのに時間がかかって八王子インターに入ったのが昼過ぎであった。渋滞に巻き込まれたので、いつもなら1時間半で着くところが倍近くかかったこととなる。帰りも猛スピードで飛ばして戻ったから心身ともに疲労感が強い。

 そして今日は朝7時から倉庫内の片づけして、ウチの庭のイチョウの枝下ろしも少しやって、昼になった。親たちを立川の病院に連れて行く要件もあり、社員氏も一緒に同乗して立川駅まで送って午後2時にお開きとなった。
 それから夕方までひたすら深く眠って疲れをとった。慌ただしい日が続くが、明日は親たちもデイサービスでいないし、自分も出掛ける予定もない。ほっと一息、忙中閑ありというところだ。
 
 果たして今月中に、倉庫として借りている長屋の中を全て空にして大家に返せるかかなり微妙である。まだ屑本や、未整理の紙ゴミ類も多々残っていて、もうあと一週間もなく撤収が全て終わるか見えてこない。
 今月内にあともう一回、最終的に残ったものをウチの車で運んで向こうに泊まってこようと考えているので、掃除も含めて時間が足りない。
 それでも確実に中は空いてきて、がらんとしてきた。もうあとほんの少し、ラストスパートだと思う。が、そのぶん、古民家のほうがいっぱいになってきて、まだまだ空間はあるものの既に何部屋か積み重ねた本の山で埋まってしまった。一冊確認して整理しクズ本は処分していけばもっと減らせるのだが、そうした確認のための時間が今はとれない。優先事項は借りて家賃を払い続けている長屋からの撤収であり、そこがなくなって初めて、不良在庫の整理と処分にも専念できる。

 ただ、この商売も含めて、本に未来はあるのかこのところ考え続けている。ヤマト運輸のメール便も今月末で廃止となるし、本を取り巻く環境はさらにまた悪化している。
 ますますもって本は売れなくなる時代にどう向き合うか。そうしたことについて何回か思うところを書いていきたい。

詩人奥主榮詩朗読会のお知らせ2015年03月26日 18時39分56秒

★3月29日午後3時から           アクセスランキング: 173位

 拙宅無頼庵での詩朗読ライブ世話人としても知られる詩人・奥主榮(おくぬしえい)氏による阿佐ヶ谷で「詩朗読会」の催しがあります。

 詳細は、チラシ文面をアップしましたのでご参照ください。いつもお世話になっている方のイベントなのでマス坊も万難を排し応援に参加する予定。